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近代美術館で「熊谷守一」を観るとワイフが「工芸館に行きましょう」誘います。私の職場は大手町でしたから。車で出かける時は平川門前から首都高に入りました。何時も高速入口に赤い煉瓦造りの「旧近衛師団司令部庁舎(重要文化財)旧近衛兵官舎」があって一度は入ってみたい思っていたのでした。旧近衛師団司令部庁舎は昭和52年「近代美術館工芸館」として活用されて現在に至っているのでした。
近代美術館からは「紀伊坂」を500mも登って「北の丸公園」入り口に位置しています。また昭和52(1977)年には北の丸公園の開園に際してその入口にある旧近衛師団司令部庁舎を近代美術館工芸館として一般公開したのでした。旧近衛師団司令部庁舎と云えば2.26事件や5.15事件の舞台になった建物です。
近代美術館工芸館は皇居の平川門の西に在ります。紅枝垂れ桜が咲き出していました。
旧近衛師団司令部庁舎は正面中央の玄関部に小さな八角形の塔屋をのせ、両翼部に張り出しがある簡素なゴシック様式の建物です。丸の内や霞ヶ関の明治洋風煉瓦造の建物が急速に消滅していくなかで、官庁建築の旧規をよく残しており、日本人技術者が設計した現存する数少ない遺構として重要文化財に指定されました。。
周囲は皇居の桜、千鳥ヶ淵の桜に囲まれて、複雑な想いが交錯してしまいます。加えて玄関前には「北白川宮能久親王/М28年陸軍大将近衛師団長」のブロンズ像が騎乗から皇居を見詰めておいでです。
国立近代美術館工芸館は旧旧近衛師団司令部庁舎(重要文化財)ですからその玄関前には日清戦争に際して近衛師団長で陸軍大将であった「北白川宮能久親王のブロンズ像が皇居を見渡しています。
「京国立近代美術館」は平成13(2001)年4月1日より、組織改正され、「京都国立近代美術館」、「国立西洋美術館」、「国立国際美術館」とともに「独立行政法人国立美術館を構成する美術館」となり、その後六本木に開設された「国立新美術館」を加えて、わが国における美術振興の中心的拠点として活動を展開しています。日本の工芸はパリ万博やシカゴ万博で国策として展示された超絶技巧の伝統芸です。近代化の旗手として絵画や彫刻や音楽が奨励されたのと同様に工芸が重視されたのでした。ポスターには明治の金工長谷川 の鷹が使われています。
これが近代美術館工芸館のポスターです。使われている作品は鈴木長吉の金工細工の12の鷹です。
これが鈴木長吉の鷹です。こんな超絶金工細工が12体も並ぶと圧巻でした。
これは初代宮川香山《鳩桜花図高浮彫花瓶》1871-82年頃です。立近代美術館ライブラリーhttp://www.momat.go.jp/cg/collection/collection_overview/
工芸館の展示品はパリ万博やシカゴ万博に展示された伝統工芸品です。一番多いのが陶磁器で次いで漆器に絹織物、そして金工細工です。どれも今流に言えば「宮内庁御用達」明治風に云えば「皇室お買い上げ」の調度品と云う訳でしょう。
近代美術館工芸館のフェンスに貼られたポスター
桑材で作られた机に柿材で作られた手文庫には漆細工が施されていました。
浜田庄司の益子焼に魯山人の茶碗を観ると。民陶も皇室買い上げの対象になっていた事実に驚きました。
2階の展示室の間の空間に置かれた椅子とテーブルは休憩施設かと思いましたが飛騨の家具調の工芸品でした。
左が近代美術館工芸館で右が皇居になります。
グルッと廻ると階段上の踊り場に「椅子とテーブル」が置かれていました。腰掛けてお茶を飲もうとしても自販機は置かれていませんでした。近代美術館本館の4階にはレスト空間が用意されているので、椅子に腰かけて驚きました。飛騨の家具風の一品も展示品であったのでした。
右下は皇居の内堀になります。此処から見た千鳥ヶ淵が写真に良く撮られた絶景です。左の道を真っ直ぐ行けば英国大使館にぶつかります。土手に辛夷が咲いていました。
内堀の土手には馬酔木も満開でした。巨木が多く素晴らしい散歩道です。右の道路の先が竹橋で手前が半蔵門になります。
辛夷は「田起し花」桜は「田植え花」と云われます。信濃でも相模でも辛夷が咲いたら田圃に下りて「田起」しします。そして桜が咲いたら「田植え」をします。桜が散る前に田植えを終えなくてはならないのです。日本人の季節感は稲作をベースに養われてきました。という事は昔ながらに労働集約的な稲作をすることが最も自然で幸福なのでしょう。
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