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私達は観梅ウォーキングを下曽我駅から始め、瑞雲寺を廻って中川原梅林を周遊して再び下曽我駅に戻りました。御殿場線は電車の本数が少なく、電車の待ち時間が長いので駅の周りを視て歩きました。「何でも屋」があって、葱が一束270円、蕗の薹、菜の花は1パック150円です。美味しそうですが、瑞雲寺門前の公民館では何でも1束百円でした。気になった時に買えば良かったのでしたが・・・・。
此れは下曽我駅から別所梅林方面に50m歩いた処に在る仕舞屋(しもたや)風の「平野屋」です。隣りの「さがみ野ストアー」は「何でも屋」です。
駅前に如何にも古い昭和20年代の香りがプンプンする食堂「平野屋」がありました。
私達は道路脇の石に腰掛けて「草餅団子」を食べ、瑞雲寺の梅林で簀子に腰掛けて「粽」と「つみれ汁」を戴いたので、もうお腹は出来ていました。私が「駅前ラーメンを食べよう」言うと。
ワイフは呆れ顔で相手にしてくれません。ワイフを駅に待たせて私一人「食堂」平野屋の疲れた暖簾を潜りました。
食堂の前には立派な黒いBМWが駐車していました。駅前食堂平野屋の店内には2つの食卓があって、70代の老夫婦が一組親子丼とラーメンライスを食べていました。テレビをつけっ放しで「笑てんか」を写しています。
BМWは屹度この夫婦が乗って来たのでしょう。この付近の農家で。此処平野屋の味が好きで再三来ている風です。私が向かいの席に相席すると直後にまた一人モノが私の横に相席しました。私のラーメンを一瞥してラーメンを注文しました。
私の注文はラーメン(550円)でした。左隣のお兄さんもラーメン、向かいのBМWの叔父さんは親子丼で奥様はラーメンライスでした。鰹出汁の蕎麦屋風のラーメンでした。
壁には色紙が2枚貼ってあります。「舞の海」に「高見盛」です。二人とも玄人好みのお相撲さんでした。お相撲さんの色紙の並びには「氷川清」のポスターが無造作に貼られています。ラーメンを運んできた店員に訊けば。
壁に貼られた色紙左が「舞の海/昭和53年」で右が「高見盛/2006年)
部屋と食堂の境には楽屋暖簾がそして壁の僅かな隙間には氷川清のポスターが所狭しと貼られていました。
このカウンターの奥がキッチンで、ラーメンが出来たら此処に取りに行きます。店員はカウンターの下が押戸になっていて、そこから出入りします。キッチンの右奥にコンロがあって親爺が調理しています。
店の「ママが氷川清の追っかけ」なのだそうです。キッチンに入っている親爺がセッセと稼いで女将さんが氷川清の追っかけをしている光景は愉快です。
平野屋のメニュー、夕方からは居酒屋になるようです。
昨今は何処に行っても「ラーメン」です。私が小学生の頃は「支那そば」と呼んでいました。多分日本蕎麦屋が隣の中華蕎麦屋で売れている「ラーメン」「老麺」「柳麺」を自分の店でも売り出して「支那そば」トメーミングしたのでしょう。だから「ラーメン」でも「中華蕎麦」でも良いのにわざわざ「支那そば」と呼んだのでしょう。支那そばの名は戦中・戦後の香りがするのです。だから、平野屋のラーメンは本来の「支那そば」なのです。同じメニューでも時代が違えば呼び方も異なるのです。唯違わないのは私の味覚に「支那そば」が記憶されているので、時には懐かしい支那そばを喰いたくなる事です。
鎌倉の大仏様の門前に中華の老舗「中華飯店」がありました。同店でラーメンを注文すると本格的なチャーシューや肉団子が入っていました。「中華そば」に相応しい豪華ラーメンでした。スープは見事な鶏がらで縮れ麺でした。
勿論「支那そば」は「蕎麦つゆ」に「ストレート麺」でした。
下曽我の駅前も随分に拓けて来ました。瀟洒な戸建て住宅が連担しています。広い庭には家庭菜園もあって、御殿場から都心に向かうにも便利なようです。駅前ラーメンの平野屋が何時まで続いて居られるか定かではありませんが、氷川清の追っかけをしているママと働き者の爺さんが何時までも元気で「支那蕎麦」を商い続ける事を柱に貼られた大黒様にお祈りしました。
セロテープで無造作に柱に貼られたお札、店員に確認しても「知らない」という事。ニコニコのマークと食堂ですから出雲大社相模分祠の大黒様と判断しました。
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