仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

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2018年03月

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私も人生の第四コーナーを廻った自覚が強くなってきました。
新聞を視れば「遺言」だ「終就」だ活字が躍っています。栄六輔さんの「大遺言」も読みました。でも、天才脚本家も粋な生き方だけが綴られていて,少しも心に響きませんでした。テーマを列挙すれば、『知識に予算はかからない」「叱ってくれる人を探す」「人間関係に順位をつけない」「人間は今が一番若い」「生きているだけで面白い」「聞くは話すより難しい」「笑うことは武器になる」と云った話題で、『粋に生きる上では役立つ知恵』であっても、遺言というには寂しすぎます。
「栄六輔さんなら、もっと日本文化や江戸文化の本質に迫る遺言があったろうに!」思いました。そう想いながら見直すと栄六輔さんの自著ではなくてお孫さんがお祖父さんの言葉を想い起したり、栄さんの知り合いに訊きまわって上梓した本でした。
地下の栄さんは『遺言』を江戸っ子の為に書いておけば良かった苦虫を押し殺しておいででしょう。
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最近養老孟司氏の「遺言」が出版されました。脳科学者であると同時に「昆虫好き」で「文化への造詣も深い養老氏」の著書ですから期待を持って読みました。
ベストセラーになった「バカの壁」は養老氏の話をライターが口述筆記して出版したモノで、養老氏は滅多に自著しないのだそうです。でも「遺言」は長い航海の時間を有効に過ごす為に自ら筆を執ったのだそうで。期待を持って熟読しました。
「養老孟司氏が一生をかけて言いたかった事が「遺言」に書かれて居る筈だ、」思ったのでした。養老氏らしく、 『梁塵秘抄』の『 遊びをせんとや生れけむ戯れせんとや生れけん、 」から書き出しておいでです。
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此れは岩波古典体系の「梁塵秘抄」です。
後白河法皇が謳うと反感が強くなりますが屹度時代の変革期に生きた人には「何故自分は産まれたのだろう?”は共通した「疑問」だったのでしょう。現代人も「人生の幕引き」が近づいて自問自答する人も多い事でしょう。どうせ「何の甲斐性も無い人生」です。「せめて面白可笑しく過ごしたい」というのはヘレニズム哲学の古くて新しい人生観です。一般に「エピクロス派」は「快楽主義」と呼ばれます。反対の人生観がストア派で「禁欲主義」という事になります。養老孟司氏も私と同じ栄光学園の卒業生ですからカソリックの倫理観で育っておいでしょう。従って禁欲主義に近い倫理観の中で青春時代を過ごされたと思います。でも脳科学者の遺言ですから科学者らしい視点があると期待されます。
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此れは国立西洋美術館の前庭に在るロダン作地獄門です。地獄門はダンテ作「神曲」で快楽主義者が「「死後行く「地獄の門」の意味で、西洋中世に席捲された「禁欲」それとも「快楽」二者択一の倫理観でした。養老孟司氏は”そんな選択は無意味である”と遺言しておきたかったようです。
第一章は「絶対音感」の説明に始まります。動物は総じて絶対音感の持ち主で一つの周波数の音しか聞き分けられないというのです。人間も産まれて直ぐは「絶対音感」の持ち主ですが、「社会生活を営むうちに絶対音感を失い、ノイズに慣れることに依って多くの人の言葉を聞き分ける事が出来るようになる」、というのです。「人間の耳は元々ピアノの鍵盤のようにな有毛細胞が並んでいるのだそうです。絶対音感を持っているピアニストは脳の中に鍵盤に似たイメージが出来ていて、耳の音感組織が直結していて、一定の周波数の音を聞き分けられのだそうです。でも社会生活を営む上で雑音を訊き分ける為に絶対音感を失うというのです。鶯の囀りも絶対音感で、雄の鶯が雌の鶯に聞こえるようにしているのだそうです。
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これは「雲雀」です。雄の雲雀は自分の縄張りを主張する為に囀り雌を誘っているのでありますから、他の動物に聞かれる必要も無いので絶対音感の持ち主なのだそうです

第二章は「意味の無いモノに在る意味」と題して「感覚所与」を説明されます。「感覚所与」とは哲学用語だそうで「耳に音が聞こえる」「目に光が入る」事によって先ず感覚器官に与えられる印象と云った意味だそうです。絶対音感で云えば耳の感覚器でとらえた感覚が脳の意識意識に伝えられる前の状態で、耳の感覚器を刺激した鍵盤状の感覚が脳に伝播され意識と記憶と交流するのでしょう。
「カメラアイ」があります。カメラアイとは観たモノを瞬間記憶してしまう能力です。 カメラアイは網膜の映像がストレートに「脳の意識や記憶能力が直結」してしまう能力でしょう。屹度鷲や鷹と云った猛禽類はカメラアイで、一度狙った地上の小動物を忘れずに追跡出来る能力になっているのでしょう。
動物は総て感覚所与をベースに生きる事で「個の生存」を確保します。一方人間は感覚所与を忘れて「人間同士共生する生き方」を選びます。「個の生存」よりも「種の保存」を優先しているのです。その為には人間は『結果絶対音感を失い「ノイズ」に慣れてる必要もあるしカメラアイは必要が無く、視た色や形を象形文字等で表わして人間同士のコミュニケーションを容易にしているのでしょう。
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熊谷守一画伯の猫熊谷守一画伯は観察を重ねて感覚所与に映った映像を画布に描いたのかもしれません。人間は猫を「黒」「白」「ミケ」と名付ければ大凡の猫の姿が解りますが、それは意識と云った脳の作業の成果なのでしょう。
第三章は「人は何故イコールを理解したのか」第四章は「意識と感覚の衝突」に移って、終章に向かって意識の説明に重点は移って行きます。睡眠している間は意識が無い事、意識は在っても身体が動かない状態を「金縛り」と云ったり、意識だけが残って感覚の無い状態を「臨死体験」と云ったりする、説明します。
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現代の臨死体験を描いた絵ヒエロニムス・ボス作「Ascent of the Blessed」。トンネルの向こうに光の体験が描かれている。出典:ウキペディア。日本霊異記や今昔物語には臨死体験に基づく地獄の描写が多い。
眠ってしまうと人間は意識を失います。でも睡眠中も脳は活動しているのだそうです。死んでしまうと脳は活動を停止してしまいます。「睡眠」「臨死体験」「死」は「意識」と「身体」のギャップによって違いが生じるそうです。意識の中枢器官は脳ですから脳も身体も活動している状態が「生きている」状態だそうです。体が休んで意識も休んでいる状態が睡眠だそうで、睡眠中の脳は記憶や思考を脳で秩序立てて整理しているのだそうです。「金縛り」意識は覚醒しているのに、身体が意の儘に動かない状態だそうです。「臨死体験」は心停止状態にありながら意識は完全には覚醒しておらず意識スイッチが入りかけた状態で意識が浮遊する状態だそうです。私も脳梗塞で集中治療室に居た間、臨死体験しました。青春を過ごした奈良の峰々や堂塔の甍を見下ろしていたのですが。感覚系は止っていました。気付いたのはワイフが私の手を揉んでいるのを気付いた時でした。”体は死んでも意識は生きている”状態を体験したのでしたが。古代末期であれば臨死体験が地獄を視て来た事にもなるのでしょう。
人間も生物である以上、必ず死にます。問題は”人間だけに発達した「意識」も身体の死と同時に死ぬか?”と云った問題でしょう、体が死ねば血液は脳に届きません。脳も身体に追随して死んでしまうと考えるのが自然でしょう。)スコラ哲学やダンテのように心(意識)は不滅で快楽主義者は地獄に行き、禁欲主義者は天国に行くと考えるのは不自然です。という事は、梁塵秘抄のように『遊びをする為に産まれて来た』自覚は尊いと思います。
でも感覚所与の儘に生きる事は「人間が二足歩行して共同生活を始めて以来」不可能です。感覚所与を活かして共同生活を営む上で大事なのは熊谷守一のように「生きる楽しみ」に浸ルイ着方の様に思えます。それは期せずも「アートな生き様です。養老孟司氏は第7章に「人は何故アートを求めるのか?」記しておいでです。「アートは解毒剤である」とか「コンピュータでアートは出来ない」と云ったテーマも付記されました。「意識も感覚も同じく大切なのだそうです。
今春は盛りです。私の感覚にも強く刺激してくれます。今年も何時もの友人と桜を観ながら旧街道を旅行する予定です。友人と一緒に千年も生き抜いてきた桜を視る事は楽しい事です。養老氏の「遺言」に従えば人を人間たらしめているのは共同生活を可能にしている「意識」です。今年も友人を大切にしながら四季を楽しむ事にしましょう。


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住友家俣野別邸の庭先に続く駐車場を出て南に200mも歩けば境川の堤防です。クリスマスローズや二輪草の咲く庭を後にして私達は鎌倉古道を北に向けて歩き始めました。
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住友家俣野別邸の馬場の跡はクリスマスローズの花壇でした。
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俣野別邸から北に北に鎌倉古道が続いています。この辺りは数年前まで牧草地でしたが今は貸農園が流行りで、マイカーに乗ってサラリーマン家族が野菜作りに汗しています。
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これは農家の納屋で販売されているトマトです。
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鎌倉古道は境川の河岸段丘に残っている細道で東側の尾根には国道1号線『旧東海道』が通っています。
この細道は鎌倉古道と呼ばれた「軍用道路」だったのでした。鎌倉幕府は中世御家人の集団指導体制でした。関東以北に多い源氏恩顧の御家人が「イザ!鎌倉」の時には軍用道路を馬で駆けて鎌倉に参集し敵(西から攻め上がると想定)を防ごうとした道だったのです。『鉢の木』で有名な佐野源左衛門はこの道を痩せ馬を駆けて北条時頼の下に駆け付けたのでした。でも承久の乱や蒙古襲来の後には奉公に報いる財源に事欠き、御家人に見捨てられ足利の新田義貞はこの軍用道路を駆け上って鎌倉幕府を滅亡させます。
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此れは佐野源左衛門の図です。旅の僧を北条時頼とは知らずに盆栽を伐って暖を用意します。出典:ウィキペディアhttps://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E4%BD%90%E9%87%8E%E6%BA%90%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
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これは鎌倉古道に面した藤沢市高倉に在る東勝寺、案内によると北条高時は此処まで逃げ延びて自刃した事になっています。一般には宝戒寺裏の「腹切櫓」で自刃した事になっています。
最後の執権北条高時が創建した「東勝寺」も鎌倉古道に面しています。石仏も多いし、野鳥も多く楽しい古道です「道端には農家が「野菜の無人販売をしていますし、片栗等の自生地もあります。私達夫婦の好きなモノがオンパレードな道なのです。ウォーキングする人も多いので、瀟洒な戸建て住宅では奥様が居間を改造して喫茶店を営んだりしていますので、休憩スポットにも事欠かないのです。加えて小栗判官・照手姫物語の史蹟も多く日本一小さいと云われる「飯田牧場」はアイスクリームが美味しいのです。
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これは鎌倉古道に面した「飯田牧場」です蒲鉾厩舎でジャージー牛が飼われていますが、アイスクリームが人気です。向かいに花應院があります。
飯田牧場の西側には『花應院(曹洞宗』があって「小栗判官・照手姫物語」の絵巻や閻魔像が残されています。飯田牧場まで歩けるか自信はありませんが、疲れたら河岸段丘の上に上れば国道1号線ですから楽に家に戻る事が出来ます。
鎌倉古道西の道を進むと、八坂神社が見えてきます。その石鳥居の下に石仏が4基並んでいます。「右かまくら」「左はちおうじ」とも刻まれている道路標識も兼ねた庚申塔です。その庚申塔の四叉路を右折東に行けば「影取」のバス停です。バス停の前には不動明王が祀られています。この道を西に向かえば「大山不動尊」に行ける石仏は信仰のモニュメントと併せて、道案内を兼ねています。
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此れは八坂神社石鳥居の下に祀られている庚申塔寛文年間に建立されたの阿弥陀如来が主尊の庚申塔です。
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影取バス停前にある不動明王像左の道を真っ直ぐに行けば246号にぶつかり大山不動尊に行ける道でもあります。建立したのはこの先に在る龍長院(曹洞宗)の檀信徒です。
鎌倉古道西の道を歩く楽しみの一番は山野草です。土手には一面土筆が生えています。先日我家の周囲に芽を出した土筆を天麩羅にしましたが袴の口当たりが悪くイマイチでした。調べると袴は取り除く事、中華風油炒めがお奨めと云うことでした。
片栗の自生地もあります。今年は3月初めに城山に観に行きましたが、鎌倉古道の片栗は情緒では劣りません。
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土手を埋め尽くした土筆
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片栗自生地、赤いのは藪椿の落花です。
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今年も農家の屋敷杜に咲いた片栗の花
鎌倉古道は3本在ったそうです。東から数えて鎌倉と房州更には陸奥を繋いだ東の道、そして我が生家の裏山を通って北関東に向かった「中の道」、中の道には「実方塚」があります。陸奥の守に左遷された歌人藤原実方の墓と伝えられていますが、旅の途上で亡くなったのは「実方では無くてその家族か実力者だったろう」と云われています。そして三本目が「西の道」だったのです。西の道は頼朝の父であった源義朝を祭神とする「鯖/左馬神社」が幾つも祀られています。歴史があって、山野草が咲き、石仏が佇み、喫茶店もある素晴らしいウォーキング街道です。



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戸塚区俣野の住友家別荘を観に行きました。正面玄関を入った処にトイレがあります。トイレの入り口に枯山水の坪庭が設えて在ります。坪庭の横に「花水木」に似た樹が植えられています。
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住友家俣野別邸の北側に在るトイレから竣工した別邸を視る、枯山水に庭の端に手水鉢があってその脇に「歯ブラシの樹」とプレートの付いた苗木が植わっていました。
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此れが手水鉢の脇に植わっていた苗木です。筆者は「歯ブラシの樹」と思ってしまいました。でも写真で良く確認すると「目薬の樹」とされていました。
「何かな?」思って苗木を視ると「歯ブラシの樹」と書かれたプレートが吊るされています。「歯ブラシの樹」興味が湧きますが、「花が咲くのか?」「葉っぱがどんな形をしているのか?」チットモ想像できません。
でも、どこかで歯ブラシの樹を読んだ記憶があります。書棚を探して見つけました。
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これは前野浩太郎氏のノンフィクション「バッタを倒しにアフリカへ」という本この文中に現地職員が木の枝をナイフで切って歯ブラシにしている段の説明がありました。歯石も取るし、歯周病予防にも効果的だというのです。
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これは月岡芳年の浮世絵です『風俗三十二相』目を覚ました花魁が朝顔の咲いている井戸端で房楊枝を使って歯を磨いています。楊枝は無患子の樹の枝で作ったモノと思います。
「前野浩太郎氏のノンフィクション「バッタを倒しにアフリカへ」という本で「モーリタニアの職員が木の枝をナイフで切って前歯で切り口を噛んで歯ブラシにしている、書かれていました。読んだときは「江戸時代の『房楊枝』か」、思ったのでしたが特に気にも留めませんでした。前野氏も現地職員の真似をすると歯ブラシよりも遥かに快適で、歯も歯茎も健康であった、という事でした。歯ブラシの樹からは歯周病菌に有効な成分が含まれていたのでしょう。禅寺では良く庭先の井戸の脇に「無患子/むくろじ」の樹が植えてあります。鎌倉の宝戒寺にも無患子の大木が井戸の脇に自生しています。無患子は歯ブラシにもなるし、石鹸にもなります。成分に歯磨き粉と同薬効があるので無患子の名が付いているのでしょう。私は観た瞬間に住友家の令嬢が房楊枝を噛んでいる姿を髣髴したのでした。
でも写真をじっと見ると「歯ブラシ」では無くて「目薬の樹」と書かれていました。私の思い込みによる見間違いでした。「目薬の樹」ならばは上野の国立博物館の庭園で観ました。庭園は元上野寛永寺の方丈庭園だったものです。天海僧正初め歴史上の怪物僧が観ていた内苑です。春は桜、秋は紅葉が彩るお庭です。そのお庭の奥「九条館」の前に山桜の巨木と目薬の樹が並んでいるのです。桜は春目薬の樹は楓の仲間ですから、秋の樹です。
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此れは上野の国立博物館の内苑から博物館を観た写真です。内苑は寛永寺本堂裏のお庭でした。右側に平成館があってその裏に九条館があって「目薬の樹」があります。
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上野の国立博物館の内苑に在る目薬の樹隣は山桜でどちらも巨木です。目薬の樹ははカエデ科の樹です。桜は樹皮が黒いのに対し「目薬の樹は色白スベスベです。向こうの建物が九条館です。その右隣りに「応挙館」があります。
御屋敷やお寺の庭には実用的な樹があるモノです。『石鹸の樹/エゴノキ又は無患子』に『歯ブラシの樹』に『目薬の樹』今度小石川植物園に行ったら教えて貰いましょう。歯ブラシの樹で作った「房楊枝」は一度試してみたいものです。


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旅行ブログ


東海道線や横須賀線の車窓を視ていると気付く事があります。横浜駅を出て保土ヶ谷駅辺り迄は市街地ですが清水トンネル前後から田園地帯に景色が変わります。大船を越えると湘南・鎌倉の文教地帯に変ります。
昔から地価は戸塚が底で藤沢鎌倉に入ると上昇していました。政令指定都市横浜と、文教・観光都市湘南との端境に在るのが戸塚です。そんな戸塚にも唯一重要文化財がありました。それが「住友家別荘」です。住友家俣野別荘の付いては祖母も口にしていました。住友家の令嬢が乗馬姿で、別荘から近くの境川の堤防を遠乗りしていたというのです。
住友家俣野別荘の設計者は「佐藤秀三」でした。「佐藤秀三」は昭和モダン建築を代表する設計士で「日光プリンスホテル」を始め、世田谷の「向井潤吉邸/現向井潤吉美術館」や「那須住友家別荘」など数多く残されていますが、重文の指定を受けたのは戸塚の「俣野別邸」だけでした。住友家本邸に勝る評価を受けているのは、昭和モダン建築の代表と評される特長を備えているからです。昭和モダニズム建築の意義は『明治以来西洋建築が奔流のように我国に押し寄せたのに対し、快適な広い空間を備え同時に伝統的な日本建築の良さを折衷した空間を用意したのでした。』設計士には「アントニン・レーモンド/エリスマン邸や東京女子大を設計」や「谷口吉郎/東宮御所や出光美術館や藤村記念館を設計」も居ましたが、重要文化財の評価を受けたのは戸塚の「住友家俣野別邸」だけなのでした。
唯一重文指定の名誉に浴した理由は明確です。西洋の「ハーフ・ティンバー様式」と伝統的な日本建築様式を折衷させ、成功しているのです。
ハーフティンバーとは北ヨーロッパやイギリスにみられる木造建築構造で、柱・梁・筋違/すじかいなど骨組みとなる部分を木材で密に組み、その間を煉瓦・石・土などで充塡して壁としたものです。
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此れは鎌倉浄妙寺にある「華頂の宮邸」です。ハーフ・ティンバー様式建築ですが鎌倉の洋館として評価されているだけです。
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此れは横浜の山手に在るエリスマン邸です此れも「ハーフティンバー様式です。
鎌倉の「華頂の宮邸」や白金の「旧朝香宮邸/現庭園美術館」も和様折衷建築として評価されていますが、どちらか言えば「ハーフティンバー」は評価されず「アール・デコ」の装飾建築として評価されています。「華頂の宮」も朝香宮」も軍人としてフランスに留学していた事から、当時のヨーロッパで人気だった「アール・デコ」様式を日本に伝えたモノでした。快適で広い空間を機能的に合理的に設計するには「ハーフティンバー」が最適で、日本人のライフスタイルや「別荘」「博物館」「ホテル」等を実現したのでした。
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これは徳洲会の経営する湘南鎌倉総合病院の1階ロビーです。病院にリゾートホテルの様な大空間とやすらぎを設計する思想は、昭和モダニズム建築に始まるモノです。ル・コルビュジェの国立西洋美術館にも共通する設計思想で、現代建築の礎になった設計思想です。
私が長銀のゼネコン、ホテル担当として佐藤秀工務店やレーモンド設計事務所の作品に再三接しました。例えば大船の「徳州会湘南鎌倉総合病院」の玄関ロビーの大空間やシースルーのエレベーターは機能と快適性と経済合理性を求めた成果だと確信します。佐藤秀の極めた建築思想は現代建築の主流なのです。
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此れが焼失直後の住友家俣野別邸です。写真出典朝日新聞焼失材は敷地内に倉庫を建てて保存されていました。
そんな重要な住友家股の別荘でしたが、重要文化財に指定されると、横浜市は早速に一般公開の作業に入りました。担当部署は「公園課」でした。横浜市は当時「緑税」を新設して、俣野別邸を公園として活用しようとしたのでした。処が工事を始めた途端に不審火で略全焼してしまいました。当時近くの小雀神社の社殿が放火され、大磯の吉田茂別荘も焼失していました。「迂闊」の叱責は新聞紙上に踊りました。
2009年3月、放火のニュースに驚いて早速観に行って写真も撮ったのでした。同じく放火された大磯町の吉田茂別邸は先に再建され一般公開されています、ところが住友家俣野別邸は、お庭こそ公開されましたが、肝心の建物の再建が儘ならず、何時まで待っても公開されませんでした。漸く、昨年4月1日から公開されたので、3月23日出かけてみました。我家から藤沢駅北口行のバスに乗って、鉄砲宿で降りれば3分で住友家俣野別邸です。鉄砲宿の名は「藤沢宿」で「出入り鉄砲」を取り締まっていたからかと思えば民話に依る名だそうです。桜並木の下に佇む道祖神に挨拶して住友家別邸に入りました。
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鉄砲宿バス停の傍に祀られている道祖神。
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住友家別邸の入り口左に在るのはツクイの高齢者住宅、此処から茅ヶ崎バイパスを越えれば住友家別邸です。境川の河岸段丘の東側丘陵地にあります。真向かいに冨士の霊峰が見渡せる景勝地です。
目指す住友家俣野別荘は竣工していました。私は身障手帳を持っていますので入館は無料です。横浜山手の洋館と同じで館内に喫茶軽食のサービスがあります。
時刻も10時を越えてコヒーも欲しくなりました。見学を終えて一服します。
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住友家俣野別邸の北側全景、ハーフティンバー建築でありながらスペイン瓦を日本的な塩葺き瓦で造っています。建物左側は今次の増築部分で地域の活用を期待して会議室等が整備されました。現在進められている「文化財保護法」を先取りした改造です。
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此れは住友家別邸の玄関です。玄関ドアは焼けなかったそうです。この他活用された家具や意匠は数多く何れも佐藤秀の意匠だそうです。
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此れは住友家別邸の西側の居間です向かいの景色は境川に西側の河岸段丘でその上に冨士の霊峰が仰ぎ見られます。此処に別荘を建てたのはこの景色が魅力だったのでしょう。因みに向こうの段丘の上を走っている街道が八王子道で真っ直ぐ行けば橋本から八王子神社のある八王子で海老名で左折すれば大山に行けます。丘陵の中に「小栗判官照手姫物語の史蹟が散っています。
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此れが住友家別邸の喫茶軽食サービス「陽だまりの部屋」のダイニングルームの天井です。杉板張りの天井ですが格天井に在るような彫刻が為されていました。
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珈琲は500円でケーキは600円ですが、セットにすれば800円です。因みにカレーライスはサラダ付700円でした。次は軽食をとりましょう。
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芝生の庭の中央に紅枝垂れ桜が植えられていました。未だ咲き始め、屹度円山公園の枝垂れ桜の実生でしょう。
本館を出ようとすると「今日は下の庭で大正中学の生徒さんが吹奏楽を演奏しています。是非観て行って下さい」と誘われました。わたしたちは「山野草の小道」を下って下の段に行きました。其処は昔祖母が言っていた「住友の御姫様が馬に乗って境川の堤防を駆けておいでだった!」その馬場や厩舎があったのでしょう。
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お姫様の馬場では大正中学校の生徒さんが吹奏楽を聴かせてくれました。写真は指揮者の先生が生徒さんと楽器を紹介していた場面です。
今は「クリスマス・ローズ」が自生する自由な風が吹く空間です。
私は桜の樹下に置かれたベンチに腰かけて身障者が手作りしたパンを求めて昼食にしました。というのは住友家別邸のある辺りは「鎌倉古道西の道」で絶好のお散歩道なのです。
重文にも指定された文化財を保護する事も大事ですが、地域で活用する事も重要です財の価値は利用する事にあるのであって、保護するだけだったら、「死に体」です。



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土の匂い

私はズット「野菜作り」をしたいと思って来ました。父は禅の坊さんらしく、野菜作りが上手でしたので、私も手伝いをしながら農作業の楽しみを承知していました。農作業がリハビリにも良い事は薄々感じていましたが、農地が見つかりません。庭も狭いので隅に南瓜や隼人瓜を栽培して、「育てて楽し、食べて美味し」を実感してきました。もう2坪でも庭が広ければ良いのですが、私がログハウスを建てたモノですから。庭先菜園の夢は消えてしまいました。近隣の農家も畑を貸してくれそうもありません。戸塚も俣野や信濃に行けば貸農園もあるのですが、我家からは不便です。農業をするなら福島か千葉に転居するより術は無さそうです。イメージ 1
これは戸塚区俣野町の貸農園です。週末になると路傍の道はマイカーが埋めてしまいます。大凡1万円/月が相場のようです。この貸農園も以前は牧草地でした。以前は道端や農家の庭先で「無人販売」していたのですが、最近は「貸農園」が流行っています。野菜を買うよりは栽培する方が楽しいのです。
そんな折に、高校の友人で麻雀仲間のSさんから「畑作り」を誘われました。畑は戸塚と大船の中間「貝殻坂」だそうです。我家から貝殻坂まではバスで10分ほどで着きます。小学生の頃は貝殻坂迄自転車で出かけました。貝殻坂はその名の通り、貝殻が沢山出土するのです。と云っても縄文時代の「貝塚」があったのでも無く、関東ローム質の赤土の中から二枚貝が出土するのでした。多分、紀元前1万年頃は、この辺りまで相模湾の海岸線が入り組んでいたのでしょう。去年三内丸山古墳を見学した時にもジオラマで「青森郊外の八甲田山の裾野まで海岸線が迫っていた・・・。」説明していました。私の住んでいる倉田にも縄文遺跡があって、今は明治学院大学の図書館の展示室にヘボン博士の業績の隣に展示されています。
朝時貝殻坂バス停でSさんと落合、畑に向かいましたバス停は貝殻坂でも住所表示は「長沼」です。長沼は昔は金魚池が広がっていた処で、今は浄水場になっています。市街化の波が長沼に迄広がっていて、隣の飯島団地には瀟洒な戸建て住宅や農家の副業のアパートが連担しています。
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栄区長沼の農家の庭先築山の畑をお借りして野菜作りのチャンスを貰いました。奥の瓦屋根が貸主の農家です。右のアパートは農家の経営しているアパートです。この畑は私よりも先に借りている方がインゲン豆を撒いたものです。私の借りた畑はこの畑よりも上の段で東にあります。
Sさんが案内してくれた畑は元国鉄職員だったIさんの作って居られたもの。10年も前にIさんのお父様が亡くなられ御屋敷が代替わりになって、庭先の畑が放置されていたモノだそうです。隣は県営団地と児童公園です。県営団地を囲む形で「緑の金網フェンス」が設えて在るので、畑の周囲も金網で囲われています。金網は葛や野藤が絡んでいます。屋敷を守っていたお稲荷さんが畑の北隅に祀られています。
お稲荷さんも葛で埋まっていたようです。
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畑の周囲は篠竹が囲んでいます。私と友人のSさんが耕す畑は先ずこの篠竹の抜根から始めなくてはなりません。
後で知った事ですがSさんは去年まで友人と二人で畑を借りていたのでしたが、友人が興味を失った事から私に白羽の矢が当たった訳でした。今年改めてSさんは畑に鍬を入れ、根を張った篠竹を伐採して来たようです。私は畝を起します。鍬を翳すと左肩がきしみます。錆びた肩を動かすからでしょう。耕した土が懐かしい香りを発します。土塊が壊れると赤いゴミ虫が出て来ます。ミミズも出て来ます。土の上で身体を捻っています。春の陽射しがきついのか、早く土の中に逃げ込まないと鳥に食われるか、干乾びてしまう事が解っているのでしょう。「この土の匂いが健康にしてくれる」嬉しい予感がします。
       春耕のミミズ微かに匂いけり。
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畑の北側には農家の屋敷守であるお稲荷さんが祀られていました。「篠田の狐」を地で行くようなロケーションでした。
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Sさんが篠竹の抜根は大凡済ませてくれていたので、私は畝を耕しながら根を捨てるのが役割でした。先ずは鍬を使って畝を耕して来週は薩摩芋の苗を植えようと思いました。
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土の中からミミズが出て来ました。という事はこの土地は痩せていないという事です。春耕のミミズ微かに匂いけり。
9時から耕し始めて11時も過ぎると流石に息が上がって来ました。下の段を耕している人が新しい仲間が来たと喜んで挨拶に来てくれます。脳梗塞を発症して5年目でリハビリと野菜作りの楽しみを求めていると云えば、脳梗塞の後遺症は全く見られないと誉めてくれます。
鍬も鋤も各自が持ち込んで、農家の納屋に閉まっています。お互いに貸し借りしているようです。水は農家の庭に溜まった湧水を使います。何でも揃っているのですから、私は自宅から軽装でバスに乗って来れば直ぐに菜園つくりを楽しむ事が出来ます。篠竹の中から鶯の囀りが響いて来ました。「もう春は盛りですから、夏野菜は今用意しなくてはいけませんよ!」急かしているようです。フェンスの向こうは県営住宅の児童公園で、草原に遊具が据えられています。Sさんのお友達で麻雀仲間のIさんお宅もこの近くと云う事で寄って行くことにしました。Iさんは野鳥が好きで「ホウジロ」や「雲雀」を飼っているとの事。見せて戴きました。
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これがIさんが飼育している雲雀です。篠竹が繁茂している自然環境ですから鶯等小鳥が多く棲息しているのでしょう。こんな飼育小屋で「青大将(蛇」に狙われないか心配です。




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