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私達は[円空学会]の研究成果に従って先ず円空誕生地と云われる岐阜羽島の「観音堂」を詣で続いて母に死別された円空が預けられ得度したという『円空の父が禰宜であったという星宮神社』の神宮寺であった「粥川寺」に向かいました。先ず星宮神社を説明します。星宮神社を知ることは、円空を理解する上で重要だと思うのです。
日本三大修験地である「白山」は北陸の霊場で山頂に積もった雪が西に流れれば九頭竜川(河口の町は三国)になり、北に流れ出せば庄川(河口は高岡)南に流れ出せば長良川(河口は名古屋)になります。白山は水の神様であって夫々中流域には由緒深い神社が祀られています。長良川の水源地にあるのが「星宮神社」ですからご神体は大碓皇子(おおうすのみこ)神宮寺の粥川寺の本尊は虚空蔵菩薩です「星」とは北斗七星の「北極星」の事でしょう。北極星に祈ることで、災厄と豊穣を祈願する神社でした。
岐阜羽島の観音堂の前庭に建てられた円空上人旅立ちの像3m近い大きな立像でした。
羽島の観音堂の展示室に置かれたお人形のように柔和な円空上人像。有名な奇人伝中の円空上人を造像したモノでしょう。
7歳で母を失った少年円空は父を頼って美並村の星宮神社に身を寄せます。父は星宮神社の禰宜でしたから、息子を別当寺の「粥川寺」に預けたのでしょう。此処で円空は35歳まで過します。少年円空は美並村の生業であった、森林作業を身を以って学んだのでしょう。木地師の技を覚え、村の祠に祀られた、素朴な仏像に馴染みます。それは「弾誓」上人が彫った仏像で、私は箱根塔ノ沢の阿弥陀寺や昨年は大町の弾誓寺を詣でました。(以前次に弾誓をアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/46305693.html?__ysp=5YaG56m65Lul5YmN
岐阜羽島から関に向かう。長良川を渡ると中景に岐阜城のある「金華山」遠景に霊峰白山(大日山?)が見渡せます。今回のツアーは白山から南に流れる長良川を遡り、御母衣湖から流れ出る庄川に沿って高岡に向かう旅です。
円空仏の特長である荒々しい鑿跡の激しい彫法や木割りの技法は星宮神社時代に培ったものでしょう。1633年32歳で初めて仏像を彫った円空は白山から多分河口の三国港から蝦夷地の松前に渡り、主として東日本を修験行脚します。本格的な「作仏聖」の始まりでした。その姿は観音堂の入り口にも置かれていました。美並は長良川の中流域にある林業の町です。町村合併により郡上市美並町になっています。長良川を長良川鉄道美並駅で左折(西)の山間に入って行きます。道路に「美並故郷館の開館時刻は10時とあんないされていました。このまま行けば1時間も時間が余ってしまいます。道すがら「円空岩」や「円空洞」の案内が出ています。「水の駅」なんて言う案内もあります。時間潰しもあって、先ず円空岩に寄道しました。
円空街道の家並み、林業の町らしく美林が続いています。
円空街道の観光案内写真の下段真ん中が星宮神社でその左が円空洞、でその隣が円空岩です。
ひもじい想いをした円空少年が潜んだと云われる円空岩花粉症の友人も呆然と見上げる玄武岩の大岩でした。少しでも円空にあやかりたい思った筆者は足元の小石を拾って来ました。
星宮神社は円空街道の最深部に在りました。杉の巨木の間に社と宝物館が建っていました。見れば狛犬は円空上人のそれを摸刻した石製でした。
入口に掲げられた案内板には星宮神社の由緒が記されていました。天暦のはじめ(947年頃)この地に妖怪が出現した事から朝廷は藤原高光を派遣して鬼退治をさせたのだそうです。藤原高光は歌人であり弓の名手でした。虚空蔵菩薩に祈って弓をひいて天空から襲い来る鵺(ぬえ)を退治したので此処に星宮神社を建立したとありました。
円空街道の粥川の支流(谷本川を渡る橋の欄干には「藤原高光」の像がありました。
円空街道沿いには貯木場が目立ちました。
田起しの準備に入る農夫
これが星宮神社の最後の石鳥居です。右側に絵馬懸けと由緒案内が建っています。
星宮神社社殿(奥)と宝物館(右)
円空の狛犬を似せた石の狛犬
社殿前の霊杉(たま杉)郡上市天然記念物
星宮神社の絵馬は左鎌でした。左鎌は左手効きの人が使う鎌で、「草薙の剣」と同じく災厄を祓う神具でありますが、星宮神社では造林の為の「枝下し」の道具の意味でしょう。
粥川寺は「美並ふるさと館」と同じ棟に在りました。
ふるさと館は所謂民俗博物館でした。伊吹山の民俗博物館も良かったし、白神山地の民俗博物館も良い展示でした。
美並の民俗博物館は祖先への感謝と豊穣な山への感謝に満ちていました。
円空の鉈彫りが素晴らしいのは此処美並が森林を営みの場にしてきたからだ・・・・!」主張していました。町民が寄付した土人形のコレクションは稀に観る展示でした。私は藤原高光を探したのですが、勧進帳等歌舞伎モノが目立ちました何といっても一番は山から伐り出した材木を筏に組んで運ぶ術と丸太を木割りする道具類の展示でした。次には95体の円空仏が年代順に展示されており、円空の作風がどのように移り変わって行くのかがよくわかる事でした。95体は凄いのですが木端仏や15㎝程の坐像が多いので観音堂や弥勒寺の円空展示館に較べれば小粒な感がします。
此れが美並ふるさと館の入り口で左奥の防火建築が円空仏等の文化財の展示施設です。入り口左が粥川寺です。
美並ふるさと館の展示円空仏郡上八幡市の白山神社に多くが守られて来ました。神像は右から男神像、次いで女神は菊理媛(キクリヒメ)でしょう。
美並も此処が円空の誕生地であると主張して展示をしています。
美並町が円空の誕生地里主張する根拠の一つがこの観音像が母の面影を留めているからでしょう。パネルに案内されている通りこれは摸刻像なので触れます。
ふるさと館のジオラマ。材木を筏に組んで粥川から長良川を経て下流の岐阜や河口の名古屋に運んびました。
美並は美林の町と云う意味でしょう。伐り出された丸太を木地士が木割りして材木にしていました。少年円空はその姿を観察していて鉈彫りの技術を編み出したのでしょう。
明日は円空参詣のクライマックス「弥勒寺」を案内します。天蓋のように見事な紅枝垂れ桜がまんかいでしたし、円空の展示館も現代人の円空風鉈彫りも見事でした。
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