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根尾谷の淡墨桜を存分に観て、次は郡上八幡の「墨染の桜」を観に出かけました。墨染め桜と云えば京都深草の同名の桜を想い出します。有名な伏見の墨染桜の歌ですね。上野岑雄が友人の藤原基経(関白)の死を悲しんで歌った和歌が
深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け (古今集)
桜はこの歌を聴いてその心を感じます。そして墨染色に咲くようになったという伝説です。 歌は古今和歌集の哀傷歌に収められていますがこの伝説は能や浄瑠璃にも脚色されています。 でも、謡曲「墨染桜」では歌が少し違います。上野岑雄が「この春ばかり 墨染に咲け」と詠んだ のに対し、桜の精が現れて「この春よりは」と「今年ばかりは」と直すように頼んで消え、その後桜の精が舞をまうと いうものです。 ところで、実際に墨染桜という品種もあります。小さく花弁の細い白い花を付けます。薄墨色に見えるのは、むしろ茎や葉の部分です。『日本人は桜の花と心を通わせてきた』事を痛感させる伝説です。 宿の主人に郡上八幡の名桜を訊けば、「墨染めの桜」が郡上八幡の愛宕神社に在るし、八幡小学校の校庭の桜も名桜だが昨年は病気で幹を伐採してしまったとも言っていました。
八幡小学校の校庭に在る一本桜は幹を伐られたものの花はしっかり咲いていました。背景に郡上八幡城が見えます。
幹を伐られる前の八幡小学校の紅枝垂れ桜。
私達は4月6日の早朝雨雲が垂れこめた中、愛宕神社に向かいました。愛宕神社の最深部に絶え絶えの桜の樹が在りました。他の樹木の背が高いので陽当りが悪く枯れ木の天頂部だけが生きて花を付けていました。
郡上八幡愛宕神社の公園の最深部にある墨染の桜(中央の奥)
右手前が墨染桜です。樹齢400年のエドヒガンザクラで慶長5年(1600)に八幡城を築いた城主遠藤家の二代目遠藤慶隆がお手植えになったといわれています。花弁を遠くから眺めると花弁の周りが、墨を刷いたように黒く見えることから「墨染めの桜」と名付けられた。花は他の桜に比べて小さく、豪華に咲き誇る様子はないが、風情がある。風情は新古今集にある上野岑雄や僧正遍照の和歌を想わせます。
墨染めと云う事は出家した事です。新古今集を代表する西行法師を唐木順三は「詠嘆的無常観/無常の系譜」と呼びました。僧正遍照も無常を謳って秀でた歌人でした。京都深草の「墨染寺」には有名な墨染桜が在って、近くの歓修寺や小野小町の随心院は桜の名所です。僧正遍照の百人一首の歌は
天つかぜ 雲の通い路 ふきとじよ をとめの姿 しばしとどめむ
でした。天女のように美しいこのおとめとは小町の事でしょう。小町をいましばし私の元に留めさせよ。と歌うのは僧になっても美しい乙女や桜への煩悩が断ち切れないのでしょう。
私は今年が7回目の歳男です。還暦を越えてもう1周しました。でも乙女も桜も大好きです。
愛宕神社境内に在った桜の伐採枝。綺麗な桜は病虫害に弱く、処置は病気部分を伐採する事のようです。伐採したら直ぐに焼却しないと効果が無いと思うのですが樹下に患部の枝を積み上げていました。
愛宕神社境内から向かいの山を仰ぎ見ました。向かいの山の頂上には木造城として最古の郡上八幡城が在る筈です。霧が晴れて微かに天主閣の麗姿が見えました。
手前の桜は愛宕神社の桜吉田川を挟んで向かいの山の山頂に見えるのが八幡城の天主閣です。
これは其処此処に貼られていた郡上八幡のポスターです。天空の城として人気なのです。宿の主人に撮影スポットを訊くと「堀越峠」だそうです。http://castle.gujohachiman.com/archives/1246
人間世界では「美人薄命」と云います。「薄墨桜」も「墨染めの桜」も「紅枝垂れ桜」も病虫害には弱いモノです。「弱くて、美しい」からこそ日本文化の深層に根差しているのが桜なのでしょう。でも丹精すれば「薄墨桜」も生き返ったし、明日(4/6日)観る予定の「荘川桜」はモット過酷な運命を生き抜いた桜、屹度更に生命力を感じさせてくれる事でしょう。
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