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合掌村と云えば誰しもが「岐阜県白川村」の合掌村を思い浮べます。私の住む横浜三溪園の合掌民家は白川村の御母衣ダムの湖の底に沈む運命に在った「矢箆原(やのはら)」家の民家を1960年に移築したものです。
これは三溪園にある合掌造りの矢箆原家住宅(重文)です。御母衣ダムの水底に沈む運命だったものを荘川桜同様に救出して三溪園に移築したものです。左の坂を下ると荘川桜が咲きます。今年はもう散ってしまったでしょう。
此れは川崎の生田に在る日本民家園の合掌造り民家の山田家住宅(重文)です。三溪園の合掌造りより一回り小さいのですが美しさは抜群です。
一方川崎民家園の合掌造りは五箇山の山田家を1967年に移築したものです。山田家住宅は18世紀の建物で蓮如上人が宿泊されたという伝説も残っています。総じて云えば、白川村の合掌造りは大きくて壮大です。一方五箇山の合掌造りはこじんまりしていて白川村のそれに較べれば二回りも小さいのです。その分小家族の温もりを感じます。昨秋八尾で「風の盆」をエンジョイしたのでしたが、立山の向こう(南)は五箇山だと思いながら見渡しました。「何時かまた来たい」思ったのでしたが意外に早く来られました。私達は五箇山で一泊し。最後の目的地は「高岡」にしました。五箇山の名の由来は5つの山が在って、その谷間に5つの村が在る事に由来するそうです。どの谷も深いので村民は肩を寄せ合って共同生活を強いられます。その結果美しいモノノ白川村よりも小さい合掌民家が建てられたのでしょう。私達は先ず村上家住宅(重文)と岩瀬家住宅(重文)のある菅沼地区を視て廻りました。
此れは菅沼の合掌集落です。菅沼は相の倉よりも100m程低い位置に在ります。
此れは菅沼合掌集落に在る岩瀬家住宅「国の重文」
これは菅沼にある村上家住宅「国重文」
友人は満足せず、合掌民家が家並を形成している「相倉/あいのくら」地区に行きたいと言うので、峠を登りました。峠を越えると突然に大きな駐車場があって、「駐車料金は500円、此処からは徒歩で村内を散策してください』指示されました。白川村は観光客で混雑して「竹下通り」を歩いている様な気になってしまうのですが。相倉は合掌民家のテーマパークを歩いている感がしてきます。外国人が多いのに驚きでした。
これが五箇山の相の荘合掌村の入り口です。此処の集落には徒歩でしか入れません。
未だ雪が斑に残っていました。雪が溶ければ田起しをするのでしょう。
民家の三分の一は民宿や紙漉きなど観光業で生計を保っていました。
辛夷が咲いて田起しを促しているようでした。
白川村の雑踏に閉口した人には閑静な五箇山の相ノ荘合掌村は好印象でしょう。外国人ツーリストもネットで調べたのでしょう。民宿に泊まって日本の山村ライフを満喫しているようです。
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