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2018年04月

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此れが信夫山の東山麓の岩谷に彫られた磨崖仏です。此処まで登るのも大変です。
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60体も在る磨崖仏が全部平安時代前期の作ではありません。大半が旅行や羽黒山詣でが盛んになった江戸時代の作です。勿論古代中世の石仏が美しいのですから、一生懸命古仏を探しました。
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此れは江戸時代の観音菩薩です。観音霊場の名や奉納年が刻まれています。
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此れは岩谷の正面の聖観音菩薩ですが寛永6年の奉納である事が刻まれています。
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これが私が平安前期(鎌倉時代?)の阿弥陀三尊と判断した石仏こうした櫓の様式は鎌倉で良く視ます。
信夫郡の文字摺観音を詣でて私達は再び阿武隈川の西岸の信夫山の麓に戻りました。信夫山の裾の岩屋に平安時代前期の磨崖仏が残っているのです坂上田村麿を派遣して平安王朝は蝦夷を従属させたのでしょう。白河の関は蝦夷の軍が越えてはならない関であるとすれば大河阿武隈川は蝦夷が敷いた攻防線だったことでしょう。阿武隈川を臨んで信夫山の東山麓の岩場に磨崖仏を彫ったのは。蝦夷から災厄が遣って来ないように「賽の神」の役割を担っていたのかもしれません。
私は事前に写真を視ていたので60体もの石仏が彫られているのに感服していたのでしたが、実際に観ると大半が江戸時代に彫られたモノでした。でも確かに平安時代か鎌倉時代に彫られた石仏も混じっているように思えます。石質は凝灰岩ですから彫り易く色彩も良いのですが。脆いのが欠点です。脚下には風化して落下した岩が転がっています。
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此れは大分県臼杵の磨崖仏(国宝)です。以前次にアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893303.html?m=lc&sv=%B1%B1%B5%CF&sk=0臼杵は阿蘇山の火山灰が地圧で凝灰岩になったもの。日本の古代石仏は凝灰岩を素材にしたモノに秀逸な作が多く、中世になると花崗岩が多くなります。
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これは今回の旅の最後に拝観した南相馬の大悲山の磨崖仏(阿弥陀如来)これも凝灰岩です。古代人の鍛工技術では花崗岩に細工する事は出来ず、凝灰岩が素材的にも最適だったと思われます。臼杵は阿蘇山、福島の信夫山は那須火山帯の磐梯山や安達太良山等の火山灰が地圧で凝灰岩になったモノでした。
磨崖仏見学は臼杵でも熊野でも難儀しました登る時には事故は無いのですが下りで滑ると大変です。咲き始めた山藤や躑躅に眼をとられて滑ったりしないように気を付けて麓に下りました。
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岩谷からの下り道向こうの岩場が磨崖仏を彫られた場所です。
この旅で私達は幾つもの大草鞋を観ましたが、岩谷観音の大草鞋は12mも在る巨大なモノでした。信夫山は大草鞋信仰の中心のようで、出羽三山詣での旅人も此処で一服し、併せて旅路の安全を祈願したのでしょう。新幹線福島駅の看板や岩谷観音の看板を視ると。運動会の「ムカデ競争」ならぬ「草鞋競争」を楽しんでいたようです。能登に行けば村や部落が「神輿をぶつけて「喧嘩祭り」をしていますが、飛脚が競った様に「草鞋競争」をしたようです。博多の山傘で山車が速さを競うように福島では大草鞋を担いで速さを競ったのでしょう。
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駐車場脇に飾られた「大草鞋を奉納する祭り」風景。初夏に福島市内から岩谷観音に競って大草鞋を奉納するようです。こうした祭りが福島人の結束力、強い絆を培ってきたのでしょう。
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新幹線福島駅西口に飾られた大草鞋看板には「草鞋祭り」「草鞋競争」が8月5日、6日に行われると案内されていました。
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こちらは岩谷観音の阿武隈川を挟んで東に在る、小倉山「大蔵寺」の大草鞋です。大蔵寺の神宮は「足尾大神」で足尾大神は栃木の足の神様です。私の住む戸塚にも南谷羽黒神社の脇に大草鞋が在りますが。作る手順は先ず竹を4本組んで枠を作り、次に藁を編んで大草履の形にします。
信夫三山 暁詣り. 信夫三山とは福島市のシンボル信夫山の,月山、羽黒山、湯殿山の三つの神社を指す。もともと修験者のいた信夫山だが、江戸時代、福島の嶋屋の飛脚連中が健脚を祈願して石塔を奉納した。言い伝えによると、かつて羽黒神社に仁王門があったとき、仁王様の足の大きさに合った大わらじを奉納したのが、始まりとか。大わらじは長さ12mで80有余人の担ぎ手により市内を巡り羽黒神社わきの大杉につるされていたが、昭和51年8月に羽黒神社の焼失と共に、この大杉も焼けてしまったので、現在は鉄塔に吊るされているそうです。
大草鞋も岩谷観音の磨崖仏も「信夫の里」に災厄が来ないように「賽の神」の役割を果たしてきたものでしょう。

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信夫山の忍捩摺観音

百人一首の源融(嵯峨天皇の皇子)の歌は次の通りです。
    陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに
           乱れそめにし われならなくに

                        河原左大臣(14番) 『古今集』恋四・724
歌の意味は次の様なモノでしょう。
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 此れは源融です。賀茂川の近くに屋敷が在ったので「川原の左大臣」と記されています。光源氏のモデルには種々説が在りますが皇子である事歌の名手である事を列挙すれば源融が一番候補でしょう。
【歌の大意】
私の心は、陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、乱れてしまいました。いったい誰のせいでしょう。私のせいではなくて貴方の所為ですよ・・・・。
私の新婚当初、町田の映画館で、三浦哲郎氏の「忍ぶ川/芥川賞」を観ました。当時私は宇都宮の西を流れる「思い川」を思い浮べながら加藤剛と栗原小巻を見詰めました。松竹も観客動員で気を良くしたのでしょう、続いて「忍ぶ糸」を映画化しました。映画は伊賀上野の組紐屋の職子の娘が紐屋の息子への恋心が組紐に出てしまうのでした。組紐屋の女将は息子と娘の恋を禁じます。二人は忍んで女人高野室生寺で逢引します。更に、高山に旅して高山祭りを観ながら結ばれます。
組紐を結ぶ行為が「忍ぶ恋」を象徴します。私は「忍ぶ川」「忍ぶ糸」の連作を読み映画も観ながら、三浦哲郎氏が源融の和歌をヒントに原作を著したモノと確信しました。私は『何時か「信夫文字摺石」を友人と一緒に観たいものだ』思い続けていました。福島旅行の最初の目的地「信夫文字摺石」のある文字摺観音にしました。
福島駅西口から阿武隈川を渡った先の山裾に文字摺観音が在りました。真西に信夫山が見渡せます。
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これは文字摺観音の多宝塔です。
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これは元禄年間に建立された文字摺石の案内碑です元禄年間も名物であったものの「何事も不明?」とされていたようです。・
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芭蕉は「奥の細道」でも文字摺石を訪れています。でも、俳句は残さず、同行の曽良が次のように吟じています。【早苗とる手もとや昔しのぶ摺り】。 (早乙女たちが早苗をとって田植えをしています。その鮮やかな手振りに、昔のしのぶ摺りの様子が偲ばれてならないのです・・・。
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これが文字摺石と呼ばれる巨大な石【鏡石】です。解説によると源融が按察使として此処に来たところで美しい娘(虎女)と昵懇になった。源融は別れるに際し「3年後迎えに来る」約束します。虎女は3年待ったものの「想い人」は来てくれません。鏡石に願をかけると。石の表面に源融の顔が浮かびました。虎女の想いは達せらずに没してしまいます。大岩の表面に模様があるので源融の顔に見えたのでしょう。でも、信夫の里は織物の産地なので忍ぶ草の染物を名産にしました。「忍ぶ草」には2説あって一つが吊り信夫に使う「羊歯植物です。写真に写っているのが羊歯植物の忍ぶ草です。これを正しいとすれば渋い緑の染物でしょう。もう一つが「捻れ草」です。赤紫の小花が付く捻れ草は如何にも恋心のモツレを思わせます。
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此れが「捩花」です、梅雨の最中に咲く可愛い花です。二本の茎が寄り添い捻れながら伸びて小花をつけます。強い雑草で我が家にも毎年咲きます。鎌倉では淨楽寺の本堂前の芝生に群生しています。
その日の夜はT教授にお願いして「福島の歌枕」を講義して戴きました。最初に講義して戴いたのが源融のこの「信夫文字摺石」を歌枕にする歌でした。源融は源氏物語の主人公光源氏のモデルと云われる平安貴族の理想像です。T教授は源融から芭蕉にそして智恵子抄の高村光太郎と智恵子に及びました。
恋は不倫であるか否かに依らず、命を燃焼させ、純愛も千路にに縺れるモノです。純愛は忍ぶ美しさも併せ持ちます。歌枕にすることは、源融(光源氏)の恋心をイメージの上で重複させ、美しさと苦しさを万人に想わせる、極めて文化的、歴史的な表現手法です。




昨秋私達は高岡を旅しました。「我国有数の仏具の町高岡ですから、また来ることもあろう」予感していたのでしたが、半年後の春に来れるとは思っても居ませんでした。前回は鋳物博物館や瑞龍寺や金屋町や御車会館を観たので今回は高岡古城を観たいと思いました。何しろ、「高岡の桜の名所」と云えば第一に「古城公園」を推薦されていました。古城公園に入ると、市職員が昨夜の嵐の跡清掃をしていました。職員に銘木や景色の良い所を確認すると。博物館の屋上を開放しているので、「そこから見渡せば良い」推奨されました。案の定博物館は古い建物で階段しか在りません。屋上に出ると、若い市職員が案内していました。私達は職員に訊きます。「立山は戸の方向?「雨晴海岸、二上山は?」職員は親切に説明してくれました。高山の自慢なのですから・・・・、屹度訊いて欲しかったのでしょう。
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此れは高岡の古城公園の外濠です。染井吉野は散り始めていました。
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市職員が大風一過の公園を清掃していました。職員が古城公園の見所を案内してくれました。
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職員が博物館の屋上で案内してくれていました。御着物のご婦人は博物館の中でお点前をしてくれていたようです。本来ならこの屋上に毛氈を敷きお点前のサービスをしてくれたのかもしれません。
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遠方の丘が二上山でその右が雨晴海岸になります。手前の樹木が古城公園です。
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博物館屋上の下は高岡古城公園です。
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この銅像は高岡城を開いた前田利長公です。この前田家二代目が鉄砲鍛冶を堺から高岡にひきつれたので、銅器の町高岡が出来ました
古城公園入口にはで高岡城を開いた高山右近の像が在りました。城内には高岡発展の基礎を築いた前田利長公の銅像を確認しました。富山城にも同じ銅像を観た記憶がありました。
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高岡古城公園の入り口にある高山右近像。写真出典ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%8F%B3%E8%BF%91
良く見れば古城公園の芝生の周囲に銅像が並んでいます。箱根の「彫刻の森美術館」よりも有名な彫刻家の作品が並んでいます。想像するに高岡市が有名彫刻家の許可を取り付けて市内の職人にブロンズ像を作らせたものでしょう。
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高岡古城公園の芝生の外周にはブロンズ像がさながら「彫刻の城」の様に並んでいました。その外は崖で外濠が囲んでいます。
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北村西望氏の「夢」
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芝生の外周にブロンズが並んでいました。どれも日本を代表する彫刻家の作品でした。
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此れも北村西望氏の「熱風」
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此れは長谷川義起氏の「国技」
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此れは円蔦勝三氏の「若葉」
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此れは斉藤素顔氏の「行路」という名の作品(一見してカレーの市民/ロダン」を思わせました。
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荻原守衛(碌山)作のブロンズ像博物館の玄関横に在ります。
古城公園に満足して出ようとすると公園内の神社で国際結婚式が行われていました。日本固有の神前結婚式に参列した外国人女性がタクシーで披露苑会場に向おうとしていました。日本人以上に綺麗に着物を着こなしています。
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神前結婚式から披露園会場に向かう外国人女性。綺麗に着物を着こなしているので女子高生も見入っていました。
岐阜羽島から長良川沿いに郡上八幡に行き、更に御母衣湖から庄川沿いに砺波市から高岡に桜を追った旅は、天候にこそ恵まれませんでしたが、桜花の美しさを満喫できました。加えて円空や井波匠の技(欄間彫刻)も感服しました。道中観た水芭蕉や金蓮花のや片栗の花も夢中で写真に撮りましたが、この辺りで完了の事として、4月後半に福島の旅に出ましたので、明日からは福島の旅をアップします。又、宜しくお願いします。


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旅行ブログ

私は旅に出ると心してその地方の食べ物を戴きます。特に「ジビエ」には目が無いのです。飯豊村には熊を食べに出かけました。五箇山を走れば「熊だ、鹿だ、猪だ」ジビエの看板が目に付きます。今年の2月テレビ東京で「バス旅行の旅」を放映していました。路線バスに乗って、サイコロを振ってサイコロの眼の数だけ、進み、そこでレストランを見つけて何かを戴く「ゲーム+旅行h/ttp://www.tv-tokyo.co.jp/rosenbus/」ゲームでした。太川陽介&蛭子能収が菅沼を旅して居ました。そして雪道に埋まりながら辿り着いた先が「仮」と書かれたレストランで、そこがフランス帰りの無口で真面目な店主が調理するジビエレストランでした。そこで今回のツアーでは必ず、レストラン「仮」でジビエを食べようと決めて居ました。幾つもあった「ジビエ看板」を素通りして、ひたすら、「仮」レストランを目指しました。
「仮」レストランは図らずも菅沼の中心地「岩瀬家住宅/重文」の真ん前に在りました。
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此れが菅沼の中心にある大駐車場の前に在るドライブイン「仮」です。良く見れば「赤尾」とも書かれています。
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「仮」レストランは岩瀬家住宅「重文」の目の前に在りました。
私は元来食いしん坊です。「鹿カレー」と「猪の棒葉味噌焼き」と「豆腐ステーキ」を注文しました。友人は「そんなに沢山食えるかよ?」呆れ顔ですが、食欲は何にも勝る欲望です。何しろ私の身体がジビエ料理に含まれているミネラルを欲しているのです。
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レストランの真ん前が大駐車場でその向こうに合掌集落の岩瀬家住宅「重文」が見渡せます。駐車場の端に在る建物はトイレです。
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これがレストラン「仮」のメニューです。この日は「熊汁セット」も「鴨雑炊」も無いので
私達は鹿肉カレーをとって、「猪肉の棒葉焼」と「豆腐ステーキ」を一皿とって3人でシェアーしました。
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友人も美味しそうに食べて居ましたが、ビールを飲みたい風でした。
レストランンのオーナーでもあるシェフが応対してくれました。蛭子さんは本当に来訪神の恵比寿様のようでであると言いながら事業が順調に動き出したのでしょう。自信に満ち溢れて居ました。テレビ放映の時は独り者で惨めを極めて居ましたがこの日はお手伝いの女性が居ました。「実は結婚したのです」期待したのですが、二人ともそんな風は在りませんでした。レストランが順調に回転しさえすれば。嫁さん探しは難しく無いでしょう。
肝心のお味ですが、素材が良いのですから勿論大変に美味しかったです。次回来る時は御握りセット「熊汁付」か「鴨雑炊」を戴く事にしましょう。
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これは猪肉の棒葉焼です。高山なら「飛騨牛」ですが牛より猪の方が美味しいに決まっています。
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事業が順調に回って自信に満ちているオーナーシェフ。壁の色紙が太川陽介と蛭子能収氏のテレビ撮影時にサインしたものです。


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瑞泉寺で彫刻を満喫して顎が疲れました。私達は門前町を暫く散策する事にしました。在る饅頭屋さんの店先で立ち止まると「仕掛け」装置が動いて「お茶をどうぞ!」呼びかけてくれました。饅頭屋の店内を覘くと女将さんが微笑んでいます。店内には簀子が在って、「腰かけて御饅頭を食べて下さい。」渋茶をサービスします、そんな仕組みのようです。女将さんは私の娘と同じ年頃、お話も上手です。
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瑞泉寺門前の八軒通りに面した「田舎饅頭」の店先、店内で女将が操作すると「お茶をどうぞ!」と云ったからくりが作動します。からくりにマンマと嵌ってお店に入りました。
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これも田舎饅頭の店内にあった「からくり」です。ペダルを踏むとからくり人形が鑿を振います。
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ほうじ茶はサービスです。田舎饅頭(100円)は甘さ控えめ拝観で疲れた人には最高の一服です。
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「からくりで」で遊んで作品を視て田舎饅頭で一服して。話し上手な女将さんと会話を楽しんで楽しいお店でした。
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富山の女性は必ずしも美人とは云えなくても話し上手で気立てが良い人が多いようです。
店先に引き攣れて向かいの屋根を指さします。屋根の上に猫が昼寝しています。待てよ先刻から雨が降り止まない、猫が昼寝している筈が無い、思えば屋根の猫も砺波の匠の技だそうです。
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田舎饅頭「よしむら」の店頭https://tabelog.com/toyama/A1605/A160502/16005542/
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田舎饅頭「よしむら」の向いのお店の屋根の「昼寝猫」
そういわれると瑞泉寺境内で左甚五郎の彫刻も観ました。「眠り猫」ならぬ「昼寝猫」です。
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砺波美術館の玄関脇に設えられた電話ボックスも良い味出していました。
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通りの電信柱にも雲中供養仏が飾られていました。瑞泉寺の門前は街中美術館の様です。これは飽きません。
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店に入ればドアの取っ手が「猫ちゃん」でした。思わず手を引っ込めて手が汚れて居ない事を確かめてしまいます。


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