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南相馬消防署の約束時刻が11時でしたので、行ったり、戻ったりしましたが再度、樟葉町方向に戻り小高地区に在る「大悲山磨崖仏」に向かいました。予定が狂ってしまったのは日本原子力開発機構の「遠隔操作技術開発センター」の説明が熱が入って当初約束の45分が90分にもなってしまったからでした。愚痴を言っては罰が当たります。機構職員は一生懸命説明して下さったのですから。感謝するばかりです。私達が大悲山磨崖仏のある丘の麓に着くと雨が強く降り出しました。足下が悪くなってしまう事は磨崖仏見学には最悪です。滑ったら一大事になってしまいます。でもお日様が燦々と輝く日に較べれば石仏の陰影が濃く、鑑賞するには最適です。
南相馬は海辺の町ですが小高区と云うだけあって此処は「阿武隈丘陵の裾」です。
谷戸に入ると古びた寺院が在ってその壁に大蛇と琵琶法師の絵が描かれてありました。大悲山の由緒に係る民話のようです。
お寺の外壁に大悲物語の民話が描かれていました。話は右から左に進みます。琵琶法師が眼を治して欲しいと薬師如来の洞に籠って毎晩琵琶を奏でていると、立派な武士が夜毎現われました。武士は『分はこの地に棲んでいる大蛇だが池が狭くなったので、この地を大池にする積りである』話します。琵琶法師はタブーを破ってこの話を相馬の殿様に話します。でも、話した途端に琵琶法師は大蛇に浚われてしまいます。
【大悲山の民話】
南北朝時代の話です。相馬の殿様は、相馬光胤公でした。都から、玉都(たまいち)という琵琶法師がやってきて、見えない眼を治すため、大悲山の観音薬師さまに願をかけました。薬師堂の中におこもりをしているので、夜は大変さびしくて、一人で琵琶をひいて自分をなぐさめていました。
そのうち、一人の立派な武土がどこからともなくやってきて、琵琶に聴き入っていましたが、それからは武士は毎晩琵琶を聴きに来るようになりました。
そして、ある晩、武士は『私は本当は人間ではなく、この薬師堂の池に住んでいる大蛇だ』と告げるのです。驚き慄く琵琶法師を前に、大蛇は更に『自分の体が大きくなりすぎて、もうこの池が狭くなった。だから、これから七里四方を泥池にして棲もうと思う。』だが、『お前だけは琵琶を聴かせてくれたお礼に助けてやろう、七日の間にここから出ていけ。』ただし、このことは誰にも言ってはならぬ。もし他言すれば、お前の体を八つざきにするぞ」というのです。 琵琶法師は苦しみ悩みました。 『黙っていれば自分の命は助かる、けれども、そのために罪のない村人達が田圃を失って生きて行けなくなる。村人達を助けたい、だが、そうすれば自分の命は…。』琵琶法師はついに決心しました。小高にいた相馬公のもとに行き、事の一切を話しました。琵琶法師が城を出るやいなや、天が俄かにかき曇って物凄い天候になりました。その黒雲の間から大蛇が姿を現し、あっというまに法師の体をさらっていったのでした。琵琶法師の琵琶は天空から地上に落ちて来ました。屹度天空で琵琶法師は八つ裂きにされてしまったのでしょう。
一方、あやうく難を知らされた城下の人々は驚き騒ぎました。「蛇には鉄が毒だ」と知って、鉄の釘を沢山作り、大悲山の山や谷に打ちこんで、ついに大蛇を退治することができました。そのことがあってから、琵琶法師の琵琶が落ちたところが琵琶橋、大蛇の耳の落ちたところが耳谷(みみがい)、角の落ちたところが角部内(つのぼうち)という地名になって、今に残っています。
大悲とは仏教用語で一般には。「衆生 の苦しみを救う仏や菩薩 の大きな慈悲(愛)」を云います。琵琶法師が自己愛に執着して居れば死ぬ事は無かったのに衆生を助けたいと思ったのでタブーを破ってしまい自己を滅ぼしてしまいました。東日本大震災に際しても家族や隣人を助けたいと思って津波に吞みこまれてしまった人が沢山いた事でしょう。また原発施設の廃棄の過程で被爆した職員にも大悲の精神が貫かれていたことでしょう。
これが大悲山公園の案内板です。中央にお堂③が在って、手前に大杉が在ってお堂が⑭があります。⑭が薬師如来の磨崖仏で⑮が阿弥陀如来の磨崖仏で⑯は観音菩薩の磨崖仏です。(何れも重文)ロケーションも石質も技法も臼杵の磨崖仏『国宝』に酷似しています。
私達は傘をさして石段を登って磨崖仏拝観に出かけました。もう5年も前、晩秋の臼杵に磨崖仏巡りをした時も雨が降っていました。屹度私達の仲間に雨人間が居るのでしょう。
石段を登り始めて驚きました。石段が大蛇の様に畝っているのです。原因は石段の左に大杉が生えていて杉の根が石段を畝らせてしまったようです。怪力の杉です。
薬師磨崖仏に向かう石段、大杉の根が石段をうねらせています。滑ったら大変手摺を握って慎重に登りました。
根っこの力に驚いて見上げれば大杉の力瘤はまるで金剛力士像のようでした。見上げれば大蛇のようです。
石段を登り切れば正面にお堂がありました。このお堂は磨崖仏を内陣にして拝観したり祈祷したりする為の鞘堂の様なモノでした。
お堂の中に入ると加持祈祷する護摩壇が在って、その正面に薬師磨崖仏が鎮座して居られました。内陣には入れないように鍵がかかっていて、照明施設も在りました。私達はこんな時の為に懐中電灯を持参しているのですから。蛍光灯でライトアップされてしまうのは少し興醒めです。でも臼杵磨崖仏を髣髴させる豊かで屹度柔和な表情の磨崖仏で居られます。衣文は朱に塗られていたようですが。今も色鮮やかですし、壁や天井の装飾紋も残っています。主たる磨崖仏は薬師如来と左右の菩薩像ですが、何故か中央の薬師如来は二体居られます。一方が薬師如来で左が阿弥陀如来かな?弥勒如来かな?考えてみたりしました。
此れが大悲山磨崖仏の外陣です。硝子戸の右側が内陣でその先は磨崖仏です。凝灰岩の大岩を刳り貫いて磨崖仏を掘り出してあります。外陣天井には蛍光灯が設備されているので、磨崖仏の色彩が蛍光色になってしまいますし、写真を撮るとガラス戸に映った蛍光灯も映ってしまいます。向こうに神輿もあるので祭事に行けばガラス戸の中に入って磨崖仏を拝観できるのかもしれません。
中央の二体の如来坐像右(東)が薬師なら左は何かな?考えました。発色の悪いのは蛍光灯でライトアップされている為です。
右側の如来の更に右には菩薩像が在りました。実は反対の位置にも菩薩像が在りましたので、基本的には薬師三尊像で、薬師如来だけが二体おいでなのかもしれません。
此方は左奥の磨崖仏で月光菩薩にも思えるし虚空蔵菩薩にも見えました。
写真は「愛しきもの」https://blog.goo.ne.jp/pzm4366/e/02f15beac47b3efe6fe114649fee3e21の大悲山磨崖仏御開帳に行けば4体の磨崖如来仏を確認できるのです。
このブログをアップするに際して先人のブログを確認しました。すると上の写真のように如来像が4体も並んでいるのでした。私達は内陣の戸にへばりついて目の前の如来像を視ていたので。2体と思っていたモノが実際は4体も並んでいたことになります。屹度御開帳の日があってその日に上れば蛍光灯に煩わされずに真近に4体の如来を拝観できるのでしょう。だとすれば、中央が釈迦如来で次いで薬師如来、阿弥陀如来最後に弥勒如来が並んでいると考えるのが自然でしょう。
薬師磨崖仏から東に歩くと阿弥陀磨崖仏がおいででした。磨崖仏の状態としては薬師磨崖仏より一層傷みが激しく進行していました。
薬師磨崖仏の東に阿弥陀磨崖仏が在ります。此方は保存状態も一層悪く懸念される状態でした。
此方が阿弥陀磨崖仏です。重文をこんな状態で風化に任せるのは充分ではありません。
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