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昭和60年代我国は首都東京の機能を分散して、政治機能を地方に分散しようと考えていました。候補は第一に阿武隈高原、次いで冨士高原でした。阿武隈高原に政治機能を移転させる、まことしやかに検討されました。阿武隈高原が検討された根拠は、一般には地質が堅固であるから・・・・。云われていました。東京から200K足らずの距離にある事、国有地が多いこと等が評価されたのでしょう。それが、原発事故のお蔭で、猪や鹿の都になろうとしています。
私は学生時代休みになると福島に遊びに来ました。叔父が信夫山の東に在る「古舘」に在る曹洞宗の寺院の住職をしていたので、その寺を根拠に自転車でアッチコッチ走り回りました。叔父に「何故福島なのですか?」尋ねた処次の様に答えられた記憶があります。
南相馬では4/24日には田起していました、今頃は田植えが始まっていることでしょう。
昔この辺り信夫(しのぶ)郡は見渡す限りの湖で真ん中に信夫山があった。この山には吾妻(あづま)おろしが吹きつけていたため、吹島(ふくしま)と呼ばれるようになった。 その後、長い歳月を経て、湖が干上がり陸地ができ、次々と集落が生まれた。吹島は風が吹きつけることをきらって、吹を福とし、福島と呼ぶようになった。 私は福島とは「福に恵まれた島(集落)」と直観していました。夏暑く冬寒いのですが、お蔭で野菜もお米も果物が美味しく、豊富なのでした。野菜が美味しく果物が豊富である事は福に恵まれている事です。
楢葉町の「天神の宿」にはお米の安全性をアピールしたポスターが貼られていました。
「天神の宿」の朝食は和食バイキングでした。「生野菜」を美味しく戴きました。鮭も楢葉町に遡上してくるそうです。[美味し国」福島は名の通り山海の美味に恵まれているのです。
ランチは「道の駅南相馬」で戴きました。
私は道の駅でB級グルメで有名な「浪江焼そば」を戴きました。太い目もっちりした麺をモヤシと甘めのオカメ焼きそばソースで炒めたお子様用焼きそばでした。
「道の駅南相馬」でランチして、お土産を買い込みました。私は野菜と果物を買い込んで宅急便で自宅に送りました。明日からは、福島旅行の思い出をご馳走にして食事を楽しむ作戦です。林檎に、アスパラに、椎茸に、棒玉葱に、レタスです。代金は900円余り、一方送料は1000円超です。昨秋弘前でも同じように野菜と果物を仕込んで自宅に送りました。
ジャガイモにレタスにアスパラに棒玉葱どれも200円で大きな冨士も300円/2個です。
こうして仲間と一緒に年1回日本各地を旅する事は私のリハビリの役に立ってきました。何時もながら温泉で背中を流して貰って、この世の極楽を味わいました。今回を以って福島旅行記はお終いです。観て戴いて有難うございます。明日からは又日常の生活を綴ります。
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