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足利フラワーパークは渡良瀬川河川敷の湿地帯でした。湿地帯は平常時は近寄ってならない危険地帯ですが。大雨が降れば雨水調整池になって人々を守ってくれます。その湿地帯に多量の活性炭を注ぎ込んで「地質改良」をし、元々湿地を好む藤のパークにしたのは賢明だったのでしょう。藤の巨大な幹を視ていると「ジャックと豆の木」でジャック少年が登ったのは藤の木だったのではないかと思いました。
足利フラワーパークの池の上に懸った橋の屋根は白藤でした。皆池の面を見詰めています。
池に懸った橋の上から池の面を観る。紅白の睡蓮と向こうに大藤が咲いていました。
池はこの八重の大藤と黄藤の間に在りました。右奥に見えるのは橋です。
此方は黄藤のトンネル、藤の造形的な面白味の間を遊歩道が繋いでいます。
皆の視線の先は睡蓮の葉の上に居る巨大な牛蛙でした。右寄りに居ます。
睡蓮の葉の上で二匹の牛蛙が相撲をとり始めました。
元々は足利フラワーパークは湿地帯でしたから、その地下には豊富な伏流水が流れているのでしょう。パークは池からから池へ細道を巡れば花が観られる様に出来ていました。小堀遠州の池水回遊庭園の現代版の様な設計です。その池の中から”グエーッ・グエーッ”無気味な鳴き声が響いています。この池には「牛蛙」が棲息しているのです。日本人にとっては親しみのあるのは「蟇蛙で」で「蝦蟇の油」も「地雷也」も蝦蟇ガエルです。蝦蟇口は大切なお金を入れる財布でしたが、口が蝦蟇蛙の口に似ているのでその名が付いたのでしょう。国宝の鳥獣戯画に登場して善人役を担っているのは蝦蟇ガエルで悪人役は兎です。印象深いのは善人役の蛙が兎と相撲を取っている場面です。
乙女チックな兎が雨に濡れて困っていると蛙さんは傘を差し掛けてあげます。
傘を差しだすと「僕は濡れても大丈夫!」蛙は嬉々として戻って行きます。
乙女チックな兎と同じ兎か解りませんが蛙は兎と相撲を取って激しく投げ飛ばしてしまいます。蛙の仲間は蛙が勝ったので喜んでいます。
現実の兎と蛙の体格差では相撲等出来る筈ありません。そもそも、どちらも二足歩行ができる動物ではありません。ところが、鳥獣戯画の中では兎と蛙はほぼ同じ体格で描かれ、また人間のような二足歩行で絵の中を動き回ります。ここまで現実の姿から改変したならば、いっそビジュアルも擬人化してしまった方がよいような気もしますが、甲巻の動物達はあくまで動物としての姿で登場しています。これは、当時の人の動物観を表しているのでしょう。つまり、当時の人は「動物は動物であり、決して人の姿にはなれないが、「人と同等か、もしくはそれ以上に振る舞えるだけの魂)があるのだ」と考えていたのではないか、と思われます。相撲も弓も娯楽であると同時に神に奉げる神事です。鳥獣戯画の出所が「高山寺」ですから、絵師は密教の関係者で密教的説話と考えるのが自然でしょう。
鳥獣戯画は中世も近世に至っても有名だったのでしょう。先日上野国立博物館で観た若冲も蛙と河豚の相撲を描いています。
これは藤沢の引地川公園の橋の欄干を飾る蛙さん。此処の欄干は行司役の蛙を含めて多様な蛙相撲のオブジェが飾られています。
若冲の「蛙と河豚の相撲図は18世紀中頃の滑稽図でしょう。河豚も蟇蛙も美味なモノでもどちらも有毒です。「河豚は食たし。命は惜しし」庶民の感覚を絵にしたものでしょう。でも絵に添えられた漢詩(画賛)には「全力を果たせば逆境は覆る」書かれています。鳥獣戯画は古代末期から中世への過渡期に描かれた擬人絵図です。若冲は近世から近代への過渡期に描かれた擬人絵図です。身近な動物に託して人生の教訓を描くのは日本人の伝統です。
「痩せガエル 負けるな一茶此処に在り」
大相撲も始まりました。大きな力士が必ず勝つ訳ではありません。だから楽しめます。神様も相撲好きです。屹度女性相撲もお好きでしょう。『相撲は神事だからは、女性は排除する』協会の判断を神様が同意する筈ありません。ニュースで流れていました。「マツコデラックス」という四股名の女性力士が連覇した神様も「マツコデラックス」に拍手された事でしょう。
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