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5月の中頃足利フラワーパークの大藤を観に出かけました。昨年は藤を観た後には足利の旧市街地や足利学校を見学し、足利絹織物伝承館も観ました。足利を観たら桐生が気になります。そこで、今回はフラワーパークの帰路に桐生に寄って高崎回りで帰る事にしました。両毛線の終点が高崎である事も、足利と高崎の中間に桐生が在る事も初めて知ったのでした。それに車窓に麦秋を視ていたら、饂飩を食べたくなったのでした。桐生の饂飩と云えば巨大な紐皮饂飩です。名古屋の「きしめん」の4倍も在りそうな幅広名饂飩です。一反木綿か「晒」のような饂飩です。あれを食べてみたい私の欲望です。
此れが桐生名物の川幅饂飩です。一見すれば名古屋の「きしめん」風ですが遥かに横幅が大きくて、まるで京都の湯葉のようです。これを食べたくて桐生に寄りました。
そこで先ず桐生駅に向かいました。両毛線の電車運転室には女性運転手が座って隣の車掌室には男性が5人も入って女性運転手の一挙手一手動を見詰めています。私が現役銀行員時代に小田急の財務課長に質問した事がありました「貴方は電車を運転できるのですか?」訊くと次のような答えが返ってきました。「入社して半年は駅の切符切りをします。次に運転見習いです。」「電鉄会社の社員には駅員事務と電車運転は必須スキル」なのです。銀行員の必須スキルが「札勘定と算盤である」のと同じようなモノでしょう。と云っても私は二つのスキルに於いて落第生でした。でもパソコンは出来る方でした。
桐生駅の観光案内所に行って「桐生うどんの名店」を尋ねました。結論的には、先ず「桐生織物記念館」に行って其処で再度尋ねる事にしました。桐生駅前にはアーケードの通りがあって桐生の中心はそのアーケードに沿って東西に伸びているようです。西は高崎で東は伊勢崎を経て日光に向かうようです。「日光例幣使街道」と呼ばれる古い道で美食店も神社仏閣もこの道に沿って伸びています。例幣使街道を桐生の市民は「本町通り」と名付けていて主要機関と企業が軒を連ねていたようです。私達はこの本町通りを東に1時間ほど歩いて桐生八幡宮をお詣りし、八幡宮前のバス停から桐生駅に戻りました。
JR両毛線の運転席は女性運転手が座ってその右の狭い空間に男性教師が4人も犇いていました。
【桐生織物記念館】
桐生の織物協同組合が昭和9年に竣工させた、組合の建物で、外観は「スクラッチタイル張り」で屋根は青緑色の日本瓦葺とした昭和モダニズムの香りを残す建物で桐生織物の先進性を伝える建物ですから「国登録有形文化財」に指定されています。http://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/isan/1005809.html
桐生の旧市役所を始め、現在も、映画館や警察署もこの周辺に集積しています。、好景気に沸いた時代桐生の市民がこの織物記念館のモダンな建物を真似たからでしょう。洋風の応接室と和風院風の木造建物が多く見られます。市民が平屋和室に飽き足らず洋風応接室を増築させたブームが在ったのでしょう。
此れは桐生の中心街「本町通り」です。右奥に桐生織物記念館が在ります。
これが「桐生織物記念館」です。茶系の落ち着いた「スクラッチタイル張り」建物です。屋根は青い日本瓦です。桐生の織物が伝統を重んじながら先進的なデザインを主張したように、建物も昭和モダニズムの先端を行ったのでしょう。
桐生織物記念館2階の展示室、奥の壁には歴代の組合理事長の写真が架っていました。
木造の織り機も展示されていて「織物教室」も開催されているようです。
ポスターは昔ながらの絹織物の美人画と目力のある女性は篠原涼子さんでした。篠原さんは桐生第一高校を卒業しています。
展示されていた着物左下は映画「利休/勅使河原監督」で使われた着物は総て桐生の織物であった事を誇らし気に示したいました。
桐生織物記念館前の旧家「総2階建ての木造家屋に大きな蔵が目立ちました。
本町の旧家、土蔵建物が目立ちます。
桐生織物記念館の職員に訊きました「この近くの桐生饂飩の名店は何処ですか?」職員は親切に教えてくれました。
此れが教えられたお店「利休」です。
教えられた通りに行って「利休」という古い佇まいのお店に入りました。
早速饂飩を注文した処、「冷たいのにしますか?暖かいのにしますか?」
訊かれます。歩き疲れていたので冷たい饂飩に、精進揚げを一つ注文しました。
その結果届いた饂飩は下の写真で、所謂「盛り饂飩」でした。私は女将さんに「桐生のソウルフードは饂飩でしたね?」確認すると「その通りです」答えられます。
色々質問した結果は次の通りでした。数年前まで、利休の名でお店を出していたのは蕎麦職人の御主人だったのでしたが、突然に亡くなられました。奥様はご主人の大切にされたお店を閉めるのも忍び難く、昔から慣れ親しんだ「桐生饂飩」の店にして、店舗も看板も御主人の想い出の儘、継続したのだそうです。言われてみれば店の奥の厨房の脇に「蕎麦打ち」の空間と道具が置かれています。
饂飩の老舗の積りで入った「利休」で出された「盛り饂飩」腰のしっかりした辛い汁の饂飩でした。
利休の店内正面の個室が蕎麦打ち室で壁には麺棒が架っていました。女将さんが厨房で饂飩を用意しておいでです。
「ご主人を愛されていられるのですね!」云えば素敵な笑みを返して下さいました。腹も心も一杯になって、愈々桐生の旧市街地を散策です。手には観光案内所で戴いた「観光案内図」を持って・・・。「有鱗館」「無鱗館」等と云った儒教の香りのする建物が眼に付きます。
此れは桐生の八幡宮、八幡宮と云っても祭神は「菅原道真」で天神様なのでした。この東に群馬大学工学部が在ります。
此れは群馬大学工学部の記念館です(有形文化財)写真出典https://blog.goo.ne.jp/colhanjp/e/c24f6c0f04634789cbc67f92ae67c2c2 因みにサンリオの創業者で社長の辻信太郎氏も卒業生です。
処で、私の母は「桐生高校」の家庭科の教師でした。世田谷の実相院の先々代住職が法脈を頼りに狛江の泉龍寺の娘を紹介して戴き、当時母は桐生高校で和裁を教えていた処、父母が結婚したのでした。
俳句が趣味であった母の作品です。
渋かろか 知らねど 柿の初契り(昭和11年1月24日)
私の命はこうした縁と母の決断力のお蔭で受けたモノでした。
「桐生織物記念館」や「町の交流館」の案内に従って古い工場を視て銭湯を覘いて
八幡宮前のバス停で待っていると沢山の高校生が自転車に乗って通り過ぎて行きます。目の前の道路標識には「群馬大学工学部」の案内が在ります。群馬大学工学部は織物では一流の教育機関だったようです。その建物も有形文化財に指定されています。「母もこの高校生を教えていたのか!」懐かしく思いました。
右奥が八幡宮自転車の女子高生は桐生高校の生徒さん。
本町の銭湯
本町の織物工場、大谷石の石積に鋸屋根の工場は如何にも近代化資産です。
バス停留所のベンチで食べた草餅団子も懐かしいお味でした。
兎に角絹織物は現在の我国の繁栄を築いた産業です。その絹織物のお蔭で私達は裕福な生活を営んで居られるのです。桐生の町に懐かしさを覚え母の匂いを感じるのは私の生立ちだけが原因では無くて、群馬県人の体質が在る様に思うのです。
今回は幅広饂飩は食べられませんでしたし、群馬大学工学部記念館を入れませんでした。”もう一度出直して来なさい”そんな命令でしょう。
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