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愈々今週末から高校野球の甲子園全国大会が始まります。去年はこの時期奈良に行って蓮や布袋葵や百日紅の花を愛でて歩いていました。その前2年に渡っては京都で地蔵盆や大文字の送り火を観ました。今年はどうしようか?思案中です。「虫送りを観たい」思って福島の双葉郡富岡町に行く案もあれば、「(虫送り送り」なら奈良の宇陀でも観られそうです。福島に行けば桃が食べられると思えば奈良も桃は名産です。一昨年京都の六波羅密事では空也上人像を拝観しました。その翌日は大文字焼きで、明神ヶ岳は六波羅密寺の比叡山寄りでした。六波羅蜜寺のあった賀茂川の東岸は行き倒れ人や疾病で亡くなった人の遺体の捨て場だったようです。空也上人がそうした不運な人の遺骸を懇ろに弔って、土饅頭に埋めて「南無阿弥陀仏」の名号を唱えると名号が阿弥陀仏に変じたという説話を仏像に刻んだのが空也像だというのです。
此れが六波羅密寺の空也上人像です。空也上人が左手に握っていられる杖が「鹿杖」と呼ばれます。
此れは高岡市にある鋳物博物館の庭に祀られた弘法大師像です。弘法大師は右手に錫杖をお持ちです。
空也上人は左手に鹿杖をお持ちです。
一方。弘法大師の杖は錫杖で。右手にお持ちです。錫杖はお地蔵様の法具でもあります。僧が山野遊行の際、 禽獣や毒蛇の害から身を守る道具でもあったのでしょう。托鉢の際に門前で来訪を知らせる意味も在ったのでしょう。杖の頭部は塔婆の様な刻みが在って、更に数個の金環が付いていますので、歩けば金環がジャラ・ジャラなりますので、熊除けの鈴と同じ効果が在ります。全国各地に伝えられる「弘法大師逆さ杖」や「温泉」や「橋杭岩」の伝説は何れも弘法大師が錫杖を大地に突き刺して起した奇跡でした。錫杖は常に浄手(右手)に持ち不浄手(左手)に持つ事はありません。
此れは京都の貴船神社の千本桂です。全国各地の霊木には「弘法大師逆さ杖」の伝説が在ります。近場では福沢先生のお墓のある麻布善福寺の大銀杏も「弘法大師逆さ杖」です。
【マタギ】
現代「マタギ」と云えば、、甲信越地方から北関東や東北地方の山岳地帯で、「狩猟を専業とするモノ」の事です。「マタギ郷」として有名な秋田の由利郡阿仁(鳥海山の山中)や山形県飯豊村(朝日連峰の山中)にはマタギの子孫が「熊狩り」や「熊祭り」の習俗を残しているので出かけて民宿に泊めてもらいました。、民俗学の用語辞典では「マタギ」とは「マタハギ」の意味で「樹皮を剥いで着ている人」の意味だと説明しています。処が空也上人像や一遍上人絵伝を観ると先端が鹿の角の様に分岐した杖を突いた人が描かれています。マタギとは「又木」の杖を持っている超人的な「山の民」のようにおもえます。役行者(役小角)は大和朝廷創立時期に金剛葛城山に棲み朝廷に従わなかった山岳住まいの超人で、修験道の創始者として崇められていますが。右手に「錫杖」とも「鹿角」ともいえる角を持っています。役行者像の姿が定まったのは修験者が全国を回った江戸時代でしょうから、空也上人の鹿角と弘法大師の錫杖と、双方の呪術価値を併せ持った造形になったのでしょう。
此れが役行者(役小角」像です。熱海神社(葛城山で産まれて熱海で没した事になっています。の持っている杖は錫杖であり「鹿角」でもあります。
【山の民の狩猟方法】
古墳時代には神武天皇を中世には一遍上人を熊野の山中に導いたのは「山の民」で近世には「山窩/さんか」と呼ばれた少数被差別民だったと思われます。私が学生時代に読んだ白土三平氏の力作「カムイ伝」は山窩集落のヒーロー「カムイ」が時代に抗して戦う漫画でした。稲作に依らず狩猟によって生活する人たちには差別も階級も無く、山で採れた獣等の収穫物は均等に分けて食べる原始共産制社会でした。階級社会で在った江戸時代に縄文時代の様な社会が許容される訳は無く、厳しい差別と収奪に遇います。
1960年代月刊誌「ガロ」に連載された白木三平氏の「カムイ外伝」は山窩と呼ばれた被差別民が自由と共産自治体を守る為近世封建体制に挑んだ大作でした。舞台は甲賀に近い東近江の山中の潜伏部落です。
平野で水田耕作する里人にとっては山中で狩猟したり焼畑したり木地師をしたりする人は畏怖の念を以って観ていたモノと思います。山の民は鉞(マサカリ)一本を腰に吊るして鹿杖を持っていました。鹿杖は熊や狼と戦う時の武器でもありました。又小屋掛けと呼ばれる簡易住居を建てる道具でもありました。小屋掛けとは何かというと。狩猟民が1週間程度住む「簡易住居」です。先ず又のある樹の枝を伐採してそれを地面に刺します。次ぎに又の上に横木を渡して棟木にします。更に萱や杉の樹皮を剥いで屋根を葺きます。そして萱を束ねて壁を作ります。河川敷に作られたブルーシート小屋のような住居です。その小屋掛け住居の中央に囲炉裏を掘って。夜なべで椀や杓文字を作ります。そして日中は狩猟に出かけます。壬申の乱で大海皇子は吉野から天川に逃げます。天川は山の民が集住していました。弓や矢の素材は充分に在り、山の民はカムイの様に逞しく戦い上手でした。天川で戦力を整えた大海人皇子一行は伊勢を経て近江に居た大友皇子を討ちます。
山の民の力や神秘を象徴する道具が「鹿杖」でした。だから、空也上人が鹿杖を持ち遺骸を弔って下さるのを観た京都の平民は死んだら魂は山に登るモノと確信したのでしょう。鹿の角に神秘性や聖性を感じた武士は自分の刀を鹿の角の刀掛けに預けました。
8月16日は京都は大文字焼きで賑わう事でしょう。空也上人像のある六波羅密寺から見れば東側に明神ヶ岳が在って。大文字の送り火が焚かれます。空也上人の眼は一見虚空を観ているようですが、実は明神ヶ岳を観ていられるような気がしてきます。
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