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ベトナム旅行にて

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年初額賀財務相がベトナム・インドを訪問し経済支援を約束して帰られました。
ベトナムでは、ハノイからサイゴンを経てメコンデルタをつなぐ高速道路を建設する資金として2008年は1000億円支援する事になりました。
インドでは鉄道網建設資金でした。
記者団に対し説明しました。
「経済発展著しい国のファンダメンタルズを整備する事は我国の発展に寄与します」


ところで、サイゴンの銀座「ドンコイ通り」の家庭雑貨店を報告します。
ベトナムの家庭雑貨店は日本人に大人気で、観光客が押し寄せています。
500メートル程の距離に日本人相手の家庭雑貨店が4店もあります。
店舗名は日本語で「トンボ」「タンポポ」「家庭雑貨店」等と書かれていますから、すぐ日本人相手である事が解ります。
店構えも、商品も、店員のマニュアルも何れも日本人観光客をターゲットにしています。
とりわけ商品は開発段階から日本人のセンスで作られています。
実に丁寧な作りで、和風で、小さめで、「メイドインジャパン」と思われる出来栄えです。
京都京極のお店がドンコイ通りにあるような感覚です。

日本人にとっては漆器や絹織物は高級品です。
そんな高級品が此処では大変に安いのです。
絹の巾着袋も300円程度、センスの良いTシャツも300円で買えます。
日本人感覚では一桁安いのです。
同じベトナム民芸人形でも此処で買えば、塗りが丁寧で良く出来ています。
きっとお店で厳しく品質指導をしているのでしょう。
商品の質の良さと価格の安さに感激した観光客は沢山の買い物をして帰ります。

ベトナムの高速道路も、インドの鉄道網も、同国に進出しようとする企業にとっては有難い投資でしょう。
日本企業がベトナムの奥地に工場進出しても、メコンデルタの港から製品を世界に向けて輸出できるから。
国のファンダメンタルズがよくなれば、工場進出の条件は解決します。
高速道路を作ってくれるは、工場投資はしてくれるは有難い限りです。
額賀財務省はさながら「えびす様」に見えたでしょう。

財務大臣の職責は国家財政の健全経営にあります。
世界一の借金財政の健全化シナリオ作成にあります。
昨年に続いて1000億円の支援は日本人の誰のために実施するのでしょうか?
国民のために実施するような説明ですが、実際は大企業のために実施するものであります。
日本の地方や中小企業にとっては、脅威になる開発であります。

メコンデルタの港から、日本向け漆器器具や絹織物が日本に輸出されてきます。
ドンコイ通りの商店が港から日本に押し寄せてくるでしょう。
全国の絹織物企業はベトナムと日本で価格競争をする事を強いられてしまいます。
全国各地の漆器地場企業は価格競争に勝ち目があるでしょうか?
全国の陶磁器産地はベトナムに太刀打ちできるでしょうか?

昨日、このブログで「限界集落」を報告しました。
限界集落から廃村になった場合、そこにある文化は見捨てられるでしょう、その無念を書いてみました。
ベトナムの高速道路は日本の限界集落を加速化させます。
日本の美しい山村とベトナムの手工業を同じ土俵に上げることになるのですから。

「大風吹けば桶屋が喜ぶ」そんな議論ではありません。
今日我が国の課題は第一に財政の健全化であり、第二に格差の是正でありましょう。
ベトナム1000億円のODAは何れにも逆行しています。
唯一日本の中で喜ぶのは大企業であり、財務省であります。


(写真はサイゴンの銀座通りにあるベトナム雑貨店の賑わい。筆者はODA支援によってこのショップがメコンデルタの港から日本にやってきて、日本の伝統的地場産業や中小企業が価格競争の嵐に巻き込まれる事を懸念しています)

 (ベトナム人形)
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 (ドンコイ通り夜景)
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 (ベトナム家庭雑貨店、店名は日本語)
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 (店舗内で買い物を楽しむ日本人)
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 (ベトナム料理店ゴールドフィッシュ/金魚の食器。日本人のセンス)
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 (ショップで配られるドンコイ通りの案内マップ/日本人をターゲットにした店が並んでました)
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ベトナムサイゴンでの一日ツアーは数多くあります。
日本の旅行会社が募集し、毎朝サイゴン市内のホテルを回ってお客を拾ってゆきます。
そんな中で、日本人の最高人気が「メコンデルタツアー」だそうです。
乗り合わせですから、同乗者が数多いと覚悟していたのですが、私たち夫婦以外にお客はなく、ゆったりとしたツアーになりました。
シーズンオフだからでしょうか。これから乾季、冬場になれば混み合うのかもしれません。
サイゴンから南に国道を下る事約二時間、ようやくミトーの街につきました。
  [サイゴンから南下してメコンデルタに繋がる国道、サロンパスの看板がありました]

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サイゴンは南に発展しているようです。
港としては、大海に面している事が好ましいでしょうから、メコン川河口部には発展する期待が寄せられます。高速道路の工事も進んでいますし、その一環で日本の円借款事業でカントー橋架橋工事が進められていました。ところが今年9月崩落事故 が発生しました。
橋の高さ約25メートル、橋の全長は2750メートルですから、レインボーブリッジやベイブリッジを遥かに凌ぐ、本四架橋に匹敵する規模でしょう。でも事業費約248億円だそうです。
不幸な事故ですが、ベトナムの発展の為には大変に重要な橋である事は実感できます。
我国の支援で、ベトナムのファンダメンタルズが飛躍的に向上する、それは嬉しい事でしょう。
メコンデルタに出来上がった港から日本に向けて、過程雑貨品や生活便利グッズが安価に輸出されます。その攻勢に悲鳴をあげる日本の中小企業も多くありましょう。
事故さえなければ、今頃は竣工祝賀会が開かれているはずです。

   [メコン川架橋工事中、日本大成、鹿島JVのカントー橋はこの先。手前は水上生活者のお家]
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ミトーはメコン川に面したベトナム側の都市です。人口30万人と聞かされて驚きました。一寸見た感じでは5万に程度の港町です。この町の何処に30万人もの人が住んでいるのだろうか?そう思いました。

メコン川はチベット高原を源にして、インド洋に注ぐまで4200キロ、東南アジア最大の大河です。
どれほど大きな川なのか想像も出来ません。
私達はミトーの港から、向かいの島に船で渡りました。
でも、対岸は遙か彼方です、まるで海のような感覚でした。
   [ミトーの港から対岸を臨む]
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    [ミトーで船に乗って対岸の小島に渡る]
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川中の小島は砂州のように見えます。島全体が観光で生きているようです。
桟橋を降りた観光客は小道に沿って島の中を散策します。
小道の両側が観光農園です。
南国の果樹やミツバチ、それらの売店や食べさせるお店が続いています。
鮮やかな熱帯の花が咲いています。
嬌声が聞こえてきました。見ればニシキヘビを首から架けられて観光客がはしゃいでいます。
メコン川にはニシキヘビが生息しているのでしょうか。この熱帯密林の中でニシキヘビに遭遇したら脚がすくんでしまいそうです。
    [島の観光の小道を歩く人]
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     [ミツバチ農園のお嬢さん]
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     [龍眼の実]
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      [男はハンモッグでお昼ね]
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      [ニシキヘビに嬌声]
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メコン川の水の色は茶けています。水は決して綺麗とは見えませんが、日本の川のように、ペットやゴミは見られません。でも、透明度が低いのは、砂地ではなく、泥地の中を流れている為でしょう。

観光農園の先に手漕ぎのミニボートの船着場があり、其処から川を下って先刻の船着場までミニボートで運んでくれます。背丈の低い草やしの繁茂する中を漕いで行きます。
ボートを漕いでいるのは大半が女性でした。
痩せている上に決して若くないのですが、大変に強靭な体躯をしているのに驚きました。
ベトナム女性は生活力があります。
  [手漕ぎボートを漕ぐ女性]
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食事は中々立派な民族料理のレストランで、続々とバスが着きお客さんを連れてきます。
名物料理エレファントフィッシュの唐揚げをライスペーパーに包んで食べるものです。

一日遊んで食べて40ドル、ベトナムは日本人にとっては最高の避寒地です。
  [エレファントフィッシュのから揚げ]
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   [観光レストラン]
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ベトナム南部観光客の人気スポットは何と言っても「クチトンネル」で間違いありません。
サイゴンから北方に約70キロ、田園地帯を走ると、ベトナム戦争最大の激戦地クチ地区に到着します。今は一面雑木が育っている雑木林でありますが、30年前は大量に撒かれた枯葉剤によって一面の枯れ木林であったそうです。
その大地の地下に蜘蛛の巣状のトンネルが掘られています。
  (クチトンネルの模型。トンネルが幾重にも掘られ、小部屋を繋いでいます)
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  (クチのマップ。赤い所。北が山で南にサイゴン政府)
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此処は元々静かな田園地帯でありました。ベトナム戦争が起きるまでは。
ベトナムの社会主義化の動きが急速になると、米国はサイゴン政府を支援して戦争に突入します。
ハノイ政府は「南ベトナム解放戦線」を組織し、米国やサイゴン政府に対してゲリラ戦争を挑みます。
此処クチ地区がベトナム戦争の川中島になったのでした。

農民は日中は田に出て働き、陽が沈むとゲリラ活動に従事します。
ゲリラ活動の動線は地下に掘られた蜘蛛の巣状のトンネルでした。
その総延長は200キロを越えて250キロにも及んだそうです。
お玉のようなスコップで子供一人が這いずれる程のトンネルを掘りました。
空気穴が用意され、地上出口は草木でカモフラージュされています。
トンネルの中には食事や作戦会議等様々な部屋が用意されていました。
三角の部屋は米軍の投下爆弾でも崩れなな、避難部屋であったそうです。
雑木林の其処此処には投下された爆弾によって穴が開いています。
穴の深さは1メートル、直径は5メートルほどもあるでしょうか。
空襲の度ごとにゲリラは三角部屋に避難し、空襲が終わればまたゲリラ活動をしたのでしょう。
   (米軍の戦車、手前の小さな小山がトンネルの空気穴)
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   (米軍の爆弾投下によって出来た凹み)
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ベトナム戦争で亡くなった米軍兵士は5万人、対してベトナム人は市民(夜はゲリラも)が300万人に及んだと言われます。
1975年終戦を迎えます。広い目で見ればハノイ政府が勝利したのでしょう。サイゴンで社会主義政府に畏怖した人々はボートピープルになって祖国を捨てます。

   (クチトンネル出口、其の狭さに驚愕する観光客、私には入れないわ!)
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   (観光用に拡げた穴から出てくるところ。真っ暗なトンネルは大変な圧迫感がありました)
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ところで、写真の女性は「私は太いのでこんなに狭い穴には入れないわ」と言って笑って見せました。
実弾を撃った事無い人々は恐る恐るライフルを撃っています。
ゲリラグッズは土産品に変って買い求められています。
命を懸けて戦った事実を、今は観光資源にしている、そんな景色にベトナム人のしたたかさを指摘する人も多いでしょう。
米国嫌いの人々には、ゲリラグッズは貴重に見えるのでしょう。
   (廃タイヤから作ったホーチミンサンダル。私も買いました)
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   (ライフル射撃場の咲いた蔓)
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米軍を困らせたのはゲリラですが、十数年に及ぶ強靭なゲリラ活動を支えたのは、民族の誇りと故郷への愛着であったのでしょう。
   (米軍の不発弾から爆薬を抜き取り武器を作る樣、人形)
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当時私は未だ大学生でした。大学のキャンバスではべ平連が組織されていました。
南北代理の戦場になったベトナムへの愛着は誰しも持っていました。
「ベトナムの事はベトナム人に任せれば良い」と誰しも思っていました。米国の戦争の大儀は社会主義の拡大防止、自由主義の拡大でしたでしょう。
でも、若い学生には米国のエゴに見えて、「米軍の侵略戦争」反対が叫ばれ、細菌兵器研究疑惑も糾されていました。
    (米国不発弾、写真左右の大きな爆弾はクラスター爆弾)
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枯葉剤がクローズアップされたのは、戦後大量の奇形児や流産が発生してからでした。
米軍の犯罪行為は白日に晒されました。でも戦争犯罪が糾弾される事はありませんでした。
ベトナム政府は戦争責任を追及することよりも経済援助を受けることの方が実利がある、と判断したのでしょう。
この姿勢は今年の夏、メコン川大架橋崩落事故(日本ODA事業)によって100人に及ぶベトナム人死傷者が出た折にも、原因追求よりも「事業継続」を優先するベトナム政府の姿勢にも現れているように思います。
したたかに「実利を求める」姿勢はベトナムの歴史に綿々と続いてきました。
実利の反する行為は選択しません。
このクチトンネルを観光資源にし、お金を稼ぐ一方で、自身の愛国心を誇示しているのでしょう。
そして、米国の無謀な戦争を引き起こした責任を追及しているのでしょう。

米国は圧倒的な軍事力を有する大国であるが故に、軍事力の行使は慎重であって欲しい物であります。
観光客の女性がこの狭い穴を見て自分が入れない、と即断しました。
米国の戦争はそれ自体が無理であったのでしょう。ベトナムであれアフガニスタンであれ、彼らの郷土の上で自国の主張を軍事力を背景に実現する事は、無理があります。


ベトナム戦争は南北の大国による代理戦争でありました。
米国の参戦の大儀は社会主義の防波堤にすることであったのでしょう。
しかし、米国の期待したような終結をしませんでした。
けれども、ベトナムはドイモイ政策によって実質自由な競争が奏功し、毎年10%前後の成長率が維持され、中国やロシアの現体制に先行する成功を収めています。
何も米国は戦争をする必要は無かった、自由は社会体制の左右に依らず基本的な人間の選択であったように思えます。
   
 (クチトンネルに置かれた日本製ミシン。ゲリラの服を修理していた)
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クチトンネルの片隅に日本製ミシンが置かれていました。
ゲリラの衣服を縫ったそうです。
日本の役割を暗示しているように思えます。
60年安保、70年安保を経て日本は何時も米国のお追従です。
超大国米国の過ちも指摘する、そんな国になりたいものです。
それが自由主義でしょう。

今年の夏、べ平連を組織された小田実さんも逝かれました。
ベトナム戦争も随分昔のように思えてきます。


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ベトナムの町や村を見ていると、教会がその風景の核になっています。
いずれの教会もゴチック様式の尖塔が高く天に向って突き立っています。加えて街の中心にあります。
サイゴンではドンコイ通り通りから見れば、聖母マリア教会が正面に位置して、広場の中心になっています。ダラットでは広場から見て正面にダラット大聖堂が見られます。ダラット郊外ラット村でも町の広場は教会の前庭になっていました。
で、調べてみるとキリスト教信者は国民の1割、800万人だそうです。日本では1%にも及びませんから遥かにキリスト教の普及が進んだ国だといえます。
それも、カソリックです。おそらくアジアではフィリッピンに次いで最もキリスト教が普及した国でしょう。
  (サイゴンの真ん中、聖母マリア教会)
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  (ダラットのシンボル、ダラット大聖堂)
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  (高知民族ラット族の村の教会も広場に)
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キリスト教が日本に伝来したのは16世紀初頭、日本と同じでした。
そしてこれまた日本と同じく禁教令が発せられ、多くの受難者を生みます。
長い隠れキリシタン時代を経て、フランスの植民地時代に入ります。
其処で、キリスト教は日陰から日当にポジションを代えます。
一気に信者も教会も目立った存在になったのでした。
日本は植民地にならなかった事から明治維新により禁教令は解かれたものの、地道な布教活動によって信者数を増やしてゆきます。学校教育、とりわけ女子中学、高校生の教育活動に熱心に取り組み、信者数を増やしてゆきました。けれども、ベトナムのような政治的な劇的変化はありませんでした。
こうした歴史の彼我の相違が現在の布教率の違いになったのでしょうが、日本、ベトナム双方に似ている点があります。

カソリック教会といえば、私はステンドグラスを眺める事が好きです。
色ガラスを通して、聖書の一場面を見つめる訳ですが、キリスト教世界に対して、憧れを呼び起こしてくれます。
そこで、ステンドグラスを報告をいたします。
   (ダラット大聖堂のステンドグラス)
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気が付く事は、マリア様がキリスト以上に目立つ事です。
マリア様が中心で、訪れた人の目の位置にいてくれます。そして、十字架のキリストはその一段高い位置に、小さな像で位置していられます。
   (ダラット教会の祭壇。マリア様が信者を受け容れてくださいます)
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十字架に架けられたキリストは理解し難く、慈愛に満ちたマリア様はストレートに受け容れられた為でありましょう。
屹度こうした感覚は、風土や民族に共通した感覚でしょう。
   (サイゴン、聖母マリア教会内部)
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   (同上、マリア様とネオン管装飾)
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   (同上、ステンドグラス)
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   (同上 使徒とステンドグラス)
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写真の教会内の装飾にはネオン管が多く取り入れられています。
ネオン管は先の阿弥陀仏の光背にも使われていましたが、マリア様を周囲にも使われていました。
信者にマリア様を一際印象付けたい、荘厳に見せたい、そうした意思がネオン管といった新しい素材を意匠に用いらせたのでしょう。
創意工夫はベトナム人の最も得意とするところ、私はただ「いいなあ」と思いました
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明日の午後から二泊三日の北京行きです。

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早朝に車でサイゴン市内を走っていると、仏教寺院の前に黒山の人だかりがありました。
ガイドに尋ねると「葬儀」との事です。
近親者やご近所の人が集まって、朝早くから葬儀を行い、混雑する前に埋葬(土葬)してしまうとの事でありました。関係者にすれば、仕事前に埋葬まで済ませてしまう、合理性があるのでしょう。
日本のように、通夜から本葬までしめやかに時間をかける事は無いのでありましょう。

東南アジアではタイやミャンマーを中心にインドから直接仏教が伝来しました。
所謂小乗仏教で、個人の魂の救済を主目的にしています。
ベトナムも一時は小乗仏教国でありましたが、紀元前2世紀から中国の統治下に入り、中国仏教(大乗系)が浸透しました。
この面では日本仏教と同じです。加えて、多くのお寺に「禅林」の山号が入っていますので、禅宗が最も馴染んでいるようにも思います。
国民の8割は仏教徒です。
  (ダラット リンソン寺 本尊阿弥陀像)
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ところが、仏像を拝観すると殆どのお寺のご本尊は阿弥陀如来でありました。
写真のミート市(メコンデルタにある港町)にある「長永寺」もご本尊は阿弥陀如来でした。
金色に輝く仏像に光背が叉光っていました。ネオン管が放射状に飾られています。
日本では壬生光背と呼ばれる、グリコマークのような光背です。
加えて矢張りネオン管で「南無阿弥陀仏」と書かれています。
私はこうした「意匠」に凝る事にベトナム人らしさを感じ、同時に今も仏教が活きていると感じました。
  (ミート市長永寺ご本尊阿弥陀如来。光背のネオン管が鮮やかで、動きます)
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  (阿弥陀像の裏は位牌が並べられていました。ルーツは中国なので、日本のお寺と同じ)
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長永寺を入ると山門はヒンズー教寺院のような装飾性が目立ちます。
本堂の前庭に立つとカソリックの教会のようです。
ギリシャ風の列柱が並んで、左右対称に構築されています。
そして、本堂の裏、僧坊に出ると此処は禅宗建築です。
幾つもの異なった文化が折重なっています。
ガイドに尋ねると、原形は禅宗寺院と映った部分でありました。
フランス植民地下で教会のような部分が本来の建物の前に覆い被されたのでした。
そして、ヒンズー教のような装飾性はベトナム人の民族意匠でしょう。
それが歴史の流れの中で様々な意匠が加わり、叉削除されて現状のように変ったのでしょう。
年年歳歳変化を続けていると言う事は仏教が活きていることの証左でありましょう。
  (長栄寺山門。装飾性が目立ち、阿弥陀様が楼上で迎えてくれます)
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  (長栄寺本堂は外から見れば教会、いや宮殿風の建物)
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  (フランス植民地下で建てられた宮殿風建物を示す、列柱。左端の黒いのは本来の木の柱)
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  (本堂前庭から本堂を見る。宮殿のよう)
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元々ベトナムは漢字の国でした。お寺は総て漢字で表示されていました。
永平寺と建長寺を併せた「長永寺」もミートの町や人々が永久に栄えて平和であってほしい、と願って建てられたものでありましょう。
所がフランスの植民地下した時、漢字から(ヴィンチャン寺・Chua Vinh Trang)となりました。文字はフランス人が考えたものです。
ベトナム人の識字率(文盲)がつい先年まで10%と低かった事、漢字自体が一部のインテリにしか使われていなかったので、フランスのお仕着せに大した抵抗は無かったのでしょう。
ホーチミン改革の第一は識字率を90%台に向上させる事でした。
名前の変遷と建物の変遷は同じ事実によって引き起こされたのでしょう。
   (長栄寺のお台所/典座。若いお坊さんがお料理をしていました。ベトナムは妻帯は禁じられていますが、肉食は比較的ゆるいようです)
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   (僧坊で食事のお余りが出るのを待っているイヌ)
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ベトナム南部寺院は総じて歴史が浅く、この永長寺でさえ300年の歴史しかありません。
しかし、一方では盛んにお寺が増えているのです。
長永寺も山門前に巨大な観音像を建築しています。サイゴン市内でも、仏塔などの新築風景を再三見ることが出来ました。
   (仏塔建築風景)
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   (観音像建築風景)
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日本の仏教はお葬式に埋没しているように見えますが、ベトナムではお葬式は扱うものの、現実生活で息づいているようです。
また、ベトナム人の柔軟さ、悪く言えば何でも受け入れるような「混在性」を感じます。
これこそがつい30年前ベトナム戦争で苦しんだものの、今日の繁栄の素地になった長所でありましょう。そして、もう一つ反映の原動力になったのは「反骨魂」「したたかさ」であると思います。したたかさは「プロパガンダポスター」でも紹介しました。同様な例が数多く見られます。今後紹介してゆきましょう。


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