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ベトナム旅行にて

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水木しげるさんの人気コミック「ゲゲゲの鬼太郎」の親はご存知「目玉親爺」です。何で親爺が目玉なのか解りません。
水木さんはカオダイ教の象徴「天眼」をご存知だったのでしょうか?
実に「目玉親爺」は「天眼」に手足をつけたもののようです。



カオダイ教はベトナムサイゴンから西北に、カンボジア国境に近いタイニンに教団があります。
国道22号線を2時間ほど走ってゆくと遥か彼方に三角の山が見えてきます。バーデン山(黒いおばさんの山)と呼びます。田園の中にポツンと屹立しています。
霊山に相応しい山です。霊山の存在が目指すカオダイ教を産んだのでしょう。
一時はタイニンの住民の三分の二が入信していたと言われます。
   (田園の中にポツンと高く聳えるバーデン山)
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山が近づいてきます。もっと近くに寄りたい、そう思う頃左折して悪路に入ります。暫く走ると教団の街「タイニン」に到着します。街のどこからも教団の塔が望めます。

日本でいえば奈良の天理のような町でしょうか。教団の構内には幼稚園から高等教育施設まで揃っているようです。又聖地らしい佇まいと清潔な空間があります。
質素な生活の中に、巨大で華麗な神殿が聳えていました。
  (神殿の塔、外で靴を脱いで神殿に入ります)
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  (神殿全景。細く長いのは、入り口から低位信者、奥に進むに従って高位聖職者、最深部に天眼が位   置する為)
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教団の建物は「神殿」と言えば良いのか「寺」「教会」と呼ぶべきか迷ってしまう造作です。
黄色主色とした五色が鮮やかに散りばめられています。只、金色はありません。ポスターカラーでペイントしたような鮮明さです。
そして、この教会かの壁に大きな目が此方を見つめています。この目が「天眼」です。
天眼には「宇宙の原理」「宇宙の至上神」を象徴する意味があります。屹度信者にとっては「人は宇宙の真理の前に立たされて、いかに生きるべきか」糺されるのではないでしょうか。
   (壁に描かれた天眼。周囲に蓮のデザインがあるところが仏教的)
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人間は神の前で糺されます。「貴方は今日何をしましたか?」「神の期待に背いて、何をしませんでしたか?」形に表われた行為も、心の奥底で描いた邪な想いも。
神は総てをお見通しです。
ですから人間は「神の目」を強く意識し、恐怖します。

「千手観音」があります。正しくは「千眼千手観音」といい、千の手の内側には等しく目がついています。観音様は人を優しく、時に厳しく見つめていてくれます。降三世明王も、軍荼利明王、大威徳明王愛染明王もいずれも三つの目をもっています。三つ目は心の中を見つめているのです。

カオダイ教は人間が最も意識する「神の目」そのものを象徴にいたしました。
神殿の最深部、高い位置からは大粋な水晶体の真ん中に天眼が置かれ、こちらをじっと見ています。
そして、聖職者の帽子にも「天眼」があり、信者を見つめています。

(神殿の奥、高い位置から心眼が人を見つめる)
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日本の国はアジアの東の淵にあります。世界の文化が日本に伝播してきて日本固有の文化を形作ってきました。同じように中国から南下した文化はベトナムに伝わり同じように特異の文化を形成したのでしょう。

カオダイ教は1919年、当地の下級官吏であった「ゴーボンチウ」を教祖として発足致しました。
様々な宗教や偉人を混合しています。
人類は長く苦しい目に遭遇してきました。最初に人類救済したのは釈迦、モーゼでした。
二回目の救世主はイエスと老子です。そして三度目の衆生救済を一個の天眼で象徴される至高神たるカオダイ(高台)がおこなうのです。
更に孔子、老子、、ムハンマド、さらには李白、ソクラテス、トルストイ、ヴィクトル・ユーゴーなどを聖人や使徒と仰ぎます。

時代背景は生臭い物があります。
当時はフランスによる植民地化が進み、ベトナム国民の反骨魂が頭を持ち上げた時期であります。
1940年には日本軍の進駐が始まります。1945年には日本の援助下でパオダイがベトナム帝国の独立を宣言します。同年にはホー・チ・ミンがベトナム民主共和国樹立を宣言します。1946年〜54年 フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)が戦われます。

この間カオダイ教は兵団や自治機構を持ち、フランス植民地時代には反仏運動を、インドシナ戦争中にはベトミンと戦いました。1962年ベトナム戦争が勃発するとカオダイ教は米軍に対し抵抗戦線を組織します。タイニン省の一帯は解放戦線の巣窟であり、一帯は激戦地として聞こえていました。
別の機会に報告する「クチトンネル」は250キロに及び蜘蛛の巣状に掘られた地下トンネルで、反米ゲリラの拠点でありました。カオダイの神殿から30キロの位置にありました。
従って、カオダイ神殿はベトナム戦争により粉砕され、現在の神殿は戦後建築された物です。

ガイドの説明によると、一時は300万人の信者数を誇り、教会の外まで信者が群れて礼拝していたそうですが、今ではそれ程の信者数はありません。
見ればお年寄りばかりです。
二十年後、三十年後は建物だけが残されるかも知れない、そう懸念さえしてしまいます。

一日4回の礼拝が行われ、特に午後一番の礼拝には多数の観光客を収容しています。
私たちもこの礼拝時刻に合わせてサイゴンを出発しました。
神殿の外で靴を脱ぎます。そして一列になって神殿二階のバルコニーに登り、礼拝風景を見ることが出来ます。
巨大な心眼が教会の最深部に位置しています。そこから礼拝場が縦長に続きます。最上壇は黄色、赤の法衣を着た聖職者がが位置しています。
頭にはコックさんの様な帽子を被っていますが、その正面に心眼が描かれています。

壇は4層に分かれ、最下段は入り口に近く、真っ白いアオダイを着た信者が礼拝いたします。
4層何れの聖職者も信者も高齢者ばかりです。聖職者の階級制度がある事はカトリックに似ています。
そして、男性信者は右側に、女性信者は左側に位置しています。こうした処に古い価値観を感じます。
 (神殿内部。手前白いアオザイを着た信者、奥に行くに従い壇が上がって上位聖職者。二階にバルコニ  ーがあって、ここから礼拝風景を見学します)
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  (上位聖職者。最高位は黄色、赤の法衣を着て、天眼の着いた帽子を被っています)
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  (白いアオザイを着た信者。良く見ると高齢者ばかりでした)
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  (礼拝風景を見学する観光客、フランス人を中心としたヨーロッパ人が多いようです)
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二階には胡弓を中心とした中国風の音楽団が宗教音楽を演奏しています。
柱には登り竜、下り龍が巻きついています。
正面の入り口にはモーゼの十戒を思わせる光景が描かれています。
ベトナム人、中国人、白人が石版に書き込んでいます。
「天上 天下」「博愛 公平」「Dieu et Humanité」(神と人間性)「Amour et Justice」(愛と公正)と読めます。
額の意味するところは「世界中の人類は、戦争を止めて、博愛と公平を旨とし、人間性を重んじ、愛と公正に生きましょう」そんな風に理解できます。
   (宗教音楽を奏でる胡弓楽団)
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   (入り口壁に描かれた壁絵の前、モーゼ十戒を思わせます)
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   (同じく入り口の置かれた聖者像。ベトナム人、中国人、白人)
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カオダイ教が組織された1919年に日本では生長の家が始まりました。
天理教はその少し前、創価学会は少し後になります。

社会の変革期、民族のアイデンティーが問われる時期に新興宗教は多く勃発します。
カオダイ教は平和で静かなタイニンの村に外から侵略者が攻勢を仕掛けてきた時に起こり、戦火の広がりとともに信者数を増やしてきました。
多くの家族同僚が戦争で命を落とし、大切な農地には枯葉剤が撒かれました。
ベトナム2000年の歴史、そのままに「平和で静かな農村」を守ろうとしたのでしょう。
ベトナム戦争が終わり、共産党の施策が変って社会が平和になるに従い信者数を減らして行きました。
カオダイ教は外部勢力に抵抗する時に勢いが増し、社会が平和になった現代になると勢いを削がれてしまったようです。教祖はベトナムの人々が幸せになるように期待していたのでしょう。
今平和になると忘れられてしまうのは皮肉なものです。

日本の生長の家を初めとした、1900年代初頭の新興宗教はカオダイ教のような壮大な(混在?)視座や社会性を欠いているように思います。ひたすら「個人が救済されれば・・・・それで良い」そんな風に思えます。でも、信者数は圧倒的に多く、存続を疑われる事はありません。
彼我の違いはどうして起こるのでしょうか?

ガイドに訊きました「何故カオダイ教は若い人に受け容れられていないのですか?」

ガイドの答えは「私はカトリックの学校を卒業しました。カオダイ教は良くわかりません」

若者の目には、「もうお爺さんお婆さんの信じる古い宗教」と映っているようです。

私のような一見の外来者の目にも「教団の階級制度」「男女の区別」など古い価値観が目に付きます。
また、世界の偉人を包含する大胆さは一方で多くの矛盾を露呈しているのかもしれません。
若い人には受けないでしょう。
でも、強い「民族性や郷土愛」は普遍的なものと思います。

巨大な神殿(教会)の鮮やかさだけが何かむなしく見えてしまいます。



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ベトナム人の足は間違いなくオートバイです。
4年ほど前までは自転車だったそうです。
現在ベトナムではオートバイの乗車人数規制もありません。夫婦で真ん中に子供を乗せたオートバイが自動車の間をすり抜けてゆく光景を度々目の当たりにして驚きます。
ヘルメットも着用は国道(都市間を繋ぐフリーウェイ)に限定されています。
自動車に乗って、マイペースで走ってゆくオートバイを見ていると、ハラハラします。長く見ていると気持ちが悪くなってきます。
ベトナムが好きになった私も、この我侭運転だけは好きになれません。
   (写真はサイゴンのドンコイ通り(日本の銀座通り)のオートバイ)
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   (写真は統一会堂近くの通りを占拠するオートバイ)
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   (スコールが降ろうがヘイチャラなオートバイ)
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   (ダウンタウンでのオートバイ)
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「お前は何処から来たのだ?」タクシーの運転手に尋ねられました。

「フロム ジャパン」答えると、運転手は私たちの頭を指差して「グッド」と言います。
ベトナム人にとって日本は、かって植民地化した敵国でもなく、「おしん」の勤勉な国民でもなく、「頭の良い国民」が第一印象なのには驚きました。

その理由は間違いなく、日本人は「自分達にオートバイを提供してくれた」国民だからでしょう。

憬れのオートバイは「ホンダ」です。観察しているとヤマハもスズキも良く見かけます。販売店も数多くあります。でも、オートバイはホンダなのです。
    (国道沿いのベトナムホンダ販売店)
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何故ホンダが最高ブランドなのか、街中を観察して見ました。

オートバイの修理工場が「HONDA」の看板を掲げているのです。
勿論ヤマハやスズキのオートバイも、ハーレーダビッドソン(一度も見ませんでしたが)もHONDの看板のお店で修理してくれます。
オートバイはホンダの印象をこの修理店が強く植え付けているのでしょう。
   (立派なオートバイ修理店の看板はHONDA]
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   (ソコソコの修理店も看板はHONDA)
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   (簡単な修理店も看板はHONDA)
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そこで日本に帰って調べて見ました。
ベトナムホンダはJAICAの支援を受けて「オートバイの修理技術の普及」を実施したのでした。
若者はオートバイが大好きです。オートバイのメカニックなどを勉強しようと思います。
ベトナムホンダはオートバイ修理士の勉強から、資格取得の受験費用、滞在費まで負担してくれます。
勉強してベトナムホンダが発行する「オートバイ修理士」の資格を取得します。
そして大好きなオートバイを面倒見る仕事を生業にするのです。

  (郊外のオートバイ)
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  (メコンデルタで、お坊さんを乗せたオートバイ)
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ベトナムのオートバイの販売数は年間800万台程度だそうです。
世界の本多にとっても貴重な市場なのでしょう。
そして、オートバイで培った知名度は四輪の進出を可能にさせる事でしょう。
今、ベトナム市場ではトヨタが圧倒的な優位にあります。
でも、オートバイ青年が壮年になるに従って、HONDAがチョイスされるのでしょう。

私の事を「頭が良い」と評価させてくれ、植民地支配の印象を払拭してくれる(?)ホンダに感謝せずにいられません。そして、ホンダと言う会社の頭がソフトである事にワールドブランドとして存続する事を確信させてくれました。


補足:サイゴンで自動車事故を目撃こそしませんでしたが、あの交通マナーでは事故が多いはずです。そこで調べて見ると今年の上半期での死者数は7000人弱でありました。多くの事故は保険に加入していない事もあって示談で処理されているのでしょう。


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ベトナムでは国勢調査を実施していないそうです。従って正確な数字は解りません。
日本ユネスコ協会の発表(2005年)では人口8310万人、人口の年間増加率1.6%ですから現時点凡そ8500万人という事でしょう。
一方国土は33万平方キロで日本の約8割、北のハノイは温帯で南のホーチミン(サイゴン)は熱帯、南はメコンデルタであり、西は山岳地帯であります。縦長の国です。更に上記調査では平均寿命は71歳と長生きで、識字率も90%と高いのです。
加えて国民の80%は信心の厚い仏教徒です。自然も人口もそして国民性も日本と似ているのです。
只、現在の一人当たり国民所得は550USドルと低いのです。でも、ドイモイ(刷新政策)が功を奏し、毎年5%から10%の経済成長を続けています。国民は「明るい未来」を確信しているのです。

これ等を総合すると、「ベトナムは国土も風土も日本と著しく似ている」といえます。
只日本に較べると現在は相当に貧乏なのです。
丁度、昭和三十年代、皆が「おしん」であった頃と同じ状況といえます。
ですから、私たちにとっては「急成長下で置き忘れてきた大切なもの」が残されていますし、それに触れる喜びに満ちています。
そして、もう一方では悲しいかな「悪い意味での日本化現象」が垣間見られるのです。

これから、数日間私の見た「ベトナム旅行記」はそうした面を多く報告することになると思います。

   (サイゴン川の港に朝日が昇って、マジェスティックホテル/旧日本ホテルから撮影)
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   (ホテルのバイキング形式朝食)
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娘達が私の為にとってくれたホテルはサイゴンの港が眼下に望める「マジェスティック」という名でした。港といっても海に面しているわけではなく、サイゴン川に面しています。クラッシックな五星ホテルでした。
朝窓から港を見ていると、対岸からオートバイに乗った人達を三隻のカーフェリーがピストン輸送してきます。
川の向こう側がダウンタウンで、こちら側がオフィスや商業施設が集積していて、出勤するのです。ちなみに鉄道は一本単線しかありませんし、バスも多く見かけません。
オートバイが乗り物です。その数の多さとまっしぐらな運転に驚いて聞きますと、4年位前までは大半が自転車でしたが、オートバイが自転車に代わったそうです。オートバイは15万円程度、憬れの車が「トヨタのカムリ」で500万程度、そうして郊外の一戸建てが1500万程度だそうです。
 (朝のサイゴン川の川面)
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 (カーフェリーならぬオートバイフェリーがダウンタウンの労働者を都心にピストン輸送)
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 (3隻のオートバイフェリーでごった返す船着場)
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従って、サイゴンの若い人は男も女も必死に働いて、先ずはオートバイを買って、究極はカムリと5階建てのお家を持つのです。

サイゴンの土地は確かに高いのだそうですが、憬れの一戸建てを見ていると不思議な事に、間口が狭い羊羹のような建物ばかりです。そうして、大半が5階建てです。
 (サイゴン市民の究極の憧れ、5階建てハウスに三、四世代で住み、トヨタカムリのオーナーになる)
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「何故か? ガイドに訊きました」
説明はベトナムには地震が無いから、そうした返事でしたが、実際は「5階建て、細長造り」が最も家族にとって都合が良いからなのでしょう。
1階が居間であれば二階以上が「三世代住宅」「四世代住宅」になるからです。

ベトナムは老人を大切にします。「孤独死」など無く、思いも依らないそうです。
60歳を越えると無税だそうです。確かに街中でも農村でも老人は大切にされています。
サイゴン市内でホームレスを見た事はありませんでした。
日本の平均年齢は42歳、ベトナムは24歳であります。
ベトナムでは年寄りが少ないのでそうした税制や処遇が出来るのであって、25%も年寄りになればそんなことは出来ないのかも知れませんが。
でも、「敬老の精神」は健在です。

ベトナムは農業国、農業国は「家」を大切にします。
田んぼは総じて三毛作で、田植え風景と、青々した水田が交互しています。
水田では8人前後の人が一緒に農作業にいそしんでいました。
日本のように機械化が進んでいなく、田起こしは水牛が活躍しています。
日本のように一人で機械を操作して農作業するのと、ベトナムのように一家総出,隣近所と協働で農作業するのと、どちらが楽しいかは簡単に推し量られます。

田んぼの傍らにはお墓がたっていました。
メコンデルタにかけては真っ白いお墓が、西部では赤いお墓でした。先祖が田んぼを残してくれた。
そんな先祖に見守られながら感謝して労働しているのでしょう。

家が大切な「核」であるからこそ、高齢者が大切にされているのでしょう。
敬老は「家族関係」が緊密だからこそ継続しているのでしょう。
  (敬老の根幹は家族関係が堅固な事。其れを裏打ちする田圃とその脇にあるお墓/田圃の中白い構造  物がお墓です)
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若い夫婦はオートバイで出勤します。朝自宅で食事はしません。
街角の「フォーの店」や「フランスパンサンドイッチ」の店で腹を満たします。
  (フォーを食べる人、ドンコイ通りで/東京での銀座)
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子供たちは学校に行きます。義務教育は小学校が5年、中学校は4年の計9年です。
午前のクラスはお昼で終業です。自宅に帰って遊んでいる訳でもなさそうです。
子供向けの仕事が随分あるようです。サイゴン市内でも田舎町でも「物売り少年」等を数多く見かけました。
大学に行ける子は1割程度だそうです。親は子供の教育熱心で、しっかり働いて良い会社に勤めさせたいようです。サイゴン市内に「KUMON」学習塾を見かけました。
  (ゴム林の中で土産物木彫に精出しするお父さん。周りに4人の子供が販売していました)
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  (ライスペーパーを作るお父さん。背後に子供とお婆さんが私達を見つめていました)
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  (クモン学習塾が進出)
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給与は中国の半分で済み、識字率も高い、夢があるから朝から晩まで良く働く、中国よりも早くから市場メカニズムを活用した政策(ドイモイ/刷新)に転換して実績を収め、世界貿易機構(WTO)にも参加している事等から、日本企業の進出には格好な先でありましょう。
帰路のベトナム航空機内で読んだ日経新聞ではオリンパスがデジタルカメラの生産拠点をベトナムに移す記事を確認しました。中国一辺倒から流れが変わってゆくのでしょう。少なくとも私が会社勤めを続けていたのなら「ベトナム赴任」を希望します。

私が歳を取ったからかもしれませんが、でも、「敬老が徹底している国」は居心地が良いのです。
高度成長に浮かれ、世界トップ水準の一人当たり所得を実現しても、私達は大切なものを忘れてきたような気がします。孤独死や自殺は日本では日常ですが、ベトナムでは想像も出来ない事です。
どちらが「住み良いか」「どちらが幸福か」歴然としていると思います。

ホテルの窓からサイゴン川を渡ってくる人々を見ながら、思いを昭和30年代、貧しかったものの楽しかった「我が家族」を思いおこしました。
私達夫婦の4人の父母ももう他界してしまいました。来年は三周忌になります。


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国の花は「蓮」

これが親子と言うものでしょうか? 叉は「縁」と言うものでしょうか?
娘夫婦から「ベトナム行き」を誘われました。
私はかねてから「夫婦でベトナムに行きたい」、と思っていました。
最近は特にその想いが強くなってきました。


私にとってベトナムに惹かれる理由は数多くあります。
その一つが「ベトナム戦争」の開戦が私の大学生活に重複したからでいた。
社会市民運動は60年安保に盛り上がり、来る70年安保はどんなに盛り上がるか期待されていました。そんな70年近くに「ベトナム戦争」が勃発しました。
ノンポリを自負していた私にとって、遠いベトナムの戦争は、時に身近なものでありました。
友人が暫く姿を見せないので確認すると、佐世保港に米国航空母艦「エンタープライズ」の寄航反対に馳せ参じていたのでした。
叉大学医学部が「米軍生物化学兵器」に力を貸している、そんな糾明によってしばしば休講になりました。
「ベトナム」は脈絡こそ無いものの「青春」「市民運動」「正義」「民俗」などの言葉を連想させるものでありました。

そして、もう一つが最近の「昭和30年代」郷愁のムードです。
あの頃の「ひた向きさ」がベトナムには色濃く残っていると確信していたのです。

今日から暫くは「私のベトナム滞在記」を報告させていただきます。





  
ベトナム航空のマーク
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ホーチミン空港(鹿島建設)の電飾看板
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ベトナム航空のマークを見て驚きました。「蓮の花」です。
そこで、ガイドに伺ってみました。
「ベトナム航空は蓮にお花」なのですね?
「ベトナムは国の花が蓮なのですよ。ベトナム航空は国営ですから、蓮の花を使うのは自然な事なのですよ。」
私は改めて確認しました。
「ベトナムは国民の8割は仏教徒と聞きます。だから蓮の花を国花にしたのですか?」
ガイドはさり気無く答えました。

「宗教ではなくて蓮の花が綺麗だから、そして何処にも咲いているからでしょう。殆どサイゴン近辺では一年中見られますが、これから乾期に入るので見頃になりますよ。

仏教では仏像は蓮華をかたどった台座に座っていられる。また厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したり、仏像の前には「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の蓮華が飾られています。また死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」の語源にもなっています。蓮は仏教に切り離せません。蓮の花が清く美しく、また泥濘の中に育っている事や、水を弾き染まらない「凛とした姿」が仏教の教えを諭す花に選ばれたのでしょう。

写真はサイゴンからメコンデルタに行く途中で撮影したものです。この辺りはサイゴン市800万人の郊外住宅地として開発が急ピッチなのだそうです。その為蓮田が埋め立てられています。写真は道路用地で脇には建設機械が並んでいます。道路の中央、これから「共同溝」工事が予定され、今年が最期の蓮花の姿かもしれません。
メコンデルタのかけては何度も蓮の花を見ることが出来ました。
(ホーチミン市のニュータウン/キー商業施設ロッテ)の都市計画道路用、蓮田は束の間の命)
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蓮といえば日本では「蓮根」で正月料理には欠かせません。中には実を食べる事もありますが。ベトナムで目に付くのは「蓮茶」「蓮花茶」です。前者は料理の後に何度か出ました。蓮の葉の青くて苦味が少し残ります。後者は貴重なもので飲むチャンスはありませんでした。宮廷女性は嗜んだお茶で、蓮の花だけを使う少し甘みがあるお茶だそうです。老廃物を除去し美肌を保つ「伝統の美肌茶」だそうです。
写真はサイゴンから飛行機で1時間、標高1500メートルの避暑地「ダラット」郊外にあるリンソン寺(霊山寺)の仏前の「常花/蓮」です。電灯をつかって鮮やかでした。でも品がありました。
(リンソン寺本尊釈迦如来も蓮の台座の上)
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(常花も蓮で、電灯を使って鮮やかな処置)
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市中や空港で見かけた「蓮の花」
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