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水木しげるさんの人気コミック「ゲゲゲの鬼太郎」の親はご存知「目玉親爺」です。何で親爺が目玉なのか解りません。 水木さんはカオダイ教の象徴「天眼」をご存知だったのでしょうか? 実に「目玉親爺」は「天眼」に手足をつけたもののようです。 国道22号線を2時間ほど走ってゆくと遥か彼方に三角の山が見えてきます。バーデン山(黒いおばさんの山)と呼びます。田園の中にポツンと屹立しています。 霊山に相応しい山です。霊山の存在が目指すカオダイ教を産んだのでしょう。 一時はタイニンの住民の三分の二が入信していたと言われます。 (田園の中にポツンと高く聳えるバーデン山) 山が近づいてきます。もっと近くに寄りたい、そう思う頃左折して悪路に入ります。暫く走ると教団の街「タイニン」に到着します。街のどこからも教団の塔が望めます。 日本でいえば奈良の天理のような町でしょうか。教団の構内には幼稚園から高等教育施設まで揃っているようです。又聖地らしい佇まいと清潔な空間があります。 質素な生活の中に、巨大で華麗な神殿が聳えていました。 (神殿の塔、外で靴を脱いで神殿に入ります) (神殿全景。細く長いのは、入り口から低位信者、奥に進むに従って高位聖職者、最深部に天眼が位 置する為) 教団の建物は「神殿」と言えば良いのか「寺」「教会」と呼ぶべきか迷ってしまう造作です。 黄色主色とした五色が鮮やかに散りばめられています。只、金色はありません。ポスターカラーでペイントしたような鮮明さです。 そして、この教会かの壁に大きな目が此方を見つめています。この目が「天眼」です。 天眼には「宇宙の原理」「宇宙の至上神」を象徴する意味があります。屹度信者にとっては「人は宇宙の真理の前に立たされて、いかに生きるべきか」糺されるのではないでしょうか。 (壁に描かれた天眼。周囲に蓮のデザインがあるところが仏教的) 人間は神の前で糺されます。「貴方は今日何をしましたか?」「神の期待に背いて、何をしませんでしたか?」形に表われた行為も、心の奥底で描いた邪な想いも。 神は総てをお見通しです。 ですから人間は「神の目」を強く意識し、恐怖します。 「千手観音」があります。正しくは「千眼千手観音」といい、千の手の内側には等しく目がついています。観音様は人を優しく、時に厳しく見つめていてくれます。降三世明王も、軍荼利明王、大威徳明王愛染明王もいずれも三つの目をもっています。三つ目は心の中を見つめているのです。 カオダイ教は人間が最も意識する「神の目」そのものを象徴にいたしました。 神殿の最深部、高い位置からは大粋な水晶体の真ん中に天眼が置かれ、こちらをじっと見ています。 そして、聖職者の帽子にも「天眼」があり、信者を見つめています。 (神殿の奥、高い位置から心眼が人を見つめる) 日本の国はアジアの東の淵にあります。世界の文化が日本に伝播してきて日本固有の文化を形作ってきました。同じように中国から南下した文化はベトナムに伝わり同じように特異の文化を形成したのでしょう。 カオダイ教は1919年、当地の下級官吏であった「ゴーボンチウ」を教祖として発足致しました。 様々な宗教や偉人を混合しています。 人類は長く苦しい目に遭遇してきました。最初に人類救済したのは釈迦、モーゼでした。 二回目の救世主はイエスと老子です。そして三度目の衆生救済を一個の天眼で象徴される至高神たるカオダイ(高台)がおこなうのです。 更に孔子、老子、、ムハンマド、さらには李白、ソクラテス、トルストイ、ヴィクトル・ユーゴーなどを聖人や使徒と仰ぎます。 時代背景は生臭い物があります。 当時はフランスによる植民地化が進み、ベトナム国民の反骨魂が頭を持ち上げた時期であります。 1940年には日本軍の進駐が始まります。1945年には日本の援助下でパオダイがベトナム帝国の独立を宣言します。同年にはホー・チ・ミンがベトナム民主共和国樹立を宣言します。1946年〜54年 フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)が戦われます。 この間カオダイ教は兵団や自治機構を持ち、フランス植民地時代には反仏運動を、インドシナ戦争中にはベトミンと戦いました。1962年ベトナム戦争が勃発するとカオダイ教は米軍に対し抵抗戦線を組織します。タイニン省の一帯は解放戦線の巣窟であり、一帯は激戦地として聞こえていました。 別の機会に報告する「クチトンネル」は250キロに及び蜘蛛の巣状に掘られた地下トンネルで、反米ゲリラの拠点でありました。カオダイの神殿から30キロの位置にありました。 従って、カオダイ神殿はベトナム戦争により粉砕され、現在の神殿は戦後建築された物です。 ガイドの説明によると、一時は300万人の信者数を誇り、教会の外まで信者が群れて礼拝していたそうですが、今ではそれ程の信者数はありません。 見ればお年寄りばかりです。 二十年後、三十年後は建物だけが残されるかも知れない、そう懸念さえしてしまいます。 一日4回の礼拝が行われ、特に午後一番の礼拝には多数の観光客を収容しています。 私たちもこの礼拝時刻に合わせてサイゴンを出発しました。 神殿の外で靴を脱ぎます。そして一列になって神殿二階のバルコニーに登り、礼拝風景を見ることが出来ます。 巨大な心眼が教会の最深部に位置しています。そこから礼拝場が縦長に続きます。最上壇は黄色、赤の法衣を着た聖職者がが位置しています。 頭にはコックさんの様な帽子を被っていますが、その正面に心眼が描かれています。 壇は4層に分かれ、最下段は入り口に近く、真っ白いアオダイを着た信者が礼拝いたします。 4層何れの聖職者も信者も高齢者ばかりです。聖職者の階級制度がある事はカトリックに似ています。 そして、男性信者は右側に、女性信者は左側に位置しています。こうした処に古い価値観を感じます。 (神殿内部。手前白いアオザイを着た信者、奥に行くに従い壇が上がって上位聖職者。二階にバルコニ ーがあって、ここから礼拝風景を見学します) (上位聖職者。最高位は黄色、赤の法衣を着て、天眼の着いた帽子を被っています) (白いアオザイを着た信者。良く見ると高齢者ばかりでした) (礼拝風景を見学する観光客、フランス人を中心としたヨーロッパ人が多いようです) 二階には胡弓を中心とした中国風の音楽団が宗教音楽を演奏しています。 柱には登り竜、下り龍が巻きついています。 正面の入り口にはモーゼの十戒を思わせる光景が描かれています。 ベトナム人、中国人、白人が石版に書き込んでいます。 「天上 天下」「博愛 公平」「Dieu et Humanité」(神と人間性)「Amour et Justice」(愛と公正)と読めます。 額の意味するところは「世界中の人類は、戦争を止めて、博愛と公平を旨とし、人間性を重んじ、愛と公正に生きましょう」そんな風に理解できます。 (宗教音楽を奏でる胡弓楽団) (入り口壁に描かれた壁絵の前、モーゼ十戒を思わせます) (同じく入り口の置かれた聖者像。ベトナム人、中国人、白人) カオダイ教が組織された1919年に日本では生長の家が始まりました。 天理教はその少し前、創価学会は少し後になります。 社会の変革期、民族のアイデンティーが問われる時期に新興宗教は多く勃発します。 カオダイ教は平和で静かなタイニンの村に外から侵略者が攻勢を仕掛けてきた時に起こり、戦火の広がりとともに信者数を増やしてきました。 多くの家族同僚が戦争で命を落とし、大切な農地には枯葉剤が撒かれました。 ベトナム2000年の歴史、そのままに「平和で静かな農村」を守ろうとしたのでしょう。 ベトナム戦争が終わり、共産党の施策が変って社会が平和になるに従い信者数を減らして行きました。 カオダイ教は外部勢力に抵抗する時に勢いが増し、社会が平和になった現代になると勢いを削がれてしまったようです。教祖はベトナムの人々が幸せになるように期待していたのでしょう。 今平和になると忘れられてしまうのは皮肉なものです。 日本の生長の家を初めとした、1900年代初頭の新興宗教はカオダイ教のような壮大な(混在?)視座や社会性を欠いているように思います。ひたすら「個人が救済されれば・・・・それで良い」そんな風に思えます。でも、信者数は圧倒的に多く、存続を疑われる事はありません。 彼我の違いはどうして起こるのでしょうか? ガイドに訊きました「何故カオダイ教は若い人に受け容れられていないのですか?」 ガイドの答えは「私はカトリックの学校を卒業しました。カオダイ教は良くわかりません」 若者の目には、「もうお爺さんお婆さんの信じる古い宗教」と映っているようです。 私のような一見の外来者の目にも「教団の階級制度」「男女の区別」など古い価値観が目に付きます。 また、世界の偉人を包含する大胆さは一方で多くの矛盾を露呈しているのかもしれません。 若い人には受けないでしょう。 でも、強い「民族性や郷土愛」は普遍的なものと思います。 巨大な神殿(教会)の鮮やかさだけが何かむなしく見えてしまいます。 ブログランキングに参加しています。 応援クリックお願いします。
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