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昆虫ウォーキング

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「蝉」と「蟻」

今日も午前中は暑くなると言いますご午後からは台風11号が接近するので要注意との事だそうで、暑さが山を越すのは来週でしょうか?
あんまり暑いので鶉君も夏バテで卵を産んでくれません。ワン君は満天星(どうだん」の樹の根元を掘って体を半分土土中に埋めています。ワン君の暑さ対策なんでしょうが満天星んの樹は迷惑そうです。庭中の地面に小さな穴が開いています。蝉の蛹が這い出した地下トンネルの出口です。穴を見れば、古くはベトナム今はパレスチナ・ガザを想い起します。
戦地は暑さを通り越していることでしょう。
イザベラ・ バードの「日本奥地紀行」を図書館から借りて読みました。 1878年(明治11)6月から9月にかけて横浜から 蝦夷地までの旅行の記録で、明治維新当時の日本の地方の住居、服装、風俗、自然 を良く観察していられます。
日本の暑さにも閉口し、蝉しぐれにも驚いていました。故郷のイギリスではセミは鳴かないようです。
 
私は暑い暑い悲鳴をあげながらも、烏よりはましだろうと思います。
烏は私より遥かに太陽に近くに居て、しかも真っ黒なんですから、
「神は自分をなぜに黒くした!、お蔭で嫌われるし、暑くて困る」・・・・、泣き言を言って居ることでしょう。
でも烏は本来照葉樹林の下闇に住んでいたものです。
そう、八咫烏の様に熊野の樹林に居たから黒いのが保護色だったのです。烏が勝手に森林から出てきて、ヒートアイランドの都会に出てきたから直射日光を浴びているんです。「文句が在るのなら森に戻れ!」突き放されるでしょう。
都会に移り住んで突然変異で白いカラスが産まれたら白いカラスが優勢になる事でしょう。
でも黒い烏は暑くて困ったら川に飛び込んで水浴びすれば少しは冷える事でしょう。恨むべくは「蟻」です。蟻は真っ黒い上に地表に這いつくばっています。地表は50度もあるでしょうから、黒ゴマの様に焼けてしまう事でしょう。
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真っ黒いカラスも照葉樹林の下闇では保護色です。
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水浴びする烏、烏は羽根に着くダニを落としているので、熱した体を冷やすのは序です。
 
夏の蟻を好んで観ていた人とが居ます。画仙人と呼ばれた熊谷守一さんです。
池袋にある守一美術館が氏の住居跡です。その庭に茣蓙を持ち出して茣蓙の上に寝そべって半日蟻さんを観て居られた。歩きはじめるときどの足から動かすか、ご令嬢(熊谷榧氏)は「お父さん日射病になりますよ」心配されてたことでしょう。今なら熱中症ですが。
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 熊谷守一美術館の壁に移された蟻の図
先日土石流の被害に遭った南木曾の近く付知峡が守一の故郷で美術館が美しい里山にポツンと建っています。今度の台風で被害に遭わないか少し心配です。
 
 
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小さな穴は蝉の唆長野這い出した地下トンネルの出口です。その脇に蟻が行列して進行しています。
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蟻とキリギリス:出典ウィキペディア
蝉君は地上に飛び出した1週間ほどで死んでしまいます。地獄に17年忍耐させて、愉しい天上生活は短くて遺伝子に悲惨さプログラムを刻まれたものです。
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地上に飛び出して僅か1週間ほどで蝉はしんでしまいます。
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子供達は蝉の亡骸を解体して巣に運ぶ蟻を見詰めています。守一さんの芽も粉だったことでしょう。
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一匹の蟻が数倍もある油蝉の翅を運んでゆきます。子供もあり君の力持ちに驚いています。
私はイソップ寓話「アリとキリギリスを想い出します。
16世紀初頭に宣教師によって「伊曽保物語」として「ウサギとカメ」等と共に伝来しました。日本の昔話の様に親しまれてきました。でも、「蟻とキリギリス」はルーツがギリシャにあったそうで、英語では「Theophylacti Simocattae scholastici」「蟻と蝉」だったそうだ、それがアルプスを越えると蝉が居ないのでキリギリスになってしまったのだそうです。ですから宣教師は「アリとキリギリス」としないで「蟻と蝉」に戻せばよかったのでした。その方が日本の子供には納得がいったことでしょう。
キリギリスの鳴き声は良いものではありませんし。
夏に遊んでいたキリギリスよりも蝉の方が実感に近いものがあります。
蝉は遊び疲れて望亡骸を晒して、蟻にが解体されている姿を良く見かけますから・・・。もう少し上手に歩けるようになったら池袋の守一美術館に出かけましょう。池袋には先輩のKさんがお住いですからお声を懸けてランチでも一緒にしいものです。
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秋にかけて大きくなるキリギリス。でも壊れかかったバイオリンのようで良い音色とは思えません。
 
 
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庭のカタツムリ

「今年はカタツムリが遅い」感じていました紫陽花が咲いたのにカタツムリはどうしたんだろう?感じていました。
カタツムリは殻をもっていなければ、格好も不細工な単なるナメクジです。でも大きな殻を背負って、ゆっくりゆっくり這っているんで可愛らしさもあり「デンデンムシ」とも呼ばれます。でんでんとは、幼児の時玩具として遊んだデンデン太鼓の事でしょう。
デンデン太鼓を背負った虫という意味でしょう。
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庭に散った落ち葉を積み上げておきます。落ち葉は腐葉土に変わります。自家製腐葉土は植木鉢に何かと便利です。でも、冬場は様々な虫の布団になって、茶毒蛾を筆頭に様々な害虫の温床にもなっています。そして、カタツムリも、甲虫もこの腐葉土を食べて育っています。というより甲虫やカタツムリの幼生が落ち葉を食べて腐葉土に変えるていると言った方が適当なのでしょう。
ですから、我が庭は甲虫も大量に出現して夏休みに子供達の狙い場になっています。
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庭に現われた甲虫も落ち葉の布団が育てたもの
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クワガタも落ち葉が育ててくれます。カタツムリの同様です。
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これは斑猫(ハンミョウ)むしをたべにあつまります。綺麗でいて山猫の様に獰猛でさ卯。何時か庭で玉虫も見られないかと期待しています。
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これもカタツムリのような可愛らしさがあります。
カタツムリは蝸牛と書きます。中国人も食べれば美味しい知っていたのでしょうか。エスカルゴとして食用にする西洋人は理解しがたいものがあります。と言って、イタリアンのお店に入れば、エスカルゴでビールを飲んだものです。決して牛肉の味はしなくて、矢張りタニシや栄螺の貝類の味です。オリーブやチーズやハーブの匂いが強くてエスカルゴ自体の味は判別できません。でも、何故かビールのおつまみはイタリアンではエスカルゴです。
と言って、我が庭のカタツムリはエスカルゴにはなりません。
育っている環境が腐葉土ですから衛生的でなく、体内に線虫を隠しているのです。線虫とは回虫や蟯虫の事で、筆者が小学生のころは検便検査をしていました。
中国産のキムチに入っていた、等として問題になっている寄生虫です。
庭のカタツムリ可愛いので眺めるだけにしましょう。欲を出して、線虫を貰ったら面倒なことですし、
笑われてしまいます。
今日6月28日は日吉で日文研の発表です。準備も万端終えました。子供達も親爺の話を聞きたい、と言って聴講してくれるそうです。集まってくれる友人や家族に感謝しながら、話す事に致します。
人間誰しも自分の意志で産まれた訳ではありませんが、自分の意志で死ぬことは許されていません。自殺すれば多くの人を傷つける事になえリマます。人は生まれた時から大きな荷物「何故生きるのか」を背負わされています。死ぬ瞬間まで神は「答え」を求め続けます。この問いはカタツムリの殻のようです。西洋では「最後の審判」で我が国では閻魔大王の前で問われます。そんな答えを地蔵信仰の系譜と名付けて話すつもりです。
こんな機会が死ぬまで続く事を期待し、この機会が持てたことを感謝してカタツムリのように生き抜く覚悟です。
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茶毒蛾処置

部屋の中から庭木の様子を見詰めます。トイレの窓から北側の垣根を睨みます。
毎年今頃に対処しておかないと大変な事になるんです。我が家は山茶花や椿など花木を多く植えたので、その葉に茶毒蛾の幼虫(所謂毛虫)が発生するんです。未だ幼虫のうちは毛虫たちは群れていますから、駆除も容易ですが、大きくなるとバラバラに行動するようになりますし、毒針も大きくなってしまいます。そうなってからでは駆除も困難ですし、毛虫の被害が通行人にも及びます。
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椿の葉裏に集まって露を避けている毒蛾の幼虫(所謂毛虫」もう写真で見ているだけで筆者は首筋が痒くなります。というのは筆者は毛虫の抗体が体に出来ているからでしょう。一度抗体ができると2度目に毛虫に触れると強い反応が出てしまいます。
通行人への”最低の責任””見える親切”として茶毒蛾処置は徹底しておかなければなりません。家族が痒い痒い言い出してからでは遅いんです。
去年の秋は茶毒蛾の成虫(所謂蛾)は多く見ました。玄関等灯の灯りに集まって来るんです。玄関の壁に毒蛾がピタッと引っ付いています。この毒蛾を食べようと「ヤモリ」出てきて、壁に潜んでいる毒蛾を食べています。毒蛾はその鱗粉に触れるだけで、皮膚は赤くプツンぷつんと炎症を起こしてしまいます。鱗粉の痒さは幼虫の毒針と同じです。
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これが毒蛾です、幅長さとも2センチ足らずの大きさですが、鱗粉でもかぶれてしまいます。こいつが室内に入ってきたら大変です。鱗粉を飛ばさない内に処分しなくてはなりません。室外に集蛾灯を用意するのも賢明です。毒蛾は筆者の家の玄関灯に集まります。一方毒蛾を食べようとヤモリも集まって来ます。
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これがヤモリです。名前の通りの益動物です。写真は脱皮中のモノで香周囲の色と同色に変改して。吸盤が大大きいので、壁にも天井にもくっ付いていて毒蛾を待ち伏せています。ヤモリはまるで忍者です。
 
梅雨の寒い間毛虫は葉っぱの裏に集まって露に濡れないようにしています。集まる事で暖をとっているのかもしれません。集まっている毛虫に近づくと、毛虫は何かしらの気配を感じるのでしょう、ぞろぞろとうごきだします。一匹一匹は小さくても動き出すと全体では大きな生物が動いているように見えます。燕や雀を脅して食べられないようにしているのでしょう。
梅雨が明けて、晴れ間が出る頃になるとと、毛虫は一匹一匹勝手気ままに行動し始めます。夏までに蛹になり成虫(蛾)になり、又卵を産みます。そうなったら、木は葉を食い尽くされ枯れるのを待つだけです。毛虫の毒針は長く持続して、脱皮した残骸だけでも毒があります。脱皮後の毒毛が風に飛ばされるのも迷惑です。
最近の殺虫剤は毛虫を殺すだけではなく、毛虫の死骸から毒針が飛ばないように樹脂が含まれていて毒毛ごと固めてしまうようです。
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毒蛾の幼虫(毛虫の集団生活、黒い胡麻状の排出物が毛虫を探すサインになります。
そんなわけですから毒蛾の幼虫が小さいうちに見つけて処置しておかなくてはなりません。そこで毒蛾の毛虫が好む椿や山茶花を注意して観察します。
地面に幼虫の排出物(黒いうんこ)を見つけるか、若芽が喰われていないか、観察します。そうした証拠が見つかれば次に群れている毛虫を見つけます。
群れている毛虫を見つけたら次は焼き殺すのが最良です。
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毒蛾の幼虫「毛虫」の駆除は焼き殺すのが最良です。やきころせば毒針のある毛も消滅させられます。灯油対丸を毛虫の下から寄せて行きます。
棹の先にぼろ布を針金で巻き付けて灯油を浸み込ませます。
灯油松明を毛虫の下に差し込んで、焼き殺します。
毒毛もろとも焼き尽くしてしまう事がポイントです。
うろたえる毛虫を見るのは残酷ですが、敵は優しい相手ではありません、容赦なく瞬時に勝利しないと毒毛にかぶれてしまいます。
此処で使った写真は去年の毒蛾対策をしたときのものです。
こんな、処方箋も含めて息子に伝授する事に致しましょう。
今朝も私は庭木の表情を見詰めて毒蛾の毛虫が発生していないか細心の注意を払います。
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灯油松明で毛虫も葉っぱも焼き尽くして染むのが駆除のコツです。
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燕の幼鳥も飛び出して、毛虫を食べてくれますが・・・。
 
 
 
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空蝉ゴロゴロ、常楽寺

今年の夏は気象台始まって以来の猛暑のようです。
でも、暑さのお蔭でしょうか? 百日紅は見事な花を咲かせています。
夏は暑くなければ夏じゃない・・・・、とは思いますが・・・・・・、程々にしてほしいもんです。
 
昼日中、建長寺の托鉢さんが、家々を回っておいでです。
強い日差しです・・・、それにアスファルトの照り返し、墨染めの衣も厚い木綿のようで・・・・、
屹度汗びっしょりでしょう。
暑いんだから・・・・、日中は避けて、朝晩にしたら良さそうなのに・・・・、思いもしますが・・・・、
托鉢は家人の忙しい時間は避けておいでなんでしょう。
”心頭滅却すれば陽もまた涼し!” そんな心境で居られるのでしょうか?
 
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       炎天下に鎌倉の街を托鉢行をする建長寺のお坊様
 
今年は蝉の当たり年だ! 言われるほど蝉が良く啼いています。
甲虫は一年で成虫になりますが、蝉は地中生活が7年で、成虫になり地上生活が1週間と言われます。
子供心には、真っ暗な地面の下で7年も暮らすのは大変であろう、
しかし、楽しい地上生活は1週間とは短すぎる・・・・、
大声で啼き叫ばないで、静かにして地上生活を長く楽しめばよいものを・・・・、思ったもんです。
でも、実際は地中生活には危険も無く、寒くも暑くもなく、樹の根っこにしがみ付いて樹液を吸っていれば良いんですから・・・・・・・、
地下の生活は極楽で・・・・、地上の生活が地獄なのかも知れません。
ほんの1週間でも地上を飛び廻って、恋の喧騒音を響かせるのは・・・・、優性遺伝子を残す工夫なのでしょう。
自然の仕組みは総てが理に適っています。
理に適っていない生物は淘汰されて残っていません。
 
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                                                常楽寺は蝉しぐれです。
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    常楽寺境内は高砂百合が一杯です。土の面には沢山の穴が開いています。
蝉の蛹が地下から出てきた跡です。
 
地表がアスファルトで覆われてしまうと、セミの幼虫は地下に潜れません。
神社の境内や、お寺の墓地は土ですから、セミの幼虫の成育場所なのでしょう。
 
円覚寺も常楽寺も境内は蝉の穴が沢山出来ています。
昔よくセミの幼虫を吊あげて遊びました。
地面を、小さな蝉穴を探して回ります。
この遊びのポイントは、未だセミの幼虫が抜け出ていない穴を探すことにあります。
1㎝にも満たない小さな穴を探したら、松葉を逆さにして穴の奥に差し込みます。
蝉の蛹(さなぎ)が羽化するのは夕方からです。
地中から地表近くまで出て来て、未だ陽が明るいうちは地中に潜んでいます。
陽が沈んだらもう安全です。穴を大きくして地上に出現、成虫になるんです。
 
蛹は突然に松葉が目の前に現れると、それを掴みます。
難なく、スルスルと蛹は吊り上げられてしまいます。
蛹を家に持ち帰って、ヨシズにも掴まらせておけば・・・・、夕暮れ時から羽化する光景を見る事が出来ました。
羽化した蝉の成虫は・・・・、初め白く、次第に青色が目だって、最後は茶色になって・・・、
濡れていた翅も乾くと勢い良く電燈の灯りに向けて飛び立ちました。
 
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      大小様々な空蝉がお茶の木に絡んでいます。
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      戯れにお猿さんに空蝉を向けてみました。常楽寺の標識を兼ねたユニークな庚申塔です。
      一匹の猿さんに「見ざる、言わざる、聞かざる」を表現する為・・・・、1匹の猿が顔を土に埋めて
      しまったのです。”ロバの耳は王様の耳”の様にして猿さんは地中に向けてこう叫んでいます。
     ”僕は○○さんの悪事を見なかったよ! 聞かなかったよ!話さなかったよ!”
 
 
後には蝉の脱けた殻が残されました。
古いセルロイドのような、蝋質の無気味な脱け殻です。
これを空蝉と呼びます。
古代人もセミの脱け殻には強い感慨を持って見詰めていたことでしょう。
 
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     常楽寺の高砂百合の花
 
                            
昆虫はどれもこれも変態をして姿を変える・・・・・。
卵から幼虫、幼虫から蛹、蛹から成虫に・・・・、どれも姿形が違うし、食生活も生育環境も違う。
どれが、本来の姿形なのか・・・・、どれが本来の生き物なのか解りません。
若しかしたら・・・…、自分(人間)は今の姿形であっても、前身は違う姿をしていたのかも知れない。
まるで、蝉がその前に蛹であったように・・・・・。
 
蛹から蝉に脱した殻を「空蝉」と呼びました。
空蝉はセミの脱け殻の意味ですが・・・・、
「現在の姿は仮の姿であり、何れまた違う姿に変貌する」
そんな輪廻観が言葉の後ろにあるのでしょう。
蝉時雨の大音響が刹那のものだ・・・、思うと無常観に浸ります。
 
 
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   常楽寺羽目板にも空蝉が・・・・。
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                                  常楽寺阿弥陀三尊像
 
 
女(源氏物語・空蝉)は元々上流貴族の娘として生まれました。
器量は良い訳でも無ったのですが、たしなみ深い、趣味も良い女性でした。
でも父が早逝した事から、冴えない地方官の後妻として迎えられます。
前妻の娘(軒端荻)とは略同じ年、でも仲よくして碁などを打って遊びます。
ある日の夕刻、方違中を狙って源氏が忍んできます。
空蝉は貴公子の来訪を喜んで、情を交わしてしまいます。
 
女(空蝉)のたしなみ深さに惹かれた源氏は再び訪れます。
源氏の訪れを察した空蝉は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去ってしまいます。
その晩は、源氏は心ならずも軒端荻と契ってしまいます。
仕方なく、女(空蝉)の匂いの残る薄衣を持ち帰ります。
そして、女(空蝉)に歌を送ります。
  空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな
   (まるで蝉が脱皮して飛んでいくように、貴方は衣だけを残して逃げてしまわれた。
    でも衣に貴方の温もりを感じます)
返歌が届きます。
  空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな
   (私は貴方を無視し続けましたが、本当はそんな貴方の情熱が嬉しくて、涙したんですよ・・・・)
 
その後、関谷帖で二人は再会致します。
夫を亡くした空蝉は出家します。
源氏は尼になった空蝉を迎えて住まわせます。
空蝉は作者紫式部その人ではないか? 言われています。
 
蝉は小さな体で大声を上げ続けます。
それも、子孫を残す為です。
地上で1週間、鳴き続けて・・・・・・、息き絶えます。
その遺体は地上に転がります。
悪食の烏も見向きませんから・・・・、蝉は美味しくないのでしょう。
 
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   本堂脇に転がっている蝉の遺体。これを蟻は次々に解体して巣に運びます
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     蝉の蛹が出てきた穴の傍を行列する蟻。本堂と墓地の間に蟻の巣がありました。
 
地上に転がった蝉の遺体は、蟻が解体して巣に運びます。
冬の食べ物に貯蔵するのでしょう。
アリとキリギリス・・・・、ならずとも蟻と蝉の関係です。
 
蝉の体を解体した蟻は列をなしています。
蟻の巣は常楽寺本堂裏にあります。
其処には沢山の蟻地獄が、蟻が落ちてくるのを待ち構えています。
食物連鎖も・・・・、輪廻も良く似たもののようです。
輪廻の何処を切ってみてもその断面は・・・・、空蝉の「空」のようです。
 
 
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6月7日は昨夜来の小雨が降っていました。
これで、絶え絶えの我が家の紫陽花も一息ついて、色づく事でしょう。
私にはもう一つ、楽しみがあります。
蛍狩りに出かける事です。
例年なら、家内と仲良く出かけるのですが、今年はお出かけです。
夕食を早めに終えて、夕闇を待って、一人で出かける事にしました。
行く先は、瀬上池の遊歩道です。
 
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   瀬上池の遊歩道、左の渓流沿いに蛍が舞って、右の棚田にまで広がります。
   菩提樹の下をジョギングする人がすれ違います。
 
瀬上遊歩道には、4日ほど前にも、蛍の様子を確認に出かけました。
 
昭和30年代までは棚田があって、畔には桑の樹を植えてある、何処にもある風景だったのでしょう。
だから・・・・、この谷戸は蛍も舞っていました。
ところが、近隣の開発が進んで住宅や公園墓地に造成されてしまいました。
円海山の西陵だけが取り残されて・・・・、「上郷瀬上自然公園」になりました。
忘れ去られていた棚田もボランティアが掘り起こして・・・・・、蛙もトンボも増えてきました。
そうして、蛍も年々増えて・・・・、5年前はピークでも500頭だったものが、昨年は1300頭にも増えました。
1300頭というのは、瀬上の渓流約1キロ強の間に、目測して1500匹の蛍が舞っていた・・・、という事です。
ですから、見渡しの良い場所なら「一目百頭」出来る訳です。
 
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   遊歩道入口で開発反対の署名運動する人たち。子供連れの若いお母さんが目立ちます。
   蛍が自生する環境は子供の体に心に・・・、良いに決まっています。
 
遊歩道入口で「上郷瀬上の自然を守る会」が署名運動をしていました。
昨年、東急建設が開発申請(33ha/市街化調整区域)し、その協議が進行中なのです。
同社は宅地にするのは三分の一で、残りは緑地で残す・・・、提案しているようですが、
今のままで、今の調子で自然の回復をすることが何にも勝るのです。
訊けば、8万人の署名が集まって、目標は15万人だそうです。
 
中田前市長の平成20年、「横浜緑税」がスタートしました。
市民税の均等割りの上乗せとして900円/一人を「緑税」として徴収しようとするものでした。
最初は900円/年だったものが今では3900円/年に増税されています。
 
28億円もの税収は何処に使われたのか・・・・、
新税スタート時の文書には「平成16年31%あった緑被率が平成21年には29%になってしまった・・・、だから緑を守るために新税を認めてください!」
案内されていましたが・・・、もう緑被率の言葉さえ使われていません。
30%を遥かに割ってしまったから・・・、公表できないのでしょう。
 
「せめて、瀬上の蛍を守れないようなら・・・、緑税は廃止しようじゃないか!」
そんな声も聞こえて来そうです。
 
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                                          遊歩道の周りには桑の木が目立ちます。
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                                              桑の実、山蚕の繭がありました。
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                            桑の梢から落下してきた甲虫は蛍でしょうか? それとも・・・・。
 
4日前私は、桑の実を取りました。
昔はこのあたりも農家の副業で養蚕が盛んでした。
旧家を見れば軒裏が高くて、養蚕をしていた記憶を留めています。
蚕が食べるのが桑の葉です。
桑の木はそこらじゅうに植えてありました。
その桑が忘れられて野放図に伸び出してもう40年になります。
だから、桑の大木になろうとしています。
桑の実は…、野鳥も見放したようで・・・・、誰も取りません。
私が子供のころは、舌が真っ青(紫)になるほど食べたものでしたが・・・・・。
 
桑の実はポリフェノールが含まれる事から・・・、抗ガン食として見直されています。
昨年胃癌の手術をした私ですから・・・・・、桑の実を戴こう・・・、ジャムにしようか・・・・、
採取しました。
梢を見れば、山蚕(やまこ、天蚕とも呼ぶ)の繭があります。
もう、虫は這い出てしまっていて・・・、この桑の木のどこかで葉っぱを食べて育っているのでしょう。
山蚕をそのまま大きくしたものが怪獣の「モスラ」でした。
モスラとゴジラの決闘にワクワクしたものでした。
モスラは東京タワーに繭を作りました。
山蚕を見ると、私は懐かしさで一杯です。
 
山蚕に手を伸ばすと・・・・、私の手に甲虫が一匹落ちてきました。
見れば、蛍(雌)のようにも見えます。
蛍は幼虫の時はカワニナを食べるのですが・・・・、成虫になると桑の実を食べるのでしょうか?
一寸した驚きです。
 
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                                       30分ほどで採れた桑の実です。
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     毎朝手作りの桑の実ジャムを食べています。右上の瓶半分ほど作ったジャムですが・・・・、ブルーベリー
     のジャムと同じようなお味です。
 
 
本題の蛍です。
源氏ボタルの数の多い事に驚きです。
加えて・・・・・、昔は瀬上池の下辺りにしか居ませんでしたが・・・、
今は下流の民家の軒先にまで舞っています。
 
ボランティアの人に訊けば、
「今日は1300頭は超えているだろう・・・、
今日は東京から来た人も多いのだが、宮崎から見た人も居る。
有名になったものです」
言われます。
 
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蛍の写真、筆者は三脚を持参していなかったので詰まらない写真で、
蛍の美しさを写せませんでした。次のブログを推薦します。http://teishoin.net/blog/002075.html
 
子供も大人も嬉しそうです。
手を伸ばすと、指先に止まります。
でも、人の体温は蛍にとっては火傷をするほど高温です。
直に飛んで行ってしまいます。
 
子供が言います。
「蛍は良い人の処に来て止まるんだよ・・・、ほら私の処に来て止まった!」
見れば子供は草の葉を手折って、蛍の先に奉げています。
蛍は「飛び疲れた、丁度良い休憩所がある・・・」
そんな風に止まるんです。
この子は頭が良いなあ感心します。
私も真似しようかな・・・、すると子供が指差します。
「叔父さんのズボンにも止まっているよ・・・・!」
見れば、裾に止まって、光っています。
この子に言わせれば、私も良い人という事でしょう。
なんだか、心底嬉しくなりました。
     
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       木道の上で休む山赤ガエル。こんなところでのんびりしていると鷺やカケスに食べられちゃうぞ! 
 
蛍も蛙の合唱も賑やかです。
殿様蛙と山赤蛙です。
どちらも希少になっている・・・、噂には聞きますが・・・、もう夥しい数の合唱です。
蛍が増えているのも、蛙が多いのも、屹度棚田を復活させたからでしょう。
葦原のままであったら・・・・・、蛍も蛙も増えなかった事でしょう。
 
人間が少しだけ自然に手を加える・・・・、
作為的に農薬や肥料を加えないで・・・・、欲張らないで収穫する・・・、
そうする事に依って、蛍も蛙も増えて行くのでしょう。
里山の田圃こそ最高のビオトープのようです。
 
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              此方も俵グミは人も野鳥も見向きません。もうじき落果してしまう事でしょう。
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       渓流沿いには雪の下が咲いていました。この葉裏には蛍が隠れていて、
       夜になると飛んで出て優雅に舞うのでしょう。
 
 
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