|
鎌倉の辻には六地蔵様がを良く見かけます。
由比ガ浜通りと御成通りの交差点の六地蔵さんは和田塚辺りに処刑場があったから・・・・、
刑場に露と消えた方を祀ったと伝えられています。
そして、玉縄の「首塚六地蔵さん」にも悲しい謂れがあります。
大永6年(1526)11月、南総の里見義弘が鎌倉に攻め入りました。
鶴岡八幡宮を落として、北条氏の玉縄城に攻めあがります。
玉縄城主は北條氏時(早雲の孫)、豪士大船甘糟等を従えて柏尾川の西岸で迎え撃ちます。
柏尾川の川原で激戦が繰り返されました。
北条方は里見を打ち破り潰走させます。鎌倉は兵火から免れました。
この時の戦死者の首を両軍から預かり、首塚に収めて、敵味方無く祀ったものでした。
(昔は敵将の首を打ち落とし戦功を上げた証拠としました)
玉縄首塚の六地蔵さんは彼等を弔ったものでした。
「チッ・チッ」
(柏尾川の精霊流し)
雪が降りました。
六地蔵さんが雪景色の中でどんな表情かしら・・・・遣って来たのでしたが、雪は溶けるのが早くて期待通りではありませんでした。
やむを得ず、柏尾川を上流に遡ることにしました。
雪開けの好天気、一晩経ったら春の陽気です。
川べりには様々な野鳥が戯れています。
「鴨」は生え出し水苔を食んでいます。
もうじきシベリアに帰るのでしょう。
カイツブリやカルガモは仲良くしていますが、お別れです。
(生え出した水苔を食む鴨夫婦。もうじきシベリアに帰ります)
(子育ても終えて、またカップルのカルガモ夫婦。此方は留鳥です)
セキレイはせわしなくあっちこっち飛び回りながら、尻叩きをしています。
もうカップル探しなのでしょう。(セキレイの尻叩き:尾羽をチョンチョン上下させる行為、生殖行為を思わせる)
護岸の上にはカワセミが水面を見詰めていますし、護岸の下の草叢には水鶏(クイナ)が隠れています。
田鴫(タシギ)は日向に出てきて、なにやら一生懸命食んでいます。
クイナもシギも春になれば姿を消してしまいます。
(日陰でジッとしているクイナ、周りは氷柱がまだ溶けないでいました)
私はセキレイを目で追って行きます。
川原には小石が洲を作っています。
其処に思いがけなく「白千鳥」を見つけました。
私の視線に気づいたのでしょうか、白千鳥は静止していましたが、またやおら動き出します。
脚を跳ねるように使って、ピョン・ピョン飛び跳ねます。
「ああ、これが千鳥足か!」想いおこします。
サラリーマン時代は酒に酔っては千鳥足で帰ってきました。
(今日のテーマは白千鳥。柏尾川の洲で確認しました)
向こう岸を眺めると「小千鳥?」らしき姿も確認できます。
私は童謡の「浜千鳥」を口づさみます。
青い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が 波の国から 生れでる 濡れたつばさの 銀の色 (千鳥は千鳥格子を初め蒔絵、手ぬぐいなどの模様に多く使われています)
千鳥は悲しい情景を想いおこさせます。
柿本人麻呂は次のように歌いました。
千鳥の泣き声が「チッ・チッ」と物悲しいからでしょう、・・・加えて姿形が丸型で可愛らしいからでしょうか・・・・。
(千鳥は冬の季語ですが、夏の暖簾にも使われています。「波に千鳥」は日本人の普遍的模様です)
水辺の鳥は物悲しさを催させます。
千鳥も鴫も日本人の情感に強く訴えてきます。
西行法師は河口に近い鵠沼で・・・・歌いました。
心なき身にも哀れは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮れ
(田鴫、西行法師の鴫立沢はこれだと確信しています)
川原は賽の川原を想いおこさせます。
川(三途の川)を越えれば向こうは「あの世」です。
薄幸に早逝した子供、突然流行り病に亡くなった身内、戦争で落命した名も知らない人・・・・、
様々な魂が川原にとどまって、「チッ・チッ」と啼いて・・・・彷徨うがように歩いて・・・・・いるのでしょう。
だから、日本人は千鳥や鴫に思い「無常観」を託したのでしょう。
柏尾川に千鳥が戻ってきている・・・・、
嬉しい限りです。
文化は自然と伴ってこそ、意義があると思います。
歴史資産は自然資産と共に大切にしたいものです。
書き終えたので、これからYOUTUBEで筝曲「千鳥の曲」を聴いてみましょう。
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。 ↓
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




