仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

湘南ウォーキング

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

遊行寺の大銀杏

12月4日(水)予定通りに遊行寺に大銀杏の黄葉を観に出かけました。
我家(戸塚倉田)から遊行寺に行くには建設中の都市計画道路(柏尾遠藤線)の脇を通ります。田圃の中を都市計画道路が突っ切っています。この田圃には隼(長元坊やのすり)が渡って来ます。落ち穂を食べる鼠や小鳥が隼の狙いなのです。一昨年まで私は仲間と一緒に見詰めていました。仲間はどうしているか?車窓から覗いても誰も出ていません。今年は隼は出ていないのかも知れません。来年にはバードウォッチングに復帰したいものです。
都市計画道路は道祖神を排除しなければなりません。何処に遷座するのか心配です。常識的には田谷の御霊神社か柄沢神社の境内でしょう。横浜市は緑税を新設したのに、緑地は急激に減少し4割の大台も切ってしまいました。緑地を減らしてできた宅地は土砂崩れの危険をはらんでいます。もう、都市計画道路は充分です。明日の横浜の為には緑を残すことであって道路を増やすのことではないでしょう。
イメージ 1
田谷の田圃を飛ぶ隼(長元坊)。
イメージ 2
雉も現れ子育てします。
イメージ 10
田谷の道路端の道祖神相模では珍しい彩色双胎道祖神です。この石仏が何処に行くのか心配です、この辺りは造園業者が多いので、業者のトラックで持ち去られないか心配もしています。要するに都市計画道路は財政破たんを招くばかりでなく自然も文化も総てを破壊するのです。
車は遊行寺に入りました。境内東端の駐車場に駐車します。期待の大銀杏は見事に黄葉しました。一瞬声を発するほども見事さです。例年は単純に黄色く染まるだけなんですが今年は黄色を通り越して金柑の色に見えます。今日は青空が底抜けなので群青です。空が青いと黄色は橙色に見えるのかも知れません。車の屋根にゴトン・ゴトン落ちてくる銀杏のぶつかる音が響きます。
駐車場の脇に敵味方供養塔が祀られています。中先代の乱で失われた武士や牛馬の死を弔った供養塔です。石塔の先端が槍のように尖っているのは。悪い事を思い出させるようで好きになれません。刻むにおは「南無阿弥陀仏念仏」だけで十分だったように思えます。
イメージ 4
遊行寺の大銀杏本堂の手前右に一遍上人像が合掌姿で迎えてくださいます。上人の目線の位置に大銀杏がそしてその彼方に富士山が見えます。
イメージ 3
フェンスの向こうが敵味方供養塔、地面を覆っているのは銀杏の実です。銀杏は種を食用にするもので銀色の杏と書きます。銀杏の実が算盤の珠の形をしていますが銀杏の材を加工して作ります。これは偶然でしょうか?算盤も研鑽を積めば大きな銀杏の木に成長するの意味でしょうか?
ワイフに銀杏の実を拾ってもらいました。去年は東慶寺の銀杏の実を拾いました、今年は遊行寺で拾って食べる予定です。遊行寺の銀杏を食べれば福が体に充満味りんすること間違いなさそうです。息子は車が臭くなると不満気です。
境内略中央の大銀杏の下に佇んで大樹を見上げます。それにしても見事な樹形です。全体で宝珠のように見えます。何で宝珠になったのか、説明は樹下の看板に書かれています。 かつては樹高が31mもあったが、 昭和57年(1982)の台風で上部半分でが折損してしまい(現樹高16メートル)ました。折れた部分を確認すると幹は空洞であり。髄は炭化していたそうで。落雷して焼けて弱くなっていた所に台風が災いして真ん中で折れたのでしょう。でも落雷に台風厄災く際に耐えた結果、現在のように尊い宝珠の姿になったのでした。加えて幹は年々太って平成4年に計測須た結果では710㎝になっていたそうです。。樹齢は700年だそうです。
イメージ 5
大銀杏は横から見ると繭玉のように見えます。浅草のアサヒビールの広告等のようにも見えます。
イメージ 6
大銀杏は一遍上人像本堂から見れば宝珠の形をしています。大銀杏の受精に衰えが見えないのは地面をアスファルト舗装していないからでしょう。土を大事にして陽が当たれば木は育ちます。
私は樹下で銀杏の乳根を見上げます。樹に瘤が出来、瘤に養分が蓄積して垂れてきたような格好をしています。これを銀杏の乳根と呼びます。私の祖母は岡目顔で巨乳でした。一緒にお風呂に入ると。湯船の中でお乳をヨイショトと肩にかけました。そして自慢げに私に話してくれました。お父さんもこのお乳で育ったんだよ、それにお前が泣き止まない時はこの乳を吸いながら寝たもんだよ。お乳は出なくても吸わせておけば嬉しそうにして寝たもんだよ・・・・。」
私は垂れ下がったお乳を思い出さない様に目をそらしたのでした。でもこんな思いは古代から想っていたのでしょう。垂乳根は「母」の枕詞に母の漢字も父が二つ付いていますし。地獄の奪衣婆も立派な乳が垂れています。
イメージ 9
自由が丘に近い九品仏浄真寺の奪衣婆像。地獄の入り口で傍受己着物を剥いで生前の罪の重さをはかるのが奪衣婆の役割です。怖い存在なのですが何処で見ても少しユーモアがあります。
閻魔大王像は怖いものの、その脇の奪衣婆は何処か親しみ深い表情をしているものです。
遊行寺の大銀杏は雄の木ですから銀杏はなりません。でも乳は立派に垂れています。人間の雄の乳は役に立ちません…そう思ってお風呂で乳首を弄ると微妙な感覚があります。
人間は男女に分かれてホルモンの分泌自体が区分されてしまったのでしょうが化石生物である銀杏は雌雄の分化が進んでいないのでしょう。成長過程で男性から女性に転換したい思う人も増えているようです。男の乳の研究も進むのかも知れません。無謀な性転換手術に依らなくても刺激やホルモンによって男性の乳も立派な紡錘形に転換出来るのかも知れません。
イメージ 7
遊行寺大銀杏の乳根、未だ発達途上のように見えます。折れた窪みに寄生している蔦を伐採する必要があるようです。
 
年前山形の庄内空港に近い東根に日本最大の欅を観に行ったことがありました。湯殿山のミイラを見学した帰りでした。大樹のパワーに圧倒されました。欅でさえ圧倒されたのですから銀杏ならどんなに凄かろうと思ってネットで大銀杏を検索すると青森の角館にそれはありました。何時か拝みに行きたいものだ思いました。乳根の迫力もものすごいようです。
イメージ 8
これが日本一の大銀杏出典と詳細はhttp://fujita244.blog.fc2.com/blog-entry-447.html幹回りは22メートルもあるそうです(角館)
 
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

 
6月15日は「父の日」ということでしょう。朝5時から観戦していたサッカーも終わって落胆していると息子が「さあ!出かけよう」誘ってくれました。今年は菖蒲を見ていません。私は菖蒲を見に出かける事にしました。問題は何処の菖蒲を見るかです。
海蔵寺にも建長寺にも菖蒲は見事に咲きます。勿論明月院は最高です。
問題は私が安全に歩けることです。
暫し考えて、遊行寺の内苑の花菖蒲を観に行く事に致しました。私は禅宗のの寺の生まれでですが年齢と共に一遍上人に傾倒するようになって来ました。私の生活圏に遊行寺がある事は実に幸いです。毎年正月には遊行寺を詣でカレンダーを戴いて帰ります。。一遍上人行状絵巻(国宝)が印刷されていますので上人のお姿を見ながらそ1年間を過ごす習慣がついています。。今年の正月は入院していましたが娘が私に代わって参詣してくれて、カレンダーも戴けました。
イメージ 1
明月院方丈永遠の花菖蒲、八橋の意匠を楽しめます。
イメージ 2
蔵寺の花菖蒲、ぽっちゃりして可愛いところが魅力です。
放生池の畔には杜若が咲いています。
菩提樹は今が花の盛りで、座禅石の上に無数の花を散らしています。
芳香が境内に漂っています。
そうお線香の香りです。
それにしても巨大な菩提樹です。樹下に佇んだだけでもピラミッドパワーが身体中に漲って来ます。座禅石の上に座ったらどうなるだろう?楽しみです。
何時か足が治ったらお寺さんに許可を戴いて座ってみたいものです。
菩提樹の脇に中雀弱があります。
菊の御紋が燦然と輝いています。そう遊行寺は天皇の行在所(あんざいしょ、天皇がお出ましになるときの仮の御殿)であったので、明治天皇を迎える為に用意された門なのです。 
イメージ 3
遊行寺の菩提樹、背後は中雀門この樹下に大きな座禅石が置かれています。
 
中玄関から寺務所建物に入ります。
回廊と階段を巡って奥に奥に入ります。
書院建物が三棟あって、その真ん中が庭になっています。
中央の書院が天皇がお泊りになられた、ものと思われます。西郷隆盛や岩倉具視などの随員は南側の書院に泊まったと思われます。随員らが天皇の面会を得るには渡り廊下をめぐってくるようになっているのです。私達は渡り廊下に設えられた縁台に座ってお庭や菖蒲を愉しみます。長い廊下も歩き切りましたし階段も無事に上下できました。遊行寺は完璧なバリアフリーです。
正面に池がその向こうに小山が見渡せます。季節遅れの鶯が盛んに囀っています。。燕が目の先をかすめて飛んでゆきます。鳥たちは子育てに忙しそうです。ゆっくりできているのは私達家族だけのようです。今年の花菖蒲も見事に咲いたようですが。今週でお終いのようです。来週になったら雲水さん等は菖蒲田の手入れに忙しい事でしょう。そのころはもう梅雨明けして酷暑かも知れません。毎年毎年綺麗に咲かせるにはお坊さんの丹精も大変な事でしょう。
そう思うと花菖蒲に手を合わせずばいられない気がしてきます。
菖蒲花(はな)に聞きながら育てられし花菖蒲、天皇(すべらぎ)に見られずとも今年も咲きたり
イメージ 6
イメージ 4
3棟ある書院を渡り廊下が繋いでいてその下が菖蒲田になっています。右奥が天皇の行書所になっていたと思われます、左に行けば二棟あって、随員の宿所になっていたと思われます。
 
イメージ 5
今年は黄色い菖蒲が目立ちました、後ろの書院が随員の寝所になったと思われます。
イメージ 7
渡り廊下に設えられた縁台に座って菖蒲を愉しみます
帰り際にかんた村(鎌倉の石井家が営む有機野菜販売所関谷にある)に立ち寄り鎌倉野菜を求めて帰ります。
一際綺麗な蕪はラディッシュ、アヤメなんて名づけられた美女風の蕪もありました。今日は車ですから野菜を充分求めて帰ります。家内は蕪の味噌漬けを試食して求めました。今夜も夕食が楽しみです。
イメージ 8
一束100円のラディッシュ
イメージ 9
アヤメとい名付けられた蕪(辛味大根のようなお味です)
花より団子と言いますが、私たち夫婦は「花より野菜」のようです。
 
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
 

弁慶塚の大樹

兄頼朝の怒りを買い、義経は奥州平泉に匿われます。
ところが、藤原泰衡に裏切られ自刃したと伝えられます。
文治5年(1189)の事でした。
義経の首は黒漆が塗られた櫃に入れられて、鎌倉に送られます。
頼朝は首確認のために梶原景時、和田義盛を使わせます。
腰越(?)で二人は義経の首であることを確認して、頼朝に報告します。
 
義経の首は沖に流されて行きます。
その首は金色の亀に乗って境川を上って、鵠沼に打ち上げられます。
鵠沼の漁師が義経の首を拾って、井戸で洗い、葬ります。
ところが、鎌倉では天変地異が続きました。
頼朝は義経の霊を鎮魂するため、白旗神社の建立を命じます。
白旗神社の周囲には、義経首塚をはじめ幾つもの遺跡があって、
悲話を伝えています。
 
イメージ 1
   白旗神社の海側、境川に近い「義経首洗い井戸」手前左には義経塚が移されています。
 
 
義経悲話には必ず弁慶が影に寄り添います。
小男の義経に従ったのは大男の弁慶・・・・・、
二人が揃って歌舞伎「義経千本桜」「勧進帳」等が創作されました。
弁慶は衣川を見下ろす高舘で義経の最期を守りながら、
全身に矢を受けて命が果てたと言い伝えられています。
ですから、弁慶の首も義経と一緒に鎌倉まで送られたか、解りません。
でも、白旗神社やその周囲には弁慶の遺跡が幾つも残されています。
 
イメージ 2
  白旗神社の境内にある弁慶の力石。
 
白旗神社の社殿の脇には「弁慶の力石」が残されています。
大きな力石ですから・・・・、持ち上げる事は困難です。
だからこそ、弁慶力石の名が付いているのでしょう。
お祭りでお神輿を担いだ力自慢がトライして、
”弁慶さんには敵わない” 言った事でしょう。
 
藤沢本町にある常光寺の裏には「弁慶塚」があります。
義経首塚、義経首洗井戸、白旗神社の南側ですから・・・・・、
まるで義経を守るような位置です。
死して後も義経を守り続けているんだ・・・・、弁慶の志を伝える様な「弁慶塚」です。
 
イメージ 4
   藤沢本町の常光寺の墓地にある弁慶塚。(奥の木の祠)今日の話題は手前の大樹です。
 
弁慶塚は小高い丘の中腹に祀られています。
周辺は弁慶の祟りを畏れた為でしょうか、開発が控えられて樹林で守られています。
入口には銀杏の大樹があります。
この銀杏の姿が惨じいのです。
太い幹がありますが、中は空洞です。
空洞の中に入って見上げれば、幹の内側は炭化しています。
少し離れて見れば・・・・状況が推測できます。
或るとき、雷が銀杏の大樹に落ちたのでしょう。
雷光が瞬き、大音響が轟いて、電気が幹を真っ二つに裂いて大地に流れました。
幹からは火が噴きました。
でも、銀杏は防火樹です。
滅多な事では焼けません。
一瞬火を噴きましたが、直に鎮火させてしまいました。
 
幹は焼けても、皮も根も生きていました。
銀杏の生命力は少しも衰えず、樹皮を太らせて新しい幹を育てて生き長らえました。
 
 
イメージ 5
   弁慶首塚入口、看板の後ろの銀杏の大樹が今日の話題です。
イメージ 6
   銀杏の大樹は南半分が腐ってしまっています。幹は雷が落ちて裂けてしまっています。
イメージ 7
 大樹の幹には洞が出来ています。内側は落雷の際に火が噴いたのでしょう、炭化しています。
 
弁慶の首塚は鎌倉石を積み上げた石段の上にあります。
石段を登り切った処にも大樹があります。
此方は「タブの樹」です。
樹皮は蚊取り線香や仏前のお線香にする・・・・、タブの樹です。
此方は、雷が落ちた訳ではなさそうです。
でも、幹は腐ってしまって洞になっています。
洞は南側(山側)から広がっています。
でも、大木が倒れないように、樹皮が太って、お相撲さんが四股を踏むような格好で耐えています。
その姿が、一人で泰衡の大軍を迎え撃っている弁慶のような迫力です。
 
イメージ 8
 弁慶塚は常光寺の墓地の一角、石段の上にあります。
 次の話題は石段の上右手にあるタブの大樹です。
 
弁慶塚は表面には細工が為されています。
先ず、表面に刻まれていた諸々の字が削られています。
その上に新しく「弁慶塚」と刻まれています。
白旗神社でさえ最初は相模の国つ神「寒川比古命/相模神社」が祀られいたのでした。頼朝の命令で寒川比古命が義経に主祭神の地位を譲ったのです。
墓標が誰かから、弁慶に移されたのでしょう。
イメージ 9
    弁慶塚、元々は誰かのお墓を削って作り変えたと思われる細工が透けて見えます。
 
 
江戸時代、歌舞伎で義経・弁慶主従が人気になって・・・・、
この常光寺の墓地の一角を「弁慶塚」と呼び始めたのかも知れません。
大樹が鬱蒼と茂る雰囲気が弁慶を髣髴させたのも・・・・・
弁慶塚の名の起こりかも知れません。
 
イメージ 10
  死んでも義経を守った弁慶を思わせるタブの大樹。弁慶タブとでも呼びましょう。
 
弁慶のような青面金剛(庚申塔の主尊)が幾つも並んでいました。
 
イメージ 11
   弁慶のような庚申塔(腰越)
イメージ 3
      此方が弁慶塚の庚申塔、すこし滑稽な感じですが・・・・・。
 
 
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
 

桂の落ち葉の季節

立冬も過ぎて落ち葉の季節になりました。
今日は我が町の鎮守さんで7・5・3の祝い神事が行われます。
盛り立てる為、毎年農家の実方さんが鉢植えの菊を飾ります。
先日今年の花の状況を聴くと、怒っていました。
『今年は菊の育ちが悪いので困っていた。農協から腐葉土を購入したんだが・・・・。
”若しかして?” 思いながら、菊の根を確認してみると、
ゴロゴロと甲虫の幼虫が出てきたんだ!
その幼虫が菊の根に悪さをしていたから・・・・菊が育たなかったのだ。
慌てて、自前の土に植え替えたのだそうだが・・・・、気付くのが遅かった。
今年は期待しないで欲しい・・・。』
言っておられた。
 
園芸用の腐葉土も天然で作れば、甲虫も卵を産むであろうが・・・・、
それじゃあ、園芸用としては不適格・・・・・、品質管理も難しいものです。
 
イメージ 1
                 子之八幡社の753祝神事に飾られる菊鉢。農家の丹精の賜物です。
 
「焚火」という童謡があります。
”垣根の垣根の曲り角、焚火だ焚火だ落ち葉焚き・・・・”
そんな、季節感ある童謡です。
 
でも、横浜では焚火は出来なくなってしまいました。
落ち葉は土に戻すか、ゴミとして捨てなくてはなりません。
一昔前までは、河原で野火が見られましたし、
田圃では脱穀した後の籾殻を焼いていたもんですが・・・・、
焚火禁止ですから見ることも出来ません。
都市化が進んで、焚火に依る混乱を未然に防止するためか、
CO2削減の為か、良く解りません。
 
イメージ 2
                  これが桂の樹です。(遊行寺の放生池の畔で・・・・)
 
一番早く色が黄葉して、落葉するのは「桂」です。
木を偏にして、佳いと書いて「桂/かつら」と読みます。
日本人はこの字を見て、桂の事だ、確信したのでしょう。
漢字をうんだ中国では「桂」の字は金木犀を表現していました。
中国では、”芳香が素晴らしい良い木だ” そんな評価だったのでしょう。
日本人は、木肌は美しいし、細工もし易い、版木にも仏像にも、お椀にもなる・・・、
そこで、この字を「かつら」にあてはめました。
 
イメージ 4
  鎌倉中央公園の桂の林。桂の落葉は味噌を醸造する時の香りがします。
イメージ 5
                  藤沢新林公園にも桂が多く植樹されています。
イメージ 6
   新林公園のランドマークツリー「ラクショウ」。曙杉の弟のような樹です。
 
鎌倉彫の原材料になる桂ですから・・・・、湘南には桂は目立ちます。
鎌倉中央公園には見応えのある桂の林があります。
新林公園にも桂が欅と混植されています。
どちらも樹齢は40年程度でしょうか、もう壮年の風格があります。
もう、大木ですから手入れも大変です。
ソロソロ倒木して、学校教材の版木にしたら良いだろう・・・・、思います。
勿論伐ったら、また新しい木を植えて、40年後に版木にするのです。
 
イメージ 7
  遊行寺の中雀門の上に茂る桂(左)と三宝松(右)。
イメージ 8
  遊行寺は保育園児の遊び場になっていますから、境内の宝篋印塔も半分倒されています。
  その向こうに茂る桂。
 
 
一番大きな桂の樹は遊行寺にあります。
放生池の畔に大木があるんです。
お隣が三宝松です。
松は青々しているのに対し、桂は黄葉して、落葉も進んでいます。
松は針葉であるのに対し、桂は心臓の様なハート形をしています。
ことごとく対極にあるような樹が二本、青空に向かって梢を拡げています。
三宝松は多分密教で使う「三鈷」に由来し、魔除けの意味があるのでしょう。
お正月の松飾に使います。
 
イメージ 9
  三生池から流れ出る溝に浮かんだ桂の落葉。ハート形をしています。水澄ましが休みます。
イメージ 12
        水面に浮かんだ落ち葉を見詰める坊や。桂と松の落ち葉が浮いています。
 
 
桂と三宝松の樹下で保育園児が落ち葉拾いをしています。
屹度ハートの形をしている桂の葉を拾っているんだろう・・・・、
思いながら近寄ってみました。
 
訊けば、何か虫が落ち葉に乗っている・・・言うんです。
良く見れば、水澄ましが落ち葉に寄り添って体を休めています。
 
別の子は三宝松の落ち葉を拾い集めています。
何にするのか訊けば・・・・、「ラーメンにするんだ」そうです。
そう、松の葉っぱはラーメンかパスタを想像させるのでしょう。
女の子が大銀杏の根元に居て・・・・・、お飯事をしています。
僕は、女の子に松の葉ラーメンを届けるのです。
子供は自然を見れば、発見が沢山あって、楽しく遊べるのでしょう。
 
イメージ 10
   銀杏の陰で松の落葉のラーメンを届ける坊や、向こう陰の女の子と飯事遊びです。
イメージ 11
  これが遊行寺のランドマークの大銀杏。垂れ乳が見事です。
 
ベンチに座って、インスタントラーメンを食べようとしていたOLさんがいます。
保育園児の会話を聞いて、大銀杏の反対側に移動してしまいました。
屹度、恥ずかしかったんでしょう。
 
遊行寺には平和な時間が悠々と過ぎて行きます。
もう、菩提樹の実も大半が落ちてしまいました。
 
 
イメージ 3
    大銀杏の陰でインスタントラーメンを食べるOLさん。お飯事は大銀杏の逆側です。
    今年の銀杏は期待薄です。
イメージ 13
   遊行寺の銘木1号は菩提樹です。桑にも桂にも榎にも似た大樹です。実が僅かに残っていました。
 
 
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
 
 
 
現在の藤沢ゴルフクラブは綾瀬市にあって、
小田急電鉄系列のゴルフクラブです。
我が家には近いし、小田急電鉄さんに案内されて何度かプレーさせていただきました。フラットで、距離のある良いコースです。
綾瀬にあるのに「藤沢」の名が付いているのは・・・・・、
多分、歴史のある「藤沢カントリークラブ」が閉鎖され、そのお客さんを引き受けたからでしょう。
小田急に確認した訳ではありませんが、そう思っています。
 
イメージ 5
   今日の話題は旧藤沢カントリークラブのクラブハウスです。
    躯体の壁などは剥落が目立っていますが、ブルーのスペイン瓦は綺麗です。
イメージ 6
   小田急江ノ島線の善行駅を挟んで南北に広がっていた藤沢カントリークラブでした。
 
藤沢から藤沢街道を行くと、白旗神社を過ぎると急坂になります。
坂の途中に聖園学園があります。
その隣が旧藤沢カントリークラブでした。
 
クラブハウスからは東に江の島の海が、西には丹沢連峰から富士山が眺められる絶好なロケーションだったことでしょう。
此処に昭和7年(1932)にアントニン・レーモンドの設計によって、
本格的なゴルフ場(18H)とレディースゴルフ場がオープンしました。
同ゴルフ場は先の大戦によって翻弄されてしまったわけですが、
今ではそのクラブハウスだけがゴルフコースの面影を留めています。
 
確認こそしていませんが現存する我が国最古級のクラブハウスだと思います。
モダニズムの旗手だったレーモンドでしたから、歴史的・建築文化の価値高い建物です。
今日はこのクラブハウスを紹介します。
 
イメージ 7
        クラブハウスのエントランス。
イメージ 8
   エントランスのモザイクタイル。タイルのデザインはレーモンドの奥様によるものだそうです。
イメージ 9
                   床はゴルフボールがホールインする意匠
 
20世紀に入ると、文学に、絵画に、建築に新しい運動が活発になります。
これをモダニズムと呼びます。
建築界では”合理的・機能的な建築”を目指す運動が起こり、
フランク・ロイド・ライト等がリードします。
一方関東大震災で壊滅的な被害を受けた我が国では、堅牢な建物が希求されました。堅牢である欲求は自ずと「合理的・機能的」な建物に帰着しました。
 
この流れは前川國男から丹下健三に受け継がれ、現代もその流れの下にあると言えるでしょう。
 
イメージ 10
                   東側からの外観、樹木は榎です。
イメージ 11
            南側から見る。手前が一番ホールです。
 
イメージ 12
   西側からはスペイン瓦が綺麗に見えます。
 
初代帝国ホテルはお隣の鹿鳴館とセットのようにして建てられました。
しかし1919年全焼してしまいます。
すると、財界はモダニズムの旗手フランク・ロイド・ライトに新館の設計を依頼します。ライトは弟子のアントニン・レーモンドを従えて来日します。
二人は平等院鳳凰堂にヒントを得て、帝国ホテルを設計しました。
 
大谷石と煉瓦を組み合わせて、鳳凰が翼を広げたような建物が完成しました。
「世界で一番美しい」と言われたホテルでした。
竣工直前には関東大震災にも遭遇しましたが、近隣のビルが倒壊したのに凌ぎました。
そうして完成した帝国ホテルでしたが、1970年顧客の増大を期待して、建て替えが決められました。
旧帝国ホテルは玄関部分だけが明治村に残されています。
 
イメージ 1
   帝国ホテルの本館玄関部分だけが明治村に移築保存されています。
    この建物がレーモンドが日本で活躍するきっかけでした。
 
 
ライトの片腕として来日したアントニンレーモンドはライト以上に日本に溶け込みます。設計事務所は今も「レーモンド設計」として活躍しています。
私の勤めた長銀では子会社の日本ランディックのマンションやゴルフ場は過半がレーモンド設計でした。(吉井カントリークラブのクラブハウス等)
またパシフィックコンサルタント(グランドデザインを得意とする設計事務所)もレーモンドの創設によるものでした。
レーモンドの作品は数多く国の有形文化財の指定を受けています。
 
 
横浜にはフエリス女学院の建物、
その近くにあるエリスマン邸もレーモンドの設計によるものです。
そして、旧藤沢カントリークラブのクラブハウスもレーモンドの設計でした。
 
レーモンドの設計は日本文化や風土、更には日本人のライフスタイルへの深い理解と愛着の上に描かれています。
だからこそ・・・・、モダニズム建築であり、21世紀になった現在も評価されているのです。
 
旧藤沢カントリークラブのクラブハウスにはレーモンドの経歴が貼られています。
それによると、レーモンド単独では最初の作品という事になっています。
 
イメージ 2
クラブハウスは現在総合運動場の食堂として使われています。
食道の運営は玉屋という個人です。兎に角安いんです。
 
 
玄関の車周りを降りてクラブハウスに入ります。
階段を下ればロッカールームになります。
階段を登れば、レストランになります。
チャンピオンコース18Hとレディーコースのクラブハウスです。
収容客数は大きく設計されています。
梁の見えた山小屋風の建物は大空間を実現しています。
東側のベランダに出れば江の島の海が眺望できますし、
南側のベランダからは」富士山が遠望できます。
そのベランダから橋を渡って、真っ直ぐ一番ホールに向かえる設計です。
ワクワクしながら一番ホールに向かえるのでしょう。
 
イメージ 4
 
昭和7年(1932)に竣工します。
チャンピオンコースとして、ベーブルースをはじめ著名人もプレイします。
しかし、昭和18年(1943)に海軍によって接収されます。
海軍は通信司令部として使用します。
昭和20年(1945)終戦に際してGHQによって接収されてしまいます。
戦後も終わりに近づいた昭和28年(1953)には県立総合運動場として一般に開放されました。この年、神奈川では国体が開催されたと記憶します。
昭和43年(1968)、クラブハウスは総合運動場の合宿所兼食堂としてオープンします。
昭和47年(1972)に改修されました。
その後40年余り修理やメンテにお金を使った気配はありません。
まあ、写真を見ての通りの惨状を晒しています。
 
財政力のあると思われている藤沢市です。
この歴史的なクラブハウスを保存維持しながら、活用する・・・、
そんな賢明な策を探してほしいものです。
でも、痛々しい建物、朽ちようとする建物が美しく見えるのは・・・・、不思議です。
 
食堂を応援の意味でも是非お出かけください。
 
イメージ 3
    クラブハウスの内部、現在は食道として使われています。
     梁の見える山小屋風の建物は大空間を実現しています。
     壁には善行大学の名で旧藤沢カントリーの歴史などが展示されています。
 
 
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

.
yun**ake200*
yun**ake200*
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事