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諏訪神社の榊神輿

8月27日、早朝に藤沢の遊行寺に出かけました。
この日は片瀬の諏訪神社、遊行寺に隣接した諏訪神社、両社で別々に例大祭が催されるのです。
遊行寺では今年、夕顔を栽培していました。
早朝なら、夕顔を見る事が出来るかも知れません・・・・。
そんな次第で、8時過ぎに遊行寺の門を潜りました。
 
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                           遊行寺大銀杏の梢の先には、まだ月影が残っていました。
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   遊行寺本堂の前庭中央に据えられた「榊神輿」 神主さんが祭壇等をこしらえておいでです。
 
広い境内に、形の良い大銀杏があります。
そのわきに、広い庭の中央にポツンと榊が立っています。
2m弱の、盆栽のような榊です。
細い紙垂が樹全体に架かっています。
根は木枠で作られた鉢に収まっています。
木枠には担ぎ棒が入っていて・・・・、そう「榊神輿」です。
今日のご神幸の主役になる榊神輿が境内の中央に祀られて・・・・・、
既に神様がこのお神輿に降りて居られるのです。
銀杏の梢の先にはお月様が残っています。
”神々しい”とは、この榊神輿の事でしょう。
ピッカピカのお神輿も良いのですが・・・・、
根の付いた榊を使った、生木の神輿こそ神様の依代に相応しいもんです。
神主さんがお一人で三宝などの祭り道具を運んで来られ、準備を急いでおらえます。
 
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   大銀杏を背にした「榊神輿」
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    榊神輿には紙垂、由布(麻の晒)が飾られていました。
 
 
遊行寺にある藤嶺学園野球部の生徒さん、100人程が榊神輿の脇に整列しました。
今日これから、榊神輿を先頭に藤沢市内をご神幸する、そのお供をするのです。
皆お揃いの法被を着ています。
法被には諏訪神社のご紋章、梶の木が描かれています。
梶の葉に混じって揚羽蝶(平家の紋章)が描かれているのは・・・・、何故でしょうか?
野球部の生徒さんは、真っ黒で、坊主頭です。
こんな清々しさは、神様もご贔屓されることでしょう。
 
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  諏訪神社のご神幸をお供する藤嶺学園野球部の面々、皆良い顔しています。
  法被に描かれているのが紋章の梶の葉。
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境内にある神輿蔵から二基のお神輿が運ばれてきます。
一基は鳳凰が乗っています。
鳳凰は稲穂を咥えています。
今朝、田圃に降りて取ってきたような生々しい、豊かな稲穂です。
もう1基のお神輿は龍が乗っています。
金色が眩しい龍です。
長老に訊きました。
「今年はお神輿のトップ、龍と鳳凰を金箔を貼りなおしました。
そして、あま綱(飾紐)を新調したのだそうです。
あま綱だけでも200万円もかかったそうですから・・・・・、
お神輿を維持するだけでも大変な負担です。
これから、少しづつ手を加えて行くのだそうです。
 
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                        御車に乗せてお神輿が境内中央に運ばれます。
 
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     稲穂を咥えた鳳凰、紫色のあま綱が新調され、鳳凰は新たに金箔が貼られました。
 
                                     
遊行寺本堂の前庭で、諏訪神社神幸祭が始まりました。
諏訪神社は遊行寺を創建した呑海上人が山中鎮護の為に諏訪大社を勧請したのが始まりだそうです。
時宗のお寺は北条氏の勢力下に多くありますし、
信州八ヶ岳の麓には多くの時宗の古刹があります。
時宗、諏訪大社、北条氏は重なっている部分が多くあるようです。
 
諏訪神社は明治維新政府の神仏分離令によって遊行寺から分離独立しましたが、元々は同根です。
だから、こうして遊行寺の境内で盛大に諏訪神社の祭礼が行われる方が自然なのです。
 
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    諏訪神社総代さんの玉串奉奠、榊神輿が神様の様に見える瞬間です。
 
神事も終わって、いよいよ藤沢の街に出て行きます。
先頭が山車です。
山車には大太鼓1、小太鼓2、すり鉦1、笛1で・・・・、
鎌倉囃子系統のいわゆる五人囃子です。
演奏しているのは・・・・、此方も藤嶺学園の女生徒さんです。
 
山車を先頭にして、榊神輿が続きます。
次いで二基のお神輿が続きます。
大鋸町を経て、山王町に出ます。
山王神社の先にお旅所があります。
お旅所で神事を営み、氏子達は麦茶等で息抜きして・・・・、直に出立です。
市内を一巡して・・・・午後5時に戻って来るんだそうです。
予定では遊行寺通りに面した庚申堂もお旅所になっています。
何時もは固く閉ざされた庚申堂ですが、この日は扉を開けて、ご神体の庚申さま(青面金剛像、木造)こそ拝観は出来ないのですが、その写真を見られるのだそうです。(青面金剛は60年に一度御開帳)
写真だけでも見たいのですが・・・・、片瀬のお祭りの方も気になります。
 
ソロソロ、10時、片瀬の諏訪神社に回ることに致しました。
(片瀬諏訪神社の神幸祭は昨日、一昨日に書きました。)
 
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  藤沢山王町のお旅所で・・・・、祭事が催されます。炎天下8時間の長丁場ですから、お旅所で
  充分休憩しながら進めないと熱中症にかかってしまいます。
 
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      藤沢の街をご神幸する神輿、先頭が榊神輿です。
 
 
【補足】
八幡社の榊神輿は榊を伐採して神輿の上に枝をピラミッド形に組んだものが多いようです。
諏訪神社の榊神輿だけは根の付いた榊を盆栽風に仕立てて、担ぐ形にしているようです。
諏訪神社の紋章が根付きであることも関係していると思います。
 
 
 
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腰越(小動神社)の山車は人形山車です。
でも、架線が邪魔して町内を引き回しすることが出来ません。
案山子の様に立たされて、一日中神輿が担がれてゆくさまを恨めしそうに見ています。
一方、お隣の片瀬(諏訪神社)の山車は人形を取り外されて、青空天上になりました。
身軽になって、町内を軽快に引き回されています。
でも、姿がイマイチです。
初層だけでは格好がつきません。
どちらが良いのか?
それは難しい処です。
道路上に張り巡らされた架線を地中に埋めて、人形山車が引き回されればそれが一番いいのですが。
  ※昭和36年までは江ノ電の架線を撤去し5台の山車が電車通りを行進したそうです。
 
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    腰越小動神社の人形山車。唐破の屋根の上に人形が立ちます。でも、架線が邪魔で動けません。
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 片瀬諏訪神社の山車、小動神社と同じ湘南山車ですが、屋根の上の人形がありません。
 お蔭で町内を練り廻る事ができますが、山車としての見せ場がありません。
 山車に乗っているのは子供ばかりです。そしてお囃子は中学生、青年は山車を引っ張り、
 梃子でブレーキを掛けたり、方向転換をさせたりしています。年寄りは山車を見回り・・・・、
 後をぞろぞろと歩きます。
 
 
片瀬諏訪神社の山車はまるで子供達の専用車です。
前面のお囃子台には主として中学生が腰掛けて、太鼓を打ち鳴らしています。
篠笛や龍笛も中学生が主体です。
最近の子供達は音楽教育が行き届いていて、祭囃子もお手の物なのでしょう。
神様(建御名方神/たけみなかたのかみ/大国主命の子、諏訪神社の主神)だって、
山車に子供と一緒に乗って、中学生のお囃子で調子をつけて・・・・、
町内を練りまわすのですから・・・・・、きっとご機嫌なことでしょう。
神様は人間の好みと一緒です。
老人よりも子供が好きで、野郎よりも撫子のような女性がお好きで・・・・・・、
だから・・・・、山車に乗っているのは神様好みの人ばかりです。
 
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  5基勢揃いした湘南山車。今日の話題は中央の東リ町の山車です。
 
山車の周囲には精巧で華麗な彫刻が取り巻いています。
とりわけ見事なのが新屋敷町の山車と東リ町の山車です。
私は、山車の細部を良く見ようとカメラを向けて回ります。
 
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    オジサン、何写しているの? 声をかけてくれた山車の上の少女。彫刻は波間の千鳥(?)ならぬ
    波間の青鳩のような姿です。確認したのですが解りませんでした。ご存知でしたら教えてください。
 
「オジサン、何を写しているの?」
山車の上から少女が声をかけてきます。
「山車の周囲の彫刻だよ。此処が鼠、お隣が牛、時計と逆回りで干支が並んでいるんだよ!」
私は教えてあげました。
少女たちは山車から飛び降りて、見て回ります。
「わあー、蛇だ!」
声を出して、感動の様子です。
自分が棲む町の宝物の再発見なのでしょう。
見る見る、5人、6人・・・・10人ほどの子供達が山車を飾った彫刻を見て回ります。
 
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 山車の前面、提灯の上にお囃子が並びます。一番下の台車と山車の基部との間に隙間があって、
 回り舞台になるところが湘南山車の特長の一つです。
 彫刻は山車の前面に散りばめられていますが、青海波模様の上に干支が描かれていました。
 
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山車の基部を飾った「大根と鼠の図」
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猪の図、上の図と色が違うのは陽が当たっていないからです。青海波模様が楽しいです。
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松の幹に絡んだ蛇の図
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桃の実を食らう猿の図
 
私は世話人風のお爺さんに訊いてみました。
「この見事な山車は何時ごろの制作ですか?」
「私の処(新屋敷)が昭和8年ですから・・・・、その前後でしょうね」
「昭和前半ですか? 日本が一番幸せな時代ですね・・・・。
私の卒業した御成り小学校の講堂も同時代の作と聞いています。」
「大工さんは直ぐその先にある山口さんですか?」
「それは解りません。でも近くに神輿造りの人が居るんで安心ですよ!」
仰ります。
そうでしょう、荒々しく扱う山車や神輿ですから・・・、傷みも激しい事でしょう。
近くに神輿大工が今も営業している事は心強い事でしょう。
 
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     山車の台車の側面の彫刻を確認してみて回る少女達。東リ町の祭り半纏がお似合いです。
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              新屋敷の山車に集まった子供達。山車の彫刻を見上げています。
 
干支の山車に乗って、子供達は最高の夏の思い出を遺せたことでしょう。
祭りは老人、親、子供の絆が大切であることを改めて教えてくれます。
もう、墓場に眠っている曽祖父も満足している事でしょう。
自分等が作った山車に、5世代も後の子孫が乗って、4世代後が山車を運転して、
2世代後が山車を見守りながら・・・歩いて行く。
干支は7回も廻りました・・・。
その間、戦争もありました。
いろいろあっても・・・・・・、諏訪神社のお祭りは未来永劫に続けて行く事でしょう。
 
 
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 山車に乗ってカルピスを飲む子もいれば、疲れて眠っている子もいます。神様はどの子も愛おしくお思いでしょう。 
 
 
 
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片瀬諏訪神社の神幸祭

処暑を過ぎて、少しは凌ぎ易くなりました。
27日は小学校も始まりました。
今年も夏祭りの見物に随分出かけましたが・・・・・、最後の締めくくりが「片瀬諏訪神社の例大祭」です。
 
私は「諏訪神社」と聞いただけでも、血が騒ぎます。
小学校(御成り小学校)には諏訪池があり、その池で遊びました。
その池は埋められて、諏訪神社も源氏山の麓に移転させられ・・・・、跡地に鎌倉市役所が建ちました。
中学高校(栄光学園)は玉縄城の跡で、その天守閣の位置に「諏訪台」がありました。
諏訪の神様(武神)が祀られていたのでした。
 
私の体には縄文時代人の血が流れていると思っています。
諏訪大社には縄文時代を一番に感じます。
木やり神事や御柱をみると、山で狩猟をしていた人種が、湖の畔に出てきて家を建てて定住を始めた・・・・、
思われます。
 
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                                                  片瀬諏訪神社下社
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                                        片瀬諏訪神社上社
 
それに、諏訪神社の紋章が好きです。
大きな梶の木の葉っぱが描かれているのは、照葉文化を表しているんでしょう。
その根っこが4本(下社)、5本(上社)と描かれているのです。
木を描くと幹を書き、次いで葉っぱを描きます。
でも、地中に埋もれていて見えない根っこを描くのは・・・・、凄いと思います。
根っこにこそ命が宿っていると知っていたんでしょう。
 
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     祭提灯に描かれた諏訪神社の紋章、梶の木(幹・葉・根)がデザインされています。
 
そんなわけですから・・・…、諏訪神社の例大祭だと聞くと・・・…、居ても立ってもいられません。
早朝から出かけて・・・・、夜のクライマックスに再度出かけてきました。
 
朝4時から浜降祭がおこなわれて、9時にはお神輿が各町内にある御神酒所を渡御します。
このお神輿が一寸変わっています。
担がれて回るのではなくて、御所車にお神輿が取り付けられているのです。
御所車がゴロゴロ回って、片瀬の街を巡ります。
江ノ電の線路脇を廻って、境川の橋を・・・・・・、中央まで行って、そこで折り返して戻ります。
境川の向かい側は鵠沼で・・・・、其処は片瀬諏訪神社のエリアでは無いのです。
 
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      江ノ電の線路脇を進む神輿、御所車に乗っています。
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                   お神輿は境川にかかった橋の中央まで行って、Uターンして戻ります。
 
 
各町内のお神酒所では山車と屋台を組み立てます。
山車が組み立て式だというのは初めて知りました。
高山の山車の様に完成形で山車蔵に収まっているものと思っていました。
それが、沢山のパーツに分解出来て、祭り当日に組み立てるんです。
それに、中央の屋根が空いています。
まるで、オープンカーのようです。
空いた屋根の位置に透明のビニールを張って完成です。
 
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   山車を組み立てます。最後にオープンになった天井にビニールを張って完成です。
   この山車は昭和8年頃出来たそうです。当時からこのようにオープンカーのような山車であった
   とは思えません。この部分には組み物があって、初層の上に人形が出るようになっていたと思
   われます。江ノ電などの架線が道路上に張り巡ってきたので、
   人形部分が取り外されたものと思います。腰越天王祭を見れば当初の姿が解ります。
   : http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/47427078.htmlを見てください。
 
この屋根が空いているのが・・・・、最初からそうであったのか?
道路に架線が張り巡らせられて・・・・、道路を動かせなくなったので・・・・、
屋根の上に出ていた部分を取り払った・・・、その結果なのか解りません。
                (筆者は人形が飾られていたものと推測します)
 
高山の山車ならこの部分にからくり人形があるのですし、
京都祇園の山車ならとんがり屋根(山鉾)が立っているのです。
向かいの腰越町の山車は人形が飾られていました。
人形を飾って・・・・、でも動けないので、その場所に立ったままです。
その姿も悲しげなのですが・・・・、こうして人形を取り払って、活発に動けるのは良いんですが、
ぽっかり空いてしまった屋根は寂しくもあります。
どちらも江ノ電などの架線を恨めしいと思っている事でしょう。
 
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       山車は龍口寺前の広小路で180度回転させます。台車の下に梃子を差し込んで
       若者が力任せに回転させます。これを「ぶん回し」と呼んで、この祭りの見せ場です。
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   上州屋の店先に5基の山車、5基の屋台が並びました。氏子たちはこの一時龍口寺の境内で
   腹ごしらえです。アスファルトの表面には山車が残した轍の後が白く残されています。
 
片瀬の街は5町あるのでしょう、5町の山車が午後5時、龍口寺まえの広小路に集まって来ました。
見せ場はこの時にあります。
広小路の略中央で180度転回して、前向きで駐車するのです。
囃子台が前向きになるように、山車を回転させバックで駐車させるのです。
これを「ぶん回し」というのだそうです。
 
山車の台車に大きな梃子を差し込んで、梃子を沢山の男どもが掛け声を併せて、押します。
すると、大きな軋み音を発して、山車が回転します。
アスファルトの表面には白く大きな轍が残ります。
山車に続いて、屋台が集合します。
5基の山車、5基の屋台が勢ぞろいします。
 
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  神輿は御車(屋台の右に写っています)から取り外され、担ぎ棒の上に据えられます。
  その脇を江ノ電が走って行きます。
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      神輿側にはロープを張った人が並んで、江ノ電との距離を確保しています。
      朝9時から山車や神輿で回った氏子たちはもう疲れて上州屋の店前に座ってしまっています。
      右の緑が滝の口の法難で有名な龍口寺です。
 
御所車に乗った山車は此処で、車から外されます。
あま綱が外され、ま新しい晒しで担ぎ棒の上に固定されました。
薄暗くなって頃、準備も完了です。
龍口寺前で勢揃いした榊神輿、お神輿、5基の屋台、5基の山車が連なって、
500m程先の諏訪神社下社に向けて進みます。
一般的に云えば帰還祭なのでしょうが、諏訪神社では「神幸祭」と呼ぶようです。
龍口寺を出るころには気づきませんでしたが、闇が深まるほどに祭り提灯の灯りが目立つようになります。
 
こうして、酷暑だった夏のお祭りも静かに終えて行きました。
 
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山車が諏訪神社下社に向けて帰還します。
 
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山車などは連れ立って諏訪神社下社に向けて帰還します。これで夏の例大祭も終わります。
夏祭りのエンディングはいつも寂しさが漂います。海の家ももうじき野分立つ前に仕舞う事でしょう。
 
 
【追記】明日は諏訪神社の祭りで活躍する子供達と山車の彫刻を案内します。
     この山車は昭和初年に作られました。
 
 
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8月24日、「湘南ねぶた」祭りを見に、六会の街に出かけました。
六会は小田急江ノ島線、藤沢駅から数えて3番目の駅です。
日本大学が進出している学生街であり、湘南野菜が栽培される田園でありますが、
最近は住宅開発が進んでいます。
この日は随分外国人が多い街なんだなあ! 実感しました。
六会から長後にかけては外国人が目立ちます。
安い公営住宅がある事、沿線に職場があるんでしょう。
長後にある「銀杏団地」に近い「銀杏小学校」は生徒の半分が外国人の子弟(日本国籍を有する)で、
多国籍化が進んでいます。
将来の日本社会を見る思いがします。
傍から見ていると、多国籍タウンは食べる物も多くて美味しいし、
様々な人種や文化のルツボ・・・・、面白そうで・・・・、良いもんです。
”ゴミ出し”では、我が町より清潔に・・・、分類されている様に見えます。
彼らは日本人以上に日本の地縁社会に溶け込んでいるのかも知れません。
 
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     小田急六会駅前には、夕暮れ時に夜店や屋台が並んで、いよいよ「湘南ねぶた」が始まります。
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夕暮れと同時に、六会駅前通りには見物人が集まって来ます。
歩道にビニールシートを敷き、7時から始まるねぶたパレードを見ようと・・・・陣取っています。
公園には夜店が並んで・・・・、焼き鳥はじめB級グルメが匂っています。
ですから・・・・・、お父さんお母さんはビールがすすみます。
私はベトナム料理もあるだろう・・・・・・、探しましたが・・・・・・・、出店していませんでした。
ベトナムやトルコ、インド料理の屋台が並んだら・・・・・、面白いのに・・・、思ったりします。
屋台や夜店には・・・、其処には其処で・・・・、複雑な権利があるのかも知れません。
 
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                      主催者・関係者の挨拶、祝辞が続きます。
 
 
藤沢市長や地元議員、亀井神社総代、六会連合町内会長の挨拶が長々と続きました。
この町は戸塚より地縁が濃い街なんだ・・・・、思います。
彼らの挨拶や、私が聞きまくった挙句の結論は以下の通りです。
 
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   今年の子供ねぶたはこの3基でした。
   この他にピカチュウ、スヌーピー、キティーちゃん等のキャラクターもあるそうです。
 
①六会駅周縁の町内会が中心になり、町おこしの為に「青森ねぶた」に協力を依頼し、
「湘南ねぶた祭り」を実施する事にしました。ようやく定着して今年で17回目になりました。
六会や藤沢が青森と縁があるわけでも、亀井神社がねぶたの謂れがある訳でも無かった。
極端に言えば「秋田竿灯」でもよかったのですが・・・・、道路事情もあって「ねぶた」が最適でありました。
②子供ねぶた(金魚・アンパンマン・ドラエモン)と大型ねぶた一基が登場します。
大型ねぶたは青森ねぶたをお借りしていますから・・・・、毎年変わります。
青森ねぶたより1年以上遅れた出し物が登場します。
今年はNHKドラマの「阿弖流為/アテルイ」の武者ねぶたになりました。
③ねぶたの技術革新は目覚ましく、昔は竹ひごを編んで籠を作り、その上を和紙で貼って、武者絵を描いてきました。灯りも蝋燭でしたが・・・・、現在は針金を組んで、和紙を張り、台座にバッテリーを積んで蛍光灯で照明しているんだそうです。
④今晩は雨模様ですから・・・・、ねぶたはレインコートを着ています。
レインコート造りは農業用のビニールハウスを作っていますから・・・・、お手の物です。ねぶたは雨が降っても中止しません。
 
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   大型ねぶたは毎年1基、今年は阿弖流為でした。青森からの借り物だそうです。
 
青森ねぶたの技術革新があったから・・・・・、各地にねぶたを出張させる(貸す)事が可能になったのでしょう。
渋谷センター街をはじめ、関東地方では各地でねぶたが見られるようになりました。
 
公園を出たねぶたは、駅前ロータリーを2周して、駅前通りを戻ってきます。
高々500m余りの距離ですが、ねぶたは度々回転したりして・・・・、ゆっくりゆっくり進みます。
夜8時、パレードが終了します。
 
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見物し終えて・・・・、我が家に戻ります。
家内は夕食を作って、待っている事でしょう。
帰路では、田園特有の匂い・・・、そう牛糞の醗酵する匂いがします。
たまに嗅ぐにはどうという事は無いのでしょうが・・・・、四六時中匂うと我慢がしがたい様な気がします。
トマトハウスももうおしまいです。
コオロギがに鳴いて・・・・、秋を告げています。
私の心の中にも秋風が吹きます。
「青森ねぶた」を1基借りてきて、町内を練っただけでは・・・・、物足りない気がします。
「湘南ねぶた」と表明しているんですから・・・・、何処が湘南なんでしょうか?
ねぶた造りは資金も必要でしょうし、技術も必要でしょうから・・・・、湘南の出し物は難しいでしょう。
でも、跳ね子と呼ばれる群衆の演舞や、屋台に・・・・、湘南らしさの工夫の余地もありそうです。
 
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                          ぴょんぴょん、跳ねるように踊ります。
 
 【追記】
湘南ねぶたは今晩【8月25日】夜7時にも開催されます。
 
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昨日で(8月22日)で高校野球も終わりました。
野球が終わると、NHKラジオで「夏休み子ども科学電話相談室」がはじまります。
同時に処暑で、ソロソロ酷暑も凌ぎ易くなって来る・・・・、期待されます。
 
8月21日、陽が沈むと川風が吹いてきました。
処暑が実感できる・・・・・、そんな気候です。
私は風に誘われて、江の島に「納涼花火」に出かけました。
私の住む戸塚を柏尾川は縦断して流れます。
古舘で境川と合流し、片瀬から江の島の海に注がれます。
その片瀬西浜で納涼花火大会が催されるんです。
 
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     境川にかかる弁天橋、此処が境川の河口です。納涼花火はこの上にかかります。
 
日本人の文化が世界に伝播して、愛されている例は数多くあります。
古くは蒔絵があります。
漆器は中国が原産でしたが、日本に伝来し沈金技術などを開発して蒔絵に昇華します。
磁器をchinaと呼ぶのに対して、漆器をjapanと呼ぶようになったのは、
漆塗の技術革新を日本人がしたからです。
 
火薬は本来武器でした。
その火薬を使って、世界中で花火が開発されました。
ヨーロッパの花火は・・・・・・、横に飛ぶロケット弾のようなもので明るく照らしました。
王様の祝い事等で華々しく打ち上げられました。
中国の花火は爆音が凄まじく、爆竹に発展します。
邪気除けには絶大な効果があると期待されました。
そして、鉄砲と共に日本にも火薬が伝わりました。
その火薬が、日本では日本らしい花火に発展しました。
 
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      夕暮れの午後7時、花火が開始です。境川河口西側の洋上の台船の上から打ちあがります。
      右側椰子の木の向こうに江の島のタワーが青くライトアップされています。
      左側に江の島大橋の専用歩道橋が続いています。
 
日本の花火は、鎖国の時代に黒色花火(和火/わび)が開発されたことに始まります。
線香花火がその代表です。
熱した炭素(炭火)が四方八方に散る現象です
線香花火を夜空に打ち上げたのが・・・・・、両国の花火でした。
夜空に開く傘の様に、花の様に、華麗になりました。
そして、日本人の作った花火が一番綺麗だ・・・・、
日本スタイルの花火が世界標準になりました。
 
厳しい夏の暑さで・・・・、厄病が流行し、飢饉が発生し、沢山の死者が発生しました。
無縁墓地で墓標を見ていると、夏から秋にかけて、今頃の季節に死者が多かったことに気付きます。
 
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          施餓鬼供養で、無縁墓標に供えられた卒塔婆
 
 
隅田川河畔では大橋(両国橋)の架橋をきっかけに納涼船が出て賑うようになっていました。
川岸の水茶屋は納涼船を出して、お客さんを集めていました。
その川開きに花火をあげました。
川開きには川施餓鬼も催されました。
川施餓鬼とは死者の霊をを弔うために川岸や舟の上で営まれた施餓鬼供養の事でした。
 
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  国宝餓鬼草子。人間には霊は見えません。人間の周囲には喉を涸らした餓鬼が水を求めて徘徊しています。
  餓鬼の腹は水膨れしてしまって、動くのも億劫です。でも、水を求めて人が屈むと小便を飲もうと寄ってきます。
  (出典:国立博物館)
 
人間の最も苦しいのは・・・・喉が渇く事だと思われました。
地獄で人間が苦しむ姿は・・・・・・、喉の渇きで・・・、水を求めて彷徨い歩きました。
墓参に際して墓石に水をかけるのは、餓鬼の喉を潤す為です。
だから・・・・、江戸中の餓鬼は自ずから隅田川河畔に集まると思われました。
そこで・・・・・、川開きには先ず川施餓鬼を営みました。
 
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享保18年(1733年)徳川吉宗は死者の慰霊と悪疫退散を祈願して隅田川で水神祭を開催しました。
というのは享保の大飢饉で餓死者が大量発生していたのでした。
天保の大飢饉の餓死者の慰霊を目的で始めた花火が年中行事になって・・・・、
以来300年もの間日本花火のスタンダードになりました。
お墓に供花するように、隅田川に大きな花を供えたのでした。
花火に悲しさや侘しさが伴うのは、去って行く夏を惜しむだけではなく、
死者の魂を鎮魂する行事だからです。
 
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日本花火は花火師「鍵屋」と、鍵屋の番頭が始めた「玉屋」が腕を競い、発展しました。
鍵屋の屋号はお稲荷様にありました。
お稲荷様のお使い、お狐は一方が鍵をもう一方が玉(宝珠)を咥えています。
「かぎやー」「たまやー」と呼ぶ声は、お稲荷様の”福を呼ぶ”祈りでもあったのでしょう。
しかし、玉屋は1843年に火事を出してしまい、江戸を追われてしまいました。
花火は一時の美しさ・・・・、玉屋も一時の繁栄だったのでした。
そんな花火師のスポンサーは、水茶屋であったのでした。
 
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          助稲荷のお狐、左は鍵を右は玉(宝珠)を咥えています。たお狐様はお稲荷様のお使いです。
 
そんな訳で、日本の花火は川で催さないと・・・、風情がありません。
川があって、橋があって・・・・・・・、花火は美しいのです。
江の島は・・・・、ミニ吉原のような所です。
何処かに江戸風情が隠されているような気がします。
 
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江の島納涼花火は午後7時に始まりました。
打ち上げ予定は1200発、7時20分には終了でした。
鎌倉や横浜の花火で慣れている私には、あっけないような幕切れでした。
10月19日(土)に予定されている江の島花火は3000発を予定してますから、
もっと長い時間打ち上げられるのでしょう。
 
でも、夏の終わりに打ち上げられてこその花火です。
あっけないのが花火ですから・・・、ほんの20分でも大満足でした。
 
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