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色々の事が重なって、義父母の墓参りが遅れていました。
家内は牡丹餅を仏壇に供えながら、気にしていた事でしょう。
横浜では墓石こそ倒れませんでしたが、灯篭は随分倒れていました。
(写真は千葉県長生郡関の槙の木亭、庭の倒れた石灯籠)
湾岸道路から川崎、木更津を経て茂原に向います。
その先に長生郡白子町があります。
長い九十九里浜があって、その陸側に松林があります。
松林の端には1メートル余り高い堤が出来ています。
これは先人が築いた津波対策だったのでしょう。
このお陰で、田圃が海水に浸かる事も無く、また人々の命を守ってくれたのでしょう。
津波は千葉でも多くの命を奪いました。
九十九里浜の北では13人が津波で亡くなりました。
2.4メートルの高さであったそうです。
入り江の奥ではもっと高い津波だったのでしょう。
(長生郡の屋敷森風景、周囲を槙の生垣、庭に羅漢槙の丸刈りが並んでいます。家の格を決めているのでしょう)
お墓も無事でした。
菩提寺にも挨拶して、田圃委託先の農家に挨拶もしました。
さて・・・予定は総て終えた・・・・後は歴史散策でも楽しみながら帰るとするか・・・・・、
先ずは昼飯に地の魚を食べよう・・・・・、
家内が帰途につく前に「関の羅漢松」を見ましょう・・・、
「千葉県の歴史散歩/山川出版」を片手に、槙の写真を見せます。
長生郡には槙が目立ちます。
屋敷森の垣根は必ず槙で作られています。
垣根の素材は「犬槙」です。
その上に形良く刈り込まれたのが「羅漢槙」です。
写真の「関の羅漢槙」は樹高9メートル、樹齢800年、天然記念物・・・・とも記載されています。
(槙の畑の向こうにあるのが「まきのきてい」の割烹棟)
槙の字は木偏に真実と書きます。
沢山の樹木を図に描けば、「真ん中に位置する樹である」との意味でしょう。
曼荼羅でいえば大日如来みたいな位置にあります。
犬槙は犬走り(築地の外側の、壁 と溝との間の狭い地面)に植えられる「槙」の意味でしょう。
槙は常緑で、病気にもならず、毛虫も付かない・・・・福の神も依ってくる好ましい木として生垣に愛用されました。
犬槙の葉っぱを二周りも小さく細い木が見つけられました。
丸刈りに刈り込めば最高の庭木になりました。
江戸時代、南画が描かれ、羅漢様が刻まれました。
そこでこの珍しい槙に「羅漢」の名を冠せました。
庭の中心木に羅漢槙を植えて、最高の技術で刈り込みました。
そして、その姿を愛で、自慢した事でしょう。
勿論、槙の実は托が紅く、実が青く、達磨(羅漢の先達)のようでありました。
晩秋になれば無数の羅漢が実って、地上に落ちました。
(羅漢槙の正面姿、句碑は楠本健吉「羅漢槙泰然として 此処に在り」)
関の羅漢槙は樹高9メートルですから、お屋敷の中にあっても頭は出ているであろう・・・・、
関の屋敷森の中をめぐりました。
でも、中々見つかりません。
農家の中に入って尋ねます。
お爺さんが話してくれました。
『ああ、関の羅漢槙を見に来なさったか・・・・、
「槙の木亭」の中に入りなさい。
お庭の真ん中にありますよ。
道路を巡っても、屋敷が広いから見えないでしょう。
私が子供の頃は羅漢槙に登って遊んだものでした。
でも、名主さんが東京に去って、新しい人が買われて、囲ってしまいましたので・・・もうそんな事はできません。
でも、天然記念物ですから、見るだけでも応じてくれると思いますよ・・・・。』
羅漢槙の後姿
私達は「まきのきてい」で昼食をする事にしました。
西側が割烹の造作で、東側はドライブインになっています。
今日は法事会席もあって大賑わいのようです。
大半がテーブル席で、予約が入っていました。
私達は小上がりに案内されました。
天井が葦で葺かれていて、丸木の骨組み・・・何処か東南アジアのレストランに来たようです。
なんとなく嬉しくなって、パクチの匂う料理を食べたくなります。
でも、何処にもあるような日本食が案内されています。
「コーヒーセットで1000円」・・・リーズナブルなメニューが並んでいます。
アジアンテーストなドライブインの店内
これにコーヒーがついて1000円でした
流石に立派な羅漢槙でした。
私は元来嫌味な性格・・・、槙の周りを何度も回って見ました。
どのアングルが良いか・・・・、
どのアングルが悪いか・・・・、
盆栽なら正面からの形を意識して作られているでしょう。
でも、庭は回遊するもの、何処から見てもシンボルツリーでなくてはなりません。
何処から見ても姿が良いのですが・・・・割烹玄関口が最高で、歴史散歩の写真にも載っているのでした。
長生郡関の一般的な景色 両側の生垣は総て犬まき
私は家内に言います。
「関の羅漢槙流石に立派なものだ、長生郡の自慢じゃないか。
どうしてお父さんはこの店を案内しなかったのだろうか・・・・?
これなら自慢できたろうに・・・・!」
家内は言います。
「父の時代には無かったのじゃない・・・・」
私は店に尋ねました。
『「槙の木亭」はお店を開いて35年になります。』
私達は父の一生を思い起こします。
長生郡の秀才?として東京の大学に出て来て・・・、
一流の金融機関に勤めて・・・・、
定年を迎えて・・・独立して・・・・、故郷とは遠ざかっていたのでしょう。
未だ、私達の背中には父母が立っていて、呟いているようです。
「美味しかった!・・・・良かったね・・・・」
昔から此処は住みやすい土地だったのだよ・・・・、
だから、長生郡とつけられたのだ。
羅漢槙も人間も長生だよ・・・・。
「まきのきてい」の庭には野鳥が飛来してきていました。写真はジョウビタキ
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