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私の祖母(竹内ノブ)は世田谷弦巻にある「実相院」の次女でした。大変な頑張り屋さんで且つハイカラな女性でした。私は祖母の白寿記念と一周忌に遺稿集を編纂したのでしたが、当時慶応大学経済学部の教授であった佐々木一雄教授に寄稿をお願いした処、御快諾頂き大変優秀な叔母で「今もぼろ市通りにある「桜小学校」の職員室には「佐々木ノブの優等賞證書」が展示してある」紹介してくれました。
祖母に話を聞くと「代官屋敷の娘と何かにつけて競っていたそうで、代官の娘を先生が贔屓して、自分より良い評価を受けると職員室に抗議に行ったそうです。私にもそんなガッツがあったならば人生は随分変わっていたでしょう。
祖母「竹内ノブの一周忌に編纂した「遺稿集」祖母の和歌の他、親戚の方々から寄稿して戴きました。
佐々木一雄先生のお墓参りも兼ねて「名物のぼろ市」を観に行きました。ぼろ市の後は近くの豪徳寺に寄る計画にしました。豪徳寺の住職梅田師が祖母「ノブ」と当時「赤坂の豊川稲荷」の僧であった竹内周三の仲人であった、耳に蛸が出来るほど聞かされていたからです。因みに私の母竹内一江は豪徳寺から少し南の狛江の泉龍寺の長女でした。そんなわけで、私の親戚は多くが首都圏の曹洞宗の住職です。
此れはぼろ市の案内マップに実相院の位置を加えたモノです。
此れは実相院の多宝塔です。多宝塔の西にある赤松は実相院のシンボルツリーです。何せ山号は「鶴松山」というのですから。
向こうが実相院の本堂です。名物と云えば「高橋是清」の墓くらいでしたが、昨今では近隣が開発し尽くされ、「お城」と愛称される程の緑が目立ちます。お城とは蟄居した吉良家が此処で生活していたからです。三河の吉良家の家臣が「お城」と呼んで慕っていたのでしょう。
私達夫婦は実相院住職で慶応教授で居られた佐々木一雄師の仲人で結婚しました。この時点では私の親族は私も何処かの寺の住職になるモノと思っていたと思われます。
私は出掛けに仏壇に手を合わせました。「お婆ちゃん今日はぼろ市に行って代官餅を買って来るからね!」私は祖母の喜ぶ顔を想像しながら仏前にお餅を供える予定で出かけました。
田園調布駅から世田谷区役所行のバスに乗って桜小学校前で降りれば実相院の裏門の積りでいたのですが其処はぼろ市の飛び地で道路は歩けない混雑でした加えて「代官行列」がスタートする時刻でした。佐々木一雄師の墓参りを終えて、いよいよぼろ市の見物をしました。
此れは東急線の中吊広告です。ぼろ市は歳末と正月明けに二日づつ開催されるのです。
此れが「ボロ市通り」です。通理に懸った横断幕に駅や代官屋敷等の案内が出ています。
此れは世田谷代官屋敷この右(南)側に世田谷博物館があります。
此れは世田谷博物館の庭に展示された石塔、流石に庚申塔も秀作です。「大山道」の道標は「世田谷通り」が大山神社の参詣道であった事を示しています。
一通り。ぼろ市を観て博物館を観たら腹も空いて来ました。其処で、「代官餅」に向かいました。ところが代官餅は長蛇の列です。係員に訊けば2時間待ちとの事。
代官餅に並んだ行列。
とても寒風吹きさらす中2時間も腹を空かせて並ぶ事は断念しました。手には苔桃(藪こうじ植え込み)を買って、ランチは次の目的地豪徳寺でとる事にしました。
此れがぼろ市で求めた「藪こうじ」です。蜂に植え替える事も考えたのですが苔玉ごと母の残した抹茶茶わんに投げ込みました。「仏壇から”楽しみに代官餅を待っていたのに。苔玉なんて食べられないじゃないの!怨嗟の声がしそうです。
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