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船越桂氏の彫刻を観たらお父様の船越保武さんの作品を観たくなりワイフを誘って麻布の有栖川公園に出かけました。この街には苦い思い出があります。と云うのは此処に私の勤めた長銀の迎賓館が在ったのです。
長銀破たんの遠因はこの街に迎賓館を建立した頃に既に目立っていたのでした。当時世情は既にバブルと指摘され株価も見る見る4万円台に迫っていました。迎賓館に向かう社用車の室内で常務はご機嫌で居られました。”今日も株価が上昇したので銀行の含み益が2兆円、自己資本に匹敵する含み益が出来たことになりました。米国風の自己資本比率は倍増したことになります。接待会場を自分で作れば接待費を外部流出しなくて済みますし、お座敷にお招きした気持にもなれます。迎賓館を建てた気の緩みは内幸町に本店を建築し、果ては系列ノンバンクのバブル融資を産み本丸の転覆を誘導したのだと思います。
有栖川記念公園は有栖川野宮威仁親王のお屋敷が昭和9年に一般開放されてできた公園です。
有栖川公園の池撮影日は12月1日でしたから今週末は紅葉が一層進んだことでしょう。
有栖川公園は森が深く都心でありながら野鳥が棲んでいる森なのです。
此方は浅倉響子さんの作品「新聞少年像僕は少年新聞や、軽くしごけば新聞のインキがプン匂います大事に抱えて走る時マラソン選手のようでしょう・・・。”
麻布は坂の多い街です。広尾の駅から南部坂に向かって坂を登れば有栖川公園の入り口に就き当ります。
有栖川公園は江戸時代盛岡南部藩の下屋敷でした。明治29年(1896年)有栖川野宮威仁親王の新邸用地になり昭和9年(1934)に東京都に下賜され記念公園として一般開放されたのでした。
南部坂には播州浅野家の下屋敷も在ったのでした。、元禄15年1702年12月14日赤穂浪士は吉良邸に討ち入ります。その前夜は大雪だったそうです。大石内蔵助は主君浅野内匠頭の未亡人瑤泉院に暇乞いに訪れた「南部坂雪の別れ」の舞台として有名です。中心蔵のサビの名場面です。明日未明の討ち入り決行を伝え、同士の連判状を内匠頭の霊前に供えるのが目的でしたが、吉良の密偵の影にそれもならず、「東下りの旅日記」と偽って連判状を霊前に供えて、と断腸の思いで偽りを伝えて大石は南部坂を下って行きました。怒りに席を立つ未亡人でしたが、降りしきる雪に今生の思いを大石の背中を見送ります。やがて討ち入り成功の報を受けて、大石の志を悟り短慮を悔いる未亡人。討ち入りの場面を曳きたてるサビの名場面でした。恐らくここを飛ばして忠臣蔵という物語は成り立たないだろうと思えるほどの完成された情景でありました。
南部坂は急な坂です。 私は転んだらあ”一巻のお終い”ゆっくりゆっくり坂を下ります。乳母車の親子が私を追い抜いて行きます。
南部坂の西側はドイツ大使館です。コンクリートの擁壁にドイツ大使館のメッセージが描かれています。
古典学派の作曲家大学文化的なメッセージが大半です。そしてベルリンの壁崩壊の事件が描かれています。
足元を気配りしながら壁絵を観ながら坂を下ります。
古典派作曲家の壁絵。そう言えばドイツの文化的貢献の第一は音楽でしょう。納得です。
次は大学です。日本は医学工作機械を始め社会学などもドイツの恩恵に浴してきました。この壁絵も納得です。
次の壁絵はベルリンの壁崩壊です。これで冷戦は終止符を打ち地球戦争のリスクは減少し北は解放されました。
最期の壁絵は自然と文化でした。美しい自然に調和した文化其れは日本のテーマでもあります。
これは大使館が余白として残した壁でしょう。落書きで汚されていました。「悪貨は良貨を駆逐する」グレシャムの法則。文化も雑な文化が凌駕するようです。油断は禁物です。
坂を下ればナチュラルハウスと云うスーパーがあります。外交官やその家族を得意とするような品揃えです。歩き疲れた私達はこのスーパーの人隅にある31アイスクリームに入りました。青い目のお嬢さんが私達を見つけて”自分もアイスが食べたいよ”お母さんにおねだりします。青い目の女の子は何故あんなに可愛いのか不思議に思いました。
31アイスクリームで一休みして南部坂を後にしました。
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