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正受院で綿婆あ(奪衣婆)さんを拝んで、次は何処に行こうか迷いました出がけには小石川の蒟蒻閻魔(源覚寺)に回ろうと思っていたのでしたが針供養を見ると巣鴨のとげぬき地蔵に足が向かいました。今月は浅草のほうずき市を詣で、とげぬき地蔵を拝んで・・・・・、ワイフは後は柴又の帝釈天に行きたくなったのか三つの江戸っ子の旧跡寺院が混線しているようです。
新宿御苑前から地下鉄に戻り新宿駅で山手線に乗り換え巣鴨に向かいます。巣鴨駅を降りれば目の前が中山道(17号線)何処を向いても「とげぬき地蔵」の案内が目に入ります。もう私達もお婆ちゃんの原宿「とげぬき地蔵通が似合う夫婦になっているのですお婆ちゃんが歩きやすいように鋪道にはいろいろ配慮がしてあります。横断歩道の音楽は何故かカラスの鳴き声です。鋪道にはアーケードが設えてあり雨傘と日陰を提供してくれています。
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JR巣鴨駅前は中山道(国道17号線で駅前アーケードにはソーラパネルの屋根が張られて傘をささないでも歩きやすく出来ています。奥の三叉路から旧中山道で地蔵通り商店街が始まります。お婆さんの好きそうな甘味どころお爺さんのたむろする碁会所が目立ちます。
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此処が旧中山道三叉路で此処から庚申堂まで地蔵通り商店街が続きます。この日は藪入りでしたが余りに暑いので人出が少なかったようです。お婆さんも熱中症が怖いので家に閉じこもっていたのでしょう右側建物は巣鴨信金本店その奥に創価学会の戸田会館が聳えていました。
地蔵通り商店街に入ってすぐ左に真性寺(真言宗)があります。此処が江戸六閻魔六地蔵尊の一つです。明日16日が閻魔祭りだそうでその準備も出来ていました。
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突き当りが江戸六閻魔六地蔵の真性寺閻魔さんが地獄の釜の蓋を開けて地上を窺がっている看板が良く出来ています。屹度明日来れば地蔵絵と絵解き法話が聞かれるのでしょう。寄席もあるとなれば地獄八景亡者戯(米朝さんの十八番でした)が聞けたかもしれません。来年来なさいという事でしょう。
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これが江戸六地蔵尊の一つ真性寺の地蔵尊新宿の太宗寺と同じ大きさ意匠ですが。儀軌に従ったので同じ様に出来たのか。同じ工房で鋳られたので似ているのか解りません。
真性寺の参道を出て地蔵通りの向かいに「巣鴨ンのお尻」が鎮座しています”巣鴨ン”はユルキャラでそのドナルドダックの様なお尻が鎮座しています。肛門と思しき当りが黒ずんでいます。子供がお尻の穴に手を突っ込んでいるのです。
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これが真性寺門前のスガモンのお尻。子供がお尻を触ってお婆ちゃんの下の世話が懸らないようお願いしているもののようです。
変わったものが飾られていると思ったのですが直ぐに気付きました地獄絵図に糞尿地獄が在るのです。亡者が地獄の獄卒に追いかけられて逃げると其処が糞尿の池で溺れてしまう地獄絵図です。快便は年寄りの願いです。地蔵通りには赤いパンツを商っている店がが数多くあります。”赤パンツ”は巣鴨の名物のようです。
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巣鴨には赤いパンツが目立ちます赤い襦袢は江戸の艶だったのでしょうが、赤いパンツは艶も色気もありません。昔は赤い褌で遠泳したものでしたが・・・・・。
赤い色は火や血も象徴します。 だからこそ人々は、赤い色に呪力を感じ、そこに生命を感じます。お婆ちゃんの心配が”下”に在り。だからこそお地蔵様のゆだれ掛けの赤い色をパンツにして腰の病気除けのお守りにしたいのでしょう。
そもそもとげぬき地蔵の由緒は胃腸に患った病気の原因を快癒する事に在りました。
昔毛利家の女中が裁縫中に誤って針を呑み込んでしまいました。呑み込んだ針は抜けません。そこでは曹洞宗萬頂山高岩寺(在湯島)のお札を呑み込んだところ針はお札に刺さって抜けたという事でした。現代の感覚でいえば次のような事でしょう。毛利家の御女中が田舎から湯島の屋敷に登るようになりました。ところが環境の変化と極度の緊張の為に重い便秘に懸ってしまいました。どうしたんだ?上臈の質問に女中は誤って針を飲んでしまいました「実家に戻って静養させて下さい」。上臈は強度の便秘に陥ったものと判断し。高岩寺に参拝させ、お地蔵様のお札を飲ませたのでした。その結果便秘は治癒し硬い便が出たのでした。お地蔵様の腹巻が霊験のあるのは誰でも知っています。ならばお地蔵様のお札を飲んでしまえば胃腸病は体の中から治癒します。
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これは真性寺の清潔なトイレ入り口にはトイレの神様が見守ってくれています。
紅いパンツはもう色気も艶もどうでもよくなったお婆さんが快便を願って穿くように案内しているのでしょう。
元気なお婆さんが地蔵通り商店街を闊歩して美味しいお店で食べてお喋りを楽しんでいます。
私達は掻き氷屋に入ろう出来れば天然氷屋さんに入ろうと思ってお店を探していました。
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高岩寺檀信徒会館
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高岩寺の石仏群手前の井戸は地獄の入り口でしょうか?
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高岩寺門前の古いパン屋さん喜福堂店内にイートインコーナーが在って飲み食い出来ます。
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これがズンダ餡パンです



ところが私は古いパン屋さんの看板に書かれた”ずんだ庵パン”に惹かれて入ってしまいました。
私は”ズンダ”に極端に弱いのです於〇店のお嬢さんにズンダ餡パンと鶯豆餡パンとどう違うのか?訊いて見たくなりました。えんどう豆が原料なら鶯豆餡パンで枝豆が原料ならズンダ餡パンに決まっています。隣の八百屋さんの店先に冬瓜と夕顔が並んでいましたの八百屋の叔父さんに冬瓜と夕顔とどう違うのか聞いたところ叱られてしまいました。
今度は優しく答えて欲しいと思ったのでしたが。気が退けて聞けませんでした。お店を出た途端でした。私の眼の前に女学生が歩いてきて悪戯の風がスカートを巻き上げました。私は女学生にぶつかると思ったので。目をつぶりました。ワイフに言いましたこのお店に入ったから熱中症にならなかった。若し入らないでいたら。脳梗塞を再発していたかもしれない。そうしたら”とげぬき地蔵通りでお爺ちゃん熱中症で死亡”としてニュースになったかも知れない。
ワイフは私が正しく報道させますよ。”ロリコン爺さん女学生のパンツを見て脳溢血死”
”人生良い事も悪い事もあるのだから日々楽しみながら過ごしなさい”とげぬき地蔵さんの教えと思い、ワイフの”庚申堂迄歩いて都電に乗って帰りましょうし”提案に従って西日に向かって歩き続けました。歩きながら想いました赤いパンツは嫌だなやっぱりパンツは白に限る日本人は赤は呪術の色であるものの穢れの色でもありました一方白は穢れ無き神が降臨する色であります。。


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今日は(7月16日)は藪入り(やぶいり)です。 江戸時代までは商家の奉公人は1月16日と年2 回のこの藪入りの時だけ、お店を休んで実家(藪)に帰ることができました。明治になって「週」 の制度が入ってからもこの風習は続いていましたが、昭和初期には毎週日曜日が休日になってまでこの風習は消えてしまいました。
この日は閻魔様の縁日でもあります。そのため「地獄の釜のふたが開く」と言われ、海に出ることを禁じてきました。この日に地獄の十王詣でをする人もあり、藪入りで帰った人が故郷の閻魔堂にお参りに行く風習もありました。縁日には見世物や屋台が露店が並んで賑わったものでした。
今日は台風来週が懸念されていましたので、私はワイフに相談して昨日(7月15日)に江戸の閻魔様詣でに出かけました。
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江戸六閻魔江戸から地方に向かう主要な街道の閻魔様が祀られ六閻魔と謂われました。閻魔は地蔵尊の仮の姿ですから六閻魔は同時に六地蔵が祀られました。出典巣鴨真性寺パンフレットを転載
JR営団地下鉄丸ノ内線を乗り継いで新宿御苑前。大橋ビルの地下に出ました。このビルは更生法が適用されたエルカクエイが断末魔を迎えた場所です。何度も何度も通ったビルですが今はもう私は浦島さんの状態で目指す太宗寺が解りません。
そう新宿通りから歌舞伎通りに抜ける近道が太宗寺の境内を横切る位置に在るのです。汗を拭き拭きビルの角を曲がれば薄れていた記憶が蘇りました。今晩(15日の夜)は盆踊りが予定されているのでしょう。沢山の提灯が飾られ住人や事業者の寄付や御霊前が貼られていました。
台風次第で此処は盆踊りで大賑わいする事でしょう。普段は花園神社の境内に寄り添うカップルも藪入りの夜は太宋寺の盆踊りに集うのでしょう。屹度伊勢丹にお勤めの売り子さんも浴衣に着替えて閻魔さんを喜ばせるのでしょう。
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15日11時の太宗寺境内新宿6丁目盆踊り会場になっています。右の瓦葺きの建物が閻魔堂で正面の枕の様な白い建物が本堂です。境内中央に盆踊りの櫓が建っています。本堂の裏側が花園通りでその先に歌舞伎町が広がっています。
甲州街道の最初の宿場は高井戸宿(日本橋から4里16キロ)と遠い事からその中間に新しい宿(新宿を)設えました。其処は高遠藩の内藤家の)領地でしたから内藤新宿とも呼ばれました。太宗寺は内藤家の菩提寺でもありました。
品川も千住もそうであったように新宿は盛り場として賑わいます。遊び女が客を引き賭博場が出来。芝居小屋が並んで江戸の三悪揃い踏み状態になります。今の歌舞伎町の状態が江戸時代に現出したのでした。特に賑わったのが"藪の入り"でご主人から小遣いを貰った若い小僧さんが日頃の憂さを晴らして散財したのでした。
里に帰る途中で新宿の太宗寺で閻魔様お地蔵様にお参りして親元への道を急いだことでしょう。
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丈六の銅像のお地蔵さんが参拝客を迎えてくださいます。その右側が閻魔堂で閻魔堂の向かいが三日月不動尊のお堂です。
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閻魔堂はお線香濛々で見えません
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これが閻魔様壁に巨大な舌抜きの道具が用意されていますこれなら牛の様な舌でも抜かれてしまいそうです。江戸時代初めに鎌倉円応寺の閻魔像奪衣婆像を品川で転じた事から、江戸っ子は閻魔様と奪衣婆とは夫婦であると勘違いし、造形も円応寺のそれに似て作られた…誰かの著書で読んだ記憶があります。
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此方が太宗寺の奪衣婆さんこちらこそ円応寺の像に似ています痩せ細って浮き出たあばら骨垂れた乳は山姥を髣髴させます奪衣ばの半跏不坐(結跏趺坐の略式坐法、片足を他の片足の腿上に組んですわる坐法)は布団が一般化する前の出産姿勢ですし姥神の安産(多産)霊力もあって地蔵信仰の奪衣婆は近世になると子種安産願望を満たす現世利益の神になったように思います。都内最迫力の奪衣婆さんです。奪衣婆は三途の川で亡者の衣服を剥ぐのが仕事です。遊女はお客を裸にするのが仕事です。遊女にとって良いお客が取れるように願った事と妊娠しない様に願ったのが奪衣婆人気の要点でした。
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此方は境内東の閻魔堂の向かいの三日月不動明堂に祀られている不動明王。発心因縁十王経に依れば十王の忌日は第一(初7日泰広王が亡者の審議に当ります 泰広王(しんこうおう)」が生前の殺生を調べます。泰広王は不動明王の本地(化身として日本 の地に現れたです王のうち五番目の王が閻魔大王(えんまだいおう)です。閻魔大王は35日目に審判を下し、来世(次に生まれ変わる世界)が言いわたします。閻魔様の本地は地蔵尊です。イメージ 8

三日月不動尊堂から閻魔堂を見るビルの向こうが新宿通りでその200m先に新宿御苑が広がっています新宿御苑も含めて高遠内藤家の領と言われています。
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此方は不動堂の脇に祀られている塩かけ地蔵尊もう塩で固まっておいでです。流石に大江戸で鎌倉の塩なめ地蔵尊や足柄の粉かけ地蔵尊に較べると懸けられた塩の量が違います。塩をかけると皮膚が綺麗になる色白になるという事で遊女の信仰を得たのでした。イボやあばたニキビを取る等の効果があるそうです。太宗寺さんは民間信仰の博物館の様なお寺さんです。
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太宗寺の案内板
内藤家墓所をお詣りして太宗寺を後に次に正受院に向かいました。



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浅草の粋


ワイフの背中にはお母様が負ぶさっています。せっかく浅草に来たんだからお母さんが悦びそうな「粋な」お店を廻りたいものです。地下鉄浅草駅からして粋なデザインが目立ちます。
浅草には外国人が目立ちます。外国人はハンドブック片手に行列を作っています。手にしたハンドブックにはお店が推薦されているのでしょう。コスパの良い店は外国人が並んでいる店のようです。
地下鉄銀座線浅草駅からして粋にデザインされています。ポスターも古き良き時代の面影を留めています。
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雷門は大変な混雑です。
昔も今も浅草の待ち合わせ場所は雷門なのです。
風神雷神に観音様(金龍に天竜)浅草寺にお参りする人は風神雷神に迎えられますが帰りは慈悲の観音様に見送られようです。でも西側の聖観音様は美しく乳当てピッタリしているのに対し東側の観音像には頭に角があるし少し意地悪そうに見えますお見送りに当って”用心するんですよ”とのメッセージでしょうか?
雷門の巨大な提灯も含めて(700キロもあるそうです)は松下幸之助さんの寄進だそうで。松下電器の創業者の御礼参りだそうです。
パナソニックも大赤字続きで往年の覇気は見当たりません。”企業も人も良い事ばかりじゃないよ”メッセージが痛いようです。昔ながらの提灯も良いのですがソーラ提灯などハイテクが在っても良いように思います。
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ご存知雷門風神左が雷神右が風神です。真ん中の提灯も含めて松下幸之助さんの寄進(健康回復御礼)です。右の風神の背中側に鬼形の像が在ります。
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風神の背に祀られた鬼形の像。お寺の説明はこちらは竜神で(反対側が金神/双方合わせて金龍山浅草寺)
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巨大な提灯の底に刻まれた龍の彫刻此処に松下幸之助の字が隠されているそうですが、解りませんでした。

私の脳裏には学生時代読んだ『粋の構造/九鬼周蔵』が浮かんでいます。「いき」とは江戸時代の美意識「粋」のことです。美意識の解析について何故理屈っぽく説明しようとするのか余計解り難いではないかこれを「野暮」というのだ、そう想って積読しておいたのでしたが、私も歳を経て少しだけ解ってきたように思い始めています。粋とは所詮は色町(吉原)の空間だけで通用する美意識で。いい女に逢えるのも偶然です。顔見世で花魁を見初めるのはその媚態に惹かれるから。媚態に惹かれて一夜の恋をするのでしょう。江戸の町人は花魁の何処に色香を感じたかと言えば、着物の「抜き衣紋」。「髷ぐあいや襟足」、接吻した時の舌ざわりなどの「さはり」‥。こういうものが粋の意味体験をつくっていて、それが心の糸にふれて”ゾクッとするほどの色香を感じたのでしょう。遊女も夜鷹も裸になる訳でも触らせるわけでもないのにお客を取るのは色町空間の中で媚態に勝る”粋”といったアッピールをしたからです。
江戸の町人にとって異性が欲しい「恋しい」と思うのは自分の心に「寂しさ」が広がっているから。自分の寂しさの所為で異性を恋しく想い色町に出かけて自分自身を確認したのでしょう。色町では偶然に任せる事になります。遊女はそれとはなしに媚態を見せて男を誘います。でも遊女も”金さえ払って呉れれば誰に抱かれても良いんだ”思ってはいません。無粋(粋で無い事)や野暮はお断りです。力もあるしお金もある教養もあるし血筋も良い。現代風に言えば3K5Kで心立ても優しくなければ、最後は自分を見受けしてくれそうな”意気地”のある男性でなければお相手をしてくれません。
九鬼周蔵は江戸の美意識を西洋の言葉で解析してみせたのでした。
それは九鬼周蔵が西洋哲学を日本に輸入した明治の話です。
現代はグローバルな時代、色町も密室も許可されていません。でも粋は形を変えて旅行客や私の様な遊山客の欲求を満たさなくてはなりません。浅草の街中に粋の工夫が為されているようです。洒落も櫛も浴衣も和食も漬物も粋をアピールしています。ビールも冷酒も粋に飲まそうとしています。
伝法院通りを歩いていると若くて粋な青年が私を誘いに来ました。新宿の歌舞伎町なら”お父さん良い子が居ますよ遊んで行かない”言われそうな客引きです。
怪訝にしているとお兄さんは私を寄席に誘ったのでした。若い芸人は幕間には街に出て客引きをしているのです。
そんな下積生活を重ねて芸人に育つのでしょう。
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芋羊羹の舟和のお店今の目玉は黍団子のようでした。浴衣に赤い襷に色香を感じます。
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浅草公会堂前の景色
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新仲見世の履物屋さんこのお店は国産品ばかりですから少し高いのですが1000円程度の浴衣用の下駄や草履を商う店も多くありました。
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これは櫛屋さん簪もあって楽しいお店です。
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これは漬物屋さん奥に椅子席が在って試食可能で歩き疲れたお客さんが憩っていました。玉葱のワイン付(右端)けは乳房のようで可愛いのですが、少し甘く酸味が欲しいと思いました、食べ比べると黒胡椒が最高でした。
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上の漬物屋さんの栞私はこのお店で玉葱の漬物を求め毎日戴いています。
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漬物やの店先胡瓜も美味しそうですが奥には漬物の試食コーナーがあります。これもおもてなしでしょう。
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  12日の読売新聞のコラム。ミラノ万博で日本館が一番人気なのだそうだ。館内でふるまわれる試食コーナーが人気爆発の要因だそうで、1980年代のカナダ万博で日本車を展示して顰蹙を買った時代との違いを指摘しています。車の品質を売り込むのは「野暮」で煎餅や日本酒を試食試飲させるのが”粋”という事でしょう。
粋が良いのは誰でも知っています。でも野暮が居なければ粋の良さは解りません。私はもう歳ですから身の程をわきまえて粋がらずに野暮でも毎日の生活を楽しみたいものです。時々は浅草に出かけて粋を感じながら。
ところで九鬼周蔵ですが九鬼が粋に関心を持った事情は気の毒な背景があったと聞きます。
九鬼の父は文部官僚の九鬼嘉隆で母は九鬼波津子で波津子は周蔵の妊娠中に岡倉天心と恋に落ち周蔵は生みの父・隆一、精神上の父・岡倉、そして喪われた母という、この3人の狭間でそれは後の精神形成にも大きな影響を与えることとなったと考えられる。九鬼は子供の頃訪ねてくる岡倉を父親と考えたこともあったと記しています。天心は不倫問題で東京芸大を追われますし、九鬼波津子は離別させられてしまいます。九鬼周蔵は京都法然院の静寂の中に寝ておいでです。


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8月23日、汐留のシティーセンターに出かけました。
ANAセールスがこの秋の「ANAスカイホリデー(パック旅行プラン)」を売り出すのです。
今年は友人と18人と一緒に、奥能登に2泊三日の旅に出る予定です。
初日に予約しないと・・・・・、安く快適な旅はお覚つきません。
 
私は銀行員時代不動産・ゼネコン畑を歩んできましたから、全国の大規模開発には殆ど関係してきました。
北の苫小牧東部開発から、南の宮崎シーガイアまで・・・・・、
無理な開発、自然をいじりすぎた開発には様々な歪みが生じ、人も(銀行も)苦しんできました。
そんな大規模開発の中で、最初から一貫して順調に進んだのは、汐留開発が第一でしょう。
 
同じころ、横浜みなとみらいの開発が計画されていました。
みなとみらいの開発は横浜の景色を一変させましたが、開発地の中で売却できたのは未だ半分です。
計画通り地下鉄も開通して・・・・、でも、肝心要の宅地の売却は思う様に進みません。
宅地が売却できなければ、投下資本は回収できません。
一方、汐留は疾うに売却はおろか高層ビルが立ち並んで、活況を呈しています。
みなとみらいと汐留の違いは・・・・・・、東京と横浜、母都市の力の違いが第一でしょう。
それに、汐留は江戸城から見て吉の方角にありました。
 
汐留はその名の通り「海辺の湿地帯」であったのでしょう。
江戸幕府が出来ると、辺りの埋め立て事業に乗り出します。
諸大名に埋め立てを進めさせ、大名屋敷が並びました。
明治維新になると政府は大名屋敷を接収し、明治5年(1872)日本鉄道の起点になる新橋駅を汐留に建設しました。
大正3年(1914)東京駅が建設され、東海道線の起点が東京駅に移ると、新橋駅は貨物専用駅に変更されます。
汐留は貨物ターミナルとして栄えるようになりました。
 
しかし、貨物輸送の主力が貨物列車に代わってトラック輸送になると、
汐留は31haの広大空き地になってしまいました。
平成になる頃、再開発プランが俎上に乗り、長い間の発掘作業を終えて、
平成7年(1995)再開発の槌音が響くようになります。
平成16年(2004)には13棟の超高層ビルが立ち並びました。
 
JR新橋駅を降りて、地下街を汐留に向かいます。
汐留の空気は、東京駅とは随分違います。
背広を着ている人は疎らで、遊び着の人、子供が目立ちます。
まるで・・・・、TDLのある舞浜駅に降り立ったような感じがしました。
左にANAグループが入居しているシティーセンタービル、右が日本テレビ、奥が電通タワーになります。
企業群からして三次産業、ソフト産業が目立ちます。
みんな元気のある企業です。
 
日本テレビは麹町にありました。
フジテレビはその奥の河田町(新宿区)にありました。
TVのキー局はみんな不便な所にありました。(赤坂のTBSを除く)
親会社(新聞社など)の負担にならないよう、コストの安い場所に進出したのでした。
それが、現在ではターミナルや盛り場に進出して、集客しています。
(フジTVはお台場、日本TVは汐留、朝日TVは六本木のように)
何処のTV局もテーマパークか女子大の文化祭(経験はないのですが)のような演出です。
 
日本TVの広場は女・子供が群がっています。
喫茶店では、遊び疲れた女の子が熟睡しています。
”何処がそんなに面白いんだろう?” 不思議に思います。
 
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  ”海なんです”では砂の中に隠したお宝を子供に探させるゲームを行っていました。
   お母さんは子供を、親爺はビキニの女性にレンズを向けます。
 
射的があって、人造ビーチもあります。
バナナの木に囲まれて、ビキニ姿の女の子が子供を集めて遊んでいます。
綺麗な砂の中にお宝を隠しておいて、子供に探させるゲームのようです。
 
歌丸さんの大きな笑顔があって、舌が滑り台になっています。
二階の高さから一気に滑り降りるのです。
滑り台には「開局60周年」アーチが架かっています。
そうなんです、全日空も日本TVも昭和28年、戦後復興が始まる頃創業したのです。
 
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      笑点滑り台はビルの谷間から2階相当分を滑り降ります。開局60周年が誇らしげです。
 
地上階には宮崎駿監督の作品「風立ちぬ」の立体看板がすえられています。
記念写真を撮る、そんな配慮が窺がわれます。
日テレ大時計があります。
これも宮崎駿監督のデザインだそうです。
太陽光電気で定刻になると、この時計のカラクリが動くんだそうです。
天空の城ラピュタを思わせる・・・・、ブリキ製の鍛冶場のような・・・・、装置です。
1階は宮崎駿ワールドです。
 
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    風立ちぬの立体感版
 
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      日テレ大時計、次は3時、6時にカラクリが動くんだそうです。動力はソーラ、1分間だそうです。
 
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  ステージには「汐博」の看板が立っています。今週末の24時間TVではこのステージが使われるのでしょう。
  中空にモノレールが走って行きます。此処に居ると「浦島太郎」の気分です。
 
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       ステージを取り囲んで群れる、若い女性、子供達。
 
 
私の約束時刻は3時でした。
15分前に着いて・・・・受付で、”待たせていただきます” 伝言すると、
既に連絡が行き届き、お待ちいただいていました。
ホールには「創立60周年記念デザインの機体が飾られていました。
”全日空さんも60歳ですか! お向かいの日テレさんも60周年、同じ齢なんですね・・・”
私には深い感慨があります。
でも、受付の女性にはたいした感動は無いのでしょう。
”そうですか…、日本TVも60周年なんですか・・・・”
他社には関心無さそうです。
 
期待通りの提案が用意されていて・・・・・、18人分の予約金を入れてきました。
これで・・・・、今年も良い旅が出来そうです。
 
汐留にいると、浦島太郎の気分です。
 
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                             全日空、33階の受付に飾られた「60周年記念機体」
 
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     奥能登旅行で見学したい「大野製炭工場」の商品。お茶用の炭。断面は菊の花のようです。
     皮が落ちたら着火に時間を要するし・・・・駄目なんだそうです。クヌギの若木を使います。
     だからクヌギの植林から始める・・・・、世界農業遺産だそうです。
     文化産業は自然との調和の中で育まれている事が多いんです。(同社HPから転載)
 
 
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今年の夏は書道展が目立ちます。
国立博物館では「和様の書」が催され、
世界記憶遺産に認定され た世界最古の自筆日記「御堂関白日記/国宝藤原道長筆」が展示されています。
国立新美術館では第65回毎日書道展が開催されています。
3万5千人もが応募して、入選した作品が展示されています。
私の同期のA女史が今年も入選、目出度く受賞されました。
当展示会に参加して10年目だそうです。
昭和46年、初めて日本文化研究会でお会いした時から書は上手でしたから・・・・、
そのまま研鑽を続けていたら・・・・、今頃は特選(?)かと思いますが・・・・、
子育てを終えて、また30年ぶりに筆を執られた事に敬意を表します。
同期7人で見学、食事をして受賞をお祝いしました。
 
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     毎日書道展の新聞記事。同期のAさんは受賞しました。
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   私が良いな思った作品、道元禅師の和歌を配した作品。
   春夏秋冬の春と秋の間に丸い穴が開いているのが気になります。(抜けた・・・という事でしょうか?)
 
 
国立新美術館を出て・・・・・、解散、私とT君二人は六本木3丁目なだれ坂にある「善学寺」に向かいました。
目的は江戸時代末期、稀有の狂歌師「天広丸」の墓参りです。
 
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     善学寺は六本木3丁目、なだれ坂に面してあります。坂の下は六本木通りになります。
     なだれ坂の名は土砂崩れが多かったから・・・・、案内されていました。
     道路に面して250mの高層ビルが建築途上でした。
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          善学寺門から本堂を望む。道路向かいは区画整理事業で高層ビル建築中です。
 
 
江戸時代芭蕉が俳句を確立します。
俳句は広く発展します。
町民の間では、俳句の季語などの約束事を排除し、自由にかつ批判精神を発揮した川柳が人気を博します。
川柳は更に、狂歌をうんでゆきます。
 
鎌倉の北に白山神社があります。
その並びに磯田広吉(宝暦5年1756年〜文化6年1828年)が出現します。
磯田家は今も鎌倉の今泉にあります。
こんな農村の倅が、江戸に出て狂歌の判者になります。
狂歌に没頭し、酒を好んだのですから・・・・、広吉は当然のように没落してしまいます。
号は「酔亀亭」「酔亀翁」。著作に「狂歌酒百首」、編著に「狂歌玉笹集」があります。
 
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     これが天広丸の句碑。徳利は広丸のサインです。藪茗荷が咲いていました。
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   句碑の背に辞世の句が刻まれていました。
    心あらは 手向て呉よ 酒と水 銭の有る人銭の無き人 酔亀亭
   
   
そんな、広丸のお墓が六本木の善学寺にあるのです。
本堂の左横に緑色の自然石があります。
自然石の表には「天広丸」の号と得意の徳利のサインが、
自然石の裏には辞世の句が刻まれていました。
 
鎌倉の磯田家の子孫たちは、財産を食いつぶした道楽者ですから・・・・、お墓も名にもしなかった事でしょう。
さすれば、この句碑もお墓も・・・・江戸の狂歌仲間や弟子たちがカンパした・・・、想像致します。
辞世の句の通りに、気持ちがあったので・・・・、お金のある人はお墓を建て、句碑も建て、酒を供して・・・・
故人を偲んだ事でしょう。
 
お墓は句碑から遠くない位置に建っていました。
『法名 栄誉浄願信士 文化六巳三月廿八 天広丸事逆終也 本所石原町』
と刻まれています。
という事は・・・・・、広丸は六本木ではなく本所に住まいがあったのでしょう。
六本木の狂歌仲間がシッカリしていて・・・・、此処に埋めてあげたのでしょう。
 
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善学寺の門に続く壁に標語(?)が掲げられていました。
「苦にすまい 雨は降るもの あがるもの」
書かれています。
昨今のゲリラ豪雨の凄まじさでは・・・・・・、いずれあがるから「苦にしない」という訳にも行かないかもしれません。
でも、総じて雨は何れあがるものだから・・・・、苦にせずに遣り過ごしましょう・・・・。
呼びかけは理に適っています。
 
そう理をわきまえれば・・・・・、
「死んでしまえば財産をあの世まで持って行けるものでは無し・・・・、現世でも人と交わり、酒を酌み交わし・・・・、
あの世でも少し酒を飲みたいもんだ・・・。」
思うのは自然です。
金のない人は「水を供してください!」・・・・・とも言い添えています。
生きている間も、死んでも人が欲するのは・・・、人と人との交流、コミュニケーションです。
お盆は生者と死者とのコミュニケーションです。
 
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      六本木交差点。善学寺は写真の右手前、坂の下にあります。
 
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        広丸墓の辺りから、句碑が見え、その向こうに富士フィルムビルが見えます。
 
六本木は今では指折りの盛り場です。
世界中の酒が売られて・・・・、世界中の酒場が営業しています。
もう、日本じゃないのではないかしら? 思う程の多国籍地帯です。
広丸が生きていたら・・・・目を白黒させたことでしょう。
そして、世界中のお酒がそれぞれに美味しいもんだ・・・・、評した事でしょう。
お酒はコミュニケーションを活発にします。
 
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    善学寺無縁塔。 この右手前に小さな角塔があってそれが広丸のお墓です。

【追記】 広丸の生まれた鎌倉今泉の句碑は以下に書きました。
 
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