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朝のニュースでは御嶽山噴火の被害の状況が流されています。昨日は11人もの死者が確認され、死者は既に47人、最悪の火山事故になってしまいました。
勿論亡くなった人は気の毒ですが一番に涙を誘うのは故人のご家族です。「死」の実相は本人は知らず、最愛のご家族に実相を確認させるのは惨い事実です。
それにしても人は危険が伴うかもしれない高い山に何故登るのでしょうか?山男に訊けば「そこに山があるから」答えます、でもが実は「浄土を見たいから」ではないでしょうか。私はそう思っています。古代「浄土を見たければ宇治(平等院)に行け」言われました。
今年は平等院の修復が終わって改めて古代人の感性に驚かされました。
現代人は「高山の頂上にこそ浄土がある」経験してしまったのです。夏にはお花畑が出現し秋には紅葉が錦に染まります。何時もは麓から頂上を見上げるだけだった高山でしたが、「あそこに行けば浄土が視られる」確信していたからこそ祖先の霊は山上に宿っているし」自分も登りたいと思うのでしょう。
平等院は修理も終えて一層鮮やかさを増して拝観できるようになりました。修理に際して古代人の世界観が改めて確認されて興味深いものでした。写真は色漆を塗られた雲中供養仏(朝日新聞日本の美を複写)
宇治は浄土を現出していましたが、同時に木曾の義仲が義経に攻められ源平の争乱も宇治が舞台になってしまいました、浄土は地獄の隣に位置していたのでした。
御嶽山に浄土を見たハイカーは次の瞬間に地獄の底に落されてしまったようです。噴煙が襲い、雨・霰と噴石が落ちてきたのでした。
飛火地獄図はまるで火山が噴火して人々の頭上に火山弾が落下してきているようです。
テレビでは噴石が野球のボール程の大きさで時速300キロに及んだこと、高い密度で落下してきて一瞬のうちに落命したであろうと説明しています。
私は突然に川原石を連想しました。
実は昨年の今頃は放代忌で瑞泉寺と山崎放大さんお墓のある山梨の左右口村の円楽寺に上ったのでした。
日文研のT先輩からお借りした放代さんの「青紫蘇のうた」では放代さんが自分お墓標にしようと笛吹川の川原石を拾ってきて、父母の墓の横に据えた事が書かれていました。どうも墓石を置いた時から放代さんの歌は一皮むけて新境地に到達したようです。
同じ丸い石でも火山弾は命を奪いますが、川原石になれば丸くなって命を活かすかのようです。
円楽寺には大銀杏があって、その門前が山崎方代さんのルーツ小林家でありました。
放代さんの墓は円楽寺の本堂裏にありました。道に落ちていても誰も拾わないのでしょう、栗が落ちていました。
私と家内は沢山ある山崎家と刻まれたの墓の中から放代さんの墓を探しました。墓碑銘を見て回ります。ようやく見つけました。墓石の側面に脇に施主であった放代さんの想いが刻まれていました。
墓碑銘は次の通りでした。
墓碑銘は「父山崎龍吉、母けさ乃、ここに眠る。兄龍男をはじめ若く幼くして死んだ八人の兄弟姉妹ここにやすらぐ。
われ一人、歌に志し故郷を出でていまだ漂泊せり。壮健なれど漸くにして年歯かたむく。われまたここに入る日も近からん。心せかるるまま山崎一族墓をここに建つ。方代」と。
墓を建てて、肝の据わった放代さんは独自の境地を闊達に進んでゆけるようになったのでしょう。
放代さんのお墓に通じる道路に落ちた栗の実
鎌倉手広の放代庵の近くで自生している紫蘇
母の名は山崎けさのと申します日の暮方の今日のおもいよ (一路)
地上より消えゆくときも人間は暗き秘密を一つ持つべし 私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられてわがかえる村(右左口) なるようになってしもうたようであるが穴がせまくて引き返せない (迦葉 これが放代さんの作られた山崎家の墓右手前の丸い石が放代さんが自分で拾ってきた笛吹川の川原石だと思われます
私達は黒胃御影石の脇に無造作に置かれた川原石(白御影)を確認しました。そしてその花入れを見て驚きました。何と黄ばんだし壜が置かれているのです。
墓石の前にし壜が置かれていました。
放代さん自身が設えたとは思えません。誰かが面白半分諧謔趣味でし壜を花入れ代わりに置いたのでしょう。
私は「落語」を想い出しました。桂文楽さんが得意にした落語に「尿瓶(しびん)」があります。
道具屋の店主が花瓶の横に尿瓶(しびん)を置いて処、武士が来て尿瓶(しびん)を手に取りしげしげと見詰めていたのでした。店主は一瞬嫌な予感がします。武士はどうしても尿瓶(しびん)」が欲しいと言うのでした。
店主は「それは花瓶でなく尿瓶(しびん)です、汚いものですからお止め下さい」と言えないで居ました。「それはしびんです」かすかな声で言うと武士は「し壜と申す名工の作であるか!」と感心します。
そこで腹を決めた店主は「流石にお目が効きなさる」と言って5両と吹っかけます。
武士はし壜を求めて意気揚々と帰ります。
暫くすると武士が道具屋にどなり込んできました。
手討ちに致すから首を出せ、刀の柄に手を掛けます。 道具屋は真っ青になって答えます。 「病気の老母に、朝鮮人参という五両もする高い薬を
飲ませなくてはならずその金欲しさ、悪いこととは知りながら、 尿瓶を五両でお売りしました。 お蔭で母の喜ぶ顔が見られます。その時まで私の命を預けてください」懇願すると。 武士は去って行きました。
そこで道具屋は店終いをしてしてドロンしてしまいました。
放代さんのお墓に尿瓶を置いた人の考えは解りませんが多分落語の事は承知していて江戸っ子の洒落の積りなのでしょう。洒落奈良自分の墓にすれば良いものを、戦後を代表する私の敬愛する歌人の墓にするとは、最悪の趣味です。何れ放代さんを敬愛する方が撤去さする事でしょう。
放代さんが好んだ銀杏の実放っておけば迷惑ですが拾って果肉を除けば美味しいのですが・・・。
今年は我が家で一人で放代忌
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