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文学散歩

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蝶は完全変態(卵・幼虫・さなぎ・蝶)をします。一方蝉は不完全変態(蛹が無い)です。
古代の人は動かない蛹の背中が割れて蝶が飛び出して、虚空を舞う姿を見て確信したのでした。
蛹は死体で、蝶は体から浮遊した「魂」だと。
従って蝶は「魂」「霊」として畏怖しました。
野辺送りの道や墓地には蝶が飛んでいるものです。
そこは「蝶の通り道」になっている事が度々あるからです。
特に昔は蝶が最も目立つ半夏生の頃に亡くなる人が多かったのでした。
そんな事もあって、葬儀には度々蝶が参加してきて、涙を誘います。
蝶を見て、故人の霊魂が体を抜けて天に昇った・・・、思いました。
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                     虚空を舞う蝶は死者の霊魂を思わせました 
 
遅れていた蝉が急に鳴き出しました。
地面に1cmほどの穴が空いています。
蝉の幼虫が這い出して来た跡です。
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          地面に空いた穴は蝉の幼虫が抜け出た跡です。
 
蝉は7年間も地中で幼虫として過ごし、地上に出て飛び回り、1週間もしたら死ぬと聞きます。私の子供の頃の記憶では網で捕まえて籠に入れても翌日には死んでしまいました。
1週間かどうかは解りませんが、地上生活がはかない事は間違いないでしょう。
子供の頃は「可哀想」思っていました。
地中の生活が苦しくて、地上が楽しいと思っていたからです。
でも、今は考えを改めました。
地中で生活する事は羨ましい・・・、思います。
年中快適な温度で湿度も守られ、天敵に食われる心配もありません。
ひたすら木の根に口先を差込、樹液を吸い取るだけです。
で、地上に出れば「女が欲しいよ!」と叫びまわり、交尾をしたら直ぐにあの世行きです。
可能な限り地中で長く生きたいものでしょう。
 
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                恋に焦がれるように鳴き続ける蝉。夏には欠かせません。
 
蝉の脱け殻が目立ちます。
幼虫が蝉になった後の「外骨格」です。
中世の騎士の鎧のような姿です。
古代人は現実に生きている人を「現人/うつせみ」と呼びました。
それが平安時代に「空蝉」と言う漢字を充てるようになりました。(広辞苑)
何故か? それは実際に自分の目の前に居る人が「本当の人」なのか、それとも「仮の人」か疑問に思ったのでしょう。
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               曙杉の枝先には空蝉が沢山着いていました。
 
蝶や蝉が「変態」して姿を変えるように、人間も姿を変えるのかもしれない?
で、目の前に居る人は「仮の人」で、「本当の人」は目に見えないところに居るのかも知れない・・・、思ったからではないでしょうか。
平安時代になって、王朝文化が華やかに咲きました。
その繁栄は表であって、実は空しいものかも知れない・・・、思いました。
 
そう思って自然を見ると「空蝉」が目に付きました。
肝心の蝉は儚く死んでしまっています。
そこに「無常」を感じ始めていたのではないでしょうか?
そこで、「空蝉」と言う漢字を充てました(作りました)。
実態は無常で、自分達は空蝉の世界に漂っているのかもしれないと・・・。
 
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源氏物語の始まりに「空蝉」が出てきます。
源氏は既に「葵上」と結ばれています。
しかし、母(桐壺の更衣)の面影を宿す「藤壺の女御」に恋情抱きます。
そんな或る晩殿上人が集まって、好みの女性談義をします。(雨夜の品定め)
源氏は様々な女性が居る事を聞き知り、関心を高めます。
翌日、源氏は女性談義で触発された気持ちも手伝って、「空蝉」の館に忍び込みます。
空蝉は中流貴族の某老人の後妻に迎えられた女性で、慎ましやかな女性でした。
しかし、空蝉は執拗に迫る源氏を拒みます。
源氏は堅固な空蝉にかえって執着を強くします。
或る夏の夜訪れて、物陰から透き見をします。
空蝉は若い女(軒端の萩)と碁を打っていました。
 
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  源氏は碁を打つ空蝉(右側の女性)を透き見します。空蝉の弟に案内させて寝所に入ります。
 
源氏は女の寝所に忍び込んで女を抱きます。
抱いた女は空蝉ではなく「軒端の萩」でした。
源氏は空蝉の着物を抱いて悲しみます。
空蝉の 身を変へてける 木の元に なほ人柄の 懐かしきかな
 蝉が脱皮して飛んでゆくように、貴方も衣だけを残して逃げていってしまった・・・。   
私は貴方の衣の温もりや香りに懐かしさを耐えかねています。
 
すると、空蝉は返歌します。
    空蝉の 羽に置く露の 木がくれて 忍び忍びに 濡るる袖かな
私は源氏さまを無視し続けたけれど、本心は貴方の一途な姿勢が嬉しくて、ひそかに涙しています。
 
源氏物語の恋の遍歴のスタートは「空蝉」でした。
平安の昔も今も、男性は未亡人や後妻に惹かれるものです。
でも、源氏が抱いたのは別の女で、意中の人には逃げられてしまいました。
想い人の着物を空しく抱くだけでした。
源氏物語の行く末を思わせる結末でした。
それは「男女の恋・愛」は「仮の姿」儚いものであります・・・、
平安時代の貴族の世界観を示していると思います。
 
また、品良く慎ましやかで、操の堅い空蝉は作者「紫式部」を思わせもしています。
 
私は緑陰で蝉時雨を浴びて、梢を見上げて蝉を探します。
居ます、居ます、そこかしこに居ます。
空蝉はドンドン増える事でしょう。
御霊神社の狛犬にも空蝉が着いています。
私は「狛犬さんも煩わしそうだな・・・?」覗いてみました。
そうしたら、狛犬が答えました。
「蝉如きは我慢が出来るが、団子虫は困ったもんだ。俺の鼻の穴に入り込んで、息苦しくてならない・・・。」
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                 御霊神社の狛犬にたかった空蝉と団子虫(鼻の穴)
 
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吉野秀雄は明治35年7月に群馬県高崎市で生まれました。
大正11年慶応義塾大学経済学部に進学します。
ところが、同13年に喀血して帰郷、長年にわたる療養生活が始まります。
発病をきっかけに正岡子規ら「アララギ派」の文学を読みます。
そして自らも歌を詠みます。昭和6年鎌倉に転居、私淑していた会津八一等に会います。
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     今日のテーマは「佐島の浜木綿」の花です。此花には歌人吉野秀雄の想いが託されています。
     背景は箱根山
 
 
昭和29年7月、吉野は友人から連絡を受けます。
「横須賀の佐島にハマユウが咲き出したらしいよ!」
鎌倉の小町に住んでいた吉野はバスに乗ります。
逗子で三崎方面行きのバス乗り換えます。
バスは葉山の海水浴場を縫って走ります。
最初は満員でした。一色海岸、森戸海岸、長者岬海岸、秋谷海岸次第に乗客は減ってゆきます。
芦屋では吉野一人しか乗っていませんでした。
バス停から坂道を下って、佐島の漁港に向かいます。
漁港の入り口に橋が架かっていて、その先が「天神島」です。
佐島の天神様の磯がハマユウの自生地なのでした。
 
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   森戸海岸の風景 左端に江ノ島が望めます
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   長者岬、その付け根高台(写真右端)にホテル音羽の森があります。手前子安の浜辺
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 佐島漁港
 
天神社の鳥居の横に吉野の歌碑と、横須賀市の解説文が建立されています。
   この島を北限とする浜木綿の
   身を寄せ合うがごとき茂りよ
   草質(くさだち)といえど 逞し浜おもと
   佐島の磯に いのち根づきし   (寒蝉集)
 
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  佐島天満宮、手前が浜木綿。森は野鳥の棲家です。この左端に吉野秀雄の歌碑が建っています。
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  吉野秀雄歌碑、浜木綿の生命力の逞しさと気高さが歌われています 
 
佐島の磯は溶岩流で出来ています。
波が浸食し荒々しい磯が広がっています。
磯と天神様の森との間の狭い空間に砂地が続いていて、海浜植物が自生しています。
今、一番目に付くのが「スカシユリ」です。
強風に耐えるために背丈は短いのですが、大輪のオレンジの花が咲いています。
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     手前が「スカシユリ」、奥が浜木綿の花
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                              スカシユリの群落、背後が天満宮の森
 
そして、浜木綿が寄り添うように生えています。
大きな緑の株は「万年青/おもと」を思わせます。
ですから姿を見れば「浜万年青/(浜に自生するおもと)」の名はピッタリです。
 
でも、浜木綿(はまゆう)が一般名です。
木綿(ゆう)とは神主さんが使う神具で、楮(こうぞ)の枝を裂いて繊維を表面にしたもの、
神主さんが振るって「お祓い」をします。
浜に咲く「木綿」のような花、と言った意味でしょう。
水仙ほど強くはありません、微かな芳香が漂います。
そして、強い光、真っ青な空、海に負けずに純白に咲いています。
 
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      佐島の浜木綿、正面の雲の下に富士山が見える筈です。左に江ノ島が見えます
 
       
吉野は浜木綿の花が咲くのを心待ちにしていたのでしょう。
そして、その姿を「逞しい」と感じ、「いのち」の尊さを感じ入ったのでした。
吉野は病根と戦いながら昭和42年(享年65歳)亡くなります。
そして、こよなく愛した「瑞泉寺」に眠ります。
山門の横に碑が立っています。吉野の生き様を表す短文です。
 
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               瑞泉寺、吉野秀雄歌碑。同寺で最も目立つ位置に建っています
 
   死をいとひ 生をおそれ人間の ゆれ定まらぬこころ知るのみ     吉野秀雄
 
その斜め向かいに吉野を慕った山崎方代の歌碑が立っています」
  手の平に豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る 
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                             瑞泉寺のある山崎方代の歌碑

きっと瑞泉寺の当時の住職が選んだのでしょう。
「吉野は生死の不安を指摘し、不安自体が人間である」と言っています。
道元さんの言葉にもあります。
一方山崎方代は「(そんな事はさておき)、毎日を大好きなお豆腐を戴いて楽しんで生きてゆきます」
そんな姿勢です。良寛さんを髣髴させます。
遊行の精神を思わせます。
 
禅の姿には「吉野秀雄」「山崎方代」二つの正反対の道があるのだよ・・・・。
貴方はお好きな方を選べばよい・・・・、瑞泉寺住職の教えでありましょう。
 
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                慶応大学の浜木綿、三田校舎南校舎前を埋めています。大学のHPから転載
 
ところで、慶応大学三田校舎の南門を入ると、土手一杯に「浜木綿」が植わっています。
学生さん達はこの花を知りません。
何故かと言えば花が咲く時期は「夏休み」だからです。
だから、この株の先を何気なく素通りしてゆきます。
 
この文章を書くに際して慶応大学のホームページで確認してみました。
すると、昭和33年大学の100周年記念事業に際して塾員「柳弥五郎氏/元海南市市長」が植えたのでした。
日吉の記念館前に植えられた浜木綿は霜枯れしてしまったが、
三田校舎は懸命な霜除け対策が奏功して見事に根付いたのだそうです。
昨今は温暖化していますので、そんな苦労も無くなったのでしょうが。
もちろん、浜木綿が芳しく、姿が尊いから選ばれたのでしょう。
「浜木綿のように逞しく、かつ知的に、純粋に生きてほしい」塾生へのメッセージでありましょう。
それは、吉野秀雄が浜木綿を愛した理由とも共通するものです。
暑い夏、青い空、紺碧の海に浜木綿は似合いすぎます。
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浜木綿は磯に咲いていてこそ、美しいものです。
 
 
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私は毎週土曜日に日本文化研究会の研究会に出席しています。(出席しようとしています)
今日は大学生が「日本の昔話を紐解く」と題して発表するそうです。
幹事の話では「18歳未満の人は聞かないで欲しい・・・」との事、
発表の方向が少し解るような気がします。
 
私の道祖神研究も大きく見れば豊穣を司る神であり、「性神」です。
古代の人にとって「エロス」は万物誕生の不可思議であり、驚異であります。
驚きは「昔話」になり、信仰(性神)になりました。
ですから、「昔話」と「性紳」はクロスする部分が沢山あります。
研究会を前に、「浦島太郎」を素材に考えを整理してみます。
 
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    子安の「浦島寺」はJRと京浜急行線とに挟まれた場所にあります。
    此処には浦島太郎親子の墓と、太郎の聖観音像が祀られています。
 
私達が知っている「浦島太郎」の話は、尋常小学校唱歌(1900年明治33)です。
明治政府が滝廉太郎や土井晩翠に依頼して音楽教育に注力します。
その中で名作唱歌を編纂します。
その結果、昔話は歴史的にも、地域的にも様々であったものが、スタンダード型が決定してしまいます。浦島太郎も桃太郎も一寸法師も皆それです。
道祖神が時代によって、地域によってダイナミックに変化します。
昔話も同様で、基本型なんて言うのはナンセンスです。
政府はそんな事をする必要もありません。
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                  浦島寺(正式名慶運寺)の本尊聖観音は浦島太郎が祀ったものでした。
 
浦島太郎が、最初に表れるのは日本書紀、そして丹後の国風土記でした(奈良時代)。
水の江の浦島の子が7日間釣りに出ます。
海で海神(わたつみ)の娘亀姫と出会います。
そして、二人は結婚し海神の宮で3年暮らします。
でも、太郎が「一度故郷に戻りたい」と言うと、玉手箱を渡されます。
故郷の水江村に戻ると昔の面影は無く、知人も誰一人も居ませんでした。
仕方なく、玉手箱を開けると白髪の老人になってしまい、息絶えてしまいました。
そんな話です。
「放生譚(生き物を助けると恩返しがある)」と言った仏教的な香りはありません。
 
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                                         浦島寺門前の亀さん
 
 
室町時代に出来た御伽草子になると、また少し違います。
前半は小学校唱歌と同じですが、最後が違っています。
太郎は両親の墓を詣でます。誰もが死んでしまい、自分の孤独を絶望してしまいます。
玉手箱を開けると白い雲が湧いて、太郎は鶴になって飛び去ってしまいます。
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                        カンゾウの花が咲き出して・・・・、浦島太郎も夢の話です
 
そして、横浜の浦島太郎(子安海岸と向かいの浦島が丘一帯に残る)は随分様子が違っています。
話しの主人公は「父、浦島太夫」「倅、浦島太郎」の話です。
浦島太夫は丹後に赴任していました。
ある日ある太郎は浜辺で亀を救ってあげます。
亀から両親の墓が武蔵国子安の浜辺にあると聞きます。
そこで、子安に行きましたが墓を探しても中々見つかりませんでした。
見かねた乙姫が松明で照らしてくれてやっと墓が見つかりました。
そこで太郎は墓の傍に庵を作って住みました。その庵の聖観音像が慶運寺に祀られています。
昔話ですから、人から人に口伝されます。
既に風土記や御伽草子で有名になっていた「浦島伝説」と「地域の言い伝え」を整合させたのでしょう。パッチワークはお話の常套手段です。
時代変化も在れば、地域によって変化します。ストーリーは絶えず変化します。
変化するから、口伝されてきているのです。
 
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                          浦島小学校の遊具、浦島が丘一帯は浦島太郎一色です。
 
最近、ロマン溢れると理解されてきた「昔話」が、実は「ホラー話」であるとか「エロス話」であるとか・・・、事細かく解説する本が出版されています。
長く昔話が伝えられるのは、話自体に多少の毒味が無ければならないでしょう。
ホラーであったりエロスであったり・・・・。勧善懲悪、動物の報恩話だけでは面白くありません。
子供達は話を聞いて恐怖心が煽られたり、セクシャルな場面を想像したりします。
其処が毒味であって、惹きつけられるポイントです。
別嬪な乙姫様を奥さんにして・・・幸せだろうな。
でも、一人だけ歳を取らずに過ぎてしまい、知っている人も村も無くなってしまったら・・・怖いなあ・・・・・!想像します。
想像する世界が広ければ広いほど、怖ければ怖いほど、タブーな世界(性など)が垣間見れればそれだけ・・・・、口伝される昔話になるのでしょう。
時代や様々な人の洗礼を受けて、残されて来た昔話が名作であり、文化史的価値があるのでしょう。
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                    浦島小学校校門の亀さんは交番初め随所に見られます。
 
 
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【定家蔓の花】
昨夜来の雨が明け方になると風が強まって,さながら「嵐」になっています。
これでは、菖蒲の花も傷んでしまうでしょう。
定家蔓は全部散ってしまう事でしょう。
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         鎌倉石の石段に散った「定家蔓/かずら」の花。風車の形です。今日の話題はこの定家蔓です。
 
 
研究ならば実証可能な材料を積み上げて構成しなければなりません。
小説ならば少しの材料だけでも、推論を重ねて物語を進めれば良いのです。
実証資料が少ない場合、小説のほうが真実に迫れるケースが多くなりますし、楽しく読めます。
NHKの大河ドラマは小説の代表でしょう。
歴史学問にすれば、面白味が無くなってしまいます。
 
ブログはどちらでも構わない、便利なツールです。
私は研究にしたいのですが、資料が足らず推論を重ねているテーマに「幽霊の転換」があります。
ずっと「定家蔓/かずら」を見る度に思い出しています。
花が散ってしまう前に現在の考えの大綱を書いてみます。
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                                 定家蔓のアーチ
【幽霊になるのは男か女か】 
ところで、日本の文化で世界をリードするものの一つに「幽霊」があります。
時々、ジャパンホラー映画が世界中を席捲するのを見ると、日本の幽霊はグローバルなんだ・・・、確信します。
 
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応挙の幽霊「お雪」
 
良く日本の幽霊には足がない・・・と言われます。
でも、古代の怨霊には足がありました。
足の無い幽霊は円山応挙が描いたのが始まりとか、人形浄瑠璃が始まりだ・・・とか言われています。平家物語に出てくる幽霊(怨霊)はクッキリ・ハッキリ描写されています。
 
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定家蔓。白くぶら下がっているので、霊のように見えたりします。
 
もう一つ、幽霊になるのは総じて女性です。
大半が愛情を裏切られて、幽霊になって現世に出現して恨みを晴らします。
女性の性格が幽霊になるのに最適だ・・・、考えられています。
でも、これは江戸時代、雨月物語や四谷怪談、牡丹灯篭などがヒットしたからで・・・、
でも、その前の時代は男が幽霊になっていました。
 
平家物語は非業の死を遂げた平家の公達の怨霊が再三登場します。
「忠度」も「敦盛」もそして兵士達も怨霊となって出現します。
平家物語のヒロイン「祇王」「仏御前」「横笛」も幽霊にはなりません。
まして、常盤御前や静御前は芯の強い女性で運命に抗して生き抜きますし、
巴御前に至っては武勇で男勝りに描かれています。
幽霊に驚いて落命したのは源頼朝で、妻の政子は頼家を殺しても幽霊に怯える素振りも見せません。
女は強く、男性が女々しかったのです。
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        鎌倉雪ノ下の某神社では槙の木に定家蔓が絡まって、いずれ槙は枯れる運命のようです
 
 謡曲「定家」は室町時代金春禅竹の書いた名作です。
主人公は当時の最高の歌人(文化人)藤原定家・・・・・、の筈ですが、定家は登場しません。
「定家蔓」が登場して、定家のイメージだけが全巻を通じて謡曲のテーマになっています。
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                迫力の定家かずら、まるで海坊主が顔を出したよう・・・で。 
 
謡曲「定家」の話は凡そ以下の通りです。
 
旅の僧が京都の都千本辺りで日暮れを迎えてしまいます。
すると俄かに時雨が降ってきます。やむを得ず雨宿りをしていると若い女が現れます。
この庵は定家の建てた「時雨亭」だといいます。
女は僧を式子内親王の墓に案内します。
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式子内親王図、探幽画、学研「百人一首」より撮影
 
式子内親王は後白河法皇の娘、賀茂神社の斎院でありました。
神に仕える身の上ですから定家の愛情を受け入れる事もできません。
不遇の中で亡くなりましたが、定家の執心が消えずに内親王の墓にまで絡み付いてしまいます。
従って内親王の魂は休まる事が出来ません。
女は言います、「自分こそ内親王なのです、どうかこの定家の執着を解いて、私を救ってください・・・。」言い残して女は消えてしまいました。
僧が読経して弔うと、内親王の霊が墓の中から現れ、成仏したことを喜び、報恩のためと舞を舞います。
やがてもとの墓の中に帰り、再び定家葛にまといつかれて姿を消してしまいました。
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この謡曲は先ず定価蔓の美しさや墓にも大樹にも絡みつく姿が素材だったのでしょう。
そして式子内親王の次の歌(百人一首)がヒントになっています。
 
      玉の緒よ絶えなば絶えね 長らえば忍ぶることの弱りもぞする
 
歌の意味は凡そ以下の通りでしょう。「玉の緒」とは「「魂の緒」の意味です。
「わたしの命よ、絶えるのならば絶えてしまえ。生きながらえていると、秘めていることができなくなるかもしれないのです」
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 杉本寺、無縁仏の五輪塔群。式子内親王の墓も五輪塔で定家蔓が雁字搦めに這っていた事でしょう
 
私達の感覚と違うのは男女の立ち位置が逆転している事です。
死んでも愛されている式子内親王が喜ぶわけではなく、迷惑がっている事、
そして未練を断ち切れないのは藤原定家であることです。
雨月物語などとは男女の立ち居地が逆転しているのです。
 
多分、男女が逆転したのも、女性が幽霊になるのも江戸時代からでしょう。
私の関心はこの逆転が何故起こったかにあるのです。
もう、随分長い事考えてきましたし、友人に意見を求めてきました。
でも、確信を持つような充分な材料が見つからないのです。
 
 【妻問い婚だから】
平安時代も鎌倉時代も女性は家に居ました。
男性が女性の家に通って愛情を伝えます。一般に「妻問い婚」と呼ばれる愛情表現でした。
ですから、かぐや姫の話では5人もの男性から求婚をせがまれ、何れも無理難題をかけて最高の男性を袖にしてしまいます。
妻問い婚の場合、女性側に選択の優位性が在ったと言えます。男は女性に振られると必死に和歌を作ったり、あの手この手で凋落にかかります。女性は男性の文化レベルなどを観察します。この男女間の遣り取りが「王朝文化・色の文化」になったといえましょう。
この場合、振られた側は男性になります。だから、男が幽霊になるのでしょう。
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    古代・中世は「妻問い婚」が一般でした。この時代、男性が恋の亡者・幽霊になっていました。
 
【嫁取り婚だから】 
江戸時代になって、状況が一変します。
武士や大きな商家は主人が居て跡取り息子がいます。
息子の嫁に誰か女性に白羽の矢を立てます。
そして嫁を家に迎えます。一般に「嫁取り婚」と呼ばれます。
この場合には男の立場が優位になります。
結婚前の約束を違えても、浮気をしても、嫁を立身出世の材料にしても・・・良いとは言いませんが・・・それが可能になってしまいます。
女性が辛い立場になってしまいました。
そんな訳で女性が犠牲になる、恨みを残す・・・幽霊になる・・・、そう考えるのですが・・・・。
 
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【風車の意味】
最近は手入れをしていない山が増えました。
お陰で、定家蔓が目立っています。
香りも良いし、白い花も雅です。そして何より花弁が風車に形をしています。
 
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                                        墓地の風車
 
風は目には見えません。
「空/くう」です。空は「うつ」とも読み「現実の無いこと」です。
でも、風車が回ると「空/うつ」は「現実/うつつ」になります。
目に見えるからです。
日本文化は「本来『空』(うつ)であるものを『現』(うつつ)にするものかも知れません。
 見渡せば花も紅葉もなかりけれ 裏の蓬屋の秋の夕暮れ
定家の代表和歌も現実の秋の夕暮れの寂しさを「花も無い」「紅葉も無い」・・・空を重ねる事で表現しています。
 
墓地で風車が回っていることがあります。
多分、水子で亡くなった子供を慰めようと玩具として奉納したものでしょう。
でも、静止していた風車が突然に回り始めると、
「ああ風が吹いていたのだ」気付きます。
「空/うつ」が「現/ウツツ」に転じた瞬間です・・・。
 
式子内親王が斎宮のまま少女のまま、空想の恋愛に一生を終えたのが現実でした。
でも、恋に埋没したかった・・・空(うつ)の世界で新古今集の代表歌人になりました。
 
幽霊は紛れも無い空想の世界の産物でしょう。
でも、現実の怨恨があって、それが深層心理に沈殿していなければ、形になりませんでした。
風車は奥が深いのです。
今も墓地でカラカラ回っている事でしょう。
 
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                                   水子地蔵に奉納された風車(杉本寺)
 
追記:昨年もこの時期に定家蔓を書きました。今年は幽霊に一歩踏み込みました。
 
 
 
 
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514日、寺沢慶大名誉教授の「定家」を受講しました。
講義の大綱は以下のようなことと記憶しています。
「正岡子規以降、定家を低く評価する傾向があるが、それは間違いで、定家の歌の調べは和歌の真髄であります」
深く納得するものでありました。
 
定家・西行の和歌を理解する素材として有名な「三夕の歌」を紹介されました。
見わたせば 花も紅葉も なかりけり
       浦の苫屋の 秋の夕暮   
定家
そして、西行の歌
    心なき身にも哀れは知られけり 
鴫立つ沢の秋の夕暮れ
 
西行の歌は凡そ以下の理解でしょう。
私は感情を棄てた僧侶の身であるが、そんな私でさえこの鴫が立つ沢の侘しさは哀れを痛切に感じるものであります。
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                              西行像(鴫立庵)
 
そこで寺澤教授は学生からの質問を紹介しました。
「鴫は一羽であったか、それとも群れていたのか?」
教授は寂寥感から一羽ではないだろうか・・・、述べられました。
 
問題は一点「鴫立つ」の意味です。
この「立つ」の理解次第で「鴫は飛び立つのか、佇んでいるのか、一羽であるのか群れを成しているのか、判断が分かれます。
 
私は以下の根拠に、推論いたします。
『鴫は一羽であった、それが突然に飛び立って、その後は闇と静寂が襲い、一層侘しくなった・・・・』と。
 
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                                 鴫の立ち姿、哲学的な姿です
 
1、   鴫は「田鴫」であった
大磯の「鴫立庵」は箱根の「東光庵」と共に有名な俳人の集う庵(サロン)でした。
芭蕉も本居宣長も訪れています。
誰もが西行の歌を思い起こしますので、この歌はこの場所で歌われた・・・と思っています。
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   大磯「鴫立庵」、門前に細い川があって、約200メートル下流で海に注がれます
 
鴫立庵では庵内床の間に「磯鴫」を飾って、西行が歌った鴫は磯鴫であった・・・説明しています。
鴫立庵は大磯の浜辺に隣接していて、一年中磯鴫が見られるからです。
磯鴫は群れて飛びます。ツバメのように早く俊敏に飛んで、せわしなくチッチ、チッチ啼きます。
浜千鳥に色も形も似ています。浜千鳥と間違う事が多いのです。
違いは脚や嘴が磯鴫は長いのです。
可愛い、騒がしい、忙しい、そんな印象の鳥ですから、寂寥感とは無縁な鳥です。
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                 鴫立庵では「西行の鴫は大磯に多くいる磯鴫である・・・・案内しています。
 
田圃や湿地に棲む野鳥に田鴫、少し大きくした青鴫、山鴫がいます。
田鴫はカルガモと同じような大きさで、鶉のような色をしています。枯葉色をした保護色です。
一箇所で静止して忙しく脚で枯葉をひっくり返して、その下に潜む子虫を長い嘴で捕食します。
冬鳥で夏はシベリアに渡ってしまいます。殆ど啼きません。
大抵は単独で生活しています。秋の寂寞とした夕暮れ
の景色の中では田鴫が最適でありましょう。
 
黄脚鴫  http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/43360675.html (磯鴫に似ています]
 
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   磯鴫に似た黄脚鴫(磯鴫より二周り大きい。せわしなく動き、群れています。「磯鴫」と言うと映画を思い出します。翼を傷めた磯鴫(女性)が逞しく大空に飛び立つ話です。
 
2、   歌われた場所は鵠沼(藤沢)であった。
西行物語によると、西行がこの歌を作ったのは文治2年(1186)奥州平泉に向う途上となっています。その地は相模の国大庭の砥上原を過ぎた辺りで、夕方のことであるとしています。
現在の藤沢市鵠沼と言う事になります。
鵠沼の「鵠」とは白鳥の事であり、冬の渡り鳥の飛来地だったのでしょう。
鵠沼は境川と引地川の合流部に広がる湿地帯でありました。
今では高級住宅地ですが境川を国道1号線まで登れば葦原が続いています。
大庭城の外堀が鵠沼でありました。
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  大庭の葦原、雉の夫婦が私に気付いて葦原の中に隠れてしまいました。
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 葦原の中で海老釣りを楽しむ子供達。西行はこうした葦原に注ぎ込む沢で歌ったものと思います
 
西行は頼朝に会い、東大寺大仏の再建を勧進したと思われます。
古代・中世の東海道は足柄峠を越えて海老名、そして藤沢に向います。
そして腰越(西行戻り松があります)から鎌倉(御成町に裁許橋があります)と足跡を残して行きます。
大磯は東海道に面していなかったのでした。
大磯が東海道の宿場になったのは江戸時代、箱根越えが一般的になってからでした。
因みに奥州古道は鵠沼のお隣村岡から分岐して、柏尾川の東岸を北上して行きます。
そんな訳ですから、西行は鵠沼を通りました。(大磯は通りませんでした)
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                       大磯が宿場になったのは江戸時代から
 
秋の陽の沈むのは早く、葦原は既に日没です。
突然は羽音がしじまを破ります。
一羽の鴫が飛んで彼方に消えてしまいました。
西行は鴫の飛び去った彼方を眺めます。 
辺りは再び静寂に包まれます。
 
なお、この葦原には悲劇が演じられます。
文治5年(1189613日、義経の首が塩漬けされて衣川から届きます。
頼朝の命を受けて和田義盛、梶原景時が腰越の浜辺で確認します。
ところがその夜義経の首が突然に消えてしまいました。
数日後義経の首は引地川を遡って、鵠沼の葦原で発見されました。
そこで首を洗って白旗神社に祀りました。
潮の干満の悪戯だったのでしょう。
でも、人々は稀有な英雄義経の哀れを強く思いました。
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   花水川河口部、向こうの山が高麗山、此処も鴫立沢の候補地ですが、西行が此処まで足を伸ばす   理由がありませんでした。
 
序に、歌われた場所の候補としては花水川の河口部の葦原が考えられます。
鴫立庵から1㌔ほど東側に位置します。
ここも万葉の昔から花の名所として高名でした。
其処に橋が架かりました。頼朝はその落慶式典に出掛けます。
ところが、馬で川を渡ろうとすると突然馬が暴れだします。
馬が川底から突如出現した安徳天皇の霊に驚いたのでした。
頼朝はその事故が原因で1199(正治元)113日に死んでしまいます。
 
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             此方は少し灰色が目立つ「青鴫」。生態は田鴫に変わらない
 
3、   田鴫と僧侶の関係
先に磯鴫では賑やかで、寂寥感が湧いてこない・・・説明しました。
ならば田鴫ならどうなのか・・・説明します。
田鴫の生態、生育環境などは私のブログを見てください。
田鴫も青鴫も山鴫も殆ど同じ、一箇所でジッと動きません。
その姿が「鴫の看経(かんぎん)」と呼ばれるそうです。
鴫が周囲の色に染まって立っています、その姿が僧がお経を読んでいる姿に似ているのです。
大辞林で鴫の看経を調べると「鴫が田や沢に静かにたたずんでいるさまを、経を読む姿に見立てていう語。」と説明しています。
立鴫とさし向かいたる仏哉   一茶
 
「鴫立つ沢」とは「鴫が飛び立った沢」の意味ですが、
言葉の調べには「立鴫」の姿が在ったと思われます。
大自然の中で、自然の一部の光景に化している鴫の姿は、西行は共感するものがあったと思われます。
または、僧になっても「桜が散ってももののあわれに心を揺るがしてしまう西行です。
鴫の立ち姿は僧西行の目標だったことでしょう。
 
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  鴫立庵の門前を流れた沢は200mほど流れて相模湾に注がれます。
  砂浜には磯鴫が多く見られます。
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   鴫立庵の前を大磯駅方向に200mほど行くと「洋菓子の鴫立亭」にでます。和菓子の新杵には「西   行饅頭」もあります。大磯は美味しい店が数多く在ります。文人などが多く住んだからでしょう。
 
 
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