果物屋さんの店先にはメロンや西瓜が並び始めました。屹度熊本産でしょう。メロン系の果物は夏と思っていましたが今は一年中食べられます先物好きな日本人の性向が果物の季節感を崩しているのかもしれません。「崩す」と云えば千疋屋さんで、先月京橋千疋屋さんで水を飲んだ人が高濃度の塩素水を飲まされた事件が起きました。これからお中元商戦。暖簾分けした先の失態で室町の千疋屋総本店も兄貴格の銀座千疋屋さんも苦虫を噛み潰す思ひで居る事でしょう。200年徳川家御用出しの水菓子の老舗の崩壊も簡単な事です。それでなくても古い暖簾は後発の高野等に追われていました。
これは昨年ご近所から戴いた枇杷の実、一緒に活けたのは紅花です。どちらの梅雨に季節の憂鬱を吹き飛ばしてくれます。
ところで初夏の果物と云えば何をおいても枇杷です。博多に単身赴任中は小さな車のハンドルを握って遠賀川流域の高倉枇杷や長崎県の茂木に出かけてオレンジに熟した枇杷を戴きました。私には枇杷に特別な思い入れが在ったのです。
私は4月生まれでした。でも誕生日のお祝はして貰えませんでした?母に「自分の誕生日祝いはしてくれないの?」訊くとこういわれました。
「家は家族が多いだろう、だから誕生会は1年に1回だけ行うんだよ。お婆ちゃんが結婚してこの寺に入った6月10日に家族分纏めて1回お祝いするんだよ。お祝の日には境内の枇杷に木にお前が登って熟した実をとってね!」。
10人もの大家族では誕生祝を1日に纏める事情も納得でした。誕生会のトンカツを楽しみに梅雨空を見上げて枇杷が熟するのを楽しみにしたものでした。
これは枇杷に桑の実です。どちらもアントシアンが豊富で薬効が高いのです。梅雨の前にどちらも熟します。
昨日5月17日は千葉の富浦に出かけました。目標は季節の枇杷を食べる事です。ズット将軍献上品で宮内庁御用達の枇杷ですから戸塚の露地ものとは違いそうです。富浦は館山道の終点ですからよく通ります。
枇杷狩り農家は鋸山の南端の山裾にあります街の名は富浦です。
鋸山の山脈が太平洋に没する手前の山裾に枇杷農家が並んでいます。枇杷狩り農家は山形のサクランボ農家と同じように温室で枇杷を栽培しています。枇杷狩りは2500円/一人ですから、いちご狩りやサクランボ狩りより高額です。家族で出かければ高いモノです。そこで、今回は町内会の懇親会に参加して出かけました。旅行会社の案内には「枇杷狩り」とは書いてありません。表現は「枇杷の詰め放題」と書かれています。この簿妙な表現と私の期待のギャップが懸念されました。
施設の名は「房州清ッパチ」と云う農産広場漁師広い場です。此処で買えるし、近在の枇杷農家を照会してくれるようでした。
富浦の町に出ました。高速道路の脇に産直店があります。「枇杷狩り」の幟が立っています。今日は生憎の大雨です。枇杷の自生している段々畑は足場が悪そうです。”転んで滑って”悪い予感がします。
実は、悪い予感は的中してしまったのでした。と云うのは「枇杷狩り」は私の期待であって、町内会の懇親バスツアーで行けるようなモノでは無かったのでした。道の駅の通路に枇杷が山盛りに並べられていて、私達は小さなビニール袋を貰いました。説明は次の通りでした。
「このビニール袋に枇杷を詰め放題にして下さい。でも、枇杷は傷みやすいので直にジュースになってしまいます。傷めないように優しく袋に入れてください幾つ入れても詰め放題です。」何か「舌切り雀」や「お結びころりん」の「欲張り婆さん」チェックを受けるような難問です。枇杷は沢山欲しいし、たくさんとればジュースになってしまいます・・・・。
通路に並んだ朝捥ぎ枇杷を小さなビニール袋に詰め放題にするモノでした。
1個百グラム弱の枇杷を4個も詰めればもう一杯で5個目を詰めれば枇杷はジュースになってしまう微妙な手加減を問われました。
私もワイフも4個が限界と判断しました。
私もワイフも大き目の枇杷を摘めたので4個も入れたらもう限界でした。
「もっと枇杷が欲しい人は買って下さい)言いたげに枇杷が並んでいます。
商魂の思惑通りに買って帰りました。
”もっと欲しい人は買って行ってね”でも12個入りで4200円ですから350円/1個庶民には高嶺の花の枇杷さんです。
詰め放題に枇杷はバスに戻って食べてみました。何故かと云えばもぎたてが一番おいしいし。傷み易くて直にジュースになってしまう忠告が気になったからでした。
枇杷の実はお尻から剥きます。へたの在った辺りに爪を立てて薄皮を剥ぐように皮を剥きます。ツルッと剥けて瑞々しい果肉が現われます。ベビーのお尻を観るような気になって来ます。果肉がお尻なら先端はお臍のようです。何故か×印になっているように見えます。もうじき娘のお腹もこの枇杷のように膨れる事でしょう。
これは正倉院御物の五弦の琵琶。螺鈿細工でラクダに乗ったペルシャ人が琵琶を演じています。写真の出典は日本の美(正倉院)/小学館)をスキャン。奈良時代には枇杷も琵琶も日本に伝来していたのでしょう。琵琶湖の形は琵琶よりも枇杷に似ているように思います。
私は枇杷を食べながら考えました。「枇杷は琵琶に形が似ています。枇杷は形が琵琶に似ていたから”びわ”と呼ばれたのかそれとも琵琶が後で楽器の琵琶を作った処果実の枇杷に似ていたので”琵琶”と呼ぶようになったのか?序に琵琶湖は楽器の琵琶に似ている琵琶湖なのかそれとも枇杷に似ているので琵琶湖は間違いで枇杷湖が正しいのではないか?、先日も三春の地蔵桜を観て”地蔵が先か桜が先か”考え明かしました。
昔食べ物初めて物語(永山久雄著)に琵琶は形が枇杷の葉に似ていたので”びわ”と呼ばれるようになった書かれていたことを想い出しました。改めて読み直すと、奈良時代には枇杷子と呼ばれ和名抄(平安時代)には枇杷と書かれていると記されていましたどうも同氏の考察によると枇杷は中国の江南地方が原産地で奈良時代には親しまれていたようです。楽器の琵琶よりも先に果物の枇杷が先からあった判断しましょう。奈良時代の美人図例えば樹下美人図を想い出すと樹下の樹は桃が第一で、次は琵琶が最適なような気がします。天平美女のふくよかな顔や瑞々しい血色の良い頬は枇杷の実に通じるような気がします。光明皇后が枇杷の実を貪っている姿は絵になりますし、果汁がお着物を汚されたりして・・・・想像は羽が着いたように飛んで行きます。
これは鳥毛立ち女屏風(正倉院御物)ふくよかな女性が樹下に佇んでいます。墨で引かれた線と血色の良い頬や唇は天平美人の典型だったのでしょう。この絵が鳥毛立と呼ばれているのはこの豊かな女性の着物を山鳥の羽毛が貼られていたからです。鳥は天空を飛んで仙女を思わせます樹下と云ってもその樹が桃であるか枇杷かもしれない(でも葉っぱが違う)何の木にしても樹の持つ生命力や呪術性を想わせます。(出典日本の美正倉院/朝日新聞社)
もう一つその根拠になるのは枇杷の薬効です。禅寺には必ずと言っていいほど枇杷の樹があります。何故なら枇杷は薬効が強いのです。枇杷の樹は「 大薬王樹」、枇杷の葉は全ての憂いを取り除く「無優扇」と名付けられていたそうです。私の母が背中をスズメバチに刺された時にも祖母は枇杷の葉っぱを絞ってその青汁を膨れ上がった患部に貼っていました。そんな風にして大切にして来た枇杷の樹でした。ある日祖母は枇杷の樹皮を剥がして真皮と樹皮の隙間に隠れていた(貝殻虫/カメムシの仲間)を見つけて爪の甲で押し潰しました。
「此奴(貝殻虫)は皮の下に潜んでいるから一匹ずつ見つけ出して押しつぶす他にないのだよ」祖母は殺生の言い訳をしました。潰された貝殻虫は黒ずんだ血液を吐き出しまあした。見る見る祖母の指先は黒ずんだ血で染まりました。最近テレビで「日本の色」を観ると臙脂色は字からすると燕の血かと思っていたのでしたが。原料は貝殻虫だそうで・・・・、早稲田大学のスクールカラーも罪な色だと思ったのでした。
ヨーグトにも枇杷は良くあいます。勿論枇杷のソフトも良いもんです。
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