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おいしんぼ

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角館の美味いモノ

JR横手駅の待合室には「醗酵食品」をPRするポスターが貼られていました。
私は下戸ですが同行してくれた友人二人は酒が行けます。発酵食品は酒の肴に最適です。「燻りガッコ」に「茄子の辛子漬け」どれもこれも食指が伸びます。

日本の美味いモノは総じて内陸部にあります。海辺では魚が獲れるのですから、うまいモノが内陸部に在るというのは一見矛盾していそうに思えますが、実は内陸部ではどうしても海の魚を食べたいと願っていますから、発酵食品の開発に熱心であって、結果的に美味いモノは内陸部に在るのです。
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JR横手駅のポスター。漫画美術館がある事から、石川雅之氏に純潔のマリアを描いて貰い、乗降者が自由に寄せ書きしているモノ。
横手も村山(庄内)はどちらも漬物文化が盛んで、酒造業も盛んです。米麹技術が漬け物やお酒を醸造させて来たのです。お米屋水が美味しい事と、匠の伝統精神が引き継がれてきた事が美味いモノを実現して来たのでしょう。私は『麹』の文化が盛んな街こそ、真に文化的な街だと確信しています。京都も奈良も、近江も横手も何れも麹文化が盛んな都市です。
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此れは重文の角館石黒家の展示左下に「野菜貯蔵庫」が案内されています。お金持ちは屋敷内に「氷室」を作って冬野菜を貯蔵していたのでしょう。雪下野菜で、逆境が甘い野菜を作ってくれたのでしょう。
こうして雪深い横手を巡っていて気づきました。「米蔵」や「文庫蔵」が在る事は分限者の屋敷なら何の不思議もありません。でも西宮家も石黒家も屋敷内に大きな味噌蔵があって、味噌を作って漬物を醸造しているのです。海が遠いものの、雪深いという地理的条件も、食品を保存させるための生活の知恵として、麹を使用した発酵技悪条件が食品を貯蔵すると同時に、旨味も増す技術として横手に根付いて来たのでしょう。
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これは角館の商人街にある「安藤醸造」です。こうした醸造文化を大事にする企業が存続している事は尊い事です。
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安藤醸造の店内漬物やみそ汁の試飲試食が出来るのは嬉しい事です。
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安藤醸造の漬物蔵の前に飾られたお雛様と同社の製品群。中の文庫蔵ではショッツルの死因が出来ます。
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私のお三時焼き芋には「いぶしガッコ」が最高のマッチングです。

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角館温泉「花葉館」の朝食お粥に漬け物は最高に美味です。林檎はもちこんだものです。
発酵文化は、横手の肥沃な土壌と特有の気候風土で育まれた食文化なのです。
加えて鍋も盛んです。旅立ち前の調査では「横手焼きそば」に「十文字ラーメン」に「キリタンポ鍋」に「稲庭饂飩」3日間の旅行では、全部を味わう事は不可能です。何処で何を食べるか?綿密なプランを立てて「食い物の想い残こしは無い様にしないと後悔します。
横手と云えば「十文字ラーメン」に「横手焼きそば」それに比内地鶏ラーメン」とか「きりたんぽラーメン」にも食指が動かされます。其処で、先ず横手の「秋田ふるさと館」に行きました。其処は雪深い生活の中で、市民が集まる場所なのでした。札幌でいえば大通り」の下に広がる地下街の様なモノです。地下街に行けば何か食えるし、楽しい事もある。自然と人が集まってしまうのです。
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秋田ふるさと館の入り口。秋田の名物料理店が肩を並べていました。
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田ふるさと館」のフードコート。ここなら秋田のB級グルメが並んでいます。
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林泉堂のポスター比内地鶏ラーメンもスープは十文字ラーメンと同じである事を確認しました。問題はきりたんぽラーメンです。
今でこそB級グルメが人気ですが、昔から秋田と云えば「比内地鶏」に「稲庭饂飩」に鰰鍋でした。夕食に「キリタンポ鍋」を戴きました。鍋のスープは比内地鶏でした。未だ食べて居ないのは稲庭饂飩です。「何処の店に入ろうか?」迷ってしまいます。旅立ち前には「稲穂」が有名店であることを確認していたのですが。「親子どんぶり」と「稲庭饂飩のセットモノが眼に入ります。ワイフと一緒なら、セットモノを一膳注文して分けて食べれば十分なのですが。
角館の街を歩き回って骨董品店風の店に入る事にしました。
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此れが二日目のランチに稲庭饂飩を戴いた「古泉洞」です。
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古泉洞の室内から外を観る。店主は骨董商で「角館武家美術館にコレクションを展示していました。店員に饂飩店と骨董商どちらが本業ですか?」尋ねると即座に「骨董商が本業です」答えました。
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古泉洞の稲庭饂飩、饂飩は7代目佐藤養助総本店の手作り饂飩だそうです。見た目は冷麦の麺に洋ですが。口にすると強い腰が在って、私の胃袋は「こんな腰のある麺は受け付けない」拒否反応を示しました。(ヒャックリが止まらなくなる)出汁は比内地鶏でした。

横手も角館も雄物川の中流域に在る地方都市です。雪深く、水が柔らかい事を別にすれば総じて自然環境が恵まれているとも思えません。だからこそ、麹文化が育まれてきたのでしょう。
美味いモノが豊富で美人が多くて歴史資産や民俗資産が豊富な事は最大の魅力です。
運悪く?鹿島様は観られませんでした。「もう一度来い」山の神の天命と思って、桜か紅葉の季節に再訪する事にしましょう。



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戦前までは横浜市南部の「戸塚区」「栄区」「泉区」は鎌倉市の一部で「鎌倉郡」でした。だから我が生家の事を「鎌倉の盛徳寺」と呼びます。鎌倉郡の実業家として有名な人は「鎌倉ハムを創業した。富岡家で戸塚に我国最初のハム工場を建設したのでした。最初の工場は明治10年創立では戸塚区柏尾にありましたが、関東大震災等で現在の主工場は栄区笠間にあります。近くの大長寺さんには富岡家が建立した「家畜碑」も建っています。
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これは1876 年(明治10年)に創立した戸塚柏尾の鎌倉ハム工場で現在は倉庫として活用されています。戸塚の数少ない文化財です。
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此れは鎌倉市岩瀬に在る大長寺の家畜碑で鎌倉ハム創業の富岡家が建立しました。家畜供養碑と書かれた板碑の表面に豚と牛が描かれていて背面に富岡家が建立した旨刻まれています。

私は中学高校と横須賀線に乗って横須賀に通学していました。大船を過ぎると車窓からは大船軒の工場が見えました。大船観音の視線の先でした。柏尾川沿いに大きな工場が建ち、看板に「大船軒/鯵の押しずし」と記されていました。
鎌倉ハムで成功した富岡家が駅弁事業を始めたのでした。
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鎌倉市岩瀬に在る鎌倉ハム工場にある資料館。次に詳しいですhttp://www.kamakuraham-tomioka.co.jp/about/outline/
大船駅に真近な工場は昭和40年代に長谷工マンションに代わり工場一部が残されて現在も駅弁事業を継続しています。鎌倉ハムの主工場倉庫は鎌倉市岩瀬に移転しました。岩瀬の拠点は道路拡幅などの計画されていますから、大船駅前からの移転は良かったのかもしれません。でも「大船軒」は駅弁の巨漢「崎陽軒」に押されて総じて不冴えの様に見受けられます。「鯵の押しずし」と云えば名物駅弁だったのですが・・・・。もう一つ看板商品がありました。「ハムサンド」でした。大船軒のハムサンドと云えば日本最初のサンドイッチで、御成小学校の家庭科の授業ではハムサンドを作りました。ハムサンドと紅茶の組み合わせが美味しい事を初めて知りました。
鎌倉郡住人にとっては富岡家の事業は地域の誇りでした。
大船軒の事務所棟は大正時代の香りが漂うモルタル作りです。昭和6年竣工と会社案内には記されています。
以前は工場はその旧ビル内に製造ラインがありましたが、近年最新の工場が隣接地に建築され、事務所棟はそのまま残され、会社の応接室会議室は、立地を活かして喫茶店として活用されています。鎌倉ハムは日本最初のハム会社と云ってもそれで創業利益を確保出来るほど実業は甘くありません。日本ハムができ伊藤ハムやプリマハム等大資本に押されます。加えて大船駅に停車する列車も減って経営環境は悪化します。昭和70年代に大船軒は工場敷地の柏尾川寄りを売却し。工場の奥に在った事務所棟と富岡家の屋敷を残して売却、工場は駅から遠い岩瀬の横浜環状道路近くに移転したのでした。
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これが大船軒の運営する喫茶室のメニューです。
私達はランチを大船軒で取ることにしました。前回来た時はハムサンドに紅茶でした。でもハムサンドは週末だけで普段はビーフカレーがお奨めとの事。私達はビーフカレーを注文しました。美味しいしボリューも程々で満足だったのですが。矢張り大船軒に来たら鯵の押し寿司が食べたくなるのが人情です。追加して押し寿司をオーダーしました。5貫で600円でした。
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手前のモルタル造り建物が大船軒の事務所棟。昔はこの建物内で押し寿司を製造していましたが20年程前に向こうのピンクの工場を建設して此処で製造保管しています。その奥の常緑樹は創業家の富岡家の邸宅です。
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大船軒の応接室を喫茶室に転用したモノ。落ち着いた空間です。
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北側の壁には神棚が在って鎌倉中のお札が供えられています。現社長は福田 利幸氏で創業家とどんな関係に在るのか不詳です。少なくとも私は良い印象は持っていません。
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此れがビーフカレー500円です。見ての通り角きりのお肉が多く入っています。
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これが鯵の押し寿司ですお吸い物が付いて600円でした。
大船駅に向けて歩きます。昔スカイラークの在った処はバスセンターになって玉縄の城廻り循環バスや藤沢駅行きのバスが発着しています。連絡橋を渡れば目の前が大船観音です。この観音像の落慶法要には学生時代に参列しました。観音像のある山が父の親友の寺有地だったからでした。白い蛍光セメントで塗られたお顔は夜見上げると怖く見えます。法華寺十一面観音のお顔をこぴーしたまでは良かったのでしょうが。戦争で工事を中断して、再開した頃に偶々蛍光セメントが開発されたので。闇夜に蛍光がどんな効果を示すか確認せずに作ってしまいました。
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大船観音像。敷地は無我想山黙仙寺の所有です。様々な人間の思惑で翻弄されてきました。
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大船駅の東西連絡橋の上に在る大船軒の弁当売場未だ「太巻き」を売っているし、客付きはイマイチのようです。一番の売れ筋は「シラス弁当でしょうか?。戸塚駅でも大船軒は崎陽軒と並んで出店していますが形勢は悪い様に見えます。


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中華街のパンダ

中華街でのランチは媽祖廟の真ん前にある「パンダ飯店」にしました。家庭的な雰囲気でリーズナブルな価格の良いお店です。四川料理ですから、担担麺やマーボ豆腐がお奨めです。
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この日のランチは媽祖廟前の「パンダ飯店」でした。黄色い建物はパンダグッズの販売店です。
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媽祖廟は工事中で真ん前がパンダ飯店のグッズ売り場です。
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パンダ飯店のお奨めの担担麺。
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パンダ飯店の餃子は大きいのです。
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楊枝入れも箸置きもトイレの消臭剤も皆パンダデザインです。

今年は上野動物園でジャイアントパンダの「シンシン」が「シャンシャン」を出産、上野は大賑わいです。私も上野に出かけた序に「シャンシャン」の箸置きを求めて帰りました。中華街の「パンダ飯店も受けに入って居るかと思えばそんな特需も無かったようで、何時もの通り落ち着いていました。週末になれば屹度賑わうのでしょう。食後は中華街をパンダを見つけながら散歩しました。
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パンダは饅頭に格好な表情です。
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パンダがデザインされているだけでバリューアップです。これはベビースターラーメンの店舗で販売しているインスタントラーメンです。240円は高すぎです。
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これは横浜バザールの店頭ワゴンにデザインされたパンダ、置かれているのは胡麻団子。
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これはパンダのニット帽子屋さん。左はお面で女学生がリュックに吊るしている様な人形もあります。私でもパンダ帽子を被ったら女学生の注目を集められるかな?
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此れは自分のお土産に求めた「胡麻団子」と「針鼠」のセット、100円/1個ですがセットで500円/6個です。針鼠の餡子はカスタードクリームです。
本来なら月餅を求めて春節を祝うのでしょうが。中華街を歩くと欲しいもの。食べたいモノが一杯です。中華街をグルッと一回りするだけで、気が勢いづいて来ます。気は「血」かも知れません。屹度赤い呪物に気が勢いづいたのでしょう。

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厄除けの唐辛子、四川料理は寒い国だけに辛さで寒さ除けなのでしょう。
汗を拭き拭きパンダ飯店で辛い担担麺を食べて薬膳の餃子を食べて、唐辛子は呪術と云っても、充分に食べて、体も火照って、元気が漲って来ました。



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縄文食生活の奨め

サラリーマン時代の愛読誌は「ダイヤモンド」と「東洋経済」でした。新聞で報じられる経済ニュースを数珠のように繋ぐ知識や視点を雑誌は提供してくれました。正月の雑誌はそんなサラリーマン読者を意識しているのでしょう。両誌ともに「健康問題」を特集していました。私は近くの喫茶室「サンマル・クカフェ」に行って存分に雑誌を読み耽りました。
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此れが本年度の「ダイヤモンド」の正月号です。健康食品に関する知識を特集していました。
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此方は東洋経済の正月号です。同じく健康常識に対する視点を提供していました。
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健康の視点は1「食生活」2「運動」3「睡眠」の三位一体です。自分自身の問題を自己採点して該当ページを読むように編集してありました。
私は癌に糖尿病に脳梗塞を疾患しました。以来「健康長寿」は自分自身の為では無く「家族への愛情」の発露だと思っています。
私の健康生活の視点は「縄文人」です。野山を走り回って狩猟・採集生活をする縄文人がするように自分もすればヶン校ライフです。縄文人の様な「食生活」をする。縄文人のように「体を使う」。縄文人のように「睡眠する」これが健康の秘訣と思っています。
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此れは現在読書中の「人体6百万年史」です
そんな縄文的生活を志していたら、「人体6百万年史/ダニエル・リーバーマン著」を知りました。
著書の骨子は「科学が明かす進化・健康・疾病」で、人類最初の分岐点は「狩猟採集社会」から「農耕定住社会」への移行に在った、と記しています。何のことは無い氷河期に日本列島に渡った原日本人が縄文文化を育てたのに対し、米作に専業した渡来弥生人が、定住して糖質ばかりを食べ始めたので、人口こそ急増したモノの病気に対する免疫を失い、様々な「進化的ミスマッチ」を生じたとするのです。著書の「キーワード」は「進化的ミスマッチ」で人間には遺伝子を介して進化する機能が備わっているのに、社会や食生活が急速に変化してしまって遺伝子進化がついて来れなくてミスマッチが生じてしまうというものです。「狩猟採取社会から農耕定住社会」への変化、「製手工業社会」から産業革命を経て「大量生産大量消費社会に移行した、大変革で生じた「進化的ミスマッチ」の結果「コレラやペストにマラリア」や「癌に脳梗塞にⅡ型糖尿病」と云った鬼子が発生した、というのです。ミスマッチさえ起こらなければ人類には遺伝子を介して、これら現代病に対する免疫遺伝子を生じる機能が備わっているのだそうです。
農耕定住生活を始めたことにより、生活圏が不潔になり、コレラやペストが大流行するようになったというのです。狩猟生活なら排泄物を草叢でしていたモノが住居の近くでするようになり、便所やごみ溜めに細菌や細菌を伝播する小動物や昆虫が棲む様になった結果、伝染病が蔓延したというのです。
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此れは三内丸山遺跡の倉です。穀物を貯蔵するとその外皮にカビが生えて腐食するので倉を用意しました。向こうの叢の先は「北の谷」と呼ばれる窪地でゴミ捨て場やトイレとして使用されていました。
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三内丸山遺跡の北の谷の説明、農耕定住生活に移行した結果、「ごみ溜め」や「トイレ」が不潔になって其処に病原菌が発生、定住集団生活していた事もあって、免疫力の無い人が集住していたので伝染病が蔓延しました。
私は「縄文人の様にすれば健康長寿を達成できる」感覚的に判断していたのでしたが、ダニエル・リーバーマンの「人体6百万年史」は私の直感を科学的に解析しているようで痛快でした。第1巻は農業にシフトした時代の文明史でしたが、これから産業革命が人類の「進化・健康・疾病」を解き明かしてくれます。目次を見れば産業革命によってⅡ型糖尿病や癌や骨粗鬆症が発生したと解説するようです。過剰に栄養を摂取する事、肉体労働をしないことは骨や筋肉のストレスを開放して、結果スカスカの骨や弱い筋肉にしてしまうのです。
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奈良県桜井市の纏向遺跡から出土した大量の桃の種。テレビでは卑弥呼は桃を好んで食べて若さを維持し、シャーマンとしてのカリスマ性を維持していたと解説していました。
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同じく纏向遺跡から出土した猪の骨、弥生時代の猪は頭蓋骨の骨格が大きいのに対し現在の猪は臼歯が多く頭蓋骨顎骨とも平たく軽くなっています。弥生時代には猪を家畜化して豚として飼育していたと説明していました。
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頭蓋骨の眼窩に細かい穴が空いている事実を鉄分不足による病気と説明していました。
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左の茶色い頭蓋骨は江戸時代人右が弥生時代人。弥生人は顎が大きく歯もしっかりしていたと説きます。当然弥生人は堅いモノをシッカリ噛んで食べたのでこうした骨格になったと説きます。江戸時代人は粉食をしていたし柔らかい食べ物を好んだので顎は小さいし小顔で虫歯も目立ったと説きます。
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顎が小さく小顔になった江戸時代食生活の変化が顎に現われていると説きます。
そんな事で読書を楽しんでいた処1/24日(水」のテレビ(BSプレミアム)で「卑弥呼の食生活」を報じました。卑弥呼は奈良の「纏向遺跡」の女王(巫女」と判断し遺跡から出土した、猪の骨、人骨、桃の種等から卑弥呼の時代に既に肺病が流行っていた事。鉄分を始めミネラル不足を原因とする病気が蔓延していたと説明します。
病気が蔓延し、農業の重要性が増していたからこそ、シャーマン卑弥呼が女王として君臨し、桃を食し、貝を食べてミネラルを補給していたのでしょう。
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纏向遺跡から出土した。脊椎骨、この骨は結核に依る「脊髄カリエス」の証であると云います。地中海からユーラシア大陸を経て弥生時代には肺病が日本に渡って来ていたのでした。
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弥生時代は海の貝などからミネラルを取得してミネラルを充分に摂取したから、免疫体質を維持して病気にもなり難いし治癒力も在った、と説いていました。卑弥呼ならずとも弥生人は自力耕作し、糖質では無くて蛋白も脂質も充分に食していたようです。偏食しない事、体を使う事、熟睡する事が雑誌の結論でした。私が懸りつけ医師に「サプリメントの効用」を質問すると医師は機嫌を悪くします。
「サプリメントなんてどれも効果はありませんよ!」
免疫力維持は「食生活」「運動」「睡眠/心身の休息」にある事は縄文時代も現代も変わらないようです。
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テレビで卑弥呼の食生活を示したモノ、ワタリガニの茹でモノノ他に牡蛎とアワビが羨ましいです。
卑弥呼の食生活、私の食生活より遥かに豪華です。取分けアワビと牡蛎が眼に付きます。今晩は牡蛎鍋にするか牡蛎フライにして貰いましょう。卑弥呼を真似て免疫力アップに志したいものです。卑弥呼の時代の病気は結核でありマラリアだったのでしょうが、現代はⅡ型糖尿病に癌に脳梗塞等欠陥病に骨粗鬆症です。現代病の免疫力を高めるには縄文人に真似る事が良いと確信するのです。


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昨日はおせちの「昆布巻」を書きました。昆布と鰊がが小浜の港から朽木や大原を経て京都の二条市場に運ばれて町屋の食卓に並んでいる様を想いました。そのうちにお雑煮に想いが移りました。白味噌に丸餅です。汁には塩鮭の頭が煮込んであります。
昔大阪支店勤務中に京都の老舗取引先からお呼ばれされ夕食に中村楼に向かいました。お雑煮は塩鮭の兜を出汁にとった白味噌仕立てでした。醤油味小松菜鶏肉に馴染んでいた私には刺激的な美味しさでした。そして、会席の最後に出されたお雑煮がまた絶品でした。丸餅を溶ける程煮て、汁は洋辛子でした。カレーのルーを汁にして丸餅を善哉のように浮かべたモノでした。大阪の善哉の小豆汁の代わりにカレ―汁にしたようなものです。その日東京者の中間管理職を接待して京の食文化の深さを知らしめる意図があったようです。最初のお雑煮は伝統的な味で閉めのお雑煮は革新的なお雑煮でした。仲居さんは感心した私に向かって「このお雑煮が一子相伝のお雑煮どす」教えて下さいました。「今でも隆盛しているのかな?」思って「一子相伝のお雑煮」で検索すると沢山のサイトで紹介していました。
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これが京都中村楼の一子相伝のお雑煮」です。白味噌に洋辛子が絶妙です。

今年の正月は関東風のお雑煮とあわせて「京風のお雑煮」も食べたいと欲張って、歳末に丸餅と酒粕を買い求めておきました。夕食に酒粕を使って石狩鍋を食べ、翌朝にはその残りを使ってお雑煮にして貰いました。思惑通りに甘塩鮭の出汁が良く出て実に美味しいお雑煮を食べられました。
鮭も鰤も越後や越中で獲れます。その鮭や鰤の腹を開いて塩を積めて暫く寝かせる事で発酵します。発酵する事でタンパク質がアミノ酸に分解する上に脂肪分の酸化作用(腐敗」が抑制されます。要するに貯蔵に適すと同時に美味しくなるのです。
昨年秋に旅行した時富山湾に流れ込む「神通川」を何度も渡りました。
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これは鮭では無いものの神通川に遡上してくる鱒を素材にした名物の鱒寿司です。弁当紙のデザインは中川三郎画伯
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これは高橋由一画伯の描いた「鮭」(重文東京芸大)です塩鮭では無くて燻製ですが、鮭は日本の食文化の重要なアイテムの一つです。
私は直感的に神通川とは鮭や鱒が神の居る立山に遡上する川と思っていました。「立山の神様」は冬の間は山頂に居られて、春になると『神通川を下って砺波平野に福(水)を送って、豊作をもたらして下さる、』と理解しましたが。でも神通川の川沿いの道は「鮭や鰤を「塩鮭」「塩鰤」に加工して、山深い信濃や飛騨に運ぶ道でもありました。ハレのお料理に使うのは関西では「鰤」で関東以北は「鮭」です。貴重な蛋白を日本海の魚でとって来たのです。魚の内蔵を除いて塩を詰める事によって蛋白質はアミノ酸に分解して旨味が出ますし、何よりも塩分を摂取出来るのです。富山湾で獲れた鮭や鰤は「氷見港」から立山参詣道(おはら)を通って五個荘から飛騨に送られました。「魚津港」からは糸魚川街道(塩の道)を通って安曇野松本に運ばれました。
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これはハレ料理に欠かせない鰤の最高級品「氷見の寒ブリ」です。鰤は出世魚だから祝いの席に欠かせないと云われますがそれは詰まらない薀蓄であって、鰤に含まれた蛋白や脂肪ビタミンEが貴重な栄養源だったからです。それを体験的に実感していたので。ハレの席に使われたのでしょう。
私は、去年の秋には糸魚川にも旅行しました。「塩の道」を松本から糸魚川に下りました。「塩の蔵」を幾つも見学しました。簀子の上に塩俵を積むと「にがり」が滲み出していました。「にがり」は豆腐作りに欠かせないミネラルです。蔵の主人は「にがり」は貴重な収入源(役得?)だったのでしょう。
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信濃大町の塩の道博物館(/登録有形文化財此処には「流鏑馬会館)があって、土蔵の一つに若宮神社の流鏑馬祭りを案内しています。塩の道は単に重たい塩を運んだだけでは無く「塩鮭や祭り」のような文化を伝えた道だったのです。
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北アルプスの麓の峠道を牛に乗せて塩を運んだ様子(塩の道博物館のジオラマ)人の行き来した道は荷物と一緒に食べ物や祭りと云った文化も運んだのでした。
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牛の宿もあった平林家の玄関の様子。
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右側の土蔵が「塩の蔵」
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塩の蔵の様子、塩を詰めた俵を積んで置くと「にがり」が滲み出て来ます。
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塩俵の下に設えてあった「にがり溜め」壺は信楽でしょうか?藍も壺で発酵させます。黒酢も発酵させます。梅干も酒も発酵文化です。
一般に「塩の道」と呼ばれて塩を俵に詰めて大八車に載せて運んだと思っていたのでしたし、その為の宿(牛も同宿出来る旅籠)や「塩の蔵」を観て廻ったのでしたが実は塩は鮭の腹にもギッシリ詰まっていたのです。「塩の道」は「塩鮭の道」でもあったのでしょう。ホッサマグナ(大地溝帯)は日本文化の東西の境界線と云われますが、「丸餅・角餅」と同じく「鮭と鰤」のようなハレの日の食文化の境でも在ったようです。
私は食にも貪欲ですから生家で食べたお雑煮だけでは満足できずに京風のお雑煮も食べました。先ず塩鮭のアラで充分にダシをとって紅白の丸餅と酒粕を入れました。関東風も良いし京風は更に優しい味です。
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お正月二日目のお雑煮は京風にして貰いました。



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