仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

おいしんぼ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
この正月は到頭夫婦二人になってしまいました。昭和47年(1972)11月結婚して以来、46年振りの夫婦水入らずの生活が始まりました。ワイフは今年もおせち料理を作って4段のお重箱に詰めました。重箱もワイフも長持しています。ガタが来たのは私だけです。
イメージ 1
既に47回も使用したお重箱は叔母様の結婚祝い金を握りしめて、小田急百貨店で求めました。結婚当初は小田急線沿線の鶴川に住んでいたのでした。
長女の家族と二男が彼女を連れて顔を出してくれたのでおせち料理の作り甲斐もありました。娘は栗きんとん好き、二男は伊達巻好きですから、充分に用意しました。でも、1/7日には松も開けてしまいます、なのにおせちうは未だ残っているようで、早く食べきって重箱も明日には綺麗に拭き、乾かしていて仕舞わなくてはなりません。
イメージ 2
我家のおせちです。家族が5人でしたので好みが色々でした。私の好物は甘露煮に黒豆、そして昆布巻です。昆布巻の芯は関東では牛蒡が多いのですが、京風の鰊が最高だと思います。
おせち料理は語感からすると「節会料理」でしょう。節会料理とは節会の際に作られる料理で。節日のうち最も重要なのが 正月であることから、正月の節会料理が「おせち」と呼ばれるようになったのでしょう。
イメージ 3
此れは伊勢神宮の宮前にある有名割烹のおせちです。当然伊勢海老が主人公です。写真はのBSTーBS画面
節会は1/1の正月節会に始まり、3/3日の上巳(じょうし)節会,5/5日の端午の節会)、7/7日の相撲(すまい)節会、9/9の重陽(ちょうよう)節会、と5回/年もあります。私の母はその総ての井節会で、お餅をついて節会料理を作っていました。
今想い起せば、節会は常に緊張を強いられた大黒(寺院の奥様)の息抜きハレだったのでしょう。柳田民俗学では日常を「穢」と呼び、緊張を強いられ、身を粉にして働かざるを得ませんでした。強度の緊張は時々解かなくては病気に成ってしまいます。緊張を解くのが「ハレ」で、節会は「ハレ」の機会になっていたのでした。母は「節会料理」で贅沢する事で「ハレ」にしていたのでしょう。漸く、気付いたのでした。
我がワイフは「和弓の稽古をすることが、和弓の試合(試験)を受ける事が「ハレ(気晴らし)だと云います。義母は歌舞伎を観に行く事が「ハレ」だったような気がします。私は友人と旅行に出て美しい景色を愛で、美食して温泉に入ることが「ハレ」です。
イメージ 4
今年皆と行く予定の信夫山の岩谷観音磨崖仏群(平安時代)今年も旅行が「ハレ」で健康の秘訣です。
節会料理はハレの日の御馳走でした。神様は食道楽で居られるから、神様が悦びそうな美味しい料理甘い料理が膳に並んだのです。神様が最もお好きな食べ物は「伊勢海老」に「昆布巻)に甘い「栗きんとん」です。おせち料理の品目の中でも文化史的に重要なのは「昆布巻」が最重要だと思います。
おせちは歳神様を自宅にお迎えして饗往するご馳走ですから、その土地土地で神様がお好きなお料理を並べなくてはなりません。
山国では「鮭」や「鰤」がご馳走でしたから、「おせち」には鮭や鰤が料理されました。伊勢なら海老やアワビが地産地省されました。そんなご馳走の中で「昆布巻」は特別な料理です。「昆布巻」は京都で生まれたご馳走だと思います。
京都の「昆布巻」は鰊を芯にして同じくの昆布を巻いて煮た料理です。昆布も鰊も蝦夷地で獲れて北前船で京都に運ばれた素材です。江戸時代にに河村瑞賢が開発した廻船航路のお蔭です。”「昆布巻」は「喜ぶ」の語呂合わせでおせちにするんだ”、と良く聞かされますが、民俗学的に考えれば、もう少し奥行きがあります。「喜ぶ」主語は歳神様です。歳神様が好みと思う料理は人間自身も好みの料理です。日本中の人が「歳神様を喜ばせたい」思って「昆布巻」をおせち料理に加えて、お相伴に与かったのでしょう。最近は鰊ではなくて牛蒡や鮭を昆布で巻く「昆布巻」も増えて来ました。私は鰊でなくてはならないと思っています。
ところで「昆布巻」の形は良く視ます。
イメージ 5
伏見稲荷のお狐は玉かお経を咥えています。
イメージ 6
平家納経は見た目は昆布巻のようです。
「昆布巻」は伏見稲荷のお狐様が咥えていますし。平家納経のようでもあります。昆布巻を食べるのは「恵方巻」を食べるのと同じで、仏教や神道の真髄を体内に取り込み「厄除け」を祈る事で所謂呪術で「思い込み」のパワーでこの冬を遣り過す事です。昨年富山を旅行して「ハレ」の食べ物の「蒲鉾」を戴きました。形は「昆布巻」でした。
イメージ 7
此れが富山の蒲鉾ですが昆布巻と「鳴門巻」の意匠でした。
最後に昆布巻の本場京都の料亭のソレを案内します。
イメージ 8




ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

          

お酒の民俗学

私は生来の下戸です。父も下戸でしたから遺伝的なモノと思います。多分腎臓の機能が弱いのでアルコールの排出能力が弱いのでしょう。
サラリーマン時代は”私は下戸ですから・・・”奨められたお酒を無碍にも断れず飲んではトイレに駆けこんで吐き戻していました。
喉の奥に指を突っ込んで舌の根元を押すとお酒は簡単に吐き出せるのです。
本店の部長職に栄転して、定期検診で「腎臓癌」のエコーで右の腎臓が肥大化していることが発覚しました。病理検査の結果肥大化し多部分が悪性腫瘍だというのです。病院では「腎臓は二つあるので右の腎臓を全摘しましょう、放置しておけば二つとも癌に犯されてしまうリスクに晒されます」指摘され、即全摘手術になりました。
朝晩タクシーで根津の病院から大手町の銀行に通勤しました。部下から見れば「朝礼と終礼だけに顔を出して注文だけを付ける厄介な部長だったと思います。手術後は日本酒は避けていましたがワインだけは飲みました。「赤ワインにはポリフェノールが多量に含まれているから抗癌効果が期待できる」そんな風評を信じたのです。

世界にはいろいろな宗教がありますが、総じて云えば、お酒をタブーにしている宗教が過半で、お酒を積極的に推奨しているものは稀なようです。
イスラム教では「酒は心を乱す飲み物で悪魔の業であり」禁じています。仏教でも五戒の一つに「不飲酒」をあげています。禅寺の門にはこの戒めを刻んであります。
五戒で酒は禁じられていても、総じてお坊さんは酒好きです。
その証に古刹の門前には美味しいお酒や肴(豆腐等)の名店が多いようです。
横浜では弘明寺、鎌倉にも酒屋が目立ちます。
イメージ 2
これは横浜最古の寺院弘明寺の門前の酒屋、筆者は此処の甘酒を買うのが習慣です。お正月には弘明寺石段下にある和菓子の名店「月兎」さんが路上で甘酒を商っています。
屹度、仏教やイスラム教の勃興期には、在来の宗教の勢力が強くて、在来の宗教を禁じてイスラム教や仏教を布教する為には強く禁酒を命じたのでしょう。と云っても人間は生来酒好き、好色で賭博好きです。「三悪」は神代の時代から人間の本性に根差しているのです。民衆はお酒を手放せず、祭儀が終われば祭壇から酒を下してきて、神主や導司を筆頭に参列者が揃って直会(なおらい)を開始します。
祭祀の後に、神事に参加したもの一同でお神酒を戴き神饌食する行事(供飲供食儀礼儀礼)は卑弥呼の時代からの民族の慣習でした。
ダビンチの「最期の晩餐」も直会です。
イメージ 1
ダビンチの「最期の晩餐」も直会です。写真出典フリー素材https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E6%9C%80%E6%9C%9F%E3%81%AE%E6%99%A9%E9%A4%90&ei=UTF-8&fr=top_ga1
食卓に並んだご馳走を前にしてイエスはぶどう酒の杯を持ち弟子達に言います
「この杯はあなたがたのために流される私の血による新しい契約である」
葡萄酒が血の色をしていたからこうした発想になったのでしょう。
お酒の快感は宗教的法悦に通じるモノがあります。キリスト教はお酒のマイナス側面を意識しながらも強く信仰することによる悦びを評価して葡萄酒の酔いを「イエス」との契約の証と解釈したのでしょう。その結果修道院で「葡萄酒」を醸造する事が出来ました。
イメージ 3
此方は鎌倉市大船の酒屋「菅野」の店頭、日本酒の名店でしたが今では主力はワインになってしまいました。
ところで、隼人瓜は屹度千成瓢箪の親戚なのでしょう。今年は初めて庭で栽培したのでしたがどうしても処分できません。お友達にも押し付けたのですが12月に入ると堅くなってきました。後は大根の代わりに「鰤太鼓」に代わって「鰤隼人瓜」にしたり隼人瓜に往生して貰うには私が責任を持って食べ尽くさなくてはなりません。堅くなって来た隼人瓜の最終策を考えました。奈良漬の「白瓜」の代わりに「隼人瓜」の皮を剝いて漬けるのです。インターネットで奈良漬けの「漬け床」を探しましたが、思いのほか高価で送料も看過できません。
其処で、ツラツラ酒屋を想い起しました。私の生活圏の酒屋は何処も彼処も量販店に圧倒されて不冴えです。到底「奈良漬の漬け床」など商っていそうもありません。
想い出したのが鎌倉市大船の市場通りにある「菅野酒店」です。鎌倉にはこの老舗のお蔭で全国ブランドの銘酒が手に入ります。私のサラリーマン時代なら「越の寒梅」昨今なら山口んの「獺祭」も常時店頭に置かれています。お蔭で鎌倉や大船の居酒屋では飲兵衛が涙するような銘酒を飲む事が出来るのです。
イメージ 4
大船駅東口前の蕎麦屋でも銘酒が並んでいるのは老舗酒屋「菅野酒店」が頑張っているからです。
イメージ 5
人気銘酒の「獺祭」は1合1480円と高額です。
イメージ 6
居酒屋で飲めば1合1480円の獺祭も菅野酒店で買えば1升千円で求められます。
酒屋は食文化の集まる処です。地方を旅して地誌や地方文化で訊きたいことがあれば酒屋に行けば大概解ります。
イメージ 7
これが菅野酒店で売られている「高清水」の酒粕です。秋田杉の桶も買い求めたい風格です。1キロ620円のお安さです。1キロ買っておけば、鍋物にも、甘酒にもなります。
菅野酒店で訊きました。
「隼人瓜を奈良漬にしたいのですが、漬床を酒粕で作るにはどうしたら良いですか?)女子職員は店主に訊きに行って解答を伝えてくれました。
「高清水の酒粕(620円/1キロ)を求めて清酒で戻して漬床にして下さい。」
酒粕は幾つも在ります。高清水(秋田」を始め立山(富山」等々です。私は推薦された通りの高清水の酒粕を求めてリュックに入れて帰りました。これで、隼人瓜の漬物の食べられそうです。アイディアは奈良漬けですが「秋田漬け」と云う事になるのでしょうか・・・。残った酒粕で先月津軽で食べそびれた「たらのじゃっぱ汁」でも作ろうと思います。勿論隼人瓜もたっぷり入れます。


ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。



『縄文お焼き』の誘惑

戸塚駅に隣接した『戸塚モディー』の地下1階に地方の「美味いモノ店」が入れ替わり立ち代わり出店します。この前までは山形のズンダ餅でしたが、今週からは長野小川村の「縄文お焼き」に代わりました。小川村にはこの秋糸魚川からの帰り道で通りました。
イメージ 1
糸魚川からの帰路「塩の道」を小谷から白馬に戻り、白馬で左折北上すると長野への近道になります。その途上に小川村があります。今日の話題の「長野のソウルフードお焼き」は鬼無里の名物でしたが、長野オリンピック以降は「小川村」が最も有名になりました。
イメージ 12
戸塚駅ビルのモディーで縄文お焼きを販売していました。

イメージ 11
此れは縄文お焼きを自宅で戴いた時のモノです。
白馬から長野オリンピックに際して新設された「五輪街道」を走って川中島に出たのでしたが、その途中小川村を通りましたので「道の駅」で「お焼き」を戴きました長野を旅すると「小川村の縄文お焼き」は随分目に着きます。小布施の帰りにも「道の駅」で戴きました。飛騨の「五平餅」か、信濃の「お焼き」か双璧です。昔はドライブしていて小腹がすくと「御手洗団子」を戴いていたのですが、今は「お焼き」が圧倒しています。
イメージ 2
これが「小川庄のお焼きです。スタンダードは餡に「野沢菜の漬物」でしたが、最近は写真の様に様々な具が入る様になりました。写真出典小川庄のHP。
イメージ 3
小川庄は北アルプスの風光が明媚な事でも有名です。
イメージ 4
私達が小川村を通った時は雨でしたので肝心の北アルプスは眺められませんでした。でも道の駅で「お焼き」は戴きました。
イメージ 5
これは庄屋だった「中村家住宅/大町市美麻青具/重文」です。五輪通りの脇にあります。小川村はもう少し北(右)です。
イメージ 6
此れは中村家住宅の風屋(母屋)の居間です。四角い囲炉裏は「お焼き」を振る舞うには最適です。囲炉裏は字の通り。炉傍で冷えた足を温め、お焼きを食べて焙じ茶をを飲めば体の芯から温まれます。
イメージ 10
これは中村家の墓所に祀られた双体道祖神です。囲炉裏端は「火」を起こす聖なるところで、祖先神とも通じます。墓が四角い石になったのは最近の事で、江戸時代は自然石に写真の様な「洞」を刻みました。勿論中世は五輪塔や宝篋印塔です。中世に始まった板碑が近世の石塔墓標に変わったと思われます。この写真では左の双体道祖神が風化したので。右の自然石を新しく祀ったモノと思います。
イメージ 7
小川庄では囲炉裏傍で「お焼き」を焼いてもてなします。冷凍したお焼きを電子レンジでチンして食べさせるのではなく、炉端で焼いてもてなすのは楽しい事です。この雰囲気作りを「縄文」の言葉で表現したのでしょう。先月津軽の「亀ヶ岡遺跡でも「三内丸山遺跡でも囲炉裏を観ました。この囲炉裏は「四角いのですが。縄文時代の囲炉裏は丸くて、家族は炉の周りを円座に坐って食べ物を均等に分配しました。
「お焼き」の何が美味しいのか自分でも良く解りませんが、「お焼き」はチャンスがあれば食指が伸びてしまいます。本当は「月餅」の方が美味しいお菓子だと思うのですが「月餅」と「お焼き」が並べられたら、私は迷わずお焼きを手にします。
私の血液には「囲炉裏端」で食べるお焼きがの郷愁として浸みこんでいるのかもしれません。加えて小川庄は「縄文お焼き」のブランド名をつけてしまいました。序に「縄文クッキー」に「縄文珈琲」も商標登録してしまえば良いと思うのですが。
縄文クッキーはクッキーの中にナッツや団栗の粒を混入させるのです。平林寺の裏山で団栗を拾って帰りました。何時か縄文クッキーを作ってみようと思っているからです。千葉の名物「ピーナッツ煎餅」のピーナッツの代わりに団栗を入れたようなものです。出来上がったイメージは「鳩サブレー」です。
イメージ 8
これがピーナッツ煎餅です。縄文クッキーはピーナッツの代わりに団栗や山栗やクルミが入ります。
縄文珈琲は珈琲に「くず粉」か「片栗粉」でトロミを加えるのです。縄文お焼きには「くず粉のトロ味」の入った「城門珈琲」が最高です。くず粉のトロ味が美味しいのは秋月の名店「高木久助」の「本葛粉に小豆」等を食せば納得できます。「小豆に葛粉」でさえ美味しいのですから「珈琲に葛粉」で珈琲味の葛湯を売り出せば)人気沸騰するでしょう。
イメージ 9
これが「葛湯」です。秋月の高木久助商店http://www.kyusuke.co.jp/new.htmlの「葛湯」は葛粉の中に生姜や蜂蜜で飲み易く、体に良い様にしてあります。香り付に珈琲をオンしたモノが「縄文珈琲」です。これも試飲してみようと思っています。
そんなこんなで「縄文お焼き」食べたさで戸塚駅前のモディーに出かけて「城門お焼き/野菜」と「金平牛蒡」を買って来ました。ワイフと半分づつ分けて戴きました。飲み物は「焙じ茶」では無くて「珈琲+ミルク」です。ミルクの代わりに葛粉を使えば「私の推薦する縄文珈琲です。





ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。


13日から津軽に旅をします。昔から「おしら様」と呼ばれる独特な民族信仰に興味があった事に加えて、津軽がルーツの友人から今夏絵葉書を頂戴したのでした。絵葉書は千畳敷と云う名の海岸浸食の磯に夥しい墓標石仏が並んで彫られていました。佐渡の外海府海岸の地獄洞窟に勝る寂寥感が漂っていました。そんな絵葉書を送られるともう家に留まっていられません。
津軽の秋は10月中旬が旅日和なのでしょうが、日本一の大銀杏の黄葉は11月中旬なのだそうです。で、初雪を待って旅に出る事になってしまいました。
イメージ 1
この北金ヶ沢の大銀杏観たさに旅立ちが初雪を待つ事になってしまいました写真出典奥津軽の旅案内http://www.okutsugaru.com/shichoubetu/fukaura/ooichou.html
何時もの友人にお願いして津軽から白神山地の西山麓を廻って貰う事にしました。旅支度もあって、上大岡に出かけました。戸塚に較べれば上大岡は商業集積が大きく都会です。何をランチにするか楽しみです。旅立ちの直前ですから消化に良い美味しいモノを食べなくてはなりません。私はかねて狙っていた「無印良品」のレストランに行く事にしました。京急百貨店のオープンは10時ですが無印良品のレストランの開店は11時です。
イメージ 2
此れが無印良品のレストラン「МUJI」開店は売場より1時間遅い11時です。
イメージ 3
МUJIの開店までの間京急の開発で移転させられた庚申塔と地蔵尊を詣でました。何時も綺麗に掃除され供花されていて気持ちいいです。京急社員の心がけでしょう。
イメージ 4
庚申塔の青面金剛の前を託児所の子供達が通って行きました。私は地蔵尊の雛段で日向ぼっこをして開店を待ちました。
11時まで時間を潰しに京急の開発で移った庚申塔を参詣しました。庚申塔の横に腰掛けて小春日和の陽を浴びます。横浜が好天である事は津軽は初雪と報道されています。庚申塔とお地蔵様に旅の無事をお祈りしました。無印良品は京急百貨店の5階で子供用品売り場が並んでいます。昨今は「安かろう!悪かろう!」と云った粗悪品が並んでいます。”悪貨は良貨を駆逐する”は経済の困った常識。でも子供売場は「高くても良いモノを」揃えています。私も孫の顔が脳裏に浮かびます。お買い物を終えた若いお母様やお婆ちゃんが買い物を終えてレストイランで休憩したり食事をしています。
イメージ 5
ベトナムフォーを食べに来たのですがボルシチにパンも気になります。
イメージ 6
店内の照明も設えも華美でなく落ち着いています。
イメージ 7
此れが意図した通りのベトナムフォーです。さながら「サラダラーメン」です。杏仁豆腐が付いて780円です。左の黄色いのは辛い魚醤(醤油)です。
買い物も終えたしフォーも美味しかったし、お地蔵様も詣でたし、良い旅になりそうです。



ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。








モロコシ饂飩の妙味

私はサラリーマン時代から名古屋三河に来ると必ず『味噌煮込みうどん』を食べていました。10月中旬の旅行でも味噌煮込み饂飩を食べる事に決めていました。前回は東岡崎駅に近い居酒屋風の店だったので、岡崎で一番人気の店をルルブで確認して。『大石庵釜春http://www.kamahalu.co.jp/』に行く事にしました。
イメージ 1
此れが名鉄岡崎公園駅前にある大石庵釜春本店です。このビルの北側に古風な旧店舗が保存されています。
イメージ 2
これが元祖の「釜揚饂飩です。出店当初の売れ筋はラーメンだったそうですが、店員の「まかない食だった「素うどん」が始まりだそうです。「角樽」に熱い饂飩を入れてタレを漬けて食べてていた「まかない」食が一番人気のラーメンを凌いで、有名店になったそうです。
場所は岡崎公園駅の傍で角久迄は徒歩5分の位置です。どうせ角久の工場見学に行くのですから角久内のレストランで「味噌煮込み饂飩」を食べる事も考えたのですが、やっぱり地元の人の一番人気を確認したくなって11時の開店と同時に店内に入りました。この時には既に20人ほどが開店を待っていましたから、人気は相当なモノです。私はお客は誰しも「味噌煮込み」を注文するモノと思っていたのですが隣席の人もその隣席の人も「釜揚げ饂飩」を注文しています。朱塗りの桶に「白くてモチ・モチしてそうな饂飩が浮いているようです。朱塗りの桶は建前の時に使う「角樽」のようで、お目出度い感じがします。三河人はハレの日に饂飩を食べる習慣があるのかな?思ったりしました。私の母は嬉しい事があると必ず餅撞きをしました。関東人はハレの日にはお餅をついて神棚や御先祖様にお供えしたモノです。ハレの日の食器も決まっていました。塗り椀が使われました。
何で皆釜揚げ饂飩を食べているのか不思議に思って献立表を見れな(その案内に釜春は「釜揚げうどん」の創業者で釜揚げ饂飩の名店のようです。偶々八丁味噌の角久が近いので「味噌煮込み饂飩」の思い込みを生んでいるだけの事のようです。
イメージ 3
猪鍋も汁が八丁味噌仕立てですから、鍋の仕上げに饂飩を入れると自ずと「味噌煮込み饂飩」になってしまいます。写真は足助の井筒亀」
イメージ 4
これは大石庵釜春の「味噌煮込み饂飩1300円弱」です。
イメージ 5
これが大石庵釜春の「モロコシ饂飩900円弱」です。夫婦でモロコシ饂飩と味噌煮込み饂飩を注文してシェアしました。味噌煮込みが塩辛いのに対しモロコシ饂飩は卵とじ饂飩にトウモロコシの甘さトロミが加わっていてこの取り合わせが絶妙でした。
其処でメニューを見ながら思案しました。「味噌煮込み饂飩」と「釜揚げ饂飩」を注文し、夫婦でシェアーするか?でもメニューに「モロコシ饂飩」が出ています。写真を見れば、卵とじ饂飩にモロコシを加えたようです。卵とじ自体にトロ味が付いていて、横浜名物のサンマー麺の「あんかけ」風のようです。興味を引かれたので「味噌煮込みうど」に「モロコシ饂飩」を一つずつ注文し夫婦で分け合う事にしました。
実はこれが大正解でした。味噌煮込みは総じて塩辛いのに対し「モロコシ饂飩」はサッパリしていて甘いのです。



ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

.
yun**ake200*
yun**ake200*
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事