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私の宗教観

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8月13日、私達は孫を連れて湘南テラスモールにお出かけでした。
孫と一緒で家内も嬉しそうです。
子供が、孫が居る事で人は元気が出るもんです。
江の島道を整備した杉山検校は道標に「一切衆生・二世安楽」と書きました。
江の島詣での御利益は第一に「二世安楽/子も孫も安楽に生活できますように・・・」だったのでしょう。
「二世安楽」は何時の時代も生甲斐なのです。
 
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      江の島道の道標、一切衆生(見えない面)二世安楽と刻まれています。
 
「自分が生きている事は、先祖のお蔭であり、また自分が生きて行くお蔭で子孫も繁栄する。」
そう考える事で、人は逞しく生きぬいてきました。
お正月が子供達と家族と交流する場面であれば・・・・、お盆は先祖と交流する場面でした。
お正月が今年も収穫があって、子供達も大きく育ってほしい・・・・、予祝行事であれば、
お盆は先祖の霊を我が家に迎えて・・・・、寛いでもらうと同時に、家族に災難が無いように、
病気にならないように守ってもらう・・・・・・、そんな厄除け行事であったと思います。
 
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 辻の庚申塔群、その前には迎え火を焚いて精霊棚を供えてあります。この辻で祖霊を出迎えたのでした。
 最近はこんな光景を見る事は稀になりました。(三浦市にて撮影)
 
 
8月13日は迎え盆です。
私の生家は寺でしたから・・・・、夕闇と同時に墓場に行き、そこで迎え火を焚きました。
胡瓜で作った馬と、茄子で作った牛を用意し、二つの乗り物を庫裏(お寺の生活建物)に向けて並べます。
麻がらを燃やします。
「ほら、馬の背にご先祖様が乗られたよ・・・・・」言われて、ぞっとした記憶があります。
今では、墓地まで出かけて迎え火を焚く人は居ないでしょう。
自宅の玄関や、自宅に続く辻で迎え火を焚く人が多いものです。
 
私の町内では迎え火を焚いている人は・・・・、我が家位でしょうか?
家々の間が無い程建て込んだ事、横浜市は焚火を禁じている事も関係しているのかも知れません。
迎え火は焚かなくても、門に牛馬が置かれている家も散見します。
殆どが茅を編んだ牛馬です。
胡瓜や茄子で牛馬を作る人は見かけなくなりました。
 
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   迎え盆の光景、最近はこうした茅で編んだ牛馬を供えて迎え盆をする家が多いようです。
   場所も玄関先です。
 
我が家では毎年昔ながらに迎え火を焚いています。
今年も義母に喜んでもらおうと・・・・・・、牛馬を作りました。
夏の初めには、白い茄子が店先に出回っていたので、今年の牛は白牛にする積りでした。
「まあ、今年の乗り物は白い牛さんなのね!」
義母の笑顔が見えるような気がしていました。
 
ところが、八百屋の店先には白茄子は姿を消してしまったので・・・・、
写真のような緑茄子で牛を作りました。
そして馬は・・・・、胡瓜に代えて細と紫のグラデーションの茄子を使いました。
グラデ茄子の方が、綺麗で楽しいからです
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    筆者が用意した茄子の牛馬、迎え盆の乗り物です。
 
我が家の門では、今年は夕顔も咲きました。
麻がらを焚いて、盆提灯に灯を点して・・・・・・・、
二頭の乗り物を我が家に向けて・・・、揃えました。
両親も楽しんで茄子の乗り物に乗って下さったことでしょう。
何故、牛馬を用意するのか?
多くの人は迎えるときには早く来て欲しいから、スピードの出る馬で、
帰りはゆっくりしてほしいから・・・、遅行の牛を用意する・・・・、言う人が居ます。
それなら、迎えるときには馬を、送るときには牛を用意すればよいのです。
「牛も馬もご用意しました! お好きな乗り物をお使いください!」
が正解だと思います。
 
また、茄子と胡瓜は祖霊の好物だから・・・・・、好物で牛馬を作った・・・、とも案内している事があります。
胡瓜は河童の好物で、河童は水神でもあるから・・・・、想像をたくましくする人も居ます。
私は単に身近な野菜で、牛馬の形に近いから・・・、そう思います。
 
そんな次第で、牛馬を作るのに、野菜なら何でもよい・・・・・、思っています。
大切なのはお神輿と同じです。
お神輿は神様に喜んでいただけるように豪華に作って、子供を肩車に乗せて喜ばせる様に、お神輿も揺らします。
どれもこれも神様に喜んでもらう為です。
お盆の牛馬も祖霊さんに喜んでもらえれば良いんです。
 
お母さん、今年の乗り物は如何でしたか?
喜んでいただけましたか?
 
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     門の外で迎え火を焚きます。今年は夕顔の花が間に合いました。
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       今年の牛は緑茄子、馬は白・紫ツートンカラーの茄子製です。
 
 
【追記】迎え火・送り火行事のルーツについて
祖霊は天にあって、盆には墓に戻って、墓から生家に戻ります。
墓場から生家までの道を明るく照らすのが迎え火です。
鬼灯(ほおずき)を墓地や家の玄関先に植えるのも・・・・、祖霊の戻りを促す為です。
麻がらを焚くのはバリバリと音を立てるので祖霊が気付き易い事と、厄を燃やし切る意味があるのでしょう。
 
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     これが円覚寺の施餓鬼棚(精霊棚)
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   これが鶴岡八幡宮の供物棚、円覚寺の精霊棚と供え物は変わりません。
   両者に共通するのは祖霊信仰です。
 
祖霊をもてなす為に、盆棚(精霊棚)には野菜や果物、お米を供えます。
円覚寺の施餓鬼棚と八幡宮の神棚は殆ど変わりません。
四天王の旗と注連縄の違い位のものです。
原始仏教には盆行事などなかったものの、日本に伝来し、
密教が隆盛する頃には祖霊信仰と習合したと思われます。
一方、神道は形も定まっていなかったものが、仏教の普及とともに形を固めて行ったと思われます。
神道も祖霊信仰を核にしてゆきます。
従って盆行事や夏越神事は類似した形(祖霊信仰)になったと思います。
 
迎え火行事は仏教伝来、神道の形成以前の・・・・、祖霊信仰がルーツと思われます。
1500年も日本民俗のハートの奥深くにある信仰です。
だから、信仰の心も形も大切にしたいと思うんです。
 
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     横浜某所の祠。道祖神、庚申塔、23夜塔、と祖霊信仰の色濃い3種が同時に祀られています。
     数年前までは迎え火が焚かれていたのですが・・・、もう忘れられたようです。
 
 
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6月の第三土曜日(今年は6月15日)は町内の一斉清掃です。
梅雨の合間ですが・・・・、思いのほか天気に恵まれます。
今年も、この日だけは青空が覘きました。
 
土曜日ですから、これからお出かけの家族も多い事でしょう・・・・、
朝8時半スタート、約1時間で終了します。
家内は一斉清掃開始前に家の前の道路を掃こうと出かけました。
そして、悲しげにして戻ってきました。
「庭の蛙さんが轢かれて、道路で死んでいる・・・・」
私は、慌てて道路に出てみました。
 
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                                            我が町の一斉清掃風景
 
蟇蛙に遭ったのはもう10年以上も前の事でした。
庭で草むしりをしていた家内の悲鳴が響きました。
私はてっきり青大将が出現して、家内が驚愕したもんだろう・・・、庭に出てみました。
植え込みの陰、菊鉢の裏に大きな蟇蛙が”ドデン”居座っていました。
私は笑いをこらえて説明します。
「これがガマガエルだよ、シロクの蝦蟇・・・、と呼ばれる・・・・・。
蛙は旅から無事帰る・・・・、お金が財布に返る・・・、というので世界中で縁起物なんだよ。
ガマガエルの大物が庭に棲んでいるなんて・・・、素敵じゃないか!」
 
家内も同意したようで・・・・、庭にガマ君が棲むことを認めてくれました。
 
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                                      我が庭の主、ガマ君の雄姿です。
 
ガマガエルは概して夜行性で・・・・、夜にノソノソ庭を歩き回って、虫やミミズを好んで捕食しています。
朝方に、戻って来るガマ君に遭遇する事も度々ありました。
我が家の犬君もガマ君には一目置いていて・・・・、庭を横断するガマ君に吠えもせず・・・・、
遠巻きして見詰めていました。
ガマ君は朝帰りをしながら…、実に威風堂々としています。
私が朝帰りする場合には・・・・、そんな風には行きません。
 
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       犬小屋の前を通って、ご帰還するガマ君。前の写真と色が違うのは保護色で変化するから。
       粋な縦縞模様は変わりません。
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       ご帰還したガマ君(満天星の木と煉瓦の間)を敬礼して見送る我が家のワンちゃん。
 
ガマ合戦から帰還するときは、壮絶です。
指が折れたり、体中に浮腫みや傷を負って・・・、今にもバッタリしそうな貧相な格好で帰ってきます。
私は何度かそんなガマ君を植木鉢の陰に休ませました。
目の前には好物のミミズを置いて・・・・、
ぐったりしたガマ君は直ぐにはミミズを口にしませんでしたが・・・・、
二日もすればミミズも無くなって・・・・、ガマ君も消えています。
屹度、ミミズを食べて・・・・、また夜になるとお出かけしているのでした。
毎年、ガマ合戦から無事帰還したか・・・・、心配していました。
何しろ、相当の老兵なんですから・・・・。
 
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昨晩も出回ったのでしょう。
道路と言ってもお寺の参道で、お寺に用のある車しか通りません。
夜にお寺に登る車などありませんから・・・・、早朝に車が通ったのでしょう。
轢かれて・・・・、出血して・・・・、地面には2箇所大きな血の塊が黒々しています。
我が庭に帰還しようとして・・・・、轢かれてしまったのが最初の出血地点、
そこで、しばらく止まっていて・・・・、やおらホームに戻ろうと1mも進んだ地点で息絶えたようです。
 
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      お寺の参道で轢死したガマ君。左の血痕痕が事故現場、そこから我が家の庭に
      1m這った所で息絶えたようです。
 
若しかしたら、また生き返るかも知れない。
私はガマ君の体を何時もの植木鉢の脇に横たえました。
数時間後見てみると・・・、もう蠅がたかってきています。
見つけた時より一層硬直・白蝋化してきています。
もう、生き返る期待は消えてしまいました。
 
長い間・・・・、一緒に生活してきたガマガエル君です。
犬やウサギ、鶉等のペットとは異なります。
ペット達は私の支配下ですが・・・・、ガマガエル君は私の同僚です。
同僚を事故で失った悲しみは深いものがあります。
もう、愛嬌のある・・・・、我慢が得意の・・・、あの顔を拝むことは出来ないのです。
地面に顔を寄せて・・・、ガマ君のデスマスクを覗き込みます。
中々に哲学的な顔をしています。
 
鳥獣戯画の昔から日本人はガマガエルと親しくしてきたんですから・・・・。
私のガマ君への愛着は1000年の歴史文化を引き継いでいるんです。
 
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               不運を嘆くことも無く、眼を閉じたガマ君のデスマスク。哲学的な顔つきです。
 
植木鉢の横に弥勒様を置いています。
大昔三越本店で求めた石仏です。
これが・・・・、ガマ君の墓標です。
ガマ君の屍は弥勒様の下で土に還ります。
魂は天に上ります。
南無阿弥陀仏。
 
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                                  弥勒様の下で、ガマ君は土に還ります。
 
昔からの諺があります。
『井の中の蛙、大海を知らず。されど空の高さを知る』
大海を知らずは当然です。
ガマ君は我が家の庭が生活圏だったのですから・・・・。
でも、空を見上げて・・・その高さを知っているんです。
私も・・・・、天空の彼方にあるものを知りたい・・・、思います。
 
 
 
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昨年の今日(6月12日)に胃癌の手術をいたしました。
昨日は術後1年の定期検診でした。
朝8時半に採血、続いてエコー、9時半に内視鏡検査、10時半に主知医による総合診断の予定です。
検査システムや検査情報処理が迅速になったおかげで半日で全部が終わります。
15年前、筆者は腎臓癌で摘出手術をしましたが、
当時は検査結果が出そろうまで一日以上を要しました。
ですから、格段の進歩です。
 
家内が内視鏡検査の同意書にサインしながら・・・・”同行しましょうか?”訊きます。
私は”体調は良いし、自信があるから・・・・、付添いは要らないよ・・・”答えました。
文庫本とカメラをバックに入れて、早くから出かけました。
切られた胃ですが・・・・、
”腹減った・・・、何か食わせろ・・・・” 文句を言っています。
 
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                                        朝8時の湘南鎌倉総合病院の風景。
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      内視鏡検査室。私も何時しか内視鏡検査を受けるベテランになってしまいました。
      横になりながら画面に映った我が食道、胃袋、十二指腸を見詰めながら・・・・、
      ポリプが無いか、綺麗か見詰められるようになりました。(許可を得て撮影しています)
 
この歳になると、両親も亡くなり友人も数多く見送りました。
私も二度も大病を患うと・・・・・、
『自分は今も生きているんだが・・・・、友人は何故に先に逝ったか?』
自問自答致します。
結論から先に言えば・・・・、私は早くに癌が発見されたから・・・・。
何故、早く発見されたかと言えば・・・・、定期検診を受けていた訳けでもないし・・・、
今回は大量喀血したから・・・・、癌が発覚しました。
何故、喀血したのか?
偶々、由井の名物桜エビの天麩羅を食べて・・・・・、その尖った部分が癌の先っぽに突き刺さったから・・・、
要するに、幸運が重なったので大事に至らないで済んだ・・・、思っています。
これを”運”と呼ぶんでしょうが・・・、
運だけで済ませられない人は”縁があった”言うのでしょう。
私は、”まだまだこの世に縁があるんだ・・・・” 思います。
 
8時過ぎ、湘南鎌倉総合病院に着きました。
驚いたことに、植え込み全体に鉄砲百合が咲いています。
百合は散り始めた躑躅よりも背丈を伸ばして、躑躅を見下ろす位置で、
四方に向けてラッパのような形の花を咲かせています。
昨年、入院前後には全く気付きませんでした。
家族に訊いても、去年は気付かなかった・・・、言います。
私も、家族も胃癌の手術で頭が一杯で・・・・、咲き揃った鉄砲百合が見えなかったのでしょう。
百合の花に気付いたのは・・・・・、四方を見回す余裕が出来たからなのでしょう。
 
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                 湘南鎌倉総合病院の植え込み全体に花を咲かせた鉄砲百合。
 
終末期医療に係った人の調査によると、人は死ぬ間際になると必ず自分の人生を振り返るそうです。
死ぬ間際・・・、後悔だけはせず、感謝だけをしたいものですが・・・・、
なかなかそういうわけには行きません。
 
後悔中で最も多のが「自分にもっと忠実に生きれば良かった」・・・、そんな無念な思いだそうです。
次いで多いのが「あんなに一生懸命に働かなくても良かった・・・」後悔だそうです。
「もっと、遊んだり人生をエンジョイすれば良かった・・・・」そんな思いの裏表でしょう。
日本人は会社人間が多いのですから・・・・・、リストラされた人は屹度同じ思いでしょう。
三番目に多いのが「もっと友人を大切にしておけば良かった・・・」
そんな後悔だそうです。
 
人生の豊かさは友人の数や友情の深さに依るものでしょう。
「家内をもっと大切にすればよかった」
「親孝行をもっとすれば良かった・・・」
「子供達に財産を残してあげれば良かった・・・・」
死に際して、
身内に対する思いやり以上に、友人に対する後悔の想いが勝っているのは意外です。
 
私の親兄弟に癌を患った人は居ませんでした。
だから…、私は遺伝的に癌は心配ない・・・、思っていたんですが、二度も癌の摘出手術をしました。
お蔭で、私の腹には縦横に・・・、十字に傷跡が残っています。
私が勤務していた銀行が破綻する時に腎臓癌が大きくなりました。
退職後事業を始めましたが、
順調かと思えた事業が、大量の不良品のクレーム処理に没しました。
その時も”このままでいると癌が再発する!” 懸念されました。
当時に胃癌が巣食ったのでしょう。
ストレスが癌を大きくする・・・、私の確信です。
だから・・・・、今後はストレスのない生活を送ろう・・・、
それが健康で長生きする秘訣だと思っています。
 
前述、第一、第二の後悔は今更どうしようもありません。
(親の期待に沿って)銀行員にならなければ・・・・・、学校の先生や研究者になれば良かったのに・・・、
思いは消し去る事は出来ません。
破綻した銀行に尽くしたって・・・・、如何ともせなんだ・・・・・、適当にすれば良かった・・・、
思いは今も断ちがたいものがあります。
そんな思いは色褪せて・・・諦観が強くなるまで時間がかかる事でしょう。
 
でも、友人には今も恵まれています。
3番目の後悔だけはしなくて済むよう・・・・・、友人を大切に過ごすことにしましょう。
 
そんな友人も私の胃癌の経過を心配して下さっています。
だから・・・・・・、このブログで報告いたします。
主知医の指導は以下の通りでした。
大事な順に書きましょう。
①胃癌の再発の懸念はありません。食道も十二指腸も綺麗です。
②胆嚢に小さな石がありますが、胃癌の摘出手術をすると出来るものです。心配はありません。
③膵臓、腎臓とも健全で綺麗です。前立腺も肥大していません。
⑤血液の諸データも健康そのものです。血糖値も低くはありませんが健康域にあります。
⑥血液中の鉄分濃度も戻ってきています。
私も、自分自身の体も軽いし、良く寝られるし・・・・、かってない程健康です。
サラリーマン時代もこんなに調子のよい事は稀でした。
 
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      内視鏡検査の診断書、どこもかしこも隅々まで問題なし・・・・、と報告されました。
      これからは定期診断も3か月ごとに減りました。
      これらデータを患者に公開するするところも、医術の進歩だと思います。
      エコー、血液検査の報告データも戴きファイルしてあります。
 
鉄砲百合を眺めながら思いました。
昨年は百合を見過ごしたように・・・、私はきっと沢山の貴重なものを見過ごしている事だろう。
これからはもっと自然を見詰めながら・・・・、美しいものを心して見詰めながら過ごしたいものだ。
そして、家族と友人を大切にしながら過ごそう・・・、と。
後悔は少なく・・・、感謝の心を強くして・・・・、その時(死)を迎えよう・・・・と。
 
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ゆっくりランチを楽しんで病院を後にしました。
鉄砲百合が縦列に並んで、私を見送ってくれました。
”一年後検診、総てが順調で良かったですね・・・・、お大事に・・・・!”
言ってくれているようでした。
友人にも、鉄砲百合にも一言
”有難うございます、お蔭ですこぶる体調は良いんです・・・・。”
 
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   院内の喫茶室ドトールで、12時間ぶりで食事をしました。
   確信はあったのですが・・・・、改めてデータを戴き主知医に太鼓判を押されると・・・、
   ランチも美味しく感じるものです。
 
 
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2月15日、今日は涅槃会です。
インターネットで調べます。
開始時間を、多くの寺は未明とか早朝とか案内しています。
色々、迷った挙句に先ず北鎌倉の円覚寺を詣でる事に致しました。
 
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この日のご本尊は釈迦涅槃図です。(円覚寺)
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                      円覚寺山門
未だ、朝9時です。
でも、境内には沢山の中学生が居ます。
ノートを覗けば伽藍配置図がプリントしてあり・・・・・、一つ一つの建物が「何という名で、どんな目的があるのか」調べて、書きこむようになっています。
「何処から来たの?」 聞けば、足立区からだそうです。
朝6時には出発したのでしょう。
 
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      仏殿の基壇に腰掛けて、選仏場と居士林を調べる中学生。背後の仏殿内では涅槃会の準備が      進められています。中学生たちは涅槃図を眺められて…、幸運でした。
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                                              選仏場(座禅道場)如来像
 
今朝は和尚さんが忙しくしておいでです。
「お早うございます!」 和尚さんがお声を掛けられます。
中学生は驚いたように顔を上げて・・・、大きな声で「お早うございます!」挨拶返しをしています。
アッチでも、こっちでも「お早うございます!」が響きます。
今にも雨が降り出しそうなお天気ですが・・・・、こんなに爽やかで清々しさは・・・、円覚寺ならではです。
 
昨年までは涅槃会の法会は朝6時から開かれていたそうです。
それを今年から10時に遅らせ、一般人が法会に参加できるよう・・・・、配慮されたそうです。
では、約1時間、境内を散策すれば、丁度涅槃会にピッタリです。
境内にはマンサクが満開です。
梅も咲き始めました。
舎利殿まえの蝋梅は最期の花を精一杯咲かせ続けている所です。
 
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                                選仏場前の梅の花も咲き出しました。
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                   舎利殿前の蝋梅は最期の力を振り絞って、花を薫らせていました。
 
 
涅槃会の法要が始まりました。
舎利殿でお経を唱えられた御坊様方が連なって仏殿に入られます。
最初に天皇陛下のご健康と世界の平和をお祈りされました。
今上天皇と書かれた牌(?)が移されると、大太鼓が打ち鳴らされて・・・・涅槃会が始まります。
横田南嶺官長以下、塔頭や近在のお寺の和尚様、円覚寺の雲水さん、50人は居られるでしょう。
読経の声が大きな仏殿に木霊して・・・・、腹の底に響くような大音量です。
加えて、先達(※)を務める和尚さんの声が素晴らしい事・・・・、
オペラのバリトン歌手も聞き惚れる艶と澄み切ったお声です。
(※:先達と書きましたが維那/いのうが正しい名です。お経の最初、最後(回向)を読み上げます)
 
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   読経しながら仏殿を練り歩く和尚さんたち。若いお坊さんの墨染めと青い頭が清々しく感じられます。
   天井の龍は前田青邨画伯監修(守屋ただし作)によるものです。
 
小さなお体の南嶺官長の何処からこの大声が出るのか?
摩訶不思議な大音量で・・・偈(お釈迦様の遺徳を讃じた漢詩)を読み上げます。
私達参列者は予め配られていましたから・・・・、手元の栞で偈を確認いたします。
 
南嶺官長が歩を進められます。
和尚さんがそれに連なります。
雲水さんまで50人の御坊様が仏殿を練り歩きながら読経をされます。
和尚さんの横顔も姿勢も、合掌された姿も・・・総てが眺められます。
若いお坊様の青々とした坊主頭も清々しく感じます。
姿も仕草も表情も・・・、総てが美しいと思いますし・・・・、季節を感じます。
 
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  床に身を投げて九拝される南嶺管長。両の手はお釈迦様のおみ足を捧げる姿勢だそうです。
  宗様式の沓が印象的です。赤い沓は南嶺管長さん、前管長の足立大進和尚が履いておいででした。
  南嶺管長が墨染の法衣を召されているのは、前管長への気遣いでしょうか?お若い(多分48歳)のに  素晴らしいお人柄です。この日も中学生に率先して挨拶をされていました。
 
仏殿内は冷え込みます。
何時しか鼻水が垂れてしまいました。
驚いて外を覗くと雨が降り出しています。
仏殿の外陣からも…、沢山の人が法会を見学しています。
 
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    法会が終わり説法、あいさつをされる南嶺管長さん。右側に偈が貼られています。
 
法会が終わると南嶺官長が法話とご挨拶をされました。
先ずご自身の漢詩を説明されました。
  鶴林示寂紫金身・・・・・・、
(漢詩の字が難しくて拾えないので写真で見てください)
鶴林でお釈迦様は最期の時を迎えようとしておいででした。
お弟子の迦葉尊者(※)はお釈迦様の最期に間に合いませんでした。
迦葉尊者が到着すると、お釈迦様はお棺の中から両足を出して示しましたが・・・、
もう息を戻されませんでした。
しかし、お釈迦様は亡くなったと言ってはくれないで下さい。
(円覚寺では)梅の花が今年も変わらず、春風に微笑んでいるではないですか・・・・!
 ※迦葉尊者は高弟で禅宗の始祖になります。
 
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                                              南嶺管長の涅槃会の偈
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                                    選仏場(座禅堂)前の梅も咲き出しました。
釈迦涅槃図の足元を指さされました。
其処には汚い老婆がおみ足を捧げていられます。
この老婆はお釈迦様を慕って・・・・、インド中を歩き回って・・・、ようやくお釈迦様に会えるところだったのでした。
ところが運悪く(?)最期には間に合いませんでした。
・・・・・、そこでお釈迦様のおみ足を捧げ持って・・・・、大泣きしているのだそうです。
涙は、お釈迦様の足裏に飛び散って・・・、模様が現れました。
 
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   お釈迦様は亡くなられと金色に光りました。右端に白髪の老婆がおみ足を捧げています。
 
お釈迦様が偉大なのは、頭や良くて・・・、知恵が詰まっていたからではない・・・。
お悟りを得てから亡くなるまで45年間、ずっとインド中を行脚して回られ、教えを広めたから・・・、
偉大なのでしょう。
だから・・・・・、お釈迦様の最も貴い所は・・・・、おみ足なのです。
”みなさん、長い釈迦涅槃会に参加いただき有難うございました。こんなに沢山の方にご参加いただき嬉しい限りです。老婆のごとくに涙雨が降り出しました。
甘酒を用意いたしましたので温めてからお帰り下さい”
 
いい法話を聞く事が出来た。
素晴らしい偈であったなあ・・・・・!
思いながら仏殿を出ました。
梅の花が冷たい雨で濡れていました。
私は坂村真民の詩を思い出しました。
「一輪の花の中に神宿り給う・・・」
 
残りの人生、一瞬一瞬お顔を出される神を感じながら・・・過ごしたいものです。
冬から春にかけて・・・、今が最も頻繁に神がお顔を出される時でしょう。
 
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   甘酒を戴いて、円覚寺のお山を下りました。
 
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                              南嶺管長に似て(?) お人柄を示すお地蔵さん
 
 
 
 
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1月21日麻生副首相は終末期医療に関し「私は遺書を書いている。
”チューブ人間にはさせてくれるな、さっさと死んでゆくから”」発言された。
延命治療を否定する発言ともとりかねられない事から・・・・、マスコミの批判を浴びようとすると、
「適当でもない面もあった」コメントを発表された。
世論は粗忽な発言ながら核心を突いている・・・、総じて同感する様子であります。
 
立春を過ぎると、お寺さんは釈迦涅槃会に入ります。
時宗本山遊行寺には本堂の天蓋を外して、釈迦涅槃図を掛けられました。(2月末まで)
そう、2月15日は釈迦涅槃会です。
2月ばかりは遊行寺のご本尊は「釈迦涅槃図」なのでしょう。
私はこの見事な涅槃図を何度も何度も眺めて・・・・、良く描かれている・・・・、感服しています。
 
長い間拝んでいるお年寄りもいます。
車椅子を連ねて拝観に来ている・・・・、高齢者医療やグループホームの方も見受けられます。
私は本堂の前で何度も記念写真のシャッターを押しました。
そして、2月15日がお釈迦様の亡くなった日であること、遊行寺さんの今月の標語が「仏恩報謝」であること・・・、立場をわきまえず説明させていただきました。
 
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              遊行寺本堂、手前の人はグループホームのみなさん。筆者が乞われて写真のシャッターを押し、立場を越えて釈迦涅槃図の説明をさせていただきました。
 
 
キリスト教は”人間の生き方”を導く宗教のようです。
キリスト様の命日は何時だか・・・・、知らない人が殆どです。
でもお生まれになった12月25日(24日は前夜)は誰でもお祝いしますし、
人間の罪を背負って礫刑になられた日はさておき、、
復活された日は”イースター”として大々的にお祝いします。
総じて西洋社会は太陽暦ですが、イースターだけは立春後の最初の満月の週の日曜日・・・・、
と太陰暦に依っているのは不思議です。
 
一方、仏教は人間の死に方を教える宗教のようです。
釈迦涅槃図は死に方の理想を示しています。
そして、”お釈迦様と同じように良い死に方をしたい”と願い、拝むのです。
 
釈迦涅槃図は本堂の長押に架けられ、畳の上まで広がっています。
大判の和紙を横にして5枚繋いでいますから・・・・、縦が5m、横が2メートル、の絵です。
これに表装が加えられますので、縦横が6m、3m程度でしょうか。
表装部分には明治24年に4寺が奉納した・・・・・、経緯が書かれていました。
同年は明治天皇は遊行寺に泊られたので・・・・、時宗全体で盛り上がっていたのでしょう。
(大津事件も勃発します)
 
イメージ 1
                          2月だけは遊行寺のご本尊は釈迦涅槃図です。
 
中央にはお釈迦様が横たわっておいでです。
頭を北にされて、右腕を手枕にされていられますから、西を向いておいでです。
満たされて大らかな優しいお顔をされています。
両膝を心持折っておいでです。
屹度、西に沈むお日様を見ておいでなのでしょう。
こんな、自然なお姿は日本の釈迦涅槃図の特長で・・・・、
鎌倉時代阿弥陀信仰が一般化して以降に流行りました。
それ以前は中国やタイに多く見られるように、上方を向かれ、膝も伸びたお姿でした。
釈迦涅槃図とすれば、横向きで拝む人を見る様なお姿の方が心に染込むものがあります。
日本の仏画も仏像も拝む人の眼を見る様なお姿で、
語りかける様なお姿で描かれ(作られ)ている事が特長です。
 
イメージ 2
      お弟子をはじめ天地総てが慟哭する中、穏やかな表情で涅槃を迎えられるお釈迦様。
      この姿が人間の理想です。
 
 
お釈迦様の寝台を菩薩、諸弟子、王侯貴族以下の人物が取り囲んでいます。
筆法はゆったりして・・・・、大和絵の伝統に沿っています。
羅漢の嘆きの様や鬼の泣き叫ぶ姿もリアルです。
前面には多数の動物や邪鬼(?)が悲嘆にくれて号泣するさまを克明に描いています。
 
8本もの沙羅双樹が描かれています。
左の沙羅双樹は葉も緑で、蜜柑のような実もたわわになっています。
右側の沙羅双樹は葉が黄葉してしまっています。
沙羅双樹も嘆き悲しみ・・・・、白化してしまった・・・、お経の内容を絵で表現しているのでしょう。
天下万有みな慟哭に堪えない・・・・、そんな場面です。
 
イメージ 3
                                          悲しみを全身で表現する羅漢様
イメージ 4
                                                 慟哭する邪鬼や動物たち
イメージ 5
   天上からはお釈迦様のお母様摩耶夫人たちがお釈迦様をお迎えしよう・・・・、舞い降りて来ています。
 
私達は、お釈迦様と同じように満たされた心で死の旅に立ちたい・・・・、誰もが願っています。
出来れば家族や友人、庭先の動植物にも見送られたい・・・・、誰もの願いです。
その為には・・・・、慣れ親しんだ自宅で死にたい・・・、思います。
死んだ後の名前(戒名)も自分の好きな名が欲しい・・・、思います。
でも、どれ一つとして思うようには行きません。
それは、死に際に問題があるからです。
 
イメージ 7
   釈迦涅槃図(高野山金剛峰寺/平安時代/国宝)鎌倉時代以前の釈迦涅槃図はお釈迦様は天上を向かれ、    膝も真っ直ぐでした。鎌倉時代以降西方に浄土がある…、一般に信仰されたので西向き横臥したお姿になり   ました。此方の沙羅双樹2本は悲しみのあまり白化しています。
 
人が癌を患います。
人間の体は・・・・、穏やかな死に向かって準備を始めます。
癌だって・・・・・・大きくなりすぎれば・・・・、人間と一緒に死ななくてはなりません。
身体は癌もろともに命を絶つ・・・・、シナリオに向かって進む筈です。
ところが、終末期医療は癌細胞を叩こうとあらゆる手を打ちます。
身体は癌もろとも死んでゆこう・・・・、シナリオに狂いが生じます。
痩せ細った体に栄養をつけよう・・・・、ブドウ糖を点滴します。
すると、先ず元気な癌細胞がブドウ糖を吸収し活性化します。
でも、少し遅れて体も元気になります。
栄養分を直接胃に送るのが胃漏です。
その為に胃にはパイプを入れます。
排出させるためにそれ用のパイプを入れます。
リンゲルの為に体腔に溜まった水を抜くパイプも付けます。
パイプ人間に化して・・・、存命医療が施されます。
 
医療のお蔭で、癌細胞も体も元気になります。
両方が活性化すると・・・・、身体全体が痛み軋んでしまいます。
本来ならば体も癌も両方とも同じような店舗で衰弱して・・・・、死を迎える筈でした。
死に向かう中で、心や能は冴えてきて・・・・、自らの人生を振り返ります。
「平凡だけれど良い人生であった・・・・。自分はささやかな存在だったけれど成功した人生だった。
凡庸であったからこそ・・・その中にお釈迦様に似た人生を送る事が出来た。」
そう思い感謝の念で一杯になります。
すると、生き抜いた事に満足した笑みを表して、死んで行くことが出来るのです。
 
ところが、終末期医療で、体も癌も体中で活性化してしまいますと、体中が自分自身と癌との戦場になってしまいます。大きな苦痛を伴いますから・・・・、到底穏やかな心で死を迎えられる…、そんな心境はなれません。
「苦しい!痛い!」叫びながらバッタリ息絶えてしまいます。
終末期医療を選択して、人間がお釈迦様のように・・・・、自然に痛み苦しまないで死んで行ける・・・、
そんなシナリオを狂わせてしまうする事が間違いなのでしょう。
 
イメージ 6
   釈迦涅槃図の向かって左側にはお釈迦様の一生が描かれています。右側は死後の様子が描かれていま    す。この一枚の涅槃図が仏教のすべてを絵解きしているのです。
 
有史以来仏教も神道も自然に任せるのが一番幸福になる・・・、教えて来ながら
この1世紀の間、医療技術の進歩の中で・・・・、人間の死に方を忘れさせてしまいました。
少しでも長く生きたい、少しでも長い間生かせたい…、願うばかりに苦痛を大きくさせ、死ぬ心の準備をさせないでいると思われます。
医療の進歩は医者の役目です。
医者に咎はありません。
「死に方」を教えない宗教に問題があるように思います。
死に方は自分自身で選択すべきです。
西行法師のように、自分の描いた死に方をすべきです。(※1)
 
麻生副首相の発言は至極ごもっともでありましょう。
何も財政負担を軽くする目的ではなく・・・、人間の死に方を教える発言と思われます。
お寺さんも、お葬式前の「死に方」をもっと教える事が重要ではないでしょうか。
 
2月15日、私の好きな遊行寺の涅槃会で、どんな説法が聞かれるか今から楽しみです。
 
私は今日(2月12日)は胃癌の2か月検診です。予約は9時半、その前に腹部エコーがあります。
ブログの校正は帰宅後にする事にして・・・、拙速ですがこのまま立ち上げます。
 
   ※1:西行法師は自身の理想とする死に方を次のように歌いました。
      「願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃」
     「如月の望月」とは釈迦涅槃と一致します。太陰暦の2月の満月は太陽暦の3月20日過ぎですか      ら、桜の咲く季節になります。涅槃会の頃、満開の桜の樹下で、満月の頃に死にたいなあ!理想     を述べて、その通りに亡くなりました。日本人に深い感銘を残しています。 
 
 
 
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