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私の宗教観

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”南無”と祈るこころ

台風一過の朝が来ました。
未だ、風が強いようで雨戸がカタカタ鳴っています。
台風は今頃三陸沖辺りでしょうか?
懸念された被害も大したことはなかったようです。
外が明るくなったら・・・・、庭を廻ってみる事にしましょう。
朝顔も、夕顔もこれでお終いになった事でしょう。
 
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              彼岸と此岸は川の両側です。彼岸花は川の向こう岸に咲く花なのでしょう。
              死後の世界は絶対空間の向こう側にあるとは考えませんでした。
 
家内が本堂の須弥壇前に並んだ卒塔婆の中から、両親のそれを探して、大切に抱えて出て来ました。
今年は彼岸明けの9月26日に墓参りです。
”今年は遅かったわね!” 
白蓮院妙純日正信女(母の名)さんはお怒りでしょう。
母の名は父がつけてくれました。
母の姿を良く言い表した名です。
私も妻も、何よりも故人が喜んでいる事でしょう。
”私ってそんなに色白じゃあないわ・・・・!、でもお父様がつけて下さったのなら…、仕方ないわね” 
なんて言っている事でしょう。
 
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                       金沢文庫「称名寺」の浄土庭園は彼岸花で飾られます。
 
私は「南無妙法蓮華經」、7字の名題を見詰めました。
学生の頃は「汝を無にして妙なる法蓮華經を信じなさい!」 読んでいましたが、
それは間違いのようです。
 
「南無阿弥陀仏」は浄土教の6字の名号です。
法然・親鸞の子弟が
「難解なお経を学ぶよりも南無阿弥陀仏、私はひたすら阿弥陀仏の教えを信じます」
そお唱えなさい…、教えたのでした。
梵語に「NAMU」という言葉があって、中国人が南無という字を充てたのでしょう。
だから南無という漢字に意味など無いのでしょう。
「NAMU」とは「帰依します」という意味でしょう。
”私は法蔵菩薩の教えに帰依します”そんな名号でしょう。
法蔵菩薩は「衆生を救ってから、自分は成仏する」と述べたそうです。
 
”私は、尊い法蓮華經を信じます” 7字名題は書かれているのでしょう。
 
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             卒塔婆の上にアキアカネが止まりました。
             このトンボも彼岸の頃に里に下りてきます。
 
キリスト教ではアーメン(AMEN)と唱えます。
讃美歌を唄い終えると、アーメン、神父(牧師)さんがお説教を終えると、アーメン・・・、
声を合わせます。
私は中学生のころ「A MEN」と思い込んでいました。
信者は”一人の人間として神に従います” そう宣言しているんだ…、思っていました。
ところが、アーメンはヘブライ語、「まことに、その通りです」といった意味だそうです。
だから…神父(牧師)の説教に、
「まことにその通りです」と相槌のように言っているのがアーメンなのでしょう。
 
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     彼岸に墓参り出来なくて、待っている卒塔婆達。
     矢張り彼岸が過ぎても…こうして並んでいるのは気が咎めるものでしょう。
 
南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏、アーメン、意味は解らなくても・・・、
唱える事によって…、大きな安堵感に包まれる事が出来ます。
宗教的情操を良く言い表した言葉です。
 
憲法によって信教の自由は守られています。
でも、戦後は「政教分離」、「宗教から離れる事」だけに汲々としてきたようです。
宗教的な情操がないがしろにされています。
そろそろ、宗教を考え直す時期が来ている様に思います。
 
創価学会は「政教分離」を標榜していますが・・・・・、
ドイツのメルケル首相はキリスト教民主同盟の総裁ですし、
オバマ大統領は聖書に手を置いて宣誓します。
日本の常識「政教分離」とは程遠い世界です。
 
人間は無宗教を標榜する人より…、
宗教的情操に溢れる人を信頼するようです。
 
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                                金沢文庫称名寺の百観音を飾る彼岸花
 
 
 
 
 
 
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古事記にも日本書紀にも「海彦・山彦」の神話が出てきます。
山彦には兄の海彦が居ました。
ある日兄の海彦を誘います。
「偶には持ち場をチェンジしたら、面白いじゃないか!」
山彦は釣り道具を持って海に出ます。
海彦は狩り道具を持って山に入ります。
でも、慣れない二人は収穫もありません。
加えて山彦は釣り針を紛失してしまいました。
 
釣り針を失くされて海彦は怒りに震えます。
山彦は自分の剣を潰して1000本の釣り針を返しますが、海彦は怒りを納めません。
「俺は、失くされたあの釣り針が欲しいのだ・・・」
 
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  今日の写真は柏尾川の灯篭流しです。
  写真奥の工事中のビルは戸塚区の新庁舎(文化センター)、桜橋の袂から灯篭を流します。
 
悲しくなった山彦は磯で泣いています。
すると老人に声をかけてもらいます。
老人の作った竹の船で山彦は「海の国」に行きます。
そこで、綿津見の神(ワタツミノカミ/海神)に会い、その娘豊玉比売(トヨタマヒメ)を娶ります。
 
故郷に戻った山彦は綿津見の神の言われた作戦で、兄の海彦を攻めます。
海彦は「お前の兵隊になるから・・・」命乞いします。
山彦の子が神武天皇になります。
一般に山彦は「大和政権」の祖先、海彦は九州の隼人一族と言われています。
 
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  次第に暗くなって、灯篭が浮かび上がります。川面に揺れる炎は故人の思い出を誘います。
 
大和朝廷の成立の過程で、海彦・山彦の争いは各地で戦われてきたことでしょう。
それは、縄文人と弥生人の争いであり、海の民族と山の民族との争いでもあった事でしょう。
戦いになっても比較的平和裏に大和朝廷の統一が出来た…、神話が伝えています。
 
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  箱根明神ヶ岳の大文字焼(神奈川コミュニティーサイトから転載)
 
 
8月16日「灯篭流し」から帰ると、ニュースには京都の大文字焼を流していました。
 
私は、最初に大文字焼を見物した記憶を思い出しました。
1985年8月1日の人事異動で私は銀行の大阪支店副長として赴任していました。
取りあえず甲子園球場に近い単身寮に入りました。
この年はバース・掛布・岡田の連続ホームランが出るなど、
阪神タイガースはジャイアンツを圧倒、優勝しました。
琵琶湖に青子が湧いて、水道水が不味い事に閉口しました。
そして8月12日、日航機が御巣鷹山の山稜に墜落しました。
         
 
銀行は御堂筋にありました。向かいが北御堂で毎日のように葬儀が行われていました。
私は通常の業務のほかに午後1時、午後3時に会葬しました。
痩せ細る毎日でした。
 
8月16日、淀屋橋から京阪電車の乗って京都河原町三条に出て・・・・・、渡月橋に出ました。
「精霊流し」と「五山の山焼き」両方を見物しよう…、欲張ったからでした。
 
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                                    少女が灯篭を見詰めていました。
 
精霊流しは船に乗せって「先祖の霊」を川に流す行事です。
先祖の霊は灯篭船に乗って川を流れ…、海に流されます。
海の彼方には「海の国」があって、其処には「綿津見の神」が居ます。
熊野の「維盛入水」も、壇ノ浦の「平家一族の入水」も、
海の底に竜宮城か「綿津見の国」があると信じたからでしょう。
「死んだら海の底に帰る」海の民族の伝統的な信念です。
 
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   この日は南風(下流から吹き上がる)に押しやられて、灯篭は流れずに溜まってしまいました。
   まるで、精霊さんが海の底に帰るのを嫌がっているようです。
 
山焼きは先祖の霊を山の上に案内する行事です。
先祖の霊は山の上に棲むと考えました。
恐山も月山も明神ヶ岳も京都の五山も・・・、先祖の霊は里を見下ろす山頂に居ます。
お盆には山を降りて里の家に戻ります。
その時に夜道に迷わないように山焼きをします。
家では盆提灯をともします。
秋田では盆提灯をまとめて竿灯に吊るします。
これ等は総て山の民族の伝統行事です。
 
流石に京都は日本の都です。
海の民族、山の民族両方の伝統行事を一緒に見せてくれます。
 
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百日紅の物語

お釈迦様の一生で重要な場面は必ず樹の下で演じられました。
お亡くなりなられたのは沙羅双樹の樹下で、沢山の人や動物の悲しみの中でした。
悟られたのは大きな菩提樹の樹下でした。
そして、お生まれになられたのは無憂樹の樹下でした。
摩耶王妃はルンビニの農村で真っ赤な花が咲いた樹を見つけます。
その花を手折うと背伸びしたとき、王子ガウタマ・シッダールタ(仏陀)を産み落とされました。
 
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           無憂樹の花。筆者もベトナムなどで良く見ました。
           日本で見られる似た花として百日紅があります。WIKIPEDIAから転載
 
お釈迦様には程遠くても、私たちの人生でも重要な場面を演出してくれたのは…樹であったような気がします。
入学式を飾った桜の木、学校の校庭にあった楡の大樹、庭先のイチジクやクリの木・・・・・、
人生の場面場面を樹が飾ってくれていました。
そんな樹と共に歩んだ人の一生は幸せなものでありましょう。
物言わぬ樹と共に、樹下で樹の声を聴きながら生きなさい・・・・、
それが仏陀の教えの一面のような気がします。
 
 
 
私の生家である盛徳寺は今夏も見事に百日紅の花が咲きました。
今日は、その百日紅の話をいたします。
百日紅は無憂樹に似て樹上に真っ赤な花を咲かせます。
でも無憂樹は南国の木で日本には育ちません。
そこで、良く似た木・・・・・、として百日紅を聖樹として探したものでした。
 
明治19年佐々木ノブは世田谷弦巻の禅寺「実相院」の次女として生まれました。
豪徳寺の副住職「竹内周三」と縁があり結婚、
明治42年(1909)6月10日新婚夫婦は鎌倉郡豊田村倉田の盛徳寺に参りました。
この禅寺を世話してくれたのは豪徳寺住職松本方丈でありました。
 
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                              筆者の祖母「ノブ」。ハイカラ好きのお嬢様でした。
 
盛徳寺は阿波の蜂須賀公の開基で、檀家は8軒しかないものの、寺納米50俵田畑山林を有し、
檀家は取らない・・・・・主義でありました。
といっても、当時は無住の寺でした。
8軒の檀家は新婚住職を歓迎しました。
荒れた寺を少しでも気に入ってくれるように…、考えました。
そこで、小野省三氏(故人)は鎌倉の造園屋を探し回って…、百日紅を境内に植えました。
「お寺には百日紅が無くては恰好がつきません。これが大黒さん(ノブ)の結婚記念樹ですよ。」
 
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                                          今年も咲いた盛徳寺の百日紅。
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                         筆者はこの百日紅の樹下で遊んで育ちました。
                         昔のお寺は子供たちの遊び場でしたから。
 
家族は百日紅を大切に育てました。
庭の落ち葉を掃いては根元に積みました。
黒さび病にかかることも、山蚕が大量発生し、丸坊主になることもありました。
でも、基本的にはこの樹の生命力が旺盛だったのでしょう。
ノブの丹精で植木屋の手を煩わせるまでもなく・・・、大樹になりました。
 
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      左奥の観音像は筆者が父の指示に従って京都の太秦で鋳造してもらいました。
      「大川観音」として祀られています。
 
身軽な私は梯子をかけて百日紅の樹上に上りました。
二月頃にはノブ(祖母)の指示に従って枝を下しました。
3㎝ほどに太った枝を切り落とします。
成長枝を切り落とされた木は慌てて新しい枝を伸ばします。
その新枝の先に翌年花が咲きます。
 
百日紅は6月ごろ、樹皮を剥ぎます。
ツルツルの樹皮が表面に出ます。
猿でも滑り落ちる…、樹名の謂れです。
屹度、樹皮も剥いで…、木の全生命力、栄養を花に集中させるからでしょう。
皮が無ければ虫も病気も着きません。
それでも…、冬になれば寒くて困ります。
そこで、再び冬には樹皮が覆います。
 
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   百日紅の樹皮がツルツルなのは・・・、一気に沢山の花を咲かせ、
   それを100日も咲かせる…、そのに樹全体のエネルギーを花に集中させる為だと考えます。
 
百日紅は盛徳寺の境内に植えられて100年余りになります。
関東大震災があり、本堂は傾きました。
戦争中には学童の疎開があって、子供達で賑わいました。
そして、今は・・・・・・、山寺が沢山の墓地に囲まれたお寺に変貌しました。
 
百日紅には大きな洞が出来ています。
早く、治癒しなければ年々腐った体が増えて…、樹勢は衰えます。
若い住職も、その家族も、檀家も百日紅の声が聞こえないのでしょう。
「私の体の髄は腐って、洞になっています。
早く腐った体を取り除いて、樹脂で埋めるような手術をしてください。」
樹の声が聞こえるのは…、木を育てた人だけにできる事です。
 
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    大きな枝が枯れて、体の髄まで洞が広がってしまいました。
    洞の中は落ち葉や木が腐って…、次々に洞が広がっています。腐った部分を取り除いて、消毒して、樹脂    で洞を埋め尽くす手術が急務です。
 
百日紅の木の下に茣蓙を敷いて・・・・・、近所の友達とお飯事遊びをしました。
小さなプラスチックの器に赤飯を盛りました。
赤飯は?   勿論百日紅の花でした。
百日紅の花は丸い浮き輪のような形で・・・・、
天空からお飯事の茣蓙の上に…、クルクル回りながら落下してきました。
止まることを知らないで・・・。
本堂からは、父の読経の声が響いていました。
お盆の季節の…、当たり前だった幸せな光景です。
 
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   百日紅の花、小輪の花がリング状に咲きます。花が散るときリングがクルクル回りながら落ちてきます。
   筆者は子供のころ、樹下でお飯事遊びに付き合いました。
 
 
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                                      筆者が生前、死後編纂したノブの遺稿集
 
 
 
祖母ノブの事は下記に書きました。
また、下記(地球のしずくさん)の紹介記事もあります。
 
 
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病院の壁

私の入院は、出血後の緊急入院、胃癌摘出の入院、合計で16日で終えることができました。
体の痛みは致し方ないこと、でもメンタルには健康を維持する事ができました。
これも、湘南鎌倉総合病院の明るさに後押しされていると思います。
私は15年前右腎臓に癌が確認され、全摘しました。
当時は銀行の本店営業部長でしたから、「病気は気力で治癒させる!」そんなスピリットに満ちていました。
もしも、今回もあの病院の暗い空間に置かれていたのならば・・・、屹度気力は滅入ってしまった事でしょう。
今日は「湘南鎌倉総合病院の壁」をご案内します。(今日で病院の話題はお終いです)
 
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                                             病室のスッタッフ自己紹介のポスター。
 
各病室に入るには必ずナースステーションの前を通らなくてはなりません。
パソコン画面を見つめていたスタッフが顔を上げ、笑顔で挨拶してくれます。
天井には監視カメラが設えてあります。
その伝言板には、週間献立表が貼ってあり、上記写真のようにスタッフの自己紹介が貼られています。
看護婦さんが多いのは、近々に辻堂駅前に大規模病院ができるからでしょう。
そして、看護婦さんは美人が多く、出身は多くが沖縄で、時々静岡や福島県人が居ました。
点滴をやめて重湯を食べ始めるとき、薬剤師がやって来ました。
「今日から食事ですから、食前に六君子湯(リックンシトウ)を飲んで下さい。
六君子湯は食欲を刺激し、整腸する漢方薬です。O先生の指示です」
「6っつの素材は何ですか?」  私は素直な疑問を呈します。
「そんな事、知りません」
薬剤師は漢方薬には関心が薄いようです。
病人は自分の体に入れる物の実態は何で出来ているのか・・・、知りたいだけです。
  {蒼朮(ソウジュツ) 茯苓(ブクリョウ)  人参 半夏(ハンゲ)  陳皮(チンピ)  大棗(ナツメ) 生姜 甘草(カン    ゾウ)がその6つです。何れも私たちのみじかな植物です。}
 
 
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                         台風4号襲来、こんな日に限って緊急外来は忙しいのです。 
 
入院受付は緊急外来の脇にあります。
その脇に大きな油絵が架かっています。
初々しい舞妓さんが二人、縁台に腰掛けている図です。
額縁の下には「1997年 岡本羊三」の作である事が記されています。
この洋画はこの病院の前身「湘南鎌倉病院」に飾られていたものでした。
私は銀行の取引で何度かこの絵を見て来ました。
油絵は寛いで貰う為に掛けられたのでしょうが、
舞妓の気遣いでおもてなしします・・・、そんな気持ちが伺われます。
朝、この絵の横に徹夜で過ごした家族の姿が見られました。
昨晩救急車で緊急入院し、このベンチの上で過ごしたのでしょう。
ご家族はうつらうつら、眠られない眼に、初々しい舞妓さんを見たことでしょう。
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外来の長い壁には20枚ほどの絵が貼られています。
何れもパステル画で、それをシルクスクリーンに写したものです。
100分の3のサインが為されていますから・・・、誰かが20枚のパステルを100枚シルク印刷して・・・、
その3枚目を湘南鎌倉総合病院に納めたのでしょう。
作家名も経歴も絵の下に貼られていますが、いずれも若い人で、これからの人が多いようです。
ただ、体に不自由があったり、早く逝ったりしています。
徳洲会がこうした画家を支援するため購入したのかもしれません。
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                                        1階外来の廊下に貼られたパステル画
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                                七海進治(1970〜2007/神奈川県)作、「大きな葉と昆虫」
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原田正則(1974〜)ふるさとを描こうシリーズから、「ひまわり」
 
 
絵画はロービーの壁にも、喫茶室の壁にも随所に架かっています。
パステル画は生命の躍動ら神秘、そして人間の集いが楽しい事・・・・、そんな題材が多いようです。
体の弱い人は自然や人の営みに優しい目を向けるから・・・・、作品にも優しさが滲んでいます。
病気になった人を癒すには効果的です。
私はリハビリを兼ねて毎朝画廊を往復しました。
 
最後にディスクロです。
ロビーの一角に掲示コーナーがあって、アンケート用紙をおいています。
来院者の意見やその対応が貼られています。
勿論高い評価が並んでいます。
また、意見に対してはクイックな対応をしているようです。
昨日も書きましたがISOが浸透した病院です。
私はその景色にも恵まれて快適な病院生活が過ごせました。
湘南鎌倉総合病院には感謝しています。
これから長い間通院生活に移ります。
若しものことがあったら・・・・、病院のシステムやハードについては保証します。
お医者さんの腕は・・・・、
私のかかった総合内科、消化器外科は高い技術があります。
他の科は知りません。
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                                病室の窓からは富士山が見えました。
 
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病院のロビー

胃癌の摘出手術が終われば、次はリハビリです。
先ず、問題は大傷を負った胃腸で食事をすること・・・・、
食べ方の指導を受けて、重湯に始まり、お粥を戴きます。
ダンピング症状を起こさないよう、恐る恐る食べ物を口に入れます。
実は私はヒャックリこそ出ますが、ダンピング症状は今日までの所発症していません。
O医師に聞いたところ、食道と胃の間に腸を入れたこと、12指腸のバイパスを用意したこと・・・・、
はダンピング症状対策でもあったのでした。
 
朝晩の食事を終えると、私は1階のロビーにおります。
そのベンチに腰掛けて読書に時間を過ごします。
其処が最高の読書空間なのでした。
誰にも邪魔されないし、ガラス張りの明るい空間です。
加えてベンチは緑陰にあります。
朝は食後10時頃、外来客が増える迄、夜は夕食後8時頃まで読書をロビーのベンチで楽しみました。
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                    湘南鎌倉総合病院建物。右手がロジェマン(マンション)高層塔の左右に男女が                  分かれていて、クロス部分にエレベータとナースステーションが設置されています。
 
湘南鎌倉病院は1988年沖縄徳洲会の第25番目として、鎌倉市山崎に建設されました。
湘南モノレール町屋駅の近くですが、立地としては最高とは言えなかったでしょう。
2010年9月鎌倉市岡本に移転し、病院名に「総合」を加えて、湘南鎌倉総合病院にしました。
鎌倉ロジェマン(大型マンション)の背後、武田薬品との間には鉄工所があったと思いました。
其処に病院の建築が始まりました。
設計は「日建設計」、施工は熊谷組、矢板で囲まれた建設地には看板が建てられていました。
”リゾートホテル”でも建てようとするのかな?
そんな取合せだと思いました。
 
建築途上も、まさか自分がこの病院にお世話になるとは露とも思いませんでした。
 
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                                         湘南鎌倉総合病院のロビー。
 
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        湘南鎌倉総合病院のロビー。向かいのマンションがロジェマン。外来客が座って精算や薬の配布を        待っています。驚くほど早く事務は完了します。奥がシースルーエレベーター。
 
 
玄関を入ると吹き抜けの大空間が待っています。
ロビーは4階までの吹き抜けなのです。
壁は無垢の木目板で、床はベージュの大理石で、
南国の樹木が植えられています。
とりわけ竹の葉が優し気です。
奥にはロビーを見下ろせるようにシースルーのエレベーターが設えてあります。
エレベーターの乗って上階(6階〜15階)はホテルのルームだろう・・・、推測させます。
 
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                        筆者は朝食後、夕食後このロビーのベンチに座って読書を楽しみました。
 
日本人の感覚からすれば、健康の時は”ハレ”で、病気になれば”ケ”という事でしょう。
ハレ(晴れ)はケ(曇り)の始まりであり、ケ(穢れ)はハレの始まりです。
病気になれば行動を抑えて控え目に過ごす他ありません。
ですから・・・、病院は陰気であるのが普通でした。
薄暗い空間と、特有の病院臭と・・・・・・、入院するとなればそれも覚悟の上です。
そんな常識からすると、湘南鎌倉総合病院は反対の”ハレ”の空間です。
それを端的に表すのがロビーの大空間です。
 
私の病室は8階の消化器外科病棟でした。
エレベーターに乗ると、2階から4階までが様々な検査室が続きます。
5階には手術室があって、6階が「お産センター」です。
エレベーターのドアが開くと赤ちゃんの鳴き声が聞こえます。
エレベータの乗員は赤ちゃんの泣き声に思わず笑顔になってしまいます。
湘南中の妊婦がこの病院で出産しよう・・・!
決めているのは多分ロビーの空間を見たときに決めたのでしょう。
お産は現代人の感覚ではこれ以上嬉しいことはありません。
゛ハレ”でありましょう。
だから、病院こそ”ハレ”であって然るべきでしょう。
 
私は手術の前にこんな質問を受けて驚きました。
「手術中のBGMは何にしますか?」
全身麻酔の私がBGMに耳を傾ける筈がありません。
BGMが選べるのなら、執刀医のO医師の好みを聞けばよいのに・・・・・、
でも・・・・・、バロック音楽にしてもらいました。
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   ロビーの植木は総て本物で、時々パラッと葉が散って来ます。落ち着いた寛げる空間でした。
 
湘南鎌倉総合病院のモットーは「命だけは平等だ」と記載されています。
患者の立場では「総ての患者は差別されることなく最適な治療を受ける事ができる」・・・、
経営目標が其処此処に記載されています。
ですから、患者は毎日の健診結果を確認することができます。
私は検診の度ごとに自分のデータをパソコン上で確認できました。
定期健診では血液検査の三分の一は「要注意」だったものが・・・・、2箇所しか赤塗りはありませんでした。
入院中に血液が軽くなりました。
唯、赤塗りが二つ、一つは血糖値が110台にとどまっていること、もう一つは・・・・、
炎症反応(手術跡を治癒しようとする体の反応)でした。
主任医師が「超順調」と評してくれました。
 
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   私の医療データはパソコンに打ち込まれLANで確認することができます。
   患者は基本憲章で自分のデータを確認することができます。
 
リゾートホテルのような寛ぎの空間、設備は最新の医療機器を揃え、明確な経営目標の設定を決め、、
各組織毎にはより具体的な目標を設定し・・・・・、その結果を公表しています。
もう、浸透したISOがこの病院の経営には確認できます。
 
私が読書していると、目の前を沢山の人が通り過ぎますた。
顔を上げると、民族服を着たインド人が施設の見学に来ていたのでした。
”ああ、医療は日本の先端産業になるのか、何れインドや中国の患者がこの病棟を埋めるのかもしれません。
 
病院という文明は随分変わりました。湘南鎌倉総合病院は実感させてくれます。
いずれこのロビーでコンサートでも開くことでしょう。
それもまた、楽しみです。
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                                      大型バスで施設見学に来たインド人の一行。
 
 
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