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私の宗教観

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6月22日、只今12時、帰宅しました。
実は、6月11日、朝にブログを書き上げて、家内と”ランチにお寿司を食べよう”
出かけたのでした。
これから、胃癌の摘出手術で入院します。
あれも食べたい、これも食べたい、私は食いしん坊ですから・・・、
「胃袋さんとのお別れは、寿司か蕎麦・・・にしよう・・・!」決めていたのでした。
6月12日に手術を無事終えて、6月22日に退院し我が家に帰還しました。
今、家内は台所で「卵かけうどん」を煮つけています。
これが自宅での”お食い初め”です。
 
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       身延山久遠寺の枝垂れ桜次に書きました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/46217657.html 
 
胃癌の発覚は突然でした。
4月9日、私は日文研の友人と身延路を旅し、心底枝垂れ桜を堪能して帰りました。
旅の最後は由比宿で、名物の「桜えび料理」をいただきました。
帰宅して、夕食は自宅で、9時頃旅の思い出を枕に寝ました。
所が、11時半吐き気を催して目が覚めました。
未だ起きていた家内に「食あたりだ・・・」と言えば、
「私は同じものを食べて、いたって元気ですよ!」・・・、言います。
それじゃ、トイレで吐くか・・・・、何度も吐こうとするのですが、胸元三寸で吐き出せません。
気持ちは極端に悪く、脂汗が滲みます。
トイレ前で、体を横にすると、ドット出ました。
 
イメージ 2
     出血の切っ掛けになった(?)由比の桜えび御膳(開花亭) 筆者は先ず茶そばをいただき、最後に天ぷ     らを食べました。カリカリ、歯ざわりのよい海老の脚が胃壁に巣食っていた癌を発覚させました。
 
トイレ前は血の海でした。
二度、三度、嘔吐が続きます。
嘔吐物は夕食に食べたものと、薄黒い血でした。
同居する倅が救急車を呼んでくれて・・・、薄れる意識の中救急病院に運ばれました。
救急車の車中で救急隊員が私の症状を報告しています。
出血350CC・・・・。
 
私は救急治療室に運ばれた記憶こそあったのでしたが・・・・、漆黒の闇の中に居ました。
トンネルの向うに明るい光がさしています。
私は光に向かって歩いてゆきます。
突然に視界が開けて、たくさんの顔が覗いていました。
家内の顔も、倅の顔も・・・、そしてお医者様の顔がありました。
「気がつきましたか!貴方は数分間心臓が止まっていたんですよ!」
体を左右に揺すられました。
 
「これから、内視鏡を入れますからね・・・・・。出血箇所を先ず止めます。」
内視鏡の先端にはちょっとした装置が付いていて、出血箇所をクリップで押さえます。
出血箇所を探して内視鏡は胃壁を探して回ります。
出血しているのか、血が胃液で凝固しているのか、判別が難しいようです。
私は出血箇所が”胃癌でないのか?”見つめます。
合計4箇所をクリップして、応急処理を終えました。
 
イメージ 3
                   お花の下の写真が内視鏡で胃癌を確認した部分。白いクリップも見えます。
 
MRIも撮りました。
バリウムも飲んで確認しました。
入院して3日目、総合内科のM医師が内視鏡で検査しました。
4月9日には何も無かったのに・・・・、胃壁にイソギンチャクのようなコブが見つかりました。
シワクチャな胃壁の壁に内視鏡のコードを押し当てます。
すると、皺の影に隠れていたイソギンチャクを探し出したのでした。
「出血箇所はこの先端部分からですよ。」
内視鏡でイソギンチャクの4箇所組織を取りました。
そして組織は病理検査に回され、私は5日間の入院を終えましt。
 
5月8日、イソギンチャクの病理検査結果が出ました。
4箇所の組織から何れからも癌細胞が確認されました。
M医師は言われます。
「この進行癌の経は27ミリ×16ミリ。10年以上経っているでしょう。
胃壁のシワの陰にできたから見つかり難かった。
通常胃癌は食べ物の通りが悪くなったり、胃痛がしたりして発見されますが、
出血が発見を早めてくれましたね。
珍しいケースです。」
「対策は当院の外科の判断ですが・・・、私の経験では全摘手術でしょう。」
事無げに言われます。
私は、哀願するように訴えます。
「癌は一つだけでしょう。ならば、その箇所だけ摘出する訳には行かないのですか?」
M医師は応えます。
「癌は胃の入り口、噴門部にあります。しかもかなりの進行癌です。
この場合部分摘出は難しく、術後の完璧を期すためにも、全摘が妥当です。
部分摘出の場合ダンピング症状がキツくなったり、様々な後遺症が現れることがあります。
完璧を期すならば全摘を勧めます。貴方の希望なら部分摘出もしますが・・・・・長生きしたいのでしょう!」
「勿論長生きしたいし、残りの人生も食べる楽しみを味わいたい・・・、だから・・・。」
 
私と家内はセカンドオピニオンを求める事にしました。
M医師は快く応じてくれて、なんと今までのデータをCDロムに焼いて、封筒に封印して渡してくれました。
 
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                                    私が手術した湘南鎌倉総合病院
 
5月に入って、私と家内は神奈川県癌センターでT医師の診断を受けました。
その結果は湘南鎌倉総合病院のM医師を言われる通りでした。
加えて、「インターネットの記事はあてになりませんよ。病院のPRだから・・・・」
軽く諫められてしまいました。
 
そこで、納得が行きました。
「二つの機関の医師が全摘と言うならば・・・、全摘しよう・・・・」
腹が座って、湘南鎌倉総合病院に入院予約を入れました。
入院は6月11日、手術は翌12日午後2時から4時間・・・・、スケジュールが確定しました。
 
6月1日、湘南鎌倉総合病院のM医師から電話がかかりました。
「執刀医の消化器外科のO医師のところに明日来るように。
O医師は部分摘出ですすめる・・・・・、ご判断ですよ・・・。」
家内はインターネット等でO医師を調べます。
今年4月湘南鎌倉総合病院に副院長として来られた先生で、
癌研で育ち筑波病院等を経られた消化器癌の専門医だと解りました。
私は確信しました。
今回の私の運は良い。
癌の発見も幸運だったし、お医者さんの巡り合わせも幸いであるし・・・・。
 
この15年間、私にはいくら努力しても悪運だけはついて回り、如何ともし難かった・・・、
それが身延山久遠寺詣で流れが変わった・・・、確信しました。
 
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                         6月20日、台風一過素晴らしい夕焼けが病室から眺められました。
                         富士山の左下が藤沢の中心街になります。
 
6月2日、私は家内に連れ添ってもらい消化器外科の外来でO医師の説明を受けました。
O医師は屈託のない笑顔で言われます。
「噴門部癌は私の得意わざです。何度も経験しています。安心してお任せ下さい。
先ず、胃は噴門部を摘出します。
現状ではステージⅡだと思いますが、更に進行していれば脾臓も摘出する可能性が高いでしょう。
でも、胃は残します。
更に腸を10センチくらい切ってきて、食道と胃の間に入れます。
加えて腸を胃に繋いで十二指腸との間にバイパスを作ります。
胃から見れば本来の12指腸に加えてもう一つ出口ができることになります。
私にとっては医術は”神の手”です。
一つ一つの方針を聴いて・・・・、
「よろしくお願いいたします」
家内と頭を下げました。
 
6月12日午後1時、麻酔科の医師によって手術室に運ばれました。
狭い手術台に両手両足を縛られると・・・・、より一層願いが強くなります。
”6時間後、麻酔が融けて、目が開きますように・・・・”祈ります。
家族の顔が消えて行くと・・・・・、手術が始まりました。
 
ICUで目が覚めました。
家族の顔が見えました。
”あ、起きたわ・・・!”家内が言ったような気がします。
私の目に家内と3人の子供たちの顔が映りました。
喉には酸素吸入管が入っていますし・・・・・、声は出ませんし、
体は寒くて、私は ”ありがとう・・・・!”の気持ちを表す術がありません。
 
家内が言います。
O医師は2時間後手術室から出てこられ・・・・、
「手術は無事終わりました。今、医員が跡処置をしていますから、しばらくお待ちください」。
それから、私がICUに移されるまで、1時間半も要して・・・、そっちの方が長く感じられたそうです。
 
6月12日、手術後、私の体調は順調です。
担当のS医師の評価では、”超順調”だそうです。
多分、噴門部胃癌手術で部分摘出だったのは湘南鎌倉総合病院では私がクランケ1号であった事でしょう。
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                            我が家、門横の朝顔が”お帰りなさい”で迎えて呉れました。
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                                              庭に落ちた梅の実。
 
6月22日温帯低気圧の雨が降る中自宅に戻りました。
紫陽花が笑顔で出迎えてくれました。
夕顔の蔓も伸び初めています。
入院した時、朝顔はようやく輪台につるが届きそうでしたが、
今はもう鉢のサイズでは収まらないほど・・・、野放図に伸びてしまっています。
梅雨の季節、植物の命は旺盛です。
私の命も、老の中とは言え、再点火されて勢いを戻しそうです。
家族のためにも体を愛いながら過ごすことにいたしましょう。
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        私の入院中に、朝顔は10センチくらいだったものが背丈に近く育ちました。
 
私の病気をご存知だった方々、どうぞご安心ください。
お陰様で、無事に退院し、これからリハビリです。
何でも食べられるのは・・・・、3ヶ月先になることでしょう。
 
 
 
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彼岸の一日、家内を誘って三浦の鴨居に「会津藩士の墓」を詣でる事にしました。
先ず、横須賀に「戦艦三笠」を見学して、もうじき再開される「坂の上の雲」のお勉強をしました。
どぶ板通りで、海軍カレーで腹ごしらえを終えました。
国道16号線を観音崎灯台を超えれば、鴨居です。
その先が浦賀になります。
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   戦艦三笠は日露戦争「日本海海戦」で戦功を上げました
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                                            東郷平八郎像
 
鴨居は静かな浜辺です。
今年も小正月に「どんど焼き」を見物に来ました。
小さな岬があって、戦艦「村雲」の慰霊碑がたっています。
紫色の御影石が海峡に向けてたっています。
その基壇には100名ほどの名が刻まれているでしょうか?
 
村雨は日本海軍の駆逐艦でした。
昭和18年3月5日、ソロモン群島沖で米駆逐艦の夜戦攻撃を受けます。
一方的に沈没され、約半数の兵隊が海に沈みました。
海中から救われた人達が毎年慰霊の神事を続けておいでです。(kouyoukai.exblog.jp/12944528/ )
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   駆逐艦村雨の慰霊碑。黒御影石の右に村雨の記録、左側に尊名が刻まれています。
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 村雨の慰霊碑に続く鴨居の浜辺。右奥に観音崎灯台、小山の中に会津藩士の墓が祀られています。
 
村雨慰霊碑から少し手前、小高い丘の中腹に「会津藩士」の墓があります。
スダジイ等の常緑樹が小山を覆っています。海に向けては桜が植えられています。
その樹陰にやく30坪ほどの墓地があって、23名の会津藩士が眠っておいでです。
 
墓標は素朴な石の角塔です。
表面には、「会津藩 俗名」が、側面には没年、反対の側面にはプロフィールが漢文で刻まれています。
俗名ではなく戒名が記されているものと思いました。
戒名が正面で、俗名は墓碑か側面や裏面に記されるものです。
戒名が無かったのか・・・・、
又はあっても俗名と会津藩士であった誇りが優先されたのでしょう。
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                                                      会津藩士の墓
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                          俗名と会津藩士であった事のみを記す、シンプルな墓標です。
 
私は、「戒名」についての疑問が頭をもたげます。
仏教の祖「釈迦」は王子様の名前でした。
お釈迦様には戒名は無く、俗名だけでした。
お釈迦様はお弟子さんに戒名を付けた訳でもありませんでした。
 
釈迦が亡くなると、お弟子さんたちは祇園精舎をはじめ各地の寺院に集い、修行を続けます。
教団が、寺が大きくなるとルールが必要になります。
それが「戒」でありました。
そして、修行僧は自分自身を律する事を求められました。
教団の拡大に伴って「戒律」の重要性が脚光を浴びました。
 
仏教が中国にわたると、戒律は更に微細に決められます。
戒律を守る人が解脱し、仏になれる(成仏)と考えました。
更に日本に渡ります。
平安時代には天皇や貴族にも生前に戒名を貰う人が現れます。
戒名は自分自身が仏教を信仰し、戒を守って生活します。
そんな姿勢の現れでした。
戦国時代には戒名の方が優先します。
「信玄」も「謙信」も「早雲」もみんな「戒名」でした。
出家はせず、武将として領内の統治拡大に努めますが、仏門に入っています。
そんな姿勢でした。
 
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   墓標側面には故人のプロフィールを漢文で記しています。反対側には没年が刻まれています。
 
中国で、戒名を戴けない段階で突然に亡くなる僧が現れました。
「戒名も無いままであの世に送ったのでは可哀相だ!」考えたのでしょう。
死後に戒名を与えるようになりました。
こうした習慣が日本に伝わると、江戸幕府の「宗門改め制度(キリスト教の禁教施策)」や戸籍を寺に任せた事もあって、「死後戒名」が習慣化しました。
 
死んだら、お寺のお坊さんが戒名をつける。戒名をいただいたなら葬式をお寺であげられる・・・・。
そして、お寺のお墓に埋もれる事が出来る・・・・。
こうして、生前は仏教を信仰しなかった人も、死んだら戒名をいただきます。
そして、あの世では戒を守って、修行に励みます・・・。
そんな仕組みが一般化しました。
お陰で「葬式仏教」と揶揄されるようになりました。
お釈迦様の考えとは随分違った形が日本で生じています。
 
会津藩は幕末維新で気の毒な役回りを果たしました。
文化7年(1810)、会津藩は江戸幕府の命を受け藩士とその家族を三浦に送り込みます。
任務は三浦半島の海岸警備、台場構築でありました。
ペリーが来航すると(嘉永6年/1853)房総半島を含めて海上警備を任せられます。
そして、江戸幕府に代わって長州藩などと対抗します。
幕府軍の名代のようにして薩長土肥連合藩と対峙します。
戊辰戦争では会津は抵抗します。
敵討ちのように痛めつけられます。
白虎隊のような若者も「義」の為に命を散らせます。
 
そんな会津藩士にとって、死後戒名をいただくような姑息な事は考えなかったのでしょう。
死後、故郷から遠い鴨居の坊さんにつけて貰う戒名より、
両親から付けて貰った俗名の方が大切だったのでしょう。
 
更に、鴨居には会津藩士の家族は居ませんでした。
戒名は「亡くなった故人が成仏して欲しい・・・・」 
と言う期待よりも遺族の都合がありました。
遺族はその土地で生活を続けなくてはなりません。
世間並みに葬式を挙げて、世間並みに戒名をいただいて・・・・、期待します。
でも、会津藩士は故郷を離れた防人のような存在です。
任地で死んでも誰かが墓参りしてくれる訳でもありません。
お坊さんにお金を払って戒名を戴く必要も無ければ、戒名料を払う人も居ません。
そこで、このような素朴なお墓になったのでしょう。
 
そうして、現代の世相は良くわからない戒名に高いお金を払う事に疑問を持つようになってきました。
また「世間体」で立派な戒名を貰う事の意味を考え始めました。
近所や社会関係が希薄になれば世間体は意味を為さなくなります。
 
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   鴨居のどんど焼き、向こうの岬に駆逐艦「村雨」の慰霊碑があります。
   左側の小山の続きに会津藩士の墓があります。
 
先日島崎藤村の戒名を紹介しました。 http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/45575763.html
9字の院号戒名でしたが、飾りの文字を外すと「藤村」としか書かれていませんでした。
藤村は”そんな戒名なら「藤村居士」4文字で十分だよ・・・” 苦笑されたと思います。
でも、天下の島崎藤村のご遺族が葬儀を執り行います。
粗末な戒名では笑われてしまいそうです。
社会的な立場があります。そこで9字の院号居士を戴きました。
先日は川端康成の戒名も紹介しました。
ノーベル文学賞受賞者です。
戒名は藤村より一段上の「院殿居士」で11文字でした。
ご遺族が一番立派な戒名を望んだのでしょう。
 
筆者は寺の生まれですから得度は6歳の時にしました。
戒名も親父に付けて貰っておけば良かった・・・、思います。
お飾りはいらないから「正敏信士(しょうびん・筆者の名前)」としでもして貰いたい気持ちです。
親父は何処かの住職にさせる積りだったのでしたから、俗名こそ戒名です。
そして、アバウトですが自らを律して生きてきました。
会津藩士のように下手で貧乏籤を引き続けて来ましたが。
 
弘法大師空海は名前(戒名)を何度も変えて、8度目の「空海」が気に入りました。
 
空海のように自分自身で戒名を名乗って、仏教を信仰し、自分自身を律して日々を送るのなら、
それも良いと思います。
死して後閻魔様の審判を仰ぎます。
「閻魔様から●○△(戒名)は居るか!」大音声で聞かれます。
亡者は戒名なんか知りません。
「それ誰の事?」皆が思う事でしょう。
「此処に居ります!」手を挙げなくてはバレバレです。
自己戒名なら、俗名なら直ぐに答えられます。
 
私は、会津藩士の墓前で暫く考えていました。
そろそろ「死に際」を考えなくてはなりません。
イメージ 8
 鴨居漁港 右奥に浦賀になります。写真は今年の「ドンど焼き」風景です。書初めを燃やすと字が上手になりま す。 今でもこうした伝統行事を頑なに続けている所が、鴨居らしいのです。
 筆者は会津のドンド焼きを何度か見に行きました。
 雪の中にドンドの火柱が登りました。昔も今も会津での人は背筋がピンとしており、故郷愛が深いものがありま す。会津は徳一上人が布教した土地。奈良時代から反骨の精神が脈打っているようです。
 会津藩士の霊もドンド焼きを眺めて、故郷を思い起こしている事でしょう。
 
 
 
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