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昨夜は大変な雨でした。庭のワンちゃんも濡れて寝られないでしょうし巣立ちしたばかりの雀さん家族も難儀している事でしょう。喜んでいるのは雨蛙位なものでしょう。寝苦しい感じて体を捻った途端です。左肩がポッキとなりました。どうかしたかな?左肩に左腕の重みを感じます。右手で触ってみれば亜脱臼が治ったのです左手の指さきも僅かに動く気配です。左腕の麻痺は回復してきているのです。15日藪入りで三途の川の奪衣婆さんを詣でたご利益かも知れません。
我国の地獄思想は古代末期に始まり。鎌倉時代初期に一般化しました。地獄には閻魔大王を筆頭に10人の大王が居て亡者は各大王に個別に尋問(10審制)を受けて最終的に閻魔大王が結審すると信じられました。それが近世とりわけ幕末明治になると厄除け転楽(厄を落として楽に転じる)現世利益に変わって行きます。”死んでも来世は楽に過ごしたい”願は”死にたくはないこの世で楽に暮らしたい”想いは地獄の思想を変えていったのでした。閻魔様は物分りが良い親爺に変換し。三途の川に待ち受ける奪衣婆も心底怖い婆さんから優しい御産婆さんの特長を兼ね備えるように変わったのでした。
こうした宗教の変化を換骨奪胎として批難する考えもあるでしょうが逞しい民衆の欲求として是認する人も居ます。筆者も学生時代は正法眼蔵随聞記」や歎異抄を読んで民間信仰を低く見ていましたが長い間民間の石仏や仏像を巡り歩いているうちに民間信仰に惹かれるようになりました。先月観た沼田の味噌舐め婆を観たり私の好きな貞心尼(良寛様を看取られた美貌の庵主が閻魔堂の堂守だったと聞くと民間信仰へ一層重心を移すようになりました。
昨日書いた新宿の太宗寺の閻魔様は寺に盗みに入った泥棒を捉えたというニュース(瓦版)で人気になり藪入りの習慣や遊郭が在った事から繁盛しました。その太宗寺の背中合わせに歌舞伎通りに面して正受院というお寺がありました。
此処の奪衣婆は幕末には太宗寺の閻魔様を凌ぐ人気になります。奪衣婆人気に一役買ったのが歌川国邦の錦絵でした。
正受院の奪衣婆の御利益を報じた錦絵(歌川国芳)右上から昔々たいそう願を叶えて下さるお婆さんが居ました。そのお婆さんに願をかければ人間でも牛馬でも鼠でも叶えて下さいました。牛馬は力が出るように鼠は猫に逢わぬよう願いをかけたのでした。遊女は顔のあばたが治癒するよう。子供の疳の虫封じに人波は途切れず四谷にまで線香の香りがとどいたそうでした。
これが正受院の奪衣婆堂右側が歌舞伎通りになります奪衣婆堂なのですが額も幟も「子育て老婆尊」と書かれています。
雨戸が閉じられていますが簡単に開いて蔀戸の隙間から奪衣婆さんを拝する事が出来ます。
正受院の無縁仏塔正面地蔵尊の上の段に如意輪観音がその上の地蔵尊はお名前が幻光童女と刻まれていました。大半が江戸時代後半の仏様で居られました。
これは出産土偶半跏夫座の姿勢は出産の姿勢で如意輪観音にも引き継がれてゆくもの、奪衣婆の姿勢にも通じます。青森県で数多く出土しています。
正受院の奪衣婆堂の隣に立派な針塚が建っていました。建てたのは新宿の和裁服装協同組合だそうで。毎年2月の針供養には和服のお嬢様が揃ってお詣りされるそうです。民間信仰は自分の願望によって逞しく変身します。お寺も民間人の期待に応えるために仏を変化させて行きます。
お針供養は鎌倉では絵柄天神社が有名です。明治通りを渋谷方向に行けば和装洋装の学校や企業が軒を並べています。何時しかお針供養にこの寺を詣でたいものです。帰り際に無縁仏に手を合わせました。どの仏も排気ガスを浴びて煤けておいでです加えて今日の日射光はきついものがあります。如意輪観音さんのお名前は幻光子。産まれて直ぐに幻のように亡くなられたのでしょう。お母様は奪衣婆さんに拝んで”次は健康な子を授けてくださいそして貴方が御産婆さんになって下さい”手を合わせた事でしょう。
私達は針供養を観たので巣鴨のとげぬき地蔵に向かう事にしました。
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