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今年の春は福島の三春に有名な滝桜を観に出かけました。ところが桜は既に散っていましたので。桜を探して阿武隈山地の奥へ奥へと入って行きました一番山奥の馬酔木沢では苗代桜を観てその手前では田植え桜を観る事になりました。
これは三春町の中心部から阿武隈高原に分け入った馬酔木沢にあった苗代桜。田圃は総て電気柵で囲われていました。向こうのお堂の周囲に咲いているのが苗代桜でこの桜が咲いたら籾種を苗代に撒いて苗作りに着手するのだそうです。
これは小沢の桜と呼ばれている田植え桜です。この花が咲く頃に田植えをしなさいと教える暦の役をしています。
どちらも米作の暦(日ヨミ)になる桜でありました。小学校の時の教科書に雪形が出ていました。”安曇野では北アルプスの山容に白馬の雪形が現われたら田植えをするのです”教わったのでした。
ところで昨晩夢を観ました。私は沢山の農民に囲まれて責任を追及されているのです。まるで升添都知事のようです。何をしたのかと云うと私は農業指導員で、どうも苗の発根剤を苗代に投入させたのでその責任を追及されているのでした。弁償するにしても私には何も資力はありません。進退詰まった場面で眼が醒めました。」
その年は苗代作りが遅れて種籾を播くのが遅れたので私はその遅れを取り戻すために成長ホルモンを苗代に流し込んで稲の成長を促進させたのでした。その失敗糊塗策が収穫後のお米の調査(放射能)によって白日に晒されて、お米が売れなくなってしまったのです。
『ホルモン剤や薬剤を田圃に投入するのはインチキで桜や雪形など自然の暦に従って米を作るのが最適である』そんなことを痛感させる夢でした。
何故こんな夢を観たのだろうか?想い起しました。そうしたら成長促進剤はワイフがお隣から戴いた鍔紫陽花を挿し木するというので大昔に買い置いたホルモン剤を切り口に充分に塗布させたのいでした。
もう一つは北海道の駒ケ岳の麓で行方不明だった7歳の坊やが無事に見つかったニュースを聞きました。坊やが置き去りにされた直後に北海道は雪が降りました。東京では夏日だというのに北海道は雪が降るのです。坊やはこの寒さに耐えられただろうか日本中の大人は顔を曇らせたのでしょうその時私は宮沢賢治を想い出して眠ったのでした。賢治は宮城県の農業指導員でした。
有名な”雨にも負けず風にも負けず”誰が何をした”説明されていませんこれを補うと”寡黙な農夫は雨にも負けずに米造りに勤しむ”風にも負けずに田圃で働く・・・・・”となっていたと思うのです。もう一つこれも著名な『風の又三郎』の冒頭です。は窮地に在ったのです。『どっどど どどうど どどうど どどう青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせどっどど どどうど どどうど どどう.』です。学校の硝子窓を震わせて”どっどど どどうど どどうど どどう”冷たい風が吹いてきたのでしょう。東北地方では梅雨明けの頃『やませ』と呼ばれる強い風が吹き下すのです。やませが吹けば東北地方では必ず冷害になります。菅江 真澄(すがえ ますみ)は天保の大飢饉の惨状を人肉も喰らうと日記に留めました。宮沢賢治は農民を見守りながら雨にも風にも負けない生きざまを詩に童話に留めたのでしょう。
来週は小学校の時の同窓会があります。先生も不自由なお身体を鞭打ってご出席くださると聞いています。
先生に”有難うございました”言えるチャンスも残り少ないと思うので久々に出席する事に致しました。小学校時代を回想しながら寝に着けばもっと良い夢見が出来るのかもしれません。今晩は初恋のシーンでも夢見したいものです。窮地に陥ってホルモン剤を田圃に流すなど有機栽培米にあり得ない事です。日本人は嘘つきを嫌悪してきました。政治家は言うに及ばず、自動車でもマスコミでも家庭でも学校でも噓が多すぎます。日本製品や社会のクオリティーの高さは正直に在ったのです。自然(神)も正直モノが大好きなようです。私は銀行員でしたが、本当は農業指導員になりたかった想う昨今です。
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