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脳梗塞闘病記

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今年の春は福島の三春に有名な滝桜を観に出かけました。ところが桜は既に散っていましたので。桜を探して阿武隈山地の奥へ奥へと入って行きました一番山奥の馬酔木沢では苗代桜を観てその手前では田植え桜を観る事になりました。
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これは三春町の中心部から阿武隈高原に分け入った馬酔木沢にあった苗代桜。田圃は総て電気柵で囲われていました。向こうのお堂の周囲に咲いているのが苗代桜でこの桜が咲いたら籾種を苗代に撒いて苗作りに着手するのだそうです。
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これは小沢の桜と呼ばれている田植え桜です。この花が咲く頃に田植えをしなさいと教える暦の役をしています。
どちらも米作の暦(日ヨミ)になる桜でありました。小学校の時の教科書に雪形が出ていました。”安曇野では北アルプスの山容に白馬の雪形が現われたら田植えをするのです”教わったのでした。
ところで昨晩夢を観ました。私は沢山の農民に囲まれて責任を追及されているのです。まるで升添都知事のようです。何をしたのかと云うと私は農業指導員で、どうも苗の発根剤を苗代に投入させたのでその責任を追及されているのでした。弁償するにしても私には何も資力はありません。進退詰まった場面で眼が醒めました。」
その年は苗代作りが遅れて種籾を播くのが遅れたので私はその遅れを取り戻すために成長ホルモンを苗代に流し込んで稲の成長を促進させたのでした。その失敗糊塗策が収穫後のお米の調査(放射能)によって白日に晒されて、お米が売れなくなってしまったのです。
『ホルモン剤や薬剤を田圃に投入するのはインチキで桜や雪形など自然の暦に従って米を作るのが最適である』そんなことを痛感させる夢でした。
何故こんな夢を観たのだろうか?想い起しました。そうしたら成長促進剤はワイフがお隣から戴いた鍔紫陽花を挿し木するというので大昔に買い置いたホルモン剤を切り口に充分に塗布させたのいでした。
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お隣が伐採した鍔紫陽花に発根促進剤を塗布して挿し木したのでした。
もう一つは北海道の駒ケ岳の麓で行方不明だった7歳の坊やが無事に見つかったニュースを聞きました。坊やが置き去りにされた直後に北海道は雪が降りました。東京では夏日だというのに北海道は雪が降るのです。坊やはこの寒さに耐えられただろうか日本中の大人は顔を曇らせたのでしょうその時私は宮沢賢治を想い出して眠ったのでした。賢治は宮城県の農業指導員でした。
有名な”雨にも負けず風にも負けず”誰が何をした”説明されていませんこれを補うと”寡黙な農夫は雨にも負けずに米造りに勤しむ”風にも負けずに田圃で働く・・・・・”となっていたと思うのです。もう一つこれも著名な『風の又三郎』の冒頭です。は窮地に在ったのです。『どっどど どどうど どどうど どどう青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせどっどど どどうど どどうど どどう.』です。学校の硝子窓を震わせて”どっどど どどうど どどうど どどう”冷たい風が吹いてきたのでしょう。東北地方では梅雨明けの頃『やませ』と呼ばれる強い風が吹き下すのです。やませが吹けば東北地方では必ず冷害になります。菅江 真澄(すがえ ますみ)は天保の大飢饉の惨状を人肉も喰らうと日記に留めました。宮沢賢治は農民を見守りながら雨にも風にも負けない生きざまを詩に童話に留めたのでしょう。
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これは我国民俗学の嚆矢と呼ばれる菅江真澄の肖像画です(秋田県立博物館)私達は天保の飢饉の惨状を表現した日記『人々は餓えに瀕して家畜を食らい人肉を食らった』によって記憶していますが。短歌sに”春雨にふる枝の梅のした滴 香ぐは浸み草や萌由良無”と添えてあります絵も歌も自筆だそうで大変な文人だったのでしょう。歌の大意は春雨が梅の花咲く下枝を伝って地面に落ちて来ている。屹度梅の香りも滴に浸みこんでいて草も萌え出す事だろう…。と云った意味ですが。滴が藩主(佐竹藩)の慈愛で、草は農民と思えば良く出来た歌だと思います。写真出典/なぜ和歌を詠むのか(錦仁著)笠間書院。
来週は小学校の時の同窓会があります。先生も不自由なお身体を鞭打ってご出席くださると聞いています。
先生に”有難うございました”言えるチャンスも残り少ないと思うので久々に出席する事に致しました。小学校時代を回想しながら寝に着けばもっと良い夢見が出来るのかもしれません。今晩は初恋のシーンでも夢見したいものです。窮地に陥ってホルモン剤を田圃に流すなど有機栽培米にあり得ない事です。日本人は嘘つきを嫌悪してきました。政治家は言うに及ばず、自動車でもマスコミでも家庭でも学校でも噓が多すぎます。日本製品や社会のクオリティーの高さは正直に在ったのです。自然(神)も正直モノが大好きなようです。私は銀行員でしたが、本当は農業指導員になりたかった想う昨今です。

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荊妻の尊さ

野茨が目立つ季節です。野茨は日本に自生する薔薇ですがオールドローズのような気品もフランスローズの様な華やかさもなく字の通りに鋭い棘が特長の野生種です。蔓バラの基本種であります。
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毎週金曜日は半日をデーサービスで過します。
時々体験で参加される方がおいでです。昨日は私と略同年齢の方が来られて施設の確認とサービスの概要と利用者を観ておられました。私も2年前は”ああだったな”灌漑深く眺めていました。2年前は歩く事もままならず左手も殆んど動かせませんでした。若い奥さんがご主人に連れ添って、その表情の変化をウォッチされておいででした。
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デーサービスの楽しみは昼食でもあります。これは中華丼でした。
私のワイフも”あんな表情で私を観ていたんだろうな”思いました。そのうちにその若い奥様を激励したくなって、声掛けしました。「私も2年前は同じようでしたよ、でも今では杖無しでも通える程になりました。でもリハビリには努力も必要で本人の覚悟が重要ですよ。『荊妻/けいさい』と云う言葉があります。奥様の一言一言が荊(いばら)のように棘が在るのでしょう。リハビリを成功させるには時に『荊妻』になって、リハビリを達成させる事も大切なように思いますよ。
『荊妻』を広辞苑で調べると、後漢の梁鴻 (りょうこう) の妻孟光 (もうこう) が荊 (いばら) のかんざしを挿したという「列女伝」の故事から出た言葉と教えてくれます。
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これは豊国の紅を拭く女(デトロイト美術館)です。女性の美しさは白い肌に僅かな朱色そしてその二色を際立たせる黒髪でした。簪は黒髪のアクセサリーであると同時に耳かきにもなりました。その簪は時と場合によっては武器になりました。そう言えば必殺仕掛人にも簪を使う仕掛け人が居ました。


「糟糠の妻」とはよく聞く言葉です。「酒糟や米糠のような粗末な食事を共にしてきたかけがえのない妻の意味です。この言葉にともにして、苦労を重ねて夫を肋け、家庭を守り、連れ添ってきた妻のことです。慣用句としては「糟糠の妻は堂より下ろさず」と云います。”苦労を共にしてきた妻を立身出世したからと云って云ってお屋敷から追い出すことはしない”と使います。糟糠の妻で想い出すのは山内一豊そして前田利家でしょうか。
政治家や俳優は人気商売ですから糟糠の妻を大切にするのは必須要件です。下積み生活の長かった男優を一人前にするまでは糟糠を食べて我慢した辛抱女房を少し人気が出て来たから若くて眩しい奥さんに鞍替えするようではファンはじきに離れてしまいますし大原麗子さんを不幸に陥れた森進一や学生結婚していた石田純一など最低です。政治家も地方議員や秘書生活が長かったモノが運よく都知事に就任した途端に艶聞を色々取りざたされている升添要一氏は古典の勉強が必要でしょう。
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升添要一氏は初婚はフランス女性次は片山さつき氏(参議院議員大蔵キリア)そして1996年に元夫人1996年に、15歳も現在の妻雅美さんと再々婚したしました。これからは政治資金の私的流用問題から矛先はその下半身に移ることでしょう。もう退け時は過ぎているようです。
「荊妻」と「糟糠の妻」良く似ているようで「荊妻」は謙遜した言葉で愚妻の意味です。私はズット負担をかけ通しですしもう老い先は知れていますから糟糠の妻とも言えません。ズット「糟糠の妻」の儘です。どうも御免なさい!でもリハビリに注力して早く介護負担から解放させてあげる積りです。




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雪形の間違い

私はお世話になっているデーサービスのお献立ボードを飾る絵を描いています。先ずはどんなものか下の写真で見ておいてください。
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これは3月の献立表のボード。鳥取の流し雛に次の句を添えてみました ”何時までも雛見送りて寧(やす)かれと”
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これは現在使われている4月の献立ボードです明科聖高原の入学式風景をイメージして描きました。
句は次のように添えました瞳似の孫は今日から一年生
因みにこれを始めたのは昨年12月でした次が最初の作品です雪の白川郷にトナカイのそりを描きました。この時は句は未だ添えて居ませんでした。でもこれが思いの外好評でもう一枚描いてくれと頼まれもしました。誉められるとその気になるのは生まれつきの性格で段々熱を帯びて来ます。
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これが献立ボードの始まり白川郷にトナカイでした。この写真は追加注文で作成したものです。

翌月のボードを描くのに1箇月の余裕がありますからその間に構想を煉って皆が悦びそうな絵を描きます。今は5月の絵を作成中です。
5月と云えば鯉幟です。私が脳梗塞を発症した3年前の5月に友人4人と安曇野に水鏡を観に行きました。期待通りに田植えが始まり水田には北アルプスが水鏡していました。私達は村外れの道祖神を探して巡りました。田圃の畔には花菖蒲が咲いていました。遠くには鯉幟が山風をはらんではためいていました。
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日本の田園の美しさを代表する水鏡の張った安曇野このイメージを5月の献立ボードの絵にしたいと思ったのでしたが・・・・。
描いて暫くの間眺めています。眺めて居る度に構想がドンドンチェンジして行きます。先日の大雨の日に思いました「今年は春が早いので穀雨かも知れない」
朧月夜になると翌日は雨が降ってその雨が穀物には恵みの雨になるので穀雨と呼ばれるのです。
快晴で鯉幟と水鏡のイメージは朧月夜で夕暮れ子供は遊びに夢中で夕飯の用意が出来たので末っ子が”御飯よ・・・”呼びに出てくる光景にチェンジしました。最初に昼間のイメージで描いていたので夕暮れにするのは簡単です。紫色の水彩絵の具をクレヨン画の上に乗せれば夕暮れに場面変更が実現しました。
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これが製作途上の5月の献立ボードの絵です。田圃の細い畦道に牛が悠々と草を食んでいるので怖くて通り抜けられなかった想い出を画面にしようとしました。遠景の北アルプスに浮かんだ雪形を陰影で描いてしまいました。そこで慌てて雪形を本来の残雪で陽影に描き替えました。お蔭で一時は白い馬と黒い馬二頭が北アルプスに出来てしまいました。句は”薫風に泳ぐや鯉に花菖蒲”としました。

向こうの山は北アルプスですアルプスに「雪形」を描きたいと思いつきました。安曇野でも隣の白馬でも残雪が馬や兎の形で現われると田植えを始めるのです。山の神が田に下りてくる先駆けを雪形と信じていたのです。私は素晴らしい知恵だとかねがね思って居ました。だからどうしても雪形を書き加えたいと思ったのでした。そこで最初の前穂高山と思って描いた山のお腹に紫の水彩で馬を描きました。出来た絵を眺めていて気づきました。雪形は雪の残した影では無くて残雪そのものの姿で在る筈だったと紫の水彩で描くのは間違いで白く残さなくてはならないのでした。そこで急遽変更です。雪形の位置をずらして画面の中央にしました前穂高山の中腹に描いた馬は山蔭に変更です。最後に霞を描きます。霞は適当に山裾にパステルで描けば出来上がりです。クレヨンにに水彩に最後にパステルを加えれば再三の構想の変更にも耐えて5月の献立ボードの完成です。
皆が何と評価するか今から楽しみです。こんなチャンスを与えてくれたデーサービスにも感謝です。
五月が完成したらもう6月の構想を練るのです。
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これが試行錯誤を繰り返して完成した5月の献立ボードの絵です。パステルが飛び散らないようにニスで固定させて完成です。
そんなこんなで絵の構想は日毎に変化します。出来栄えはともかく自己満足の塊ですがボケ防止には有効なようです。

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脚の方はジョギングする程に回復してきました。スピードもワイフに遅れまいとする程に普通人並になって来ましたが、多少疲れが早いように感じます。どうも爪先が硬いので、”ドスン・ドスン”と歩くのが災いしているようです。何れ理学療法士に”疲れない歩き方”を教えて貰う事にしましょう。
もう一つ脚の弱点はしゃがめない事です。お相撲さんのする蹲踞(そんきょ」の姿勢がとれないのです。左膝に力が入りません。これではお茶室の蹲踞(つくばい」を潜れません。加えて昆虫や山野草を接写する事が出来ません。そこで毎朝スクワットを始めました。食卓の端を掴んで蹲踞の姿勢を10回ほど繰り返します。
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今日からお相撲も春場所です琴奨菊に期待が集中しますが。何度もチャンスがある訳ではありません。病気に耐えて掴んだチャンスです。ぜひ最初のチャンスをものにしてほしいモノです。写真は相撲も剣道も弓道も蹲踞の姿勢が基本である事を示したかったからです。多分蹲踞の姿勢が丹田に重心が集まってメンタルにも気が集中するのだと思います。建築の蛙股も蹲踞の脚の形です。
春場所初日琴奨菊は曲者の高安をガブリ寄りして勝ちました。先ずは安堵です。(白鳳の蹲踞の写真と差し替えました。
左手も動く気配がしてきました。掌をグー・パー(結んで開いて)は出来ます。でもチョキ(鋏)は未だできません。
左半身の麻痺も徐々に治癒してきて、その悦びは屹度雪国の雪や氷が溶けてゆく感触に似ているものでしょう。
病気から解放されて健康に戻る感触を今回ほど感じたことはありません。腎臓癌の時も胃癌の時も。体に結ばれたチューブ(まるで鎖)を外されると当然のように健康体だと思って好き勝手し始めました。今回は健康に戻ったら再発を絶対にしないように、健康の持続に心がける事に誓っています。
ところで、私の気になっていることがあります。
それはズット薬漬けでいる事です。
リハビリの若草病院から紹介されて通院しています。脳神経科の町医者に通院しているのですが。ズット薬の種類も量も変わりません。
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これが既に3年飲み続けている薬。このうち筆者が苦手にしている薬は最下段のボグリボーズです。薬は毎食前に飲みます。すると胃腸でガスを発生させて結果糖分の吸収を妨げるのですが。常に膨満感をもたらし、便秘を誘発するようです、医者は私の血糖値が規制枠に収まっていることを評価してズット継続しています。私は便秘は良くないし嫌いなので何時か止めたいのですが・・・・・。この薬を使わないでも血糖値が規制枠に収まる体にしたいと思って居ます。前回からジェネリックに変わりました
私は何時か薬漬けはサヨナラしたい、でも二度と脳梗塞の再発はご免したい・・・。想っていたところ図書館で恰好な本を見つけました表題は「9割の病気は自分で治せる」で筆者は医学博士の岡本裕氏です。
本の概要は以下の通りでした。
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1、「健康」とはWHОの定義では「完全に肉体的にも精神的にも福祉の状態」としていますが簡潔に表現すれば”朝の目覚めが良くて体に違和感や痛みが無くて、食事が美味しく食べられて定期的に快適に排便が出来て仕事や勉強が意欲が湧いて、不自由なく活動出来て、他人に思い遣りが出来て・・・・。夜は穏やかに眠りに就ける事」と説明しておいでです。
2、ところで健康な状態で人間は安定するモノではありません。人間の体は60兆個の細胞で出来ていて毎日3000億モノ細胞が死んで産まれて大差を繰り返しているそうです。ですから約一箇月で人間の細胞は入れ替わり、特に人間の血液は20日間で全部入れ替わるのだそうです。お月様の満ち欠けは古い血液と新しい血液の入れ替えと同調して居る事になるのです。
その細胞が死んで新しく生まれる時に異常事態が生じます。癌細胞が産まれますし、死んだ細胞は早く排出しなければなりません。その代謝が上手に進まな状態が病気なのだそうです。
3、健康な状態は長続きしませんが、かといって直ぐに病気に転じる訳ではありません。
 生体には常に健康を継続するように働く自己治癒力があるのです。こんな健康のように見えても少し不安定でと言って病気でも無い状態を未病と云うのだそうです。大仙の尾根道を歩くような西に転んだら病気、東に転べば大丈夫そんな状態が未病と云うのです。
勿論人間は生物ですから生命力があって病気になるまいと働いています。癌細胞が出来ればこれを殺してしまい、体外から細菌が浸入しようとすればこれを防止します。腸内細菌やリンパ液は健康維持に働きます。
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は常に生死(新陳代謝)を繰り返していて人間の体細胞で出来ていて。では病気とはその逆の状態を言います。にあること
病気とは絶え間なく生まれる癌細胞を正常細胞に戻すことも殺すことも出来なくて増殖させたりウィールスや細菌の浸入を防御できずにウィールスなどが体内に蔓延してコントロールできない状態をいうのです。
そして筆者は人間には病気の9割は自己治癒力で退治し健康になる事が出来るので、人は自分の治癒力がパワフルにワークするように努めなさいと教えます。
でも”残りの1割の病気は現代の医学では自己治癒力の範疇では治せないのでお医者さんに助けて貰いなさい”教えます。糖尿病も高血圧も未病の範囲内にあって安易に血圧降下剤や血糖 降下剤に依存する事の弊害を諭します。
薬で血圧や血糖を下げてもその根本原因を治したわけでは無い対症療法で正常値にして治ったと錯誤して根本を治さないと再発しますよ。警告しておいででした。
云われてみれば昔は若い時は自己治癒力が旺盛で風邪を引いても病院に行く事はありませんでしたし。葛湯を飲めば汗をかいて翌朝はケロッと治っていました。下痢をしても梅酢を飲めば一日で正常になってしまいました。
最近は何でも病院に行く傾向にあります。

孔子は弟子の子牛に云いました。
 「吾十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)」
SMAPは40歳にして大迷走しましたが、私は不惑で勤務先の逆境に遭遇しました。未病の状態が10年も継続して腎臓癌が発症しました。撤去されたピンポン球の癌を見詰めて”こんなモノが腎臓にできて俺を苦しめたのか”思いました。コン畜生思って独立しました。でも製造した製品の品質が管理できずに苦労しました。そして未病期間10年を経て胃癌で喀血しました。二度の大病でも不整脈は指摘されこそしたのでしたが根本治療はしませんでした。この間徐々に血糖値が上昇し、糖尿と不整脈を主因にして3年前に脳梗塞を発症したのでした。私も近々に70歳(古希/杜甫の詩)です。古希について孔子は『七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。』 矩を踰えずとは自分自身のメンタルと体が調和して心身ともに健康に過ごす。自己治癒力が横溢している状態のように思えます。
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これが私の空腹時血糖値(基準値は70〜110)のデータ。ヘモグロビンA1Cも基準値内にあります。何時まで苦手のボグリボーズを飲み続けるのか?私の疑問です。厚労省は再三基準値を変えます変える度に日本人の糖尿病患者が増えます。病院も製薬会社も病人が増える事は嬉しい事なのです。
ワイフは私に嫌味を言います。
〝あなたは折角お母様が立派な体に産んで下さったのに
、不養生したものだから大病ばかりして…、私が悪いように見えるじゃない”
ワイフの憤りは素直に認めて・・・、でも災いを幸いに変えるのが自分の生き様”考えて二度と大病に懸らないよう自己治癒力を高水準で維持するように努める覚悟です。


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3月3日、新戸塚病院http://www.ims.gr.jp/shintotsuka/kawahiramethod/index.html(に通い始めて6か月が経過しました。前半の3か月は2回/週でしたが後半は2回/月で過半は自宅でリハビリして過ごしました。この病院はNHKの試してガッテン”で紹介された脳梗塞の後遺症/片法麻痺を反復促進療法でリハビリさせるユニークな病院なのです。
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3月3日新戸塚の街の街路樹辛夷も満開になりました。
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東戸塚駅前の自由が丘ガーデンの花屋の店先も桃の節句飾りになりました。

いよいよ最終回となったのが3月3日でした。私は著しい成果を自覚していますので。継続リハビリを希望しましたが、病院は規則通りこれで終了、改めて外来通院を申し込むよう指導されました.j通院開始までは6か月、順番を待っている患者が沢山いるのです。
今日は最終回ですから、再診開始まで6か月は少し長いモノノ、自宅リハビリをしなくてはなりません。今日は宿題の要領を確認しなくてはなりません。感謝と併せて宿題の確認です。
理学療法士の指導は和式のお布団から起き上がる要領を指導しています。左側から起き上がるのは右腕を活かせるので出来るのですが。右側から起き上がるには左腕が強くなければ出来ません。そこで右側起き上がりのトレーニングに集中しています。自宅のベッドで右起き上がりの宿題を確認しました。
緊張でもう喉が枯れて来ました。傍で見ているワイフに一口お茶を飲ませて貰うと
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新戸塚病院の屋上は花壇と菜園が営まれてありました。入院患者のメンタルクリニックには有効な事でしょう。えんどう豆も順調に生育していました。
”今日は屋上に行きましょう”理学療法士は怪談を登るように命じます。お天気も良いから、屋上でトレーニングかと思いましたら、突然に”今日はジョギングしてみましょう、1周目は私が脇を走りますが2週目は一人で走って下さい”命じます。両腕を腰の辺りで屈めて、ユックリユックリ走ってみました”脚と脚が絡まったら怖いな!”思って居たのでしたが、そんな懸念は全くありません。小学生の頃初めてスキップを教えて貰って出来た嬉しさで。通学路も廊下もスキップしてしまったあの時の感動が蘇って来ました。2週目は一人でジョギングしたくなります。
理学療法士は”急がなければ心配ありません脚が絡む事も無いでしょう・・・”言ってくれました。
私はジョギングをすることも初めてでしたし、新戸塚病院の屋上も初めてでした。屋上には花壇があって一部は野菜専門になっています。屹度入院患者のメンタルクリニックも果たすよう設えられたもので、入院患者が育てているものでしょう。屋上の北側に妙なモノが立っていました。遠目にはお地蔵さんのように見えます。病院にお地蔵さんは不似合いですし縁起でもないと眉を顰める人もいる事でしょう。
私はもう1周注文してお地蔵さんの近くに寄って観ました。するとお地蔵さんに見えたのは双体の道祖神さんで上田塩見平スタイルの道祖神でした。

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此方が新戸塚病院の屋上に祀られている双体の道祖神手前の植木鉢は御賽銭で一杯でした。御賽銭で球根や花の種や肥料を買うのかも知れません。
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此方は飛鳥資料館前庭に置かれた二面石。二人に神像が抱き合う姿は道祖神のルーツかも知れません。水道施設でもある事から道教の影響が濃いように思います。
道祖神は別名が「賽の神」病気や災難が病院に遣って来ないように屋上でガードしているのです。魔除け厄病除けには道祖神が最適です。産院の屋上に水天宮さんや淡島様が祀られて居るようなものです。屋上に道祖神を祀った病院の博識に感服しました。見れば道祖神に供えられた茶碗には御賽銭が一杯でした。
屹度お百度参りしている入院患者さんがいるのでしょう。病院の天井は味気ない石膏ボードです。でも石膏ボードのその上に道祖神がいると思えば今晩も良く寝られて、明日の朝には階段を登ってお詣りする事でしょう。
三越デパートの屋上の伏見稲荷産より適地適任の道祖神さんです。
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3月3日雛祭りは淡島様のお祭りで魔や厄を人形に託して流す神事です。この絵はリハビリ施設マナーハウス用に描いたもので。少し誉められました.「いつまでも雛見送りて寧かれと」と添えました。
新戸塚病院を後にしてバス停留所のベンチで座っているとお婆さんが私に声をかけて来ました
”ご主人何度目の通院ですか?”思いがけない質問に私は答えまあした。
”私は初めての脳梗塞でした。でもこんなに惨めな病気だとは思いもよりませんでしたし。家族に懸ける負担も大きなモノがあります。再発は絶対させないぞと肝に銘じています”
答えるとお婆さんはこういう風に云われました
”そう再発させまいと戒めるのが普通ですよね・・・。処が宅の主人は二度目の入院なのです。一度目は6年前で朝食時に発症しました二度目は2年前で二階に上がろうとしたのに脚が上がらなくなってしまいました.新戸塚病院はリハビリは上手なんですが・・・・”何か不満も溜まっているようでした。
私はソロソロリハビリの行く先も見えてきましたからこれからは絶対に再発しない。自分自身の治癒能力の完全復活に注力すべき段階に来たようです。リハビリや運動は要領も身に浸みて来ました。問題は食生活懸念しているのは”何時まで薬を飲み続けるのか?”云った問題のようです。
自由が丘ガーデンは京菓子が並んで私を誘惑します。でも水菜と藤野のお豆腐で我慢して帰る事にしましょう。
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矢張り京菓子の誘惑は強烈ですが今日は我慢です。
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水菜に藤野のお豆腐で京に云った気分になりましょう。


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