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脳梗塞闘病記(家族や友人へ想い)

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若草山山焼きの悦び

週1でお世話になっているデーサービスですが、その献立ボードを飾る絵を描き始めて3年目になります一昨年は利用者が喜びそうな懐かしい絵を描いて来ました。結果1年経ってみると12枚の懐かしい絵が残りました。2017年の陰暦併用カレンダーの絵はその献立ボードの絵をトップに置いて暦自体は旭川情報サービスのサービスに全国各地のお祭りや24節季等を書き加えました。
1枚描き終わると直ぐに翌月の絵の構想に入ります。12月の絵は「白川郷の合掌村のクリスマス」でした。それなりに好評でしたが直ぐに来年1月の絵に着手です。
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これが2016年12月の献立ボードの絵これを収めたら直ぐに2017年1月の絵の製作に着手です。
1月が済めば直ぐに2月で追いかけられます。1月の構想は実は1年間の構想でもあるのです。
”来年1年間何の絵を描いて献立ボードを飾ろうか?”考えた挙句に全国各地方のお祭りに思いつきました。
陰暦カレンダーにも適当であります。
そこで1月です。1月と云えば思いつくのは大宰府の『鷽替え神事』に奈良の『若草山の山焼き』をおもいつきました。大宰府の鷽替え神事は同地に私が転勤していたから知っているモノで一見してデーサービスの利用者が何だか解りません。一方若草山の山焼きは誰もが知っている「迎春」の悦びに溢れたお祭りです。
私は学生時代に期末試験を終えると直ぐに奈良に行って。山焼きを見物したのでした。
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私は全体の構想が纏まったら描きたいものから筆を進めます。薬師寺の東西の塔に山焼きに池の畔に鹿を置きました。
当時は紀元節(2月11日)だった記憶があるのでしたが、昨今は1月の第三土曜日になったようです。どうも観光客対策と受け入れ態勢(消防と警備対策)で平成になってから一月の第三土曜日が恒例になったようです。一番良いアングルは薬師寺の西側勝俣池の彼方から眺めるモノでした。当時は薬師寺の西塔は無くて芯楚の石だけが転がっていました。
日中には「高田後胤」さんの法話だか観光案内なのか微妙な面白いお話を聞き、夕暮れを待って勝俣池の西に廻ります。そこで山焼きが始まるのを待つのでした。勝俣池の東に薬師寺の堂塔が見えてその彼方に春日の森が黒々としていてその南に三笠山(どら焼き)が見えます。池の縁には沢山のカメラマンが三脚を建てて点火を待ち構えていました。私達が山焼きを観て血が騒ぐのは屹度j先祖が焼畑農業をしていたからでしょう。
三笠山は興福寺と東大寺どちらの所有か知りませんが実態は住人の入会地だったのでしょう。山焼きを終えた若草山は蕨など山草の摘み場になります。
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勝俣池の袂の竹藪には椿を描きました。実は薬師寺の築地沿いには讃岐椿が自生していて昭和の頃は近隣の井住人が紙で造花を準備して修二会に仏様を荘厳していたのでしたが、今もお土産に土鈴の讃岐椿が人気です。処で京都の東山の姿を京都の人は雅な女性の寝姿に擬えました。私は京都の東山より平城山(楢山)の方が女性的だと思うのです若草山のなだらかな山容は乳房のようにも見えます(平たい乳房ですが・・・・。
右上の冊子は「土佐光起」の大和絵です。松の木を描くお手本にしました。
若草山の山全体が野芝で覆われています。野芝は鹿の好物です。鹿は柴の芽と種を一緒に食べてしまいます。野芝の種は鹿に消化されずに糞と一緒に三笠山全域にばら撒かれます。背丈の高い草も鹿さんが食べてくれます。勿論糞は窒素肥料になります。今もゴルフ場では雌土に種を混ぜて播いています。今時の作業です。ゴルフ場のメンテナンス作業を千年以上も前から続けて来たことになります。
三笠山は鹿が種を撒き草刈りをして育てているのです。
処で次の和歌は多分女性が百忍一首の中で一番好きな歌でしょう。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む
   我が衣手に 雪は降りつつ
  (光孝天皇)
天皇が雪の降りしきる中で若菜を摘んでプレゼントするなんて、平和で優しい国でした。
でも今時の女性は若菜をプレゼントして貰うよりもスイーツの方が歓迎でしょう。            
私は若草山を観ると若菜摘みを想い出し同時に「蕨餅」を食べたくなります。若草山の周辺の茶店では何処でも商っています。此処で採れた蕨だと思うと有難味も違います鎌倉の「こすず」も蕨餅では著名です。でも鎌倉のは見た目が美しくありません。蕨は鶯色でなくてはなりません。麦焦がしの色なのは枯れた蕨のようで美しくありません。若草山の蕨は舌の上で溶ける上品な甘さと鶯の色です。

三笠山の井所有権は東大寺では無くて興福寺にある事は明白でしょう。でも昭和の民法では奈良市民にある事は明白です。
話が脱線してしまいました。本筋に戻します。
暫く前に勝俣池の畔に行ってみました。
ところが世相を反映して山焼きを眺めた辺りは高齢者施設に開発されていました。
屹度あそこの窓からは私と同じ年齢の人達が若草山の山焼きを見詰める事でしょう。
二月には若草山の北側にある二月堂では「お水取り」が行われます。そして三月には此処薬師寺で修二会に「花会式」が行われます。村人が手作りの椿を作って薬師三尊や聖観音を飾るのです。
椿は讃岐椿と呼ばれる藪椿です。最近は池坊さんの生花が活けられているようです。http://image.search.yahoo.co.jp/search?fr=top_ga1_sa&p=%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%A4%BF&ei=UTF-8&xargs=2&b=21。造花の方がズット尊いし綺麗だと思うのですが。このようにして民芸や地域住人の想いが断たれてしまうのは残念でなりません。屹度黄泉の高田後胤さんもそう仰ることでしょう。
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これが完成した若草山山焼きです。薬師寺の東の並木は秋篠川の堰堤です。大半が桜の木で此処で魚釣りをしました。この下流が郡山ですので釣れる魚は金魚が多いのです。
明日は上の絵をデーサービスに届けます。利用者が喜んでくれるか少し心配です。でも直ぐに2月を構想しなくてはなりません。2月のお祭りと云えば「札幌の雪まつり」に「横手のかまくら」に2月堂の「お水取り」に飛鳥の「御田まつり/おんだ祭り」です。描きたいのは別にして糸版喜ばれそうなモノを構想します。


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お辞儀の文化

今月我が愚妻が和弓の昇格試験に受かり目出度く錬士となりました。学生時代も弓道部に入りたいと思って日吉の弓道場の門を潜ったのだそうですが。慶応大弓道部は古くて女子の入部を認めていなかったのだそうです。已む無く日本文化研究会に入って行く末は私にゲットされてしまった次第です。
私と結婚後、家に閉じこもっているのは嫌だったようでテニスを始めました。如何にも不釣り合いな硬式テニスでしたが、町内にスポーツセンターが設備されその雨水調整池に弓道場が設置されると、勇んで弓道場に通うようになりました。以来順調に昇段試験に合格していたのでしたが、此処10年余りは鳴かず飛ばずで、昇格に失敗。全国各地で実施される昇格試験にトライし、この秋も鈴鹿で二次試験に進み奈良の畝傍御陵に行ったのでしたが落胆して帰宅しました。そして先日特別審査が先日明治神宮で実施され、見事と云うか漸く昇格して晴れて「錬士」になれた次第です。
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ワイフの昇格祝で我が家は花いっぱいです。
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居間は一杯で玄関にもお祝を置きました。私よりワイフの交友の輪が大きいのは弓道のお陰です。
【弓道の素晴らしさ】
以下は私の意見でありワイフの見解とは異なると・・・・、思いますが弓道の素晴らしさは個人の修練にある事が第一です。愚妻の受験を観ていると教科試験があります。内容を窺がうと「礼法」が骨子のように思えます。礼法を和弓の扱いを通して体得しようとするものでしょう。愚妻は10回以上も筆記試験は受けていますからもう筆記試験の準備は万端です。問題は実技で。愚妻は視力そのものに問題があったのかもしれません。JRの駅時刻表も見えないいうのでは的に当たる筈ありません。
次に和弓の素晴らしさはお仲間に恵まれる事でしょう。30年も稽古に励んでいるので近所の弓道場は勿論隣の栄区や鎌倉や横浜元町弓道場など友人の輪は横に広がっています。来年の年賀状は私より愚妻の方が多くなりそうな気配なのも私の友人の輪は停止してしまったのに対し愚妻の友人の輪は拡張し続けているからでしょう。そして、何をおいても費用が懸らない事です。アスレチッククラブや社交ダンスなら700円/1時間はかかるでしょう。でも和弓は気が済むまで練習しても略無料なのです。(会費は必要ですが)
私が脳梗塞を発症して以来兎角荷重の重なった愚妻でしたがメンタルにも安定して私をケアしてくれたのは弓道を続けて来てくれたお蔭です。それも突き詰めて考えれば弓道の根本精神である礼法のお陰です。
前置きが長くなりましたが今日は「お辞儀」を素材にして礼の文化を私なりに説明します。
【「お辞儀」の比較】
お辞儀(おじぎ)とは、相手に向かって腰を 折り曲げる動作です。挨拶や感謝、敬意などを表します。
ところで、もうじきお相撲が始まります。お相撲におけるお辞儀は蹲踞に始まります。
蹲踞はお辞儀(礼)の一つの仕草です。蹲踞こそしませんが柔道は礼に始まり礼に終わります。礼とは「相手挨拶し、感謝を伝えたりする」仕草です。礼(禮)の字は示す偏に三宝です。供え物を載せて神にお祈りするという意味ですお相撲も柔道も相手を敵と思うのではなくて神だと思って技を競うのです。
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礼(禮)の字は示す偏に豊と書きます。豊とは神に奉げモノをする三宝の事です。
この意味では剣道も柔道も礼の精神とは距離があります。弓道が最も礼の精神に近いモノと云えるでしょう。何しろ相手が敵ではなくて的なのですから。この意味では那須の与一が馬上から軍扇を射落とした故事(平家物語)は礼法の精神にピッタリです。
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那須の与一の絵馬与一は馬上から軍扇を射落とします。平家も源氏も与一の神技を誉めます。平家物語や源平戦闘記の名場面です。
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「受胎告知」の図天使が聖母に立礼【跪礼/きれい】している仕草ですが両手を胸前で交差させています。礼法では両手は自然に垂らして腰をもう少し30度くらいに折ります。お辞儀は洋の東西とも神聖な存在に対する敬愛の気持ちを表現する仕草がルーツだと思います。それが中世に入ると日本では将軍等権威者に対する儒教的な礼を表現する仕草として。西洋では淑女の優雅な仕草として発展したと考えます。
一方西洋ではお辞儀の仕草はありました、舞踏会の挨拶やフィッギアスケートのそれです。これらはがその仕草が自らを優雅に見せるから行われたと考えるのが自然なような気がします。でもルーツは宗教的に敬意を示す仕草だったのでしょう。この意味では日本のお辞儀と同じです。
ルイスフロイスやザビエロ等の宣教師が日本にやって来ると彼等は日本流のお辞儀の作法を知りません。将軍に面会する時にニコニコ笑って握手しようと右手を差し出します。通訳は先ず日本流のお辞儀の作法を教えるのが大変だったと記しています。でも幕末が近づくと彼等も手慣れて来てシーボルト等はお辞儀の作法に慣れていたようです。
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これは二条城での大政奉還の図、西洋人は立礼は未だしも座礼には馴染めず大変だったようです。今に日本人も座礼が出来なくなるかもしれません。こうした作法全体の基準となり広めたのが「小笠原礼法」でした。歴史の中では中世的なモノの典型であった小笠原礼法でしたが現代の役割や期待は大きいなものがあると思うのです。
【お辞儀のルーツ】
洋の東西を問わずお辞儀は神への敬虔な気持ちを表現する仕草として始まったようですが儒教が一般化した中国日本朝鮮では封建的な階級制を示す仕草として広がったようです。
聖武天皇が施主であった大仏開眼式の図はありませんが聖武帝光明皇后を始め全員が廬舎那仏の御前で目を閉じて立礼した事でしょう。しかしその様子を描いた絵図も残っていませんし記録も無いようです。唯一判るのは後白河法皇の描かせた年中行事絵巻です。検非違使が洛中で狼藉を働く輩を捕縛しようとしている傍らに庶民は座して「我関せず」の姿で描かれています。でも後白河法皇の前でも天皇の前でも庶民も臣下も不統一な自由な姿勢で描かれています。私達が映画や劇画で観る礼を尽くした形は事実と反していて。参勤交代の行列を土下座して遣り過すようなことは無かったのでした。お辞儀のルーツとして思い当たるのが西行法師物語で、西行法師が吉野から熊野の八上王子車を詣でた折に記拝している図が描。中世には一遍上人絵巻にも様々なお辞儀する姿が確認できますが総じて宗教的な仕草と云えます。宗教的な仕草を封建的な階級制度の仕草に仕立てたのが室町時代小笠原長清であったのでしょう。小笠原長清のお蔭で仕草が様式美に昇華され、中国にも朝鮮にも無い礼法が確立したのでしょう。昨今洋式生活の普及に伴って礼の作法は無頓着になって来ました。
デモ姿勢の良い人仕草の美しい人が寄り目立ってきたのも事実ですそうした意味でも2020年東京オリンピックの空手が正式決定した事は喜ばしい事です。屹度武道としてのルール【顔攻撃等反則が多い】と勝敗との間で議論が沸騰する事でしょうが,武道や礼法を広めるには良い機会になる事でしょう。
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これは熊野の八上王子社を詣でる西行法師(土佐本西行法師絵巻)座拝しているのは神社なのかその手前の桜なのか、どちらにも向いているのでしょう。


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ソロソロ年賀状を書かなくてはなりません。サラリーマン時代は版画を刷って年賀状にしていました。1月4日の仕事始めには銀行の講堂で、頭取の年頭あいさつを聴き、立食パーティーを催されるのが恒例でした。女子行員は晴れ着を着こんで、まるで別人に会う様な華やぎでした。バブルと云われようが高度成長の為せる贅沢な時間でした。私はその年賀会で同僚や上司から誉められたものでした。
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左2枚はサラリーマン時代の年賀状右1枚は移動挨拶私はズット版画でしたが、脳梗塞発症して以来パソコンで済ませて来ました。
”忙しい筈の師走によくぞ手間のかかる版画など出来たモノだと”。多くの人が印刷モノで済ませている中、私の版画年賀状は出色であった事でしょうし、私も少なからずそのことに依る”受け”を期待してていました。仕事そのもので目立たない凡庸な自分ですから、版画でも凝って目立ったものにしたのでした。その成果か?就職して早々にパンフレットやカレンダーや当時始まったばかりの財形貯蓄の印刷物を任せられたのでした。技が身を助けたのはこの版画でした。
脳梗塞発症以来時間はあっても木版をするには左手の不自由です。ここ数年はデジカメ写真をパソコンに取り込んででプリントして居ました。絵手紙では骨が折れます。来年は如何しようか?思っていたら、読売新聞に「芋版年賀状の作り方」が案内されていました。私は芋版年賀状に決めました。絵を描く時もそうですが、デザインしているときが一番楽しくて、作りはじめると自身の下手さに嫌気がしてくるものです。ワイフに頼んでお芋を買って来て貰いました。私の胃袋に収まる前に入墨されて、気の毒な金時芋です。

入墨と云えば、想い出すのが土偶です。私は土偶が大好きです。今迄も何度も書いて来ました。何でこんな姿の土偶を作ったのだろうか?そしてどんな願いを込めたのだろうか?推測する時間はこの上なく楽しいモノです。
土偶が好きなのは子供が泥団子を作るのが好きなのに似ています。小学生の時粘土細工が好きだったのも縄文人が土偶を作った気持ちと似ていると思います。そんな年賀状作りの事もあって、この年末に数回に分けて縄文文化を書いてみようと思います。お付合い下さい。
【土偶と入墨】
先ず下の写真を観てください。顔に上半身に尖ったモノで皮膚をツンツン突き刺した土偶です。このツンツンは何かな?何の呪術かな?思います。
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これは山梨の笛吹市上黒駒遺跡から出土した土偶でヤマネコのような顔と細く長い腕が特徴です。腕の付け根にツンツン穴が無数にあります。鶏の翅を毟った跡の肌のようです。指先が3本である事も含めてこの土偶は鳥の呪術で死者の霊が鳥のように飛び去ってもまた舞い戻って家族になってくれるように祈った呪術であると考えます。(所蔵東京国立博物館写真出典三上徹也著縄文土偶)
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これは青森の程森遺跡から出土した遮光器土偶です(東大所蔵)此方のツンツンは翼(肩)の部分だけではなく全身にツンツン模様が広がっています。土偶は関東以北に多いのですが全国各地から出土する土偶にツンツン模様がある事。縄文時代1万年の全期間に渡ってツンツンがある事が特徴です。このツンツン模様が何を意味するかが問題です。
縄文人にとって鳥は霊の乗りモノであった事を示していると想われます。それは、日本武尊が死んで白鳥になって飛び去った事からも神武東征が熊野で八咫烏の導きで始まった事からも、生死が霊の入れ替えで霊の乗りモノが鳥であると信じられていたことを示します。縄文人のルーツは今も鳥葬の続いている中央アジアにあると想われます。縄文人の生活は焼畑と狩猟であったのでした。別の日に説明しますが弥生時代は水田による稲作(水稲)が行われ縄文時代は焼畑による稲作(陸稲)が行われていたモノと予測します。焼畑に使用された稲は鳩麦とか唐麦と呼ばれる数珠玉(お手玉の中に入れる小豆大の種)と思うのです。海上の道(柳田国男)を伝わった弥生文化は縄文文化と交雑して、どちらかと云えば弥生人が縄文人を吸収して大和朝廷に繋がると考えます。
このツンツンは粘土細工でも私は駆使しました。粘土箱には竹のヘラの他にツンツン出来る様に焼き鳥用の串も入っていましたから、何を作っても表面をツンツンさせていました。
2年前千曲川の断崖の岩屋に鳥葬の霊地を参詣しました。
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これは和弓の矢です。本物は鷹の風切翅を使います。その翅の根元の尖った先でツンツンやって土偶の模様をつけたと思います。その呪術は以降の段で説明します。この矢はワイフの愛用品です。お友達に伝えます。此処5年近く昇段できなかった愚妻でしたが、先の週末明治神宮での昇段試験で無事に錬士になれました。代わって報告申し上げます。植木鉢は隼人瓜です。もうじき地下植えします。
このツンツンは粘土細工でも私は駆使しました。粘土箱には竹のヘラの他にツンツン出来る様に焼き鳥用の串も入っていましたから、何を作っても表面をツンツンさせていました。
2年前千曲川の断崖の岩屋に鳥葬の霊地を参詣しました。
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これは千曲川の断崖にある岩屋堂洞窟遺跡、鳥葬遺跡と云われています、次に書きました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/47636362.htm...
先日テレビでマチュピチュに代表されるインカ文明の謎を放映していました私は縄文文化や邪馬台国の卑弥呼を想いながら興味深く観ました。インカ文明は石器文明のままでスペインに滅亡させられてしまいました。縄文文化との違いは縄文文化は稲を始め雑穀を食べていたこと、他方インカがトウモロコシとジャガイモを主食にしていたこと処位で太陽神や暦を読んだ巫女が皇帝や王であった事等共通していました。特に興味深かったのは死者をミイラにして祭りの主神にしている姿でした。死者は天に昇って地上の子孫を守護すると信じていたのでした。
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インカ文明を代表するマチュピチュ遺跡は太陽(暦)を測りトウモロコシやジャガイモの栽培をする重要な施設(天体測候所)でありました。
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インカ文明は死者をミイラにして祀りました。ミイラは天上から子孫を守護してくれると信じていました。
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太陽を祀る司祭が皇帝であり王でありました。この皇帝を卑弥呼に置き換えればインカと邪馬台国は酷似しています。以上3枚共にNHKのBSプレの画面を写したものです。



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12月10日の日文研セミナーでI君がベルクソンを取り上げレポートしてくれました。
同君は慶応を卒業して東大大学院で哲学を専攻しているとの事。私は懐かしさもあって参加しました。
同君は遠慮気味に「哲学の話に多数出席してくれて感謝します」言ってレポートを開始しました。
私は”自分の学生時代は未だ哲学が求められていタラから、遠慮はいらない”激励しました。
私の本棚には岩波書店の「哲学」が並んでいましたし、『哲学の無い生き方は羅針盤の無い船で航海するようなものだ』想っていました。
私の青春時代に誰でも読んだのが「善の研究/西田幾多郎」でしたから、ベルクソンはその教師のような哲学者です。
「今頃ベルクソンを論じる若者が居るのは良い事だし、応援したい」想いました。
明治の我国哲学はカントに始まって知(理性)が重んじられました。日本人は総じて「理」が先行する事を好みません。「理」よりも「情」に訴える国民です。
「忠臣蔵だって理で考えれば仇討なんてしません、情が優先されたので討ち入りが歓迎されたのでしょう。でも昨今のテレビドラマを観ていると主君「浅野匠之上」への情よりも家族への情が勝って、討ち入りに参加しなかった武士が注目されているようです。
近代日本では総じてドイツ哲学は敬遠されていました、その反作用でしょう。大正時代から昭和前半にかけて「情」に光を当てたフランス哲学が歓迎されたのでした。時代雰囲気を代表するのが白樺派の有島 武郎です。
「一房の葡萄」
横浜では有島 武郎(ありしま たけお)が横浜の山手を舞台に「一房の葡萄」を書いて共感を得ました。一房の葡萄は有島武郎の自伝小説で大正から昭和の思潮を代表していると思います。当時は社会派文学に代わって白樺派の文学運動が盛んになります。比較的裕福な家庭で育ち知的でもあった白樺派の作家は言葉(文学)と併せて絵画や絵本や音楽(童謡唱歌)を駆使して、国民に喝采されたのでした。
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これが一房の葡萄です。横浜税関長の息子であった有島三兄弟は西洋風の教育を受けます。今の東洋英和学院に通学しますが。武夫は横浜のブルーの海を上手に描きたくなり友人の持っていた絵の具を盗んでしまいます。友人が盗んだ事実を摘発して証拠と共に美しい教師に突き出します。武夫少年に教師は窓から手を伸ばして一房の葡萄を手渡します、そして約束します「今日は家に帰ってこの葡萄を食べて休みなさい、そして明日は何があっても学校に来なさい、約束しましたよ」武夫少年は翌朝体調が壊れないかrと期待したのでしたが、登校する事になります。職員室には絵の具を盗まれた少年と先生が待っていました。そして先生はまた窓から手を伸ばして一房の葡萄を獲って、房を真ん中で切って武夫と友人に手渡してくれました。少年と武夫は握手しました。そんな話ですが。美しい手と紫の粉を吹いた大粒の葡萄は絵の様に美しかった事でしょう。美や愛があれば倫理よりも情が優先されると云った主張です。武夫少年には既に心中願望が在ったような予感がします。
鎌倉に住んだ有島 武郎は婦人公論の記者(人妻)に不倫して軽井沢で心中して果てます。遺書には、「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と残しました。有島 武郎は心中が成功したと信じていたのでした。
愛に殉じた生き方が多くの庶民の共感を得たのでした。「愛」と云った情が死に勝っていたと主張したのでした。でも、有島 武郎と心中した筈の秋子は生き残っていたばかりか、有島が取り交わした書簡を発表します。情は有島武郎には濃く、女性には知や欲が勝っていたのでした。。今も美しい信州新町の梓川の岸辺には稲村ケ崎のアトリエが保存されています。
フランス革命の結果獲得した「自由」の哲学は日本では「理性」の判断よりも「情」の赴くままの生き方を優先させたのかもしれません。
少なくとも日本人は近松門左衛門も井原西鶴も「情」を優先する伝統がありました。。明治の文明開化以来哲学は難解だったものの、ようやく日本人に解りやすい哲学を探した、それが大正時代の雰囲気だったことでしょう。大正デモクラシーと云うと高校では婦人参政権ばかり覚えさせられましたが、恋愛も自由の空気が充満したのでした。ですから進歩的な知識人層に心中や自殺が頻発しました。
唯物論と観念論の対立は人間の生き方の根本課題ですが。この解決を「主客合一」を説いたのが陽明学で行動を重んじたのが吉田松陰でした。西田幾多郎は行動する事を「純粋経験」と説いて”知識と倫理と宗教を一致させた生き方をしよう”と説いたのでした。
素敵な人妻を奪いたいと欲するのは倫理的には許されません。でも情は知性では止められません。そこで『自分自身は主客一致して人妻を愛して 嘘偽り一点の汚れも無いのでそれを行為で表現しようとして心中に向かわせたのでした。大学教授と美しい新聞記者の心中は学生にも影響し、慶応の学生は大磯の裏山で心中して果てました。しかし戦争が総ての思考を停止させてしまいます。
昭和30年代も心中が流行った訳ではありませんが歌で「神田橋」がヒットし漫画で「同棲時代」が読まれました。
情を重んじた生き方が評価されたのでした。戦後未消化に終わった大正デモクラシーやベルグソン哲学が戦後復活した様な風潮でした。
私達戦後生まれの団塊世代はこの未消化のベルグソン的な生き方を継承して育ちました。
問題は「知」と「情」とどちらが優先するか二者択一の問題ではありません。知に偏っても情に流されても良くありません。両者の間を融通無碍に行き交う事の出来るような自由が期待されます。友人が他界すれば私は嘆き悲しみます。そしてお経を讀んで弔う事でしょう。お経は言葉ですから意味があります。でも誰もお経の意味を理解して居ません。悲しい想いを遂げる為にお経を読むのです。僧も会葬者も故人の冥福だけを願います。この部分は情の領域です。人麻呂の挽歌も平家琵琶も言葉に意味がありますが、意味よりも調べや韻が重んじられます。韻も調べも情に訴えます。死んだという事実は心臓や脳波が停止した事実で判断されるのが知(科学)の世界ですが、情の世界では人々の記憶に故人が消えた時に死んだことになります。科学的(知)には心臓が停止し脳波が止った状態を死と云いますが情では人々の記憶から消えた時に死と判断します。肉体が滅んでも情は滅びません。平家琵琶では夜な夜な怨霊(情)が現われて嗚咽するのです。
有島武夫は大正12年6月9日に死んだのですが私達に心の中では今も生き続けているのです。情の世界でも命が絶えた時に死んだことになるのです。でも武夫の情のに重きを置く人が居る限り命を懸けて他人の妻を愛そうと思う人に共感する人が絶えぬ限り死ぬことは無いのでしょう。この意味で古典と呼ばれる文学は生き続けます。
【陽明学と禅】
ベルグソン哲学は日本人の宗教観や美意識に向いていた事は間違いないと思います。しかし、「知」よりも「情」や「行動」を重んじる生き方はズット昔からありました。「知行合一」は陽明学のテーゼでしたし、大塩平八郎から吉田松陰に引き継がれ維新の思想でありました。ベルグソンが知を軽視し情を重んじても、日本人にすれば「当然でしょう!」であります。「知」は言語でしか表現出来ません。その言葉を軽視するのは矛盾しているのです。私は脳梗塞を患ってデーサービスに週一で通っています。病気の所為で「有難う」と言いたくても大声で叫んでしまう患者もいます。「有難う」という言葉は小声で相手にだけ聞こえるように囁いてこそ伝わる情なのです。脳梗塞を患うと「有難う」の言葉がまるで怒っているような大声になってしまうのです。情と言葉の不一致が度々トラブルを引き起こします。
【無字の公案】
その情景を眺めていると私は「禅の公案」を想い出します。「無門関」や「碧巌録」にある禅問答がそれです。無門関に収録された公案に「無字の公案」があります。言葉や文字を介さない公案です。師(趙州和尚)が弟子(無門)に訊きます。 「『無』とは何か」という公案です。
趙州和尚が弟子(無門)に普段から「「一切衆生悉有仏性」」と口酸っぱく言い聞かせていました。ある時弟子(無門)が逆に師に尋ねます。
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これは三溪園を棲家にしている野良猫です。栄養常態が良いし適度に運動もしているので健康そのものの色艶です。観察していれば犬も猫も生きとし生けるものは情があります。情が在るという事は仏性が在るという事です。仏教では動物も植物も「「一切衆生悉有仏性」を基本的な世界観にしています。禅の公案では言葉に依る知的遊戯に束縛されないことを追及します。
「狗子(犬コロ)にも仏性が有るのですか又はた無いのですか?」すると師は即座に「無。」と答えたのです。その瞬間に無門は悟ったというのです。
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禅の研究【鈴木大拙】も「善の研究【西田幾多郎】もどちらも音読みは同じです。遅れて上梓された鈴木大拙さんも西田幾多郎さんも同じ東慶寺の墓所で眠っておいでです。大拙さんは黄泉で「表題の著作権」問題を詫びたでしょうか?それとも地下で激論を交わしておいでなのでしょうか?
無門は普段から「一切衆生悉有仏性」と云った仏教観を聞き知っていたのでしたからこの時も師から「犬と云えども人間と同じように仏性があるんだよ」と返事を予測していたのでした。ところが即座に「犬には仏性は無い」と聞かされた途端に悟ったというのです。「無門関」には師と弟子の顛末しか記されていません。何故師の「犬コロには仏性は無い」と聞かされた時に悟ったのか?それを考えるのが公案です。
私はベルグソン風に「知に呪縛されたいた自分を解き放たれた瞬間だった」と思うのです。知からも情からも解き放たれて融通無碍になった時自由を体得して、それを大悟したと表現したのでしょう。
知の呪縛からも自由で情にも流されないところに真の自由があってそれが禅の悟りであるという事でしょう。
私はI君にベルグソンと鈴木大拙の位置づけを尋ねてみました。生憎I君は”禅は知らない”悲しい返事でした。
セミナーを終えて帰り道に感じました「自分は何時から若い人に媚びはじめたのだろうか?」昔は違った満足感が在った。若い人が解りやすい様に解説してあげようとするのは自分の理解を深めるものの若い人の興味を重んじるほどに、自らの媚びた姿勢が老醜を放っていると感づき始めました。

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一刀彫が好きな訳

今月初め米沢に出かけました昔から憧れていた笹野一刀彫を見学しました。しかし、案内店の不首尾に怒ってお土産に求めて帰りませんでした。でも家に戻ると年賀状の受け付けも始まって改めて来年の干支は鶏である事を確認しました。些細なことは流して笹野一刀彫を求めれば良かった後悔していますが。もう致し方ありません。少し古くなって白地の木肌が黄ばんでしまいましたが古い一刀彫を見て我慢です。
一刀彫りを見ていると気付きました。
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これが奈良の春日一刀彫です。春日大社には「春日有職」の称号を受けた職人が数多くいて杜壽が技術を承継しているそうです。、「一刀彫」の語源は力強く大きい面取りがあたかもひと太刀で彫ったかの様な豪快な印象を与えることにあると考えられます。春日一刀彫りから彩色まで一人で制作しています。白地の木肌と彩色が調和しているのは一人で全部製作するからでしょう。木の素材は奈良の人の好きな檜や樟を使用しています。
ネットで確認して盛ると既に売り切れで。孫の初節句を祝ってあげるには3年も前から注文しておかないと間に合わないようです。
次は飛騨高山の一刀彫です。
イメージ 2
これは高山の結納屋の商っているイチイ一刀彫の「高砂」人形です。写真出典は同社ホームページhttp://www.yuinouyasan.com/t28/

最後が米沢の「笹野一刀彫」です。
此方は笹野観音で販売されてきた郷土玩具です。笹野観音は坂ノ上田村麻呂が東征の際、戦勝祈願に開基した千手観音と共に信仰玩具として興ったとされています。さらに、上杉鷹山公が豪雪にとざされる冬の農家の副業として指導奨励し今日まで継承されています。
素材は槐と呼ばれる柳です。槐は字を見ても解るように木篇に旁は鬼です。災厄を避ける呪術的な霊験が豊かだと信じられています。
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これが笹野一刀彫です。柳の木肌は白くて、彩色にも適していますが総じて木肌の良さを活かしています。彫刻面が色々で一刀彫とは信じられませんが。下記のような独特の道具を使って手作りしているのです。
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笹野一刀彫の実技。彫刻刀では無くて職人が手にしている包丁とも鉈とも見える道具一本で製作します。檜に較べれば槐の肌は白く油脂が無いモノの粘り気があるので削った面が鶏の羽毛のように処理できます。

どれも一刀彫ですが本当に道具一本だけで作っているのは笹野一刀彫です。
春日一刀彫のような雅こそありませんが。素朴で美しいモノです。白い木肌と粘り強さは流石に「おしん」を育てた出羽の国の民芸品です。
奈良も飛騨も米沢も何れも名刀の産地です。
日本人は一刀流や一刀彫が大好きです。白い紙に墨蹟鮮やかに書道をするように人生も一刀彫もやり直しが出来ません。一刀彫には消しゴムが無いのです。その潔さが日本人の好みなのかもしれません。


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