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脳梗塞闘病記(家族や友人へ想い)

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冬が来る前に

飯豊村で熊さんを食べて意気堅硬に我が家に帰宅しました。飯豊では雪囲いをして冬支度も済んでいましたが、我が家の冬支度は未だ未だです。寒さに弱いジャコバサボテンやポインセチアは居間に取り込んでも君子蘭は庭で寒さ除けをしてあげなくてはなりません。薙刀のような葉っぱが霜げると直ぐに腐ってしまうのです。「冬が来る前に」即席のビニール温室を設えてあげないといけないのです。
私が就職して、間もなく結婚して、初めての地方の赴任地は札幌でした。札幌で長女に恵まれ銀行員としての自覚もスキルも生まれたのでしたが、それも上司に恵まれたお蔭でした。直接の上司が北原さんと云うエコノミストで、長野県の大門峠のご出身で居られました。大門峠は蓼科山の北茅野と上田を結び歴史的な峠でして、あんな僻地から何故あんな優秀な人が生まれたのか不思議に思っていました。
当時の流行歌に紙風船というグループが「冬が来る前に」を唄っていました。
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懐かしい紙風船もいい歳を重ねた事でしょうU-tubeはhttps://www.youtube.com/watch?v=jWEPaCjbZG4です。
私は貸出稟議書を提出してその評価を北原さんに伺いました。
私が「話をするより書く方が得意なのも」北原さんの御指導の賜物です。
私が提出した稟議書を北原さんが訂正されます。いまならパソコンで作成し、稟議も紙では無くて添付ファイルで稟議するのでしょうから、記録は残りませんが当時は鉛筆で貸出するのが妥当である根拠を縷々説明した文書を北原さんが校正して下さいました。
北原さんがちびた鉛筆と消しゴムで校正して下さいました。
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これは我が家の君子蘭です。冬越しさえ出来れば強い植物ですから毎年良く咲いてくれます。君子とは 『学識・人格ともにすぐれた、りっぱな人』の意味です。君子蘭は蘭科の植物では無く見ての通り彼岸花や萱草の仲間です。君子のように立派で蘭のように華やかな花なのでこの名が在るのでしょう。私が銀行に勤めたのは微妙でしたが。上司には恵まれました。今日のテーマは我が家の君子蘭の冬越し対策です。

初の貸し出し稟議書は豊平製鋼所の電気炉の集塵装置でした。当時は日本中に電気炉の製鋼工場が在って、屑鉄を集めて電気炉で溶かして棒鋼(コンクリートの鉄筋になる)を作っていましたが、その途上で大量の塵灰が出て大気汚染の原因になっていました。今の北京の大気汚染を見るとあの頃の日本と同じでした。
私が評価されると北海道新聞社の新本社ビルとコールドタイプの印刷施設の貸し出し稟議を担当させられました。北海道新聞社の財務課長は親切な方で印刷工場に私を引き回して。鉛の活字を拾う作業を作業を見せて下さり、これからはホットタイプの印刷は無くなりコールドタイプになると説明してくださいました。
コールドタイプ印刷は今は常識で新聞だけでなく雑誌も文庫本もチラシも総てコールドタイプになってしまいました。写真植字機やコンピュータ製版してしまう遣り方でした。1970年代は公害対策で資金需要が旺盛でした。自動車の排気ガス問題に真剣に取り組んだ日本車はその後の燃費競争でも世界をリードできました。”公害を未然に防ぐ”君子の対応”は直接はコストアップになりますが巡り捲って、強みになるのです。君子は目先の利益では無く『理に適っているか義が守られているか?』判断するのでしょう。
鉛中毒と云った食病病も無くなり迅速で省力化した新聞紙面の割り付けが出来るばかりか印刷も早く出来ました。北原さんの御指導は狸小路の居酒屋でススキのラーメン店でも実施されました。市電で山鼻社宅に帰れば私は2階で北原さんは3階でした家族全員がお世話になって5月には長女が生まれました。北原さんは今は町田の学園タウンにお住いです。
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これが株分け前の君子蘭です。根の張りが良いモノを選んで株分けをします。
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株分けする君子蘭を鉢から抜いてあげます。一方で株分け作業に必要な土を用意します。この日は君子蘭の表情を見ながら赤玉土7、腐葉土1、鹿沼土1草木灰1をミックスしておきました。腐葉土と草木灰は自宅で用意したものです。
君子蘭の冬越しの前にしなければならない作業があります。それは「株分け」です。君子蘭の根は大変に力が在って放置して置くと鉢を割ってしまいます。このまま放置すると来春眼が醒めて根が育つと鉢を壊してしまうので晩秋に株分けしてあげなくては鉢の損失にもなるし花も貧疎になってしまいます。
そこで最低温度が5度になる前に株分けをしてあげるのです。
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株分けは根を揺すりながら鋏を入れます。切断面には消毒の積りで草木灰をまぶして分けてしまいます。
作業をするのはワイフです。私はナンダカンダ注文すれば良いのですから楽なモノです。
私が脳梗塞で倒れて以来ワイフは仕方なく庭仕事をしています。でも庭で木通が実ってプラムが獲れると園芸の楽しさが判ってきたようで。腐葉土や草木灰も準備しておいてくれました。私がワイフを見下ろせば随分髪の毛も白く薄くなってきました。随分苦労を掛けて来ました。
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先ず小さい方の株を鉢に植えます。鉢底にネットを置きゴロ石を敷いてその上に薄く混合土を乗せて新株を置いて鉢を回しながら根と鉢の隙間に混合土を入れて上から指で土が根に馴染むように押し込みます。
このブログはワイフの友人も観ていますから髪は写らない様にしました。
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大きい方の株を鉢に植えて株分けは完了です。勿論水をやります。
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鉢分けが完了して一鉢増えました。他の君子蘭が羨ましそうに見ているような気がしました。どの君子蘭も我家が居心地良さそうで根が張って既に息苦しそうなのです。残りは来年株分けしてあげましょう。
ところで今回の作業の主目的は冬越し対策です。君子蘭を一箇所に集めて温室のように囲ってあげなくてはなりません。塩ビの透明波板(屋根用)等で囲って天を透明ビニールで張ってあげれば完了です。
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これで冬越し対策は略完了です。透明ビニールテープで波板を固定して屋根を透明ビニールで囲ってあげます。暑い日は屋根のビニールを開けてあげて。空気の入れ替えと水遣りをしてあげます。

君子蘭の冬越し対策を終えた処で他の植物を観て廻ります。
菫は自分の体を枯らしてセルフで防寒をします。
クリスマスローズも絶好調のようです。寒さに強いので霜が降りたり積雪が無い限り庭に放置して置いて大丈夫でしょう。いちごは室内に取り込んであげましょう。
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鉢に植えられているのはクリスマスローズです。左の方の蔓は木通ですが今年は一つも実りませんでした(昨年は実ったのに受粉に失敗したのです。
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此方は菫です。菫は葉っぱが枯れてセルフで防寒するので庭に放置して置いても大丈夫です

冬越し対策が終えたと思ったら未だ遣っていないものが足元に顔を出しました。
蟷螂のお母さんが未だフラフラしているのです。この秋は餌が少なかったので産卵する体力が無かったのか男運の悪い雌蟷螂なのでしょう。
私の長女の娘はもうじき3か月ですから初宮詣でです。子供を抱いて幸せそうです。勿論私達夫婦にとっても穏やかで良い冬越しが出来そうです。
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未だフラフラしている蟷螂の叔母さんもうじき冬ですから早く子孫を残さないと天命に背きますよ。

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飯豊の冬支度

札幌市が冬季オリンピックに立候補しています。札幌で前回オリンピックが開催された頃私は札幌に赴任していました。子供にも恵まれ良い想い出ばかり出来ました。
そんな札幌時代でしたが、冬が近づくと毎朝冬空で、来客も少なくて陰鬱な気分になるのでした”これから黄金週間まで半年はこんな鉛空の下で過さなくてはなりません。春を迎えた時の嬉しさは、冬に突入したした時の憂鬱の裏返しなのでした。
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これは飯豊の農家民宿「庄太郎」に積まれた薪ストーブで燃やす薪です。奥には雪下し用の梯子も出してありました。
飯豊の民宿で札幌時代を想い出しながら訊いてみました。
”冬を迎える今頃は憂鬱になるんじゃありませんか?”
案の定次の返事が返って来ました。
”慣れたとは云いながら矢張り雪に埋もれた生活は大変ですね・・・・”
ご主人は庭で薪割に励んで、既に壁一杯に薪が積み上げられていますし、庭木には雪囲いがしてあります。
もうじき窓全面に雪囲いを釘打ちするのでしょう。
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飯豊の民家の窓は雪囲いを終えていました。板で囲った高さまで雪が積もるのでしょう。でもサッシの隙間から吹き込んで来る令気は雪囲いでは防げません。この民家には消防用の放水銃が設置されていました。
私達は居間の隣の奥座敷で寝ましたが板戸の隙間から冷たい空気が吹き込んできます。
お蔭で眠りは浅いしトイレにも行かなくてはなりません。
その上私の御凸に何かが止まります。”何か?”と触ってみれば何か堅い感触です。
”若しかして”思って堅いモノを振り払って指先を嗅いでみれば、あの悪臭です。
堅いモノはカメムシで天井裏から私の御凸に暖を取りに来たのでしょう。
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食卓の上に飛んできたカメムシ。食事の時は気に懸らなかったのでしたが布団で寝ているときに御凸に飛んで来たのには閉口しました。カメムシも雪舞いも雪国では避けられません。雪国ならではの季語でしょう。
我慢強いワイフですが流石にカメムシは苦手でしょう。
『今回は一緒でなくて良かった』思ったのでした。
札幌や金沢は雪つりをして庭木を雪の重さから助けます。
それはパウダースノーだからなのでしょう。
デモ越後や出羽では雪囲いです。
雪が湿って重たいし西北の季節風でベト付くからでしょう。
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これは上杉屋敷のお庭の雪囲いです。躑躅等の中低木を積雪から守る役割です。兼六園の雪つりのように華麗ではありませんが質実剛健で如何にも出羽の雰囲気です。どちらも庭木も家族同様に愛情が込められています。
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これも上杉屋敷です。庭木は雪囲いをしましたが建物は南面して居れば雪対策はしなくても大丈夫のようです。
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これも上杉屋敷の雪囲いです。中央の雪囲いは躑躅の木を守っていますが、その左右は石灯籠をガードしています。
雪が付いて氷結溶融を繰り返して、石灯籠を風化させることを防ぐのでしょう。

3年前の3月に西北の季節風が吹いた夜に鶴岡八幡宮の大銀杏が根こそぎ倒れてしまいました。
霙が大樹の枝に付いて凍りつき。その重みに耐えられずに1,300年も生きてきた大銀杏が倒れたのでした。
出羽の雪は季節風とセットで大変な厄介者なのです。
雪囲いは製材所に出てくる端材を縄で結んで作ります。
この日は小春日和で縦羽蝶が出てきて、雪囲いの上で休息していました。来春まで何処かに隠れて若葉が萌え出したらセッセと結婚して卵を産むのです。越冬するに十分な英気を蓄えてあるのか訊いてみました。
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雪囲いの上で羽を休める蝶
一見すると寒牡丹の藁囲いのようでもあり雪ん子のようでもあって、庭木も家族と同じ大事にしていることが良く解ります。
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これは鶴岡八幡宮の冬牡丹の雪囲い此方は藁で雪ん子のように囲っていますが米沢は板で囲います。
我家の庭木は旅行の直前に枝打ちしました。でも君子蘭など鉢物は未だ防寒対策は済んでいません。
気温が最低で5度未満、最高で15度を割るようになったら防寒対策が必要です。自宅に戻ったらワイフに頼んで我家の植物も冬越し対策することにしましょう。
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此方は我が家の君子蘭、越冬対策をしてあげないと来春は楽しませてくれません。

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米沢の近代化遺産

山形県は日本の原型を残すモノと確信しています。と云うのは県南の飯豊山や朝日連峰を水源にして最上川が米沢から北上して、山形、更に寒河江を経て大石田から天童新庄を経て西に折れて酒田で日本海に注ぎます。最上川には美しい街が点在しています。上流から米沢、山形、寒河江、大石田、天童更に新庄で西に折れて酒田と続く街には古代、中世そして近世更に近代にいたるまで史蹟がそれぞれに残されています。特に近代には維新の近代化遺産が公平に各町に分散しているのです。
私は藩主の住んでいた米沢に集中して居れば良いと思うのですが、近代化遺産は山形にも新庄にも酒田にも分散しているので、山形新幹線で各駅停車、各駅宿泊しなければ観て廻れません。原因は山形県令三島通庸の施策にあったのでしょう。「山形の近代化を図る」という構想のもとに近代的な施設を最上川沿いの各町に竣工させました。米沢には、「染織科」「応用化学科」の2科を持った高等工業高校を誘致します。『旧米沢高等工業学校本館』がそれで現山形大学工学部です。下流の山形には、「済生館」と云う名の病院を誘致します。『旧山形師範学校本館』も代表的な近代化遺産です。酒田や鶴岡にも警察署等に素晴らしい近代建築が残されています。県令三島通庸のバランス感覚が最上川の各町に分散させた成果だったのでしょう。三島は山形県令として成功すると福島県令更に栃木県令として辣腕をふるいます。
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これは山形市内にある済生館(現市立病院)写真の本館建物に続いて木造の病室が円形に囲んでいます。写真出典山形県のHPhttp://www.pref.yamagata.jp/ou/shokokanko/110001/him/him_15.html
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これは山形県庁前を描いた高橋由一筆の油絵「山形市街図」

三島通庸が近代化遺産を最上川沿いの核都市に分散させた成果かも知れませんが、山形県は最上沢沿いに文化人が排出させます。私が尊敬する福王寺法林(日本画家)をはじめ斉藤茂吉(大石田)小松均(新庄)、土門拳(酒田)等です。最上川沿いは日本を代表する地酒の産地です。各街に夫々得難い銘酒があります。
そんなわけで私達は『旧米沢高等工業学校本館』/現山形大学工学部に向かいました。
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これが。『旧米沢高等工業学校本館/現山形大学工学部です。丁度紅葉の盛りでした。学生は自転車でキャンパスを回って講義を受けていました。
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ルネサンス様式を基調とした木造2階建で、北を正面とします。 中央屋から左右に胴屋が連なり、その両端に短い翼屋を付けた形になっています。翼屋部分に教室があって中央屋は事務所教授室です。基礎の石積みは大谷石で壁面は板張りペンキ塗りのコロニアル建築で屋根は石葺きです。  正面・幅・全長94メートルに及ぶ大規模なもので爽やかなグリーンの壁に紅葉が映った窓ガラスが美しいコントラストでした。
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玄関から中を覘く、内部の見学は予約が必要です。無料今回は突然の往訪でしたので予約が出来ませんでした。
米沢には米沢絣が在る事から染織科・応用化学科を置いたのでしょう。山形県は毎年のようにノーベル賞で湧いています。一昨年は青色LEDの中村教授で湧きました。今年は大隅良典栄誉教授(酵母)で燃えました。
山形には神秘の伝統と伝統を育んだ美しくも厳しい地勢が在るのです。
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これは大隅良典栄誉教授の授賞を報じるテレビ画面オートファジーの分子機構の解析に際し天童にある出羽桜酒蔵の協力が有効だったのだそうです。
私達は夕餉で熊さんをたらふく味わったのでランチは米沢牛を戴く事にしていました。お店は米沢駅前にある音羽屋です。竜宮城のような建物が眼を曳きます。一見すると箱根の富士屋ホテルを想い出します。でもとってもリーズナブルな宿で一泊2食1万円程度ですし牛鍋定食も1200円です。でも月曜定休を確認し忘れていました。
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これは重文の山形大学工学部建物を模した米沢駅社
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米沢駅前に老舗旅館の音羽屋が立地しています。
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これが米沢駅前の音羽屋です竜宮城のような旧館の隣に近代的な新館もありました。国の登録有形文化財ですhttp://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/184850
文化庁のHPですとこの建物の竣工は明治31年(1898年)ですから。先の山形大学工学部建物(明治43年)よりも一回り古い事になります。山形大学工学部校舎は薩摩藩士だった三島通庸が権力を肩に建てたものでしょうからそれよりも古くから音羽屋を建てた民間人は偉いと思います。同時にその子孫がこの建物を使いながら守ってきた事実も頭が下がります。頑固な処も山形県人の偉い特質でしょう。
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音羽屋旧館の玄関1階は博物館のようになっています。出入りも自由のようでした。
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地域密着と貢献を留める音羽屋さんの展示です。音羽屋の名に懸けて義は頑なに守っているのでしょう。

音羽屋こそ重要文化財に値すると確信しました。1200円の米沢牛牛鍋定食は食べそびれましたので道路向かいの「まるぶん」で牛重定食100円を戴きました。でも熊を食べた私の舌には熊の脂肪分の軽さに較べると肉牛の脂肪はコッテリしていて身体には良く無さそうな気がしました。
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此方は音羽屋の向かいのまるぶんの牛重定食です。



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11月7日は好天に恵まれ早起きした事も在ってランチを執ると米沢市内の史蹟は巡り終えてしまいました。米沢と云えば直江兼続ですから兼続夫妻の眠る林泉寺に上る事にしました。お隣が山形大学工学部(近代建築重文)ですから、好都合です。春日山林泉寺http://yone-rinsenji.com/は曹洞宗の香りが濃い古刹でした。
昨日載せた写真のように駐車場の脇は野菜畑で、屹度私の父のような住職が丹精しているのでしょう。駐車場から本堂に至る途中に拝観受付があって、堂内拝観は300円墓地拝観は100円と案内していました。屹度我が生家と同じで大名寺院だったので一般人のお檀家を受けなかったので経営が苦しかったのでしょう。そこで、墓地拝観を有料にされたのでしょう。
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此方が直江兼続夫妻の眠る米沢林泉寺の本堂です。質素で剛健な雰囲気の本堂です。手前の池は雪の捨て場です。もう冬支度を終えていました。
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 此方は本堂の裏側のお庭米沢3大名園の一つだそうです。噴水は不自然ですが、林泉寺の名の洒落でしょうか?墓地巡りはお庭も廻れるのでお得です。

私の生活圏でも有名人が眠っているので人気の寺があります。鎌倉の東慶寺や三鷹の禅林寺(太宰治)です。墓地拝観を始めるかな?なんて思いながら拝観しました。一般墓地に迷惑をかけない様に墓地内に順路が記され誰のお墓でその人の輪郭を説明して在りました。
私はお墓回りが好きなので友人やワイフからお”墓で誰かをおぶって帰ってくる”云われた事があります。
でもお墓巡りは眠っている人と話が出来るような気がするので好きなのです。
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これは直江兼続夫妻のお墓の灯明台からお墓を観たもの。美しい和蝋燭が並んでいました。防火対策を兼ねて大きな行灯型の石灯篭でした。
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此方が直江兼続公(左)奥方の「お船の方/貞心尼」のお墓です。
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大きな五輪塔は『祖師西来意』と刻まれていました、このお墓は侍大将の墓でその右側の家型の霊廟がその奥様のお墓です。面白いのは奥様や後妻もお妾も仲良く並んでいて同じく家を守っている事なのでした。
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中には馬鹿に大きな家型霊廟もありました。主人の直江兼続夫妻のお墓を凌ぐ大きさも気にしなかったようです。じっと見つめてみると三角(入母屋型)の下に四角い立方体の母屋が在って、その下は土台です。立方体は天地が無いので中を刳り貫いて蔀戸状の窓を造作しています。
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家型霊廟の中には五輪塔が収まっていましたこれは故人の舎利の意味でしょう。そしてこの窓を石を刳り貫いたものと後から木型の枠を嵌めこんだものがありました。

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此方は藩主家の墓地で奥方をはじめ家族が眠っていられます。
直江兼続公夫妻の墓をはじめ藩主上杉家の奥方のお墓も並んでいます。沢山のお墓を観て廻っている中に気になって来た事がありました。奥方のお墓はどれも家の形でその前面が蔀戸のように窓が開いているのです、何処か座敷牢の様にも見えます。奥方は家を守って室内から出てこないのでこんな形のお墓なのか?それとも霊が出てきて悪さをしない様に閉じ込める意味なのかも知れません。
明らかなお墓は歴代住職のお墓で一般に卵塔と呼ばれるお墓です。このお墓は丸坊主の姿を模した類感呪術の形でしょう、奥方の霊廟が何故座敷牢を想わせる家型なのかズット考えました。
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此方は林泉寺の歴代住職の墓地坊主姿を模した卵塔が特徴です。
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お墓を巡り終えれば自然と山門の下に出ます。もう冬支度を終えた林泉寺は静かで落ち着いた佇まいでした
先ず思いつくのは古墳に埋められていた家型埴輪です。家型埴輪が霊廟の始まりでしょう。第一古墳の玄室も沖縄のお墓もどれも家を模した形です。故人の霊が休むには最適なのは生前と同じ形の家だったのでしょう。
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                これは霊廟の祖形と思われる家型埴輪です。
家型霊廟は一般に洞(ほこら)と呼ばれ道祖神も荒神もお稲荷様もこの中に納まっています。私の住む戸塚には「歌舞伎道祖神」と呼ばれる洞が在って中には総体の道祖神が居られます。戸塚は中心蔵の「お軽/勘平」の道行きの舞台でありました。先史時代に始まり近世まで家を家庭を守るのは奥様でした。奥方様を形にしたのが家型霊廟であったのでしょう。
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これは戸塚の歌舞伎道祖神です以前次にアップしました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/48191047.htm...

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私が高校生の頃でした。英語の授業で、学校で就任したてのケネディー大統領の就任演説を暗誦させられました。
『世界は大きく様変わります。今日の我々の国は、あらゆる形の貧困を撲滅する力と、あらゆる形の人間の生命を根絶させる力の両方為す事が出来ます。』と述べ。『もし自由社会が、多数の貧しい人々を救えないならば、少数の裕福な人々を守ることは不可能です。自由を求める人々と国々が貧困の鎖を脱することを支援するための特別な誓約を提示します』と米国の果たすべき役割を述べた後国民に呼びかけます。『ですから、アメリカ国民の皆さん、国があなたに何をするかを問うのではなく、あなたが国に何ができるかを自問してください。』」シリアの内戦もISのテロも元を質せば貧困問題です。世界は格差に満ちています。ケネディーは問題の貧困を解決する浅学として上杉鷹山を紹介しました。英語を苦手にしていた中学生だった私は”上杉鷹山てどんな人だ?」思いました当時は米沢藩を改革した英邁な藩主らしい、と思った程度の認識でした。大學に入り社会科学を学び隣の鈴木牧之の「北越雪譜」を読むなどして、江戸時代後半の飢饉の惨状を知りました。知識が増すにつれて上杉鷹山の偉大さを教えられる想いがします。鷹山の教えが出羽の国の飢饉を未然に防いだのでしょう。
米沢駅を降りると駅前広場の垣根に和風の四ツ目垣が設えてありました。垣根は既に葉を落としていますから何の木か解りません。でも案内板にこの生垣は「ウコギ」の木であって、鷹山公が”飢饉対策として推奨した生垣だ”と記してありました。自宅に帰ってネットで調べれば美味しそうな緑の葉っぱで置賜文化フォーラムのサイトhttp://office.okibun.jp/log/?l=260628では「食べ物」として生垣が紹介されていました。画面を見れば我が生家にも垣根に茶の木が使われていましたから、飢饉にも喫茶にも有益だったのでした。日本中に鷹山公の発想が充満していました。
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 これがウコギの生垣です。写真出典『置賜文化フォーラム/http://office.okibun.jp/log/?l=260628
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米沢駅前の駐輪場と広場の境に植えられたウコギの生垣
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これが米沢駅です。駅舎は米沢にある山形大学工学部の校舎『維新の建物で重文指定を受けている)を模倣したものです。

米沢は上杉景勝の家臣直江兼続が治めた土地です。鷹山の前に直江兼続が居たのです。
鷹山が飢饉対策として山野の植物をカテモノと呼んで、その料理方法を民に広めました。カテモノとは救荒植物の事で屹度「糧物」と書くのでしょう。下級と書けば「ゲテモノ」です。「糧」と「下級」では音は同じでも内容は大違いです。”米沢に来たのだからカテモノを探そう”想いながら辺りを見回せば「カテモノ」は沢山あります。直江兼続の眠る林泉寺の境内は畑に使われていて大根は美味しそうだし、菊の花も朝酢のモノで戴きました。山形の代表である”ダダチャ豆」も田圃の畔を堅固にする為に撒かれたものです。猫の額の土地も大切に使う発想自体がカテモノの発想です。
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直江兼続夫妻や上杉家奥方のが眠る林泉寺の境内は大根と菊が栽培される畑でした。私の父は世に云う「生臭坊主」でしたが実は野菜作りが上手で食いしん坊の典座だったと確信するのです。
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これは山形大学工学部の校舎前庭です。林泉寺は此処の北隣です。樅や紅葉や櫟の樹下に生えた野草は瑞々しくて天麩羅で食べたいようなモノでした。自然の事ですから有機物は総て食べられて体にとっては薬にも毒にもなるのでしょう。毒にならない様にするには特別な料理方法があって上杉鷹山はその知恵を探求させ、広めたのでしょう。
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これは源流の森を歩いた時の道端に霜を被っても未だ柔らかそうな蕗です。
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これは廃校になってしまった飯豊小学校の中庭に祀られた草木塔です。小学生は飢饉に瀕した事は無いでしょうが先人はこの草に命を繋いだことが在って、草木の霊を大事にすることを教え伝えたのでしょう。経済優先の政治経済は貧富の格差を広げるだけです。上杉鷹山に学び時代は昭和40年代から少しも変わっていないようです。
帰りの新幹線の車内でダダチャ豆のランチパックを食べながら車窓の風景を楽しみました。ヤッパリ私は出羽国が好きです。
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帰路の山形新幹線はガラガラダダチャ豆のランチパックで夕飯にしました。
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列車が福島を出るころには夕映えでした。あの山の西が飯豊町です。何時までも半弦減の月が追いかけてくれました。あの月が今晩はスーパームーンだそうで歳月の経つのは早いモノです。
熊さんも戴いたし私にとってはユートピアでした。あの山を源流にして最上川は福王寺法林(画家)齋藤茂吉を産み土門拳を育てました。晩年の小松均氏『水墨画』がこの岸辺に移住されたのも山下清が最初の放浪の旅に出たのもこの大河でした。日本人はこの大河に大きな恩恵を受けて来たのに今の河川対策は恩を仇で返すようなものです。先ず第一歩は山林対策です。山林に手を入れて松茸も生えるシメジやナメコは取り放大、時には熊さんも食べられるそんなお山に返して欲しいモノです。

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