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脳梗塞闘病記(家族や友人へ想い)

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薄墨桜を観て、樽見鉄道に沿って走りました。「谷汲駅」の近くを通ります。西国観音霊場の満願の寺が「谷汲山華厳寺」ですから、道路標識にも「華厳寺」の案内が目立ちます。友人と一緒に行ったことのある西国観音霊場を指折り数えました。「イッソ!満願の華厳寺にこの際詣でよう!」丁度灌仏会/4月8日)も直なので良いだろう」という事で、急旅でもないし華厳寺に向かう事にしました。
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此れは華厳寺の参道です。訊けば4月1日が満開で4月5日にはもう大半が散っていました。
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此れは参道にあった御茶屋の庭先の桜です。樹下には簀子が置かれ赤い毛氈が敷かれていました。
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これは華厳寺の山門です。山門が巨大なら、仁王さんも大きく履物の草履も巨大でした。
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此れは仁王様の草履です。横に吊るされているのはお遍路さんが使い古した草履です。満願の寺ならではの光景です。
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此れは山門の天井や梁に貼られた「行者札」です。行者札の多さも満願の寺だからでしょう。
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此方は山門の阿形の仁王様です。
桜が早く咲いたという事は躑躅も石楠花も早く咲くという事です。参道を登ってゆくと左手石段の下に石楠花が咲いていました。石楠花の花陰にはお狐様もおられます。見れば豊川稲荷のお狐様です。(経典を咥えている)伏見稲荷ではありません。案内板には『豊川分霊吨枳尼真天』である、記されています。
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これは豊川分霊吨枳尼真天石段の上に鎮座したお狐様です。
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此方はお狐様の下に咲く石楠花です。
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此れは4月8日灌仏会の為に用意された花祭りの飾りです。右の石段は子供が上って甘茶をお掛けする為のモノでしょう。
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此方は甘露を満たした桶の中に立っていられる誕生仏です。
私の高血糖の体は甘茶を求めています。甘茶はアルカリ飲料で独特の苦味がアルカリの証です。甘茶を作って飲んで育ったのに肉や炭酸飲料を好んで飲食したので私は高血糖になっていたのです。でも、華厳寺の長い参道を登って流石に疲れて甘いモノが欲しくなっていました。豊川分霊吨枳尼真天の境内には美しい姉妹が庭に簀子を出して甘茶の御接待をしていました。一杯百円の貼り紙は流石にシッカリしています。紙コップ一杯の甘茶が身体に染入りました。
甘茶で生き返って長い参道を下ってゆきました。
華厳寺は流石に西国三十三観音霊場巡り満願の寺、土産物屋に混じって遍路グッズの店が多くあります。一番に気付くのが表装の店です。33のお札を集めた記念に軸に表装するサービスを商っています。「幾ら懸るのかな?」思えば材料込みで5千円が標準のようです。
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華厳寺参道に面した仏具店の「井上」お札を軸に表装するサービスが得意です。
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朱印帳を渡せばこのような軸に表装してくれます。屹度ネットでも扱ってくれるでしょう。

私は仏式で結婚しました。結婚指輪に相当するのが数珠でした、お数珠は仲人をして戴いた実相院の佐々木住職が用意してくださいました。私のお数珠は水晶でしたがワイフのお数珠は紫水晶でした。ワイフは大切に使って来ています。私は、頻度も多いこと等も在って、何時しか失くしてしまいました。そんなことも想い出して、華厳寺参道の「井上」というお店で黒檀のお数珠を求めました、千円でした。同じようなお数珠を4月15日建長寺で確認すると5千円でした。建長寺と華厳寺の暖簾の違いにしては格差が在り過ぎです。”良いお数珠が求められた”そう想うだけでも良い旅行でした。
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これが1千円で求めた黒檀の数珠です。今度は大切にして失くさないようにします。



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母の名前は「白蓮院」

3月21日は「彼岸の中日」です。「彼岸の中日」とは彼岸の真ん中の意味でしょうから、仏教徒にとって意味深い日ですが、流石に仏教の催事日を「国民の祝日」にはし難いので「春分の日/自然をたたえ、生物をいつくしむ日。」として休日にしました。
彼岸の中日ですから彼岸で咲いているとされる花が尊ばれます。彼岸に咲いている花は蓮です。仏像の台座になっている蓮です。
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京都向徳寺本堂の須弥壇左右に想像上の蓮の木が飾られています、檀上は阿弥陀浄土ですから蓮の花咲く木は木蓮をイメージします。
インドでは一年中蓮は咲いていても日本では夏にしか咲きません。春に咲く蓮と云えば「木蓮」です。日本の園芸家は一生懸命に彼岸の中日に咲く木蓮を作ろうとしたのでしょう。結果昭和30年代に木蓮に辛夷を掛け合わせて白木蓮を開発したのでした。
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これは大船に在る貞宗寺の木蓮の花です。先年この大きな木蓮を隠す位置に檀信徒会館が建立されたので今では勢いが無くなりました。以前次にアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893299.html?m=lc&sv=%C4%E7%BD%A1%BB%FB&sk=0
辛夷は別名「田起し花」と呼ばれます。信濃国では辛夷が咲いたら田起しして、桜が咲いたら田植えをします。「田起し」も田「植え」も先祖が開墾してくれた田圃の農作業す。先祖に感謝しながら田圃に下りて農作業に精を出します。折から彼岸ですから墓参りをして先祖に感謝します。木蓮の「花の姿」と辛夷の特徴(早春に開花する・純白である)を併せ持った新種の花を「白木蓮」と名付けました。
私は大学生の時春休みになると奈良に行きました。奈良で初めて白木蓮を観ました。場所は奈良町の元興寺でした。行基瓦を背景に白木蓮が咲いていました。感動して、入江泰吉氏の写真集を視ていると白蓮の花が秋篠寺にも咲く事を知りました。
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此れは秋篠寺の白木蓮です。40年前は私の背丈ほどの苗木でしたが壮年の樹木になりました。有名な伎芸天は建物のこちら側(西)の連子窓の向こうにおいでです。
昭和40年代半ば奈良の寺院では新種の白い木蓮がブームで、競って境内に植えられていたのでしょう。入江泰吉氏のレンズも白木蓮のブームに一役果たした様に思います。
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これは我家の西側に育った白木蓮です。亡くなった義母はこの花が好きでした。
私の義母は混じり気の無い少女のような性格の人でしたが、昭和61年、60代で亡くなりました。戒名は父が付けてくれました。『白蓮院妙純日正信女』立派な名前を付けてくれました。私は父が私と同じように義母を視ていた事に気付いて嬉しかったモノでした。義母も「お父様に立派過ぎるお名前を戴いて!」眼を細めて居ることを確信しています。そんな訳で白木蓮が咲くと仏壇や義母の魂の依り代に奉げます。
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我家の食卓にも白木蓮を飾りました。背後の茶箪笥は義母が愛用していたモノです。そして茶箪笥の上のミッキーマウスは義母と子供達と東京ディズニーランドで遊んだ時義母が子供達に買ってくれたものです。食卓に 注がるる眼差し 白木蓮
我庭には南と西に2本白木蓮が植わっています。見る見る生育して、既に私の手には負えないほどの大木になってしまいました。去年は職人さんに頼んで強く伐採した上に夏には私が植えた「隼人瓜」に絡まれて難儀な事でした。今年の花付を懸念したのですが、白木蓮は女盛りですから逆境をものかわ今年も立派に咲いてくれました。
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此方は我家の南側の白木蓮です昨年は切り詰めた事と根元に植えた隼人瓜に絡まれて難儀したのですが今年も逞しく美しく咲いてくれました。
白木蓮は綺麗で好きなのですが、少しでも風が吹くと傷んで黒くなってしまいますし、散るのが早いのです。「林芙美子の「花の命は短くて・・・・」通りの儚い花です。せめて彼岸の間は咲き続けて欲しいモノです。
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これは遊行寺の放生池の畔に咲く白木蓮です。3月1817日観に行きました。


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「継子いじめ」の変節

昨今は父親に依る「継子いじめ」がとまりません。日本の社会・文化史を紐解くと「継子いじめ」は大きなテーマになっています。どれもこれも、父親が新たに妻を迎え、後妻が先妻の子供を苛めるのです。総じて後妻は血筋も教養も美貌も先妻より劣ります。子供は先妻の優れて、尊い資質を遺伝しています。そして新しい親の虐めにも負けずに成長して。「メデタシ・メデタシ」のエンディングを迎えるのです。先ずは代表的な継子いじめ物語を紹介します。

姥皮(御伽草子)は 継母に憎まれ虐待された先妻の産んだ姫君は、岩倉の観音に参籠して蝦蟇蛙から姥皮を賜りこれを着て「火焚き姥」になります。この姥皮を着ると容姿は醜くなりますが、難題を解決する知恵を授かれるのでした。姥皮を脱ぐと美しい容姿が現われます。ある時「恋煩い」で重傷な姫君を姥皮を着たお蔭で救済します。姥皮を脱いだ素顔を若旦那に見そめられ、結婚して幸せに暮らします。
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これは越水利江子著の姥皮姫です。
落窪物語 主人公は中納言源忠頼の娘(落窪の姫)です。母と死別した姫は継母のもとで暮らすことになったが、継母からは冷遇を受けて落窪の間(独房)に住まわされ不幸な境遇にあり、味方は女房の「あこき」と末弟の「三郎君」だけでした。そこに現われた貴公子、右近の少将「道頼」が現われ、姫君に懸想します。道頼は姫のもとに通うようになります。しかしそれを知った継母に納戸に幽閉されてしまい、さらには貧しい典薬の助の元へ嫁がされそうになるが、そこを道頼に救出され、二人は結ばれます。道頼は姫君をいじめた継母に復讐を果たし、中納言一家は道頼の庇護を得て幸福な生活を送るようになりました。しかしなった継母は、姫を寝殿造りの落窪に住まわせます。更に姫君をこき使います。姫は道頼少将(後に太政大臣)と結婚するが、これを知った継母は、典薬の助に姫を犯すようそそのかします。しかし、危ういところで道頼少将は姫を救出して自邸に迎い入れます。
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落窪物語は平安中期の小説で、竹取物語は伝記小説伊勢物語は和歌物語であるのに対し、継子虐めといった社会問題を素材にドラマチックな展開は源氏物語に先行し、影響を与えた人気小説です。

『住吉物語』 四位少将が、中納言の姫に恋文を送ります。しかし継母が四位少将を欺き、姫では無くて自分の娘と結婚させてしまいます。その後も継母は、年寄りに姫を与えようと企みます。晩秋の夜姫は屋敷を出て住吉に身を隠します。夢に依って、4位少将は住吉に行き姫と再会し結婚します。4位少将は関白に栄達します。

『鉢かずき姫』(御伽草子)「鉢かずき姫」が13歳の時母が病死してしまいます。母は病床で長谷観音の夢告を視て姫に鉢を被せてしまいます。
以降、姫は継母に気味悪がれ、苛められ続きます。鉢かずき姫は亡母の墓前で「早く私は母の下に行きたい」と泣きます。継母は、「姫が墓に参って自分や殿を呪っている」と讒言します。父(殿)備中守実方は讒言を鵜呑みして姫を屋敷から追放します。追放された姫は世をはかなんで入水をしたが、鉢のおかげで溺れることなく浮き上がり、「山陰中将」という公家に助けられて、「風呂焚き」として働くことになります。中将の四男の「宰相殿御曹司」に求婚されるが、宰相の母はみすぼらしい下女との結婚に反対し、宰相の兄たちの嫁との「嫁くらべ」を行って断念させようとしました。。
ところが嫁くらべが翌日に迫った夜、鉢かづき姫の頭の鉢が外れ、姫の美しい顔が露わになりました。加えて歌を詠むのも優れ、学識も豊かで非の打ち所がありません。嫁くらべのあと、鉢かづき姫は宰相と結婚して3人の子どもに恵まれ、長谷観音に感謝しながら幸せな生活を送りました。「鉢かずき姫」は「初瀬姫」の訛りとも云われる。長谷寺功徳譚です。

石堂丸と刈萱上人】(善光寺説教節) 平安末期、九州の筑前荘博多所に、加藤左衛門尉重氏という領主がいました。 ある春の花見のおり、自分の盃に桜の花が舞い落ちるのを見て世の中の無常を感じ、出家をして仏門に入る決心をしました。 家族には何も言わず、九州よりはるか遠い高野山にて修行に励み、周囲から刈萱上人と呼ばれるようになりました。
 一方、残された家族には石堂丸と名付けられた赤子がおりました。 石堂丸は父を知らずに育ちますが、14歳になった頃父を探して遥々高野山に登ります。そこで「刈萱道心」というお坊さんに遇います。石堂丸は父親と直感して刈萱道心のお弟子さんにして貰います。しかし刈萱道心は自分が父である事は隠してしまいます。
石堂丸を心配した母の「千里」は高野山下の「玉屋」という旅籠まで来て、そこで亡くなります。石堂丸は立派な御坊様になり善光寺に入ります。 
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これは和歌山県橋本にある刈萱堂に祀られている石堂丸の母「千里ノ前」像以前次にブログアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%B4%A2%B3%FE%C6%B2&sk=0
【弱法師】(四天王寺説教節)
俊徳丸(しゅんとくまる)は、「俊徳丸伝説」(高安長者伝説)で語られる伝承上の人物。河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える、というのが伝説の筋で、この題材をもとに謡曲の『弱法師』、説教節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)などが生まれた。
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此れは下村寒山作の「弱法師」です。寒山は三溪園の臥龍梅を視て原三渓の屋敷で描いたと云われます。国の重文

以上は総て「継子虐め」の物語でした。総て素材は平安時代ですが、良く読まれたのは中世でした。
平安時代は母系社会でした。女性は両親の家に匿われて生活します。男性は女性の家に訪問して結婚します。所謂「妻問い婚」ですから、産まれた子供は「父は誰か?」はあまり問題にされません。
男が妻に厭きて若い女性を妻にすれば継子は大量に発生します。継子は後妻に虐められる運命にあって、大きな社会問題になっていたのでしょう。そして良く読まれた中世は父系社会です。尊い先妻の子を苛める後妻は成り上がり者で醜いし,知性もありません。
古代の母系社会から中世の父系社会への変換時に「継子虐め」が多発し、中世的仏教倫理感から「継子虐め」を否定する「小説」「物語」「草紙」「説教節」が隆盛したのでしょう。「子供は可愛い」「子供は神からの授かり者」と云った心情は普遍的真理ですから「継子虐め」は何時でもどんな家庭でも許されるものではありません。
【捨て子問題】
近世飢饉が頻発するなかで「捨て子」が増えたのも致し方ない側面がありました。童謡「7つの子」にあるように、食べ物の無い家では7つの子を山に捨てたのは、7歳までは子供は神様からの預かりモノで食べ物が無いので、「山の神」にお返ししたモノでしょう。大江山酒吞童子も、足柄山の金太郎も捨て子を山姥が育てたモノでしょう。
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西条八十作詞の「七つの子」は山に捨て子された子供の記憶でした。捨て子は山の神に子供をお返しする感覚ですから、苛めたりまして殺してしまうのに較べれば遥かに人道に即しています。

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AUの販促でも金太郎(濱田岳)は活躍しています。
処が昨今は前段に書いたように若い父親が入って後妻ならぬ「後夫」になって、先夫との間に出来た子を折檻して殺してしまいます。母は観て見ぬ振りをしているようです。「何処かが狂ってしまった」としか言いようがありません。
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最近は家族に児童虐待を防止を働きかけるより地域で児童を見守る方向に代わって来たようです。
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幼児虐待による死亡数は昭和20年代より多発していたようですが、昨今は警察が把握するようになったので、マスコミを含めて厳しく監視して刑事告発される事件も増えたようです。上表によれば10万人の人口都市で0.4人も虐待死しているのですから12人/300万(横浜市人口」になります。
『2010年代少子化が進行したばかりか折角産まれた子供を親がDVで殺してしまう様になった』歴史書に記されるでしょう。「親性の喪失」はどのように解釈されるのか、心配でなりません。


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深夜ラジオ「夜の宅急便」が終わるのは早朝の4時です。4時から3時間「毎朝ラジオ」に変わります。「毎朝ラジオ」は「今日の花」に始まり「今日は何の日」と続き「健康教室」に移ります。「健康教室」は2週間前までは「便秘をしないために」でしたが先週は「認知症予防」を権威ある専門医が平易に説明しています。
従来認知症予防は、「食習慣」と「運動習慣」と云われてきました。「食習慣」と運動習慣」では糖尿病の予防と全く同じで、私は疑問を持っていました。身体に良い施策と脳に良い洋施策が同じ筈無いと思っているのです。
精神科医の権威は説得力ある解説をしていました。
結論から先に言うと「出来るだけ多くのグループに面識を持っている人は脳に随時刺激があるので、認知症にならないというのです。逆に孤独な人、一つのグループにしか属していない人は認知症リスクが高いというのです。
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肥満度が健康な肉体の維持糖尿病等の未病対策として重視され、「食習慣と運動習慣の見直し」の指標とされてきました。データ厚労省。
「 脳の状態を健康に保つためには食習慣や運動習慣よりも「脳を刺激する事では無いだろうか?」ズット思っていたので、『血糖値やサラサラ血液の為には、食習慣や運動習慣に留意し』、認知機能を重点的に使う為には文章や絵を描く事』にしてきました。「毎朝ラジオで精神科医師は『対人接触と認知症との相関』を解説していました。
複数のグループに属している人の認知症罹病率は孤独で居る人に較べて圧倒的に少ないのだそうです。
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スマートフォン利用者には認知症罹病者が少ないと云われますが。私の仲間を観察していると、納得です。上手にスマートフォンを使いこなしている人に「惚け」の心配は無さそうです。私も早く「スマホデビュー」しラインを始めたいと思います。
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認知症は性別に依らず年齢と共に増えて行きます。私が学生の頃「恍惚の人」がベストセラーになり「今は認知症予防が社会問題になっています。
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アルツハイマー型認知症は一般に脳内に蓄積した蛋白質老廃物が原因と云われて来ました。蛋白質が蓄積しない様にするには食生活と運動習慣を見直す事が推奨されてきました。

私の好きな旅は親友と一緒に歴史や文化や民俗を探して歩き回る『知的行動習慣』ですから、血糖値も下げるし血液もサラサラにするし、脳も刺激されます。
フィールドワークほど心身の健康を促す行為は無いと確信します。
私が毎日ブログをアップしているのも第一に文筆スキルを磨く事、第二に認知症予防です。
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昨秋親友4人で「塩の道石仏」ツアーをした時の写真、路傍の花は「女郎花」ですが。この花に「浅葱マダラ」があつまるのです。石仏探訪は浅葱マダラを待つ気持ちに似ています。
認知症を発症した人と健康な人を比較すると「認知症予防の役立つ生活習慣」が明らかになって来ます。認知症予防には最低でも3つのグループに属している事が効果的なのだそうです。ラジオを聞きながら私は自らを置き換えて考えます。
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此れも昨秋塩の道「石仏探索」の写真です。台風一過西行法師が渡った「梓川の渡し」は石仏は待っててくれましたが諏訪神社の境内の神木は倒壊していました。
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此れは足柄峠の白塗り地蔵尊石仏巡りのフィールドワークは心身を鍛えてくれます。
私が長銀を辞めて独立した時には4つも5つもグループに属していました。
第一には大学時代からの友人、このグループは日本文化への興味や愛着と云った共通項がありました。
第二は私の中学高校(栄光学園」の友人です。此方は懐かしさとカトリックのペーソスと云った共通項があります。
第三は地域でした。私は戸塚区上倉田町の連合町内会会長に押されて、会長職を20年も勤続しました。結果林市長の催した感謝会にお呼ばれしました。その時は脳梗塞を発症していたので辞退を申し入れると介護者としてワイフも市長公舎に付き添えました。町内会の会長を辞めた現在は地域の小学校の、見守り(運営理事)をしているだけです。大学中学、高校のグループには今も属しています。
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私は地域の小学校の理事を仰せつかっていますので、卒業式に入学式、運動会に文化祭、学校運営委員会、様々な刺激を受けています。
唯一残念なのは私が心血注いだ職場の長銀が破綻して、長銀ОB会に属しているものの。破綻時の私の行動を理由に多くの職場友人との距離を感じて自ら遠いている事です。また兄弟や親戚からも法事くらいしか顔出ししていません。私は長銀破綻が決定した時、本を上梓しました。「長銀が破綻してその時行政が長銀を生贄にした」。そんな私の主張の妥当性は別にして、親戚や職場の同僚との溝を作ってしまったのは事実です。


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夏蜜柑「コロ・コロ」

我家の前の道は私の生家「盛徳寺」の参道です。先日の春一番が吹いた日には盛徳寺の庭で稔った夏蜜柑が坂道を転げ落ちて県道にまで転がって行っていました。県道で自動車に轢かれて無残な姿を晒していました。3月6日の朝も参道には三つも4つも夏蜜柑が転がっていました。
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盛徳寺の境内庭に稔った夏蜜柑コロコロ転がって200m、県道で轢かれて無残な姿を晒しています。坂道の中段に在る我家では気付けば拾って湯豆腐に絞ってカボス代わりに使っています。
この夏蜜柑」は私の祖母が夏蜜柑を食べて庭に捨てていたモノが芽吹いたものです。夏蜜柑は息子が任地から送ったモノでした。祖母には5人も男の子を育てて、全員大学まで卒業させました。4人は住職になりましたが一人三男だけは早稲田の金属工学を卒業させ日本鉱業に勤めさせました。その三男が福岡の飯坂に勤務した時に、夏蜜柑を送ったモノでした。祖母は喜んで食べ尽くして、その種を庭先に捨てていました。祖母の部屋の前庭には「柿」や「枇杷」に「夏蜜柑」が芽吹いて育ちました。何れも各地方に散った息子たちが送ってきた果物の種でした。祖母は柿(福島)枇杷(長崎)夏蜜柑(飯坂)の苗の面倒を見ながら、私に言いました。
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現在の「盛徳寺」の全景中央の13重石塔の左に在るのが飯坂生まれの夏蜜柑の樹。野菜畑だったのですが境内に車が乗り入れられるように道を整備したので畑は狭くなってしまいました。
『柿に琵琶に夏蜜柑の苗が育っている。何れお前が家を建てたならこの苗を自宅の庭に植えておくれ。果物を食べた時は私を想い出しておくれ!』
今では盛徳寺の庭は大半が駐車場に変って、夏蜜柑は庭の端に追い遣られてしまいました。一方、枇杷や柿は伐採されてしまいました。夏蜜柑の背後には祖母が篤く信じた観音像が戸塚の街を見渡しています。
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観音像は祖母の貯金を叩いて京都の太秦で鋳造したモノ筆者が大阪勤務時代に何度も立ち会って立派に出来ました。
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夏蜜柑の樹の下には13重の石塔が建っています。石塔の基壇には祖母(竹内ノブ)の半生を刻んであります。世田谷実相院の次女で産まれて、竹内周三の盛徳寺晋山に際して入山したモノの周三は早逝し、女手で育児した事、観音を篤く信仰したこと等が記されています。
毎年夏蜜柑はたわわに稔っています。処が誰も食べてくれません。南国で育った夏蜜柑は南国では甘くても、横浜で育った苗から稔った夏蜜柑は酸っぱいのです。誰も食べてくれない夏蜜柑は仕方なく足元に実を落します。大半の夏蜜柑は其処で土に戻りますが、大風が吹いたりすると、落下して其処からコロコロと坂道を転がって県道まで転がって行ってしまうのです。夏蜜柑を口を窄めて食べるのも祖母孝行ですし、ワイフは酸っぱいので好物です。「グレープフルーツの様にして半分に切って蜂蜜を掛けて食べたら良い」と提言するのですが、ワイフは「この酸っぱさが良いのよ!」言って、祖母を喜ばせています。夏蜜柑が「コロ・コロ」転がって我家の前に来て言っている様な気がしました。
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収穫して来た夏蜜柑実は食べて皮はお風呂に浮かべて使う予定です。
「今年も婆ちゃんの夏蜜柑が食べ頃になりましたよ。婆ちゃんは孫夫婦に食べさせたい!。と言っていたのだから直ぐに収穫に来て下さいよ!」
私はコロコロ転がってきた夏蜜柑に急かされて収穫に行きました。収穫した夏蜜柑をお盆一杯に拡げて思います。
私の体は酸を欲しています。夏蜜柑の酸っぱさは「クエン酸」です。、クエン酸には動脈に蓄積される乳酸をも分解する作用がありますので、動脈硬化予防にも効果があるのです。ズット前から我家の前にコロコロ遣って来ていた夏蜜柑でした。早くから気付いてクエン酸を摂取していたら、5年前脳梗塞を発症する事も無かっただろうに・・・・・!
でも、今からでも遅くはありません、婆ちゃんの気遣いに感謝して動脈硬化予防に努める事にしましょう。立春を過ぎた今頃が旬です。5月になれば酸味は薄れますがパサパサです。私には殊の外優しかったのに憎まれ口を叩いていた末孫です。クエン酸のようなお婆ちゃんでした。
酸っぱさに口を窄めながらも1個の夏蜜柑を食べ尽くしました。背中のパッションフルーツの葉が揺れました。どうも婆ちゃんが悦んで観て居たような気がします。
お皿に一杯の皮と種が残りました。
「婆ちゃんの真似をしてこの種を庭先にまいてみようか!」
思いました。
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これが1個の夏蜜柑を食べた後の屑、種が実に多いのです。





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