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脳梗塞闘病記(家族や友人へ想い)

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西目屋村の町興し

今回のツアーも叔父さん3人組です。「日本文化への造詣や愛着は共通していますが。それだけでは長続きしません。建前は「日本文化」であっても本音は、私は美食で後の二人は「温泉好き」と「霊木」です。従ってプランナーの私は温泉と古木霊木を探して出かけます。効率的に3人の興味を満たす為には宿を何処にするかによって評価も満足感も大違いです。調べた挙句に「白神温泉」の「白神館」に電話で予約を入れました。すると電話口で言います。
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これは青森県が作成した白神山地のポスターです。ユネスコの自然遺産に認定された白神山地には青森県弘前から入るルートと秋田県能代から入るルートがあります。能代から入ると青池等の人気スポットがありますが、弘前から入れば西目屋村が探索の拠点になります。青森県も秋田にお客を取られない様に努力しています。
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これはJR東日本の作成した白神山地のポスターです。瀧は総じて西目屋村を拠点にした方が行き易いようです。青森県にすれば、JRが白神山地の何をPRするかが重要なようです。もうひとつは温泉やビジターセンター等の施設の充実です。
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此れは私達が宿泊した「白神館」です。正面が日帰り温泉施設でホテル棟は右にあります。おしゃれな洋風な建物は黒石市の「盛美園」を模したようです。この施設は西目屋村が建てて民間に運営を委託削いているそうです。
「本当に来てくれるのですか?白神山地は10月一杯で通行禁止区間が増えていますから当館から青池にも行けませんよ!」言われます。私は「キノコは未だ食べられるか?ジビエは無いか?」自分の欲求を当てますが既に季節が遅いとの事でした。
それでも行きます。予約を入れれば8000円/1泊2食)との事でした。
11月14日夜6時に白神館に到着すると、案の定朴訥でも、真面目そうな男性が受け付けてくれました。直ぐに温泉で冷えた体を温め7時から宴会場で夕食です。
訊けば白神館の建物は西目屋村が建てて運営は民間だそうです。
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此れが白神館の夕食です。黄色い小鉢は茸の和え物でした。これが「天然のブナシメジ」なのか天然の平茸なのか仲居さんとの間で、揉めました。何しろ私達は工場栽培の茸の味しか知らないので、ナメコと言われても平茸と云われても信じるだけなのですから・・・・・。
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此れは白神温泉の「日帰り施設」のポスターです。この温泉が最高でした。今評判の炭酸水素温泉である事に加えて湯船が青森ヒバなのです。42度の湯船の他に源泉垂れ流し湯が45度でサウナもあるのです。42度でユックリ温まり締めは45度で強く温まって食道に向かいました。コクのある地ビールが美味しかったのですが、すぐに”バタン・キュー”で寝てしまい翌朝目を覚ますと噓の様な快晴でした。
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白神館の南側にある切妻棟の建物が西目屋村役場です。バス(村内周回と弘前行)は白神館から出ます。
西目屋村が作った「白神館」の南側が村役場です。でもバスの発着所は白神館です。村民は村役場に行くよりも温泉施設や買い物に白神館に来ることが多いのでしょう。西目屋村にはもう一つ看板施設があります。「白神山地ビジターセンターです。白神館の北側、岩木山の側にあります。私達はクヌギ林の奥にある山小屋風の建物のビジターセンターに向かいました。
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此れが白神館の北側にある「白神山地ビジターセンター」です。白神山地に生育する動植物や地質等を知るには最適な施設です。残念なことに「マタギ」や「信仰」や民家や民具等民俗学や歴史に係る展示はありませんでした。フロントまでの木道の周囲に植えられている木はクヌギでブナではありませんでした。
白神山地の豊かな生態系はブナの恵みと云えるものです。ですから、展示はブナが中心になっていました。通路から下を見ればブナの根っこが見えます。レースのように張り巡らされた根が大地に張って幹を支え、水を貯え多様な動物を支えている事実をビジュアルに説明してくれます。
ブナの森の表情が春夏秋冬見せてくれます。
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通路は透明樹脂で出来ています。足許を見ればブナの根が地中に張っていることが解ります。根は垂直には伸びず横にはっています。
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地表にはブナの落ち葉が積もっています。幹は醗酵した落ち葉の栄養によってドンドン伸びて行きます。
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頭上は葉が生い茂って太陽の恵みを地下に蓄えます。緑はパネルでは無くて造花ならぬ造木です。
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ブナの幹の切り口は年輪が見事です。年輪は方角だけでなく昔の天候を記憶しています。
私は受付のお嬢さんと会話を楽しみます。衣装を誉めると季節で上着を着替えるのだそうです。今はベースになる緑で夏のブナをイメージしているのだそうです、屹度1月前まではブナの黄葉を映していたのでしょう。バンダナやスカーフのような小物でお茶を濁すのではなくて気合が入っています。
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白神山地ビジターセンターの受付嬢さん、親切で感じの良いお嬢さんでした。施設は青森県で運営は民間委託で職員は村民だそうです。
訊けば施設は青森県のモノで運営は民間に委託しているのだそうです。箱モノは公有で運営は民間委託が多いようです。西目屋村住人にとっては有難い運営委託でしょう。お嬢さんは可愛い軽自動車で通勤出来るのです。
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職場に対する愛情が彼方此方に確認できました。
ブナの生態系が展示の中心である事は納得ですが、ブナの材木を使った木工品や伝統民具・玩具の展示があれば良いと思いました。そうしたモノは向かいの西目屋村物産館(BEECHにしめや)に展示即売してあるという事でしょう。



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銀杏の横綱と大関

鰺ヶ沢の「海の駅ワンド」を後にして、私達は次の目的地「北金ヶ崎」の大銀杏に向かいました。行った日は11月14日でした。この辺りの紅葉は既に終わっています。紅葉狩りなら1箇月もズレているのですが、私は天然記念物で日本一の大銀杏の一番に神々し久輝く時に観たいと思い、この日を選んで旅立ちしたのでした。車窓の右手は日本海で空も海も濃い灰色です。本来ならこの道の海側に烏賊が干されて居る筈です。でも、今年は烏賊が不漁で烏賊のカーテンは観られないようです。烏賊焼きの屋台も閉じた儘のように見えます。
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私が観たかったのはのはこの烏賊のカーテンでした。一夜干しの烏賊を肴に今晩は地ビールを飲もうと思っていたのでしたが。烏賊が超不漁で干し場は空しく木枯しに揺れていました。

友人が呟きます。”此処は鰺ヶ沢、何故「烏賊が沢」と云わなかったのだろうか?”
鯵が適当なのか烏賊が適当なのか良く解りません。でも「ワンド」と呼ばれる地勢は、岩木川が流れ込む入り江で魚貝が生育する事は間違いないのでしょう。岩木川は「岩木山」と「白神山」の山峡を源流にして津軽平野を潤して鰺ヶ沢で日本海に注ぎます。源流地点に祀られているのが「岩谷観音」なのです。岩谷観音や岩木山神社は奈良で云えば室生寺や「室生龍穴神社」のような存在です。
11月中旬になれば、東京でも代々木の絵画館前の銀杏も黄葉します。北国青森の銀杏なら既に黄葉していて良さそうなモノでしょうが、お目当ての北金ヶ崎の大銀杏は海に面しているので黄葉が遅いのでしょう。観光地図によれば今夜の宿にしている「白神館」は大銀杏の手前を東に折れて西目屋村にあります。この空模様では雪が降り出すかもしれません、それに未だ午後3時だというのに暗くなって来ました。少し焦り気味です。
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此れが深浦町に入って最初に目に飛び込んできた大銀杏です。天然記念物の北金ヶ崎の「垂乳根大銀杏」はこれに違いないと思って勇んで鑑賞したのでしたが・・・。銀杏の左上方に見えるのが「関の甕杉」と呼ばれている大杉でこれも天然記念物樹齢千年だそうです。この小山自体が鎌倉時代の名門安東氏の古墳で「甕棺」が出土したから「甕杉」の名が付いているのでしょう。
漸く街道の先、山が海に没する辺りに行灯の様に黄色い樹木が見えてきました。
「あれが日本一の大銀杏に違いない」私達は勇んで明るい行灯を目指しました。既に数人のカメラマンが大銀杏を写そうと構えています。私達は偶々左回りに大銀杏を観て廻りました。この樹は屹度雌なのでしょう、銀杏の実は成っていません幹の根元には祠が祀られていました。神様は誰だろう?思って見詰めれば水神様のようです。田圃と云えば山と海の間に紐の様に連なっているだけです。
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後で気付いたのですがこの銀杏は「曽根の銀杏」と案内されていました。
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銀杏の北側には観音様が立っていました。観音像は豊穣を祈るモノでした。
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この看板を観て目指した天然記念物の日本一の大銀杏はこの先だと気付きました。
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これは曽根の大銀杏から見上げた位置にある「関の甕杉」と呼ばれるの大杉です。これも樹齢千年の天然記念物です。雨が降って来たし、石段も高いので見上げた儘で先を急ぎました。
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此れは関の甕杉大杉の根元です。周囲には南北朝時代の板碑があって小山全体が鎌倉時代に栄えた安東氏一族の墓所と思われます。因みに赤い鳥居は春日神社です。
実はこの大銀杏は日本一では無くてもう一本1キロほど南に日本一の横綱の大銀杏が在ったのです。
北前船も漁船もこの大銀杏を灯台の様にして航海していたのでしょう。
駐車場の横には屋台が用意されていて。お焼きを商っています。「ジャッパ汁」なら直ぐに入るモノをお焼きお三時に食べたら夕食が食べられなくなってしまいます脇には舟が置かれていて案山子のようなお人形が踊っています。屹度烏賊小屋を閉鎖して施設も人も此処の大銀杏の駐車場に移転したのでしょう。
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此れは曽根の大銀杏の駐車場の脇に出ていた屋台です。写してみて屋台の主商品が「海鮮お焼き」で在った事に気付きました。食べれば良かった後悔しました。
一回りしてから案内板を見つけて驚きました「日本一の大銀杏はこの先1.5K南にあります」
という事は私達が感嘆した大銀杏は日本第弐位大関格と云う事なのでしょう。
勇んで横綱に向かいました。
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此れが天然記念物で日本一と云われる「北金ヶ崎の垂乳根大銀杏です。黄葉は曽根の大銀杏よりもおp暮れているようでした。二基の石灯籠に龍が彫られているので銀杏の根元に祀られていた仏神は水神でしょう。手前に五能線が走っているので車窓から観られる筈です。
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銀杏の垂乳根が大地に届いてしまった大銀杏です。
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大銀杏の根元には三基の祠がありましたがそのうちの一基は地蔵尊が祀られていました。



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今年の5月驚きのニュースが報道されました。英国のササビーズで亀ヶ岡の遮光器土偶が1億8千万円で英国人によって落札されたのでした。縄文土偶が外国人の審美眼に高く評価された事実は嬉しくもあり、反省も迫られました。イメージ 1


此れはササビーズで1.8億円で落札された遮光器土偶。上半身しかないものの、日本人の予測を遥かに超える高い評価でした。画像出典(夕日新聞http://news.mikimedia.net/entry/2015/05/15/170138)
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此れは亀ヶ岡遺跡から出土した重文の遮光器土偶です。フラッシュをたかなければ写真撮影可と案内されていました。左脚が欠損しているのは再生を願う呪術と云われています。
何れ青森の縄文遺跡群はユネスコの世界文化遺産に認定される事でしょう。今回の白神山地ツアーの主目的は「白神とはどんな神か?」「白神と”おしらさま”は同じルーツか?」そんなことを極める事でした。
その為には先ず亀ヶ岡遺跡の土偶や葬制を観ておく必要があると思いました。そこで、五所川原から津軽市の「民俗博物館」に向かいました。博物館は津軽市市役所の敷地内にありました。
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これは津軽市市役所の敷地内にある博物館「ガルコ」です。
日本の石器時代縄文時代、弥生時代の研究は近年大幅に進歩しました。
と云うのは私の学生時代は石器や土器はどの地層から出土したかを根拠に年代推測されていたのでしたが、近年は放射性年代測定法や「ウラン・鉛時計法」の測定など科学的根拠に基づく研究が進んだのです。ウランや鉛は時間をかけて半減する事から出土物の年代を測定するには有効なのです。化石や人骨の年代測定には「カリウム・アルゴン時計」が有効と聞きます。化石や骨に含まれるカリウムやアルゴンを測って年代を逆算するのだそうです。
それら進歩した科学的根拠を理由に、日本人のルーツや先史時代を考察するのです。今読んでいるSF小説「イブの迷宮」はイブの化石を見つけて民族の進化を計画する話で、人類の尊厳を守ろうとする西側諸国と、イブの化石とオランウータンの飼育の研究成果を掛け合わせて中華民族の人種的進歩を計ろうとする中華人民解放軍の戦いを描いています。インディアナ・ジョーンズシリーズを凌駕する面白さでした。
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此れは「イブの迷宮」と題されたSF小説です。化石や遺伝子科学の進歩がこうしたSF小説を可能にしました
近年の科学の進歩が考古学も面白いモノにし、SF小説にも新ジャンルを提供したようです。午前中から博物館を訪れる客は珍しい様で、私達を待って照明が点きました。アッチコッチに看板の遮光器土偶の複製品が展示されています。
丁度この日は特別展「縄文の人骨」が開催されていました。縄文の人骨は犬歯が発達していて、弥生の人骨は臼歯が大きいと云うのです。理屈では容易に想像されても実物を見るのは違います。
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右の3つの頭蓋骨は縄文人のモノ左の二つは弥生人のモノ食生活の変化が骨の違いを生じさせました。
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縄文人の骨の特長を解説したパネル。解説を読んで実物を確認して、納得しました。

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偶々特別展で「縄文人の人骨」を展示していました。
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これは縄文人の墓から発掘された「屈葬」の再生展示です北九州の吉野ケ里遺跡でも屈葬は確認できますが多くが甕棺に納まっています。甕棺人骨では蓋がしてあったり石を抱かせていたりして、九州と陸奥以上に違いがあるようです。
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ズラリと並べられた縄文土器左の方は囲炉裏で鍋として活用された土器ですが。右の大きいのは甕棺で幼児の死体を納棺したモノです。
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縄文時代でも土器は変遷します。展示は実に簡明に為されていました。
主食べ物の違いは究極は骨に現われますが、宗教観や住居にも現われます。上段の写真は縄文土器ですが、私達は学校で「土器は穀物や貝を煮る容器として、また穀物を保存する容器として使われた」と教わりました。でも大きな土器は甕棺で、「子供の骨を納めた」「大人の骨は洗骨して納めた」と案内されていました。吉野ヶ里遺跡の甕棺は上下二つの甕を繋いで、甕の中に遺体を葬った、と説明してあったと記憶しています。弥生人は遺体が腐る事を厭わずにいたのに縄文人は例え腐っても骨は大事に拾い集めて甕に収納して墓地に埋めたというのです。
そう説明されると、妊婦のお腹は甕のように丸く膨らんでいます。縄文人が子供が幼くして亡くなった時に甕に納めたのは「再生への祈り」だったのでしょう。

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舞の海は偉い

五所川原市鶴田町で「鶴の舞橋」を観て私達は津軽市の「民俗博物館」に向かいました。博物館は津軽市の市役所の敷地内にありました。同博物館には遮光器埴輪を展示してありました。私達はこのツアーの最後に「三内丸山遺跡」を見学する予定ですから、最初と最後が縄文遺跡の見学になりました。
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青森県津軽地方は昔から相撲が盛んで、鰺ヶ沢は舞の海の故郷であります。北前船の寄港地でも在った事から「海の駅」に海産物市場と相撲博物館が併設されています。
博物館を出ると冷たい雨が降り出していました。今日中に白神山地の宿に着かなければなりません。雨が雪に変わりはしないか?不安が胸を過ります。
氷雨も降るは腹も減るは心細い限りです。
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海岸沿いの道は「干し烏賊」のカーテンが観られて焼き烏賊が食べられると聞いていたのですが、烏賊カーテンも焼き烏賊も見えませんでした。
昼は鰺ヶ沢でとる予定です。鰺ヶ沢は何か美味いモノがありそうな響きです。ガイドブックには街道は別名「烏賊カーテン」街道とか、一夜干しの烏賊に「ジャッパ汁」にお握りなんてグッドな取り合わせです。ガイドブックには「鰺ヶ沢海の駅ワンド」は美味いモノもあるし鰺ヶ沢の英雄「舞の海」を顕彰したような「相撲博物館」もあるそうです。
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海の駅ワンドは鰺ヶ沢漁港の目の前に立地していました。イカ釣り船が寂しく岸壁に接岸していました。此処には昔からアイドル犬の「ワサオ」が居たそうで、その姿がパネルになっていました、
氷雨が降る中私達は「海の駅ワンド」に入りました。目の前には「烏賊吊舟」も停泊しています。魚市場にはタラや巨大な水蛸が並んでいます、でも肝心の烏賊は無いし、スルメさえありません。烏賊はサンマ同様に不漁を極めているようです。でも。烏賊をどうしても食べたい私でしたので、市場内の食堂で隣の叔父さんが美味そうに食べていた「味噌ラーメン」に烏賊を注文しました。ラーメン屋の女将さんは気の良い人で、駐車場に面した屋台まで行って「烏賊焼き」を求めて細く切ってマヨネーズを添えて出してくれました。
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「ワンド」とは河川用語で「湾処」と書いて河川と入江の交錯する処の意味だそうです。同時に津軽の方言では「好き」と愛着を込めて言うのだそうです。ワンドは実質魚市場で揚げられたばかりの魚を小売してくれる「魚市場」でした。鮭と「鱈」位は解っても見慣れない魚が目立ちました。期待のスルメ烏賊も干物もありませんでした。
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烏賊で売っているのは「烏賊煎餅だけでした。この店はラーメンが人気なようで地元の人が美味しそうに食べていました。
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此れは駐車場に屋台を出していたお兄さんの「烏賊焼き」です。女将さんが食べやすい様に細切にした上にマヨネーズを添えてくれました。

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此れが人気の味噌ラーメンです。青森の人気は「ホタテラーメン」と「シジミラーメンと聞いてこの日の朝青森駅前の市場でホタテラーメン(塩味)を食べていた私には味噌が塩辛いので苦手でした。
爺さん3人組が入歯を鳴らしながら烏賊焼きを食べる様子を想像して食べ易くしてくれたのでした。食事を終えたらワンドの二階にある「相撲博物館」の見学です。靴を脱いで「舞の海」を染め抜いた幟の立ててあり階段を上ると二階から大きな笑い声が響いて来ました。二階には広間があって巨大なテレビが据えられて、テレビの前の桟敷席に10人ほどのお婆さんが陣取って「舞の海20番勝負」を観ているのです。クルクル舞の海と呼ばれた。小兵力士でしたから、窮地からくるっと回転して体を入れ替えて逆転勝利するのです。おお婆ちゃんにすれば舞の海の逆転快勝を観るのは何より嬉しいのでしょう。屹度此処に集まって大相撲九州場所の観戦するより、解りきった舞の海の相撲を観る方が優先するのでしょう。
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相撲博物館の展示。懐かしい「紙相撲」とトロフィーが展示されていました。お爺ちゃんお婆さんが紙相撲に興じているのでしょう
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舞の海の化粧まわしに行李も展示されていました。勿論化粧回しの図案は鰺ヶ沢で岩木山の脇から陽が上っています。
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右の相撲77手のパネルの裏が大型テレビが据えられていて舞の海20番勝負が放映されています。
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地域のお婆ちゃんが集まって大声をあげて舞の海を応援して、クルッと廻って勝利すると拍手して大笑いします。これは健康に良さそうです。
夜のNHKニュースを見ると青森県出身力士の勝敗を流していましたし、コンビニに入れば「ラーメン」にも「レトルトカレー」にも舞の海の笑顔がプリントしてありました。お婆ちゃん達は舞の海の笑顔がプリントして在るインスタント食品で腹を満たし、舞の海の20番勝負を観て今日も元気に一日が過ぎて行くのでしょう。
そう想うと舞の海は偉い、力士冥利に尽きぬ良い男だと羨ましく思うのでした。
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階段には舞の海の幟がたっていました。
折から一年納めの九州場所種々話題やトラブルも在るようです.
暴力を働いた日馬富士が悪いのは当然として、貴ノ富士親方が相撲協会に提出した報告書の正確性や、警察への事件報告等に火の粉は移りそうです。
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青森駅前のローソンの棚に並んだ「舞の海」商品。




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「おしら様」が世間で知られる事になったのは宮崎駿監督による「千と千尋の神隠し」で大根の赤い浴衣を着た不可思議な大根人形が登場して「おしら様」と云って崇められていたのでした。イメージ 1
「千と千尋の神隠しに登場したおしら様は歓喜天のような大根で豊穣神を思わせました。写真出典ジブリの図鑑https://matome.naver.jp/odai/2142112394840075901/2145213842474748603
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「千と千尋の神隠し」に登場した「顔無し」は欲望の強い亡者現代人の象徴で、先祖の亡者を思わせました。

私が讀んだ宮本常一氏(現代最人気の民俗学者)の解説依ると、「おしら様」は桑の木の枝を切り取って先端を顔にして幹を体にしたゴルフのドライバー状の杖に着物を着せたモノだそうです。着物は毎年着せ替えした、古い着物の上に重ね着いるので百枚を越す厚着のおしらさまも在るそうです。
驚異するのは着物が京友禅や加賀友禅の様な高級絹織物である事そして首に巻かれた飾りが子安貝である事だそうです。子安貝は琉球で採れたもので、北前船で津軽に運ばれたモノでしょう。百枚も重ね着した絹織物を調べると民族の信仰の厚さに驚くと共に、尊く思われると結んでおられました。
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こちらがおしらさま信仰の中核にある「久渡寺」に祀られている「おしらさま」二体並んでいても夫婦ではありません、一般家庭のそれは「左が馬の顔」で右が「織姫の顔」です。
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これも久渡寺のおしらさまです。江戸時代から熱い信仰を集めていたおしらさまに囲まれると背筋が寒くなります。

今回の私の興味は「おしら様」と白神山地との関係でしたから、私は「白神西目屋村にある「ビジターセンターの職員に質問してみました。結果職員の指摘は次の様なモノでした。
1「おしら様」と「白神山地」とは無関係です。千と千尋の神隠しでおしら様を登場させてくれたのは地
  元としては嬉しいのですが、宮崎監督は「豊穣神」として扱っていいて津軽では「祖霊」「先祖神」と
  信じているし、エロぽい大根姿は面白くない」。
職員の説明を補強すると次の通りでしょう。
宝暦3年(1753年)に作成された『津軽領内山沢図』(1739年〜1745年の調査成果)に「白神嵩」「白神沢」と記載されていることから、この山岳を「白神岳」と呼んでいたのは18世紀には一般化していたのでしょう。
一方『加賀の「白山』の信仰が各地に伝播します。白山を津軽に見立てて津軽の白山、「白神」に発展していったのではないかという思うのが自然です。従って白神山も白山と同じく『五穀豊穣』を祈願、する山岳信仰の中核になったのでしょう。岩木山『山岳信仰)の信仰が谷向かいの白神山に広がり津軽のオシラサマ信仰が、「オシラサマ」の響きが何となく「白神」に通ずるということで、両者は山岳信仰で共通する語源であると思われます。少なくとも津軽の人達は「オシラサマ」と「白神山地」は共通する語源なのでしょう。
宮本常一氏は民俗学者の情熱を「おしらさま」に注がれます。
毎年高級な絹織物を着せ替えるのは大変な負担ですし、貴重な子安貝で数珠を作るのも大変です。それは信念も霊験があるように」祈願したのでしょう。、安曇野の道祖神を1月15日に毎年が塗り替えられるのと同じです。
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此方は白神西目屋村の岩谷観音です。関東のお稲荷様の狐の位置に「馬」が祀られています。津軽の林檎畑の中にいくつも観ました。岩谷観音はこの参道を梯子段を伝って50mも下った岩木川の谷川の際の洞窟に祀られています。
そして「おしら様」の芯棒に桑の木が用いられるのは岩谷観音を拝観して理解できました。
岩木山は津軽の豊穣の神様であり山岳信仰です。岩谷観音の前には必ず鳥居の横に馬が置かれています。林檎畑の横にお稲荷様かと思う鳥居があって鳥居の根元に馬の像がオシラサマ信仰は、馬とお姫様の悲恋の物語であり、その忘れ形見が蚕(かいこ・飼う蚕)とされ養蚕すなわち生糸・絹糸の豊産にささげた祈りとされています。
岩谷観音の馬の横には次の様な案内が出ていました。
藩政時代に、河辺村の唐牛三左衛門が南部で木戸の上に座し2本の角がある神馬を買い求めました。ある日、三左衛門はめまいを起こし落馬し、気がつくと鞍はお倉と呼ばれる岩壁に、馬は川沿いの洞窟に倒れていました。三左衛門はいたく悲しみ、早速岩谷内にお堂を建てて馬の霊を弔ったのが由来として伝えられています
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此れは岩谷観音の参道入口に在った岩谷観音と馬に係る由緒です。




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