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脳梗塞闘病記(家族や友人へ想い)

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大根の純粋種

天皇陛下の「退位」のご発言を「生前退位」問題と捉えてこの3月には専門家会議の諮問が出ると伺っています。その一方で「天皇陛下に微熱が出て、祭祀をお取り止めされた」報道され心配していましたが昨日のニュースでは葉山の開眼を散歩されて住人とご歓談されておいででした。
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1月30日葉山海岸を散歩される両陛下お元気そうで結構でした。若しかしたら葉山のワカメをお口にされたでしょうか?
頬に紅がさしておいででお元気とお見受けして安堵しました。マスコミは天皇が退位されるとどうなるのか?気にし初めて「今上天皇は皇居を退かれて皇太子ご夫婦が皇居に入られ東宮御所には秋篠宮が入られる」とまでしか説明しません。「それでは今上天皇は何処に移られるのか?」と云うと一部報道では「赤坂御所」と示唆します。
考える順番は引退された天皇を如何に御するか?と云う事で。歴史的には「上皇」が当て嵌まるのでしょうが、それは天皇に国政の権限が集中していた時代の話で、国民主権の現代では象徴天皇の引退後なので新しい役職用語が必要になる事でしょう。象徴天皇の引退後なのですから「象皇」とか、国文学者が適切な用語を造ることでしょうから、それに権限や職務を充当すれば良いわけで。お住いはその役割に従って決まって来ることでしょう。国事行為の代行等をされるならなら東京でしょうし、文化の象徴としての祭事が期待されるのであれば、京都にお戻りになるのが様々な意味で相応しいと思うのですが・・・・・・。
明治憲法下では天皇は現人神ですから、種「血液」が天照大神に直結して居なければなりません。でも人間天皇なのですから、私達庶民と同じで純潔種である必然はありません。

私は去年の秋に豌豆豆の種を撒きました。花屋で購入した種はタイ国産でした。屹度、青首大根も小松菜も今は東南アジア産の種なのでしょう。
私の父は野菜作りが上手でした。大根も葱も人参も自作していました。私達家族は父が栽培した畑で大根を引っこ抜き白菜を収穫して夕飯の膳に出して貰いました。今晩はどの葱ですき焼きにしようか、禰宜畑で)表情を見比べながら、美味しそうな奴を選択して気を集中して引き抜きました。一株残しておいて種を収穫しました。
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これは今市場を独占している青首大根です。種苗してから1か月足らずで収穫できる促成栽培と苦味辛味が無く手頃なサイズなので大半の農家も日曜農家も青首を育てています。日本の伝統種の大根はこの青首に負けてしまいました。種はタイからの輸入が大半です。
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これは鎌倉関屋の農家直売所で売られている平家大根です。福井の蕎麦に添えられる大根に似て強い辛味が特徴です。大根餅には最適です。鎌倉の農家は様々な伝統野菜や舶来野菜を栽培して私達の食卓を楽しませてくれます。
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これは京野菜の一つ丸大根です。京野菜の大根は駆け出しの舞妓さんの様に白くて丸くて瑞々しいのですが。若冲さんの描いた大根や近くの守口大根「奈良漬に使われる細くて長い大根、歯当たりは良いのですが引き抜くのが大変です)と随分違います。
大根は豆腐が水に依るように土によって味も形も違います。勿論食べ方も違います。日本を象徴する野菜だと思います。

大学生になると友人が集まりました。遊んだ後は皆で鍋を囲みました。白菜や大根が無くなると畑に出て適当に収穫して、適当に刻んで鍋に投げ込みました。それが不思議な程美味しかったのです。白菜も葱も種は畑で採取していました。最後まで畑に残った野菜が花を咲かせて種を造るとそれを封筒に締まって置いて翌年畑に播いたのでした。
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天皇の純血を尊ぶのは種籾を大事にした事に通じると思います。穀神の乗り物であるお神輿には鳳凰が種籾を咥えていて。豊作を予祝しています。天皇の祭事は先祖を祀るかお米の豊作祈願です。
種を大事にする習慣は多分稲作に始まって一番優秀な種籾を保存しておいて春になると苗代に播いたのでしょう。その種を大事にする習慣が天照大神以来の純粋種を重んじる伝統に通じている、と思うのです。

そう考えると地場野菜の大根が気になります。私の生活する横浜で大根と云えば今は「青首大根」や「20日大根」と呼ばれる一般種です。小振りで水っぽい大根です。煮物にするなら三浦大根です。太くて煮崩れしないので風呂吹きやおでんに向いています。都下では亀有大根や練馬大根が有名ですが。今では滅多に見ません。皆青首大根に凌駕されてしまったのです。
京都の大根と云えば聖護院(しょうごいん)大根、淀丸大根、丸大根(まるだいこん」等を想い出します。
どれも丸くて大根と云うより蕪のようです。
昨年大評判だった若冲さんの大根は京都の丸い大根ではなくて三浦大根の様に太くて長いのです。江戸時代には大根の主流は丸大根では無くて今と同じ女学生の生足のような大根になったのでしょうか?
不思議です。
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これは伊藤若冲の野菜涅槃図の大根です。生家が八百屋であった若冲は大根を釈迦に模して野菜涅槃図を描きました。でも京野菜では無くて今日一般的な沢庵に漬けられる青首系の大根です。
平家大根と云う種があります。鎌倉の関屋の農家直売所に出ていました。訊けば長崎に残っていた800年前からの伝統種だそうです。祇王や寂光院さんが食べた大根かと思えば苦味も辛味も尊いモノです。ですから天皇家の純水種を大事にするように伝統野菜の種を大事にしたいものです。決してバイオや遺伝子組み換え野菜等に眼を向けない様にしたいものです。日本の各地各地に伝統大根、地場大根が在る事は嬉しい事です。大根や牛蒡には土の臭いや味がします。地場の鍋には地場野菜が似合います。
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これは鎌倉宝戒寺の提灯です。大根は歓喜天さんのシンボルです。歓喜天像は子孫繁栄豊穣の神様です。大根の根っこがそのイメージを強くする類感呪術でしょう。


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慌て者のミミズ君

1月30日は横浜で20度を超す温かさでした。庭の白梅も散り始めました。表の通路を歩けばミミズが出ています。多分我が家の落ち葉が雨水枡に落ちて腐ってしまい。そこで育ったミミズが春が来た思って、アスファルトに出て来たのでしょう。大寒を過ぎれば2月3日が節分で2月5日が立春です。2月4日は72候では「東風解凍/はるかぜ氷をとく)」と案内されています。屹度排水溝の中は温かいのでミミズ君の格好の越冬場で、30日の暖かさに誘われて出て来たのでしょう。でも油断は大敵、暖かい日は長続きしないばかりか天敵のカラスが直ぐ近くに居るのだから。「慌てないでユックリ排水溝で休んでから出て来なさいよ。」啓蟄には未だ2週間も早いし、まだ「雨水」にもなっていないのだから、思いながら瀕死のミミズを見下ろしました観れば。ミミズの先にはトイレットペーパーが転がっているではありませんか?訊けば「昨日古新聞を出しておいたので、回収屋さんが置いて行ったモノが昨夜の風で坂を下り落ちたものでしょう。
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これは我が家の前の道路で動かなくなったミミズ君です、温かくて排水溝の中から出て来たのでしょう、でも直ぐに寒さが戻るし餓えたカラスがいるから早く排水溝に戻った方が良いですよ。
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道路の、向かい側には古新聞の回収御礼に置いていったトイレットペーパーが転がっていました。
処で、昔祖母に云われました。「ミミズにオシッコをかけると、おチンチンが腫れてしまうよ」
ミミズは変温動物ですから体温は地温と同じなのでしょう。其処に37度もある少年のオシッコヲ浴びたらミミズ君は大火傷を負ってしまいます。悪戯盛りの私は、畑でミミズを見つけると試にオシッコをかけてみました。”嫌だよ”ミミズは体を捻って苦しみましたが、祖母の云うようにおチンチンは腫れませんでした。
ですからあれは迷信というか何かの呪術の遺産かも知れません。
そこで布団で横になってユックリ考えてみました。
第一に思いつくのはおチンチンは両手を添えて真っ直ぐにオシッコをします。
オシッコをミミズに浴びせるには先をミミズに向けなければなりません。
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これは浜松町駅の小便小僧です。何故浜松町駅に小便小僧が置かれているのか訳は知りませんが、ブラッセルの小便小僧は両手をおチンチンに添えているのに日本は左手だけです。何故か?屹度日本では右手は清潔にして不浄なモノは左手を使うからそんな違いが出たのでしょう。(これは私が咄嗟に考え付いたもので信憑市内でください。
慎重にオシッコヲしないと、ズボンを濡らしてしまいます。加えて手は汚れているので(少年の手は汚れているのが通常です)雑菌がおチンチンに汚染されてしまう危険があります。祖母は「おしっこをする時は真面目にオシッコをしなさいと教えたかったのでしょう。
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これは川崎民家園園にある東北民家の外便所此処で用を足さなくてはならないのですから集中してオシッコをしなくてはなりません。おしっこでミミズを苛めるのはタブーです。
道元禅師の「只管打坐/}はひたすら座禅に励みなさいと云うだけでなく、食事の時は食事に集中し、おしっこの時はおしっこに集中しなさい。そんな教えなのかもしれません。
ミミズ君は昨年落ち葉を腐葉土に変えます、土壌を造る役を担っている生物です。動物も植物も同化と還元を繰り返します。還元する時汚くしておけば腐敗しますが。綺麗にすれば醗酵します。腐敗させず醗酵させる分かれ目に居る動物がミミズ君です。地球環境の為には欠かせない存在です。
そんな生物を粗雑にするなと云った教訓が祖母の戒めだったのでしょう。
「ミミズにオシッコを掛けるとおチンチンが膨れる」。
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これは落ち葉を掻き集めて庭の隅に置いて作った腐葉土です。時々ワイフが糠を播きます。こうして出来た腐葉土は醗酵しますから温かです。中にはミミズや甲虫の幼虫が育っています。ミミズの棲む畑は野菜が育つ所以です。我家では毎年腐葉土は自家製造して。草花の性質によって鹿沼土や草木灰や川砂等で補正します。唯一欠点は雑草の種が混じっている事です。
試に漢方薬でミミズを調べてみました。すると爪の病気(はひょう疽)の他に「地竜(ジリュウ)」とも呼ばれ利尿剤になるのだそうです。おチンチンが腫れるかどうかは別にしてオシッコには縁が深い動物のようです。
更に次の様な説明がありました。ミミズには目が無いし呼吸器も皮膚だけなので。長く水に浸かっていると呼吸不足になるので地表に出て来るのだそうです。ミミズがアスファルトの上に出て来るのは自殺行為ですが。それは呼吸する目的で致し方なさそうです。。でももうじきミミズ君の好きな季節が来ますからあと2週間落ち葉の布団に包ってヌクヌクして居なさいよ。


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入江泰吉の心の傷

上野公園口から営団地下鉄に乗り換えるのは大変です。JR改札口ではアナウンスを繰り返して坂を下って西郷さん口まで回るように案内しています。外国人観光客や私の様な歩行不自由者の為には連絡通路が欲しいモノです。入場券を買って上野駅東口に出て、昭和通り地下にある日比谷線改札口に回ります処が営団地下鉄は階段ばかりで私は大変です。総じて階段の上りはどうにか歩けるのですが下りは歩くのが困難と云うか怖いのです。
腹が減って眩暈を覚えるモノの入江泰吉さんの写真見たさに必死に日比谷線ホームに辿り着きました。
六本木駅には入江泰吉写真展(富士フィルムギャラリー)の電飾板が案内しています。例年「新年会」をミッドタウン界隈で開催してきましたか今回は夫婦で来たのでしたが”仲間に案内すれば良かった”後悔してももう遅きに失しました。
私が大学に入学したころ入江泰吉さんは未だお元気でした。私の1年後輩の学生さんにYさんと云うお嬢さんがいました。善財童子のように顔が丸くて目がクルッとした可愛いお嬢さんで名門奈良高校の卒業生でした。昭和47年夏には私達は奈良で合宿して、その後Yさんの紹介で仏像パートの仲間が揃って入江さんのお宅を訪問したのでした。
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これは案内チラシの写真です。背後の白木蓮から元興寺で撮影されている入江泰吉氏と思われます。
私はそんな企画が在った事も知らなかったし、誘われもしなかったので行けませんでした。後で切歯扼腕したのでした。
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今回の展示会で使われている法隆寺の夕焼け。このアングルは入江氏のお好みだったようで沢山撮影しておいでです。昔は尾花の向こうに五重塔が見えたのでしたが、何時しか尾花(ススキ)がブタクサに駆逐されてしまいました。入江氏は新聞紙上で嘆いておいででした。
当時私達の愛読書は和辻哲郎氏の「古寺巡礼」と亀井勝一郎氏の「大和古寺風物詩」でした。和辻氏の著はギリシャローマの彫刻を観るような審美眼で仏像を観るモノでした。一方亀井さんの眼は心に大きな痛手を負い仏像に救いを求める著でした。戦争を総括するには未だ不十分な時代でしたから、”国破れて山河有り”、”何故無謀な戦争をして焦土にしてしまったのか?”総じて云えば日本国民は悔悟の念が強く、美しい大和の風光と優しい仏像に癒されたいと思っていたのでした。時代感覚は和辻氏よりも亀井派が多かったのでした。
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此方は入江氏が写された秋篠寺の伎芸天像です。(出典四季大和路/集英社)を複写、氏は仏像写真の開眼をこの写真だったと述回しておいででした。と云うのは氏がカメラをセットしてファインダーを覗いていて御坊様が竿の先にライトを縛り付けて移動させたのだそうです。ファインダー内の伎芸天の表情が刻々変化するので見惚れてしまったのでした。以来、沢山のライトを用意することはせずに、少ない光源で仏像を見詰めていて、最高の瞬間に一度だけシャッターを押すのだそうです。
写真界にも矢張り二人の巨匠がいました。一人が土門拳氏で同氏は筑豊や広島を写した社会派の眼を持っておらr手ました。ところが同氏が脳梗塞を発症して以来、ジャンルを変えて室生寺に向かい、「古寺巡礼」を上梓したり日本の歴史や文化に沈潜して行きます。でも土門さんのカメラアイは陰影が濃くロダンの彫刻を観るようでした。高田後胤さんはストイックな土門拳さんを”仏像と果し合いをするようだ”評されました。一方入江泰吉さんのカメラアイは対極でした。祈るような眼差しで仏像の前に立って何時間もシャッターを押さず、心に響いた瞬間にシャッターを押されたそうです。矢張り高田後胤さんはそんな入江さんの姿勢を”入江スタイル”と評し愛されたようでした。ルネッサンス彫刻を美術館で観るような目で仏像に対峙されたのが土門拳氏なら、戦争で傷ついた心を癒やして貰おうと仏像を仰ぎ見たのが入江泰吉さんでした。同じ室生寺の11面観音を写しても土門さんの写真は見ていると疲れてしまいますが、入江さんの写真は癒されます。
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これは土門拳さんの古寺巡礼の装丁に使われた薬師寺の聖観音像、土門拳写真集は私の学生時代(1960年代)出版されたのでしたが高価だったので購入できないでいた処、近時親友のお父様の遺品を恵贈して戴きました。改めて古武士のような土門さんの撮影スタイルを敬服しています。土門さんは沢山のライトを使って速射砲のようにシャッターを押すんだそうで、この写真集を推薦された高田後胤師(当時の薬師寺管主)は書いておいででした。
土門さんの対極の様な優しさや哀惜に満ちていました。
終戦を経て昭和21年入江太吉さんは当時東大寺法華堂にの四天王像が疎開先から帰還するのを目撃します。その時の東大寺の堂守は「戦勝国のアメリカが賠償として日本の古美術を持ち帰るそうだ」と噂していました。入江さんはそれでなくても心に戦争の痛手を負っておいででしたから。愕然として仏像を写真に残すことを決意します。仏像を祈る気持ちで観る姿勢は風景を観ても祈りが先行したのでしょう。
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これは入江氏が再三写された二上山に沈む夕陽です、手前の水面は崇神天皇陵です。入江氏は二上山を仰ぐときあの山頂に眠る大津皇子の魂に慰撫してその瞬間を待つのだそうです。出典四季大和路
二上山の夕景を撮られても美しいだけでは駄目で大津皇子の魂を慰撫する心が写真に写っていなければ満足されないと話されていました。そんなスタイルは屹度秋篠寺の伎芸天を写された時に体験されたのでしょう。入江さんがカメラを構えておられてお寺の方がライトを竿の先に取り付けて写されたのだそうです。
ライトが動くと伎芸天の表情が刻一刻変化したのだそうです。伎芸天の表情の変化に魅了された入江さんは複数のライトで陰影を強くするのではなく、優しい光で闇に浮かぶ仏像を待って写されたそうです。
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これも四季大和路に載せられた興福寺五重塔この写真は堂宇の位置から県庁か奈良女子大の屋上から写されたものと思います。五重塔の彼方高円山の麓が入江氏の旧居のあった場所で現在は「入江泰吉写真館になっていますこの辺りは入江氏と交友があった志賀直哉氏の旧宅もあって奈良に住む文化人村の趣があった処です。勿論風光明媚な場所です。この写真でも解るように入江さんは雨上がりや「霞んだ」景色がお好みでした。
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これは桜の吉野山です。観光写真では快晴満開の山桜が好まれますが入江氏は雲が湧いて霞に煙る桜を好んで写されました。

吉野山の桜も山の辺古道も得意な被写体だったようですが。どの写真も快晴では無くて雲や霞に翳っているのです。兼好法師は”「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と達観されましたが入江さんは”花は天気に観るものかは、雨に濡れ雲に霞みた時に観るこそ良し”云われたモノと確信します。霞に曇った山桜こそ美しいと主張されておいでです。
そんなわけでフジフィルムギャラリーに入って入江泰吉さんの写真を観ました。写真は全紙が最大で小さいモノばかりでした。新薬師寺に近い「入江泰吉写真館」の方が遥かに充実していました。それに入江さんの愛用のカメラが展示されているのでもなく期待外れでした。
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此方がミッドタウン内にある富士フィルムスクエアーにある展示会場
入江氏の写真が私達を魅了するのは氏が戦争体験の心の傷を背負っておいでだからだったのでしょう。優しい人は心に傷を負っていてその救いを仏像に大自然に求め続けて生き抜いた人だったと確信する次第です。

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お食い初め

娘夫婦から8日(日)に「孫のお食い初め」をするから由比ヶ浜の「わかみや」に11時に来るように案内されました。私はお食い初めに立ち会うのは初めてです。娘は古風だな感心するとともに喜んで出かけました。婿殿のご両親はどんな服装で来られるか気になりましたが。季節ガラ)防寒第一の服装で、夫婦ともモコモコの格好でJR江ノ電を乗り継いで由比ヶ浜に着きました。
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「子供の民俗学」には「子供は7歳までは神様からの預かりモノ」と信じられた時代からの美しい習俗が丁寧に説明されています。著者の体験から鎌倉の習俗が良く採集されています。
先ずお食い初めの説明をします。「子供の民俗学」(大藤由紀著)によると次の様に説明しています。
新生児の生後100日目(または110日目、前後に行 われる儀式。 「真魚(まな)始め」または「食べ初め」、初めて箸を使うので「箸揃え」「箸 初め」とも呼ばれるほか、地方によっては「百日(ももか)の祝い」「歯がため」とも呼ばれる。ソロソロ乳歯が生える時期なので熱が出る事もある。百日咳(関)はこの頃の新生児が咳き込む固有の病気で母親の免疫が切れてしまう事から発症するモノ。母体の免疫力から新生児固有の免疫力に入れ替わる微妙な時期にあたる「ハレ」の儀式です。百日咳だけでなく新生児から幼児に代わる関所を通過するような儀式だそうです。私の孫も期待通りに首も座って来て何やら話しかけ始めました。個性も出てきたようです。娘も孫の口の中を覘いて白いモノが見えてきた嬉しそうです。直に兎の様な歯が二本観られるのでしょう。
料亭の「お食い初め」には神主さんや巫女さんが来るわけではありません。家族だけが集まって家族だけで執り行います。年長のお婆ちゃんがお食い初めの式進行を司ります。ワイフが頑張らなければならのです。ワイフは事前に仲良しさんに訊いておいたようで、頼もしい様子でした。仲居さんが全員が揃った事乾杯も終えたことを確認すると。「お食い初め膳」を運んできました。立派な尾頭付き(鯛)とハマグリのお吸い物赤飯に煮しめが運ばれてきました歯固め石は二つ、娘夫婦が箱根の九頭龍流神社で貰ってきました。真っ黒な那智黒のような石です。
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これが孫の「お食い初め」の膳です。生意気に「一汁三菜」が並びました。お吸い物の手前が歯固め石です。
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ワイフの膝の上でお食い初めをする孫。順番は赤飯が中心で魚を食べたら一度赤飯に戻って次の煮しめやお吸い物に移ります懐石と同じマナーです。「逆さ箸」や「迷い箸」や「重ね箸/同じ食べ物を続けて食べる事」や涙箸(箸から食べ物や汁を落としたり垂らすこと)等はタブーです。
初箸で食べ物を取って先ず歯固め石にチョンチョンと接して孫の口に運んで食べる真似をします。赤飯、汁物、赤飯、魚、赤飯の順番で、3回食べさせる真似をしました。孫は赤飯を食べてしまいましたが、それも吉兆だそうです。女の子ですからワイフが最初でしたが男の子だったら最初に私がこの大役を果たさなくてはならなかっらのでした。ワイフの次に婿方のお婆ちゃん、順次お爺さんが遣って最後は私の膝の上でお食い初めをしました。
大役を終えて孫は床の間の前に敷かれてお布団で寝貸されてしまいました。主役はお布団の上で玩具を握って口に持って行こうとしていました。
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お食い初めを終えた孫は床の間に敷かれた布団の上でお休みです。総じて娘の乳児時代よりも世話が焼けないようです。
私は家に戻って早速お食い初めを色紙にしました。アルバムの表紙にも転用します。アルバムは3冊作って各々の家に郵送しました。
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これは孫の「お食い初め」を描いた式紙です。
3年前脳梗塞を発症しました。同期のМ君はそのまま逝ってしまいました。私は運よく止まって脳溢血にはなりませんでした。お蔭でこうして、孫のお食い初めにも立ち会えました。謙虚に生きてさえいれば悦びは後から後から”暦を捲るように向こうからやって来てくれます”。歳神様のお好きなのが鏡餅に門松です。人間ならば謙虚で穢れの無い人でしょう。精々歳神様好みの凡人として命を全うしましょう。
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これは孫の誕生から「お食い初め」まで100日間のアルバムです。3冊作って配りました。


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隼人瓜の蔓もたれ

昨年末にネットで隼人瓜を二つ(白と緑)を求めて窓辺に鉢植しておきました。
私の好物は奈良漬けにザーサイです。隼人瓜の食感は歯当りはザーサイで。漬物の味は奈良漬けに近いのです。両者の良いとこどりを期待して庭で隼人瓜を栽培して麹づけならぬ味噌漬けにしたら、”さぞかし美味しかろう”と云うのが私の妄想です。
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此方が現在鉢植育成中の隼人瓜です右が緑で左が白です、一般に瓜は果肉が厚くて中に小さな種が沢山あるのですが隼人瓜は果肉1個から写真の様に芽吹きます。
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今年は穏やかな正月で昨年春の定期検診で乳癌の懸念を指摘されたワンちゃんも今年はいい歳だ思っているようです。庭木を伐採したので冬は良いのですが夏はワンちゃんも苦痛です。その時には、隼人瓜が守ってくれます。
隼人と云う名からして原産地は薩摩なのでしょう。薩摩には鹿屋体育大学があってオリンピックになると壮行会やお祝会が開催されてマスコミの脚光を浴びます。昔は自衛隊体育学校が活躍していたのですが最近は鹿屋体育学校や仙台の東北福祉大学等が全国から将来性の高い高校生を集めて実績をあげているようです。
私は隼人と云えば「隼人の乱」を想い出します。古代大伴旅人は隼人を治める任務を帯びてこの地に赴任したのでしょう。でも薩摩の民は走るのが早くてまるで隼(ハヤブサ)のように逞しかったのでしょう。旅人の任務遂行は困難でした、一方陸奥に赴任した坂上田村麿は蝦夷地の平定に成功します。熊を服従させるのは隼を従属させるより容易だったのでしょう。サントリーの佐治社長は首都移転問題の時(東北は熊襲の産地」と発言して引退しましたし、昨年は北方担当相だった島尻 安伊子さんが答弁用原稿「歯舞」の字を読めなくて、大臣ポストをフイにしました。
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居間の空間は既にパッションフルーツが占拠していますこの上隼人瓜が参入したら大変です。室内ではパッションフルーツは蕾こそ持ちますが結実しません。此処まで大きく奈rと地植えするのは断念しています。
私の住む戸塚にも自然は戻ってきて境川の上を渡る水道橋には毎年隼の重源坊が営巣します。田圃に蓮華草が咲く頃です。このブログでも何回も記事にしてきました。小型の隼の重源坊が東大寺を再建した重源上人に関係するのか?私は知りません。何時か東大寺に登ったらお坊さんに訊いてみる事にしましょう。
処で我が家の窓辺で順調に育っている隼人瓜は順調に背丈を伸ばしています。ワイフはこのまま室内で育てては人間が身動き出来なくなると心配です。我家には既にパッションフルーツが空間を占領しています。この上隼人瓜が2本も伸びてはワイフも懸念も最もです。でも南国生まれの隼人瓜です3月一杯は室内で育て最低気温が15度を下回らくなったら地植えする計画です。それまでは竹の棒を支柱にしてあげましょう。


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