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脳梗塞闘病記(文化への憧憬)

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私達は安達ヶ原から一度福島市内に戻りました。どうしても仕事の都合で東京に戻らなくてはならない人が3人も居られたもです。福島市内から今晩の宿のある南相馬の隣「樟葉町」の「天神の宿」に行くには150K余り距離が在ります。
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福島市内から浜通りの相馬に至る行程、カーナビは時間優先設定である事から、東北道、磐越道、常磐道と選択したのですが、私達は磐越道の「船引三春ICを降りて田村市経由で楢葉町に向かいました。
カーナビは時間距離優先で設定されていますので、カーナビの指示通り行く事にしました。どうも。指示は東北自動車を郡山迄南下して更に、磐城まで東南に下って、常磐道を南相馬ICまで行くようでした。安達太良SAでトイレ休憩して、再度コースを確認、案内所で道路状況を確認しました。その結果常磐道は通らずに船引三春ICを降りて東に向かう事にしました。
高速道路の案内所職員は親切に教えてくれました。田村市から双葉町を通る道は「帰還困難地域」を通るので原則通行禁止なのでしたが、文化財の興味と帰還困難地域の現実を観たいという関心から敢て生活道路を通りました。
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此れは磐越東線「船引駅」構内に建てられた「田村様」です。船引町芹沢地区に祀られている4m余りの巨大な藁人形で、坂の上田村麿に因んで「田村様」と呼ばれています。秋田県横手にある同様の藁人形は「鹿島様」と呼ばれているのは横手と鹿島神宮の縁の深さに起因しているのでしょう。どちらも故郷に災難を防ぐ「賽の神」信仰です。
岳温泉で観た新聞では『福島県産農産物の輸出も震災前の状態に戻った』と報じていました。放射能汚染も除染が徐々に進んでいるのでしょう。時間をかければ放射能は減衰するのは科学が確認している事です。
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福島農産物の輸出が回復した事を報じる新聞。
しかし、人間の命は有限ですし、自然科学の放射能減衰(人体に有害なヨウ素は8日セシウムは30年で半減します。)を待っている訳には行きません。日本人は歴史的困難を何度も体験し、克服してきました。克服した秘訣は『知恵』と『協力/絆』と『忍耐』でした。そして何時の場合も災難に遭遇、克服する度に飛躍を果たしてきました。原発を歓迎した昭和世代の一員として原発事故の行く末を確認しておくことは責任の一つと思っていましたから、今回のツアーは良い機会です。

先ず除染の手順を確認します。
環境省の除染の手順は次の通りです。
1、建物や構築物は洗浄します。農地や草原は表土を削り取ります。
2、放射能濃度の高い土や堆積物は纏めて処理します。
3、当初は放射能に汚染された堆積物等は汚染地域外に埋設する計画でした。
4、しかし、汚染土壌の持ち出し先が見つからず結局汚染地域内で処分する事になりました。
5.汚染土壌はコンポストに収納し、防潮堤のコア部分に積み上げ隔離します。
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これは環境省HPにある除染対策です出典http://josen.env.go.jp/about/method_necessity/method_area.html
国の作成した除染対策でしたが、現実には汚染土壌を持ち出す先の同意が得られず宙に浮いた除染対策になってしまいました。街道を走ると2年前までは道の両端に積み上げられた汚染物質の入った黒いコンポストは殆ど消えてしまっていました。
でも楢葉町や相馬の街道沿いの田圃には黒いコンポストが積み上げられていました。あのコンポスト如何するのかな?」懸念しながら楢葉町の除染広報誌を確認すると今建設中の防潮堤のコア部分に積み上げて使うようです。「そんな安易な方法で大丈夫なのだろうか?」誰しも懸念するのですが、汚染土壌の持って行く場所が無いのですから、致し方ないのかもしれません。
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此れが「防潮堤の計画」防潮堤のコア部分が黒いコンポスト(左下)です。このやり方は富山のイタイイタイ病のヒ素土壌を汚染田圃の地下に埋めたのと同じで「その場凌ぎ」に見えます。
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大熊町の道端には未だ汚染土壌を詰めた黒いコンポストが積まれていました。
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コンポストは海沿い国道6号線沿いの田圃に集められていました。「野馬追い」の絵が描かれた矢板の奥に汚染土壌の積み込まれた夥しい数のコンポストが積まれていました。
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国道6号線はコンポストを積んだダンプや建設機械を運ぶ車が走行していました。これらの車両は海岸線に沿って建設途上の津波防潮堤に向けて走っています。道路標識は「此処から先は津波で襲われた区間に入る」と表示されていました。右奥のクレーンが防潮堤の建設現場です。
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防潮堤の建設現場先ず汚染土壌を詰めたコンポストを積んで表面を土壌で覆いその上で表面をアスファルトで固めて防潮堤にするようです。汚染土壌の詰まったコンポストは廃棄も出来ないので堤防の建設素材に使っているのですが、その場凌ぎの対策にしか思えません。
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相馬から三春に向けて走ってきた大型観光バスは大熊町で、通行禁止区間の表示に従って迂回路を確認していました。
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大熊町から真っ直ぐ相馬方面には行けませんでした。帰還困難地域への進入を阻止するゲート。先ず海岸に近い富田町に出て国道6号線を北上するほかはありません。
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この住宅は大熊町の高台移転した住宅です。津波に襲われて家を失った方々がこの住宅に入居されているのでしょう。
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此れは常磐線の「木戸駅」です。駅の西側(右」はサッカーの「ジェイ・ビレッジ」です。東側には東電の遠隔操作研究施設があります。
放射能は遺伝子を傷つける恐ろしい放射線を発する物質です。最も人体に破壊的な影響を与えるのはヨウ素であって癌細胞を誘発し、遺伝子にも傷をつけます。奇形の原因にもなります。ヨウ素放射能は半減期が7日間なので2011年3月11日から18年420週も経過しているので、1/2の420周(乗)ですから、限りなくゼロに近い値になっています。心配なのは当時の子供で成長過程で、甲状腺に傷を負ってしまった可能性が高い事です。
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これは5/7日NHKテレビです。長い間避難している中に自宅は荒れ放題、室内は野生動物の棲家になってしまい、放棄を余儀なくされた住人の哀しみを報じていました。私達も大熊町双葉町を通過中に荒れ放題の廃屋を幾つも観て心を痛めたのでした。
アレコレ考えながら楢葉町の温泉施設天神温泉に着きました。。天神温泉は海岸線を眼下に見下ろし向こうの丘の先に「東海村の原子力発電所を遠望できる位置にあります。少し塩っぽいものの海藻のように滑らかな温泉に浸かって原発を東海村で無くで此処天神岬の丘の上に造れば事故は起きなかったのに思いました。日本人の思い上がりが想定外の津波を原発のメルトダウン事故を誘発させたのでしょう。天神温泉のロビーには事故当時の写真が貼られていました。見れば「新約聖書の出エジプト記」を想い起させました。


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安達ヶ原の鬼婆の哀歓

二本松の霞城は桜の名所ですが、桜はもう終わってしまっていました。雨が降り止まないし智恵子抄の「樹下の二人」の位置は屹度『霞城の天守閣の位置だろう』と思いながらも雨雲が立ち込めているので、先を急いで「安達ケ原」の真弓観音寺に向かいました。
謡曲では「黒塚」、観世流では「安達ケ原」日本の文芸史に重要な位置を占める「安達ケ原の鬼女伝説ですが。そのお話は次の通りです。
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これが安達ケ原の鬼女伝説のある「真弓山観世寺」です。
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阿武隈川の土手の上から黒塚(杉の大木の根元の五輪塔)を臨む橋の向こう(右)が二本松になります。

ワキは、熊野山伏(東光坊の阿闍梨、祐慶の那智)です。
シテ(主役)は安達ケ原に住んでいる老婆です。安達太良山の東山麓まで旅をして来た熊野の山伏一行はこの草原で一夜の宿を求めます。
漸く泊めて貰えるようになった山伏一行は老婆から忠告されます。
「私の寝屋を覘いてはいけない」
でも、覘くなと云われると覘きたいのが心情で、若い山伏が老女の寝屋を覘くと夥しい死骸が転がっていました。覘かれた事を察した老女は本性を露わにして山伏一行を襲います。阿闍梨、祐慶は数珠を擦って鬼女を調伏します。鬼女は己の姿を恥じながら舞台から消えます。
以上が謡曲の「黒塚」のお話です。でも観客にはワキの老女が何故鬼に転じてしまったのか気懸りです。この疑問を補足するように様々なお話が付けたされます。
真弓山観音寺の宝物館にはこの辺の疑問を解く絵が多く展示されていました。
絵解き民話の話は次の通りです。
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観世寺の宝物館内出刃包丁や釜や鍋が展示され、それぞれが鬼女が使用した道具と案内されていますが、どれも伝説の生まれた古代から中世の民具では無くて近世の民具と思えました。
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これは観世寺宝物館に展示されていた絵馬の鬼女面です。
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観世寺境内に祀られていた奪衣婆の石像(江戸時代以降)、時代考証は別にして怖いモノ鬼女モノが集められていました。
【鬼女の由来】観世寺の近隣に「恋衣地蔵」が在りますが、これは鬼女に殺された
「恋衣」という名の女性を祀ったモノと云われています。「恋衣」が此処安達ケ原で祀られている謂われは京都の公家屋敷に遡ります。公家屋敷で「岩手」という名の奉公女が乳母として働いていました。だが、岩手が可愛がる姫君は不治の病に侵されていました。姫を溺愛する岩手はどうかして姫を救いたいと思います。姫の病を治癒するには妊婦の体内の胎児をとりだしてその「生き胆」を食べさせれば病気が治ると聞きます。そして生まれたばかりの娘を置いて京から陸奥に向けて旅立ちます。そこで安達ケ原の岩屋に住まい標的の妊婦を待ちます。長い年月が経った或る晩若い夫婦が岩屋に泊まります。妊婦は産気付き、夫は薬を求めて町に出てしまいます。岩手は「出刃包丁」を手にして妊婦を殺します。だが女の身に付けていたお守りを視て愕然とします。お守りは自身が京を発つとき娘に授けたモノでした。他ならぬ自分の子を殺めた岩手は精神に異常をきたし以来岩屋に住んで人肉を食べる鬼女に成り果てたのでした。
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岩手が旅の妊婦を殺めて胎児の胆を取り出そうとして、殺したのが自分の娘であった事に気付いた場面。
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左が鬼女の住んでいた岩屋です。明らかに「石舞台古墳」の様な古墳時代の石棺の収まっていた岩屋です。近くの阿武隈川が洪水して古墳の岩屋が露出したモノでしょう。右が観音堂です。
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境内から出土したと思われる弥生式土器も展示されていました。
 安達ヶ原の鬼女伝説程、日本人の心筋を震わす話は無いでしょう。私も小さい頃祖母に聴かされ、何度も何度も話をせがみました。話は本来は熊野修験者の強力がテーマだったのでしょうが、聴衆は鬼女の性に同情しているように思います。何処にでも居そうな薄汚い老婆が、主人の娘の健康を取り戻したくて、自分の腹を痛め立娘を殺してしまう、不条理は意図しなくても突然に陥ってしまうものです。更にそんな事故から、生きながら無間地獄に堕ちてしまう哀れさが、共感するのではないでしょうか?。地獄が想像上の宗教上の世界ではなく、現世でも在る事は原発事故でも思い知らされました。


    
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岳温泉は霧の中

私が岳温泉に泊まるのは二度目です。最初は大學3年(1944年)の10月の初め紅葉の始る季節でした。私は福島の信夫山の麓の曹洞宗の寺院で住職をしていた伯父に請われて「祖母のお供」をして福島に来た居りに、伯父が岳温泉に私達を連れて行ってくれたのでした。ホテルの窓からは向かいに阿武隈の山脈が見渡せてまるで東山魁夷の名作「山脈」を視る想いがしました。
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此れは岳温泉の中心(温泉神社と鏡ヶ池を繋ぐ参道の桜のトンネルです、期待としてはこれを観に行ったのでしたが、写真出典福島県観光サイトhttps://www.fukulabo.net/event/event.shtml?id=2644
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桜のトンネルを期待したモノの青葉のトンネルでした。この道の突き当りが温泉神社です。
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此れが岳温泉の温泉神社です。社殿の奥に源泉が在るそうです。温泉らしく大黒様が勧請されていました。
4月24日晴を期待して目を覚ましたのでしたが、岳温泉「天空の庭」の窓の外は一面の霧で、向かいに見渡せる筈の阿武隈山景も背中に聳えて居る筈の安達太良山も見えませんでした。ホテルの職員に未だ残って居そうな桜を尋ねます。
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4/24日朝岳温泉「天空の庭」からの二本松方面の景色、一面の霧で阿武隈山稜は見えませんでした。
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此れは岳温泉の西側窓からの景色、隣の民家との間にクヌギの木が芽吹いていました。天気ならこの梢の間から吾妻連峰が見えるのですが・・・・。
”「鏡ヶ池」の周囲は八重桜なので今が見頃でしょう”教えてくれます。教えてくれた通りに先ず温泉神社に、続いて鏡ヶ池に向かいました。岳温泉は総じて桜も散ってヒッソリしていました。
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岳温泉の鏡ヶ池。此処は雨水調整池であると同時に下流の田圃の溜池でもあるようです。鏡の名はこの水面に安達太良山の姿が映るからでしょう。
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鏡ヶ池の周囲は八重桜が盛りで野鳥も盛んに囀っていました。
さあ!今日は昨晩のK女史の質問「光太郎の愛したのは発病後の智恵子か?発病後の智恵子か?」確認すべく「智恵子記念館」に行く予定です。


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花見山の花は殆どがお終いでした。関東各地から集まった大型バスが駐車場で溜息をついていました。そこで、案内人に訊いてみました。「今が見頃の花はありませんか?」すると交通整理をしていた案内人が教えてくれました。「今は屹度飯坂温泉の花桃の里が見頃だと思いますよ!」翌朝地元新聞に昨日4/22日日曜日は飯坂温泉花桃の里が賑わった事、地元観光協会が”烏賊人参のチジミ」を来客にサービスした」と書かれていました。烏賊人参は福島のソウルフードですし、チジミの具にしたら実に美味しそうです。美しい花にソウルフードに誘われたら行かずばなりません。少し行程に無理が生じますが、飯坂温泉に向かって進みました。
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此れは福島市内と飯坂温泉を繋ぐ街道です。正面に見えるのが信夫山で、道路左の鉄道が福島交通の飯坂鉄道です。街路樹は花水木で雨に洗われて綺麗でした。
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飯坂温泉「花桃の里》への道。向こうの山麓を越えれば山形です。山裾の鉄筋建物群が飯坂温泉です。「花桃の里」の入り口に在る建物は野菜売り場で、週末は「烏賊人参のチジミ」をサービスしていたようです。この日は焼き芋をサービスしていました。
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この日は「焼き芋」をサービスしてくれました。「花桃の里」もン入場無料でした。
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足下が悪いし、降雨で滑らないように気を使いながら園内を廻りました。
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実の成る桃は既に摘花を終えているのですが、花桃は綺麗だし、長い間咲いているので、桜が散っても鑑賞できるのです。この意味では観光地飯坂温泉にとって「花桃の里」は格好の施設です。
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染井吉野が散って1週間たっても花桃は見頃です。
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花桃は「濃いピンク」と白い花のコントラストが鮮やかです。雨蛙を見つけて興奮です。
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「花見山」は間に合わなかったのですが「飯坂花桃の里」は見頃でした。桃源郷福島を「おもてなし」は一昨年も恩恵に預りました。あの時は「三春の滝桜」を観に行ったのでしたが、既に滝桜は終えていました。落胆する私達に係員は滝桜より少し高い位置にある「地蔵桜/滝桜の子供/田村市」や「田沢の田植え桜/田村市」なら見頃だと教えてくれました。お蔭で思いがけなくも桜と農業の強い関係を実感できましたし、石仏も多く見つけられました。
「飯坂温泉花桃の里」を実現した経緯が気懸りです。花見山が如何にも福島の「篤農家」の信念で実現し、家族三代に渡る志しで観る事が出来るのに対し、「花桃の里」は飯坂温泉観光協会が企画実現運営しているのでしょうか?
気になっていると看板が出ていました。
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これは「花桃の花園」内に建てられた案内。宇都宮大学農学部の協力と地元の協働で完成されたとわかります。
看板には宇都宮大学農学部「吉田雅夫氏の指導によって飯坂温泉と共同で世界中から集めた39品種の花桃を植栽した・・・・」案内されていました。開園は平成19年ですから私の学生時代は在りませんでした。
新しい観光地ですが、大学と温泉町のタイアップで出来た美しい桃源郷です。
花桃を満喫して私達は今晩の宿南相馬に向かいました。

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阿武隈川の東岸、丘陵の連なる辺りを「渡り」というのです。阿武隈川の東側の盆地が福島で巣から、福島から更に北陸奥に下るには阿武隈川を川下りして松島から多賀城に向かうのでしょう。阿武隈川の渡り場が在ったから「渡り」でアリ。有名な「黒塚/安達ケ原」は渡りを越えた先の「一つ屋/野原の中の一軒宿」だったのでしょう。
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此れが福島の花見山公園です。向かいの冠雪した山が「安達太良山」でしょう。私達が行ったのは4月23日でしたので既に桜は散ってしまっていましたし、「天気も雨だったので、こんな写真を思い描いていたのでしたが、観られませんでした。写真出典福島市観光サイトhttps://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RivbV2SeZanHYAPBYdOfx7;_ylu=X3oDMTBiaGxjcmduBHZ0aWQDanBjMDAy?p=%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E5%B1%B1+%E7%A6%8F%E5%B3%B6&aq=1&oq=%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E5%B1%B1&ei=UTF-8花の彼方の冠雪した山が安達太良山を含む吾妻連峰です。
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JR東日本の駅舎に貼られたポスター、看板は花見山の桜で見頃は4月中旬とされていました。
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花見山公園の入り口に貼られた看板30分45分60分の3コースがあり、八重桜が見頃の30分コースを推薦されました。
JR東日本の駅舎には「桜は待ってくれない」コピーと福島の花見山や「秋田の角館」の写真を大写ししたポスターが貼られています。その通り4月23日を待ってくれずに青葉に変ってしまいました。臨時大駐車場には沢山の大型バスが駐車しています。屹度旅行代理店が「例年4月中旬に見頃になるので、こうしてお客さんを乗せて遥々遣って来たのでしょう。既に東北の花の名所として知られている「花見山」ですが。駐車料も入場料も在りません。駐車場と公園の間の通路に屋台が出店しているだけで、お金を使う場も在りません。公園入口に「寄付金箱」が在るだけです。名は「公園」でも公園法に依る公園ではなくて入口に在る農家「阿倍さん」の私有地だそうです。安倍さんの先代伊勢次郎氏が稼業だった養蚕を止め雑木林を開墾して花木農家に転業したのが昭和の初めだったそうです。福島市街を眼下に見下ろし市西武の吾妻連峰や安達太良山を見渡す桃源郷が出来た次第でした。花見山公園の二代目が安倍一郎氏で、同氏の愛語「信農魂」は商人には「商人の魂」があるように「農民には農民の魂」が在る、如何なる時にも「なにくそと頑張る気持ち」気概だと主張されたのでした。現在は3代目安倍一郎氏が花見山公園を主宰されていますが。駐車場料金も公園入場料も取っていないのは先代までの「信農魂」のスピリットが浸みこんでいるからでしょう。こんな精神は江戸時代の農業経済学者「鈴木正三/経済録の著者」や「安藤昌益/自然真営道」にも在りました。大都会から来て桃源郷に感激した旅行者は「どうして無料なのかしら?」思いながら昔は桑畑であった小山を周回します。
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此れは「花見山公園」の生立ちを説明した「福島通信」です。私が質問をするとこの文書を手渡されました。
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花見山公園入口に在る阿倍さん宅の縁側脇には杖が置かれていて”花を巡るには杖をお使いください”親切があふれていました。
私達は係員の推薦に従って30分コースを歩きました。30分コースの見物は八重桜と躑躅で今が見頃だそうです。上掲写真は遠くに吾妻連峰が見えるので屹度60分コースの頂上から見た写真でしょう。
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此れは花見山公園の八重桜です。
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グルッと廻って来るとチューリップを植えた畑の前に出ます。この畑は三代に渡って花見山公園を育てた阿倍さんの屋敷の裏畑で、普通なら野菜畑にする処阿倍さんがお客様を喜ばせたい一心でチューリップを植えられたのでしょう。駐車場と公園の間の畑も菜の花等の花畑になっていました。
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此れが阿倍さんのお宅です。公園を周回してくると此処に出ます。これだけの丹精を無料で見学させるのは尊い精神です。
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阿倍さんの御屋敷の土間には花見山の四季の写真が展示されていて座って鑑賞できます。此処で「商売気」を出さないのは立派です。屹度”「信農魂」は「商人魂」と違うのだ”という信念の現れでしょう。
「信農魂」に感服した私達でしたが係員の「今年は早く咲き、散ってしまったので残念な事をさせてしまいました。飯坂の花桃は今が見頃だと思いますよ」言葉に従って翌日は予定を変更して「飯坂温泉の花桃の里」に向いました。



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