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毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

脳梗塞闘病記(文化への憧憬)

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田寺からバスに乗って近鉄大和郡山駅に戻りました。此処からは自転車で郡山市内から稗田や唐古遺跡を視て廻るを観て廻る予定でした。実は私はバイクで廻りたかったのですが家族がバイクに乗る事を心配します。そこで次善の策としてレンタサイクルで廻る予定にしていました。郡山の「紺屋町」に「箱本屋」という名の紺屋が在って、そこでレンタサイクルと観光案内所在るのです。
私は何度も郡山市内を視ているのですが、郡山と云えば「日本一の金魚の産地」と聞いていたのに、金魚の養魚場を見学した事が無かったので先ず自転車で「金魚資料館」に向かいました。処が、麻痺こそ消えたのでしたがハンドルを握ると左肩に不必要に力が入ってしまい、ハンドルが左に向いてしまいます、ニュートラルにする感覚を取り戻すまではフラフラしてしまいます。そこで早々と自転車は諦めて只管歩く事にしました。改めて市内を歩くと金魚の電話ボックスはあるし、金魚の自販機まであります。マンホールの蓋も金魚のデザインです。私は「金魚の玩具」を孫の土産に探したのですが、期待した「ブリキの如雨露」は見つけられませんでした。
処で、金魚の産地と云えば「江戸川」に「愛知の弥富」です。私は「日本一の金魚」の勇姿を観たいと期待したのです。高級金魚は「らんちゅう」かな「リュウキン」かな「ピンポンボール」かな確認したいと思ったのでした。金魚資料館で訊きましたが意外な返事でした。
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これは郡山の紺屋町に在る箱本館。城下町の大和郡山は城下町の外濠が残っていて内部に13町が在ります。「大工町」「瓦町」等職人町が残っていて「紺屋町の中央には清流が流れる堀割が在ります。箱本館はそんな「座」の中核で此処にかく職人が集まって協議したようです。その記憶が残っていて現在は(観光協会」の拠点になっています。
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箱本館の内部はまるで「金魚生活用具の博物館」のような様で、金魚の民芸品が展示されていました。手前は藍染の壺ですが梁には金魚の行灯が吊り下げられていました。
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箱本館の内部ショーケースの中は藍染の下地に金魚が染められた暖簾です。
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此方は金魚模様の土瓶です。こんな土瓶で良く冷えたほうじ茶を注がれたら”胸キュン”です。銀座の民芸館に行けば求められるかな?
「郡山では、今は金魚すくいに使う大衆廉価品の養殖が中心です、高級品は他の産地です」
何故かな?
考えるのが私の習性です。
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此れは郡山の金魚の養殖池池の対岸に見えるのが金魚資料館です。向かいの山が巻向山でその下に三輪山が在る筈です。
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此れが郡山の金魚資料館です。
私が考えた『郡山が高級金魚を捨てて大衆路線になった理由(推測)』は次の通りです。
1、大和郡山の金魚は江戸時代後半藩主「柳澤保申」が奨励した事から発展しました。元々「溜池」の多い風土が金魚の養殖に適して居た事も在ったので「日本一に発展しました。大阪京都など高級金魚の消費地も近かったので日本一の名を欲しいままにしたのでしょう。一方肝心なのは販売です。郡山には元々「振売り」と云って天秤棒の両端に野菜や果物を乗せて売り歩く人がいましたから、野菜に代えて「金魚を入れた桶」をかついで京都や大阪の市中で「金魚!金魚!」と売り歩いていたのでしょう。生産と販売の両方の機能を郡山は有していたのでしょう。
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これは「振り売り」の写真です。京都の市中では「漬物」「豆腐」等を天秤棒で担いで行商する人が沢山いました。大和の人は「野菜や果物」と混じって金魚も行商していたのでしょう。写真出典ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%AF%E5%A3%B2
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こんな光景は懐かしい夏の風物詩でした。大和郡山の金魚事業は生駒山を越えて金魚を行商する人の頑張りで成り立っていたのでしょう。出典同上
2、しかしバブルの時代に郡山の高級金魚は大打撃を受けてしまいました。
溜池の水質が有機性洗剤の為に悪化して、高級金魚が死滅してしまいました。金魚業者は1匹百万もする金魚の死骸を手にして高級金魚養殖事業を断念して、大衆品(ボウフラ対策やお祭りの金魚すくいでで求められ「小赤」と呼ばれる金魚に集中せざるを得なくなってしまったようです。
『金魚』で想い出すのは「夢千代日記」に出てきた「湯川温泉の芸者さんです。金魚さんがお座敷に出るだけで場が華やいで見えました。ベトナムホーチミンの日本料理店の名も「金魚」お皿も箸置きも金魚がデザインされていました。
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此れは郡山の箱本館の並びにある「こちくや」という名の金魚グッズ販売店です。店の中に金魚すくいの道場が在ります。
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「こちくや」の店内壁にはタレントの色紙が貼られていました。郡山に人気店のようです。
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「此処ならブリキの金魚が在りそうだ」思って入った玩具屋売りたいのはキューピー人形でした。
”郡山は質量ともに日本一で在って欲しい”想いながら金魚の養殖展示施設を後にしました。昔「奈良県の経済風土記/新潮社」の原稿を書かせて貰いました。その頃は上司がスキー好きでしたのでゴーグルの「山本メガネ」やスキー靴の「ヘルト」や「奈良スポーツ」を取材しました。こうして郡山の金魚が誇りを捨ててしまったのを視ると、「あ時金魚事業も書けば良かった」、思うのでした。新潟小千谷の錦鯉が世界一で世界中に輸出しているように郡山の金魚が世界に羽ばたいて欲しいモノです。少なくとも金魚で以って涼しげな空間を作るスキルは世界で通用するでしょう。
昨今ピンポンと云う名の金魚が人気です。最近はピンポンも世界一が見えてきました。伊藤 美誠選手を応援していると金魚のピンポンを視ている様な気になります。
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此れが最近人気の「ピンポンパール」です。明らかに琉金の変種です。写真出典楽天https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%87%91%E9%AD%9A%E3%83%94%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB&ei=UTF-8&rkf=1&oq=楽天ではこの可愛い金魚が760円です。
折角日本一の金魚を観に郡山の養殖場まで歩いたのに小赤とメダカしか鑑賞できません。仕方なく、郡山の花街をブラブラ歩く事にしました。郡山は藩主が現在の奈良町に花街は禁止して郡山だけに認めたのでまるで島原の様な一角が在るのです花街は既に廃れてしまって在るのは昔年の面影を残した町屋だけです。京都の島原で残っているのは「角屋」とか「筋違屋」等数軒ですが、郡山の洞泉寺町は軒並み『ミセ』の残っている「揚屋建物」なのです。
郡山の旧市街地を歩いていると「電話ボックスが金魚の水槽になっていますし、灯籠にも金魚が入っています。マンホールの蓋も金魚です。街中を歩きながら金魚探しです。
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マンホールの蓋にも金魚が居ました。
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電話ボックスも金魚の水槽に再利用されていました。
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紺屋町の灯篭には灯りでは無くて金魚の水槽が入っていました。
金魚の自動販売機の幟が立っていました。「何事か?」思って観れば自販機で売られていたのは「金魚そのもの」では無くて金魚を意識した「ソーダ水」だったりそんなソーダ水で割った「ハイボール」でした。”ハイボールお好きでしょう!”云いながらお姐さんが水割りを奨めているようです。
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これが「金魚の自販機」です。自販機でも「缶入りソーダ水」と金魚マークのソーダ水で割ったハイボールの自販機でした。
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此れは金魚の自販機を店先に置いた居酒屋です。昼間はカフェになるようです。
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これが私が郡山の町で探したブリキ製の如雨露です。写真出典ヤフーショッピングhttp://www.wakei-seijyaku.jp/SHOP/20012370.html
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この鯛焼き風の金魚は何するものでしょうか?後ろに在る提灯アンコウは蚊取り線香でしたから金魚も蚊取り線香かも知れません、でも2500円は高いと思いました。
私は金魚のブリキ製如雨露を探そうと玩具屋に入りました。
でも、懐かしいブリキの金魚如雨露はありませんでした。
箱本屋の並びには「金魚すくい道場がありました。8月には「金魚すくいの全国大会が開催されるのです。金魚すくいの道場があるのもそのせいでしょう。覘いてみれば二人の子が夢中で金魚すくいをして、その壁には会員の名が所せましと貼られていました。養殖業者の日本一の情熱は冷めてしまったようですが、金魚すくいの日本一の名誉は死守する気迫を感じました。
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お盆には金魚すくいの全国大会が催される案内ポスターは彼方此方に貼られていました。






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矢田寺参道の御接待

機能は憧れて来た矢田寺の地蔵石仏をアップしました。
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此れは矢田寺の石段登り口にある「出迎え地蔵」と呼ばれる地蔵石仏です。生駒石を素材にして阿弥陀定印を結ぶ比丘姿の石仏は古代と中世の境に出現した古式なお地蔵さんです。
今日はその帰路の至福な体験を書きます。石段の両側には日本の地蔵信仰の聖地らしく農家が庇で草餅を商ったりしています。食い意地が張っている私ですから「草餅」を食べたら次の「焼き筍」を食べたくなります。
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此れが矢田寺石段の始まりです。上段の「出迎え地蔵」の視覚で撮影しました。向いの井山脈の麓を「山の辺の道」が通っています。参道の左右の民家は主業が農業で、参詣客相手の茶屋を副業にしているようです。石段下左の茶屋での草餅を皮切りに茶屋を楽しみながら2キロバス停まで歩きました。
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石段下の茶店では大きな草餅を食べながら冷たい麦茶の御接待を受けます。
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草餅(100円)は大きくて皮が厚いのです。見れば茶屋の女将さんは農婦で大きな手でした。”あの手で握ったら「草餅」ではなくて「草餅団子」になってしまう、”と思いました。
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簀子に坐って草餅を頬張っていると目の前を紫陽花の浴衣を着たお嬢さんがリュックを背負った彼氏と登ってゆきました。
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「焼きトウモロコシ」ならぬ「焼き筍」を売っている民家此れで250円/1本です。
訊きたくなって門を潜ろうとすると眼の先を燕が掠めて行きました。向かいの山の名も正確に知りたいものです。先に草餅を戴いた農家の奥さんは「向かいの山の名ですか?あれは平城山ですよ」答えられまあした。私を馬鹿にしているとしか思えませんでした。そこでもう一度訊いてみる事にしました。どうせ訊くならば茶店を商っている家でも歴史の在りそうな家を探しました。立派な長屋門の在る民家で訊く事にしました。長屋門の出入口に戸板を並べて野菜や果物を並べています。
「マッカ250円」の案内をしている民家の前に出ました。見れば門先に冷蔵庫を出して「西瓜」と「マクワ瓜」を冷やして販売しています。何故マクワ瓜と云わないで「マッカ」というのかな?訊きたくなって門を潜ろうとすると眼の先を燕が掠めて行きました。未だ草餅と焼き筍が腹にもたれていますが「西瓜やマクワ瓜の腹は別物です。
立ち止まって見詰めていると。燕が眼の先を掠めて長屋門の梁に消えて行きました。梁の陰に燕の巣が在るのでしょう。私には燕が「玄関先で立ち止まって居ては邪魔だから早く入りなさい」急かされている様な気がしました。燕に急かされて「マッカ」を注文すると冷蔵庫のマクワ瓜を取り出して目の前で切ってくれました戸板の上では700円で売られているモノです。四分の一なら200円です。処が半分を無造作に切って庭先で座って食べる様促してくれました。フォークに刺して口に運びます。芳香と甘味が口中に広がります。お盆で食べた懐かしさを思い返します。最近はメロンばかりで[マクワ瓜]の味は忘れて久しいのです。
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これは矢田寺参道に面した民家の長屋門の下で商っていた果物。
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長屋門の中から参道を視るマクワ瓜は戸板の上ですが生姜や里芋は地面に並んでいました。
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ビールを冷やして置く冷蔵庫は西瓜とマクワ瓜を冷やしてありました。250円と案内されています。一切れ250円でも「二分の一なのか四分の一」なのか解りません。
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無造作に四分の一にカットしてくれました。
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でも、四分の一が二つ、中庭に置かれた陶器製のテーブルの上で食べさせてくれました。。
私は訊きました。
「これは懐かしいマクワ瓜の味だ!、なぜ真黄色なのに”「真赤/まっか」”というのですか?」
農家のお母さんは答えられます。「何故でしょうかね!。」「大和では昔からマッカでマクワ瓜なんて言いません。」
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長屋門の先、庇の下で野菜と果物を商うお母さんとおシャマなお嬢さん。
私はマクワ瓜を食べながら燕を眼で追います。
お母さんは「昨日孵化しました。二週間もすれば巣離れしますよ!」お母さんの子供はオシャマで手伝いをしていたかと思えば、私に何か話そうと寄って来ます。
『どう?マッカ美味しかったでしょう、大和は瓜が美味しいのよ!それに、お父さんが作ったのだから!」言いたげです。
私はお母さんに訊きました。
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長屋門の梁には幾つも燕の巣が出来ていましたこのうち手前左が現役でした
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子燕は時々顔を出すのでしたが未だ深い丼型の巣の底に居るようでした
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バス停に向かって矢田寺参道を下る。向かいの山の名は自宅に戻ってから確認する事にしました。
「向かいの山は何山ですか?
お母さんは真顔で
「向かいの山は青垣山ですよ。」怪訝そうな私の表情を視て
「私達は東山とも呼んでいますよ!」
私は再度訊きました
「左の方が高円山で、その右が花山で竜王山更に右が巻向山でしょう。」
お母さんは「知っているのなら訊く事ないでしょう!」云わんばかりの表情です。
同じ山でも観る位置によって呼び名が違うものです。
家に帰ったら地図で確認する事にしましょう。


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6月18日深夜バスで奈良旅行を終えて、自宅に帰りました。テレビのスイッチを押すと十時間前にいた「大和郡山が震度6だった」報じていました。もう一日ずれていたら「旅行どころではなかった。」安堵しました。
今回の奈良旅行の目的は「大神神社」の摂社である「率川神社」で挙行される「三枝祭り」(これで百合祭りと訓読します))を視る為でした。私の奈良に対する愛着通りに「日本一雅なお祭り」なのです。大神神社の在る三輪は日本で最初に稲作が行われ、お酒が醸造され、お相撲のはじまった処と云われて来ました。
で田植え時期に行われるのは「御田植祭6/10日済」であり「百合祭り6/17日」なのです。両方とも観たいのですが、今年は先ず「百合祭り」を視て来年にお田植祭を視る事に決めたのです。百合祭りの主役は三輪山の山中に自生している「笹百合」と聞き、山中に咲く百合の花に穀神(田の神)が依るのです。笹はブランド米の「ササニシキ」や民謡の「会津磐梯山」の歌詞に在る様に稲穂を意味します。「笹百合祭り」は稲作祭りでお米の豊作を祈願するお祭りなのです。
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これは王神神社のお田植祭です。これは来年観る事にして今年は「三枝祭り」を観に行きました写真出典大神神社HPhttp://oomiwa.or.jp/saiten/06-otauematsuri/
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此方は卒川神社のパンフレットです。ご祭神は3柱です。
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此れは吉野水分神社の【木造玉依姫命坐像」です。女神をモデルとした神像。玉依姫は玉櫛姫命とも云い神武天皇の母とされています。日本書紀では神武天皇の母ですから、率川神社の中央神姫蹈韛五十鈴姫命は神武天皇の姉か妹になります。
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率川神社の社は中央が姫蹈鞴五十鈴姫命(お子神)で、左右に狭井大神 (御父神)玉櫛姫命 (御母神)で親子が川の字に並んでおられます。
私が卒川神社を知ったのは昨年の8月に蓮とホテイアオイの花を観に奈良を旅行した時に奈良町の古い民家の玄関に節分の「柊鰯」の他に「綺麗なピンクの笹百合」が飾られているのを観たのがきっかけでした。その家には屹度子供が産まれたばかりなのでしょう。「子供の成育」を祈願した絵馬だったようです。上のパンフにも在る様に卒川神社の祭神は中央に『姫蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)』左右に『狭井大神 (御父神)』と『玉櫛姫命 (御母神)』の3柱が祀られています、だから漢字にすると三枝と書き訓読して「ゆりまつり」と呼ぶようです。
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奈良市奈良町の町屋の玄関のお飾り「杉玉」と併せて笹百合が眼を惹きました。
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三枝祭りの主役は穀神が依る笹ユリです。
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笹百合を翳して巫女さんが舞います。
17日(日曜)を一日まるまるお祭り見物に当てる事にして、16日は大和郡山から紫陽花の名所矢田寺に回りました。午後2時に観光協会に行って、「祭り見物の桟敷席が無いか?」確認しました。すると親切に案内してくれましたが、早速に卒川神社を詣でました。丁度市内巡幸を終えて氏子に集まって貰い直会を終えた処でしたので、一般参詣客にもお神酒の案内をして下さいました。私はチャッカリ孫の年頃の巫女さんに土器皿なみなみとお神酒を注いで貰い一気に飲み干しました。飲み干した私の眼の前には巫女さんの笑顔が在りました。その途端に「私は運が向いてきた)確信しました。当初予定通り自分の他に友人一人と膝を悪くしていられる先輩一人の「代参り」を済ませました。百合の花に絵馬を結んだ験を三つ求めると巫女さんは又微笑んでくれました。「奈良の両家のお嬢さんですか?」尋ねれば「今日は大神神社の全面協力でお祭りを挙行していて、神主も巫女も全員が三輪の大神神社の派遣だそうでした。
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氏子と世話人禰宜による直会が終わると一般参詣者にもお神酒が振る舞われました。 
     福来いと笹干したり 百合祭り
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早朝に笹百合を差し替える巫女さん。
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私は「代参り」分も含めて絵馬を求めてリュックに差して貰いました。背後の山車に乗っているのは巨大な笹ユリの花瓶で、巫女さんが上段の写真に在る様に差し入れたモノです。神様はお神輿とこの笹百合花瓶何れかに降下神されるのでしょう。
      息災なれ 花に結びたり 百合祭り
私は世話人にかねて疑問に思っていたことを訊いてみました。その返答は次の通りでした。
1.卒川神社は大神神社の摂社であって、「百合祭りを仕切っているのも大神神社です。(云われてみれば、絵馬を包んで袋にも大神神社のシンボル3本杉がプリントされていました。
2、今も三輪山には笹百合が自生しているものの。最近は猪が増えているので略絶望です。三輪山の麓の農家が丹精して笹百合を咲かせてくれています。(云われてみればプランターに植えた儘の笹百合が社を囲んでいました。
3、百合祭りも豊穣祈願祭で御田植祭とセットで挙行されます。秋に行われる「新嘗祭/豊穣感謝祭」ともセットです。
私が百合祭りに憧れが在って漸く観れた事、期待通り「日本一雅な祭り」であると思います。言うと嬉しそうに笑って下さいました。
午後には「百合姫」と稚児行列が卒川神社をスタート3条通りを南下してJR奈良駅前でUターン2条通りを北上して新大宮で右折して卒川神社に戻るそうです。
今年の百合姫の案内は既に用意されていました写真では昨年の百合姫さんが案内されています。肌の白い、でも目が青い美人でした。百合の花がお似合いでした。
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昨年の百合姫さん目が青くて花が高いのですが笹百合はお似合いです。
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今年の「百合姫さんは「田島日菜子さん」で既に市内巡幸の用意が出来ていました。左の野点傘には百合の花が飾られています。




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「カタツムリ」の誘惑

我家は紫陽花で囲まれています。南側は生家の紫陽花を挿し木で育てました、横浜に多い「明月院ブルー」の紫陽花です。家の北東にも生家の紫陽花を挿し木しましたが、何故か赤い花が付きます。北東と云う事は京都でいえば鞍馬で鬼門になり四神は白虎です。北東を「ごみ溜め」にするのは縄文時代から続く伝統のようです。というのは昨秋友人と青森の三内丸山古墳を見学しました。展示の説明では広い丘陵の北東の谷戸に「ごみ溜め」があって、出土品の宝庫だったのだそうです。
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三内丸山古墳の地図、11が櫓でその南の5が母屋で母屋の東の7がごみためのあった谷戸です。
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三内丸山古墳のシンボル巨大な櫓とその南の母屋、母屋の左【北東】の谷戸がゴミ捨て場です。
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三内丸山古墳のジオラマ中央左端にお祭り広場や櫓がありその南に大きな母屋が在って母屋の東の谷戸がゴミ捨て場でした。
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三内丸山古墳のごみ溜めの再現展示施設、土器の破片や貝殻ばかりに目が捕らわれますがカタツムリの巻貝部分が出ないか気になりました。
我家で庭木の伐採枝等は北東の紫陽花の根元に捨てます。伐採木に落ち葉や枯れ花が腐葉土に変ります。腐葉土にする大役を担っているのは第一に「カタツムリで」次いでミミズです。ミミズやカタツムリやゴミ虫やダンゴ虫は有機物を解体する貴重な生物なのです。
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明月院ブルーの玄関先の紫陽花
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同じ親木からの挿し木なのに裏に移植した紫陽花は毎年赤い花が咲きます。この木の下が草木の捨て場になっているのでカタツムリが繁殖するのです。
東北が鬼門と見做されるのはごみ溜めが多く其処が不潔だからでしょう。縄文人は「ごみ溜め」で生育したカタツムリを食べたのでしょうか?食べたとすればカタツムリが日本の最初の「養殖事業」だったと思われます。次回三内丸山古墳に行ったら学芸員にごみ溜めからカタツムリが出土したか訊いてみましょう。
カタツムリは我家にも大量に自生しています。
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紫陽花の葉っぱはカタツムリの好物です。葉や花が腐っていれば更に好物です。
カタツムリの料理と云えばオリーブオイルとにんにくを加えて「たこ焼」の様にして焼いた「エスカルゴ」です。町内にある「サイゼリア」に行けば、エスカルゴが399円フォッカチオが2つで79円です。400円少しでワインさえ取らなければ、贅沢なランチです。そんな次第で、庭で育ったカタツムリを食べる衝動に駆られます。でも「カタツムリには悪性な寄生虫が居るから食べるな!」聞かされています。天麩羅の様に過熱してしまえば大丈夫でしょう。
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これはサイゼリアの「エスカルゴ」399円です。
21世紀は昆虫を食べる世紀だと云われています。今に『庭のカタツムリや倒木を集めて養殖したカブト虫の幼虫』を食べるライフスタイルが人気になるかもしれません。養殖と云えば「鰻に牡蛎に海老」で何れも美味であり栄養分のある食物です。
カタツムリにカブト虫の幼虫なら縄文時代に人類が食べていたモノ、屹度ロハスなライフスタイルとして評価されるかもしれません。



真竹の美味しさ

湘南二宮の「せせらぎ公園」に花菖蒲を観に行きました。JR二宮駅を降りたら駅北口からバスに乗って煮の意味や団地中央行のバスに乗ります。団地中央の商店は農協の経営する「ワクワク広場」です。
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二宮団地中央にある「ワクワク広場」では真竹の筍が売られていました。大根は1本98円筍も同じ値段でした。
「何か美味そうなモノは無いかな?」期待して覘けばトマトや枝豆の並びに筍が並んでいます表示は「真竹」と案内されています。わたしはこれは「淡竹」だと思っていましたが、食用の時は「真竹」茶筅や「扇」等の道具の素材にする時は「淡竹」と呼ぶのでしょう。門松にする時は何と呼ぶのでしょうか?ネットで調べると「日本の竹」と案内していました。
木にもあらず草にもあらぬ竹のよの、端にわが身はなりぬべらなり」(桓武天皇の皇女で高津内親王作/古今集)
木でも無い草でも無い、竹の節の様なこの時代に、自分は木の様に剛でも無く草の様に柔でもなく、中途半端な切れ端の様になってしまった。自嘲的に嘆いた歌でしょう。
私の生家の盛徳寺(曹洞宗)の裏山は真竹の竹林でした。梅雨入りすると、筍がニョキニョキ」出てきて、味噌汁の具も、主菜も筍を素材にしていました。母の得意料理は「新ジャガと筍と牛肉」の煮しめでした。真竹の筍は孟宗竹の筍に較べれば遥かに繊細でした。少しの苦味と、強い香りがしました。
毎年鎌倉の青物市場に出かけて真竹の筍を求めて、懐かしい煮しめをワイフに頼んできました。ワクワク広場で真竹の筍を見つけると。もう我慢は出来ません。紅花と一緒に買い込みました。ワイフは「持って歩くのは私でしょう」良い顔をしてくれません。でも私の食い気は止められないと諦めて、リュックに筍と紅花を刺して前を歩いて行きます。まるで弁慶が七つ道具を背負って歩いているようで愉快です。
実は二宮の帰路大磯の吉田茂邸を見学しました。他所のご婦人がワイフと同じようにリュックに筍を3本も刺して歩いていました。私はワイフの肩を叩いて教えてあげました。あのご婦人の筍は3本ワイフは2本と紅花です。ご婦人はご家族が多いのか私以上に真竹の筍の美味しさに眼が無いのでしょう。
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此れは大磯駅前にある「産直ゴー・ゴー朝露広場」で売られていた真竹の筍、ここでも「淡竹」とは呼ばずに「真竹」と呼んでいました。価格は食べ頃の3尺モノで100円でした。
帰宅すると早速に筍の皮むきです。食卓の向かいにワイフが座って1本づつ皮を剝きます。茶色の皮を剝くと下から青い肌が見えてきます。芳香が居間中を満たします。
竹の皮脱ぎて蒼き香りかな
私は竹の皮は多いね幾ら剝いても未だ残っている。12一重もこんなものかもね?
云えば「エロ爺が何を言い出すか!」白い目を向けます。
皮脱ぎで蒼き香漂うわが夕餉
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これが二宮の農協で買い求めた真竹の筍です。
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竹の皮を剝き終わりました。子供の頃はこの皮の使って「梅干+砂糖」を挟んでシャブッタモノでした。
ワイフは「青い所は堅そうね?」云います。何時もながら、筍は食べる処が少なく皮ばかりが目立ちます。食いしん坊の私は「よく噛めば青い所も食べられるよ!」主張します。
愈々夕餉です。屹度冷蔵庫には牛肉の買い置きが無かったのでしょう。主菜は「筍土佐煮」に「枝豆豆腐」加えて畑で収穫した巨大胡瓜を酢のモノを添えました。
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此れが夕餉です。メインは真竹の土佐煮で、枝豆豆腐に胡瓜揉みです。
冷奴の薬味は庭で収穫した青シソです。これに「空豆」が付いたら”初夏の三点揃いだな”おもいながら二人きりの夕餉をエンジョイしました。

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