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相馬の道の駅でランチして有名なB級グルメ「浪江焼そば」を食べました。相馬の野菜や果物も買い込んで宅急便で送りました。後は伊達を通って福島駅から自宅に帰るだけです。初期にプランしたモノは桜を除いて全部観ました。
相馬から阿武隈山稜に向かう115号線(中村街道)を西に進むと伊達正宗の育った霊山を経て伊達市に着きます。
桜が散って青葉若葉が山を覆って行きます。道路に突然猪の親子が出現して慌てたりしました。
友人が中村街道の遥か上で工事中の高速道路を指さして言います「もう、高速道は部分通行しているようだ!、高速道を走ってみようじゃないか?」
私達は不安と期待の入り混じった心中で高速道路に入りました。霊山町の入り口で高速道は終えていました。工事中の高速道路は常磐道の相馬と、東北道の福島北を結ぶ『東北中央自動車道 相馬福島道路』でした。福島県の「中通り」と「浜通り」を結ぶ高速道路で、周遊するには便利な高速道になるわけです。
伊達市の観光資産は伊達正宗関連の霊山廃寺や山城のようです。でも最大観光資産は明治維新の疑似洋風建築(重文)です。重文は二点在ります、一つが『旧亀岡家住宅』です。明治30(1897)年頃、伊達崎村(現在の桑折町大字伊達崎)に建てられた擬洋風建築。施主は当時の亀岡家当主・亀岡正元で、地元(飯坂)の大工棟梁・小笠原国太郎が施工を命じたそうです。
亀岡家は伊達崎村に代々続く豪農で、正元の代には蚕種製造でも成功を収めた。正元は、郡会議員などの要職も歴任した地元の名士として知られる人物。棟梁の小笠原国太郎は、飯坂温泉(福島市飯坂町)の旅館・花水館の「奥の間」や、なかむらや旅館の「新館」も手がけた名匠でした。
もう一点が旧伊達郡「郡役場」建物です。
これは『旧亀岡家住宅』のある「果物公園」です。花水木が見頃でした。
向こうの二つの塔屋のある建物が『旧亀岡家住宅』です。
外観は洋風で塔屋や3階建手の階段のある中央部の塔部分が眼をひきます。
でも、内部は落ち着いた和風建築で和様折衷と云っても「外観洋風・室内和風」建築です。
亀岡家住宅の室内の組格子戸写真出典伊達市ホームページ(http://www.city.fukushima-date.lg.jp/soshiki/87/16648.html
一方旧伊達郡郡役場の建物は「総二階建で、塔屋を頂く大規模な疑洋風様式」による近代役所建築。明治12年に保原町に設置されたが、桑折町の有志が誘致運動を行ったことにより、明治16年4月に本町に移されました。
疑似洋風建築と云えば山形や弘前に多く残されていて何れも県令「三島通庸」の業績が誉められています。戊辰戦争では悲惨な目に遇った東北地方でしたが維新を迎えると逆に「西洋文化」や「近代文化」に敏感でその建物として「洋風建築を競って故郷に建築したのでしょう。山形や弘前に遅れることなく伊達でも寺社建築を請け負っていた伝統建築の継承者(棟梁)が錦絵を横目に観ながら疑似洋風建築を実現したのでしょう。棟梁の新時代に期待する心掛けや、洋風建築に集まった人々の昂揚した意気を視る想いがします。
これが旧伊達郡郡役場の建物です。
これは旧伊達郡役場の室内です。写真出典福島県桑折町ホームページhttps://www.town.koori.fukushima.jp/kankou/sightseeing/4/4782.html。此方は外観も室内も洋風です。
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