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足助の町興しプラン

山城屋さんのお茶の間で東大都市工学部作成の足助開発報告書を閲覧しました。表題は「歴史町作り」とされていますので、歴史資源に着目したモノでしょう。都市デザイン研究室森助教の仕事で2008年に提出されています。
歴史町造りは私も共感するモノで、森助教授は高山や神田淡路町や神楽坂や鞆. 佐原. 神楽坂.  浅草等に並んで足助もターゲットにして調査をしていますから、我国で歴史資源を活かした町造りの基本設計には一番評価の高い教室なのでしょう。
今回が二度目の足助往訪でしたがそれでもこの調査報告に従って町造りが進められ、町民も協力している現状が良く解ります。
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此れが東大都市工学部工学科森教室の作成した足助の調査報告書です。町興しの為の基礎調査でありましょう。
先ず挙げられるのが香積寺下に整備されている「足助三州屋敷http://asuke.info/play/seeing/entry-708.html」です。足助周辺に散在していた民家を巴川の堰堤近くに移築して、匠を集めて道具の展示や民芸品の手作りする様子を見せていました。施設自体は東大の報告書前に竣工していますから、(1980年/昭和55)、報告書の方向は足助住民自体が以前から志向していたモノでしょう。
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これが足助三州屋敷です。写真の左が香積寺で右が巴川です。この辺りが香嵐渓の中心になります。
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三州屋敷辺りから巴川を見下ろす。紅葉は未だでしたが青嵐の梢が所々色ずんでいました。
かつての豪農屋敷を再現し、長屋門、母屋、竹屋などは茅葺の木造建築ですが、実際に施設内で民芸品の製作をして、使い方を説明し、匠との会話を楽しみ、民芸品を買い求める事も出来る「生きた民俗資料館」の態を見せています。「写真を撮るときは一声お掛け下さい」掲示してある事は「是非写真を撮ると同時に会話を楽しんで下さい」の意味でしょう。
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巴川の岸辺から少し上に足助三州屋敷があります。
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三州屋敷の良い処は街道町の生活を古民家で再現している事です。
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此れは完成品の草木染ですが、その前工程の紡績機織り、更には藍の原料になる茜の栽培も敷地内でしています。
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此れは三州屋敷で綿織物を実演してる処です。「何織りですか?」尋ねれば「三河織りです」とあっさり言われました。ショーケースには、綿花が展示されていて綿から綿糸、綿糸から綿織物に変わって行くプロセスを道具と併せて実演してくれます。
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これは番傘をスタンドにしたものです。番傘の骨になる竹籤造りからコウゾを梳いて三河森下紙造りも実演しています。お人形は土人形で「三州三河土人形」と呼ばれています。足助の雛祭りで主役になります。
現在鈴木家住宅(国の重文)の修復工事中です。3年前来た時も工事中で建物の内部は見学できませんでした。お庭から眺めるだけでした。工事の様子を確認すると庭先を大幅に改修して巴川との間を整備しています。正暦年間の六地蔵尊も含めて中馬街道から岸辺に降りられるようになりそうです。
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巴川の岸辺の遊歩道に降りる道、岸辺から1m程の位置にも道があります。街中には中馬街道があります。東大の報告書はこの三本の道が作る空間を活かそうとするものでした。
東大の報告書の要点の一つが川のある空間の活用です。
中馬街道は川に沿って飯田に向けて伸びています。街道から見ると、街道の5メートル下に遊歩道があって、その下1メートルに川が流れています。でも岸辺には降りられないように出来ています。
此れを街道、遊歩道、岸辺を有機的に繋ごうと云った提言です。
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重文の鈴木家住宅の庭先にも通じている遊歩道。この右に下の写真の正暦年間の六地蔵があるので六地蔵公園と呼ばれていましたが、今は鈴木家住宅も含んで工事中です。
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此れは鈴木家住宅の庭先を「六地蔵公園」にしている根拠の正暦年間の地蔵尊右側の矢板は鈴木家住宅の改修工事の覆いです。
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これが改修工事のお知らせ看板です。向かいの和菓子屋「両口屋サンに訊けば竣工予定は平成33年だそうです。
私の様な食いしん坊は遊歩道から岸辺に降りて足を水に浸して、簗場で鮎を摑み取りして川床で食べたいと思ったりします。イメージは京都の賀茂川や貴船に在る川床です。鈴木家住宅の改修工事が終われば足助は紅葉の季節だけでは無く人気になるでしょう。何しろ紅葉の他にも「片栗」に「山車」に「お雛様」に「匠技」「菓子」「ジビエ」等々昭和世代の懐かしい資源が揃っているのですから。

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ツバメと入れ違いに雁が北から渡ってくる季節になりました。陰暦カレンダーには『頃鴻雁来(こうがんきたる)』書かれています。窓から庭を見れば梅の木の梢に隼人瓜がブル下がっているし、瓜に負けじと夕顔が未だ咲いています。向かいの土手には高砂百合が白い花を咲かせています。高砂百合の周囲は背高泡立ち草が咲き誇っています。去年の晩秋には友人と連れ添って琵琶湖をグルッと廻って観音様を拝観しました。長浜の野鳥観察センターでは夕暮れの琵琶湖と波間を漂う雁を楽しみました。センター付属の道の駅レストランでは「鴨蕎麦」を食べました。.鴨(カモ)も雁(ガン)も同じカモ目ですが、小型のカモを鴨と呼び大型のカモを雁と呼ぶようです。
鴨を家禽化したものが『アヒル』、雁を家禽化したものが『ガチョウ』とネットでは解説していました。
北京ダッグとは北京烤鴨と書いていますから、北京のアヒルの意味でしょう。琵琶湖の鴨蕎麦は美味でした。鴨肉は入っていなくて肉団子が転がっていただけなのでしたが、肉団子は肉の他に骨も叩いて入っているのでしょう。野性の濃い味が絶妙でした。
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此れは長浜の野鳥センターです。野鳥の観察と道の駅とレストランの複合施設です。鴨蕎麦は実に美味しかった。
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此れが道の駅レストランの鴨蕎麦です。鴨の肉も骨の叩いた団子が良い味を出していました。鴨と云えば「鴨鋤」でしょうが、庶民は鴨蕎麦で大満足です。「鴻雁来りて」「鳥屋に走る」心境です。
佐藤八郎さんの詩に「秋刀魚の詩」があります。
あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
―男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける 。
幸いにして私は未だ一人ではありません、健康なワイフに恵まれているので
秋刀魚の詩の第4節の悲惨な状態とは程遠い状態です。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
―男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす
 。
そんなわけで今晩も夕餉にはお頭付が並んでくれました。
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 秋刀魚は塩焼きが最高です、我家は腹を塩焼きして尻尾は中華風(素揚げ)シテ、二日に分けて一匹を戴きます。
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我家の隣町飯島町の魚屋さん。此処で旬の魚を観て求めるのが私の楽しみです。勿論この日は秋刀魚がお目当てでした。お利口さんの柴犬がご主人のお買い物を待っていました。
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魚屋さんの店頭に並んだ秋刀魚、今秋は不漁と云っても1本100円前後であれば未だ庶民の味方です。秋刀魚の上にはカマスが売られていました。このカマスは相模湾モノです。何れ秋刀魚が高級魚になって庶民はカマスや鱧を食べるようになるのかも知れません。
小津監督の「秋刀魚の味」は次のような話でした。
親子3人の慎ましやかな家族を持っていた男(笠智衆)は妻に先立たれ娘は嫁に出ます。
本当は鱧(はも)を喰いたいのですが一人寂しく秋刀魚を膳に据えて食事をしています。
まるで佐藤八郎の「秋刀魚の詩」の場面のようです。
日本人なら秋刀魚を一匹炭火焼して酢橘をかけて食べたいものです。
でも、今年は秋刀魚が不漁で三陸の漁師も困っているし、庶民も悲嘆に暮れています。
似たような場面は秋田の鰰でも鵡川の柳葉魚(ししゃも)でも松前の「鰊(にしん)でもありました。一般に地球温暖化で寒流魚が不漁で暖流魚(鰤など)が盛んなのです。それが証拠に鮭鱒は不漁で鰤が豊漁なんて報道にも接します。
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此れは鮭鱒資源保護の為にロシアが「流し網漁(昔はハエナワ漁と呼んだ)」を禁止すると報じたニュースです。こうした資源保護施策は日本が先に言いだして然るべき施策です。
マスコミは『秋刀魚の不漁は台湾や中国が大型船団でカムチャッカ半島沖に出漁して若い秋刀魚を取り尽くしてしまう』のが原因だ報道しています。中国や台湾だって『脂の乗らない若い秋刀魚より脂ののった成熟した秋刀魚の方が美味しい』のは良く知っているでしょう。
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此れは今秋問題になっている韓国や中国の船団が出漁している海域の説明図データ出所は笹川財団https://www.spf.org/opri-j/projects/information/newsletter/backnumber/2001/28_2.html
脂ののった秋刀魚なら、油で揚げないでもっと美味しい食べ方をするでしょう。日本の水産庁が為すべきことは中国や台湾と協議して『資源保護を目的に秋刀魚は成熟したモノを取る』事を約束する事です、その為には漁網の網目に制限を加えなくてはなりませんし、中国や台湾船団が獲った秋刀魚を日本が買い取り、『市場で販売して、販売差益を水産資源保護の為に活用する』事も考えられます。日本の零細な漁師を台湾や中国の船団と競争させるより遥かに賢明だし、日本の漁師も納得するでしょう。
もう一つ気になる事実があります。現在はブルグ氷河期(約1万年前)の末期に在るのです。ブルグ氷河期には日本は大陸と陸続きでしたから大陸と変わらない動植物が生息していたと考えられます。温暖化が地球の宿命であるのなら、寒流魚は衰退し、暖流魚(鰤や鰹)に代わられるのは地球の営みです。ブルグ氷河期が終わって温暖化が進んだので、針葉樹が後退して照葉樹が進出しました。私の好きな八ヶ岳の麓の尖り石遺跡も八甲田山麓の「三内丸山遺跡も照葉樹林が育んだ縄文遺跡です。縄文海進時の海面は現在より少なくとも2〜3m高く、内陸部の奥部まで海水が侵入していて、青森平野においても内陸部まで内湾の環境が拡大していた。
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八甲田山麓の三内丸山古墳からは猪や鹿の骨の他鮭鱒の骨が出土します。(写真出典:青森県教育庁文化課)
一括して縄文時代と呼ばれますが。東日本の縄文遺跡と西日本の縄文遺跡は大違いです。東日本の方が先進しているし魅力的なのです。西日本の縄文遺跡はi東日本の縄文土器に較べれば大人しく魅力に欠けます。
というのは東日本の縄文遺跡はその前の石器文化が主として狩猟用の石器を駆使していたのに較べて。地球温暖化によって栗や楢の実を採取したり遡上してくる鮭鱒を採れば良かったのでした。従って土器は栗や楢の実を保存したり煮焚きする道具として発達しました。一方西日本の縄文社会は動物の狩猟と焼畑農業と芋を掘る程度でしたから、土器を進歩させる必要も無かったのでしょう。
3000年〜4000年前、次は寒冷化が日本を襲いました。
この影響を大きく受けたのが東日本でした。寒冷化に伴い落葉樹林の分布が西日本へとシフトしていき、東日本では食糧難の時代がやってきました。
東日本の人びとは集落を捨て、南へと移動を始めていきました。ここで東日本人と西日本人が交わるわけです。
一方大陸ではアレクサンダー大王が東方遠征を契機にササン朝ペルシャが滅亡します。(BC337年)
ペルシャ人は中国の華北に押し出されます。そして中国の黄河領域には幾つもの覇者の国が並び立ち戦国時代を迎えます。戦いに勝利して帝国を統一したのが秦の始皇帝でした。始皇帝が死ぬと中国は再び戦乱に陥り漢が統一します。しかし漢が黄巾の乱によって滅亡すると魏呉蜀が各々皇帝を自称して覇を競った三国時代を迎えます。日本は弥生時代から古墳時代に移行する時期に当たりました。魏志倭人伝にみるように日本は卑弥呼を始め様々な部族が割拠していたようです。三国時代を統一したのは晋でした。この頃朝鮮半島も3国(高句麗・新羅・百済)が鼎立していました。大和朝廷は中国か半島から日本に亡命して日本国の統一に成功した部族だった、と考えられます。
西日本に出現したのが大和朝廷です。大和朝廷は天孫降臨の神話(古事記や日本書紀)から推測するに始皇帝や新羅に追い出された部族が日本列島に入植したモノと推測されます。


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高句麗への想い

天皇皇后両陛下が日高の高麗神社を詣でられました。
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この写真は日高の巾着田に名物の彼岸花の群生を観られて同地の鎮守である高麗神社を訪れ禰宜に案内されておられる天皇皇后陛下です。日本人なら鎮守を詣でるのはな事です。巾着田まで行かれ近くの高麗神社を表敬しな買ったら、それこそ問題です。この折に天皇陛下が「何故百済や高句麗は滅亡してしまったのか?」ご質問されたのでした。写真出典/朝日新聞デジタル。
高麗神社は私の生活圏の大磯にもあります。多摩川沿いには狛江にもありますし、埼玉の日高にもあるわけです。北朝鮮を仮想敵国にして、この衆院選を勝利しようと安倍首相は必死です
私は芸大美術館の「クローン展」で高句麗の古墳群江西大墓の壁画を観ました。明らかに高松塚古墳尾壁画は高句麗壁画の原型です。高松塚古墳の主は高句麗の帰化人と思われます。6世紀後半から7世紀にかけて大和朝廷は百済とは友好関係に高句麗とは距離を置いて「新羅+唐」の連合軍に敵対します。結果京都の太秦や伏見には百済系の帰化人が移住し、関東には高句麗からの逃亡者が棲みつきます。彼等は先進の技術者で様々な文化をもたらします。
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此れが「芸大美術館クローン展」での古墳群江西大墓の壁画です。奥が玄武(北)ですから左は白虎(西)の筈ですがクローン展では朱雀(南)を展示していました。少し顧客ニーズに慮りが過ぎているようです。
 
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此れが高松塚古墳の複製写真。正面が北面で玄武です。南面は盗掘の際に破壊されていました。高松塚の主は誰だったのか?天武の子の草壁親王説等がありますが。若しも草壁親王であれば草壁親王の孫が聖武帝になるわけで、今上天皇のルーツが高句麗(北朝鮮)という事になります。
新聞では天皇陛下は高麗神社の宮司に「高句麗や百済などの国がどうして滅んだのか」などと歴史について熱心に質問された、そうです。一方朝鮮日報は「明仁天皇は日ごろから、朝日古代交流史に関心が高い」と報じたそうです。北朝鮮国民は安倍首相は嫌いで天皇陛下には好印象を持っているというのでしょう。天皇陛下と首相の姿勢は随分違います。どちらが賢いか?どちらが国民の総意に近いか?歴史を学んだ者にとっては明白です。
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此れは今春の巾着田です。秋には菜の花畑や高麗川の堰堤が彼岸花で埋められます。因みにこの畑や牧草地が蛇行した高麗川に囲まれ巾着の形をしているのです。高麗神社は向かいの山の右(北)山麓にあります。
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此れが巾着田の彼岸花です。紅一点ならぬ白一点が混じっていました。

北朝鮮の核の脅威を殊更にあげつらい国民に対北朝鮮警戒心を植え付け北朝鮮の友好国であるタイやインドに出かけて経済封鎖に協力するように説得する事は、歴史の流れにも逆行しているし、将来に禍根を残す懸念が大きいと云わずばなりません。北朝鮮に「若しも本気で核兵器を使う気が在るのなら此方に!手をあげている様な効果があるでしょう。
我国古代史で高句麗の果たした役割を考えれば日本の立ち位置はズット半島寄りであるべきです。小泉さんが突然北朝鮮に出かけた時は驚きましたが、結果全員で無くとも拉致家族の半分は奪回できました。私の胃袋に松茸も収まりました。今年も松茸には縁が無さそうな気配です、選挙で安倍首相は連日「北朝鮮脅威論を声高に主張しています。それが選挙で勝利する材料になると思っているからでしょう。日本の立ち位置は地球的な視野で考えれば半島に近いのですから、半島寄りであって然るべきです。今月は神無月、出雲の白兎の月です。半島から出雲に渡ろうとした兎(高麗人)が鮫に皮を剥がされて泣いていました。でも出雲の人達は高麗人を助けてあげました。今国連で決議され世界中から爪弾きにされている高麗人に救済の手を差し伸べる時が来ているように思うのです。


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9/30日(土)に日本文化研究会の秋のセミナーが始まりました。二か月振りに日吉のキャンバスに入りました。土曜日ですから公開講座も盛んに開かれています。心なしか黄ばんだ銀杏の葉を背景に公開講座の看板が立っています。大学の構内に入ると気持ちも華やいで来ます。
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9/30日慶応大学日吉キャンパスの銀杏も黄ばんできました。
昨年4/1に農地法が改正され、従来お百姓しか農地を所有できなかったのが「農業生産法人」ならば「農地所有」が出来るようになりました。
安倍首相の規制緩和の一環で、お百姓でなくても、食品メーカーや種苗メーカーが農業法人を設立すれば農地を所有で来て、安定的に農業を営める様になったのです。
慶応大学には農学部がありません。キッコーマンやサントリーや武田薬品が農業法人を設立して、安全で安定的な生産をしようとしています。近い将来食糧危機が到来する懸念も膨らんで来ました。、大学は社会のニーズに応える必要があります。慶応大学には「農業経営学部」を設立する必然性があるのと思うのです。
云うのは日本の経済学は江戸時代の農業経営学に端を発しているのです。

最近の業績では歴史人口学者の速水融(慶応名誉教授)氏は、日本の江戸時代の農業の変革を「勤勉革命」と呼び『生産向上』を解説しています。
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川崎民家園に展示されている農機具(奥に唐蓑)真ん中に千歯こぎその右に「型付け」が見えます。家畜と農機具の改良が勤勉革命のハードでした。先月の大雨で傷んだ「朝倉の三連水車」も江戸時代に作られた灌漑用施設です。
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福岡豪雨で損傷した朝倉の三連水車も江戸時代の農業遺産です。写真出典朝日新聞デジタルニュース/http://www.asahi.com/articles/ASK7F5VMPK7FTIPE04D.html)
ハード面では「大量の家畜 使用」をし、脱穀や田植え等で有効な農業用具を発明したのでした。
また農本思想家を排出し、勤勉に働く事の意義を説きました。具体的には二宮尊徳の思想は現代人も多く信奉しています(報徳運動)。後述する農本思想家が農業労働と宗教との関係を説いた事が越後やえっちゅうに豪農を産みます。
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9/30日慶応日吉キャンバスで開催されていたシンポジウム私の興味のあるのは左の」「自然災害」の研究です。この延長上には自然災害に直接影響を受ける「農業経営学」です。
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自然災害シンポジウムの講演者の紹介。農業経営は様々な学問の境界にあって、その成果を汲み取る事にあります。
慶応大学には小泉信三先生以来マルクス経済学の伝統があり(小泉先生は当初マルクス経済学の研究をされ、晩年自由主義経済学の論拠を置きマルクス主義を批判されました)。では大西 広教授がご活躍です。
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E.ノーマン著、 大窪 愿二訳の安藤昌益の研究
安藤昌益、帆足万里と云った農本主義革命思想家を発見しておいでです。一方近代経済学の祖マックスウェーバーの手法に倣って江戸時代を見渡すと、石田梅岩を発見しています。一般に「石門心学」と呼ばれる梅岩の思想は「商売に奉公する事が”神・儒・仏”の道に適っていると説いきました。「プロテスタンティズムと資本主義の精神」を思わせます。梅岩は『正直 倹約 勤勉』の三徳の実践を説いたわけですが。一方三河の禅僧鈴木正三は平易な仮名草子を使って『農業即仏道』を説きました。また冷害の地八戸には安藤昌益が出現し「自然真営道」を説きます。幕藩体制を否定し 「直耕」を人間の 本来のあり方とし,四民上下や男女の別のない理想社会である「自然世」を理想とします。マルクス主義革命を想わせる思想家でした。
私の大学での指導教授で居られた島崎教授は鈴木正三から山岸会を研究されました。山岸会とは『農業・牧畜業を基盤とする ユートピアをめざす農事組合法人』で三重にヒッピー共同体(原始共産主義)を実践しました。養鶏事業を見学に行ったものでした。安倍首相は山岸会の様な農業法人では無くて、サントリーやキッコーマンの様な資本蓄積の進んだ優良企業が川下から川上の農業そのものに進出する事によって農業の高度化競争力強化を意図しているのでしょうが。我国には江戸時代から農業の経営化が真剣に考えられて来たのです。
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鈴木正三の像は豊田の月心寺に祀られています。以前次にアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893298.html?m=lc&sv=%CE%EB%CC%DA%C0%B5%BB%B0&sk=0
慶応大学が総合大学であるためには農業の門が今も閉ざされているのです。
先学の業績を引き継ぎ現代社会経済の期待に応える為にも「農業経営学」を研究してほしいモノであります。幸いに慶応大学には医学部があり、北里大学が友好関係にあるなど恵まれています。
日大の様に「日大 生物資源科学部」(昔は農学部でしたが、種の改良が進み園芸作物や家畜や水産資源の研究(鰻等)でも業績を上げています。)ならずとも農学部と経営学部と薬学との重なる部分を標準として「農業経営学部」を新設してほしいと思うのです。
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此れは慶応大日吉キャンバスの銀杏です。夥しい数の銀杏の実が落ちていました。この樹は雌なのでしょう。拾って行きたかったのですが、帰りの車内で匂って恥ずかしい思いをしそうなので止めました。再来週はビニール袋と軍手を用意して来ましょう。因みにこの樹は左列の59番です。樹の根元が黒ずんでいるのは、多分竹炭を作る時に出てくる「竹酢液」でしょう。二年前ウィールスが蔓延した時に根回りを消毒したのです。


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