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鎌倉ウォーキング

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鎌倉の史跡や山を歩きながら、地誌を紐解き、自然と人為のマッチングをスケッチいたします。なお、筆者は小学校から高校まで鎌倉でお世話になりました。
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七里ヶ浜のスケッチ

9月26日は伊勢湾台風があったあった日です。
関東直撃も懸念されましたが、早くに東にそれてくれました。
台風が北に行くと、一気に秋風が吹いて衣替えを急がされました。
台風一過となれば、海を見に行きたくなります。
若しかしたら・・・・・南国から椰子の実が流れ着いているかもしれない・・・・、淡い期待があります。
私は鎌倉の由比ヶ浜から藤沢の鵠沼まで、海岸通りをバイクで走りました。
 
今、鎌倉には「自由研究」に訪れる小中学校の生徒さんが多く見られます。
朝、北鎌倉駅を降りて・・・・・昼に由比ヶ浜に集合するプランだったのでしょう。
北鎌倉と由比ヶ浜を結ぶルートは数多くあります。
葛原が丘から源氏山を辿るか、八幡宮を経て若宮大路を下るか、
亀ヶ谷切通しから今小路を下るか・・・・、
生徒さんが自由にルートを選んで、予習をしているようです。
由比ヶ浜で食べる弁当はさぞかし美味しい事でしょう。
 
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    由比ヶ浜で弁当を食べる中学生たち
 
小学生も弁当を食べていました。
訊けば「鎌倉付属小学校」とのこと、
付属小学校の秋の遠足は・・・・、由比ヶ浜なんでしょう。
校門から浜辺まで約4K、わざわざ遠くに行くことはありません。
鎌倉市内は、交通事故さえ無ければ、何処会行っても遠足には格好です。
 
海岸通りを稲村ケ崎に向かいます。
霊山下の辺りは関東大震災後そのゴミ等で埋め立てられたところです。
数年前まではセイタカアワダチソウが目立っていましたが、今はススキが失地を回復しました。
一面ススキの原ですが・・・・・、ススキの穂も二度の台風で傷んでしまいました。
もう艶やかな光沢は無く、色褪せてしまいました。
 
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   稲村ケ崎は海食崖です。岩場には黒松が生えています。
   良い景色ですが良く見ると松の根が岩を抱えています。松が無ければ、岩は転げ落ちる事でしょう。
   ススキが道路の右側に一面に生えています。
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   七里ヶ浜方面から見た稲村ケ崎。27日の昼は満潮でしたが、干潮であれば岩壁にある窓の下まで
   歩いて行けます。 岩壁の窓は太平洋戦争末期に作った防空壕のようなものです。
   海から攻めてくる米軍を監視しようとするものでした。
 
稲村ケ崎は急峻な海食崖(海の波が山を侵食して作った崖)です。
その岩場に黒松が生えています。
崖の先端の松は何時倒れるか心配しています。
松の根が岩を抱えていますが、何時岩が転げ落ちるか・・・・? 心配です。
奇勝ですが・・・・・・、海岸通りに岩が転げ落ちたら事故になる事でしょう。
でも、稲村ケ崎には岩場と黒松が欠かせません。
 
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    広重の七里ヶ浜の景色、稲村ケ崎からの景色は名勝の名に相応しかったのです。樹木は松です。
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       広重の絵と同じ、稲村ケ崎から見た七里ヶ浜の光景。
 
何代にもわたる黒松は稲村ケ崎の歴史ドラマを見続けてきました。
その第一は新田義貞の鎌倉攻めでした。
断崖を海岸沿い進む・・・・、奇襲をきっかけに鎌倉幕府は滅亡します。(1333年)
しかし、新田義貞の子新田貞邦も孫の新田貞方も千葉兼胤によって七里ヶ浜で斬処されてしまいます。
江戸時代になれば、弁天小僧菊之助の台詞に、
「浜の真砂と五右衛門が、歌に残した盗っ人の、種は尽きねえ七里ヶ浜」とあります。
七里ヶ浜の地名が全国に知られます。安藤広重などが稲村ケ崎から見る富士山を浮世絵に残します。
1910年には逗子開成中学校生徒さんのボート水難事故が起こります。
 
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  稲村ケ崎に立つ開成中学校ボート水難事故の慰霊碑。此処は夕焼けの美しいスポットでもあります。
 
鎌倉市民は稲村ケ崎から七里ヶ浜に特別な思いを持っているんでしょう。
ですから…唱歌「鎌倉」の一番は「七里ヶ浜の磯伝い 稲村ケ崎名勝の・・・・」に始まります。
稲村ケ崎は鎌倉にとって・・・・・、”南の鬼門”だったのでしょう。
 
藤袴の花が散る頃、稲村ケ崎に浅黄マダラが集まります。
崖に立ち上がる上昇気流に乗って天空に上がって・・・・・、北風に流されるようにしながら南に・・・・、
台湾にまで渡ります。
サシバやハチクマのような鷹も同じように稲村ケ崎から群れを為して南に渡ります。
 
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           鎌倉高校前で、踏切の向こうの坂から海を臨むアングルが人気です。
 
鎌倉高校前に来ました。
江ノ電の駅舎や、坂道から海を見る景色が人気で・・・・、若いカップルの姿が目立ちます。
眼を砂浜に移すと・・・・・・、ウエディングドレス姿の二人が居ます。
カメラマンが一人、スタイリストが一人、もう一人は用具入れを持って何やら世話を焼いています。
荷物には「青山フラワー」と書かれていますから、都心から来たのでしょう。
私は・・・・・・、こんな台風明けの澄んだ日は、結婚にお最適だなあ・・・・、思いながら道路を砂浜に下りました。
石段に腰掛けて・・・・・、結婚記念写真の撮影を見物です。
 
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    貝殻を砂浜に置いて「LOVE]書きました。桜貝を探してプレゼントしたいと思いました。
 
「おめでとうございます。お天気も祝福されて・・・・・、良いですね・・・」
「ところで、お二人はサーファー同士ですか・・・・?」
たて続けに訊いてみました。
すると、
「ありがとうございます。でも私達は別にサーファーというわけではありませんが、鎌倉が好きなんです。
それも七里ヶ浜が・・・・、そこで結婚記念写真は七里ヶ浜で撮ろうと思っていたら・・・、
こんなに素敵なお天気に恵まれました・・・・。」
 
言われてみれば新婦も新郎も色白ですからサーファーには見えません、美女美男です。
新婦さんは両肩を露わにしていますから・・・・、北風が寒いのでしょうか?
スタイリストさんがしきりにオイルを塗っています。
 
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靴を脱ぎました・・・…、どうやら渚で遊びたいようです。
でも、この日は波もあります・・・・。
少し無謀なような気もします。
 
渚に下りて少女のように遊び始めました。
新郎はドレスの裾が濡れないように・・・、裾を持ち上げます。
白い脛から・・・・、太腿も覘いて・・・・・・、
久米の仙人さん神通力を失った日本女性のおみ足ですから・・・・、
凡人の私には刺激が強すぎます。
 
おもっきり青春して、記念写真を撮ってもらって・・・・、
二人は砂浜に戻りました。
 
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     新婦がリードして渚に下りました。新郎はドレスの裾を持って、心配気です。
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                    七里ヶ浜の渚で戯れる乙女たち。 波は乙女をお転婆に戻すようです。
 
昔、生物の授業で教わりました。
”固体生命は系統生命を繰り返す(?)”(間違っていたらすいません)
人間は海から生まれたんだから・・・・、命の故郷「渚」には一際強い思い入れがあって・・・・、
渚に帰れば元気になると・・・・。
そう思いだすと・・・・、
寄せては返す波の間隔は何処か呼吸にも似ているような気がします。
 
私はお二人に桜貝をプレゼンとしたいと思いました。
もう3か月もすれば拾えることでしょう。
 
台風明けの七里ヶ浜のスケッチです。
 
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                               由比ヶ浜で拾った桜貝。近年拾いやすくなりました。
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昨日は御霊神社(鎌倉長谷坂の下)の湯立神楽を案内しました。
9月18日、午後2時半お神楽が終わると、続いて面掛懸行列が始まります。
異形の面をかぶった男達が、お神輿の先導をしながら練り歩くのです。
稲村ケ崎小学校の生徒さんが総出で(?)行列に並びます。
大きな子は旗や弓矢等を捧げ持ち、小さな子供達は山車を引いて行きます。
先生やPTAのお母さんでしょう。
子供の面倒を見ながら従います。
子供は滝の汗・・・・、強い日差しが容赦なく降りかかっています。
でも、神様は元気な子供が大好き・・・・、子供達も期待にたがわず頑張り抜きます。
見物人から小学生への応援の声がかかります。
延々と行列は続くんです。
 
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 坂の下「星の井通り」を練るお神輿。前方極楽寺坂。神輿を担ぐ装束もお神輿も八幡宮のそれと同じです。
 お神輿の前に面掛行列があります。
 
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 御霊神社の紋所は鷹の羽の矢羽紋です。狩り衣を着た少年、重い弓具をかけて汗だくでした。
 背後の旗竿も子供が持っています。風が強かったので重労働だったと思います。ごくろうさんでした。
 
 
鎌倉鶴岡八幡宮の秋の例大祭(放生会)、では京都の石清水八幡宮に倣って、面掛行列を始めました。(1187年)
行列をしたのは鎌倉の西外れ、坂の下に住んでいた雑色でした。
坂の下の坂とは「極楽寺坂」で、その坂下でした。
雑色とは古代雑役をしていた下層の人達です。
     (雑役:掃除などの仕事、力仕事のほかに音楽芸能を行った)
坂の下の人達は鎌倉時代から明治維新まで700年間、鶴岡八幡宮の例大祭で面掛行列をしていたんです。
ところが1868年(明治元年)維新政府は神仏判然令を発布し、八幡大菩薩を禁じます。
古代から日本人は仏教が日本に伝わると、仏が神として日本に現れた(垂迹)と考えました。
八幡様の祭神は応神天皇(誉田別命)ですが、阿弥陀如来が垂迹したものと考え、
八幡大菩薩の名を贈っていました。
八幡大菩薩を禁じ、応神天皇と阿弥陀如来を判別させたのでした。
その為に、鶴岡八幡宮の仏教の色濃い部分は追放(堂塔や仏像は破壊)されました。
面掛行列もこの時に禁じられてしまいました。
 
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                                    行列の先達は天狗面をつけた猿田彦です。
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                                  先達をする猿田彦の命
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1番面の爺、2番面の鬼、3番目の異形が続きます。
 
 
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                                3番面の異形と4番面の鼻長
 
坂の下の人達は八幡宮での面掛行列を禁じられてしまうと・・・・・、
自分達の鎮守様「御霊神社」に持ち帰り、続けてきました。
お蔭で、面掛行列と言えば御霊神社と言われるほど有名になりました。
 
   
伎楽面(ぎがくめん)をかぶった10人の行列です。
東大寺や法隆寺の伎楽面に比べれば時代が下がっている事は間違いありませんし、お顔も異形面ばかりです。
古色蒼然としたものもありますが、新しい面もあるようです。
全体として、異形の人達の仮装行列の観があります。
1753年仏師「後藤斎宮」(鎌倉彫中興の人物)が伎楽面を彫って八幡宮に奉納し、現存している・・・・、
記録されていますから・・・・・、相当部分は江戸時代中期のお面なんでしょう。
此処にも仏像彫刻から転身した鎌倉彫の歴史が潜んでいます。
 
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                                                    6番面の翁
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                                                 7番面は火吹男(ひょっとこ)
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                                                 8番面は福禄(ふくろく)
 
面掛け行列と言えば、当麻寺や久米寺等の25菩薩行列を思い出します。
全国各地に残されていますが、私の生活圏では自由が丘の九品仏でも催されます。
古代から中世にかけて、人間が亡くなると・・・・、
阿弥陀様が25菩薩を遣わせてその魂を迎えにくる・・・・、信じられました。
聖衆来迎図と呼ばれる絵画が描かれます。
当麻寺の曼荼羅は中将姫の伝説・・・・、聖衆来迎図です。
更に、聖衆来迎図の舞台版のようにして・・・、
菩薩面をかぶった25人もの仏様が渡って来る行列も始まりました。
 
明治の維新政府はこの25菩薩行列と八幡宮の面掛行列を混同したのではないでしょうか?
御霊神社の面掛行列には仏教色は感じません。
どちらかと言えば・・・・、
仮装行列で、お祭りの中でこの日は心底無礼講で楽しもうとする庶民の意図を感じます。
国家神道に比べて・・・・俗信と呼ばれた神々の世界です。
俗信を排除しようとしたんでしょうか?
 
 
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  9番面は阿亀(おかめ)、そのあと(10番面)に「とりあげ」と呼ばれるお産婆さんが従います。
 
面掛行列は延々と続きます。
8番面のお亀が一番人気で、その大きなおなかを撫でると子宝に恵まれる、安産になる・・・、
信じられているようで、若い女性も、もう済んでいそうないそうな伯母さんも競っておなかに手を当てていました。
こうした形は本家本元の宇佐八幡で始まったようで・・・・、
宇佐八幡では若い女性のお尻をつねっても良いそうです。
お尻をつねられた女性は・・・・、お祭りでなければ”セクハラしないでよ”怒るのでしょうが、
この日ばかりは笑ってくれるそうです。
なぜなら・・・・、つねられた女性は安産になるそうです。
私は見たことが無いのですが・・・・・、神様でなくても(セクハラ叔父さんでも)つねられて霊験があるんでしょうか?
千葉富津の観蔵寺(88番霊場)でもお祭りの日は女性のお尻をつねられる・・・・、案内されていました。
 
面掛行列通り過ぎてしまうと、また元の静寂な街並みに戻りました。
もう1時間も経てば夕暮れです。
私は極楽寺坂を越えて稲村ケ崎に出ました。
夕焼けを見る為です。
期待通りの茜色に空が燃えていました。
お祭りで火照った体や心を秋風が快く冷やしてくれました。
 
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    稲村ケ崎から見た夕焼け、向こうは江の島です。サーファー帰宅します。
 
 
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鎌倉界隈ではお祭りというと「湯立神楽」が催されるところが多々あります。
藤沢の白旗神社、金沢の富岡八幡宮が有名です。
私の家の近くでは舞岡八幡宮で営まれます。
神主は大きな鉄釡にグラグラ湯を沸かせて、笹竹を湯に立てます。
湯煙が濛々と立ち上がります。
笹竹を右に左に振ります。
熱い飛沫が観衆の頭に降って来ます。
湯煙の立ち具合で吉凶を占い、熱い飛沫を浴びれば良い一年になります。
 
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        舞岡八幡宮の湯立神楽。神主は呉竹を湯の中に立てて大幣のように大きく振ります。
        濛々と湯けむりが上り、熱い飛沫が観衆に降り注ぎます。
 
高校の授業で盟神探湯(くかたち)を教わりました。
古代日本で実施されていた神明裁判の事です。
中国の正史である三国史の魏志倭人伝に有名な記述があります。
「卑弥呼は邪馬台国に居住し、鬼道で衆を惑わした」
鬼道とはシャーマニズムの事でしょう。
盟神探湯はその一つで、 ある人の是非・正邪を判断する為に、
熱い湯に手を入れさせて、火傷になればその人は悪人で、何でもなければ無罪である・・・・、
そんな判決を下しました。
湯立神楽は盟神探湯そのもので、卑弥呼の時代にタイムスリップさせてくれる・・・・、そう思うんです。
 
鎌倉界隈で営まれる湯立神楽は良く見かけますが・・・・・、
何と言っても親切で、良く解るのは御霊神社(長谷)です。
神主さんが説明を丁寧にしてくれます。
御霊神社の例大祭は「面掛け行列」で有名ですが、
湯立神楽も良いもんです。今日は神楽を、明日は面掛行列を紹介します。
どちらも鶴岡八幡宮で「坂の下」の氏子が営んでいたもののようですが、
八幡宮での営みが中断され、
坂の下の氏子達が自分の村の鎮守様の祭礼に伝えてきたものと言われています。
 
 
鶴岡八幡宮は京都の石清水八幡宮を勧請したもので、源氏の氏神様です。
石清水八幡宮は九州の宇佐八幡宮を勧請したものですから・・・・・・、
卑弥呼の故郷に近い所に遡ります。
祭神は応神天皇です。
日本の書紀には神功皇后(女性)が天皇に準じる扱いをされています。
(皇后を卑弥呼と観る説も有力です/吉竹武彦/女帝の古代日本)
神功皇后は熊襲(九州)を征伐し日本の統一を為します。
更に朝鮮半島に進出、新羅など三国を従えたと伝えられています。
新羅から帰国した神功皇后は応神天皇を筑紫の国で産みます。
応神とは「神明に応じる」と書くのですから・・・・、神(天照大神)の神明を実行した天皇の意味でしょう。
応神天皇の子が仁徳天皇、日本古代史の中核になります。
八幡宮は神功皇后から応神天皇、仁徳天皇の三代を祭神として祀っています。
 
前書きが長くなりました。
いよいよ、湯立神楽(鎌倉神楽)を案内致します。
12座が次々に演じられました。
そのおのおのについて神主さんが説明してくださいます。
最初は打ち囃子(うちはやし)です。
笛・太鼓・大胴を音合わせします。
この場所でこれから神楽を演奏致します、神様に祈念し、
奉仕者、参列者、の心を高揚させる所作だそうです。
 
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   湯立神楽は御霊神社東側の庭を斎庭にして営まれます。二人の氏子が主役のお湯を焚いて本番を待ちます。
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  第1座「打ち囃子(うちはやし)」全員が揃うとお椰子が奏されて心の準備を終えます。
  今年は9月18日に営まれました。
 
続いて第2座は初能(はのう)が奏じられます。
神楽の聖域に邪悪なものが入らないように浄められます。
神主は三宝の上に盛られた神饌の白米を白扇の上に載せます。
これを四方に撒きます。
稲の呪力で浄められるのだそうです。
 
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  第2座は初能(はのう)、左手の白扇の上には神饌の白米が載せられています。右手は鈴を持っています。
  邪気を鎮め、浄めます。
 
第3座はお祓いです。
神主が竹に紙垂を挟んだ小さな幣を両手に持って、四方をお祓いします。
神様が降臨する「ひもろぎやま」(五色の紙垂で飾られたピラミッドの形をした小山)、お湯、釡、参列者など
祭りの場所全体を浄めます。
お湯にはお神酒を注ぎます。
 
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   第3座お祓い。神主が竹に紙垂を挟んだ小さな幣を両手に持って、四方をお祓いします。
第4座は御幣招き(ごへいまねき)になります。
お祭りをする「斎庭」も浄められました。
斎庭の中央に設けられた山(やま)に神々のご来臨を仰ぐために神主が舞います。
「神招き」の舞です。
 
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   第5座「湯上げ」、右手のお釜から濛々と湯けむりが立っています。このお湯を笹に掬って、
   向こうの神前に供えます。


いよいよ第5座「湯上げ」が始まります。
山に来臨された神々を拝する最初の所作になります。
邪霊や邪気を鎮め清められた「お湯」を、まず最初に神々に献じます。
神主は真っ青な呉竹をグラグラ煮えたぎった釜に差し込み、
湯煙の立つ呉竹を本殿に捧げます。
これで神楽の前半が終わります。
 
第6座(中入れ以降)が後半で、お楽しみの時間です。
それこそ「神楽/神様と一緒に楽しむ」時間です。
奉仕の神主さんも狩り衣をぬいで宴会用(・?)の半纏を羽織ります。
神楽の場に居合わせた人にはお神酒と赤飯が配られます。(前の方の人だけ)
戴いた人は神気を体に取り込めて・・・・、うれしい事でしょう。
  
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   右の神主さんは釡に笹を立てて掻き湯をしています。左の神主さんは笹を持って振ります。
   参列者の頭に飛沫が飛びます。
 
第7座「湯立ち・掻き湯」
湯立神楽のクライマックスになります。
神職は戸塚小雀の御霊神社の神主さんに交代されました。
小雀の御霊神社の神主さんは今年百歳になられたそうです。
そこで敬意を込めて、一番大事な神楽をお願いしたのでしょう。
お願いした神主さんいも、受けられた神主さんにも敬意を払います。
参列した私達も達者で百歳まで長生き出そうな気になってきます。
老神主さんは神招きの祈念を込めて御幣を煮えたぎった釜の中に入れて、お湯を掻き混ぜます。
釜の底から立ち上がる「湯の泡」の様子で今年の吉凶を占うんだそうです。
濛々と湯気が立ちました。
この湯気の事を「湯花」と呼ぶそうです。
湯花は大銀杏の梢の上まで上って行きました。
神主さんが報告されました。
「今年は見事に湯花が上がりました」
今年は”吉”で間違いない事でしょう。
 
第8座は「大散供/だいさんく」です。
錦糸の羽織に着替えられた神主さんが二人、白扇の上に神餞の白米を乗せて、舞ながら回ります。
笛や太鼓が鳴って、舞に同調します。
神主さんは左手に鈴を持って、鈴も鳴ります。
最初の白飯撒き(初能)に比べれば、楽しさいっぱいの神楽です。
 
第9座は笹舞(笹マイ)です。
羽織を着た二人の神主さんが、湯たぶさをとって四方に向かって舞います。
今年の豊作・豊漁と、氏子のや参列者の無事息災を祈念します。
笹から煮えたぎったお湯が飛沫になって四方に飛びます。
熱い飛沫は神様の息吹であって、これを浴びた人は福にあやかれる訳です。
参列者にも、銀杏の大樹にも、根元の石にも・・・・、等しく熱い湯が降り注がれます。
”熱い”叫びながらも・・・・、皆嬉しそうです。
 
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第10座は射祓(いはらい)です。
神主さんは小さな弓を持って現れました。
襟首に5本の矢を挿しています。
そして、四方に向かって、中空に向けて弓を張り、矢を射放ちます。
矢は邪気を射祓い、邪悪を射据えて、招福除災を祈念するのでしょう。
大相撲の弓取り式と同じ意味でしょう。
参列者は競って矢を拾います。
5本目の矢は・・・・、神殿に向けて構えられましたが・・・・、放たれませんでした。
 
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                      第10座は射祓(いはらい)です。中空に向けて矢を放ちます。
 
第11座は剣舞(けんまい)です。
一人の神主さんは赤いお面をつけています。
天狗は鉾を持っています。
勇ましく舞います。
舞には邪悪を踏んで鎮め、天地の気の乱れを正し、邪霊を鎮める意味が込められているのでしょう。
邪霊を鎮めれば・・・・、裏を返せば「豊年満作・大漁感謝・天下泰平」良いことづくめになります。
 
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  第12座は毛止幾(もどき)、天狗は鉾を持って邪悪を鎮めます。山の神はお杓文字を持って
  参列者の頭をたたきます。そして、二人で飴玉を参列者に撒きます。
 
第12座は毛止幾(もどき)になります。
11座の途中から黒面で縮れ毛の・・・・、山男が現われました。
山の神は天狗の真似をしながらおどけたり、手にした大きな杓文字で参列者の頭を小突いたりして、
笑いを誘います。
そして三宝の上に盛られた飴玉を参列者に撒いて回ります。
大いに盛り上がった処で・・・・、お神楽は終了です。
この盛り上がりは午後2時半からの面掛け行列に持ち込まれます。
この最後の神楽の舞が「毛止幾(もどき/真似をする」と呼ばれるのは屹度次のような意味が込められているのでしょう。
神楽の真似をして(もどきをして)毎日を過ごしましょう。
邪悪な心を戒め、鎮めて日常を過ごしましょう。
そうすれば、新しい命が常に宿って、毎日が充実して、楽しくも充実した日々が送れます。
昨年胃癌手術をした私には・・・・、湯立神楽の意味が素直に解ります。
 
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           御霊神社、湯立神楽の斎庭の上にはたわわに銀杏が実っていました。
 
 
 
 
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お彼岸が近づいてきても、未だ夏には未練が残っているようです。
夏を象徴した凌霄花も夾竹桃も、再度花をつけていました。
そんな夏の未練を吹き飛ばしたのが、台風18号でした。
 
 
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   この夏お騒がせだった由比ヶ浜、台風一過の9月16日、建設機械を使って撤去作業をしていました。
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                           滑川の河口部に作られた架設橋も半分流されていました。
 
今年、湘南の海水浴場は新聞紙上を賑わせていました。
江の島海水浴場での「音楽禁止」が震源でした。
新聞紙上では「音楽禁止」の理由は次のように報道しています。
 
海水浴の「海の家」のクラブ化が進んでいるそうです。
夜になると海の家がディスコ・クラブの変身するそうです。
入場料(3000円が水準)を払って海の家に入れば、酒は飲めるし、踊り明かせるそうです。
刺青客は増えるし、泥酔した若い人が砂浜にたむろする。
犯罪も増えたし、近隣の苦情も増大した。
これでは、健全な海水浴客に敬遠されてしまう・・・・、そんな危機感が「音楽禁止」に走ったようです。
 
砂浜は綺麗に清掃されているし、海水も綺麗になりました。
昭和40年代、私が学生だった頃は湘南の海水浴場は芋の子を洗う状態でした。
他に遊びも少なかったからでしょう。
超満員の横須賀線に乗って海水浴に出かけました。
ひと夏1000万人単位のお客が集まりました。
砂浜も、海も汚れていました。
 
江の島の海水浴客を調べてみました。
平成5年は255万人のお客さんでしたが、平成21年は423万人、
天候によって出入りはあるようですが、総じて海水浴客は一時の倍に増えているようです。
若者が減少し、加えて楽しみも多様化している現在です。
これを1000万人に戻すのは現実味が乏しく、低位としてもお客さんは安定化している現状でしょう。
 
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    今年の由比ヶ浜海の家、右の海の家がTV朝日のものです。一番目の写真撤去中のものです。
 
江の島でディスコクラブを狙い撃ちした結果、刺青客等は東に、鎌倉から逗子の海水浴場に向かいました。
慌てた鎌倉・逗子も「音楽禁止」を打ち出しました。
「NO! TATOO」の看板が砂浜に立てられ、音楽も禁止されました。
 
一方的な音楽禁止に怒ったのがキグマレンのKUREIでした。
「音霊」として地元出身のアーティストを出させて、「海の家ライブハウス」を運営してきたのでした。
10年続いた加山雄三や藤井フミヤ等のライブは来年から見られなくなってしまいました。
 
私はディスコの趣味もありません。
唯、夕暮れ時になると海水浴場に出かけます。
缶ビールを飲みながら・・・・・、様々なイベントや水着姿をぼんやり見るのが好きなんです。
 
数年前、立教女学院大学の生徒さんのフラダンスを眺めながら、
飲んだビールは最高に美味しかったものでした。
音楽禁止では、もうフラダンスも見られなくなってしまうのでしょう。
 
音楽禁止は観光業の自殺行為のように思えます。
味噌も糞も一緒に土の中に埋め込んで・・・・、何も無くなってしまいそうです。
糞だけ処分する方法を講じるべきでしょう。
 
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       由比ヶ浜でのフラダンス(http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/45346128.htmlに書きました)
 
 
この夏、ネーミングライツも売却した由比ヶ浜です。
何かとお騒がせでした。
 
台風一過の9月16日、どうしているか・・・・、由比ヶ浜に、見に行きました。
未だ大きな波が打寄せて来ています。
  (この日、茅ケ崎でサーファーが溺死したそうです。)
 
未だ、海の家の撤去は終わっていませんでした。
砂の中に埋められた海の家の基礎コンクリートを掘り出していました。
もう数日、稼ごうと期待して撤去を遅らせていたのが・・・・・、台風の遭遇した原因でしょう。
これも、夏の未練が残した被害でしょう。
9月になったら、きっぱり諦めておけば良かったのに・・・・。
材木座海岸のお客さんも取り込もうと・・・、滑川の河口に渡した橋も流されてしまいました。
 
八幡宮の「鈴虫放生祭」を見終わって、また由比ヶ浜に出てみました。
もう夕陽は沈んだ後でしたが・・・・、残照が見事な茜色で、空を、雲を染めていました。
此処に昔のような「海浜ホテル」が建っていたならば・・・・・・、
鎌倉の観光業も栄えていただろうに・・・・、
「音楽禁止条例」なんて言った姑息な施策で、世情を賑わすことも無かったろうに・・・、思われます。
 
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    9月16日の残照、沢山の人が夕焼けを見ようと由比ヶ浜に集まっていました。
    午前中に比べれば大分波も穏やかになって来ました。
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   稲村ケ崎の向こうに陽も沈んで、夜のとばりが近づいてきましたが、子供達は砂浜を離れません。
   子供も大人も海は故郷なのです。海を人から奪おうとするのは愚かな事です。
 
音楽もお酒も・・・・、若者から奪おうというのは愚挙です。
酒と踊り、音楽は「若者の特権」でしょうから・・・・。
問題は刺青の客であり、泥酔したお客であるのならば・・・・・・、
要するにディスコ経営者の問題でしょう。
 
砂浜は国の所有(市民のもの)です。
利用権は漁協にあるのでしょう。
海の家業者が漁協に金を払って、ひと夏借りて、海の家を建設します。
脱衣場として、飲食の提供も致します。
 
夜になるとディスコ業者に貸します。
ディスコ業者がお客の選別、管理をすればよい問題のようです。
出鱈目なディスコ業者を取り締まれば済む処なのに・・・・、
音楽禁止では、健全なライブも、フラダンスも締め出してしまったようです。
 
未だ、来年の夏まで時間があります。
観光業の一層の盛り上がりの為に・・・・、
湘南の看板「砂浜」の復権を図ってほしいものです。
砂浜は市民のものです。
「夏の未練」にならないように・・・・。
 
 
 
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                  西に陽が沈めば東から月が昇って来ます。今晩(19日)は十五夜です。
 
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   材木座の光明寺山門の上に昇ったお月様。来月(12日〜15日)はお十夜で賑わう事でしょう。
 
 
 
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16日午後1時に始まった流鏑馬が終わったのは3時を回っていました。
鶴岡八幡宮秋の例大祭の最後は「鈴虫の放生祭/ほうしょうさい」で、5時に始まります。
時間がありましたから、私は扇ガ谷の海蔵寺まで行ってみる事にしました。
この寺の石段の両側は白萩、宮城野萩が茂っていて、まるで滝のように見事なのです。
屹度台風で花は散ってしまったでしょうが・・・・・、散った花も綺麗な事でしょう。
この寺は萩と虫の音でも有名なんです。
 『 侘び住めば 八方の虫 四方の露』  の句碑もあります。
   (次に書きました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/25968007.html)
 
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    海蔵寺の散り萩の花。大水で流されて・・・・、地べたに残されたのでしょう。
    萩は二度咲きしますので、 この秋は未だ楽しめるでしょう。
 
外は野分で荒れています。
縁の下でコオロギが鳴いています。
コオロギを追いかけて蟷螂が室内に来ているのでしょう・・・・・、パソコンののキーボードの上に乗っています。
”ブログなんか書くよりも、俺と遊ぼうじゃないか!” 誘っているような顔つきです。
 
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   私のパソコンの上で、お邪魔虫をする蟷螂君(雌)。コオロギも蟷螂も命を繋ぐのに懸命な季節です。
 
小さいころ、コオロギの鳴き声を聞きながら、祖母が話してくれました。
「コオロギが何て鳴いているのか知っているかい?
コオロギは”針させ 綴りさせ 寒さが来るぞ!” と鳴いているんだよ。
人間は死ぬと虫になる者もいる。先祖が子孫に冬越しの準備を急がせているんだよ・・・・。」
 私の背筋に寒いものが走りました。
「死んだら、コオロギになるかも知れないんだ・・・・。」
「自分は死んだら・・・・・、コオロギにはなりたくないもんだ・・・」 思いました。
 
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  台風一過、潮風が汚した窓ガラスを吹くのに懸命です。巫女さんも優雅にはしていられません。
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   鈴虫放生祭の直前になって、ようやく境内の落葉、落枝もお掃除出来ました。
   舞殿床は未だお掃除できていません。そこで急遽鈴虫放生祭は奥の若宮で行われました。
 
毎年八幡宮の鈴虫放生祭は舞殿で行われます。
でも、昼まで野分でしたから・・・・、舞殿のお掃除まで手が回りません。
その為でしょう、今年は若宮で行われます。
 
午後5時、社務所を出た宮司一行は、先ず東の祭祀場でお祈りをします。
そして、若宮に上ります。
3つの虫籠が神前に置かれています。
竹籠ですが、雅な形をしています。
祝詞が奏上されますが・・・・・、
リーン・リーン、鈴虫の鳴き声は祝詞以上に響き渡ります。
三拝され、管弦、奉納舞と続いて、撤饌となります。
 
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八幡宮西側、木立の中にある祭祀場でお祈りをしてから・・・・、若宮に回って鈴虫放生祭が行われました。
 
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   宮司一団は舞殿の横を廻って若宮に上ります。
 
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    宮司が祝詞を奏上します。神前左、机の上には3つの鈴虫の虫籠が置かれています。
    鈴虫の鳴き声が隅々まで響き渡りましたが・・・・、祝詞は聞き難いものでした。
    屹度、「生きとし生けるものの命を大切にして、民と国が平安なる事」 を祈られた事でしょう。
 
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  巫女さん二人で奉納舞が演じられて、次は撤饌の儀で若宮での神事はお終いです。
 
 
 
放生祭といえば、お寺が多いようです。
春には遊行寺で放生祭が行われます。
 
生き物の命を大切に思う心は仏教も神道も同じでしょう。
放生祭は鶴岡八幡宮のルーツ、京都の石清水八幡宮のそれが有名です。
石清水八幡宮創建の4年後(貞観5年/863年)、
清和天皇の御代に石清水八幡宮の放生川の辺で、魚や鳥を解き放った事に始まりました。
鶴岡八幡宮にも引き継がれ、延々と続けられてきたのですが、明治維新の神仏分離令の頃に中断されたようです。
それが復活し、平成16年から鈴虫を放つ形になったそうです。
6月には蛍の放生祭が行われています。
季節の色濃い蛍や鈴虫を放って・・・・現代的な放生祭を再スタートしたものでしょう。
遊行寺の放生祭は金魚やメダカを池に放ちますが・・・・・、
それも良し・・・・、
でも蛍や鈴虫なら・・・・、もっと雅で、趣深かろう・・・、そんな考えでしょうか?
 
私の目の前の巫女さんが頬っぺたを自らの手で叩きました。
どうやら、ふくよかな頬を蚊が刺したようです。
私は一層楽しくなりました。
私が蚊だったら…、親爺の脛を刺すより、巫女さんのホッペを刺したくなります。
祖母風に言えば、蚊になった霊が人を選りすぐって、柔らかそうな巫女さんに狙いを定めたのでしょう。
キリギリスが飛んで来て、黒い扉に止まりました。
「俺も放生祭の主役だぞ!」 主張しているようです。
 
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   宮司らの履物をそろえる巫女さん。この後、巫女さんは蚊に悩まされました。
   なにしろ会場が池の端にある若宮でしたから・・・・、蚊が多かったのです。
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   飛んできたキリギリス、黒い扉に止まりました。御簾の模様は蝶ですし・・・・、八幡宮の意匠は生き物が
   溢れています。
 
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                        これが主役の鈴虫君です。八幡宮の鈴虫ではありません。
 
若宮を出た宮司一行は、東の白旗宮の方に回ります。
白旗宮と若宮の間は古池で、その畔で鈴虫を放すのです。
杉木立の向こうで、管弦の音が響き・・・・、鈴虫は全部放たれました。
こうして、放生祭は終了です。
秋の例大祭も完了です。
 
総ての神事が終わるともう、月が梢の上に出ています。
西の空は、茜色に染まっています。
明日(17日)は良いお天気になる事でしょう。
来年も鈴虫は良い音を響かせてくれることでしょう。
 
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                                 宮司一行は鈴虫を放す池の畔に向かいます。
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                                鈴虫籠を奉げて、放します。
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     若宮と白旗宮の間の池の畔で鈴虫が放たれました。
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     東の空には月が出ていました。19日が中秋の満月になります。
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   鈴虫放生祭が終わると、6時過ぎ空は茜色でした。下方の灯りは若宮大路です。
 
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