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鎌倉ウォーキング

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鎌倉の史跡や山を歩きながら、地誌を紐解き、自然と人為のマッチングをスケッチいたします。なお、筆者は小学校から高校まで鎌倉でお世話になりました。
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大町交差点には畳屋の「畳善」金子さん、床屋の「臼井君」、古本屋の「清田君」等皆小学校の友達です。店に入れば懐かしい顔が見える事でしょう。畳屋さんも床屋さんも変わらないようでしたが、古本の清田君は不動産仲介業に転業したようです
私は前々から大町踏切に在る石仏が気になっていました。石仏と云うより「記念碑」なのです、中央に一見して観音立像が在ります。観音像を御河童髪の少女が囲んでいるのです。
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此れが鎌倉大町踏切に建っている観音立像と子供の像です。
横須賀線の踏切は総じて地域住人に親しまれています。芥川龍之介の「蜜柑」は踏切で見送る妹達に姉が電車の窓から蜜柑を放り投げる場面を描いていました。私は鎌倉と逗子の間の「名越踏切」が舞台であろうと確信しています。大町踏切の東隣、名越踏切との間にの『市場踏切』(辻の薬師堂前)には卒塔婆が建っていて2人の水子の回向に弔われています。明治42年この踏切で幼児が二人悲劇に遭遇したのだそうです、回向は近くの本興寺が供養しているのです。
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此れは鎌倉の市場踏切の前に建っている「辻の薬師堂」この冠木門の左には近くの本興寺さんが、施餓鬼には二人の戒名を記した卒塔婆を建てておいでです。堂内の薬師像地蔵像は重文指定を受けています。写真の様な質素な建物で安全なのか懸念されます。
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此れは鎌倉市場踏切に建っている慰霊塔です。毎年辻薬師東側の本興寺さんが施餓鬼供養しておいでです。この辺りは「日蓮上人辻説法」の地で昔は青物市場が在ったので「市場踏切」と呼んでいます。
もうじき今年も施餓鬼会です。本興寺には見事な百日紅が咲きますので、私は施餓鬼になると本興寺に登ります。運が良いと辻薬師堂が開帳していますので重文の薬師立像を拝観できます。
さて、大町踏切の観音立像ですが、石仏と呼ぶより何かのモニュメント科、慰霊碑の雰囲気です。中央の観音立像の表情も仏様と云うより「優しい保母さん」です。観音様を囲んでいるのは坊ちゃん刈頭の少年二人に御河童頭の少女一人です。何かと思えば隣に因縁記が刻まれています。石碑(昭和39年(1964年)銘)には、子供好きだった金子サトさん(畳善の金子さんも同名)がこの近くの下馬陸橋で幼稚園児たちを乗せた相模鉄道観光バスが橋脚に追突して事故死した。しかし、そのバスは急停車し、橋ゲタへの激突を免れ、園児たちには1人の負傷者も出なかった。サトさんの死が子供たちを護ったのである。観音像は「子護りサト像」である・・・と。
思えば大町交差点に在った畳善の姓は「金子さん」でした。私の「友人のお婆さんがこの金子サトさんかも知れない・・・・」
次いでこの慰霊塔の作者の名を確認しました。何処にも記されていません。でも石材は伊豆の小松石です。小松石と云えば湯河原の「石長)が得意にする石です。鎌倉の墓標塔は殆どが「石長/湘南の最大の石屋さん」の作品です。石長さんに訊けば作者の名も判るでしょう。赤木圭一郎の胸像も「真白き冨士の峯/開成中学生徒遭難事件」の慰霊塔も石長さんに訊けば判る事でしょう。
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鎌倉の大町踏切とその東側に建っている慰霊塔。向こうの灰色の建物は葬祭場ですから、再三此処には来ていて一度じっくり見てみたいと思っていました。
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漢音立像は槇の樹下に建っています。
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此れが観音立像の因縁を記した記念塔です。事故が起きたのは明治23年2月23日に幼稚園児を乗せたバスが鉄道橋桁に激突して金子サトさんが死亡したモノの幼稚園児は無事でした。
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観音立像の立っている蓮台の基部には金子サトお婆さんの戒名が記されていました。「慈得院妙玄日里神女」がお婆さんの誉れ高いお名前です。


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旅行ブログ




7月9日鎌倉比企谷の妙本寺に「凌霄花」の花を観に行ったら藍染浴衣姿の三姉妹に遇いました。そうです、この日は八雲神社の夏祭りで三姉妹羽宮参りの前に妙本寺に登ったのでした。
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妙法寺で名物の凌霄花を観に来た浴衣姿の3姉妹この日(7月9日)は八雲神社の夏祭りでした。
そこで私は妙本寺から隣の「牡丹餅寺常栄寺」更に、並びの八雲神社を詣でる事にしました。妙本寺も常栄寺も八雲神社も「祇園山」の麓に連なっています。「何故八坂神社、と云わないで八雲神社にしたのかな?」考えながら歩きました。”鎌倉は武士の都、八坂神社は商人の氏神です。鎌倉の大町の商人が武士に遠慮して八雲神社としたのかもしれません”インターネットで確認すると『八雲神社はもと鎌倉祇園社祇園天王社などと称したが、明治維新に際して現社名に改称した。/ウィキペディア』と出ていました。
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此れが鎌倉大町の八雲神社の境内、中央の楠の大木の根元に在る二つの河原石は「新羅三郎の手玉石」と案内されています。新羅三郎とは源頼義の三男で後三年の役で活躍した。八雲神社を勧進したと伝えられる。裏山が祇園山でハイキングコース。
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八雲神社の参道
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町内会館の庭に置かれた山車。
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社殿の中央にお神輿が置かれていました。祇園神社ですから「五瓜に唐花」の神紋(所謂胡瓜の切り口)です
という事は目黒区の「八雲町」も元々は「祇園町」で祇園社が祀られていたモノを明治維新に改名したのかもしれません。いずれにしても、今週末は祇園祭の宵山です。京都も賑やかでしょうし、全国の祇園神社の末社でもお祭りで湧く事でしょう。昨年3月ユネスコの文化財に「「山・鉾・屋台行事」が推薦される事が決まり今夏が「ユネスコの無形文化財として最初の披露」という事になります。昨年も富山の高岡で山車を観てまわりました。各地の祇園祭は熱が入る事でしょう。
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私の友人の畳屋(畳善)も祭り提灯を出していました。
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祭りのポスター
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八雲神社の掲示板に貼られた氏子が描いたポスター。鎌倉大町は「辻説法」の故事の伝わる市場町です。今も祇園祭が盛んなようです。
其処で私は友人を誘って、7月15日(日)小江戸「佐原」に「山車祭り」を観に行く事にしました。屹度「佐原の祇園祭」が正式名称と思えば「佐原山車まつり」が名称だとわかりました。ユネスコ効果で名前も変えたのでしょう。
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15日観に行く「佐原の祇園祭」正式名称は今年から「佐原の山車祭り」になったようです。
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勿論佐倉に行けば名物の鰻を戴きます。(写真は長谷川)のもの、佐倉張子も見学します。
佐原は友人のI君の故郷であり、山車も有名ですし、ウナギも名物です、先日江戸玩具博物館(四谷3丁目)で展示会を観た「佐原張子」の仕事場も見学するプランです。
愈々7月20日は土用の入りです。ワイフは7/13日から梅干の天日干しを始めました。簀子をベランダに出して塩漬けした梅の実を一つ一つ簀子の上に並べています。暑い最中にこそ、お祭りに興じ、鰻を食べ、梅干も佳境に入ります。「長寿長生き」の秘訣は歳時記に身を任せる生き方に在るようです。



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街中に「凌霄花/のうぜんかずら」が目立つ季節になりました。この花が咲き出すと「施餓鬼会」が真近に迫ったと思います。というのは私の生家にも一株凌霄花があるのです。今年も咲きました。
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此れは私の生家の盛徳寺の庭に今年も咲いた凌霄花です。因みに背後にある大きな壺は野壺と云われる「肥溜め」用の信楽焼きです。黄泉の母も本堂の前に肥溜め壺を置くなんて…苦笑いしているでしょう。
私が未だ10歳の頃、母が鎌倉の友人に戴いた云いながら一株の凌霄花を本堂と庫裏の間の中庭に植えました。デモ、棚は作れず、裏山から採って来た竹を5本程組んで絡ませました。凌霄花の生育は目覚ましく竹から隣の木斛の樹にも絡みました。木斛は見る見る痩せ衰えてしまいました。でも、盆や施餓鬼の参詣客は見事に咲いた、凌霄花を誉めてくれました。鮮やかな凌霄花は青空を背に見上げると綺麗です。私はぼんやり凌霄花を見上げていると母は注意しました。「凌霄花には毒があるから気を付けなさい!花の滴が眼に入ると失明しますよ!」私は子供心にそんなに恐ろしい花を好んで庭に植える母の心を疑いました。施餓鬼会に連れられて来た子供は凌霄花の落花を拾って遊んでいました。私は子供に注意しました「綺麗な花を触った手で眼を擦ってはいけないよ!綺麗だからこそ毒があるんだよ!隣の木斛の樹は枯れそうでしょう。この花の毒に負けているんだよ・・・・。」
ワイフが女子会を鎌倉駅前の三代川で開くと云います。お仲間は私達の結婚式にも来て下さった方々です。私は徒歩圏に妙本寺があって、凌霄花が見事だから行くように…奨めて置きました。
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此れは2017年4月の住職(玄晶師)の教えです。この栞を用意された直後に亡くなられました。
帰って来たワイフは報告します。『凌霄花は未だ蕾でした。それより「住職の栞」止めたみたい、「山務員の一言」が代わって置かれていたわ・・』云いながら1枚のプリントを渡しました。想い起せば昨年の4月私は海棠の花を観に妙本寺に上ると総門に「山門不幸」の案内が建っていました。
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此れは昨年4月亡くなられた玄晶住職の葬儀です。祖師堂前の左右に咲くのが名物の海棠ですhttps://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49768919.htmlにアップしました
妙本寺は「聖蹟寺院」で本山並の格式があるのです。聖蹟寺院の住職は世襲出来る訳ではなく、鎌倉中の日蓮宗寺院の住職の中で見識の高い人がなれるのでしょう。結果的には長老から長老に引き継がれ度々「山門不幸」に見舞われてしまいます。偶々文のたつお坊さんが参詣客に随筆を書き仏心を喚起されていたのが、後任の住職は嫌がったので誰かがお寺の雑事を取り仕切る「山務員」として書き始めたようです。
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二天門左の凌霄花この葛は桜の大樹の根元に植えられていたのですが、桜を殺して鮮やかに咲き続けています。今では枯れた桜の大樹も腐ってしまいました。
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二天門左側の広目天像この像の背後に桜を枯らした凌霄花が咲いています。
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二天門右側の持石天像この像の背後凌霄花が咲いていてそのまた背後に一幡の墓が在ります。
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凌霄花の向こうに見えるのは二天門の梁を隠す木鼻と呼ばれる象の彫刻です。
二天門を潜ろうとするとその左右に凌霄花が咲いています。左の凌霄花は桜の大樹の根元に植えられていた苗です。今では桜の樹は枯れて腐ってしまいました。右側の凌霄花と同じくしっかりした棚を作ってあげないとならないようです。
一方右側の凌霄花は一幡さんの墓の前に在ります。「一幡」とは鎌倉幕府第2代征夷大将軍、源頼家の嫡男。母は比企能員の娘若狭局です。本来なら将軍になるべき育ちでしたが、北条一族の姦策にあい、母の比企一族共に建仁3年9月2日(1203年10月8日)此処で亡くなったのでした。一幡にとっては父方叔母の北条政子は毒のある存在だったのでしょう。
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藍染浴衣を着た三姉妹画二天門を潜って来ました。
凌霄花に見惚れていると鎌倉の三姉妹風の女性が二天門を潜って来ました。三人とも藍染の浴衣を着ています。一人は昔ながらの「麻模様」で一人は「江戸小紋風」です。静かな境内が急に賑やかになりました。休日カメラマンの一人が挨拶に行きます「写させて下さい・・・」話が通ったようです。皆許可されたように写しはじめました。雷同し易いのが私の特長です。シャッター音の大きいのが気が引けましたが望遠で写させて貰いました。そう7月9日(月)は鎌倉大町の氏神様(八雲神社の夏の例大祭なのです。八雲神社を詣でる前に妙本寺の凌霄花を観に登って来たようです。
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右の凌霄花の奥に見えるのが比企一族の墓です。凌霄花の左端背後の植え込みが一幡の墓です。

いきのをに おもへるわれを やまぢさの はなにかきみが うつろひぬらむ
 (万葉集巻7-1360)
上は好きな万葉集の中でも特に好きな歌です。作者は解らず、凡人男性が強い恋心を抑えられず、季節的に咲いていた「やまぢさ」にかこつけて恋情を伝えたのでしょう。「山ぢさ」については諸説あって万葉文学者の矢富巌夫氏は「いわたばこ」を主張されています。「エゴノキ」「チサ」等の説もあるようです恋の悩む心は何時の時代も抒情歌のテーマでした。何の花が恋する心情を吐露するのに相応しいかで判断するのが良いでしょう。私は断然「岩煙草」派です。毎年梅雨に入ると鎌倉に「やまぢさ」を観に出かけます。最高のポイントは建長寺から半増坊に抜ける正統院の石積みに咲くやまぢさであり、長谷寺の石垣に自生した花です。今年も「やまぢさ」を観たいと東慶寺に6/8日/金に出かけました。
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これは矢富巌夫氏の著「万葉花/日本リプロ社」の「山ぢさ」のページです。
北鎌倉駅周辺は紫陽花見物の観光客でごった返しでした。東慶寺の裏山は総じて「鎌倉石」という名の砂岩でできています。砂岩とは名の通り海岸に堆積した砂が地底に沈んで地圧で巨大な一枚岩になったモノです。私の生家の竃も鎌倉石で出来ていました。加工が容易で、火に強いのが長所です。東慶寺裏山の西端には鎌倉石の石切り場も残っています。(鎌倉市台)この特徴が「山ぢさ」の生育には最適なのです。「山ぢさ」の根は鎌倉石の隙間に張って水を吸い上げ、他の陽日性植物が生育出来ない事を良い事に鎌倉石の表面に群生します。
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東慶寺の裏山の巨大な一枚岩の表面を覆った「岩煙草」の群生
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場所は墓地の入口ですからお地蔵様が祀られています。岩煙草が向背です。
古代の万葉人は「山ぢさ」と呼んだのに対し現代人は巨大な葉に眼を奪われて「岩煙草」と呼びました。煙草と云っても葉にニコチンが含まれている訳ではありません。葉が大きくて形が扁平で煙草の葉に似ているだけです。私は葉よりも花が五弁でお星さまの形なので「織姫花」なんて言うのが相応しいと思うのですが。
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岩煙草の花は星形です。下から見上げると可愛らしさが強調されます。
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今年は咲き始めが早かったようでもう散り始めました。散ると道路に金平糖が散ったように綺麗です。
墓地に入れば岩煙草の見所が数多くあります。開基「覚山尼」の墓所を始め歴代住職の墓は岩煙草が群生した櫓に在ります。
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東慶寺開基の「覚山尼」の墓所の櫓の岩肌にも山ぢさが群生しています。
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東慶寺歴代住職墓地の大岩にも岩煙草が群生しています。
岩煙草の花を愛でてから本堂裏の「いわがらみ」の花を観に廻りました。
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東慶寺本堂裏の岩がらみの花、開花中は特別に本堂の回廊を公開してくれるので観る事が出来ます
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岩がらみは額紫陽花に似た花です。東慶寺本堂裏と松ヶ丘文庫石段の脇に自生しています。
以前岩がらみを此処に植えた経緯を訊きました。何でも昭和の初めにお檀家の方がこの大岩には「岩がらみ」が適当だ、と判断して一株植えられたのだそうです。東慶寺のお檀家になれる人は特別な人です。インテリだったり芸術家であったり一流企業の創業者であったりしなければお檀家になれません。植物の性質にも明るい人が植えられたのでしょう。そう想うと箱根強羅白雲洞茶室の縁先の巨岩にも岩がらみが自生しています。
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此方は箱根強羅公園内に在る「白雲堂/益田鈍翁の自慢の茶室に咲く「岩がらみ」です。東慶寺は既にお終いでも白雲堂はこれからでしょう。箱根登山鉄道は「紫陽花」が名物です。益田鈍翁の文人気質が登山鉄道の保線社員にも伝わって大事な登山鉄道を紫陽花で囲ったのでしょう。以前箱根の茶室も紫陽花もこのブログにアップしました。
箱根白雲堂茶室の岩は真っ黒い安山岩ですから、此処東慶寺の鎌倉石の方が岩がらみの花も美しく見栄えも良い様に思えます。茶人・鈍翁も東慶寺の岩がらみを観たら「負けた!」言って悔しがることでしょう。
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此れは箱根登山鉄道宮ノ下の紫陽花です。以前次にアップしましたhttps://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893299.html?m=lc&sv=%C8%A2%BA%AC%C5%D0%BB%B3%C5%B4%C6%BB&sk=0

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長勝寺の泰山木の花

梅雨前には泰山木の花が咲きます。樹高が壮大である事から屹度「棒」の木の仲間だろうな思います。「捧」の木は立川の昭和記念公園にも大木が在ります。葉っぱを使って「棒葉味噌」を食べます。あの棒葉味噌を焼く時に使う大きな葉っぱが捧の樹の葉っぱ棒葉です。もう5年も前ですが今頃の季節に白根山に近い六条六合(くみ)に双体道祖神を観に行きました。当時は脳梗塞の後遺症で左脚が痺れていた私でしたが、友人がが私の後ろからお尻を支えてくれて急な崖路を登って祠の前の道祖神の前に連れて行ってくれました。崖の上に登ると芳香が漂って来ました。改めて確認すると崖の下に根を張った捧の樹が枝先に白いお椀の様な花を付けていて、その香りが谷間に充満しているのでした。
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上州中之条六合(くみ)の双体道祖神、道祖神の周囲に飾られたこけしのような木像は疱瘡神の意味でしょう。この向いに捧の樹が在って白い大きな花を咲かせていました。
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上掲の写真の神像のアップ、抱き合った男神像の一物が突き出ていて愛嬌です。吾妻渓谷の上流に男神が居る事から下流の稲作が豊穣になるのでしょう。この村を六合(くみ)と呼ぶのは「睦/むつ」の意味でしょうか?
「泰山木」が捧の仲間である事は確実でしょう。泰山木の原産地が華南の「泰山」の麓であるのか、それとも米国なのか、良く解りませんが日本人が他の木を圧して壮大に葉を生い茂るこの木を視て「泰山」を思い浮べたのでしょう。「泰山動じて鼠一匹」の泰山は「屹度この木の様に壮大に違いない」思ってネーミングしたのでしょう。公園や学校の記念樹に良く植樹されるようです。鎌倉名越の長勝寺の山にはこの泰山木が生えています。何時誰が何の為にこの木を植え田のか知りません。
デモ事実はこの大木を見下ろす位置に赤木圭一郎の墓が建っているのです。そして、この花弁が散る位置に「江の島で遭難した開成中学の生徒さんの慰霊碑が建っているのです。惜しまれて早逝した少年の慰霊の地に泰山木が植えられていて、年々歳々見事な花を咲かせているのです。
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此れは鎌倉名越に在る長勝寺の山門です。
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長勝寺本堂前庭には日蓮上人像と四天王像が建立されています。作者は高村光太郎で壮大な仏像です。額は東郷平八郎の書です。右手前に泰山木が聳えています。
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長勝寺本堂前庭。右手前から山で、山裾に泰山木が自生しています。向こうの線路が横須賀線で車窓から泰山木の花が見渡せます。
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此れが長勝寺の泰山木です。根元に六地蔵が祀られてその右の石段を上がると経蔵が在ってその上の段が墓地です。地蔵尊の左に開成中学ボート部員の遭難碑が建っています。
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泰山木は木の上の方から咲き出して徐徐に根元に下がって来ます。
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長勝寺墓地の崖には赤木圭一郎の胸像が在って、向かいの泰山木を見詰めています。石原裕次郎の登場前に事故死した赤木は惜しまれた俳優でしたが、「泰山木のようになれなかったな!」思っていることでしょう。もうじきこの胸像の周囲は藪萱草が囲みます。

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