仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

鎌倉ウォーキング

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鎌倉の史跡や山を歩きながら、地誌を紐解き、自然と人為のマッチングをスケッチいたします。なお、筆者は小学校から高校まで鎌倉でお世話になりました。
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「鎌倉アイス工房」で一服して、口が甘くなりました。小町通りには漬物屋さんが在ります。地元の秋元漬物店は豊島屋本店の並びに在ります、そこでお口直しに漬物屋さんで試食する事にしました。秋元漬物店の看板漬物は「茄子の浅漬け」です。一口つまんでお口はスッキリです。
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小町通りの「味くら」と若宮大路の「秋元」と漬物屋さんも競っています。両店とも試食自由です。私は大好きな「茄子の浅漬け」をつまんで味比べをします。
秋元に来れば豊島屋に寄らずばなりません。豊島屋本店でしか販売していない商品が数多くあります。
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若宮大路に面した豊島屋本店前の歩道ソフトクリームの看板が建っていました。
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豊嶋屋本店の店内はお客さんが一杯です。
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豊嶋屋のお店はJR構内や有名デパートなど各地に在りますが本店でしか商っていないグッズやお菓子が数多くあります。
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このグッズは「肩揉み用の手袋です。地方かラ鎌倉に来て、お土産にこの手袋を用意して土産話をしながら小遣いをくれた爺ちゃん、婆ちゃんにする場面が推測されます。「鳩の似合う光景」です。
豊島屋本店の二階は博物館風になっています。「鳩グッズ」や豊島屋の歴史を展示してあるのです。豊嶋屋の工場は深沢に在りますから、本店で鳩サブレー」を焼く工程は見学できませんが。豊嶋屋の歴史は昨年映画「DESTINY鎌倉 ものがたり」が放映されましたので、世間の関心を呼びましたが。
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「DESTINY鎌倉 ものがたり写真出典「映画ドットコム」https://eiga.com/news/20171121/18/1/01/
鳩サブレーのデザインは鎌倉のシンボル八幡宮の「八」の字が対の鳩で描かれている事からその字を使用したモノです。今では総じて元気の無い鎌倉の企業の中で唯一覇気のある企業です。昨年由比ヶ浜の「ネーミングライツ」を鎌倉市が売り出したのに際し豊嶋屋さんが「男気」を出してネーミングライツを買い取り「由比ヶ浜」の名を残してくれました。江ノ電等感謝して然るべきです。由比ヶ浜の名が無くなって困るのは先ず江ノ電でしょうから・・・・。
豊嶋屋本店の二階博物館には豊嶋屋さんの鳩への想いが滲み出ています。
童謡の「鳩ポッポ」が在る様に鳩は日本人に親しまれています。日本中何処に行っても「鳩の玩具」が在ります。藤蔓を編んで作った鳩車も展示されていますし、「鳩の土鈴」も在ります。「どんな音がするのか?」吹いてみたいものです。良くフランス人は鳩を食すのに、日本人は鳩は食べずに「雀」は好んで食べる事を話題にします。鳩も鹿も「神使」だから食べないであって、「神使」でなければ鳩も鹿も食べる文化は出来ていたでしょう。
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此れは豊島屋の昔の鳩グッズを展示したモノです。
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白磁に孔雀鳩は良くあるテーマです。
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此方は吊るし雛でしょうか?
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陶人形にも鳩がテーマで・・・。にん
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鎌倉に縁が深い月岡榮貴の軸の下にも鳩笛が並んでいました。
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福ちゃんで有名な横山隆一氏も鳩をデザインした絵を描いていました。
小町通りは湘南の老舗が覇を競い美味の店も軒を連ねレストランに甘味店に漬け物屋に博物館や美術館に・・・・、楽しませてくれます。
豊嶋屋さんの一層の繁栄を確信してコレクションを後にしました。鎌倉も京都も盛んなのはお墓屋さんにお寺ばかりでは、面白くありません。お菓子屋さんに、甘味店に。画廊や骨董品店、様々な業態が隣り合わせているのが楽しいのです。
豊嶋屋さんを後に鎌倉駅に戻りバスに乗って名越の長勝寺に向かいました。次の目的は長勝寺の泰山木です。

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住友家俣野別邸の庭先に続く駐車場を出て南に200mも歩けば境川の堤防です。クリスマスローズや二輪草の咲く庭を後にして私達は鎌倉古道を北に向けて歩き始めました。
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住友家俣野別邸の馬場の跡はクリスマスローズの花壇でした。
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俣野別邸から北に北に鎌倉古道が続いています。この辺りは数年前まで牧草地でしたが今は貸農園が流行りで、マイカーに乗ってサラリーマン家族が野菜作りに汗しています。
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これは農家の納屋で販売されているトマトです。
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鎌倉古道は境川の河岸段丘に残っている細道で東側の尾根には国道1号線『旧東海道』が通っています。
この細道は鎌倉古道と呼ばれた「軍用道路」だったのでした。鎌倉幕府は中世御家人の集団指導体制でした。関東以北に多い源氏恩顧の御家人が「イザ!鎌倉」の時には軍用道路を馬で駆けて鎌倉に参集し敵(西から攻め上がると想定)を防ごうとした道だったのです。『鉢の木』で有名な佐野源左衛門はこの道を痩せ馬を駆けて北条時頼の下に駆け付けたのでした。でも承久の乱や蒙古襲来の後には奉公に報いる財源に事欠き、御家人に見捨てられ足利の新田義貞はこの軍用道路を駆け上って鎌倉幕府を滅亡させます。
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此れは佐野源左衛門の図です。旅の僧を北条時頼とは知らずに盆栽を伐って暖を用意します。出典:ウィキペディアhttps://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E4%BD%90%E9%87%8E%E6%BA%90%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
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これは鎌倉古道に面した藤沢市高倉に在る東勝寺、案内によると北条高時は此処まで逃げ延びて自刃した事になっています。一般には宝戒寺裏の「腹切櫓」で自刃した事になっています。
最後の執権北条高時が創建した「東勝寺」も鎌倉古道に面しています。石仏も多いし、野鳥も多く楽しい古道です「道端には農家が「野菜の無人販売をしていますし、片栗等の自生地もあります。私達夫婦の好きなモノがオンパレードな道なのです。ウォーキングする人も多いので、瀟洒な戸建て住宅では奥様が居間を改造して喫茶店を営んだりしていますので、休憩スポットにも事欠かないのです。加えて小栗判官・照手姫物語の史蹟も多く日本一小さいと云われる「飯田牧場」はアイスクリームが美味しいのです。
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これは鎌倉古道に面した「飯田牧場」です蒲鉾厩舎でジャージー牛が飼われていますが、アイスクリームが人気です。向かいに花應院があります。
飯田牧場の西側には『花應院(曹洞宗』があって「小栗判官・照手姫物語」の絵巻や閻魔像が残されています。飯田牧場まで歩けるか自信はありませんが、疲れたら河岸段丘の上に上れば国道1号線ですから楽に家に戻る事が出来ます。
鎌倉古道西の道を進むと、八坂神社が見えてきます。その石鳥居の下に石仏が4基並んでいます。「右かまくら」「左はちおうじ」とも刻まれている道路標識も兼ねた庚申塔です。その庚申塔の四叉路を右折東に行けば「影取」のバス停です。バス停の前には不動明王が祀られています。この道を西に向かえば「大山不動尊」に行ける石仏は信仰のモニュメントと併せて、道案内を兼ねています。
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此れは八坂神社石鳥居の下に祀られている庚申塔寛文年間に建立されたの阿弥陀如来が主尊の庚申塔です。
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影取バス停前にある不動明王像左の道を真っ直ぐに行けば246号にぶつかり大山不動尊に行ける道でもあります。建立したのはこの先に在る龍長院(曹洞宗)の檀信徒です。
鎌倉古道西の道を歩く楽しみの一番は山野草です。土手には一面土筆が生えています。先日我家の周囲に芽を出した土筆を天麩羅にしましたが袴の口当たりが悪くイマイチでした。調べると袴は取り除く事、中華風油炒めがお奨めと云うことでした。
片栗の自生地もあります。今年は3月初めに城山に観に行きましたが、鎌倉古道の片栗は情緒では劣りません。
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土手を埋め尽くした土筆
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片栗自生地、赤いのは藪椿の落花です。
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今年も農家の屋敷杜に咲いた片栗の花
鎌倉古道は3本在ったそうです。東から数えて鎌倉と房州更には陸奥を繋いだ東の道、そして我が生家の裏山を通って北関東に向かった「中の道」、中の道には「実方塚」があります。陸奥の守に左遷された歌人藤原実方の墓と伝えられていますが、旅の途上で亡くなったのは「実方では無くてその家族か実力者だったろう」と云われています。そして三本目が「西の道」だったのです。西の道は頼朝の父であった源義朝を祭神とする「鯖/左馬神社」が幾つも祀られています。歴史があって、山野草が咲き、石仏が佇み、喫茶店もある素晴らしいウォーキング街道です。



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霜柱を観に行ったのに

2月8日の朝食をとりながらワイフに訊きました。「霜柱を観た事ある?」ワイフは怪訝な顔をして答えます。
「家の裏側に回れば今朝も霜柱なら張っていますよ!」
私は答えます。
「いや、地面が凍って出来る霜柱ではなくて、シソ科植物の霜柱だよ、陽が長くなって植物が活動を始めて、地中の水分を吸い上げた途端に寒くなるとその水分が凍って出来る霜柱だよ、冬と春の間だけに観られる霜柱なのだ。観た事が無ければ大船フラワーセンターに自生しているから午前中に観に行こう!」
そんな次第で10時過ぎ我家を出ました。
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これが大船フラワーセンターの霜柱です。以前次にブログアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/48523370.html
72候で「地始凍(ちはじめてこおる)」とは立冬の中旬11月12日頃です。日に日に寒くなって大地が凍りつき、霜柱も立ちはじめます。そして立春も過ぎれば,幾ら寒くても植物は活動を始めます。屹度地中の氷も解け溶け始めて、植物は水分を吸い上げ活動を始めているのでしょう。72候では今頃を款冬華(ふきのはなさく)と云います。
ワイフが指摘する我家の北側を確認すると蕗は未だ枯れた儘です。でも確実に生きていますから、屹度蕗の薹の花を付けて美味しい天麩羅になってくれることでしょう。
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此れは我家の北側に植えた「蕗」です。地上部は枯れてしまいましたが、枯葉の下から芽生えて来たので蕗の薹も期待できそうです。
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寒菊はもう新芽が出始めました。
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紫陽花も花芽が出始めました、でもその根元にはカタツムリが寝ていました。
大船駅を降りてフラワーセンターに向けて約2キロ歩きました。私が応援しているネパール人3人組の食堂も順調のようです。民家の居間を改築した「山猫レストラン」も流行って居そうです。
フラワーセンターで「霜柱を観たら」その後何処で食事にするかお店の「ランチメニュー」を確認しながら歩き続けました。でもフラワーセンター通りの突き当りには横断歩道も信号もありません。立体歩道橋はありますが、バリアフリーではありません。
漸くフラワーセンターの入場口に着いて驚きました。フラワーセンターは工事中なのです。大船駅にも通りにも何も案内はありませんでした。「フラワーセンター近道」の脇に「3月一杯工事中」の貼り紙でもしてくれていれば。「徒労に歩く事も無く、龍宝寺にでも行き先を変更したのに…」思いました。
工事看板を確認しました。どうも事務所棟やレストランの工事では無くて植栽の改修のようです。私が県の責任者なら、。先ずレストランののテナントを決めてレストランを改築します。イメージは日比谷公園の松本楼です。次いで手を付けるとすれば展示施設です。ガーデニング講座や趣味の花鳥画の展示をして、施設全体でもう少し稼げる様に致します。大きな温室も工夫の余地あります。花だけでなく、昆虫や小魚を飼育しても良いと思います。工事業者を確認すれば「三恵建設」という事になっています。鎌倉には実績もあるし信頼も置ける造園会社が沢山あります。ネットで確認してみれば八王子の電気工事会社です。
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改修工事で3月31日まで閉園の措置が講じられていました。
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フラワーセンターの所管が県住宅局とは驚きです。昔は農業試験場でしたし、現状は公園施設です。施行の有限会社三恵電設はネットで調べると八王子の電気工事会社です。左側のお知らせ看板を視ると生井興業が植栽工事をしています。ネットで確認すると寒川の会社です。地元には生駒造園と云う一流会社が在るのに・・・・。
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フェンスの隙間から霜柱の自生していた辺りを視る大きな樹林は銀杏です。その下の灌木は山茶花です。
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この樹林の下に生い茂っているのが艶蕗でその脇に霜柱自生しています。この下闇は海老根や山百合が自生しています。この写真フェンスの隙間から写したものです。
改修工事中とは思いもしませんでした。仕方なく来た道を戻ります。ワイフに確認すれば大船軒の喫茶室には入った事が無いと云います。そこで「山猫食堂」も気になるのですが、大船軒でランチすることにしました。
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住宅地に在る「山猫食堂」、奥様が料理好きで居間を改造して食堂喫茶店にした感じです。店名からして宮澤賢治の「注文の多い料理店」を思わせます。
大船軒の喫茶室に入ろうと階段を登り掛けると眼の前に薄く桃色に染まった桜の蕾がありました、そう「玉縄桜」です。フラワーセンターが新種開発した超早咲きの桜です。早咲き桜と云うと「河津桜」が著名ですが、玉縄桜は早咲きの霞桜で上品です。もう膨らんでいますから三月初めには満開になる事でしょう。「春を感じたいと思ってフラワーセンターに霜柱を観に来たのでしたが。桜の蕾を確認したので「良し」としました。
手前のモルタル造りが過っての大船軒の事務所棟でズットこの建物で鯵の押し寿司を作って大船駅で商っていましたが最近隣に工場と冷蔵倉庫を設備しました。その向こうの緑地が創業家富岡家の屋敷です。写真の左側は昔は大船軒の敷地でしたが現在はマンションです。
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寺務所棟のエントランスに在るのは大船フラワーセンターで開発された早咲き桜の「玉縄桜」です。河津桜と同じように早咲きですが色が薄ピンクで上品です。
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此れはフラワーセンター内に在る玉縄桜です以前次に書きました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893299.html?m=lc&sv=%B6%CC%C6%EC%BA%F9&sk=0
大船軒の喫茶室では「桜の色紙」を見つけました。
「桜の苗が大きく育つ僕らはみんな大人になるんだ」一九六六年一二月一日木下恵介劇場「記念樹」と大書し、出演者でしょう。「高杉早苗/保母役」の他「馬淵晴子/恋人役」「田村正和/主人公大船軒で弁当を売る役」等が寄せ書きしてありました。青年(田村正和)が保育施設で多くの人々の善意に囲まれて成長して行き大船軒で弁当を売って成功します。木下監督らしい家族愛のホームドラマだったようです。日本人は桜の花に人生を投影して生きて来ました。イメージ 10
これが木下恵介劇場「記念樹」関係者の寄せ書き、桜の木の下が主演(保母役)の高杉早苗 その左が馬淵晴子次が田村正和

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2018年の元旦、我が家の近くのバス停から、鎌倉八幡宮行のバスがでます。正月三が日だけの臨時ダイヤです。直行バスが無ければ戸塚駅から鎌倉駅迄JRに乗って、鎌倉駅からは歩かなくてはなりません。昨年は三溪園に出かけ筝曲の演奏を聴いたのでしたが、今年は久々に鶴岡八幡宮にでかけました。バスは八幡宮裏の大駐車場が終点で、歩けば百メートル足らずの処「三の鳥居」まで回り、正面から太鼓橋を渡って本殿に向かいました。流鏑馬道の辺りに縄を張って、その先には入場制限をしていました。”混雑で事故が起きたら大変”警察署の配慮です。加えて八幡様の周辺は車道は通行制限され小町通りの歩行者天国が若宮大路や八幡宮周囲の通りまで広がっていました。太鼓橋から60段の石段の上、本殿前に辿り着くのに1時間は要してしまいました。自ら「随分我慢強くなったものだ」感心していると、鎌倉警察署の整理員がアナウンスします。
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初詣の鶴岡八幡宮の周辺道路は歩行者天国です。左の鳥居が三の鳥居です。
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元旦の八幡宮は太鼓橋を渡った辺りから進行禁止で、参拝数の整理を実施していました。20m進んで15分待つ状態でした。此処から向こうの本殿前まで1時間かかりました。
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本殿前で右の人は祈祷をお願いしている人です。男子神職の袴は白と浅葱色がある事に気付きました。
「皆様は実に我慢強くされて『初詣』されています。神様も感心して、観ておられるでしょうから、ご利益は間違いありません。お賽銭は正面から入れても脇から入れても御利益に違いはありません。本殿の前に出られましたら、正面に集まらずに左右に広がって下さい。決して立ち止まってスマートフォンで写真を撮ったりしないでください!。」渋谷のDJポリスが鎌倉警察署にも居るようです。
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鶴岡八幡宮の本殿前西の御神籤やお守りの販売施設
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八幡宮本殿前、長い石段を登り終えて晴れ着のお嬢さんたちも一息です。
お賽銭を投じて柏手を打って祈願も終えたら、次は「御神籤」です。同じ御神籤なら一番綺麗なお巫女さんに手渡して貰おう期待して、御神籤売場に行きました。テーブルの上に四角い箱が立っていて、「ガチャ・ガチャ」回すと筮竹撰が出て来ました。
竹は神意を窺がう道具です。竹製の櫛は神話に再三出て来ます。私の引いた筮竹は5番と記されていました。巫女さんは目敏く5番ですね、確認されて5番の「神籤」を手渡してくれました。
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御神籤売場、筆者が美しい巫女さんを視るように女性もイケメンを観るのでしょう、イケメンが並んでいました。
5番の神籤は「吉」で、次の歌が記されていました。
みわたせ ば雲ゐはるかに雪白し ふじの高ねの明ぼのの空.
 (自宅に戻って確認すれば実朝の作で金槐和歌集三六六に収録されているそうです。流石に青年将軍実朝らしい爽やかで気有壮大な歌です。
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これが私に対するご神意です。最初に御神籤を作られたのは延暦寺中興の祖「元三大師」の百籤で形式もそれに従っていますが。御神籤の数表現は各寺社の創意に依っているようです。
ワイフは
「私は御神籤は苦手なの!親友と来た時に何度曳いても「凶」だったの!」言います。以来御神籤は「曳かない主義」のようです。
御神籤を花の様に結んだ縄を観ながら「凶の御籤は如何した?」確認すると。
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御神籤で花の様に結ばれた縄。御神籤は神意で「解りました神様、ご神意に留意して過します、神様と私を結びつける印に御神籤を結んで帰ります」そんな行為のようです。
良く見ると柱に「凶」の御神籤は赤い箱に納めるように案内されています。
ワイフは「凶の御籤」は「赤い箱」があるので其処に納めた」言います。確認すると本殿の左(西)に凶の御籤を納める赤い箱がありました。箱の上には鏑矢が置かれていて。御神籤を赤い箱に入れる手順が説明されています。御籤を折って結んで「鏑矢の鏑」を握り回転させながら御籤を赤い箱に納めるよう手解きされていました。
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これが本殿西側に設えてあった「赤い箱」です。「御神籤」が「凶」であった時には、矢を回しながら”神意は承りました。留意しますですから、運勢を変えてください”と念じるのだそうです
どうも、神意は人間の「運」は巡るモノなので、今日の神意は「凶」であっても何れ「吉運」に転じる、転じる事を心中で祈りながら御籤を神の元に「お返しする」行為のようです。
私の御籤は「吉」でしたし、和歌も実朝の格調高いモノなので、大切に持ち帰って今年の「戒め」にすることにしました。見れば脇に「鳩御籤」が置かれています。此方は箱の中に手を入れて随意に御神籤を曳くスタイルです。
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こちらが「鳩御籤」です。白木の箱に手を入れて御神籤を曳くだけです。案内を観れば御神籤に可愛い鳩の「根付け」が付いています。筮竹の御神籤は100円で鳩御籤が200円と格差があるのはこの根付の差でしょう。
御神籤を考案した人は一般に「元三 ( がんさん ) 大師」と云われています。平安時代中期比叡山延暦寺の中興の祖で、円仁と呼ばれ、陸奥の「天台寺」を始め「中尊寺」「山寺」等を創建した高僧です。
私の学生時代「ライシャワー駐日大使が円仁の「入唐求法巡礼日記」を上梓されて話題になりました。その前にはケネディーが「上杉鷹山」を紹介され、当時の米国政治家や外交官の優秀さに驚いたモノでした。
円仁が唐に留学していたので唐の寺で「御籤」を知り、日本に輸入したのではなくて、日本での布教活動の中で考案したモノだそいうです。
「御神籤」は円仁によって「仏籤」として、始まり、次いで神社が倣って「御神籤」になったモノでしょう。
御神籤は「お札」に発展します。「お札」を上手に活用したのは「一遍合上人」で「熊野権現」のお札を「遊行踊りする信者に播いたのでした。
幕末には「伊勢神宮や八坂神社のお札/天王の神意」が舞って、「王政復古」が神意のように思われたのでした。
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これは元三大師が配られた「護符」です。護符や「御神籤」等布教に際してアイディアマンだったようです。深大寺に行くと本堂より立派な元三大師堂があります。護符をデザインした。石仏も祀られています。
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此れは深大寺にある元三大師堂前の護符をデザインした石仏です。春になると「なんじゃもんじゃ」の花の傘の下になります。次に紹介しました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893299.html?m=lc&sv=%A4%CA%A4%F3%A4%B8%A4%E3%A4%E2%A4%F3%A4%B8%A4%E3&sk=0
御神籤は綺麗な巫女さんに手渡して貰って100円、一方鳩御籤はセルフで済ませて200円です。どうも価格が割に合っていません。不本意そうな私の表情を観てワイフは教えてくれました。
「鳩御籤は御籤の他に鳩のアクセサリー(根付の様なモノ)が付いているので、100円は「根付」だと思えば良い。教えてくれました。八幡宮の鳩の根付なら私も欲しいたモノ。今度来る時には綺麗な巫女さんに吸い寄せられないで鳩御籤をセルフで引く事にしましょう。
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この鳩の「根付」が「鳩御籤」にはついているのです。
御神籤の基本スタイルも円仁大師が考えられ、それをベースに作り替えられて来ました。円仁の考案した御神籤は一般に「元三大師百籤」と云われています。百籤と云っても百種の御神籤が用意されているわけでは無くて鶴岡八幡宮では50番までの様に見えました。
昨今は盛り場では「運勢占い」が人気です。トランプだ星占いだ、昔ながらの筮竹を使うもの以外にも世界中の占が並んでいます。日本人は世界中の料理が好きなように占いも世界中の占が好きなようです。
横浜中華街では中華料理店が閉じられると直ぐに占い屋台が出て来ます。平安時代も現代も「占い」は人気です。
日本民族固有の問題と思えば世界中で盛んです。星占いが盛んであったから聖書では「占いを禁じ」厳しく神の声に耳を傾ける様に、戒めたのでしょう。

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畳屋さんの君子蘭

場所は北鎌倉駅から西に歩いて小来坂郵便局の前を通り巨袋踏切を渡る暫く前ですこの辺りは鎌倉市台と云う名の歴史のある街で最近では一遍上人行状絵巻にも描かれた隧道を取り壊すというので揉めていました。東慶寺の井上和尚が「駆け込み寺道」としてお書きでしたから。中世から賑やかな道だったのでしょう。今も研ぎの「菊一」さんや建具八鍬さんや表具屋さんが並んでいます3月になると北鎌倉の駅前通りは吊るし鄙飾りが出ますがこの辺りの表具やさんの手作りと思います。何処も彼処も店先が雁形に出てその上に庇がある井桁造りの家が目立ちます。多分関東大震災で木端微塵に倒壊したので構造的にも単純で堅固な井桁造りの家が一気に建てられそれがアルミサッシを多用する家に押されているのでしょう。
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今年も咲いた我家の君子蘭の花、蘭とはいっても彼岸花の仲間だそうです。我家でも最初は一鉢だったものがドンドン増えて20鉢程になりました。冬越しが大変ですが芯の強う花です
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これは北カマクラに在る小坂郵便局です。話題の君子蘭が見事な畳屋さんはこの道を左に200メートいるも行ったところにあります。

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此方が古いお店で君子蘭が一斉に外を向いて咲いています。私の記憶では畳屋さんであったと思います。このお店の左には建具屋さんがあります。こうした商家の造りは二階の床板がオーバーハングになって、1階の商売部分の庇になっています、一般に井桁造りと云われ関東大震災後急激に増えました。
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木製のサッシがいい味出しています。建具を大切に扱っておいでなのが一見して判ります。こんな風に貫を出してその上に庇を作る建て方を井桁造りと云います。
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これは若宮大路の酒屋の「三河屋さん」以前は井桁の下に燕が巣食っていましたが今年はどうでしょうか?
小学校のクラスメートに金子と云う名の畳屋さんの娘が居ました、彼女の家は今小路の寿福寺近くでしたが早い時期に畳屋を撤退してしまいました店先から頭から中を覘くと土間が広くて職人さんが土間で畳の張替えをしていました。手際の良い職人の作業に見入ってしまいました。金子畳店のお隣が私の友人の家で友人の家に行くたびに職人の仕事を眺めていました。今では鎌倉でも畳のある家も減りましたし、天然の畳を使う人も稀なので畳屋さんは斜陽なのでしょう。辛うじてお寺が畳屋さんの命綱なのかもしれません。3年ほど前に光明寺の本堂の畳の張替えがありました。100枚を超える畳ですから、鎌倉中の畳屋さんが協力したのでした。
北鎌倉の畳屋さんも今では店を閉めてしまったようで。今は木製のガラス戸の奥に行儀よく並んだ君子蘭が覘いてみます。斜陽を押しとどめようと全員が通行人の方に向いて笑顔のシャワーを浴びせているようです。稼業は止めても君子蘭は昔と同じように大切に育てておいでのようです。



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