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毎年GWには建長寺に上って牡丹を観て来ました。この時期寺務所棟2階の大広間で金沢翔子さんの書道展を開催していますのでそれを見学するのも楽しみでした。昨年は肝心の牡丹が散ってしまっていました。そこで、少し早すぎる懸念も在ったのでしたが4月23日(日)に建長寺に上りました。横須賀線を北鎌倉で降りると大変な混雑です。大半のお客さんは浄智寺から葛原が岡に向かうようです。もう1箇月もすれば人波は明月院に向かうのでしょう。鎌倉の観光客は大半がお花を観に来る人。人を呼ぶには美食か花が昨今のトレンドのようです。そう云う私達もそんな風潮の典型なのですが・・・・・。
建長寺の牡丹が美しいのは雲水さんの丹精のお蔭であり。背景の歴史と自然に引き立てられているからです。写真の背景は鎌倉石の石積みです。
建長寺に着いたのは午前10時「はとバスツアーの御一行さんと一緒に境内に入りまあした。それにしても早い時刻のバス旅行です。10時に建長寺に入るには東京駅を8時に出発したのでしょう。それほどまでに建長寺の春牡丹が人気とは驚きです。
境内に入るなり漢方薬の匂いが鼻腔を刺激し、更に体を満たして行きます。今月石山寺でワイフのお土産に求めた匂い袋と同じ香りです。冷静沈着な藤原道綱の母も牡丹の香りは好みだったでしょう。
期待の牡丹は未だ二分咲きと言ったところでしたが、その分香りが強いのかもしれません。それにまだ10時ですから陽の光は斜めから射しています。花の陰影が濃く見えます。陽が昇るに従って花は大きく開くのでしょう。
牡丹が未だ咲き始めと云う事は紅枝垂れ桜が未だ残っていると云う子と、八重桜は今が見ごろと云う事です。
思いも依らずにまた桜を楽しめました。今年の春は1箇月もの間桜を楽しめた事になります。
こんな幸運な事は滅多にありません。
鎌倉で牡丹と云えばJR駅にも八幡宮のボタン園や長谷寺が出ています。デモ建長寺の牡丹が一番です。根拠はハッキリしています。第一に建長寺の牡丹は丹精のレベルが違うのです。広い建長寺の境内に散った落ち葉を沢山の雲水さんが掃き集めます。落ち葉は掃き集めて腐葉土にします。そんな腐葉土を牡丹の根元に埋めてあげているのです。
第二に牡丹の背景が違います。美人や名画が浮き立って見えるには背景の壁や額縁が重要です。建長寺の牡丹の背景は樹齢800年の百槇であり仏殿の甍や花頭窓であります。妖艶で花の女王を引き立てるには最適な背景なのです。
座禅堂を朝早く出立した雲水さんが托鉢行を終えて座禅堂に戻って来ました。面倒をおかけした牡丹の花が三つ指ついてお迎えしているようでした。
私達が座禅堂の庭の牡丹を観ていると坂の下山門の辺りから読経の声が響いて来ました。観れば10人程の運水さんがグループで坂を上って来ます。私達は道の脇に退いて合掌低頭しながら雲水さんが通り過ぎるのを待ちました。本当は大きな声で”お早うございます。お勤めご苦労様です”云いたかったのですが。
朝一番に鎌倉市内を托鉢行して戻られる雲水さん。牡丹が顔を揃えてお出迎えです。
運水さんも心なしか頭を下げて私達の前を通り過ぎて座禅堂の前で横一列に並んで回向を読み上げました。
早起きしたお蔭で「牡丹は早朝に観るモノだ禅寺も早朝に上るモノだ」知りました。
背景の鎌倉石の石積みが牡丹の美しさを引き立てます。
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鎌倉ウォーキング
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鎌倉の史跡や山を歩きながら、地誌を紐解き、自然と人為のマッチングをスケッチいたします。なお、筆者は小学校から高校まで鎌倉でお世話になりました。
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4月16日(日)は久々の快晴でした。「鎌倉祭り」も今日が最終日ですし、流鏑馬も行われます。そこでワイフと連れ立ってお出かけしまあした。朝10時鎌倉駅に降り立って真っ直ぐ妙本寺に向かいました。妙本寺の海棠を観たいと思ったのです。桜が終わると妙本字寺は海棠に加えて八重桜、山吹にシャガが咲き競うのです。
屹度中原中也も小林秀雄も海棠を観に連れだってこの寺に上って、二人の心の奥に溜まっていたわだかまりを吐き出そうとしたのでしょう。でも中也は若すぎて老獪な秀雄にたぶらかされて恋人の奪回は出来なかったのでした。
これは6年も前早朝の妙本寺祖師堂です。境内には4本もの海棠が咲きます。祖師堂の階段の井腰を下ろして街道を見惚れている人が居ますが中原中也は小林秀雄を呼び出して奪われた恋人の奪回を試みたのでしたが・・・・。
これは二天門の毘沙門天像です。
二天門の敷居前に賽銭箱が置かれています。賽銭箱には「境内整美の為にご協力ください」掲示がされていてその脇に栞が置かれています。無造作に文鎮代わりに置かれて石を持ち上げて栞を一枚貰います。栞には玄晶住職の法話がプリントされています。私はこの栞を大切にしています。ワイフはそれを良く知っていてバインダーに綴っていてくれます。
これが今月の玄晶住職の法話です。表題に『石中の火木中の花』とありました。ドン意味だろう?考えながら掃き清められた境内を散策しました。
中原中也と小林秀雄が並んで座って見詰めた視線の先にあったのが左の海棠です。
石の中には火はありませんが、打てば火が出ます。
木の中には、花の色も葉の緑もありませんが、時が来れば芽や蕾みが出て花が咲き、やがて実も成ります。
同じように、目には見えないけれど、大切なものが誰にもあります。それを仏性と呼ぶもので誰にも備わっているモノです。困難に遭遇した時心に迷いが生じ葛藤に苦しんだ時に自らの仏性に問いかければ、歩むべき道が照らし出されるのです。それは石を打ちつければ火が起せ木に花が咲くようなものです・・・・。
そんな日蓮様の教えなのでしょう。
私達は暫く海棠を眺めて小山を降りる事にしました。
庫裏の横には本堂が在って今晩のお通夜の準備に忙しそうです。流石に妙本寺は日蓮宗の霊跡寺院(別格本山)です。池上本門寺や身延山久遠寺さんからの弔意も案内されていて、お檀家が緊張した面持ちで葬儀社を指図しています。
私はご遺影に手を合わせてお檀家の方に尋ねてみました。
「当山では7年くらい前にご住職が遷化されたと記憶しています。すると今回の不幸はその次のご住職でしたか?、まだおわかったでしょうに・・・・・・」
するとお檀家の方が教えて下さいました。先代が亡くなられて玄晶さんが住職になりましたが、玄晶住職は先代の御子息では無くて、安国論寺のご住職が兼任されていたのです。
これはお通夜の準備に忙しい本堂です。
全国の日蓮宗の寺院から寄せられた弔意直ぐにこうした処に視線が行くのは私の生い立ちでしょうか?もうじき鎌倉は選挙です。議員の名が無いのは納得です。
住職は代わっても海棠の花は見事に咲いていますし、日蓮さんの教えは日々これ新たです。
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鎌倉の八幡宮は京都で云えば御所の様なモノです。今はありませんが羅生門を潜ってを真っ直ぐ進めば朱雀通りの突き当りが紫宸殿で天皇は此処で政務(祭事も)を取ります。日常の寛ぎは東北の位置にある清涼殿で過します。
由比ヶ浜から真っ直ぐ北進すると突き当りが八幡宮で、将軍は八幡宮で祭事を執り行い八幡様の権威を背景にして政務を発表しました。そして普段の生活や協議は八幡宮の北東にある将軍自邸(政所)で執りました。住所表示は御門
これは八幡宮社殿前の石段。左の注連縄で囲まれた処に在った大銀杏が大風で倒壊したのでした。その後からは数本の彦生(ひこばえ)が芽吹いていましたが写真の一本が残されて紙垂が飾られていました。幹を移した方は枯れてしまったようです。
数年前八幡宮の大銀杏が根こそぎ倒れると、段蔓の桜並木の撤去大改造を発表しました。傷んできた桜が倒れて障害が生じたら…懸念したのでしょう。八幡宮が段蔓の改造を発表すっると反対の意見が続出しました。
①、傷んだから伐採するのはけしからん②段蔓が若宮大路横断の障害になるので若宮大路の東側の商店が寂れる東側の住人は不便になる。そんな意見でした。現在の若宮大路は県道ですから。管理責任者は神奈川県ですがら住人や地元商店の意見が優先されると思ったのですが、。八幡宮は「段蔓は八幡宮の一部分である」と主張し。結局傷んだ桜は八幡宮の池の周囲に移植する…。等々の微調整で大凡八幡宮の意見通りに段蔓は大改造されました。
これが段蔓です。この大通りが若宮大路で所管は神奈川県です。でも中央の参道は段蔓と呼ばれます。利用者にとっては所謂道路ですが、八幡宮にとっては境内の一部分です。段蔓の桜の木の老朽化対策による大改造が八幡宮の意向で決められるのか鎌倉市民の判断が優先されるのか微妙な問題でした。しゃしんは4月9日(日)で鎌倉祭り初日は生憎の雨でした。二の鳥居前の狛犬は日本セメントの寄贈でコンクリートが破損して内部の鉄筋が現われて来ていました。序にこの狛犬も一新してほしいモノです。
此方は鎌倉祭りで「毛槍」を奉納して帰路に向かう消防団の人達。突き当りが八幡宮で段蔓の道幅は次第に狭くなります。写真で撮影すると遠近法を中世の人も認識していたことが判ります。
外人さんは何故か地味な大島が好みで日本のお姐さんは派手好みのようです。段蔓は吸水コンクリートで桜にも優しいし人も歩き易くなりました。昔は砂利が靴や草履に入って歩き難かったのでした。
私は入院する直前に伐採前の段蔓の桜も観ましたし、改造なって最初の桜を観に行きました。
まるで桃の若木の様な幼木が花をつけていました。大改造前の桜とは比べられません。
まるで惜しまれて引退したフィギアスケートの真央選手が可愛らしくピョンピョンジャンプを成功していた14歳の真央選手のようです。大人の真央選手に及ぶべくもありません。でも屹度いずれ慣れてしまって、桜の名所になるのでしょう。
太鼓橋を渡ると八幡宮の神域(淨域)に入ります。源平池は花筏が浮いていました。
4月9日は鎌倉祭りの初日でした。舞殿ではセレモニーが開かれています。今年は壇上が賑やかだな思って眺めていると気付きました今年は市議会議員選挙なのです。ミス鎌倉のお披露目もしています。
鎌倉祭りのオープニングセレモニー主催は鎌倉観光協会です。秋は八幡宮主催です。竹中工務店が竣工した舞殿も見慣れて来るとなかなかいいモノです。手前の法被姿のお兄さんは毛槍を奉納した消防団さんです。法被の町内名が誇らしげです。
源平池の畔の桜、段蔓の古い桜は専門の樹医が診断して、可能な桜はこの畔に移植する事で市民は納得しました。でもどの桜が以前からあったのか段蔓から移植されたのか判りません。桜の樹下には牡丹が植えられていて春牡丹はGWまで見頃です。
鎌倉駅のホームの上からの眺め目の前はホテルニュー鎌倉です。私が小学生だった昭和30年代から変わりません。此処を舞台に岡本鹿の子は「鶴は悩み鬼/芥川龍之介伝記」を書きました。背景の山が源氏山でその左が御成り山私はその麓の小学校を卒業しました。
4月16日は快晴でした。私は妙法寺の海棠を観に序に鎌倉祭りの最後に開かれる流鏑馬を観に又八幡様を詣でました。鎌倉は夏日で小町通りには熱中症で倒れる人も出る騒ぎでした。
何度も視ている流鏑馬ですが矢張り観たくなります。春は鎌倉観光協会の主催ですから、鎌倉に道場がある武田流の演武が観られます。背後の建物が八幡宮の弓道場です。秋は八幡宮の主催で小笠原流の演武が観られます。私は何処がどう違うのかさっぱりわかりませんが。弓が的を射ると幸いが多くなりそうな気がしますし。射手の姿勢が良いと気が引き締まる思いがするものです。今年はお嬢さんが3名も演武したようです。
八幡宮の東端に弓道場があります此処から流鏑馬が始まります奥の建物は名門中学の国大付属中学です武田菱の幔幕が気合いを込めているようです。
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インフルエンザにノロウィールスの季節になって来ました。私の体が”柿を喰え”と欲しています。「柿が赤くなると医者が青くなる」諺も「柿の葉寿司」も柿の滋養や殺菌力を示しているのでしょう。柿の薬効と云えば①抗癌作用②、老化抑制効果、③風邪やインフルエンザの予防効果、④血圧の低下効果など、どれもこれも私の為にあるような果物です。私の体が”柿を喰え”命じるのは自然な事です。
美味しい上に春先に吹き出す芽は鶯色でとても美しいし。紅葉も見事です。紅葉の色は赤一色ですが、柿の葉は緑も在れば茶色も混じって紅葉するので、趣きがあります。
紅葉が美しい柿の葉黒いのはカテキンが溜まった処でしす。青いのはクロロフィル葉っぱの三態が同時に観られるのが魅力の柿の葉です。今年は春先に大きな鉢に柿の木を植えました。右の葉は栞にしていたのでしたが干乾びて終った柿の葉です
柿とは「赤い木」の意味だと聞いたこともあります
私の生活圏では舞岡や俣野に柿を栽培している農家があって「浜柿」と云ったブランドで売り出しています。でも数量が揃わないので知名度は全くありません、横浜にも法隆寺がありますので「法隆寺柿」とか「総持寺柿」とでもブランド名を付ければ知名度も上がるかもしれません。
偶然でしょうが舞岡も俣野(も鎌倉古道に面しています。前者は鎌倉古道中道で後者は鎌倉古道上道(新田義貞/群馬県太田市)府中町田を経由して鎌倉を結ぶ)に面しています。
国道1号線影取から龍長院(曹洞宗)入り口から大山街道に入ると直ぐに鎌倉古道上道に交差します。
大山道は鎌倉古道にクロスします。この辺りは源義朝を祀った鯖神社が多いのですが向こうの鳥居は八坂神社です。其処を右折すると目指す柿農家があります。
この辺りは市街化調整区域で農家は庭先で無人販売をしています。夏頃までは1袋100円でしたが昨今は200円にインフレしました。柿は3個で200円でした。
八坂神社の庚申塔鎌倉古道の楽しみは豊富な石仏もあります。同時に遊行寺道でもあるので小栗判官照手姫伝説や絵巻物等も豊富です。
境川の西岸方向を見渡すと富士山が見えます。富士山の手前に大庭城後(後北条氏)があって、慶応藤沢や日大のキャンバスも点在しています。このアングルを楽しむ為に住友財閥は俣野に別荘を建てました。昭和モダニズム建築を評価され重文でしたが横浜市に管理を移された途端に放火?全焼してしまいました。
鎌倉幕府は軍用道路を鎌倉と北関東(源氏温故の地)を結んだのでしたが、信頼していた御家人(足利氏一族)に背かれて鎌倉古道を攻め上がった新田義貞によって滅ぼされてしまいました。(新田義貞は足利尊氏と同族で主従の関係(足利市と太田市は隣接しています)
まるで府中の分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい、元弘3年1333年)はライン川を渡ってローマ街道を攻めのぼったゲルマン人がローマ軍を打ち破り飼い猫に手を噛まれたと云った戦い(トイトブルク森の戦)を髣髴させます。
遊行寺を詣でて銀杏を拾ってバスに乗って影取に出ました。影取のバス停から大山街道に入って境川の河岸段丘を下ります。その河岸段丘の上に鎌倉古道が通じています。この街道沿いには鯖神ご神体源義朝/左馬頭社)が多く北条高時の言い伝えの寺等も残されています。そんな中に柿や葡萄を栽培している農家が点在しているのです。
12個も買ってしまって満足です。
お三時には珈琲に柿とヨーグルトです。柿はヨーグルトにつけると一層美味です。
でも12個も柿を買ってしまうと食べきれません。幾ら体に良くても食べ過ぎたら血糖値が上がってしまいます。で大半は柿ジャムにすることにしました。
家に戻るとワイフの友人が次郎柿をプレゼントしてくれました。流石に次郎柿は大きくて立派です。
大きいくて座布団のようなのが戴いた次郎柿です。各地各地で柿の味も違うのがまた楽しいモノです。
今年は次郎柿の故郷と云われる奥駿河の森町に行きました。奥駿河は善光寺街道を遡れば市田柿の産地ですし。西にいって鳳凰山を越えて木曾に向えば数年前ワイフと出かけた香嵐渓のある足助です。足助では柿を喰いながら馬頭観音を巡って歩きました。一番肥沃な奥駿河で次郎柿が出来て、市田や足助では山柿なのかもしれません。
今年は紅葉を観に近江に行く予定です。湖南は柿の銘菓も多いし楽しみです。
柿は日本の風景に似合う果樹です。先日書いたように柿の文化も数多くあります。
我が生家の柿は渋いのですが野鳥が楽しみにしています。私は柿を啄む鳥を楽しみに待つ事にしましょう。これを「木守り柿」(きまもりかき)と云います先日天雅彦(あめのわかひこ)の葬儀に集まった鳥を説明しました。雀は粉ひき役でしたが。鳥に柿を残してあげるのは良い優しい風習です。
我が生家に近い筆柿これは渋いので誰も見向きません。
これは木守り柿に寄って来た四十雀。先日校長先生の写真に「四十雀ですね!」云うとこれは私の財布で”始終空だよ”言われました
私は四十からセカンドキャリアでしょうが、私は40から惑放しです。”言いました。
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10月6日(木)は台風一過の青空でした。テレビでは韓国南部の港町の被害をう報じています。台風が北にそれて助かりました。韓国の被災者にはお気の毒ですが、久々の青空です何処かに出かけたくなりました。こんな日はお寺に住んでいた頃は裏山に出かけて木の実を拾ったものでした。裏山には大きな栗の樹や団栗や椎の樹がありましたので。大風の翌朝は誰よりも早く出かけて拾いまくったモノでした。祖母に作って貰った頭駄袋を吊り下げて色々な木の実を拾いました。その裏山も墓地に開発されてしまったので。出かけても蚊に食われるだけです。
ツラツラ考えた挙句に大船のフラワーセンターに出かけました。
バスと電車を乗り継いで隣駅の大船駅西口に降りたちました。此処から柏尾川に沿って1キロも下ればフラワーセンターです。フラワーセンターも財源不足の県は閉鎖の計画もあったようですが。鎌倉市民の猛反対にあって存続しているようです。昔はこのマンションは富岡ハム(現鎌倉ハム)の工場だったな!、随分変わったものだ、思いながら歩きます。豆大福屋さんも細々お店は続けているようです。この通りは”爺婆通り”フラワーセンターに行く爺婆が目立つ通りの意味です。爺婆を見下ろす位置に観音様がおいでです。最近は爺婆目当てに鎌倉ハムさんが応接室を開放して喫茶店にしました。名物は「日本最初のサンドイッチ」で、美味しいのですがバリアフリーでない事雑誌新聞のサービスがが無い事など爺婆のニーズには無頓着のようです。山崎陸橋の向こうに新設されたコメダ珈琲等研究したら良いと想うのですが、このままでは工場に続いて富岡さんのお屋敷も何れマンションに変わってしまうかも知れません。
千代の富岡さんは遊行寺の敵味方供養塔のお隣に「畜産供養塔」を立てられました。現在の鎌倉ハムは遊行寺のお祭りに協賛さえしていないようです。
私達がフラワーxっセンターに入ると丁度保育園児が変える処でした。私と同じように台風一過で木の実(団栗や鈴懸の実)拾いに来たのでしょう。私も保育園児も発想は変わらないようです。
台風一過の大船フラワーセンター保育園児に入れ替わるようにして入りました。
秋色が深まった昨日のフラワーセンターです。向こうの銀杏が色づいたら百舌も鳴き出すことでしょう、この日は吾亦紅こそ咲いていましたが、未だ赤蜻蛉は富んで居ませんでした。もうじき虫も蛙も隠れてしまいます。隠れる前に百舌が縄張りを主張します。今朝は寒くなって百舌が啼いています。ワイフに”百舌の高啼き75日と云うから後75日で初霜だよ!お前が高鳴りしたら「怒ったら」1週間で切れるかもね・・・・”言ったら御機嫌悪くなりました。
先ず鈴懸の下を通って銀杏の林に行きました銀杏を拾うチャンスがありそうだ思ったのでした。
案の定銀杏は沢山落ちていてアスファルトの上で踏みつぶされていました。
『さて拾おうか!』思って腰を屈めようとすると保育園児が”臭いネね銀杏は、銀杏は臭いネ”鼻を摘みながら通り過ぎました。私は拾うのを止めました。車で来たならトランクに入れておけば良いのですが、帰宅するにはバス電車を乗り継がなければなりません、電車で「臭いネこの爺さん臭いネ』言われたら堪ったモノではありません今度来る時はビニール袋では無くて密封瓶を用意してくることにしましょう。
銀杏拾いは断念して次の狙いは喜樹の実です。私は毎年喜樹の実を観るのを楽しみにしています。それに私は古希です次のハードルは喜寿ですから。観ておかなければ宿題を忘れた謗りを受けるような気になります。喜樹の実は期待通り沢山なってぶら下がっていました。つい先刻まで保育園児がこの実を拾って遊んだような形跡があります。どんな風にして遊んでいたのか見て観たかったです。女の子は髪飾りかな?イヤリングかな?男の子は雪合戦のようにしてブッツケあったのかな?思います。
右側の菩提樹のような大樹が喜樹です一見すると水木の仲間のようです。葉っぱだ観れな桑に似ています。案内板にはハッカの成分が在るとされていました。そこで葉っぱを潰して匂いを嗅いだのでしたがハッカのような爽快な香りは無くて青い匂いがしました。家に帰ってインターネットで調べると日本大学薬学部がr次の様に説明していました。
『中国原産のヌマミズキ科カンレンボク Camptotheca acuminataは、強い生命力と多くの実をつけることから、子孫繁栄にたとえられる喜びの木として喜樹(キジュ)と呼ばれています。 従来、庭木、街路樹や加工材として用いられてきましたが、抗ガン効果が知られたことから、cancer tree、tree of life、happy treeなどとも呼ばれます。』
本当に喜樹に相応しい薬効のある樹なのです。先ず家の花瓶に生けて明日はデーサービスお土産に持って行って喜樹にあやかって皆と長寿を悦ぶことにしましょう。
此方はフラワーセンター日本庭園の柘榴の樹もう誰かが拾ってしまったのか実は一つも落ちていませんでした。
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