仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

鎌倉ウォーキング

[ リスト | 詳細 ]

鎌倉の史跡や山を歩きながら、地誌を紐解き、自然と人為のマッチングをスケッチいたします。なお、筆者は小学校から高校まで鎌倉でお世話になりました。
記事検索
検索
昨年の11月新聞紙面に鎌倉の鶴岡八幡宮の段葛を改修する工事着工の記事が掲載されました。桜の木の傷みが激しい事等国の「史蹟」と呼ぶにはお粗末な状態で放置されていたので、当然な措置と思いましたが,幾つか疑問もありました。そこで、今どうなっ手いるのか確認に出かけました。鎌倉駅を降りると「カトレアギャラリー」で高柳秀麻呂氏の写真展「若宮大路と桜」のポスターが貼られていました。早速に見学しました。高柳氏 ご夫婦に説明して戴きました。
イメージ 1
段葛は頼朝の鎌倉幕府の造営に始まります治承4年(1180)。頼朝は京の都に倣ってかまくらに「武士の都」を造りました。
京の都の中核は内裏で、内裏から真っ直ぐ朱雀通り造り碁盤目状に通りや整備し市街地を整備したのでした。鎌倉で朱雀通りに相当したのが若宮大路でした。八幡宮の若宮に通じる大通りの意味でした。
内裏のシンボルの役目を源氏の氏神石清水八幡宮を勧請しました(鶴岡八幡宮)そして、幕府中枢機関ははその左右に配置してその周囲は有力御家人の屋敷に、郊外に向けた要衝の地には社寺を造営しました。
でも、鎌倉は京都に比べれば3回りも狭隘ですから土地がありません。周囲の山をを削って低地を埋めるなどして土地を拡げたのでした。その結果、若宮大路は雨が降れば周囲から水が溢れてぬかるみになってしまいました。その対策として、若宮大路の中央を高くして水除けしたの段葛でした。葛石(かずらイシ/寺院建築の基礎石壇の先端に置く縁とりをした石)を二段に積み上げ等のでした。
イメージ 2
大正7年の工事中の段葛、それまでは土塁のような構造物であったものを基礎に石積をして桜や松を植えたようです。その桜も80歳を過ぎて惨憺たる状況になっれ来ていたでした。出典鎌倉辞典(東京堂出版)
 
その段葛の中央に大正時代末期染井吉野を植えた等のでしたが、近年その桜の傷みが眼に耐えがたい状態になっていたのでした。若宮大路は県道ですが、段葛は八幡宮の私道ですので、工事の主体は八幡宮で県や国は補助する立場に鎌倉市は工事認可する立場にあります。新聞記事では、若宮大路の東側の住人が不便になる、指摘があるなど、計画に対する異論が数多いようです。
イメージ 3

高柳秀麻呂氏の写真展の様子。
イメージ 4
昭和16年開戦直後の段葛桜と松のコントラストも妙で綺麗でした。前記高柳氏の写真展を複写。
イメージ 5
現在工事中の段葛。矢射た状の遮蔽で覆われていて桜は如何なっれいるのか解りません。入口の狛犬は日本セメント(現)の寄進ですがこれも腐食が進行して骨格の鉄筋のサビが出て来ています。同時に更新してほしいものです。

写真の様に段葛の前後左右は遮蔽の矢板で覆われてしまって見られません。肝心の桜の木はどうなっているのだろう?気になりますが、段葛を見下ろせるような建物はありません。
「お知らせ看板」には工事の受注が竹中土木で工事は2016年まで2年間を要するアナウンスされています。
段葛の写真展をしている  氏に現在の桜はどうなるのか?窺がったところ「神様の為さる事は庶民には解りかねます」と言い放っておいででした。鎌倉市民は八幡宮のプランに必ずしも賛成ではない様に感じました。
現在の桜は伐採しないで取敢えず移植などしておいて、5年ぐらいかけて植え戻すのだろう、と云った、推論に落ち着きました。生まれ変わる段葛の桜は矢張り染井吉野になるそうです。鎌倉では植物試験場が「玉縄桜」を新種開発した実績もあるし、玉縄桜を「かまくらかまくらかまくら桜「鎌倉桜」としてPRする案もあります。早咲きの桜ですから人気も河津桜並には盛り上がる事でしょう。でも現状段葛が見苦しい理由には人為もあるのです。染井吉野が枯れそうになると、別種の「岡目桜」や「河津桜」を植えたので、鼻が咲き揃わないので見苦しいのでした。染井吉野は病虫害に弱く早くに樹勢が衰えれ終います。逆に公害にも強いのがの固有種の山桜です。
問題は現在の染井吉野が何故80年で枯れ始めてしまったのか?その原因の解明です。一見してわかるのは段葛の通行人が多くなって、桜の根元が踏み固められている事です。また、少し伸びた根っこはアスファルトの下にもぐっています。アスファルトは水を通しませんし熱くなります。夏は根っこはアスファルトの下で蒸されて居る事でしょう。段葛の土の部分を増やしたり、通行人数を制限したり浸水性のアスファルトにするなどの対策が考えられます。元々京都の宮大工であった竹中が請け負った仕事です。十分な対策が施されて平成の改修工事で植えられた桜が千年も先に見事に咲き誇ってくれる事を夢見たいものです。百年桜では昭和の日本のようなものです。千年桜は吉野山です。千年桜を期待したいものです。
イメージ 6
奈良仏隆寺の千年桜中島千波氏の絵のプリントです。


ログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
 
 





2月15日、天然酵母パンを食べたくなって、鎌倉に出かける事にしました。車窓からは梅の花が見られます。そこで鎌倉駅から真っ直ぐ東に大巧寺(オンメ様)に向かいました。お寺の隣が島森A書店でその向かいが夫婦饅頭の、両方とも小学校の友達です。「今頃如何しているかなあ?」思いながらお店をのぞき見します。この日はうららかな好天気で観光客も多いようです。みんな春を探しに鎌倉に来ているのでしょう。
大巧寺は元々は十二所の梶原景時の屋敷内にあった寺院で舌が源頼朝の祈願所書でもありました。この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名した、と案内されています。天文元年(1532年)4月の夜明け前、妙本寺の日棟上人が滑川の加納橋の袂に下半身血まみれの女性を見つけました。日棟上人は女性を介抱します。すると女性は「死出の旅路に迷い成仏ができない」と訴えます。そこで日棟上人は法華経を風呪したところ、女性は消えてしまったのでした。
イメージ 3
右手前がおんめ様境内は比企ヶ谷方面k皿の通行人が駅に向かうに際し近道になっています。数年前に公園に整備されて花木が植わりました。右中央が鎌倉の文化を発信する島森書店、その隣が夫婦饅頭の山崎氏の松風堂ビル。松が西行迎え松風で、西に枝が向いています。
この伝承が「難産で死んだ女性を成仏させる」という信仰に発展し、いまでも産女さま(おんめさま)と呼ばれて近在の信仰を集め、親しまれています。
期待通りおんめさまの境内は梅やボケや椿の花が盛りで、その足元には福寿草や水仙が咲いていました。でも驚く事に100mも参道に行列が出来ているのです。
イメージ 1
これは紅梅ですがボケも花盛りでした。
2月15日は旧暦ではお初の戌の日に当たるのです。(陽暦では1月5日がお初天宮でした)日曜日で好天気も重なったので、沢山の妊婦さんが腹帯やお札を戴きに並んでいるのでしょう。
イメージ 2
おんめ様の参道は行列でした、正面突き当りが本堂です。
少し膨らんだ女性のお腹を見ていると嬉しくなります。
ワイフももう来年は寧々(孫)も小学校にあがるし早いものね!」笑顔です。夫婦で記念写真を撮ったりしています。梅の花も入れて写真を撮ってよ!」と言っていまっすが。見ればボケです。ボケも梅も嬉しい人には同じように祝福してくれているようです。
私達も「健康祈願」で本堂前に上りました。今日は扉も全開で天井画も良く見えます。おんめさまも大サービスのようです。
イメージ 4
おんめ様の本堂内陣組み込み格天井の彫刻画が見事です。
家に戻るとニュースで水天宮の様子が報道されていました。今日は1000人も水天宮様に並んだそうです。行列は延々と明治座まで伸びたことでしょう。
夕食の卓には蕗の薹が上りました。苦味を快く頬張りながら私はワイフに言います
「今日並んでいた女性は5か月、7月に出産となるんだろうね。夏の出産が子育てし易いかもね。それにして、p水天宮の神様は安徳天皇と建礼門院。お二人とも現世に恨みを残したと思われるのに、死んでも神様として呼び返されて安産と母子の健康を守らせられるなんて気の毒なような気がする。浅いがら山の金太郎や金時娘が神様なら自然だけれども・・・・・」

でも今年は子供も沢山産まれそうでな生涯出生率も好転する転換年になりそうな気配がします。
イメージ 5
鎌倉野菜産直市場横から段葛方角を見ると右手に呉竹が自生しています。子育ても戌や呉竹の様に強い生命力を守ってあげたいものです。

イメージ 6
  此方は奈良法華寺の安産のお守り戌の人形、尼さんが一つ一つ手作りだそうで、菊の模様と可愛い表情が合いまって尊く美しいと思います。でも尼さんに安産のお守りを手作りさせるのは意地悪のような気もします。今年の4月は淡島神社(和歌山」も詣でる予定ですが。安産の祈願所は多くあっても、何処か皮肉っぽいものがあります。


ログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
 
 





鎌倉は海に向かって南面し、三方は屏風のような山に囲まれていて天然の要塞と呼ばれています。その屏風山の尾根部分を尾根部分を掘り下げて通行可能とすると同時に、敵の侵入に対する防御施設としたのが切通しです。
 「亀ヶ谷坂・朝夷奈切通・巨福呂坂・化粧坂・大仏切通・名越切通・極楽寺坂の7つを総称して鎌倉7口 (切通) といい、国の「歴史の道百選」に指定されています。どの「切通し」も恰好な歴史ハイキングコースであり、沢山のハイカーが通ります。
イメージ 1
釈迦堂切通し此処は鎌倉府内の通り道で厳密な意味での切通しではありませんが、厳粛な雰囲気が漂っています。道は落ち葉の布団のように柔らかいのです。
イメージ 2
切通しの断崖中腹に掘られた櫓、此処が支配層の墓場になっています。岩場には鑿の跡が鮮やかです。地層がハッキリ見えます。白い層は下の白い地層は砂礫(砂や貝殻の層)でその上の黒い層は溶岩系(富士山噴火による火山灰)であると思われます。
イメージ 3
曼荼羅堂の櫓群(櫓が曼荼羅のように集まっているのでこの名があるのでしょう。まるで中世のお墓の団地のようです。
イメージ 4
曼荼羅堂櫓の一つ五輪塔が並んでいますが、中央の梵字のあるのが主人で、その左右は郎党でしょうか?皆同じ大きさであることは意外と平等だったのかも知れません。
岩場を鑿で切り崩していますから、地層が露出しています。切通しの断崖の中腹には櫓を掘って五輪塔が置かれています。五輪塔は中世の武士や僧侶など支配層のお墓です。どの櫓も苔むしたり偲ぶ草(シダ類)が根を張っていたりします。切通しの外側は地獄とでも思ったのでしょうか、地蔵磨崖仏が浮き彫りされたりしています。
イメージ 5
釈迦堂切通しの地蔵磨崖仏
イメージ 6
朝比奈切通しに立つ地蔵尊
イメージ 7
落ち葉を踏みしげながら切通しを歩くのは楽しいものです。写真は朝比奈切通し岩場に清水が流れて行きます。
イメージ 8
運が良ければ赤ゲラに会う事も出来ます。
イメージ 9
此方は水浴びをしていた「鷽/うそ/悪夢を変えてくれる天神様の聖なる鳥)です。
歴史の道なのですが、歴史をコケや羊歯の自然が優しく包んでいる風情です。「切通しを歩く」古都こそ、鎌倉好きの醍醐味です。
イメージ 12
初夏切通しを飾る山百合
初夏には切通しの上に山百合が咲いてハイカーを見下ろしますし。秋には木通(あけび)烏瓜(カラスウリ)がアクセントになっています。勿論、鶯や時鳥、百舌鳥に小綬鶏等の野鳥も楽しませてくれます。これからは冬ですからバードウォッチャーには格好の季節です。夏には茂っていたクヌギの葉も落葉して、啄木鳥などの野鳥を見つけやすくしてくれています。
イメージ 10
鎌倉手広の鎖大師に近い切通し地層が見事です。
イメージ 11
鎖大師隧道と記されたトンネル切通しもトンネルも取り壊して宅地9区画に変わってしまいました。鎌倉市の古都保存意識の低さに唖然とします。
厳密には中世に出来た切通しではありませんが、「鎖大師の」近くにも切通しがあります。この道は近世に江の島詣でが増えたので手広から腰越に行く近道として造ったものでしょう。切通しとトンネル(隧道)で近道が出来ています。鎌倉山の西端にあるので、ハイカーの人気でした。
ところが2年前開発のお知らせw看板が立ち昨年工事が始まりました。東京の宅地開発会社が切通し隧道を含んだ山林を取り崩して9区画の宅地にするプランでした。間もなく工事が始まり。鎖大師の慶大にキャタピラーの爆音が轟きました。
もう、後戻りはできません。近世に出来た生活道路は消え去ってしまいます。
イメージ 13
鎖大師隧道も崩され宅地開発が進んでしまいました。鎌倉の古都保存意識は最悪で、既にユネスコに再チャレンジする気持ちは無いように見えます。
思います。鎌倉山の景観保存と併せて土砂崩れ防止のためにも私益を制限しなくてはなりません。
元々は礫層と火山灰層が重なって褶曲した美しい断崖で、動植物が生息していました。それが無機質なコンクリートの擁壁に変わってしまうのです。どちらが美しく強靭な国土であるかは訊くまでもありません。鎌倉市民の覚醒を期待するものです。
 
 
 
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

昨日は午後2時半から3時間は日吉の慶応キャンバスでセミナーを、午後7時から1時間は町内会で、都合4時間話し続けでした。流石に疲れて家に帰るとフィギアスケートをテレビでやっていました。テレビ観戦して、羽生結弦さんの入魂の演技に少なからず感動しました。若い人の精神力ほど私達の背中を強く押してくれるものはありません。オリンピックの時以上の関d峰でありました。お蔭で「良いものを見せて戴いた」とばかりに熟睡して朝は庭の井鶉の鳴き声で目を覚ましました。
鶉も鶏と似た習性があるのでしょう。「お父さん、早く眼を醒ましなさいよ、」忙しく啼き続けます。
私は布団の中から首だけ出して鶉に聞き入ります。
屹度今頃の奈良は鹿の声と鶉の鳴き声とが深まりゆく秋を競って告げている事でしょう。私は古都の景色を思い浮かべます。
隣町に小雀町があります。何時も渋滞する原宿交差点の近くです。其処に「深草の宿」という名のモテルがあります。農家が投資したモテルのようで、もう廃墟に近く、来客は全くないようです。でも原宿に来ると看板だけがお目立ちです。モテル「深草の宿」の名は間違いなく、俊成の鶉の和歌から採ったものでしょう。
夕されば野辺の秋風 身にしみて鶉鳴くなり深草の里 藤原俊成
モテルに泊まると本当に鶉が聞こえるのか?私は知りませんが、でも小雀町は深草の雰囲気に満ちている侘びた町で今もススキや葎が茂っています。
俊成の鶉の歌は伊勢物語の「深草の女」を本歌どりしています。

.
『伊勢物語』123段の「むかし、男ありけり。深草に住みける女を、・・・」
夕焼けも終わって、辺りは次第に暗闇に沈んでゆく、そんな時刻です。鶉の鳴き声が闇の中から響いてきた・・・幽玄の世界を表現しています。我家の鶉は夜明けを告げますので、俊成の鶉とは違いますが・・・・。

俊成の歌は平安の美(夕焼け)から中世の美(幽玄)への架け橋の役割を果たしました。
西行は俊成の歌をとって次の歌をかさねます。
鶉なく折にしなれば霧こめてあはれさびしき深草の里 西行
イメージ 2
酒井抱一の鶉秋草の図。西行や寂蓮の歌を屏風に描いたものです
 歌意は深草の里に鶉の鳴く頃になった。あたり一面に霧がたちこめていて、
   いかにも寂しい、深い秋だ、事よ・・・・。
更に西行の師であり友人であった寂蓮は次の様に歌います。
繁き野と荒果てにける宿なれや籬の暮に鶉鳴く也
寂蓮の住まいは大原でしたから深草の里は「大原」とイメージが重なります。
寂光院の景色です。
イメージ 1
我家の鶉君、主として明方に啼いてくれます。鶉小屋には無造作に卵が産み落とされていますから、これで滋養をとります。
 今朝は寒そうなので中々布団からは出難いものがあります。
そう思うと西行にそんな歌があったのを想い出しました。
きりぎりす 夜寒に秋のなるままに 弱るか声の遠ざかりゆく 西行
もう立冬も過ぎました、床下からはコオロギ(キリギリス)の鳴き声が絶え絶えとして響いてきます。
蝋燭の灯が風に吹かれて消え入るようにコオロギの命も吹き飛ばされそうです。
私は昨年脳梗塞で倒れてからもうじき1年過ぎようとしています。
未だ私は左半身の麻痺はとれていません。苦行が続きます。
でも、この病気のお蔭で、西行や俊成の理解共感が深まったと思えば我慢できます。
 
「深草の里」が無用な雑草の生い茂った村の意味以上に鶉が棲む幽玄な世界を言い表しているようなものです。
 
今朝は雨模様です。お天気なら車で鎌倉山の櫨を観に出かける積りでした。
鎌倉はお寺が多いので、昔から櫨を植えて蝋燭を製造した名残でしょう。
櫨は一早く紅葉しますし、朱の色が濃く鮮やかなのです。
櫨は漆科の樹木ですから、鎌倉山には漆の木も多く残っています。でも漆はカブレるというのでハイカーに嫌われます。漆にカブレない様に処置するのが大変です。
手っ取り早いのが伐採してしまう事。ですからもう大半の漆木は伐り倒されてしまいました。一方櫨も漆も種が大量に実って、野鳥の命を繋いでいます。櫨や漆の木の樹下で待っていれば色々な野鳥が来てくれます。待っていればよいのですから。カメラを抱えて釣りをするような気分です。釣り人を太公望というのですから、野鳥ウォッチャーは「鳥公望」とでもいえばよいでしょうか?
イメージ 3
鎌倉山の櫨の大木何れ伐採されて宅地造成されてしまいそうです。斜度30はありますから開発許可は下りないと思うのですが・・・。
イメージ 4
櫨の大木から見た西側風景富士山が眼前です。
イメージ 5
櫨の大木の隣地迄無理な開発が進んでいます。この崖の下は西武不動産の七里ヶ浜ニュータウンです。
イメージ 9
開発に歯止めのかからない鎌倉山の南斜面(海側)山下の住人の命を守るためにも古都の緑と生物の多様性を守るためにも私益の制限が必要です。
上段の写真を見れば、下の西武不動産の住宅地に住む人の嘆きが聞こえるようです。雨が降れば土石流で流されないかと、寝られないでしょう。この秋横浜市では都心の中区と周辺の緑区で土石流が発生し、二人も亡くなりました。広島の悲劇は他人事ではないのです。横浜市は無理な開発であったk所とは承知していた者の、事務引き継ぎが行われていなかったと発表しました。もうじき民事訴訟になるでしょう。その所為でしょうか、最近林市長はお元気が無いようです
 
私は緑を保存古都の風景を守るには法律通りに「開発規制をかけておくのが一番効果的であると思います。
櫨や漆のの大木を守るのも「開発規制をかける」。
それでも開発したいという場合は環境アセスメントをしっかりやったうえで住人の意見を確り聞く事です。
台風18号の時は流石に鎌倉でも土石流の危険性に覚醒したようですが。直に忘れてしま鵜事でしょう。
イメージ 6
開発して小さな宅地に細分化して売り出そうとする気配の鎌倉山の櫨の大木。土石流対策として景観を守るためにも野鳥の保存のためにも櫨の大木のある景観を守って欲しいものです。
イメージ 7
櫨の実が野鳥の命を繋ぎます。この黒い実が蝋燭の材料になります。
イメージ 8
上の櫨の大木の種を野鳥が運んで鎌倉山には櫨の木が多く散っています。写真右上はミノ・モンタ邸。ミノ氏の屋敷は山椒洞(懐石料理/元松竹女優)田中絹代の別荘を取り壊してしんちくしたものです。当時の批判は次に書きました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/17268215.html)
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

惨めな段葛の狛犬。

10月に鎌倉若宮大路の段葛の再整備工事が発表され、11月から工事が始まった。総工事費は6億円余り、負担は八幡宮が2割で、過半は国庫補助と地元神奈川県と鎌倉市が3割という事でしょうか。工事費の大半が公費ですから市民や国民の期待通りの事業でなくてはおかしいと思います。(ネットで調べると若宮大路は県道です。ですから今次の工事主体は県で実施主体は鎌倉市になるのでしょう。)
イメージ 1
明治20年の若宮大路(出典横浜開港記念館)
イメージ 2
大正7年段葛を修復染井吉野を植樹する。
イメージ 3
現在の段葛桜の元気が無いのは段葛自体に問題があるのではなくて両側の車道がアスファルト舗装されているので根が傷んでいるからです。計画では300本(現状)ある桜が180本に減数されるそうです。加えて東西の横断歩道も半減され、車椅子も乳母車も入れなくなるそうです。
 
今鎌倉市民が問題にしているのは、段葛に乳母車や車椅子が入れない事、バリアフリーでない事と段葛を東西に横切る歩道が減ってしまう事です。
新聞発表からして八幡宮が実施しました。八幡宮の感覚では段葛は八幡宮の私道なのでしょう。
八幡宮の発表は段葛は八幡宮の参道であり、森厳な神社の一部であると確信しています。
だから、段葛を横切る道など認められない事になります。でも、段葛の東側の商店にとっては死活問題です。横断できなければ客数は半減してしまうでしょう。
若宮大路を造ったのは頼朝でした。武士の都を造営するに際して、由比ヶ浜に南面した山の中腹に武士のシンボル石清水八幡宮を遷座して、その奥に政所を設営しました。八幡宮の権威のもとに武士の忠誠心を纏めたのでした。
山がちな鎌倉を造営して宅地にしたので、鎌倉の町は何時も洪水だったのでしょう八幡宮を参詣するには泥道を進まなくてはなりません、そこで若宮大路の中央を少し高くして段葛を造りました。
大正時代になって段葛の両脇に300本のソメイヨシノを植えました。ですからもうじき100歳になる桜並木ですが。最近は傷みも激しく、我が国を代表する観光地としては寂しい限りです。それに染井吉野が枯れた後には、早咲きの河津桜を植えたので、さくらのパッチワークです、桜は揃って咲かなくては美しさも半減です。
今回の改修の目的の一つがこの桜の復活ですから、どんな桜をどのように植えるか計画が必要です。河津桜、玉縄桜、染井吉野など候補が幾つもあるでしょう。素人目に見ても桜の元気がない理由は明白です。若宮大路の全面がアスファルト舗装されているのです。アスファルトの下に張った桜の根っこは蒸されていることでしょう。アスファルトを剥がして石畳にするか浸水性アスファルトにする必要があるでしょう。弾桜の根元を占めている躑躅は桜に良くないので撤去するそうです。躑躅の後は草花(菜種やひがんばな)を植えるのでしょうか、それとも萩にするのでしょうか?気になります。
この機会る狛犬はどうにかならいでしょうか?
弐の鳥居の左右に阿吽の狛犬が並んでいます。
イメージ 4
八幡宮の弐の鳥居前に並んだ阿吽の狛犬。右の阿像の狛犬の劣化が激しく鉄骨が錆びて裂け目から錆が滲み出ています。
 
阿の狛犬の台座に狛犬の出典がプレートで案内されています。昭和36年(1961)に小野田セメント(現太平洋セメント)が奉納したもので、彫刻家の山脇正邦氏の製作になり、材質は白色セメントで造られていますさくら。白色セメントは石膏のように真っ白で劣化もしないと言う事で。当時積極的に売り出されたものでした。焼結温度が高く、白い顔料を混ぜたものでした大船観音像も白色セメントで作られました。私が中学の頃、白色セメントは青白く光って横須賀線の車窓から眺めると薄気味悪いものがありました。小野田セメントは八幡宮の狛犬に始まり各地の仏像やマリア様建物の擁壁にこの白色セメントを活用したのでしょう。でも作ってから半世紀で劣化が目立ち狛犬にはd裂け目が出来て裂け目から鉄錆が滲み出ているのです。この機会に狛犬も新作寄贈してもらったら、良いのでしょうが・・・。更に鳥居の耐震化も実施してほしいものです。
イメージ 5
此方は状態の良い吽形の狛犬さん
イメージ 6
此方は白色セメントの裂け目から鉄錆びが滲み出てきた阿形の狛犬さん。この台座に制作者や寄進した小野田セメントの名が刻まれた皮レートがあります。
 
鎌倉の歴史は八幡宮を中心にして展開してきましたし。鎌倉市民のシンボルは何といっても八幡宮であることに間違いはありません。
でも八幡宮の改修は八幡宮の専決事項ではないでしょう。工事費の八割は公費で支援してもらう以上は鎌倉市民や国民御期待に沿って工事計画を進めなくてはならないと思います。
段葛は八幡宮の参道であると同時に日本一の遊歩道(緑道)にするようにしてほしいものです。現在雪洞は八幡宮境内だけですが、段葛まで拡げて菱いものです。
例えば段葛に沿って自転車専用道(人力車兼用)を整備するなどすれば桜の根が張るうえでも有効だと思います。段葛に縁台を出してお団子や、蕨餅を食べてみたいと思うものです。弐の鳥居前にお札サービす。(お札を求めたりお返ししたり)身障者にとっては有難いものです。トイレも気になります。(20分間歩き続けでトイレがありません。)
八幡宮の改修をすれば今後数世紀はこのままでしょう。大正の桜工事は良かったにしろ、平成の改修はどのように評価されるのか、市民の善意がすべて参加できるようにしてほしいものです。私は白色セメントの欠陥だけは見落とせません。
 
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

.
yun**ake200*
yun**ake200*
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事