仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

横浜ウォーキング

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文明開化からハマトラまで、横浜の歴史的な建物から現代の風俗まで幅広くスケッチいたします。尚、筆者は横浜に長年地方税を納め、現在は町内会長(戸塚区上倉田町)として、地元にドップリ漬かっています。
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野毛の小路のの魅力

テレビでは渋谷の街の再開発計画の絵が案内されています。
私の記憶では、109の北側には恋文横丁があって
鯨屋という鯨肉のすき焼きやがありました。ごちゃごちゃした悪の匂いがして惹きつけられるものがありました。
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渋谷の再開発計画2027年に竣工する計画だそうです。東急グループが総力をあげるでしょうから面白いものになると期待されます。
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そんな雰囲気は数寄屋橋のミュージックくホールの周辺にもありました。日本一のストリップ劇場の楽屋口にはファンの叔父さんが踊り子が出てくるのを待ち受けていました。でもあさひしんぶんしゃがいてんし、日劇の跡地にはデパートが建ち路地裏の景色は消えてしまいました。赤ちょうちんは消えてブランドショップと映画館のコンプレックスに変わりました、「有楽町で逢いましょう」「数寄屋足橋」は歌謡曲の世界にだけ残されています。
人間はどうも再開発された綺麗な空間よりは、露地裏のごちゃごちゃした迷路の方が好きなようです。路地裏は人間自身の心の奥と同じなのかも知れません。
「水清くして魚棲まず。街綺麗にして人集まらず」です。
私は本能的に悪の匂いを嗅ぎつける能力があって、ウィーンでもシュテファン大聖堂からわざわざ路地に入り込み迷路の奥でショー劇場で文化人類学体験をしました。一もあの時のドキドキ感は忘れられません。
この先は少し危険だ予知していても、二度と来れないと思うと、足は迷路の奥に怪しげな方に向いてしまうものでした。
渋谷が再開発されることに反対はしませんが、路地裏の楽しさは人間性の本質に根差すものですから。経済合理性や快適性や警備安全性だけで再開発しないよう、路地裏の妖しさ人間臭さを残しておいてほしいものです。
 
横浜市民にとって、路地裏の魅力は野毛故小路に勝る場所はありません。
私は昨年も家内を誘って野毛大道芸やら、ギャララリー展示の野毛祭りに行きました。丁度今頃一人でも出かけてみました、こここんなにたのしいのなら日文研の友人を誘ってきたいもんだ思ったものでした。
野毛のスタートは多分戦後の闇市だと思います。桜木町の駅から大岡川(運河)に沿っ経路地裏に怪しげなお店が集積して・・・港湾労働者が集まりました。彼らの食欲や○○欲を満たす施設が集積したのでしょう。
そこで東南アジアの屋台のようなお店が集積しました。
麻薬など犯罪のルツボになる危険もあったので様々な施策が施されました。でも横浜市民は野毛の人臭さが好きで、横浜西口やММ21が開発されても野毛小路に向かいました。今では東南アジアの文化村のようでもあり其処にイタリヤスペイン風の居酒屋も参加してきている感じです。イタリア風のたちくい居酒屋「バジル」には勤め帰りのОLさんがググラスワインを傾けておいでです。
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露店の居酒屋を整理するため都橋から宮川橋までの大岡川の緩やかなカーブに沿って建てられた長屋風の飲み屋街で、「ハーモニカ横丁」の愛称でも親しまれています
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此処が野毛小路の入口怪しげな看板が誘っています。
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毛沢東もびっくりする餃子、ッ周恩来も驚くラーメン楊貴妃も腰を抜かすチンチンラーメン、男のロマンボーボーラーメンなんだこれはそれにしても古い発想だと思いますが入ってみたくなります。
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怪しげな風俗店失楽園なら知っているけど「永楽園」は知らない、失楽よりも永楽の方が楽しそうです。
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風俗店の看板など見ていると、新興宗教の勧誘員に捕まりそうです(交差点で立ち話をしているのは宗教の人のようです。
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夜は居酒屋昼は喫茶っ店が目立ちます。これでアイスコーヒーセット1050えんがいっぱんてきです。野毛は総じて安いんです。ジャズ喫茶の千草もこの町にあります。
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tジャズ喫茶ちぐさの前に自生している悪茄子(茄子の野生種)如何にも野毛らしい逞しさがあります。
野毛にはイタリア風の立ち飲み居酒屋のバジルなど新形態のお店も進出しています。古さ懐かしさと新しさがこんざいしている楽しさも魅力です。筆者が町田に住んでいたころ下北沢で途中下車しました。下北沢に似た街です。何かの機会に新形態のお店を紹介させていただきます。今すぐ友達と遊びに行きたい街です。
 
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赤レンガパークのイブ

大桟橋からみなとみらい街区の夜景を堪能しました。
次は、目の前の赤レンガパークに向かいます。
赤レンガパークは何時も何かしら催事が行われています。
クリスマスイブならば、何か楽しい事が催されていそうです。
大桟橋に来ているカップルの多くが赤レンガパークに向かい、
食事をする事でしょう。
 
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  赤レンガ倉庫は税関の保税倉庫でした。左が1号館、右が2号館。埠頭から見る。
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赤レンガは正式名を「新港埠頭保税倉庫」と言います。
埠頭に面した税関の所管する倉庫でした。
二棟の建物で東から1号館(大正2年/1913)、通路を挟んで2号館(明治44年/1911)に竣工しました。
設計したのは明治の建築界をリードした「妻木頼黄/大蔵省建築部」でした。
同氏は近くの馬車道に横浜正金銀行本店/現神奈川県立博物館)も設計しています。関東大震災も耐えた数少ない建物です。
日本の近代化産業遺産に指定されていますが、
近いうちに重要文化財の指定を受ける価値は充分にあるでしょう。
問題があるとすれば、2号館が商業ビルとして、1号館が展示場として活用されていることでしょう。
商業施設として活用されているので、
重文指定を受けると何かと束縛されてしまいます。
私の価値観からすると日銀本店(近代建築遺産、重要文化財、辰野金吾設計)よりも数段美しい建築ですし、文化史的価値も高いんです。
 
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  右が赤レンガ1号館、左が2号館、その中間の通路がクリスマスマーケットになっています。
  奥にクリスマスツリーがあるんですが長蛇の列になっていて前に進めません。
 
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    クリスマスツリーに近寄るには前後からは困難です、横からなら簡単です。
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  二人して鐘を鳴らします。そして記念写真・・・・・、長蛇の列になるわけです。
 
赤レンガパークには年間2000万人を超える人が入場しています。
まして、今夜はクリスマスイブですから・・・・・、芋の子を洗うような人出です。
人波は真っ直ぐクリスマスツリーに向かいます。
1号館、2号館の間にある通路に設えられています。
ツリーの前には「愛の鐘」があって、
カップルが一緒に鐘を打ち鳴らして、記念写真を撮っています。
ですから、ツリーの前はカップルの長蛇の列です。
まるで、初詣に浅草大師か鶴岡八幡宮の鈴(リン)を鳴らすような感覚のようです。
 
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    ログハウスの仲見世ではドイツフーズにホットワイン、土産品等が商われています。
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   ログハウスの屋根の上にはクリスマスの飾り物が並んでいました。
 
そう思ってみれば、マーケットの両側には仲見世のように店が連なっています。
どの店もドイツ感覚で、ソーセージ等のドイツフード、
そしてホットワインを商っています。
流石に体感温度が零度に近い寒さですから・・・・、
ビールではなくって、ホットワインなんでしょう。
ビール祭りの時は沢山のテーブル・椅子が用意されてるんですが、
その場所はスケートリンクになっています。
折角のホットワインにドイツフーズですが・・・・、大半が立ち食い、立ち飲みです。
でも、若い二人には立ち食いも楽しそうです。
 
ソロソロ帰って、我が家のイブを楽しむことにしましょう。
 
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          通路には簡易なログハウスが並んで、仲見世を為しています。
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       右端がスケートリンク、右から1号館、通路、2号館です。
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     スケートリンク、500円です。
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メリケン波止場のイブ

12月24日、クリスマスイブは横浜の大桟橋に夜景を見に出かけました。
横浜市民にとってはメリケン波止場と呼ばれた明治の末から現代にいたるまで、
自慢の埠頭なんです。
 
 
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   手前が大桟橋、デッキは木で葺かれています。船は氷川丸、塔はマリンタワーです。
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   此方は大桟橋に停泊中の飛鳥Ⅱ。氷川丸共々日本郵船のシンボルでした。
 
日米修好条約によって横浜港は開港します。(1859年)
当時の港はイギリス波止場、現在の「象の鼻波止場」でした。
小規模な船溜まりで、荷揚げには艀荷役が必要になります。
この不効率を克服するため本格的な埠頭の建設が急務でした。
そうして、象の鼻波止場の東に埠頭建設計画が立案されます。
東京港計画も持ち上がりましたが、横浜はコンペに勝ちます。
大量の螺旋杭を使って総延長738m、幅19mの時代の最先端の近代埠頭が完成します。
横浜市民はこの波止場を「メリケン波止場」と呼んで、
「赤い靴」をはじめ幾つもの歌に歌いました。
その、埠頭も1923年関東大震災で倒壊してしまいます。
しかし、埠頭は横浜の生命線です。
1925年には大修復も竣工します。
 
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 大桟橋から西、みなとみらい地区を眺める。左の黄色にライトアップされたビルが横浜税関、
 塔をクィーンと呼びます。その並びに郵船博物館があります。
 灯りが疎らな高層ビルは神奈川県警です。
 
 
太平洋戦争後は米軍に接収されます。
GHQは山下公園前のホテルニューグランドに本部を置きます。
その名残でしょう、横浜港には米軍の専門埠頭も残っていますし、
本牧から根岸に懸けては米軍の幹部将校らの住宅が残されています。
米軍は横須賀、厚木らに基地を抱えており、
神奈川県は沖縄県に次いで負担が多いと思います。
 
大桟橋は1952年接収解除されます。
横浜港は再び栄光を取り戻します。
 
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 みなとみらいの中央地区の夜景。ランドマークは上層部は横浜らしく「糸巻き」の形状です。
 その部分がホテルですから灯が疎らです。象の鼻波止場は右端でした。
 
私の学生時代、フルブライトで米国に行く友人を大桟橋で見送りましたし、
ヨーロッパに旅行する友も大桟橋で見送りました。
当時はウラジオストック、シベリア鉄道経由で行く人が多かったのでした。
ブラジルなどに進出(移民?)する人も大桟橋から旅立ちました。
国内派(?)の私でしたが、大桟橋から旅に出るのが夢でした。
未だに実現していません。
 
大桟橋を拠点に活躍したのが日本郵船です。
同社は丸の内が本社ですが、横浜に本社を戻しても良いじゃないか・・・、
期待してしまう会社です。
大桟橋の近くには郵船博物館があります。
大桟橋の東、山下公園には氷川丸が停泊しています。
氷川丸は船こそ大型では無かったものの、
戦前はそのサービスでは最高と評されたものでした。
何よりも戦争中は医療船として、戦後は戦地からの帰還者をを乗せました。
氷川丸は戦争の生き証人なんです。
 
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   手前のブルーの舟はナイトクルージングだと思います。
 
大桟橋は日本郵船「飛鳥Ⅱ」の母港です。
偶々24日は停泊していました。
私がサラリーマン時代の平成元年飛鳥が竣工しました。
お披露目に招待されました。
80日間ならぬ100日間世界1周が確か360万円だった・・・・、記憶があります。
三食付きで一泊3万円強なら・・・・リーズナブルだが、
我が家には夢のまた夢、思いました。
 
 
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     手前が郵船の飛鳥Ⅱ。船内デッキが景色を眺めるには最高でしょう。
 
大桟橋のデッキから眺めると、目の前が象の鼻で、その向こうにみなとみらいの夜景が見えます。
クリスマスイブだけ、高層ビル群が灯をつけるんです。
だから・・・・、クリスマスイブが一番綺麗な夜なんです。
横浜市民はこのことを良く知っていて・・・、大桟橋に集まって来ます。
ひっきりなしにナイトクルーズの舟が出航します。
クリスマスイブの思い出を作ろうと・・・・、カップルも目立ちます。
 
大桟橋は様々な歴史を留め、横浜が未来に飛翔する基地なんです。
 
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  大桟橋に停泊した飛鳥Ⅱ
 
 
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影向寺の乳銀杏を見て、午後1時、慶応大学の日吉キャンバスに入りました。
ランチは学食で済ませます。
最近は何処の大学でも一般人が図書館や売店、
食堂を利用する事が出来ます。
学生も慣れていて、特段気にしません。
隣で親爺が食べていようが、食べながら何をしていようがお構いなしです。
 
セミナーが始まるのは午後2時半、それまで銀杏並木を散歩して過ごします。
毎年のようにキャンパスの銀杏並木を見ていますが、今年のように綺麗に染まったのは初めてです。
近隣の住人も銀杏を見ようと遣ってきています。
日吉の町は大学が大事な資源で、上手に利用されているようです。
また大学も、地域の理解や恩恵に浴しているようです。
 
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     慶応大学日吉キャンパスの銀杏並木(12月7日)
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セミナーも後2回で今年もお終いです。
今日は「百鬼夜行の変遷」と題して現役学生、それも1年生がレポートします。
私達OBはエールする気持ちもあって集まりました。
 
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「百鬼夜行に遭った」話は古代末期から中世初頭、
宇治拾遺物語や今昔物語に出現します。
夜、やんごとなき用事があったので外出したところ、集団で町を徘徊する鬼や妖怪の行進に出会ってしまった・・・・、そんな話で始まります。
そして、最後は「陀羅尼」を読んだり、お札を持っていたり、襟首に縫い込んであったりしたので・・・・、助かった、と結んでいます。
要するに密教の有難味を説く、説話なんです。
 
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      『百鬼夜行絵巻』作者不詳、室町時代。ウィキペディアから転載
 
そんな仏教説話に始まりましたが、近代になると、怖いもの見たさに、
怖い話が好きで、様々な妖怪が現われます。
妖怪は怖いものから、楽しむものに変わって来ます。
ゲゲゲの鬼太郎もドラエモンもアンパンマンも妖怪のスーパースターのようなもののようです。
そう言われてみれば、セント君(奈良)クマモン(熊本)などユルキャラも冷静になってみれば、妖怪のようなもんです。
妖怪の1000年の歴史は、
現在日本のキャラクターとして、世界を席巻しつつある・・・・・、そんなレポートでした。
 
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                        「水虎晩帰之図」(芥川龍之介の描く河童/旺文社複写)
 
東洋大学を創設した井上円了氏は妖怪博士とも呼ばれました。
妖怪を4つのタイプに分類します。
一つが”偽怪”です。人間が意図的に創作した妖怪です。
私の住む処では散在ヶ池(鎌倉湖)に妖怪が出る、説話があります。
子供が近づくと妖怪(河童)が出て池に引き摺り込まれる・・・・、そんな話です。
危険だから近づかないように・・・・、効果を期待して妖怪を創作したものでしょう。
 
二つ目が”誤怪”です。人間の誤解や恐怖心がひき起こす妖怪です。
夜道でススキの穂が妖怪の様に見えた、仕舞い忘れた洗濯物が幽霊に見えた・・・・・、天井に光っていた眼が明るくなったら木の節目であった・・・・、
そんな類のものです。憑依現象も誤怪に分類されます。
 
三つ目が”仮怪”です。
妖怪だと思ってきたものが、実は自然の要因が重なって発生したものであり、物理的、化学的に原因が解明されたものの事です。
例えば、人魂(燐の自然発光)、狐火(松等の根に溜まったオイル成分の発火現象)等は昔は妖怪の前兆現象と思われましたが、今は科学的に解明されています。
 
四つ目が”真怪”です。
これが真宗の家で産まれ、思想家と言われた井上円了氏の真骨頂です。
同氏は科学的にも説明できない宇宙的な真理と説かれます。
読むと、熊野の大岩も三輪山の杉の大木も・・・・真怪と思われます。
 
 
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    佐藤禅忠師(東慶寺の三代前住職)の描く妖怪座禅図
 
私には真怪として思い当たるものが幾つかあります。
誰でも知っているのが芥川龍之介の描く河童です。
河童は井上氏の後、遠野物語(柳田国男)などで民俗学的な手法で解明されます。
全国各地の河童伝説が収集された結果、大凡次が河童という事に落着しました。
河童は子供の水死体であろう。
突然に子供を失って親は嘆き悲しみます。
よくよく変わり果てた子供の姿は・・・・、まるで伝え聞いた河童ではないか!
水死体は、皮膚は緑色をしており、川底の岩ですり減って頭髪が無くなってしまって、肛門は拡大しています。
背中の甲羅はスッポンのそれでしょう。
そこで、全国各地で似たような河童が出現しました。
 
インテリの芥川龍之介が河童の存在を信じていたわけではないでしょう。
でも、好んで河童を描きます。作品にします。
 
それは・・・・・、自分自身を見詰めていると、
内省すればするほど・・・・、河童に似ている・・・、確信したからでしょう。
河童は・・・・人間の水死体であるが・・・・、それは人間自身の「核心」である、そう思ったからでしょう。
 
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   禅忠師は初夏に気まぐれに書いた漫画だと謙遜されておいでですが、魅力抜群です。
    東慶寺ではこの図を付箋やクリヤファイル等の文房具に使われておいでです。
 
 
もう一つ大正末期に東慶寺の住職に「佐藤禅忠師」が現われます。
鈴木大拙と同じ時代、活躍されますが・・・・。絵も良くされます。
松ヶ丘文庫には同氏の作品が多く収蔵されていて、度々展示替えがあります。
常設されているのが・・・・・、「妖怪の座禅絵巻」です。
トイレットペーパー程の小さな巻紙に・・・・・・・、
妖怪が図鑑のように描かれています。
妖怪は皆真面目に座禅をしています。
一つ目小僧は真っ直ぐに前を向いて、目をカット開いています。
禅忠師は愉しみながら妖怪を描いたことでしょう。
でも、座禅する妖怪は・・・・・、自分自身の投影であると思われていたことでしょう。
 
芥川龍之介氏の河童も、佐藤禅忠師の百鬼妖怪も・・・・・・、
井上円了氏の説く真怪のように思えます。
真怪を”三輪山の杉”だ、と説いても納得が行きかねます。
真怪は・・・…、龍之介氏の描く河童であり、禅忠師の妖怪だと説明すれば解るような気がします。
それは・・・・、畢竟人間自身の事のようです。
 
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セミナーを終えて教室を出ました。
もう夕陽も落ちてしまって、わずかに残照が残っています。
近所の子供が銀杏の落ち葉の上で滑って転がって遊んでいます。
真っ黒な銀杏の梢の上に、細い三日月と宵の明星が輝いています。
梢の先を飛んでいるのは・・・・・、防空壕から飛び出した蝙蝠でしょうか?
        (慶応大学日吉キャンバスの台地には地下壕が掘られていて大本営になっていました)
人間こそが妖怪である・・・・、それは蝙蝠を見ていて確信しました。
 
 
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                                         銀杏の落ち葉で遊ぶ子供。
 
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       逢魔ヶ時の銀杏の木、細い月と宵の明星、鳥、蝙蝠が飛んでいました。
 
 
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11月9日、戸塚小学校の創立140年祭に出かけました。
同校は明治6年の開校ですから、歴史の重みに驚きます。
式典後の会食の席で、実行委員長(PTA会長)と同席できました。
委員長は親縁寺のご住職です。
そこで、私がかねてから疑問に思っていた事を訊いてみました。
 
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  戸塚小学校創立140周年記念式典。素晴らしいお祝い式典でした。
  (写真は放課後合唱団と”ふるさと”を合唱した様子)
 
『天王祭の囃子歌ですが、最近は中抜きで面白くありません。
何で、中抜き、さび抜きにしてしまったんでしょう。
他愛ない囃子歌にしまったのか残念でなりません。
あの歌の二番に、
「親縁寺の小僧さんがチンチンを蜂に刺された・・・」段がありましたね。
親縁寺の小僧さんの段には 民族的な意味が隠れているのでしょうかね?
ミミズにおしっこをかけると、チンチンが腫れる・・・・・、謂われたものでしたが・・・』
 
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  戸塚の天王祭でお札を撒く光景。この時の囃子歌の内容が今日の話題です。
  天王祭は次ぎに書きましたhttp://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/47436117.html
 
ご住職は私の質問に答えてくれました。
「天王祭の囃子歌は当寺にありますから、来られたら案内できますよ。
仰る通り当寺の小僧さんが”蜂の巣におしっこをかけてしまって、怒った蜂にチンチンを刺されてメソメソ泣いていた”段があります。
当寺が八坂神社に近くて、昔は東海道に面していたので、歌われたんでしょう。
 (今は200m程後退しています)
 
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   親縁寺、時宗のお寺です。戸塚で一番に大きな境内で、落ち着いた風情です。
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  親縁寺の無縁仏塔、水子供養塔の様相を呈しています。
 
私はご住職に水を懸けました。
東海道を7キロほど下れば遊行寺さんです。
盆踊りも一遍上人の為された踊念仏が始まりと聞きます。
親縁寺の小僧さんの段は、時宗のお寺が庶民に親しまれた、俗謡に強い影響を与えた事を示している様におもいます。
八坂神社に近いお寺なら他にもありますが・・・・。
 
でも、ご住職は期待通りには応じてくださいませんでした。
この俗謡の被害者であったと思いましたが・・・・。
 
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   広重の戸塚大坂の図。昭和30年代までは見事な松並木があって、絵に描かれていました。
   仮名手本忠臣蔵「おかる寛平、道行の場」の舞台にもなっています。
   親縁寺はこの大坂の登り口にありました。
 
短小コンプレックスの話を聴いたことがあります。
先ずペニスの元を強く絞めておきます。
その上で、蜂の巣におしっこを懸けます。
すると、怒った蜂がチンチンを刺します。
でも、縛ってありますから蜂の毒は全身には回りません。
その結果、チンチンだけが大きくなるんだそうです。
日本では実験した話は聞きませんが、韓国では在ったそうです。
 
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      戸塚から茅ヶ崎バイパス出口付近小和田の道祖神。
      立派なチンチンは豊作満作・子沢山を叶えてくれます。
 
 
弥次郎兵衛と喜多八が東海道を下る「東海道中膝栗毛」に、
戸塚宿の「大きんたま」が出てきます。
「戸塚の大睾丸といふ事有りて、むかし元禄年間(1688〜1704)の事にや。
東海道戸塚宿に大睾丸の乞食ありしと云ふ。又この宿 に明和安永 (1764〜1781) の頃にや、二代目の大玉あって、享和(1801〜1804) 頃までも存命にて有りけりと」(『想山著聞奇集』)
 
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                   仮名垣 魯文の戸塚の大金玉の挿絵
 
『東海道中膝栗毛』が刊行されたのは享和二年(1802)でしたから、弥次さん喜多さんが戸塚で見たのは二代目の大きんたまだったのでしょう。
金たまが膨れたのは寄生虫が原因で、白くて細い虫が陰嚢に巣くった為のようです。
大金たまを見世物にして生活していた乞食の人の生活力に敬服してしまいます。
戸塚の大金たまは4斗樽と評されていたから、狸以上のサイズでしょう。
 
 
 
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親縁寺の小僧さんの段は、この大金たまの印象が強くて生まれたんじゃないかな・・・?
私の直感です。
 
天王祭の囃子歌は幕末に流行っていたものでした。
”いいじゃないか運動”京・伊勢方面から流行り始め、東海道を上って来ました。
各関所で天王祭が催され、お札が天から撒かれて・・・・、世直し運動に発展したと聞きます。
今では各宿場ではもう廃れてしまいましたが、
戸塚宿だけが今も伝えて来ています。
 
最後に天王祭の囃子歌を載せておきます。
 
 さあ来い子供 天王様は 囃子がお好き
 泣く子は嫌い 喧嘩も嫌い
 ワイワイ囃せ 天王山に登って
 獅子の毛むしって 膠(にかわ)で貼って
 これ見ろ弥吉さん
 弥吉の女房 ないないよ
 無い毛が生えた
 ここらで撒こか
 入り色混ぜて 有難いお札
 授かったものは 病をよける
 コロリ(疱瘡)も逃げる ソラ撒くぞ
 
 今年も豊年だ 豊年だ 満作だ
 お米も取れる 粟も麦もとれる 
 野菜もとれる 木の実も実る
 親縁寺のお小僧が 椎の実とって食うとって
 蜂にちんちん刺されて 
 痛いとも言わず 痒いとも言わず
 タダめそめそと 
 ここらで撒こうか 色々混ぜて
 有難いお札 授かったものは 病をよける
 コロリも逃げる ソラ撒く撒くぞ
 
 ノンノン様は幾年
 13と7つよ
 まだ年は若いね
 若い子を産んで
 誰に抱かしょ
 お前に抱かしょ
 お前は何処何行った
 汝買いに 茶買いに
 油屋の前で
 滑って転んで
 油一杯こぼした
 その油どうした
 太郎どんのワンワンと
 次郎どんのワンワンが
 全部舐めてしまった
 そのワンワンどうした
 太鼓に張って
 天王さまで
 ドンドコドン
 八幡様もドンドコドン(注)
 お羽黒様もドンドコドン
 太鼓が鳴ったら賑やかだ
 大根が煮えたら ほらふきだ
 此処らがよかろ
 赤・青・黄色色々混ぜて
 油断をすると
 お札を拾えぬぞ
 ソラ撒く 撒くぞ
    八坂神社の西近くに冨塚八幡宮、東近くに羽黒神社が祀られています。
 
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  団扇に載せて、天王様のお札を撒く光景
 
 
 
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