仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

横浜ウォーキング

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文明開化からハマトラまで、横浜の歴史的な建物から現代の風俗まで幅広くスケッチいたします。尚、筆者は横浜に長年地方税を納め、現在は町内会長(戸塚区上倉田町)として、地元にドップリ漬かっています。
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私の生家の裏山には昭和30年代迄使われていた生活道路の「野庭道」があります。この道は所謂「赤道」で、所有者は横浜市になっています。でも実態は所有者は農民だったのです。入会地と同じようなモノで、この道に落ちた落ち葉を掻き集めて竈の着火に使いました。昔は立派な赤松が道脇に育っていましたので、晩秋には茸獲りや落ち葉掻きに使用していました。そして倉田の農民は農作物を大八車に乗せて野庭から横浜の中心地に運んでいました。今も安曇野と糸魚川を結ぶ「塩の道」には似たような生活道路が残っています。大八車に塩や魚を積んで日本海から松本や長野に運んだのです。ですから大八車を曳いた牛と商人を泊めた宿が残っていたり。大八車の通った轍が残っていたりします。今年の秋は友人を誘って塩の道の文化財を巡る計画です。文化財としては牛馬宿や石仏群です。
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此れは小谷村大野の「うとう」と呼ばれる塩の道です。塩の道の勾配をゆるやかにするために、人工的に削られたU字形の凹地です。
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此れが私の生家から続く野庭道です。右側の上の雑木の中に藤原実方の塚がありましたが、既に移転して工事着工を待つばかりです。雨が降ると渓流になってしまうし気味悪い道でした。最近は明治学院大学の女学生が通って痴漢に遭遇したというので通れなくなってしまいました。
残念なのはこの野庭道がもうじき都市計画道路(旧1号線日立入口と舞岡を繋ぐ)に変わってしまう事です。法律的には道は横浜市の所有ですから文句は云えません。私が住職を継いでいれば反対を表明して赤道の隣接地の売却を拒否するのですが。もう負け犬の遠吠えです。

横浜市民は300円/月を緑税として納めています。野庭道が消えて都市計画道路に変われば更に緑が失われてしまいます。残念でなりません。我家のワンちゃんも大好きな散歩道が無くなる事になります。



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相州春日神社の気遣い

7月17日は横浜薬科大学俣野球場に高校野球の観戦に出かけました(逗子高校VS藤沢翔陵高校)。藤沢翔陵高校のコールド勝ちに終わりましたが良い試合でした。観客席には第二試合の横浜商業(横浜市民はY高と呼んで横浜高校以上に人気があります)の選手の姿が観られました。でも11時過ぎには雷雲も出て来たので、Y高戦は観戦しないで帰宅しました。雨にも濡れず寸での処での帰宅でした。
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7/17日第一試合藤沢翔陵VS逗子高の観客席には第二試合に出るY高の選手の姿がありました。雷雨さえ降らなければ私はY高を応援したのでしたが・・・・・。
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7/17日Y高のアルプススタンド前に集合したY校の応援生徒達この後雷雨でずぶ濡れになって解散して7/18日9時に再度集まって応援したのでした。

でも7月18日ヤッパリ気になります。呆れるワイフを置いて連日の俣野球場にお出かけです。Y校の相手は西湘高校です。西湘高校は西湘バイパス小田原IC近くにある高校です。昔は小田原東高校と呼ばれていました。
試合は予測通りと云うか、期待通りと云うかY高がコールド勝ちになりました。
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7/18日Y校が出場した後の第二試合、第三試合の案内。私は第二試合の関東学院を応援する事にしました。試合開始までの時間潰しにお隣の相州春日神社を詣でました。
第二試合は「横浜創学館高校VS関東学院」です。試合開始まで1時間余り待たなければなりません。そこで俣野球場の西にある相州春日神社に向かいました。以前も来たことがあります。その時には神主さんに鹿の話を聞きました。俣野球場の前身は「横浜ドリームランド」で創業者「ドリーム観光」が境川沿いの丘陵に住宅地と遊園地の開発を計画しました。屹度春日大社への信仰が篤かったのでしょう。遊園地の西外れに奈良の春日大社を分祀したのでした。自ずから春日大社の神使の鹿を譲ってもらい鹿園も併設しました。
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此方は俣野薬大球場の西にある相州春日神社。森の背後は河岸段丘で下に境川が流れています。
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相州春日神社の手水。折角の鹿さんですがイマイチの出来栄えです。
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夏越の茅の輪も余りの熱さで枯れ切っていました。
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社務所の横を通って鹿園に行きます。
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鹿園の鹿さん達神主さんは今春生まれたバンビは2頭と云う事でしたがもっと居そうな気配です。
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鹿園に貼られた注意書この左に”「鹿せんべい」が好物です”の案内もされていました。
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社務所横に置かれた野菜売り場どれも百円です。私はゴーヤを戴きました。
私が5年前に訪問した時には神主さんは
「今年は子鹿が4頭も産まれて。餌代もままならないし、去勢手術も出来ないので大変だ」嘆いておいででした。
其処で「今年はベビーが何頭産まれました?」伺うと
「今年は2頭産まれました。でも健康に育てるのは大変なんですよ」言われます。
「病気にかかる鹿が多いというのは運動不足かストレス過多なのか、それとも・・・・?」
思って折のフェンスを廻ってみると「葱やグレープフルーツの皮を与えないで下さい」注意書が架っています。
確かに私が兎を飼って居た時に蜜柑の皮をあげると下痢になりました。下痢になったら夏なら屑の葉、冬なら蒲公英の葉を取ってあげると下痢は納まりました。春日神社の近くに俣野霊園があります。横浜市の運営する霊園です。霊園のレストハウスで涼しんで、試合開始を待ちました。
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相州春日神社の向かいは俣野霊園です。左の建物がレストハウスで良く冷えています。公園に来た人にとってはオアシスです。
霊園や野球場の芝生を眺めて想いました。「この芝生に鹿さんを放してあげたら鹿さんは健康であろう。糞が芝生の肥料になるし、餌代金も助かるし、面倒を見る人には癒しにもなる。芝生に鹿に人間三者三様にメリットがある、共生出来そうです。心配があるとすれば霊園の草花や樹皮を鹿が食べてしまう事でしょう。でも鹿と人間の共生は710年平城京遷都に始まりました。13百年の共生の歴史がこんな懸念を払拭してくれます。そんなこと考えていたら無性に奈良に行きたくなりました。友人の都合が合わないのでこの夏の旅行は断念したばかりですが、佐紀路の古墳群とそのお濠に咲く蓮の花や藤原京に咲く布袋草が誘います。
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此れが横浜市の公園課が管理している俣野霊園です。メタセコイアの並木の左右は芝生霊園です。
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これが芝生霊園です。芝生のメンテナンスに鹿を使えたら?というのが私の発想です。
余りの陽射しの強さで霊園のレストハウスに入りました。レストハウスには先客が10人余りおいでです。お墓参りのお客さんでは無くて散歩がてら弁当を食べにお昼寝しにこのオアシスに集ってきたようです。
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霊園前の池カワセミの止り木が設えてあります。池の底は菖蒲の鉢が沈められていました。
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レストハウスに貼られたカワセミ親子の写真
壁には霊園の池に自生している野鳥の写真が貼られています。カルガモにカワセミ何れも子育て中の親子連れです。
冷たい梅酒を飲んで一服していると一塁側関東学院のアルプススタンドからブラスバンドが響いて来ました。「早く応援に来て」と聞こえます。
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これは関東学院の応援席です。
足早に野球場に戻りました。横浜創学館高校は2回戦で鎌倉学園にも勝ったシード校です。関東学院には荷が重い相手です。懸念通り形勢不利です。
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楠の木の木陰で関東学院応援生徒の解散式風景。お疲れ様でした。これから六浦まで帰るのでしょう。私も帰る事にしました。
今夏は高校野球も満喫したし、明日は病院に出かけて日焼け処理の薬を貰う事にしましょう。
家に戻るとワイフが「桃の葉ローション」を胸に腕に塗ってくれました。来週は土用に入ります。精霊棚に桃の実も並べる事でしょう。
春にゴーヤの積りで播いておいた苗が育って花つきました。良く見てみれば可愛い胡瓜の子房が付いています。私がゴーヤの積りで買った種が胡瓜だったのでしょう。
背中のリュックには春日大社が育てたゴーヤが二本入っています。
今晩はゴーヤチャンプルを食べる事にしましょう。あの苦味が夏越しには欠かせないのです。

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去年も高校野球を観戦に俣野に在る薬大球場に出かけました。この暑い最中涼しい図書館や美術館に行くのはクレバーですが,暑い時こそ炎天下に行く事が良いに決まっています。テレビでは沖縄や対馬の珊瑚の白化現象が報じられています。ラジオの世界の天気予報ではバンコクでさえ最高気温は31度コロンボは29度香港も29度です。今日の横浜の予報は33度です。熱帯は日中にスコールがあるし偏西風も吹くので横浜程暑くならないのでしょう。何しろ日本の夏の暑さは尋常ではありません。天気予報では午後雷雨の予報が出ていましたが、思いついたらストップ出来ないのが私の性格です。ワイフの用意してくれた水筒をリュックに入れてバスに乗って薬大球場に向いました。神奈中バスの電動掲示板に今日の運勢が出ています。私の牡羊座は「調子に乗ると好事魔多し」出ていました。”体調が良くて慎重にしろ”の運勢のようです。
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試合開始の挨拶。手前白いユニホームが藤沢翔陵高校で向こう青いユニフォームが逗子高です。礼が美しい方を応援しようと思っていましたら、両チームとも美しく甲乙つけがたいので。全員坊主頭の藤沢翔陵高校を応援する事にしました。
内野席は500円です私が席に座ったのは試合開始(11時)の15分前でした。一塁側は逗子高校三塁側は藤沢翔陵高校です。「さて、どちらを応援しようか?」暫し考えました。高校野球は自分の好きな街を応援するのが基本です、私にとっては逗子も藤沢も同じ程度の思い入れがあります。そこで試合開始の「礼」が美しい方にしようと決めました。
両軍選手がホームプレートの前に並んで「礼」をしました。どちらが美しいか?瞬時には見分けが困難でしたが。少なくとも帽子を脱いで坊主頭が並んだ姿は藤沢が勝っていました。そこで私は3塁側内野席に移動しました。正面に一塁側逗子校のアルプス席(応援団が陣取る)が見えます私の東隣は三塁側アルプス席で藤沢翔陵校のブラスバンドも鳴り響いています。どちらの応援も見事でブラスバンドも上手です。
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4回を終えて2対0エラーもないし白熱した好試合でしたが。打者2順すると実力の差が歴然としてきました。
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応援歌「夏祭り」を演奏して清々しい応援をする逗子高校のアルプススタンド
ブラスバンドを聞きながらチヤガールの踊りを観ていたら気付きました両校とも「夏祭り」を応援歌にしているのです。私も好きな歌です。先月観に行った映画「君の名は」を想い起すような切ない歌詞です。ユーチューブ:https://www.youtube.com/watch?v=dZb9qRFyc8A
君がいた夏は
遠い夢の中
  はぐれそうな人ごみの中
 「はなれないで」 出しかけた手を
ポケットに入れて握りしめていた
君がいた夏は
遠い夢の中
空に消えてった
打ち上げ花火
屹度此処に集まった高校生にとってもこの夏は「打ち上げ花火」の様にな記憶に刻まれるのだろうな?思って応援席を眺めました。
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4回を終えてグランド整備の為の散水”この水がトイレの下水道の水と同じ”お嬢さんの過剰清潔感からの指摘でした。

私の席は3塁側藤沢翔陵高校内野席です。4回を終えるとグランド整理で散水されます。私の前の席のお嬢さんが水を避けていました。「濡れるのが嫌なのだな!」思っていたら違うのです。
「あの水はトイレの水と同じだから汚いのよ!」云っています。
此処は俣野公園ですから、公園に降った雨は地下の雨水調整池に溜められて樹木や野球場の散水に使われているのでしょう。当然トイレの下水道も同じ天水桶に溜められた水でしょう。
お嬢さんらしからぬ指摘が気になったら、先刻唐の父兄の応援も気になりました。
「逗子高校の投手の投球に付いて控え投手の小便カーブに惑わされるな!」大声を発しているのです。小便カーブなんて最近は言いません。
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4回を終えると散水されました。藤沢翔陵高校の応援席から逗子高校の応援席に移動しました。理由は応援席のヤジが気に障ったからでした。
藤沢翔陵高校は生徒は礼儀正しくても父兄は品位に欠けるような気がしてきました。
そこで5回からは逗子高席に移動しました。今度は正面に
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アルプス席が見えます。
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此方は翔陵高校のアルプス席スタンド応援席も青い坊主頭が並んでいました。私は瓜畑か干瓢畑を想い出しました。
お嬢さんの横に瓜の様な坊主頭が並んでいます。高校野球は青春だけれど青い坊主頭こそ青春です。
私も半世紀前は坊主頭でした。
6回の裏に藤沢翔陵は3点を追加しました。すると逗子高校はエース投手を出しました。7点差をつけられるとコールド負けになってしまうからです。この試合に勝てば次は横浜高校にぶつかります。エースを横浜高校に温存させていたのが、6点差がつくと次の試合どころではなくなったのでしょう。
町田の方の空が暗くなってきました。天気予報通り雷雨の心配が生じて来ました。態勢も決したし、運勢も悪かったのでソロソロ帰ろうかな?思っていると鉄壁な守備をして来た逗子高校にエラーが出て7点差コールド負けになってしまいました。選手達は観客席に向いて礼をしてくれました。
イメージ 4コールド負けしてしまった逗子高校ナイン。応援席に向って礼をしてくれまあした。
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エラーにとどめを刺されて逗子高校はコールド負けしてしまいました。藤沢翔陵高校の高旗が掲げられて校歌が歌われてお終いです。このところで漸く気付きました。藤沢翔陵高校とは遊行寺の経営する善行にある高校なのです。



家に戻ってテレビ画面で今日観戦した試合を確認しました。
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天王祭で少女の大泣き

昨日7/14日は博多祇園山笠を始め全国の八坂神社で天王祭が開催された事でしょう。
佐原や潮来の様に余り有名でない天王祭もその山車がユネスコの文化遺産に指定されて最初のお祭りでしたから、地元の観光協会もさぞかし熱が入った事でしょう。
ところが心配なのは日田の祇園祭です。今次の水害ではどうなったのでしょうか?テレビ画面を心配しながら観ていると「朝倉の三連水車」は報道され文化財として復旧するようですが、日田の祇園様の報道はありません。私の記憶では日田市の中央を縦断して流れる築後川の堰堤近くに「山車蔵」があって、その中に納まっていたと記憶しているのですが。ネットで調べてみると日田市のホームページでは何もお知らせしていません。今年は「日田の祇園祭は7月21「土」と22日(日)に開催される」、案内に変更はありません。私は博多に転勤していた時代日田には取引先は少なかったのでしたが,運送会社や焼酎会社等と取引が開始されました。私の関心も在って日田市内ややその先の天ヶ瀬温泉に泊まって小鹿田焼( おんたやき)の窯元を巡って民陶を買い求めたりしました。今でも愛用しています。テレビ画面では街中を小鹿田焼の陶土が埋めてしまった様な光景です。
でも、日田祇園祭りは来週末ですから、今変更の案内も無いと云う事は山車等には被害は無かったのでしょう。
加えて日田祇園祭りの主神は素戔嗚尊ですから、災害に負けない姿を意気に感じているのかもしれません。
そう想いながらネットを括っていると、日田市民の”「祭りは予定通り実施する、山車に乗って犠牲者の慰霊の為にもお囃子を奏でる”心意気が出ていました。流石に隼人の住んでいた国です。林屋辰三郎氏の著書でも祇園祭はコレラで亡くなった人の慰霊の為に町衆が牛頭天王を祀ったのが始まり」と出ていました。
両国の花火もコレラの犠牲者の追悼を目的に始めたモノ。天災の度毎に天災を克服するように新しい文化を生むのが日本人の特長のようです。
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ところで戸塚でも天王祭が14日開催されました。
戸塚の天王祭は此処4年ほど中止されてきたのです。何が理由だか説明はありませんでしたが、平成23年に『横浜市暴力団排除条例』が定まりました。戸塚八坂神社には山車も神輿もありません。在るのは「お札播き」と呼ばれる横浜市指定の無形民俗文化財だけです。住人の楽しみは露天商の営む屋台での買い食いとか、ゲームくらいです。露天商の場所取りは江戸時代からのしきたりがあって暴力団のつけ込む余地が在ったのかもしれません。
元々地域団結力に事欠く戸塚の町でしたから、お祭りが中止となると、様々な欠陥が露呈し、市民の「お祭り再開」への期待も強くなったのでしょう。戸塚駅の駅舎には「お祭り再開の横断幕が張られ。区民の参加を呼び掛けていました。
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戸塚駅の橋上改札口には戸塚夏祭りの横断幕が張られお祭り気分を盛り立てていました。
今年から二つもお祭りが始まりました。新入の祭りは郡上踊りを被露するモノで。2009年より明治学院大学戸塚 まつりの一環として、善了寺さん(浄土宗)の境内で毎年開催していました、「郡上踊りイン善了寺」が 2017年には、拡大して、戸塚大踏切広場行われました。(5/27日実施済み)「何で郡上踊りなのか?」 遊行寺の盆踊りを藤沢市が後援するのとは訳が違います。お祭り好きの善了寺住職の活動を自治体が支援するのには疑問もあります。勿論、政教分離を骨格にしている憲法違反の疑惑がありますが。こんな違和感を「地域の絆」の一言で済ませています。戸塚の町の中央にある公園広場でお寺の祭りをするのは疑問符だらけです。地域の絆が重要な事は誰も異論を挟みませんが、憲法については厳格であって欲しいモノです。創価学会の道場を緊急時避難場所に指定するのとは意味が違います。皆の広場や公園を宗教活動に使用するのは問題です。
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4年ぶりに開催された戸塚の八坂神社の天王祭は神社の石段下まで行列になる賑いでした。
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これが八坂神社の神楽殿(田舎芝居の舞台の様なモノ)で実施された「お札播き」牛頭天王のお札を団扇で叩いて播くもので横浜市の無形民俗文化財に指定されています。幕末に勤王の志士がお札播きに紛れて世直し運動を扇動した(ええじゃないか運動)と云われたもので。京都から江戸まで宿場宿場に在った八坂神社を拠点にした運動も今も存続しているのはこれだけと云われています。その文句も如何にも幕末の昂揚感が出ていて良いモノです。
私は早目に夕食を取って「転ばないようにね!」心配するワイフを置いて一人で八坂神社に向かいました。折角再開された「お札播き」を観るのがもくてきです。派手な襦袢を着て真っ白いお化粧をして頬紅をオテモヤンのように塗りたくった踊り子が神楽殿の上で輪踊りします。踊っているのもお囃子を奏でているのも戸塚町の氏子さんです。リーダーは大きな島田髷の叔父さんです。その他主要なメンバーは何れも健康だったようで、4年間の空白が噓のようです。無形民俗文化財は継続する事が重要です。東海道53次の宿場で流行った「お蔭参り」を継承しているのは戸塚天王祭だけですから・・・・。再開された事は嬉しい事で安堵しました。
お札播きも観たいお詣りも終えたので、夜店を観て「たこ焼」でも土産に買って帰る事にしました。
戸塚駅西口から真っ直ぐ旭町通りを500m。三浦道の日立(日立は工場閉鎖して中外製薬に売却)までの間に露天商が屋台を連ねています。道は一方通行で、日立から駅に戻るには堤防を通るか旧国道1号線を戻らなければなりません。戸塚警察署も交通指導員も懸命に一方通行を指導しています。そのうちアナウンスがありました。「夜店の終了時刻は8時です。8時になると灯りは消えますから早目に帰路について下さい」夜8時に消灯されるのは少し早すぎるのではないか?思いました。電灯は駅の方から順次消えて行った気がします。気付いた時には既に真っ暗私はたこ焼をぶら下げて旭町通りの終点につていました。
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戸塚旭町通りは露天商の営む屋台で賑わいます。駅から南への一方通行です。
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駅の方から順次灯りが消えて夜8時には屋台は総て閉店です。
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一斉閉店になっても商っているのは「亀掬い」でした。覘いてみれば緑亀を最中の皮で掬っていました。この亀が生態系を破壊しているのです。子供の時は可愛くても大人になると薄気味悪い赤斑になるので手に負えなくなって柏尾川に放流されてしまうのです。

その時私の目の前で突然少女が大声で泣き出しました。視線が私の方に向けられた気がしました。
少女の隣にはネクタイを締めたお父さんが慰めていました。お父さんは娘に言っています。
「お父さんもお母さんも仕事があるから、お祭りに遅くなってしまったのは仕方無いだろう・・・・!」懸命に言い訳しています。少女の怒りは両親が保育所・託児所に迎えに来るのが遅かった事では無いのです。
夜店が全部闇の中に消えてしまっていた事実なのです。屹度保育所・託児所では午後5時頃から親が顔出しして子供を引き取ってお祭りに出かけていたのでしょう。
少女だけが残されてしまった。漸くお父さんが迎えに来てくれたものの、肝心の夜店は全部閉店してしまった。悲しみと怒りが一気に爆発したのでしょう。誰が何故夜店の閉店時間を一律8時に決めたのか訳が分かりません。昔仲間と小千谷に泊まった事がありました。あの時も町は夜8時には消灯されて寂しい想いをしました。共働き夫婦も多くて子供達はお祭りを楽しみにしているのも事実です。もう少し柔軟な対応が求められるような気がします。「郡上踊りイン善了寺」の対応は柔軟でありすぎですが、「戸塚夏祭り」にはもう少し柔軟であって欲しいモノです。


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芝棟への憧れ

昨年の6月宮城まり子さんの主催される「合歓の木美術館」を観ました。その折に美術館の意匠の素晴らしさに驚き作者を調べたところ藤森 照信(ふじもり てるのぶ)氏である事を確認しました。氏の専門は建築史ですし、生まれも育ちも尖り石遺跡や諏訪大社のある茅野で居られますから自ずとデザインは縄文式の竪穴住居に落ち着くのでしょう。高音多湿、多雨の我国ですから建物の一番難しいところで見せ場は大棟です。唐招提寺金堂でも多くの人の眼を奪うのは大棟の反りです。(列柱と云う意見もありますが…)合歓の木美術館も大棟には芝棟と云い。棟を植物で覆っています。棟に植物等植えたら、梁が腐ってしまうだろうと思うのは素人で。植物が根を張ることで。雨漏りを防ぎ、建物を長持ちさせるのだそうです。合歓の木美術館は大棟の芝棟と団栗の袴のような事務所棟の取り合わせがメルヘンでした。
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これが合歓の木美術館の建物です。大棟の位置に植物を植えていて如何にも竪穴住居の意匠です。左の塔の部分は事務所であり意匠は団栗の袴だと確信しました。
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これは同じ藤森 照信氏の設計された近江八幡の種やのラ・コリーナ。青森の 三内丸山遺跡をテーマパークにしたものと確信しました。日本人は縄文遺跡が一番心地良いのです。芝棟にはオカメ笹を使っていました。
「合歓の木美術館」を観て帰って直ぐに川崎の民家園に芝棟を観に行きました。誰かの文章に民家園の清宮家住宅は芝棟に「一初 ( イチハツ)」を植えてあり。”一初 が棟を締めているうえに紫の花が舞妓さんの簪の様に綺麗だ”. 書いてあったのを記憶していたのでした。川崎民家園で確認すると一初はもう終わってしまったが、代わって萱草が咲いていると云って蚕宮と南部曲屋の外便所を案内してくれました。芝棟の野萱草も綺麗でしたがヤッパリアヤメに似た一初を観て観たいモノ、そこで5月23日(火)に電車を乗り継いで小田急線向ヶ丘遊園の生田緑地に出かけました。民家園入り口で確認すると「今年は一初の咲くのが早くてGW明けが見頃だったそうです。パンフレットの一初を観て我慢です。
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此れが川崎民家園の清宮家住宅大棟に紫と黄色の一初を植えてあります。
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これは川崎民家園の清宮家の芝棟に植えられている「一初」の説明です。今年も観そびれてしまいました。説明にもあるようにシャガの仲間なので来年はシャガが咲いたら出かける事にしましょう。向井潤吉画伯の絵でも屋根に咲く鬼百合等観た記憶があります。

清宮家の一初は観られませんでしたが、民家園には数多くの芝棟が視られます。相模国では一初でしたが甲斐の国広瀬家住宅(国重文)ではイワヒバ(別名岩松)が植えられています。大棟に岩ヒバが並んでいる様子はまるで夏の北アルプスのようです。岩ヒバが大岩のように見えます。岩ヒバは乾燥にも強いし。胞子で増えるので大棟の上は最高の生育環境なのでしょう。
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これは甲斐国の広瀬家住宅。大棟に生えている木は櫨ですがその下にあるゴツゴツしたモノが岩ヒバです。手前側(東面)よりも向こう側(西面)はビッシリ岩ヒバが密生しています
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広瀬家住宅の大棟に自生している岩ヒバまるでガラパゴス諸島に生きているイグアナのように見えます。
相模国では「一初」でお隣の甲斐国では岩ヒバと云う事はその地方地方で大棟の役割を果たすに最適な植物が選ばれているという事でしょう。
竪穴住居は屋根材に萱(カヤ)が多く使われています。萱自体が重量がありますからズリ落ち易いのです。その為に大棟は強く締め付けないと雨漏りを起しかねません。神社の大棟の千木は構造的には締め付け機能を果たすモノであり、呪術的には鉾や刀であり、災いを防ぐ意味を持っているモノでしょう。

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これは横浜歴史博物館に隣接する縄文遺跡の竪穴住居。この時代から大棟の水洩れと地面の排水が住居の大問題でした。
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これは民家園の菅原家住宅です。豪雪地帯の田麦俣の多層民家で二階の窓は積雪期の出入口になります。千木のような大棟の飾りは入母屋を締め付ける役割を果たしています。
一初は観そびれてしまいましたが野萱草も気にかかります。野萱草の咲く芝棟は「蚕影山山祀堂」と工藤家住宅(南部曲屋)の外便所にあります。どちらも野萱草の刀剣のような葉っぱが青々と育っていました。今夏も鶏の鶏冠の様な花を咲かせることでしょう。花菖蒲の咲く頃又来ることにしましょうか?その時は蕎麦屋に寄って「多摩川産」の鮎の塩焼きを戴く事にしましょう。
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これは蚕影山祀堂外便所に芝棟に咲いた鬼百合、鬼百合の少し前に野萱草が咲きます。
民芸は「用の美)と説いたのは柳宗悦氏でした。芝棟の植物を観ていると究極の「用の美」だと思います。


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