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昨日11月3日は昔風に云えば天長節(明治天皇の忌日)でした。
ワイフは朝から明治神宮で奉納射会です。
夕方ワイフが帰宅してお餅を土産に帰宅しました。
神宮の道場で弓をひき参道に農産物の即売会があって、餅つきをしているのでしょう。
辛み大根がたっぷり絡んだお餅を美味しくいただきました。
もう5年も前には新潟の浦佐の毘沙門堂で菊花展を観ました。
魚沼は何処に行っても収穫に沸いていました。魚沼神社では新嘗祭で、八海山も新酒が奉納されていました。
地方は新嘗祭で湧いて居る季節、都会ではハローウィンです。
ハローウィンは10月31日、新嘗祭は11月23日です。
カレンダーを観れば陽暦の11月23日は陰暦では10月24日と表示されていますから、ハローウィンも新嘗祭も略同時期なのです。
ソモソモ、ハローウィンはケルト人の収穫祭で、彼等が新大陸に移った事から米国でハローウィンが季節行事になって、日本人も流行り出したのでしょう。
今年の渋谷の喧騒をテレビで観ていると既にクリスマス以上に盛り上がっているようです。
クリスマスは酔っ払いが街で大手を振っているのに比べて、、ハローウィン子供や若者が仮装して「トリック・オア・トリート」と言っている方が可愛いし市民性もあります。収穫祭だ新酒祭りだと云った方が俄かキリスト教信者よりも後ろめたさもありません。
さて能書きはこの程度にして1わたしはつい先日ハローウィン気分を楽しみたいと思って地下鉄に乗って横浜の元町に出かけてみました。
何処も商店街はシャッターが閉まっていて不冴えです。横浜でも伊勢佐木町の退潮は残念です。横浜駅の一人勝ですが、横浜駅も交通の便が良くなって渋谷や日本橋にお客を奪われるのは眼に見えています。
浜っ子にすればせめて元町は頑張ってほしい想うものです。私達夫婦が学生時代はハマトラと云えば一種のステータスがありましたが、今では死語になってしまいました。
”ハマトラを支えたお店も頑張ってほしい”エールを込めて”元町でハローウィン”です。
予定通り元町商店街に着くと(午後2時前)早引けの女学生が真っ直ぐ自宅に帰るか寄り道しようか?迷っている風でした。
実はこの観察が重要で、商店街はお菓子の配布時間を午後4時からと決めないでもう少し早くするか各店の自由裁量にするべきです。午後4時まで待てない子供が多いのです、お店の都合でなくお客さんの都合に合わせて決めるのが大事でしょう。
モールには幼稚園児が悪魔の仮装で”ハッピー・ハローウィン”叫びながら歩いて行きます。
店員も仮装して、「トリック・オア・トリート」云われる前にお出迎えお菓子をあげています。
要領の良い子は首からお菓子袋をぶら下げています。
子供達の目的地は近澤レース店や北村のお店のブロックです。この前来た時は街路樹の百日紅を観に来たので日傘が並んでいました。
元町モールのキタムラ本店で店員も仮装して子供達を迎えていました。指さしている向かいもキタムラのお店でアッチに行けばお菓子が貰えるよ!言っているのでした。保護者も子供を喜ばせるのに懸命です。
キタムラ本店の向かいには撮影コーナーがあってお菓子も配っていました。元町のリーダーキタムラもその2階を改装して名古屋のコメダ珈琲をテナントにしています。期待に反して楽な経営ではなさそうです。
キタムラ本店前に人力車で遣って来た外人さん人力車に乗せられるか懸念される立派な体躯で居られます。去年に比べれば外人さんがお目立ちです。着物も着て写真も撮って横浜を満喫されているようでした。
元町モールは所々歯抜けが目立つようになっていました。テナントの出入りも目立つようです。流石に1丁目から4丁目まで往復すると疲れて来ます。
ポンパドールで休憩も考えましたが1丁目に来ると杉養蜂店が出店していることに気付きました。ソフトクリームが300円でカウンターで休めるようです。
店員に訊けば杉養蜂店は熊本の会社だそうです。
鎌倉でもお店が目立っています。
阿蘇草千里のお花畑を瞼に浮かべながら甘いソフトを舐めました。ワイフの渋い顔も浮かんできましたが・・・・。
入ってみればカウンターにカリントウが置かれていて”好き勝手にどうぞ”としていました。
カリン糖を食べながらソフトクリームを戴いて時計を見れば未だ3時です。子供達が出て来るには未だ1時間もあります。大凡様子も解ったので地下鉄に乗って家に帰る事にしました。脳梗塞で倒れてこの冬で丸3年、初めての一人でのお出かけでした。
此方はポンパドールの店頭奥にイートインがあります。
ショーウィンドーにはもうクリスマスもありました。気が早いと云うよりもモールの教育が出来ていないと思いました。小学校の運動会と同じで不揃いだと興が乗らないものです。
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横浜ウォーキング
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文明開化からハマトラまで、横浜の歴史的な建物から現代の風俗まで幅広くスケッチいたします。尚、筆者は横浜に長年地方税を納め、現在は町内会長(戸塚区上倉田町)として、地元にドップリ漬かっています。
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7月25日三溪園の蓮を観て、私達は中華街でランチを楽しみました。お粥を腹いっぱい食べて私は台湾風デザートで喫茶したかったのですが、予算もあります。そこで朱雀門から元町の商店街に向かいました。私が大学生だった頃元町のファッションは『ハマトラ』と呼ばれ人気でした。
ーにんぐ
中華街の南門が朱雀門です。此処から運河を渡れば元町に入ります。中華街の街路樹は栴檀ですが、この辺りから元町一帯の街路樹は赤紫の百日紅になります。私は百日紅を観るとかき氷を想い出します。台湾かき氷はかき氷の女王だと思います。女性ファッション誌「JJ」(光文社)はフェリス女学院のお嬢様をモデルにしたような横浜トラディショナル(略してハマトラ)を掲載しました。男子はVANジャケット( 原宿ですが)を着て女子はミニスカートで街を闊歩しました
この地が『元町』と呼ばれるようになった起源は、明治時代にまで遡ります。1860年の横浜の開港により外国人居留地が設けられたため、その地に住んでいた旧横浜村の人々が隣町の本村に強制移住してきました。そしてその後「横浜元町」に地名変更されたのが、元町の始まりだと言われています。丘の上に外国人が住むと元町は職人の街にもなりました。
神戸にも元町があります。神戸も横浜も日本人が外国文化を摂取して、新しい風俗・文化を創作したのでした。
私もワイフも浜っ子で育ちましたから、晴れの日には中華街で食事をして元町をショッピングするのが習慣でした。
と云っても二人とも日吉のキャンパスでしたものの、午後の授業をサボって元町に出た事は一度もありませんでした。私は潮汲み坂の「汐汲坂ガーデン」しを目指して歩き出しましたが元町大通りから山手側に折れる道を迷ってしまいました。そこで既に始まった中元セールを観ながら元町大通りを石川町駅に向かいます。
ワイフは私に言います。
『今日が夏休みでなければ女学生が沢山いたのにね!』
もう40年も連れ添っていると私の気持ちはお見通しです。
ハマトラの3種の神器と云えば、「フクゾー」の洋服、「ミハマ」の靴、「キタムラ」のバッグ。と云われていました。
これに老舗の近澤レース店や洋風家具や外国人好みの陶器店やパン屋さんケーキ屋さんがモールを形作っています。
これは「三種の神器」ではありませんが人気のスミノの店頭50%オフが目立ちます。昔はJJをバックに忍ばせていたおば様も今は覘いても行きません。心なしか舗道に放置されたママチャリもリッチに見えたりします。
これは元町ユニオンの店頭昔に比べればスーパーらしくなく専門店や喫茶室(2階)が表に出て来ました。
これは紳士衣料雑貨ののポピーです山小屋風の建物が目立ちます。百日紅の花陰に建っている幟には横浜美術館で開催されいる「メアリー・カサット展」http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20160625-465.htmlです。日本人はルノアールが好きですから屹度多くの人が集まる事でしょう。それにしても元町の街に似合う幟です。
此方はマクレガーの店頭です。ハマトラ族も老いて今ではユニクロやH&Мに慣れて、もう見向かれなくなったようです。
ハマトラ族だった世代は孫に似合いそうなグッズに眼が向きます。孫息子夫婦そして自分達に似合う三世代衣料(トリプルグッズ)なんて良いと思うのですが。
汐汲み坂ガーデンで台湾掻き氷を食べる事を断念して私は思いつきました。
前回元町を歩いた時に近澤レース店の二階にコメダ珈琲が出店したのです。私が鎌倉深沢に出来たコメダ珈琲に行ってモーニングを食べているのにワイフは苛立って
”私は一度も名古屋スタイルを体験していない”言っていたのでした。そこでユニオンやポンパドールの前を素通りして近澤レースに向かいました。レースの日傘がショーウィンドウに店内に吊るされています。関心ありそうなワイフを横目に私は狭い階段をドンドン二階上がります。階段を登ろうとするとセンサーが働いて来客を伝えます。名古屋スタイルは超合理的なシステム運営なのです。
これは近澤レース店の店頭です。高級感あふれる日傘が吊るされていまあしたが、怖くて店内に入るのは遠慮しました。そして脇の階段を上って二階のコメダ珈琲で今年初めての掻き氷を食べました。
これはコメダ珈琲の掻き氷です。掻き氷410円にソフトクリーム110円をトッピングして520円です。ソフトの他にも餡子等色々トッピングが出来ます。ベトナム人形はポケモンゴー人気にあやかって持ち歩いているものです。
コメダ珈琲元町店の店内鎌倉深沢テント変わらない設えでありながらお客は閑散としていました。
此方は雑誌棚。無造作に大きな食パンが2斤置かれて売られていました。私はテッキリパン屋さんが配達して此処に置いているものと思いましたが、パンの背中に”モーニングサービスのパンです。820円です”と貼られていました。
コメダ珈琲の人気の秘密は新聞や雑誌が自由に読める事。最新号の雑誌を揃えて置くことと綺麗に並べる事は必須です。これもままならず加えて配達された食パンを雑誌棚に放置して置く無神経さは我慢し難いモノがあります。システムとマニュアルを整備しても実施するハートが無ければお客は避けてしまいます。
近澤レースもこんなテナントを入れては駄目です。直ぐにテナントを入れ替えて筋向いのポンパドールかウチキパンにしたらよいと思います。
近澤レースの道路向かいが三種の神器の「フクゾー」です。私はコメダ珈琲の窓際席からお客の出入りを観ていました。まるで現役銀行員か税務署員のようです。叔母さんが懐かしそうに眺めて素通りしてしまいました。ワイフに聴くと、この日は休んでいたそうです。そこでフクゾーさんに提案ですこのおばちゃんの財布を開かせるには三世代ファッションでポケモンをワンポイントに入れたお洋服を作ればおばさんは買ってくれますよ。お値段は3世代セットで15千円ですよ。
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戦後第1回の夏高校野球の優勝校は湘南高校でした。その後も1960年には法政二校が1970年には東海大相模1971年には桐蔭学園が優勝しました。今年は下馬評では横浜高校東海大相模の評価が高いモノの慶応高校や湘南高校も勝ち進んでおり、テレビを見れば観客数も多く盛り上がっている様に見えます。伝統校の復活がオールドファンを野球場に呼んでいるのかもしれません。野球場で旧友と会うなんて羨ましい限りです。屹度野球場に近い居酒屋は繁盛する事でしょう。横浜ベイスターズや阪神タイガースのファンで埋まる居酒屋より楽しそうです。
ところで我が次男は鎌倉学園の野球部ОBで今も昔の仲間と連れ立って応援に出かけています。一昨日は茶の間に鎌倉学園のタオルが懸っていました。
臙脂色のタオルは応援グッズだったのでしょう私は瞬間”破廉恥鎌倉学園”と読んでしまいました。破廉恥なのは昨今の学校関係者の行為で鎌倉学園(建長寺のお膝元)はそんな事あり得ません。良く見れば「礼義廉恥」と記されています。
「礼義廉恥」の反対が「破廉恥」なのでしょう。でも私の学生時代は破廉恥は悪い意味では無く”恥を忍んでも真実を求めようとする勇気のある行為”と思われてきました。破廉恥をモットーとする女学生も居ました。そこで、「礼義廉恥」を調べてみると次のように出ていました。
廉(レン)はもともと直角に交わった板にできたピシッとした直線のことで、その様子から清く正しく無欲なことを意味します。恥(チ)は耳を赤らめて心で恥じるの意(偏が耳、つくりが心)です。ですから 廉恥(レンチ)は清く正しく無欲で、恥を知っている、という熟語です。というわけで、「礼を尊び、儀を重んじ、清く正しく無欲で、恥を知る」という意味です。
実に硬派なモットーです。ネットには鎌倉学園の校則としても紹介されていて中国の古典「菅子」に出てくるとも説明されていました。そんな次第で鎌倉学園の校歌を確認してみました。http://www.kamagaku.ac.jp/introduction/song.html松の嵐を矢叫びの声と聴くとき…耳慣れない言葉が出てきます。雄叫びは開戦に際し”エイ・エイ・オー”とか”起て!起て”と叫ぶ声の事でしょう。矢叫びは開戦に際し矢を放ち同様の声を発するのでしょう。
私は源平盛衰記の屋島の戦い”那須与一”を想い出しました。
流石に鎌倉学園の校歌は古色蒼然としています。同時に勉強になります。
この夏は湘南高校同様に鎌倉学園も勝ち進んでいます。息子が応援に行ったのは2回戦昨日は3回戦をコールド勝ちしました。4回戦の相手は藤嶺藤沢高校ですから、建長寺と遊行寺の戦いです。球場は相模原でからすし遠いので私には観戦は無理なようです。
那須の与一図(矢が扇を射抜くと敵味方一斉に矢叫びをあげました図の出典井原市のHPhttp://www.city.ibara.okayama.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=780.源平に戦いは1回戦が須磨の戦いで二回戦が屋島の戦いを経て壇ノ浦までトーナメントのように勝ち抜かなくてはなりませんでした。プロ野球と違って)一度負けたら次は無い戦いが私達の共感を呼ぶのでしょう。
鎌倉学園は過去3度も甲子園に行きましたし。プロ野球選手も輩出しています。若田部健一(横浜ベイスターズ)や長田誠一郎選手(西武ライオンズ)等が居ました。伝統の校歌も良いのですが歌いやすい応援歌をОBの桑田佳祐さんに作ってもらい、元気づけをして久々に甲子園に行ってほしいモノです。
神奈川県大会の熱戦を伝える神奈川テレビの画面。応援歌を聴きながら鎌倉学園の応援歌なら卒業生の桑田啓祐さんに作って貰ったら盛り上がるだろうと思いました。そうしたら男子ばかりのむさくるしい応援席にお嬢さんが来て気合も入ることでしょう。
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7月14日は戸塚の八坂神社の夏祭りでした。
昨年は余りの混雑でお祭りこそ実施されましたが屋台は中止されました。その理由を戸塚警察署は”路上に250もの屋台が並んで収拾不能だから、明石の海水浴場で圧死事件も起きたでしょう”説明していました。でも区民の過半は『真実の処は”屋台を仕切るテキ屋さんとの関係が疎遠になったから”』と読んでいまあした。
区民のブーイングを受けて今年再開しました。
これが戸塚の八坂神社の夏祭りの案内です。お祭りの楽しみは屋台です。屋台の出ないお祭りは中州で博多ラーメンが食えないようなものです。突然の屋台無しに区民は大ブーイングでした。そこで今年は第1回戸塚祭りと名付けて盛況裡に実施されました。
お祭りをしなければ人も集まらないので事故も起きません。でも年に一度の夏祭りも無いような街に住みたくはありません。地域の絆は日頃の行事就中お祭りで培われるものです。
そこで、私はワイフを誘って夕飯を兼ねて八坂神社にお参りしました。
戸塚の街には大した文化財は残念ながらありません、あえて上げれば上のチラシに印刷されているお札撒きです。
天王様のお札撒きと云えば幕末に突然盛り上がった”お蔭参り、いいじゃないか運動”を想い出します。
「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広がって、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った運動です。京都に集まった勤皇の志士がこの運動を扇動したとも言われています。お伊勢様(または京都)から起った運動は燎原の火のように東海道を江戸に向かって広がったのでした。その熱狂を残しているお札播きが唯一戸塚に残っているというのです。従って横浜市の無形民俗文化財に指定されているのです。
これはええじゃないか運動の風刺画天から降ってくる八坂神社のお札を慶事と確信して庶民が悦んで踊り狂っています。写真出典はウィキペディアです。絵には天照大神や天神様や恵比須大黒天等様々な神仏が現われて庶民が囃し踊り興じています。
昨年の中止で怒っていた人々が夕刻に一斉に街に繰出していました。
私がお嬢さんの浴衣姿に見惚れて転ばないかワイフは気配りしてくれています。
でも夕食を終えて午後7時八坂神社の石段を登る頃には雨も降り出しました。お蔭でお札播きは安全にジックリ楽しむ事が出来ました。お札播きは以前もこのブログに書いたことがあります。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/47436117.html
その時、記事を書く為囃し歌に歌われた親縁寺に行き確認した結果が次の通りでした。
さあ来い子供 天王様は 囃子がお好き
泣く子は嫌い 喧嘩も嫌い
ワイワイ囃せ 天王山に登って
獅子の毛むしって 膠(にかわ)で貼って
これ見ろ弥吉さん
弥吉の女房 ないないよ
無い毛が生えた(注)
ここらで撒こか
入り色混ぜて 有難いお札
授かったものは 病をよける
コロリ(疱瘡)も逃げる ソラ撒くぞ
今年も豊年だ 豊年だ 満作だ
お米も取れる 粟も麦もとれる
野菜もとれる 木の実も実る
親縁寺のお小僧が 椎の実とって食うとって
蜂にちんちん刺されて
痛いとも言わず 痒いとも言わず
タダめそめそと
ここらで撒こうか 色々混ぜて
有難いお札 授かったものは 病をよける
コロリも逃げる ソラ撒く撒くぞ
神楽舞台の上で暫く踊った後でお札を撒きます。団扇で叩かれた五色のお札を善男善女が競って拾います。写真は今年のお札播きの光景です。
これがお札播きで戴いたお札です。八坂神社のご守護が記されているだけですが、午頭天王の図が入っていたらもっと有難味が出そうな気がします。お札の下の絵巻物は年中行事絵巻の中の祇園御霊会です。
親縁寺は戸塚宿の京都見付から入った丘の中腹にある時宗の古刹です。
お札播きは一遍上人が始めた布教手段でした。一遍聖絵を観れば遊行廻る光景やお札を配って布教する場面が描かれています。ですから、八坂神社のお札播きはそのまま一遍上人が始めた宗教活動なのです。
これは一遍聖絵(国宝)の京都市屋道場での踊念仏の場面。お祭りの櫓の上で一遍上人らが踊り庶民や公家の人が見物している様子が美しく丁寧に描かれています。出典は「絵で観る一遍上人伝」(遊行寺が頒布長島尚道著)
これは片瀬浜地蔵堂での踊念仏の絵出典は京都市屋道場のそれと同じ一遍聖絵(国宝」です。
一遍上人の始められた踊念仏が盆踊りのルーツと云われています。今年も7月31日に遊行寺の境内で実施されるとアナウンスされています。いつもは広い広いと感じる遊行寺の境内ですがこの夜に限っては狭く感じます。一遍上人が始められた遊行踊りは盆踊りのルーツと云われていますから全国の盆踊りを観る事も出来ます。
これは遊行の盆のシンボルデザインです。毎年このデザインの団扇が配られます。満月には兎さんが付き物ですが盆踊りも良く似合います。お月様も満面の笑顔で観てござる…。想います。
郡上八幡踊りも越中おはら風の盆も阿波踊りも西馬音内盆踊りも跡部踊念仏も観られます。詳しくが藤沢観光協会のHP(http://www.fujisawa-cci.or.jp/yugyou2015/)をご確認ください。
ところで本来は厄病除けの八坂神社のお祭りですが、戸塚八坂神社の囃し歌を聴くと、ペスト除けから一歩進んで豊穣生育の祈願祭のようです。
前掲囃し歌はエロチックです。
お寺の小坊主のチンチンがハチに刺されたり、子守り娘のアソコに毛が生えたり何れも成人になった事をイメージさせます。盆踊りの鎮守の森は逢引の場所でもありました。小坊主も子守娘も子孫を残せる成人になった悦びを感じさせます。私以前このブログに囃し歌の歌詞中のエロチックな部分がカットされたのはナンセンスだと指摘した事がありました。今回はワイフに”囃し歌の歌詞に聞き耳を立てる様”言いました。エロスが教育的に問題があると云って否定するなら人間は子孫が絶えてしまいます。
今最大の問題は人口減少です。エロスの肯定がその最初の一歩である事は間違いありません。
それは古事記が『イザナギイザナミの』の物語から始まる事からも解ります。
怒ったイザナミは”これからは毎日千人人間を殺す”と云えばイザナギは”毎日1500戸の産屋を建てる”と宣言します。毎日1500人子供を産むにはイザナギは精力絶倫でなければ不可能です。エロスの肯定が一番大事です。男子はイザナギになる覚悟が大事です。
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昨日28日は私の住む東戸塚小学校の運動会でした。生徒さんから招待状を戴いては応援に行かずばなりません。開会式は午前10時、少し前に学校に着くと小学校はまるでキャンプ村。アッチコッチにテントが張られていました。昼食を家族単位でとって貰うので、校庭の隅にテントを張っているのです。
運動会開始前に学校の隅々に張られてテント。家族で昼食をとるための陣取り合戦は厳しいモノがあります。
私は小学校の評議員を仰せつかっていますので3度/年の評議員会を始め主要な行事には参加を求められていますが入学式と運動会には必ず参加しています。
運動会の徒競走を観ていると何時も山本有三の「真実一路」のラストシーンを想い出します。私でさえ一生懸命に走る生徒の姿に感動しているのですから。”この沢山の観客の中には目頭を熱くしている家族が居る筈だ”想うだけで感動してしまいます。
昭和20年代は皆貧乏でした。学校の近くの文房具屋では再三万引きをしたしないで騒いでいました。教室でも文房具を盗まれた盗んだりしないトラブル続きでした。運動会と云えば友達の運動靴が格好良くてスピードが出そうで羨ましかったモノでした。万引きは是認できませんが、昨今のゲーム感覚の万引きとは大違いでした。
私の母は桐生女子高校の和裁の先生でしたから私のパンツも晒しの布でで縫ってくれました。手作りの真っ白いなパンツは気持ちよかったのでしたが。なにせ少し大きすぎるので少し屈むとパンツの裾から少年の男性自身が覘けて見えてしまっていました。目敏く私のお芋を確認した悪餓鬼が竹内君のパンツからチンチンがはみ出しているよ!”はみパン”だと言い出しました。運動会では得意満面だった私でしたがこのあだ名”はみパン”には閉口しました。
私の母はそんなことに頓着しないで幾つになっても運動会にはブカブカのパンツを着せて運動会に行かせていました。私の二人の兄もこのデカパンツには閉口したものと推測します。でも、兄は運動会の弁当のお稲荷さんに食あたりしてしまい、以来ズット稲荷ずしが食べられくなってしまいました。我家のルーツは豊川稲荷さんですから稲荷ずしは食べる機会が沢山ありました。その度に兄は運動会で下痢をした苦い思い出がよぎったものと思います。
真実一路のラストシーンでは主人公の義夫は徒競争でわざと負けてしまいます。義夫には産みの母亡くなっていて姉が母代りで育ててくれています。母代りの姉には縁談が在ってもうじき義夫は一人で生きて行かなくてはなりません。小説の冒頭に北原白秋の詩が紹介されます。「真実一路の旅なれど 真実鈴なり 思い出す」運動会には様々な真実が白日に晒されるのでした。
路傍の石の吾一は困難に打ち勝って生き抜く力が在るでしょうが心優しい義夫には吾一の逞しさに欠け、不安が残ります。でも義夫のような少年こそ幸福になって欲しいモノです。
私は校長先生に挨拶してお隣でお話ししました運動会は楽しみで此処で観ていると真実一路のラストシーンを想い出すこと。沢山の真実がこのグランドに花咲いている事だろう・・・話しました。
「ところで校長先生、私が小学生の頃は徒競走は男女別々にしていましたが今は男女一緒に走るんですね!」「女の子に負けてしまうと男の子はイジケテしまいませんか?」
校長先生はこう言われました。
「負けた男の子が奮起すれば良い事ですし。最近は男女区別しないのが普通です。
近くで私達の話を聞いていたPT0A会長(女性)は「高学年になると女の子の方が早いモノですよ」私は
「大学でも金時計銀時計はどの学部も女性でしたから運動会から女性女性上位なんですね・・・」相槌を打つと
最近の子は「男女共学だと女子に負けてしまうので態々男子校に行くそうですよ」言われます。
生徒は皆裸足で居ます。裸足の方が気持ちが良い事と騎馬戦や組体操でお友達を気遣う優しさが裸足で居させるそうです。裸足が保育に良い事は疑う余地ありません。でもこのために親爺の会が校庭の石拾いに精を出しているのです。その事実は生徒も皆が見ています。地域で大切にされている事を生徒は知っているし感謝して貰っています。挨拶も自然に出来る素地は生徒の他に先生父兄地域の連係の下に培われています。それにしても皆いい脚をしています。昔はО脚やX脚が目立っていました。
見惚れてしまった健康で良い形の脚。
所で先生殆どの生徒が裸足で居ますが教育的視点で裸足を奨励しているのですか」先生に尋ねると
応援の子は掃除で裸足になっているようです。子供も裸足が好きで騎馬戦や組体操での友達への思いやりでしょう。このために「親爺の会」では校庭の石拾いをして貰いました。
ペニシリンも土から発見したものですし、大村智先生も土の中から熱帯感染症の特効薬を開発したのでしたから裸足で居る事が健康に良いのでしょうね。日本は湿気が多いので水虫は都会の国民病ですが土に馴染んでいれば健康で居られるでしょうしね・・・・」。
昨日の午後私は日吉の慶応大学の日本文化セミナーで陰陽五行を説明しました。
結論は「日本は瑞穂の国と自称しているけど。瑞々しい稲は綺麗な水と肥沃な土と清浄な大気の三位一体で育つ日本の文化や民俗が滅びるのはこの三つのうち一つでも欠けた時です」説明いたしました。
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