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横浜ウォーキング

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文明開化からハマトラまで、横浜の歴史的な建物から現代の風俗まで幅広くスケッチいたします。尚、筆者は横浜に長年地方税を納め、現在は町内会長(戸塚区上倉田町)として、地元にドップリ漬かっています。
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山手の山法師の花

中華街でお粥を食べて栴檀の花を見たら山法師の花も観たくなりました。
そこで、「赤い靴」バスに乗って山手に向かう事にしました。
山手のフランス山公園には山法師が植えてあるのです。ワイフは元町でバスを降りてフランス山を登るつもっりで居ます。
私は港の見える丘公園で降りてフランス山を下るつもりでいます。公園内と云っても坂道を登ると下るとでは大違いです。日本中に山法師は随分増えました。
昭和30年代後半街路樹の研究が為されました。東海道の松並木が排気ガスで次々に枯れ始めた頃でした。住宅公団の監理科に出向していた私は街路樹の環境調査を任されました。
当時人気になったのは花水木でした。”堤防樹には桜、街路樹には花水木”当時の感覚だったのでした。花水木の街路に厭きると次は「山法師」が人気になったようです。
花水木は桜が散ったらすぐに咲き出します。その花水木が散る頃梅雨入りします。鬱陶しい季節に爽やかさを届けてくれる最高の街路樹が山法師だったのです。山法師は花水木に良く似た花ですが。空に向いて花が一斉に咲きます。まるで”雲の上は夏の太陽が燦々と輝いているよ”言っているようです。女学生が冬服を脱いで爽やかなとした夏服に着替えて街を闊歩するのに似合う花は山法師が第一です。
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山手の公園通りを帰宅する女学生ももうじき夏服に着替える事になります。夏服に似合う街の街路樹は山法師です。電話ボックスの向かいは山手234番館です。緑陰ではスケッチをする人が多く見られました。
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これが山手公園に咲いた山法師の花です。これは白ですがお隣に赤い山法師も咲いていました。
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此方は港の見える丘公園の白樫の緑陰でで「イギリス館」をスケッチされておいでです。向こうに見える煉瓦の建物大仏次郎記念館です。その手前の樹は山法師ですが既に散り始めていました。大仏次郎といえば「鞍馬天狗」鞍馬天狗の頭巾が山法師の冠り物に似ているから記念館に山法師を植えたのかな?思ったりして・・・。
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此方は山手11番館門前の街路樹は山法師です。
山法師と云えば思い起こすのが白河法皇の「天下三不如意」の言です。白川法皇は政治の実権を院生で想いの儘にしながらも「賀茂川の水と双六の賽の目」と「比叡山の山法師」だけは想う様にならないと嘆いたとの事でした。比叡山の僧兵が日吉大社の神輿を担いで都に繰出して「強訴」したのでした。権力を想いの儘に出来た白河法皇でさえ比叡山の山法師には手を焼いたのでしょう。頑固そうな坊主頭と坊主頭を風呂敷で包むような白い花弁(実は鍔)が長刀を持ってお神輿を担いで山を下りて来ると白河法皇も平清盛もどうしようもなかったのでしょう。
と云っても山法師は比叡山にも坂本の日吉神社にも赤坂の日吉神社に自生しているのを観た事はありません。延暦寺さんも山法師の強訴を好ましいとは思っていないのでしょうか?現代は宗教者が力で無理を押し通す時代ではありませんから・・・。

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これは 山法師強訴図(琵琶湖文化館蔵)僧兵に担がれた神輿が山を下り、賀茂川を渡って入洛する場面が描かれています。洛中を守る武士(源氏)と対峙して一触即発の緊張した場面です。
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山法師の花、中央のいがぐり坊主のような部分が花で白い部分が鍔片ですこの姿がヤンチャ坊主を想わせて可愛いのです。何処か土筆のような愛おしさがあります。

ところで「港の見える丘公園」ですが昔は薔薇の咲く丘として人気が高かったのですが、バラは殆ど無くなってしまい草花が植えられていました。若しかしたら薔薇の病気でも流行ったのかもしれません。草花が咲き乱れて「イギリス館」に似合う様にイングリッシュガーデンにしたのでしょうか?矢張り薔薇を観たいものです。沢山の日曜画家が緑陰でスケッチを楽しんでいました。”日本の国も大人になったものだ”実感する光景でした。
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樫の緑陰でスケッチを楽しむ人たちまるで小学校の生徒が写生会に来た様にはしゃいで居られました。昨年までは薔薇の香りで咽ぶ様だったのでしたが。今は薔薇が少なくなってしまいました。
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此処「山手111番館」の庭だけが薔薇が残されていました。


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飛騨のカフェ

先月末に運慶仏を拝観に瀧山寺を詣でました。その山門を修復したのが飛騨の匠で、「逆さ垂木の悲劇」の言い伝えを聞きました。岡崎城のからくり人形も飛騨の匠の作と聞きますし、トヨタ自動車の生みの親豊田自動織機も水車を動力に綿紡績をする技術と確認しました。
一般に飛騨の匠と聞くと「左甚五郎」や「円空」を思い出しますが、飛騨の匠は日本ハイテクのルーツだったのです。
今週初め、片栗の花の咲き具合を確認に戸塚の東俣野に出かけたのですが、偶然に飛騨の匠を主張した大工さんがいる事を知りました。今日はその大工さんの奥さんが運営しているカフェを照会します。

火曜日の事でした
「明日から天気が崩れるそうだ東俣野に片栗の花を観に行こうよ」
ワイフを誘うと
「貴方は気が早いのだから。未だ10日は早いわよ」云いながら家計簿を確認して私を咎めます。
でも一度言い出すと止まらないのが私の欠点で藤沢行きのバスに乗って影取に出かけました。国道一号線影取のバス停から坂を下って境川の堰堤近くが毎年観に行く片栗の自生地です。坂は左脚麻痺の私にとっては大変です。昨年より大分楽になったリハビリの成果を確認しながら拳の花を観つつ急な坂道を下りました。
でもワイフの懸念通りで片栗は未だチューリップの様な双葉を出したばかりで、硬く白い蕾が確認できるだけでした。ここ数日の暖かさで私が騙されただけで、片栗は温度に反応するのではなくて日照時間に反応して花を咲かせるようです。
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これが東俣野の片栗です(昨年撮影)。今年は未だ双葉が出たばかりで10日は早いようです。
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水芭蕉もマダマダ早すぎました。蛙もイモリも啓蟄が過ぎたのにまだ眠っているようでした。
私は今下りて来た坂道を今度は登るだけです。
ワイフは「疲れたでしょう、此処で一休みお茶にしましょう」
云いますが私は
「宝ビスケットのアウトレットが出来たかもしれない。アソコならビスケット食べ放題かもね・・・」
言ってドンドン影取のバス停に戻りました。
農家の庭先に野菜の無人販売が設えてあります。大根も人参も長葱も全部100円です。傍のポストに100円硬貨を投げ入れるシステムです。
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それでも青空を背に黄色いマンサクが咲いてその根元には原木栽培の椎茸が育っていました。
『珈琲+宝ビスケット食べ放題』は私が「・・・・在ったらいいな!」希望的観測で適当に云ったのでしたが・・・。
宝ビスケットの筋向いに喫茶っ店が出来ていました。
実は泉区の天王寺山泉水公園辺りから境川沿いに鎌倉古道を歩いて来ると影取バス停で6キロ、終点に最高の位置なのです。「この辺りに喫茶店が在ったらいいな!」誰もが期待しているモノなのです。
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農家の庭先の無人野菜販売で今晩の惣菜をゲットしました。
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農家の隣に出来たМОKU-CAFE有限会社飛鳥工匠の応接室(展示ルーム)併用の喫茶店でした。店主の奥様に伺うと飛騨古川の出身で素材も飛騨から取り寄せているようでした。
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喫茶室の隣は「ババアのキッチン」の名でみたらし団子に五平餅のアウトレットを予定していまあした(4月1日オープン予定)
お店に入ると材木特有の芳香が漂っています。私の直感はブナとか苞のような照葉樹でしたが女将さんにフローリングの木材を確認すると栗の木だそうです。栗にしては木肌が白いような気がしました。
喫茶室の隣はキッチンで其処ではホウバ味噌に五平餅にみたらし団子を商うそうです。
珈琲をいただきながら私がみたらし団子(1本80円)に興味を示すと女将さんは豆煎餅をサービスしてくれまあした。感じは千葉のピーナッツ煎餅とカリン糖を折衷したようなお菓子で豆は大豆だとの事。
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МОKU-CAFEの室内から外を見る筋向いが宝ビスケットで女将さんの言う事には木曜日にアウトレットをするとの事、最近テレビに出た事から行列が出来るようになったとの事。もうビスケットの焼ける匂いには慣れたそうですが・・・・・。この狭い道に大型車が出入りするので迷惑して居そうでした此処は東俣野小学校の通学路でもあります。

私が安国寺(国宝経蔵が有名)や千光寺(円空で有名)の話をしました女将さんは故郷を誉められて嬉しそうでした。
「片栗の花を観に再訪します。その時には写真を印画してお持ちしますよ・・・・」
云って珈琲店を後にしました。孫が悦びそうな木工玩具が陳列されていました。お値段を聴けば未定のようで
お話好きでも商売気の無い女将さんでした。
私の生活圏に良い店を発見しました。
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これがМОKU-CAFEの珈琲(250円)お皿の上のお菓子はサービスされた飛騨の駄菓子の豆煎餅お皿は女将さんのお母様が趣味で捏ねた焼き物で秋海棠の葉っぱを押し当てたものだそうです。煎餅でなく雛おこしを乗せたら綺麗だろうと思いました。
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これは木工玩具未だ価格未定の様なので次に来た時に孫の玩具に求める事にしました。
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飛騨古川の雛飾りは矢張り木工細工で桃の花も餅花の意匠でした
飛騨の匠はて奈良時代に始まります私達は中学校の授業で”「国家統一」されると租庸調が始まりました” 教わります。租庸調は古代の税制で米(租)織物等のや特産物(調)を納めたり、一定の労働(庸)をしたのでした。飛騨では田圃もなく、織物も出来ないので奈良の都に出て働きました。飛騨では1里(50戸)毎に匠丁(しょうてい:今の大工)10人を差し出さなければなりませんでした。
平城京の建物の多くは飛騨の匠が居て出来たのでした。世界一の木造建築東大寺大仏殿は最初も再建も修理も飛騨の匠がいて初めて実現したのでした。
何も合掌造りだけが飛騨の匠の成果ではないのです。
珈琲を飲みながら心は薄墨桜に飛んでしまいました。
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これは昨年12月クリスマス用として作成したパステル画です。素材は合掌造りです。合掌造りは結と呼ばれる集団で作業をします。飛騨の匠が大仏殿を建てられたのはハード(匠の技)だけでは無くソフト(結と呼ばれる団結力)だったのでした。最近の事故(原発事故など)を見るとソフトが弱くなっていることを痛感します。


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中華街でランチした私達は元町に出て汐汲み坂を登って山手通りに出ました。山手通りを西に向かってイタリア山にある「外交官の家」が目的地です。フエリス女学院で工事中です以前はグランドだった空地に鉄筋建築中です。此処は地盤も堅固なので杭問題の懸念は無さそうです。加えてゼネコンは竹中工務店です。流石にフェリスは一流が好きなようです。尾根を東に越えればフェリス10号館です。フランク・ライトは帝国ホテルを設計し池袋自由学園をその折に池袋で自由学園を設計しました。アールデコ建築で有名です。ライトの設計思想は折からの昭和モダニズム建築となり、レーモンド設計事務所になり各地の教会や学校博物館になって存続しています。
私の住む横浜市戸塚区にも住友家別荘があって国の重要文化財だったのですが。横浜市が引き継いだ途端に焼失してしまいました。http://rolingwest.exblog.jp/tags/に写真がが出ています。また、鎌倉神奈川県立博物館(八幡宮境内)も壊されることが決まったようです。八幡宮と県との借地契約が打ち切りになるに際し、更地で返還するのです。朝日新聞記事はhttp://www.asahi.com/articles/ASH9B64N0H9BULOB01X.htmです。私が好きな昭和モダニズム建築が縁遠くて残念です。
今日はワイフが一緒なので”不審に思われずにフェリス10号館に入れそうだ…”思ったのですが、
急な坂道の上り下りに悲鳴を上げていたので諦めて真っ直ぐイタリア山に向かいました。
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汐汲み坂を登り切れば山手通りです。フェリスの掲示板にはクリスマスコンサートの案内が貼られていましたこの角のグランを潰して建物(体育館?)を建築中でした

フェリスの丘から見れば地蔵谷を越えた向こうのおかがイタリア山です。銀杏の黄葉とメタセコイアの狐色に染まっています。
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フェリスのある丘から谷戸の向こうにイタリア山を望む。銀杏やメタセコイアが染まっていました。アソコまで未だ歩くのか想うと気が遠くなりました。女子学生以上に叔父さんはアップダウンに弱いのです。この坂を私の友達は大根坂と呼んでいました。フェリスの生徒さんは大根足で有名なのだそうです。

今日は平日なのに外交官の家は混雑しています。早速お茶をして休憩しようと思いましたが喫茶コーナーは満席です。先にクリスマスの飾りを見学しました。昨日朝のNHKテレビで「外交官の家のクリスマス」を放映したのです。テレビの効果もあっての混雑なのでしょう。
テレビに映った叔母様が飾ったようで、その人が案内してくれました。
これは、ウクライナのクリスマスイブの食卓を再現したものだそうです。
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食卓に飾られたクリスマスの晩餐何といっても藁のお飾りが気になります。中央の藁飾りはジドゥフという祖霊を迎えるオブジェで(憑代)です。ウクライナでは麦藁で作るのだそうですが稲わらで作ったのだそうです。

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ウクライナ民家のクリスマスの晩餐テーブルウクライナはヨーロッパの穀倉地帯ですから穀物中心の晩餐のようです。七面鳥や羊肉などの肉食は見当たりません、一方、餃子等粉料理が、パイが目立ちます。左手前は雑穀と小豆をお粥に焚いています(7草粥)。中央の白いのは餃子です。ワイングラスを屠蘇にしてお箸を置けば日本の7草粥と同じです。
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お神輿には稲穂を咥えた鳳凰がいて祖霊の憑代になります。ウクライナのクリスマスの食卓を飾るジドゥフは馬に乗ったお爺さん(祖霊)を模ったものだそうで、祖先を迎えて子孫の繁栄を共々予祝した行事と思われます。

食卓に置かれたナプキンはトルコ風の幾何学模様です。陶器には模様も無くてシンプルで一見益子焼きか常滑焼の質感です。
ウクライナのクリスマスは1月6日だそうです。日本なら七草粥の日です。神棚に奉げた鏡餅を割って七草と一緒にお粥を焚いて家族で食べます。鏡餅に宿した命(祖霊が届けてくれる)を体内に入れて新年の多幸を祈ります。そのつもりで食卓を観れば五穀粥もありますし餃子もあります。この食卓は多国籍です。
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暖炉の上にはキリストとマリア様のイコン画を飾ってあります。織物の柄は幾何学模様でトルコやイスラム文化を感じます。

ウクライナは肉食文化と草食文化の交錯した処でしたから蒙古帝国の時代から戦争が絶えず文化が交じり合ってきました。何といってもジンギスカンが騎馬を駆使し、羊を連れてユーラシアに跨る大帝国を作った事に由来するのでしょう。
戦争に勝つには騎馬と鋭い武器が必要でしたが、武器以上に大切なのは食糧でした。羊を飼っていた蒙古民族にとっては食料を連れて戦線に臨んだようなもので、羊を料理すれば蛋白も内臓からミネラル(塩など)も取れました。
農耕民族だった中国も狩猟民族だったゲルマン国家も蒙古にとっては敵では無かったのでしょう。
東西の中間点だったウクライナでしたから麦と米が入れ替わっただけで農耕文化と牧畜文化が折衷したのでした。結果的にクリスマスも牧畜文化と農耕文化が入り混じりました。
牧畜文化は太陽暦です、農耕文化は太陰暦です。日本と同じだ想う処が多々あるのは自然な事です。
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応接室に飾られたクリスマスツリー右下足元に藁馬が置かれています。卵の飾りが多いのも豊穣と子孫繁栄を祈るもののようです。ロシアのマトリョーシカ(卵の形をした玩具人形)も卵に宿した命に期待する呪術に由来します。
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クリスマスツリーの足元の藁馬
ウクライナでは基本的には太陰暦でクリスマスもロシア正教に依っていて旧暦で実施されるようです。ですから日本で鏡餅を供えて新年の豊作を祈願するように麦で作ったオブジェを食卓に飾ったのでしょう。
麦藁が手配できなかったので稲藁でおびじぇを作ったそうです。一見するとお神輿を飾る稲穂を思い出します。クリスマスツリーと足元には藁馬が置かれています。
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これが軽井沢に近い小田井宿の諏訪神社の小正月の祭り藁馬を町内を牽いて回ります。祖霊が村を廻るのです。横浜ではお馬流し(本牧神社)といって漁港から藁で作った馬を海に流します。同じような祖霊に祈願した予祝行事です。出典は長野県のお祭りカレンダーhttp://www.tabinet-jp.com/event/event.htm)
中山道御代田宿の諏訪神社小田井町に奉納されていた藁馬と同じです。
実際にウクライナでこんな藁馬が作られているのか尋ねてみると違いました。
件の伯母さんが言うには
「日本もウクライナも良く似ているでしょう。その事実を知らしめるために藁馬を作って飾ったのだ」
そうです。そのつもりで観るとクリスマスツリーに沢山の玉飾りが吊るされていました。玉は卵です。卵は命の宿るモノです。卵を飾るのは新年の豊作と家族の繁栄を祈るものです。こんな気持ちは日本もウクライナも同じです。ウクライナは地政学上の位置が不幸して今も戦火が絶えませんが。クリスマスツリーの祈りの様に豊穣で幸せな家族の国になって欲しいものです暖炉の上に祀られたイコン画もそんな心を見守っているようです。
ようやく混雑も収まってきたようなので喫茶室で一服してかsらお庭に出ました。庭にはもうエリカの花が咲き誇っていました。冬至は未だですが、春はもう準備しているようです。
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夕暮れの外交官の家
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外交官の家のエリカの花は今が盛りです。バックがメタセコイアの秋色で春と秋が交錯しているような気がします。
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外交官の家のお隣はグラフ18番館。以前なら立ち寄ったのでしたがウクライナのクリスマスを観たので満足して帰ることにしました。


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結婚写真は人生の華になる記念写真です。分不相応な結婚式をあげさせていただいた、我が夫婦も大切にアルバムを残しています。新婚旅行の写真は私がとったものなので褪色も目立ってしまいましたが、流石にプロの写した写真はワイフの瑞々しさは変わりません。でも、写真は何れも結婚式場,被露宴会場ばかりです。屋外写真が在ったら良かったのに思うものです。
もう20年も前の事です。ソウルに旅をして博物館(当時は朝鮮総督府の建物その後取り壊されて新しく現在の建物になりました)の前庭に沢山の新婚さんがたむろして結婚記念写真を撮っていました。これを「前撮り」といって韓国では習慣になっているのだそうです。
自分達が大切にする記念写真ですから、一番綺麗な場所で撮りたいのが偽らざる心情でしょう。韓国人の合理性を感じました。
そんな合理性を日本人が真似しない筈ありません。世界の観光地にカメラマン同行で屋外記念結婚写真を撮るのです。
横浜でジミ婚をあげて記念写真は大桟橋に停留した豪華客船をバックに撮影したり三溪園のお庭で撮影するのが流行りのようです。インターネットで調べると撮影料プリント代込みで4万円が相場のようです。「前撮り・横浜」で検索すると三溪園での撮影を得意とするスタジオが6社も出てきます。
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これはハービスのホープページhttp://www.la-viephoto.com/blog/index.phpから転載したものです。写真スタジオでは「結婚衣装+着付+スタジオ写真」で15万円程度で三溪園などの名勝地での前撮り写真をオプション(5千程度から)を付けるのが常識のようです。

12月9日天気も最高でしたので急遽三溪園に出かけました。この私達にとっては、秋最期の紅葉です。昨年の今頃は自宅に戻ったと言っても出かける事は叶わず来年は紅葉狩りに出かけたいと枕を濡らしていました。僅か一度倅が運転してくれて遊行寺や日吉の銀杏を観ただけでした。想い起せば計画通りリハビリが進捗して。館林や箱根の紅葉を観てきたことになります。
横浜市民にとっては紅葉と云えば先ずもって三溪園です。池がある事伝統的な数寄屋建築がある事。自然と人工が調和して居る事から贅沢な紅葉狩りが出来ます。
昨日までに案内した益田鈍翁、松永耳庵そして原三溪の三人を「近代の三茶人」と呼びます。三人に共通する事がありました。鈍翁は三井物産を創業したこと耳庵は電力王と呼ばれた事原三溪は絹糸業で財を為した事、何れも実業で大成功を収めた人物で、その財を以って一流の美術コレクターでもありました。原三溪は美術コレクターであるだけに留まらず。下村寒山を始め若い画家を養い面倒を看ましたし、自身も絵筆をとったのでした。元来スケールが大きなリベラリストでしたから。4畳半の茶室に閉じ籠ってわけにはゆか大きな広間を茶室にして沢山の人を招いてお茶会を始めました。千利休のお茶室は4畳半で、明日にも戦場の露に消えるかもしれない武士が一時抹茶を回し飲みする事によって死の覚悟を固めたのでしょうが。大正デモクラシーを体験した実業家は農家の囲炉裏端に集まって実業や経世済民を論じ美の世界に遊んでリベラリストの自由を満喫し合ったのでしょう。そう想うと三溪園の数寄屋建築も雄大な本牧の風景も格別な味が在ったのでしょう。大和長岳寺の石橋も明日香の古墳の石棺も東大寺大仏殿の礎石も金に糸目をつけない成金のコレクションの様に見えますが、リベラリストたちにとっては石造物を観る事によって、限りある命(有機化合物)無限な石(無機化合物)の鮮やかなコントラストを身近に置きたかったのでしょう。
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破蓮の向こうに三重塔。この塔は南山城笠置に在った旧燈明寺の塔を移築したものです。心持浄瑠璃寺や岩船寺の三重の塔に似た姿に見えるのは同郷同時代だからでしょう。
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夏には蓮花越に眺める三重塔が人気ですが今は山茶花越です。
この季節三溪園の重要文化財は公開しています。数年前までは玄関から入室できましたが今年も縁側から覗いてみるだけです。私の様に杖を突いて歩く参観者にとっては文化財を杖で傷めたら大変です。庭先から覗き見るだけで充分に満足です。
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三溪園の秋のハイライト聴秋閣二階の小部屋は銀閣寺と同じような仏間でしょう。足利義政はこの仏間から月を眺め徳川家光はこの小部屋に坐して秋の気配を耳で聴いたのでしょう。因みに聴秋閣のネーミングは原三渓によるものです。

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聴秋閣のこけら葺きの屋根越しに三重の塔を眺める三溪園の秋を代表するアングルです。
三溪園を満喫して内苑から外苑に出ました。もうじきお昼です。すると後から後から次々に前撮りの新婚さんがタクシーで乗り付けて来ました昔は、嫁入り行列を眺めるのが楽しみでした。此処で日向ぼっこをしていたら何組の新婚夫婦が観られるのか飽きないようです。ワイフは”秋には赤い打掛より白無垢の打掛の方が映えるわね・・・なんて言っています。私は白無垢綿帽子のワイフの姿を想い出しました。今日は風も無いし小春日和の字の通りのうららかな日です。もうすこし陽向ボッコをする事にしましょう。
腹が空いてきたのでバスに乗って中華街に向かいました。
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白無垢の打掛のお嫁さん。やっぱし結婚式の華はお嫁さんです。紅葉の季節には紅葉と喧嘩しない淡い色か白無垢が良いようです。カメラマンと反射板を持って撮影隊も大変です。もう前撮りは結婚式の文化として定着したようです。韓国発信の東アジアの風俗文化と云えましょう。

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蝋管式蓄音機の響き

11月18日は何時も通う図書館のある横浜フォーラムのお祭りです。我が町内にあってずっと案内されていたのですが、町内会行事も重なって一度も「フォーラム祭り」には参加した事はありませんでしたが、暇でもあるし天気にもめぐられたので出かけてみました。芝生の前庭には幾張もテントが張られて模擬店が出ています。私はベトナムのフォー(ラーメン)を戴きランチにしました。魚醤の香りに弱いのです。
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横浜フォーラム図書館の閲覧室から庭の賑いを観るテントの過半が模擬店です。

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これが私のランチのフォー(400円)です。私が魚醤が好きなのは弥生式土器に由来して居ると思います。何れかの機会に弥生式土器で米と魚醤が南方の島々を伝ってッ伝来したであろうという推論を書きたいと思って居ます。
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ジャワの民俗舞踊戸塚も近年は国際化が進んでいます。

建物に入ればジャワの民族舞踊を演じています。最近は我が町内にも東南アジアの人が目立ちますからジャワ門族舞踊もベトナム料理も違和感が無くなっています。図書館で本を借り換えて、展示を見て回ります。
展示は何処かで関係のあった組織ばかりです。中々の力作揃いで、販売も進んでいるようでした。
私はワイフを誘って、蝋管式蓄音機の音を聞きに行きました。会場はスタジオです。
フォーラムは1986年男女雇用機会均等法の施行に基づいて出来た箱ものです。
当時は私は未だ現役でしたので記憶も鮮やかでした。確かセクシャルハラスメントを防止する意味で出来た法律で舌が所管した厚労省は全国に箱物を建ててОBの再就職の機会を増やしたのでした。
そんなわけで横浜フォーラムには図書館もスタジオも公会堂もあるのです。立法の趣旨に合って居るものと言えば託児所位のもので、アレコレ余計なモノを作って自分達の守備範囲を拡大したのでした。こんな発想は厚労省に限らず農協も年金もホテルを建てバブルを実演したのでした。
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横浜フォーラムにあるスタジオで蝋管式蓄音機の実演が実施されていました。蓄音機の所有者は渡辺治夫氏で)は横浜蓄音機ミュージアム/090-1882-2011の館長でも居られます.私は品川無線の技師だったと推測しました。レコードを見詰める目の優しさにお人柄が解ります。良い人です。
そんな次第でしたからフォーラムにはスタジオが在るのです。FM横浜にも貸してあげたいような設備です。
そんなスタジオに古風な蝋管式蓄音機を持ち出してレコードをかけて訊かせるというのです。
演奏中に気が付いたのですが戸塚の田谷には品川無線㈱があってグレースというブランド名でレコードプレーヤーのアームやMM型カートリッジを専門に製造していたのです。そんなわけで戸塚には古い蓄音機の技師やファンが多いのでしょう。
私が入室した時にはパティーページの「愛の賛歌」を演奏して居ました。
蝋管式蓄音機が古い事にも驚きましたが音量の大きいのにも驚きました。
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架っているレコードはワイフのリクエストによる千恵美さんのテネシーワルツです。針に伝わった振動音がカートリッジにある橋共鳴に伝わりその音が音の儘で増幅されて聞こえて来るのです。電気信号に転換する事はありません。とことんアナログなのです。
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これがピックアップ針が拾った音をアルミの薄板に伝えその振動が音の儘でスピーカーに伝わって大音量に増幅します。品川無線はピックアップやアームの専門音響メーカーでしたがCDに駆逐されて撤退し工場はニコンに買収され現在はニコン工場になっています。
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これが針です磨滅するので10回程度しか使えないそうです。

私はレコードの駆動装置を入れたボックスの中にアンプがあってレコード針が拾った音を電気信号に転換させてアンプで増幅させてスピーカーを震わせているのだと思って居ました。
横浜の野毛のジャズ喫茶「千草」と同じイメージを持って聞き出していたのでした。
処がとんでもないレコードを回す駆動装置こそモーターですがその他には一切電気は使わず総てがアナログな物理的な音なのでした。
先ず針がレコードの溝を掻いて音を出します。その音をカートリッジがピックアップします。針とレコードが軋む音を共鳴板に伝えその音を蝋管と云うラッパで共鳴さ増幅せて訊かせるのだそうです。大きなラッパの先端は直径50センチもあるようです。
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実演に使われたEМG社/英国の蝋管式蓄音機1932年に製造された350台の一つで渡辺さんが汗を流して再生されたものだそうです。に大きなラッパは当時の電話帳を溶かして作られているそうです。

高音はラッパの根元の狭い処で鳴っていて低音はラッパの先端の広い処で鳴っているのだそうです。
スピーカーでは低音が力があるので高音低音共に響き合って歪んでしまうのだそうです。音をレクトロニクスを介してスピーカを駆動させるのはどうしてもアナログには敵わないのでしょう。
蓄音機はシャンソンに向いているようです。パティーページに続いて江利チエミエリ(テネシーワルツ)が鳴りました。千恵美さんと云えば昨年高倉健さんも天に昇られました。天国のワルツを聴かせているかもしれません。
レコードと云うとCDを聞いた時の驚きがあります。雑音(多くがレコードの針が拾うザーという軋む音、や誇りに依るパチパチ云う音)千恵美委ではろうかん)が消えた時の感動は忘れられません。でもCDの音は神経に触るというか少しも安らぎを得られないやっぱりアナログが良いというので古風なアンプ式音源が人気を回復しているようです。私は蝋管式蓄音機から美輪明宏の「よいとまけの歌」を聞きたいとリクエストしようとして思いつきました。三輪明宏はCDになってから歌ったのです。
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”何で綺麗な大きな音がするのだろう?”子供達が蝋管式蓄音機の中を覘き込みます。渡辺さんは嬉しそうに説明されます。
レコードのザート云う音は軋み音です。針がレコードを削る音です。でもこの音は昔は雑音で嫌だったのでしたが何処か懐かしい安らぎが在るのです。
そう想って記憶を呼び戻すとこの音は潮騒の音に似ています。大磯の小動浜では波が寄せて反す度毎に小石が運ばれてザーッと鳴ります。そのザーの音の間にザブンと波の砕ける音がします。
あの小動の潮騒の音は母のお腹の中で聞いていた音かも知れません。ザーッと言う音は母の動脈の音で波の砕ける音は心臓の音だったのかも知れません。小動浜は昔は「子揺るぎ浜」と書いたのかも知れません。
私はふと思いました私達の教わった数学は10進法です。偶々人間の指が10本だったから10進法に馴染んだだけで本来は二進法が解り易かったのでしょう。家を出たら右に行くか左に行くか二者択一です。生物は動物の植物も男か女です。雨は天から降って地に染入ります。昼は明るく夜は暗いのです。世界は二者で成り立っています。集積回路も二進法で出来ています。デジタルは二進法です
アナログの音に安らぎながら一歩現実に戻れば二進法の世界です。
二進法で割り切れるほど人間も社会も単純ではありません。人間も陽(善)と陰(悪)の二つなら善に向くのが理に適っています日本は濃縮された核物質を大量の保有しています。陽は平和利用で陰は核爆弾でしょう。どちらに使うかは一重に倫理観や宗教観に負うています。今ほど人間性の本質が問われている時代は無い様に思います。



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